著者からひとこと

労働時間改革-日本の働き方をいかに変えるか

労働時間改革-日本の働き方をいかに変えるか

労働時間改革-日本の働き方をいかに変えるか

    編著:鶴 光太郎、樋口 美雄、水町 勇一郎

編者による紹介文(本書「はじめに」より)

労働市場制度改革に多面的な光を当てた注目の書

■本書の問題意識

2008年秋の世界的な金融危機・経済危機の広がりを受けて日本経済も極めて大きな経済収縮を経験した。雇用情勢は稀にみるスピードで悪化し、2009年夏に失業率が既往ピークを更新した(7月5.7%、季調値)。その後、最近の景気の持ち直しもあって、雇用情勢の更なるスパイラル的悪化には歯止めがかかってきたものの、依然として厳しい状況にある。こうした事態に対処するために、昨年来、雇用の安定、セイフティ・ネット充実を目指した緊急・応急的雇用対策が累次策定・実施されてきた。

このように今回の経済危機は雇用機会に対して大きなマイナスの影響を与えたが、働き方に対しては別の効果をもたらした。それは、残業の大幅削減、雇用調整助成金受給企業の休業者増加などによる労働時間の短縮である。もちろん、残業時間の大幅削減は所得の低下を伴うものの、結果的にはこれまでの慢性的であった正社員の長時間労働を是正し、ワークライフバランスを推進した面があることも忘れてはならない。

こうした取り組みは景気循環的、一時的な現象で終わらせるべきではないし、今回の雇用危機をむしろ働き方を抜本的に見直す大きなチャンスと捉えることが重要である。特に、働き方の柔軟性を高めることは、「危機後」を見据えた着実な経済成長に不可欠な生産性向上の大きな鍵を握っている。

他方、働き方・労働時間の問題は、吃緊の課題である労働市場が正規労働者と非正規労働者に二極化している問題と密接に連関している。企業を取り巻く大きな環境変化への対応という意味で、非正規労働者の待遇等の問題と正規労働者の長時間労働の問題は実はコインの表と裏と言っても過言ではない。働き方・労働時間のあり方は、雇用システム全体の問題として捉え直す必要がある。

以上のような問題意識を下に、(独)経済産業研究所の「労働市場制度改革研究会」(プロジェクト・リーダー、鶴 光太郎)のメンバーが、働き方の根幹を成す労働時間の問題に焦点を当て、様々な角度から報告、議論する場としてRIETI政策シンポジウム「労働時間改革:日本の働き方をいかに変えるか」(2009年4月2日)が開催された。本書はそこでの報告を元にした論文と本書のために新たに書き下ろされた論文を1冊の本として体系的にまとめたものであり、労働時間にまつわる問題、政策対応について多面的かつ包括的な視点を読者に提供することをねらいとしている。

■本書の特徴

本書の特徴について、以下、3つのポイントを指摘したい。

まず、第1に、本書は、前著(鶴・樋口・水町編『労働市場制度改革:日本の働き方をいかに変えるか』日本評論社、2009年)の考え方を踏襲した、いわば、姉妹版に当たることである。前著では市場を支えるインフラストラクチャーとしての制度という視点を強調しながら、法学、経済学、経営学など「学際的」視点から問題にアプローチするとともに、海外の経験も幅広く検討しながら、個別問題を分析する際も労働市場制度全般に目配りした上で改革に向けた提言を行うという、「広角的」視点も強調した。分析対象を労働時間に絞った本書においてもそうした視点が十二分に生かされている。たとえば、本書の執筆メンバーは、経済学者5名、法学者3名、経営学者1名、社会学者1名と前著同様、多彩な顔ぶれとなっている。

第2は、本書のように労働時間に焦点を当てながら政策対応も含めて分析、提言を行っている類書は稀であることである(注1)。労働時間は働く者にとって最も重要な問題のひとつであるのだが、これに影響を与える要因は数限りなく考えられる。こうした多面的なアプローチが必要な分野であるだけに経済学でもこれまで必ずしも包括的な分析はできていなかったといえる。その中で、本書は労働時間を対象としながらも明快な理論とミクロ・データを駆使した実証分析に基づいて、政策提言までつながるような分析、考え方を提示しているという点で他に例をみないユニークな特徴を持つ。

第2は、本書では労働時間の問題とワークライフバランスの問題を明確に区別している点である。本書はワークライフバランス、ファミリー・フレンドリーな働き方は労働時間にまつわる諸課題の中の1つであり、労働時間のあり方を考える際には、できるかぎりその「間口」を広くするという立場を取っている。実際、「労働時間改革=ワークライフバランス推進」という見方はかなり浸透しているようにみえるが、それが「労働時間が短くなりさえすればすべて解決する」と暗黙に仮定しているとすればやや短絡的と言わざるを得ない。本書では労働時間の長短ではなく、むしろ、一人一人の働き手のライフ・サイクル、家族環境などに応じて労働時間が柔軟に設定できることが重要と考えている。ワークライフバランスについても各個人にとって望ましいバランスの取り方は異なってくるはずだ。そうした多様性を許容できるような労働時間の柔軟化のあり方、仕組みを考えることが本書の大きなテーマとなっている。

■本書の構成と内容

本書の構成をまず簡単に紹介したい。第1章(鶴論文)、第2章(樋口論文)が労働時間改革に向けて労働時間決定要因、政府介入の是非、労働時間改革の方向性など包括的な整理、問題提起を行い、本書の「鳥瞰図」の役割を果たしている。続く第3章(黒田論文)、第4章(山口論文)、第5章(守島論文)は、それぞれ経済学者、社会学者、経営学者という異なった視点、異なるマクロ・データを十分活かし、日本の労働時間の実像に迫っている。第6章(黒田・山本論文)、第7章(川口・鶴論文)は、経済学的根拠(理論・実証分析)に忠実に基づきながら、労働時間を巡る政策として世間の注目を集めた、ホワイトカラー・エグゼンプションやワーク・シェアリングにまつわる「神話」を検証し、政策評価を行っている。第8章(水町論文)、第9章(島田論文)、第10章(小嶌論文)は、いずれも法学者の視点から、それぞれ労働時間法制改革のグランドデザイン、ホワイトカラーに絞った労働時間法制改革の具体的提言、独立法人になって公から民に労働時間規制も移行した国立大学の経験、と異なるテーマに焦点を当て、求められる労働時間法制改革の方向・あり方について検討している。以下では、本書全体を通じた主張のポイントを各章横断的に述べてみたい。

■長時間労働は深刻化しているのか

労働時間の長さについては、第1章(鶴論文)は、(1)過去20年間ほど労働者全体でみた年間総労働時間はかなり減少したが、それはパートタイマーの増加によるところが大きく、常用労働者に限るとほとんど変化していないこと、また、(2)週60時間以上働く長時間労働者が増えているといわれているが、10年程度でならしてみればその割合はほぼ横ばいであることを指摘している。第3章(黒田論文)は、労働時間の把握がより正確なタイムユーズド・サーベイ(総務省「社会生活基本調査」)の個票データを使い、人口構成、就業・ライフスタイルの変化などを調整するとフルタイム男性雇用者でも20年前と平均労働時間は異ならないという結果を報告している(ただし、土曜日の労働時間は減少した分、平日の労働時間は趨勢的に増加している)。このように、長時間労働の深刻さは20年前とさほど変わらず、改善はあまりみられないといえる。

■長時間労働の要因とは

しかし、「長時間労働=悪」と決めつけ、すべて一律的に規制しようとする考え方は危険である。なぜなら、長時間労働の要因は多様であるからだ。第1章(鶴論文)は、長時間労働の要因を自発的要因(仕事中毒、金銭インセンティブ、出世願望、人的資本の回収、プロフェッショナリズム)と非自発的要因(市場の失敗、職務の不明確さ・コーディネーションの必要性、雇用調整のためのバッファー確保など)に分けて議論すべきことを強調した。その中で、政府が労働時間規制を行うことが正当化されるのは、第1章、第2章(樋口論文)とも市場の失敗や最低限の生活や健康確保の必要性を挙げ、特に、第2章では市場の失敗について、さらに、労使間に交渉上の地歩の差があること、労働市場の流動性が低く労使が相対取引になりやすいこと、他の労働者に負の外部性が発生することなどに分けて検討し、経済環境の変化によってこうした規制根拠も変化することを強調している。

■労働時間が長くなり、働き過ぎと感じているのは誰か

それでは具体的に、労働時間が長くなった、特に、自分の希望時間よりも長く働いている非自発的長時間労働者はどのような人々であろうか。第4章(山口論文)は、慶應義塾大学が実施した調査の個票を用いて、働き手の性別、職種、家族関係に着目し、女性の管理職・勤め人専門職(教師・技師など)で特に働き過ぎと感じている者が多く、それは職場環境の柔軟性と大きく関係することを指摘した。

一方、第5章(守島論文)は、労働政策研究・研修機構が行った調査の個票を使い、働き手の企業の特徴、働き手の企業との関係が労働時間の増加とどのような関係にあるかについて検討した。そこで労働時間増加を感じている人材は企業が株主価値重視へと変わりつつあり、そのためのコストダウン、スピードアップなどの経営施策の導入、現場管理徹底を図る中で、企業との長期的な関係の中で評価、キャリア・アップを望む人材であることがわかった。働き過ぎが市場の失敗というよりも管理・専門職や企業の環境変化と関連が深いという結果はむしろ政府の労働時間の規制で一律的に長時間労働を是正することは難しく、また、必ずしも適切な対応策ではないことを示唆した結果といえよう。

■ホワイトカラー・エグゼンプションとワークシェアリングをどう評価するか

それでは労働時間に関する政策はどうあるべきか。まず、世間で話題になったホワイトカラー・エクゼンプション(ホワイトカラー労働者への労働時間規制適用除外)とワークシェアリング(労働時間短縮による雇用維持・創出)を取り上げてみよう。前者が「残業代ゼロ法案」と批判された背景はその導入が労働時間増加につながるという懸念があったためである。しかし、第6章(黒田・山本論文)は、慶應義塾大学のパネル調査を使い、現行の労働時間規制の適用除外を受けている人と受けていない人を比較することで、卸小売り・飲食・宿泊業で働く労働者や大卒以外の労働者は適用除外の導入で労働時間が長くなる傾向にあるが、逆に大卒は短くなる傾向があること、平均的にみれば労働時間が長時間化した分は基本給の上昇によって補填されている可能性があることを指摘した。

また、雇用情勢が深刻化する度にその必要性が繰り返し叫ばれてきたワークシェアリングについては、第7章(川口・鶴論文)が、それにより雇用が創出されるためには、労使の信頼関係に基づく納得ずくの賃下げが必要であり、その導入は労働時間と人数の代替が容易であり、かつ採用・訓練に要する固定コストが低い職場に限られ、そのハードルはかなり高いことを強調している。内外での厳密な実証分析を見ても、現実的にワークシェアリングが機能するのは極めてまれであり、安易な期待は禁物である。このようにある特定の政策への言われなき「批判」や過度な期待に基づく「神話」などは厳密かつ冷静な分析で再検討することが重要だ。

■求められる労働時間改革とは

本書ではいくつかの章にまたがって、労働時間、働き方の改革のあり方、方向性について検討を行っているが、共通した認識は以下の3点に要約できる。まず、第1は、働き方を変えるには政府による一律的な規制が必ずしも万能ではなく、労働者の多様性も配慮した労使間での緊密な対話による改革を基本とすべきであり、そうした対話を促すような法制度の整備が重要であることだ(第1章(鶴論文)、第2章(樋口論文)、第8章(水町論文)、第9章(島田論文))。第2は、その中で労働時間規制は労働者の健康確保のために労働解放(生活)時間(特に、休日取得)を保障することを主眼とすべきという点だ(第1章、第8章、第9章)。第3は、労働時間の柔軟性を高めるために、管理監督者の適用除外と二種類の裁量労働制を制度として連続性、一貫性、実効性を持つ仕組みに整理、再編する必要があることだ(第1章、第7章、第8章)。

上記に加え、論者によって異なる改革視点も提示されている。たとえば、第1章では、時間外労働に対しては金銭補償から休日代替への転換を強調し、ドイツなどの労働時間貯蓄制度導入を提言している。時間外労働に対する割増し賃金率引上げには、第10章(小嶌論文)は批判的立場だ。加えて、第8章は、長時間労働への対応として、EU の最長労働時間、休息時間の規制も含めた検討を示唆している。一方、第2章はこうした政府の労働時間への直接介入よりも、割増率引き上げと労働市場の流動性化・雇用機会拡大といった間接効果を連動させた総合的対応を強調している。コンセンサスのある労働時間の適用除外制度の整理・統合についても、具体的な制度設計については、第8章では適用除外を受ける労働者の範囲は現行制度をほぼ踏襲することを想定しているが、第9章では労使の裁量をより認めながらもホワイトカラー労働者全体に適用できるような制度を考えているという違いがある。第10章では、官民における労働時間法制の差異に着目し、民へ移行した国立大学法人の試行錯誤の経験に基づき、移行過程における問題点を論じるなど、ユニークな視点を提供している。

■「複眼的」アプローチの有用性

複雑な経済・社会現象を分析する過程は、たとえていうならば、複雑な形をした立体をいろいろな方向からながめて、その形を把握することに似ている。一度に全体を見渡すことはできないので、ある方向から光を当ててその形を想像することになる。しかし、一定方向からみた姿だけで全体の形を想像しても、逆の方向から光を当てて観察すればまったく別の形にみえるということもあろう。その立体が複雑な形をしておればしているほど、四方八方からみて注意深く観察することが重要である。

複雑な経済・社会現象を対象にする場合でも同じである。視点や学問領域の異なる研究者が同じ対象について分析することは、多面的な光を当てることでこれまで見えなかった経済・社会現象の本質をはっきりと浮かび上がらせることを可能にする。その中でお互いの連携をうまくとれば、視点のもれをなくすことができるし、相手の視点から見ることで新たな発見も期待できる。2007年から数えて足かけ4年目を迎える「労働市場制度改革研究会」のメンバーとの議論の中で改めて印象に残ったことがこうした「複眼的」アプローチの有用性である。本書を通じて、読者の皆様が「複眼的」思考の妙を感じていただければ編者として望外の喜びである。

最後になったが、本書を生む母体となった「労働市場制度改革」プロジェクトに対し変わらぬ励ましとサポートをいただいた経済産業研究所の及川耕造理事長、藤田昌久所長を始めとするマネジメント、スタッフの方々、並びに、長年にわたり編者の一人(鶴)の研究にご興味・ご理解をいただき、いつもながらの丁寧な心配りで本を仕上げていただいた、齋藤博氏(日本評論社)に心からお礼を申し上げたい。

2010年2月
編者を代表して 鶴 光太郎

注1)和書では、たとえば、小倉一哉『エンドレス・ワーカーズ:働きすぎの日本人の実像』日本経済新聞出版社、2007年などがあるのみである。

著者(編著者)紹介

鶴 光太郎顔写真

鶴 光太郎

RIETI上席研究員。1984年東京大学理学部卒業。オックスフォード大学大学院経済学博士号(D.phill.)取得。1984-1995年経済企画庁、1995-2000年OECD経済局エコノミスト、2000-2001年日本銀行金融研究所研究員、2001年より現職。慶應義塾大学大学院商学研究科特別招聘教授、慶應義塾大学経済学部特別招聘教授、中央大学公共政策研究科客員教授、一橋大学経済研究所非常勤講師、内閣府本府政策企画調査官を兼務。主な著作物に『日本の経済システム改革―「失われた15年」を超えて』、日本経済新聞社、2006、
『日本の財政改革―「国のかたち」をどう変えるか』、東洋経済新報社、2004(青木昌彦氏と共編)等。