3分でわかる開発援助研究:オススメの1本

第6回「インフラは貧困削減に寄与するか? インドにおける大型ダムの効果」

オススメの1本
Duflo, Esther and Rohini Pande (2007), "DAMS," Quarterly Journal of Economics. May, pp. 601-646.

「3分でわかる開発援助研究:オススメの1本」では、第3回「援助の成長促進効果と援助評価のあり方を再考する(木村秀美)」第5回「子供たちを学校に――メキシコ就学助成金プログラム(PROGRESA)のインパクト評価(有本寛)」の2回にわたり、開発政策の効果を正確に測定する最善の方法として、ランダマイゼーション(Randomization)手法について紹介してきた。

しかしながら、ランダマイゼーションの手法は、全ての開発政策評価に活用できるものでは必ずしもない。たとえば、日本が円借款などを通じて貢献してきた大型インフラストラクチャーの効果測定にはなじまない手法である。なぜなら、貧困削減効果を計測するために大型インフラプロジェクトをランダムに配置することは非現実的だからだ。

それでは、インフラが貧困に与えるインパクトの正確な計測は不可能なのであろうか? 今回は、この難題に迫った2人の新進気鋭の開発経済学者、Esther Duflo (MIT)とRohini Pande (Harvard)の論文を紹介する。

ランダマイゼーションとは何か?

まず、ランダマイゼーションをおさらいしよう。ランダマイゼーションは、医学の治験では標準化した手法である。開発援助分野においても2003年にMIT経済学部に設置されたJameel Poverty Action Lab (J-PAL) を中心として、貧困削減案件、特に教育プロジェクトの効果を精緻に計測する手法として急速に広まった。枠組みは単純である。案件の対象となる人々や地域などの処置グループ(treatment group)と対象とならない対照グループ(control group)を「無作為に設定」し、両グループの評価指標の差を計測し、貧困プログラムの処置効果(treatment effect)を数量化することである。言い換えれば、ランダムに選ばれた対照グループのアウトカムを、処置グループの反事実のアウトカム(counterfactual outcome)として観察することである。

ランダマイゼーションが重要である理由は、仮にランダム(無作為)に配置されていない開発案件の評価を行うと、その効果が過大に測定される可能性が高いことにある。開発案件の配置は、しばしば行政上の容易さや受け入れ側のキャパシティにしたがって順序付けられる。仮にそうした案件配置が行われている場合に処置効果を計測すると、その効果の少なくとも一部分は受け入れ側のキャパシティの差を含んでいることになる。これは「内生性のバイアス」と呼ばれるものである。つまり、案件の配置がキャパシティを手がかりに内部要因で決定されている。この内生性のバイアスにより、処置効果が過大に計測されるのである。

大型ダムの貧困削減効果

ランダマイゼーションによっては計測できない、大型ダムの貧困削減効果はどのようにして測定することが可能だろうか?この難題に取り組んだのが、今回紹介するDuflo and Pande (2007)である。世界全体では4万5000ものダムが建設されているが、その中でも4000以上のダムが建設され、中国・アメリカ合衆国に次ぐ「ダム大国」であるインドを取り上げている。ダムは、灌漑による水資源の平準化や洪水の調整、水道水や工業用水の整備、発電など、さまざまな便益を生むと考えられている。特に農業生産が重要な発展途上国では、ダムは乾季の灌漑農業を可能とし、農業生産の増大・貧困削減に寄与すると考えられている。他方、ダム反対派は、これらの便益がダム下流住民に集中しており、上流地域の便益は、ダム建設労働需要など短期的な便益等に限られるとして批判している。

それでは、ダムの農業生産増大効果・貧困削減効果を正確に計測し、ダム反対派の批判に答えることは可能であろうか? ダムの効果計測方法としてまず思い浮かぶ手法は、以下のようにダムの配置状況と効果指標との関係をデータで見ることである。

(I)ダムの配置 → 農業生産・貧困削減度

しかし、この手法には、根源的な問題がある。前述の「内生性のバイアス」である。ダムの配置は、そもそも効果の発現しやすい(つまり農業生産が高くなりやすい・貧困が削減されやすい)場所に行われるであろうから、ダムの配置と農業生産・貧困削減度には強い正の相関関係が生じるはずである。しかし、これは単に配置順序から生じた関係であって、必ずしもダムからアウトカムへの因果関係ではない。つまり、

(I')ダムの配置 ← (潜在的)農業生産・貧困削減度

という関係である。この場合、ダムそのものの効果を(I)の関係を前提としてダム配置の有無の比較から正確に測ることは出来ない。かといって、ダムを無作為に配置できないため、厄介である。そこで、Duflo とPandeは、ダムの配置が「地形」に依存することに注目した。つまり、

(II)地形 → ダムの配置 → 農業生産・貧困削減度

という関係である。この関係は最初と最後だけ抜き出せば、

(II')地形 → 農業生産・貧困削減度

と書き換えることが出来る。この関係は因果関係である。というのは、農業生産の潜在性にしたがって地形を変化させることは困難だからだ。したがって、(II')の関係には「内生性のバイアス」は存在しないと考えることが出来る。しかしながら、(II')ではダムの効果を明示することが出来ないので、(II')をうまく使いながら、(II)の関係に立ち戻って考える必要がある。

(II)地形
(A)
ダムの配置
(B)
農業生産・貧困削減度

(II)の関係をデータで把握するに当たっての問題点は、仮にダムの配置と農業生産増加が関連していたとして、「内生性のバイアス」を含む(B)の関連から生み出されたものなのか、「内生性のバイアス」を含まない地形の違い(A)によって生み出されたものなのかを区別しにくいということである。

DufloとPandeの論文の最も優れた点は、(A)と(B)を明確に区別するために、ダム工学の理論を用いた点である。ダム工学によれば、傾斜度の低い地形は灌漑用水用ダムに適しており、傾斜度が非常に高い地形は発電用ダムに適している。他方、地形の傾斜度がゼロの場合や傾斜度が中程度の場合にはダム配置に適していない。つまり、地形とダムの配置の間、つまり(A)には、単調増加でも単調減少でもない「非線形」の関係がある。(A)が非線形であれば、(B)が仮に単調増加の関係であったとしても、(A)と(B)をデータから明確に区別することが出来る。

このような考え方に基づき、本論文は、1971年から1999年にかけてのインドの271県における882(71年)-3364(99年)ものダムの巨大なデータを用いて、きわめて精緻な分析を行っている。推計方法にもよるが、標本数は7000以上に上っている。

さまざまな計量経済分析手法を駆使し、データや分析枠組みを比較検討して得られた、頑健な分析結果は、主に3つある。第1に、ダムの下流ではダム建設によって農業生産が増大し、旱魃に対する農業生産の脆弱性が低下し、貧困人口比率が低下したこと。第2には、ダムが配置されている県では、旱魃に対する脆弱性が増幅され、貧困人口比率が増加したこと。第3には、大土地所有の伝統が薄く、人々の集合行為(collective action)がより容易である県においては、政府に対する集団要求が行われ易いため、ダムが配置されていた県でも貧困人口比率増加効果(第2の点)が半減していること、である。

さらに、このような精緻な評価を行うことの優位性は、これらの定性的な結果を超えて、ダム建設の平均的な貧困削減効果を明示することが出来る点である。推計結果によれば、ダム配置県ではダム1つあたり貧困人口比率が0.77%上昇し、ダム下流県ではダム1つ当たり0.15%の貧困人口比率低下が見られる。1973年から99年のデータによれば、各県のダムの平均数は5、各県が下流となるダムの平均数が10であるので、ダム建設が、1つの県の貧困人口比率に与えた平均効果は

(III)5×0.77% - 10×0.15% = 2.35%

である。つまり、26年間のインド全体のデータを用いると、ダムが建設されたことで、各県の貧困人口比率が平均的に2.35%上昇したということになってしまうのである!

また、本論文の分析結果に基づくと、「1つのダム」には平均して下流となる県が1.75あるので、ダム1つの建設が県別貧困人口比率に与える平均効果を計算するならば,

0.77% - 1.75×0.15% = 0.508%

貧困人口比率が上昇するということになる。

コメント

この論文は、インドにおけるダム建設の貧困削減効果を出来る限り正確に測定しようとした力作であり、従来評価が難しいと考えられてきたインフラ案件の貧困削減インパクトを計測する手法として、高く評価されなければならない。特に、日本のODAは「直接的貧困削減」というよりは「成長を通じた貧困削減」を主体としている。円借款によるインフラ案件の貧困削減効果を測定し、その知見を国際公共財として蓄積するための有効な方法の手がかりを与えるものとしてこの論文は真剣に読まれるべきであろう。

以上の基本的な評価に加えて、以下2つのコメントを行いたい。

第1は、若干テクニカルであるが、貧困削減インパクトの計算方法についてである。(III)式は、各県の人口規模の差を考慮していないので、問題が残されている。ある県における総貧困インパクトは、

(III')当該県に配置されているダム数×0.77% - 上流のダム数×0.15%

で計算されるが、当然のことながら、上流により多くのダムを抱えていればいるほど当該県の貧困削減効果は大きくなる。インドのダムの多くは河川の中上流域に建設されているので、このような貧困人口比率低下のケースは、内陸県よりは沿岸県により多く見られるはずである。そして、インドでは一般に内陸県よりは沿岸県の方の人口密度が高い。したがって、人口規模の大小を加味した場合、ダム建設の総貧困削減効果はインド全体として大きい可能性がある。

第2には、若干繰り返しになるが、日本の開発政策への含意である。開発援助の分野において「日本から世界への知的発信」が議論されるようになって久しい。日本のODAには、インフラ支援のみならず、「母子保健」「理数科教育」「一村一品運動」などさまざまな発信できる知見がある。しかしながら、これら知見は「国際的暗黙知」といわれるべきもので、国際的に共有できる公共財としての知識とは程遠いというのが現状である。一例をあげてみよう。Ahbijit Banerjee and associates (2007)は、最先端の援助研究に関する優れた啓蒙書である。この中でJadish Bhagwati教授(Columbia大学)が、退職した医師・エンジニア・科学者をアフリカに派遣するという「Gray Peace Corps (白髪のボランティア制度)」を自らが考案したアイデアとして紹介し、Ahbijit Banerjee教授(MIT)が「直ちに実践されるべき素晴らしいプログラム」として絶賛している。しかし、JICAは過去10年以上にわたり既に3000人以上もの「シニア海外ボランティア」を、アフリカを含む世界の50以上の国に派遣してきた。このような優れたプログラムが国際的に認知されていない決定的な原因は、国際発信に耐えうる「知的生産の欠如」にある。

今回紹介した論文の手法は案件評価手法のほんの一部にしか過ぎず、その汎用性については、インドほどには統計が整備されていない他の発展途上国におけるデータの利用可能性や、タイムリーに結果を出さなければいけないという迅速な評価のあり方を考えると、実践的な課題が残されていないわけではない。しかしながら、エビデンスに基づきながら出来る限り厳密にかつ建設的に援助案件を評価していくということは、同時に有効な知的生産そのものでもあり、日本でも真正面から取り上げられ、活用されるべきであろう。今回紹介したような研究と比肩する知識を生産してゆくことは、財政削減の制約を受ける今後の日本のODA政策の質の向上と有効な知的国際発信にとって最も重要なポイントの1つである。そしてそのための官学一体となったアカデミックキャパシティの構築が、新JICA発足を控えた喫緊の課題である。

文献
  • Banerjee, Ahbijit and associates (2007), Making Aid Work, MIT Press

2008年5月20日掲載