Research Digest (DPワンポイント解説)

従業員主権的コーポレート・ガバナンスと企業特異的人的資本
企業―従業員マッチングデータによる賃金分析

解説者 小滝 一彦 (上席研究員)
発行日/NO. Research Digest No.0057
ダウンロード/関連リンク

コーポレート・ガバナンス(企業統治)のあり方は、そこで働く従業員の生活やキャリア形成にどのような影響を与えているのだろう。

小滝SFらは、企業と社員双方へのアンケートに基づくマッチングデータを使い、コーポレート・ガバナンスの性質の違いは企業内教育や訓練など人的資本投資にも影響を与えるという関係を、実証的に明らかにした。このことはM&Aによる経営陣の入れ替えや、収益を重視する株主の圧力などで企業がコーポレート・ガバナンスの変革を迫られた場合、教育・訓練の中身や、従業員が将来期待できる賃金上昇などにも影響をおよぼすことを意味する。小滝SFは、新会社法で定められた制度などを活用した「従業員を途中で裏切らない」仕組みをつくる必要性を指摘する。

――今回の研究の問題意識からお話いただけますか。

コーポレート・ガバナンスの研究は過去20年間にかなり進展してきています。特に日本では、2006年の会社法改正や日本企業買収(M&A)事例などもあり、学問的にも実務的にも関心が高まっています。買収される企業にとっては、まさに会社の中における人間のあり方にも影響してくるテーマですし、「会社はだれのものか」という問いかけにも関わります。

これまでの研究は、「従業員主権的な企業では社内の人材を解雇せずに、新規採用を抑制する傾向にある」というような、コーポレート・ガバナンスの性質と雇用調整の関連を分析する実証が中心でしたが、今回はコーポレート・ガナバンスと教育・訓練といった人的資本投資の関係に着目しました。従業員重視、つまり生え抜き社員が中心で、株主の干渉も少ないというコーポレート・ガバナンスをとる企業では、より企業特異的な、その企業でしか通用しないようなスキル構築に代表される人的資本投資を行いやすいという理論的仮説があります。

これとは逆に、株主重視のコーポレート・ガバナンスをとる企業の人的資本投資は、汎用的なスキルを重視することになります。こうしたコーポレート・ガバナンスと人的資本投資の補完性、相互関連性は、これまでにもしばしば議論され、多くの人が実感していることですが、今回の研究ではこれを実証しようと試みました。

――どのようなデータを使用されましたか。

データは、日本労働研究機構(現:(独)労働政策研究・研修機構)が1999年に実施した「新世紀の経営戦略、コーポレート・ガバナンス、人事戦略に関する調査」アンケートによるものです。企業-従業員マッチングデータを得るために2回に分けて実施しました。1回目は従業員1000人以上の大企業2370社を対象にコーポレート・ガバナンスや経営戦略、人事管理について調査。第2回は企業調査に回答があった企業の本社企画・管理部門(経営企画、総務・広報、経理・財務など5部門)の社員に対し、会社への意識、満足度、賃金などについて調査しました。また、今回アンケートの特徴として、「従業員の主観による賃金と生産性のギャップ」があります。これは、社員個人に対して、自分の生産性は賃金と比べて、1)賃金の方が高い、2)ほぼ同等、3)賃金の方が低い、のいずれかを主観で選んでもらいました。

得られた回答のうち、企業-従業員マッチングに必要な変数がすべて得られたデータは522社・3491人になります。この種のアンケートとしては回収率が非常に高いのですが、それはアンケートを実施した99年が、長銀破綻の直後で企業の問題意識や危機感が高く、アンケートへの感度が良かったからだと考えています。

5つの指標で「従業員主権」の度合いを測定

――具体的な分析手法を教えてください。

まず、各企業のコーポレート・ガバナンスがどの程度従業員主権的かあるいは株主主権的かを測るために、1)安定株主比率、2)役員へのストックオプション制度、3)社員に対するプロフィットシェアリング、4)役員定年制、5)内部昇格者による中核管理職の独占――という5つの指標を変数に置き換えました。

安定株主とは、取引先や社員持株会、銀行・保険会社、グループ企業などを指し、安定株主による持ち株比率が高い企業は、株主が短期的な利益確保のために経営に介入することが抑制され、より従業員主権的となります。ここでは企業から回答された安定株主比率について最大、つまり100%である場合を1、最小を0とした変数を設定しました。

ストックオプションとは、あらかじめ定めた価格で自社株を購入する権利のことで、株価が上昇するほど行使時の利益が大きくなる仕組みです。このストックオプションを与えることで、役員の利益が株主の利益に近づくため、株主主権的なコーポレート・ガバナンスの手段として有効です。ストックオプションがある企業は、株主主権的であると考え、これがない企業を1、ある企業を0として従業員主権の指標としました。

プロフィットシェアリングとは、企業の業績が上がれば社員の賃金が上昇する仕組みです。プロフィットシェアリングがある企業では、従業員は固定レートで労働時間を売る労働者の存在から、事業の成否が帰属する企業オーナーとしての存在に近づきます。

役員定年制がある会社の社長や取締役は、年齢で順送りされることにより、株主の代理人というより従業員による年功的組織の筆頭者としての性格を帯びます。

5番目の変数である「内部昇格者による中核管理職の独占」とは、主要な部課長などに外部からの中途採用者を充てず、生え抜きの社員で独占する組織形態です。こうした中核管理職を内部昇格者が独占する企業は変数1、そうでない企業を0とします。

以上5つの変数はいずれも0から1までの値をとりますが、「1」に近づくほど企業はより従業員による会社支配が強く、コーポレート・ガバナンスは従業員主権的だといえます。

働き盛りの高生産性の見返りは人生後半に回収

――分析から、どのような結果が得られましたか。

コーポレート・ガバナンスの性質と賃金カーブの関係が明確になりました。集めたデータを基に、コーポレート・ガバナンスに関する5つの指標がすべて1の変数をとる企業(最も従業員主権的)と、すべて0をとる企業(最も株主主権的)の賃金カーブを比較してみました(図1)。株主主権的なコーポレート・ガバナンスをとる企業では、人的資本投資が汎用的、つまり企業特異的ではないため会社側による訓練コストの負担が小さい。この場合、社内訓練のコストは入社初期の賃金を低くすることで賄われ、訓練が終わり社員の能力が高まると賃金が上がります。こうして初期の賃金カーブの上昇が急ですが、入社27年目あたりをピークに下降していきます。

これに対し従業員主権的な企業では、企業特異的な人的資本投資を行います。この企業特異的人的資本は、社員の身に付くスキルですが、この会社だけでしか通用しないためこの訓練費用は会社と社員が負担し合います。そして訓練が終わって能力が高まった際も、一部が賃金上昇に、一部が企業の利益となります。このため、こうした企業での賃金の上昇カーブは、より緩やかになります。しかし、その会社に特化したスキルを持った社員を引き止めるため、会社人生の後半でも賃金が上昇し続けるという、いわゆる日本的企業に多くみられる特徴がありました。

図1:賃金カーブ

また、5つの指標のうちでは、「安定株主比率」が賃金カーブに最も影響を与える要素であるとの結果が出ました。安定株主比率が高い企業、つまり経営に対する株主の干渉が少なく、外部から敵対的な経営陣が乗り込んでくる可能性が低い、その結果、従業員主権的なコーポレート・ガバナンスを採用する企業では、賃金カーブがより緩やかになりました。

役員へのストックオプション制度を採用しているかどうかは、賃金への影響の度合いが最も弱くなりました。

――主観的生産性との関係はいかがでしたか。

主観的生産性とコーポレート・ガバナンスの性質との関係も同様に、「最も従業員主権的」である企業は「最も株主主権的」である企業と比べると、入社25年目ぐらいまでは、「生産性に比べて賃金が低い」と回答した割合が上回り、賃金カーブが示した特徴と一致する結果となりました(図2)

図2:主観的生産性・賃金バランス

たとえ30代や40代の社員が「1億円の仕事をした」としても、1億円の給料がもらえるわけではありません。実際に受け取る800万円程度の給料との差によって、企業による人的資本投資が維持される結果になるのです。そうした1億円の仕事ができる社員であっても、その会社を離れたら能力を発揮できないような、いわゆる「会社人間」になっているので、転職せず会社に残るほうが有利という仕組みになっているわけです。

年次や各企業のコーポレート・ガバナンスの性質によって、回答にも一定の傾向が鮮明に出ていますし、企業側と従業員側それぞれの回答も、予想以上に整合的でした。

このように、実証分析によって企業におけるコーポレート・ガバナンスの性質と人的資本投資の補完性を、賃金カーブを用いて明確に結論付けた意義は大きいと思います。

――企業のあり方について、どのような示唆が得られましたか。

安定株主比率に代表される、「従業員主権的なコーポレート・ガバナンス」は、社員に優しいというより、社員を途中で裏切らない仕組みだといえます。社員は長期雇用を前提に、所属する企業でのみ通用するビジネススキル(企業特異的人的資本)を身につけることにより、その会社にとっての自分の価値を上げていきます。社内手続きや取引先も含めての人脈、細かいノウハウなど、日本企業の中には、そうしたスキルが無いと成り立たない会社が依然として多いのも事実です。しかし、M&Aなどで外部株主が入ってくると、そうした企業特異的人的資本を、不当に安く使おうとする危険性があります。

また、従業員主権的なコーポレート・ガバナンスには、ビジネスのスタイルや業種などによって向き、不向きがあると思います。実際、ビジネス環境の変化によって、これまでは強みであった企業特異的なスキルが、通用しにくくなっている業界もあります。たとえば、家電製品に組み込まれるソフトウェアは、これまで、それぞれの家電メーカー社内もしくは系列のソフト開発会社で個別に開発され、そのための人材育成が行われてきました。

しかし、自社グループでしか通用しないソフトは外部への販売は困難です。同様に、社員が身につけた企業特異的な能力も、他社では役に立ちません。他方、汎用化の流れに沿って、社員に汎用的なスキルを教えると、転職されてしまう恐れがあります。

――今後、こうしたケースは増えていくのでしょうか。

ものづくりのソフト化で、製造業ではこれまでのようなビジネスが通用しなくなってくるケースも出てくるでしょう。かつて、コンピューターの生産は、ハード・ソフトを社内で一体として開発していましたが、今や各部品やソフトはそれぞれの企業でつくられ、寄せ集めでパソコンが出来てしまいます。クルマも、電気自動車が主流になったならばパソコンと同じ道をたどるかもしれないという人もいます。このように、従業員主権的で企業特異的人的資本なコーポレート・ガバナンスをとる企業の強みが、特に製造業において今後小さくなっていくという傾向はあると思います。

「途中で裏切らない」仕組みが必要

――株主主権的なコーポレート・ガナバナンスへの移行が望ましいのでしょうか。

株主主権的なコーポレート・ガバナンスへ移行すれば、従業員に対する長期的コミットメントを反故にするなど、いわゆる収奪が起きる可能性もあります。従業員はいわば自分の人生という資源を会社に提供しているのであり、それは土地や資金のように簡単に引き揚げることはできません。会社は誰のものか、と考えた場合、一蓮托生になっている会社人間的な従業員こそが当事者であるといえるでしょう。外部から株主が乗り込んできて会社をコントロールするというケースだけではなく、逆に株主が育ててきた会社を従業員が乗っ取ってしまう、というケースも考えられます。

大事なのは、物的資本や人的資本を投資してもらった時のルールを後からひっくり返さないという仕組みです。株主の出資が主要な資産である会社を従業員が乗っ取る、あるいは従業員が他社への転職機会や当面の給料を我慢する形で育ててきた人的資本によって構成される会社が事後的に敵対的株主に買収されてしまうといったようなことを避ける必要があります。

従業員主権的なコーポレート・ガバナンスを採らざるを得ない会社に対し、株主からの圧力が高まった場合には、社員をつなぎとめる仕組みが必要でしょう。たとえば種類株や新株予約権、黄金株など、会社経営の自由度を高めた新会社法の仕組みを活用すれば「従業員を途中で裏切らない」会社にしていくことができます。

――研究成果からどのような政策インプリケーションが得られますか。

企業のあり方には、「従業員に乗っ取られないように株主重視にすべき」「買収防衛に重点を置くべきだ」など、さまざまな意見があります。2006年の会社法改正で、企業経営の自由度は高まっていきますので、その中で会社のあり方を変えていこうとする試みが出てくるのはよいことだと思います。

ただ、他人が出資・提供した資源を後から奪ってしまうような行為は排除すべきです。乗っ取られる可能性があれば、誰も出資しなくなります。また、ステークホルダーとして自分の人生を出資している従業員も、生産性やスキルを発揮しなくなります。会社のために一生懸命働くよりは、早く帰宅して転職の際に有利になる勉強でもしようという人が増えていきます。これにより資本・人材ともにエクイティ性のある出資が減少していきます。これこそ悪いグローバル化のなれの果てです。出資者・社員の権利を踏みにじらない制度を作ることが重要です。

――今後の研究テーマを教えてください。

どの国でも、大企業には共通性があります。今後はいろいろなコーポレート・ガバナンスを持った会社のパフォーマンスをそれぞれ分析して、コーポレート・ガバナンスと収益の関係を明らかにしていきたいと思います。

また、賃金と生産性の測定の研究は今日に至るまで決着していませんが、現在取り組んでいる研究では、会社が使っている人的資本をうまく計算し、社員の学歴や勤続年数を関数に組み入れて、生産性を直接測定する方法を検討しています。

解説者紹介


1988年東京大学卒業、スタンフォード大学経済学部Ph.D 取得。通産省入省後、通商産業研究所主任研究官、経済産業省大臣官房政策企画室企画主任、金融庁総務企画局市場課企画官を経て、2008年より現職。