コラム

エンゲージメントの時代-日本における展開

江口 高顯
一橋大学大学院国際企業戦略研究科博士後期課程在籍
経済産業省企業報告ラボ「投資家フォーラム」作業部会メンバー

2013年6月に安倍内閣は「日本再興戦略」を閣議決定し、アクションプランの一環として日本企業のガバナンス強化を打ち出した。その柱の1つが、「企業の持続的な成長を促す観点から、幅広い機関投資家が企業との建設的な対話を行い、適切な受託者責任を果たすための原則」について検討することである。それを受ける形で同年8月には金融庁が部内に有識者検討会を発足させ、そして2014年2月に「『責任ある機関投資家』の諸原則《日本版スチュワードシップ・コード》」(以下、日本版コード)を公表した。金融庁が発表したリストによると2014年9月2日現在、160の運用会社、信託銀行、保険会社、年金基金等が日本版コードの受け入れを表明している。

さて、投資先企業の株主総会で行使する議決権を背景に、機関投資家が経営陣と行う対話活動を、英語でエンゲージメントという。日本版コードでは「目的を持った対話」という用語を当てている。

日本版コードの手本となったのは、2010年6月に初版が公表された英国のStewardship Code(以下、英国版コード)である。英国では既に1980年代より機関投資家と投資先企業との間でエンゲージメントが盛んに行われていた。そうした状況を背景に、機関投資家の団体が自主的に作成したガイドラインを下敷きに制定されたのが英国版コードである。すなわち、英国版コードが前提にしているエンゲージメントは、英国における投資家と投資先企業の関係の在り方を色濃く反映している。英国で発達した慣行を日本で制度として根付かせようとするとき、当然意識しなければならないのは、こうした社会的条件の差である。ここでは歴史的位置付けと企業のガバナンスとの関連という2つの観点から、日本流エンゲージメントの展開を論じてみたい。

持ち合い解消と経営者・株主の新しい関係

歴史的な観点に立つと、いま日本でエンゲージメントが注目されるのは、株式持ち合いの解消が進む中で経営者と株主の関係が変化しているからである。株式所有構造における相互持ち合いの浸透を反映して、高度成長期から1990年代前半までは大企業において金融機関や事業会社が主要な株主だった。しかし2000年代以降は、内外の機関投資家のウェートの方が大きくなっている(注1)。関係依存で長期保有を前提にした安定株主に替わって、純投資目的で「会社と距離を置いた関係」の株主が主要株主の名簿に名を連ねる中で、企業と株主との関係は変化せざるを得なくなっている。一方、先進国の中でいち早く株主構成が機関投資家中心となったのは英国だった。機関投資家によるエンゲージメントはその英国で発達し、経営者・株主関係を安定化させる要因となった(注2)。持ち合い解消により経営者・株主関係が不安定化する中で、英国の経験に倣い、エンゲージメントを軸とする新しい安定的な関係を模索することは自然な流れといえよう。

ところで、英国で発達したエンゲージメントは独特のスタイルをもっている。個々には少数株主である機関投資家が相互に連携して議決権を結集し、集団としての力を背景に経営者との対話に臨むのである。多くの場合、対話は友好裏に進むが、基本的には投資家が経営者に要求を突き付ける形である。同様なスタイルが日本で通用するかと言えば、大方の見方は否定的だろう。実際、会社側はこうした居丈高ともいえるアプローチに反発を覚えるだろう。また投資家側も有効な方法と考えないだろう。投資家側がそのように考える理由は、機関投資家の連携が現在の日本で現実味をもたないこともあろう。だが、それ以上に重要なのは、日本企業におけるガバナンスの組み立てが英国と異なるからである。

ガバナンスのバランス調整

ここで日本企業のガバナンスについて簡単に整理したい。ガバナンスという言葉は論者によって意味が異なる。さし当たっては、会社の意思決定者である経営トップに対して会社の内外から働く牽制要因の総体だと考えておけばよい。どのような牽制要因があり、どのような形でガバナンスが組み立てられるかについては、制度の相違などを反映して国により差が見られる。戦後日本の場合、経営組織の内部から経営トップに働く牽制に重きを置く一方、外部の投資家による牽制を制限する、という形でガバナンスが組み立てられてきた。外部の投資家による牽制を制限する有力な手段が株式持ち合いである。株式持ち合いが解消へ向かう中でエンゲージメントを盛んにすることは、ガバナンスの組み立てにおいて外部の投資家による牽制の比重を引き上げることを意味する。

組織内部から経営トップに対し牽制が働くことは、ガバナンスに関する大方の議論でこれまで十分考慮されなかった。しかし、このような牽制作用は組織における部下と上司の間の協働関係に根差しており、また企業との一体意識が強い日本企業において特に意味をもつと考えられる。すなわち、上司であるトップの成功は部下の積極的な貢献に依存することから、トップダウンの組織である企業においても、部下はトップに対して一定の交渉力をもつ。こうしたメカニズムが存在する中で、日本企業の場合、長期雇用とトップへの内部昇進を前提に、会社と若手幹部の将来が大きく重なり合う。つまりトップの経営判断が若手幹部の将来を大きく左右するので、若手幹部はトップの経営判断をチェックする強いインセンティブをもつ。これがトップに対するボトムアップの牽制圧力として働くのである(注3)。

とはいうものの、ボトムアップの牽制はプラスだけでなくマイナスにも働く。すなわち、組織成員が競争と革新を恐れず長期的な企業価値の創造という方向で足並みを揃えるとき、これは持続的な企業成長を駆動する力となる。これに対し、組織成員が保身に傾き現状維持を志向するとき、企業が停滞に陥る原因となるのである。持続的な企業成長を促すガバナンスを「再興戦略」が強調するのも、多くの日本企業が後者の状態に陥っているとの懸念があるからである。

変化を実現する日本流エンゲージメント

エンゲージメントを成功させ、企業を変化に導くための必要条件は日本企業の特性を十分理解することである。経営組織の内部にボトムアップの力が働くという日本企業の特性に照らすと、投資家の主張を内部者の関心に共鳴させることが成功の鍵だといえよう。したがって、議決権の力を頼んでむやみに外部から圧力をかけるより、組織内部からイニシアティブを引き出す触媒の役割を機関投資家は果たすべきだと考える。こうしたアプローチは企業との建設的な信頼関係の存在が前提となる。そのため、変化を実現する日本流のエンゲージメントは自ずから関係依存的となり、距離を置いた交渉という趣が強い英国流とは異なった形で展開していくものと思われる。

もとよりエンゲージメントの社会的役割は企業外部の観点を経営内部にまで持ち込むことである。投資家がいくら良いことを言っても、企業に聞き入れてもらわなければ単なる自己満足に終わってしまう。外部者である投資家の主張を如何にすれば経営判断に反映させられるかを工夫することが、エンゲージメントを担う機関投資家にとって知恵の一番の出し所なのである。

2014年9月30日
脚注
  1. ^ たとえば、宮島英昭・新田敬祐「株式所有構造の多様化とその帰結-株式持ち合いの解消・『復活』と海外投資家の役割」(宮島英昭編著『日本の企業統治-その再設計と競争力の回復に向けて』東洋経済新報社、2011年)を参照。
  2. ^ 詳細については、江口高顯「株式持ち合い『後』の経営者・株主関係における機関投資家の役割」『証券アナリストジャーナル』第51巻10号、41-51頁(2013年10月号)、およびそこに引用されている文献を参照。
  3. ^ 詳細については、Shishido, Zenichi & Takaaki Eguchi, The Future of Japanese Corporate Governance: Internal Governance and the Development of Japanese-Style External Governance through Engagement, in Randall S. Thomas & Jennifer Hill (eds.), Shareholder Power, Cheltenham: Edward Elgar (forthcoming)を参照。

2014年9月30日掲載

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