コラム

009: 高潔な倫理観の制度化――日本の委員会等設置会社の位置付け

矢内 裕幸
日本取締役協会専務理事

日本では、約半世紀ぶりといわれる商法の大改正が行われ、2003年4月1日に同改正商法は施行された。50年ぶりの改正とは、それまで手付かずだった取締役会自体の大改革であり、具体的には、委員会等設置会社の選択的導入を可能にしたことである。これを選択するにせよ、しないにせよ、いまや改正商法の存在は日本企業の経営トップに大きな決断をせまる試金石となっている。

委員会等設置会社は、監査役に代わり社外取締役が中心となって指名・報酬・監査の3委員会を取締役会のもとに設置・運営して経営の監督機能を高めるとともに、業務執行を行わない取締役に代わり執行役・代表執行役が迅速な業務執行を行うことを可能にした制度である。

2003年5月現在、本年度中に委員会等設置会社に移行済み、または移行を表明した企業は32社にのぼる(日立グループ19社を仮に1社と換算すると14社である)。日本取締役協会が2003年1月に、会員である大企業130社の社長・会長に対して実施した改正商法に関する調査によると、本年度中に委員会等設置会社に移行または移行を検討している企業は、回答企業79社中27社に及んでいた。

これらの状況および各社の経営トップへのヒアリングなどから推測すると、来年度中に導入する企業は100社を超えると予想され、今後4~5年のうちに500~600社が採用するものと思われる。

委員会等設置会社へ移行する各社の意図や目的はおよそ共通している。先に移行を表明した5社のプレスリリースの中から移行目的を抜粋して、次に挙げてみる。

  • ソニー「グループ経営のガバナンス機能をより強化することを目的に、監督機関としての取締役会のさらなる強化、並びに、執行責任の明確化と一層の権限委譲を実現することで、ソニーグループのガバナンスのさらなる強化と経営の透明性の向上を目指す」
  • 東芝「監督機能の強化と透明性の向上によるコーポレートガバナンスの一層の強化と、経営の機動性の向上を図る」
  • 日立グループ「移行の目的は、1.飛躍的な経営のスピードアップ、2.透明性の高い経営、3.グループ経営戦略の一環、4.グローバル経営」
  • オリックス「経営の意思決定・監督機能と業務執行機能の分離を徹底する」
  • イオン「経営の監督と執行の機能をそれぞれ取締役と執行役に明確に分離し、透明性と客観性の高いコーポレートガバナンスを実現するとともに、執行役に大幅な権限の委譲を図ることで、迅速な経営の意思決定を可能とする体制を構築する」

先行各社の目的は、(1)経営のスピードアップ、(2)経営の透明性の向上、(3)グループ経営の強化、の3つに要約できるだろう。

経営のスピードアップは、これまで取締役会の専決事項だった経営権限を執行役・代表執行役に委譲することによって可能となる。

経営の透明性の向上は、これまで社長・会長などの経営トップが事実上握っていた取締役や執行役員の指名・報酬・監査などの権限を、過半数の社外取締役が実権を握る3委員会に委譲することで可能となる。

グループ経営の強化は、ソニーや東芝に代表されるように、大規模でグローバルな事業を展開している企業にとっては、子会社や関連会社、海外事業会社の効率的な経営と監督を委員会等設置会社の仕組みを使って達成しようとするものである。

その他、グループ経営の強化とも呼応するが、コニカ・ミノルタホールディングス、野村ホールディングス、日本テレコムホールディングスなどは、純粋持株会社のコーポレートガバナンス強化のために導入するものと推察される。コニカ・ミノルタホールディングスには、合併会社に特有なたすき掛け人事を最小限度に抑える意図もあるようである。日立グループは、外から見た経営のわかりやすさも挙げている。

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先行各社の移行目的が上述のようであれば、この新型システムのネーミングが果たして適切といえるかどうか疑問である。「委員会等設置会社」は経営の透明性や公正性に重点を置いたネーミングである。これは法制審議会や内閣法制局の意向だったと思われるが、逆に、経営のスピードアップや機動性、効率性に重点を置いた場合には、「執行役等設置会社」になっていたのではないか。

経済界の中には、委員会等設置会社という命名のゆえか、新型システムが経営監督にのみ特化した会社制度であるかのような誤解が生じている。コインの裏面の絵柄は、代表執行役=CEOという制度を初めて日本に導入し、このCEOが指導力を発揮して経営を積極果敢に推進する際に生じ易いリスクをヘッジするために、CEO監督機関として3委員会が設置されているという図柄なのである。新型システムは、優れたCEOに的確迅速な経営判断と勇猛果敢な経営執行を正当に委ねるシステムであり、CEOを監督する3委員会はCEOや執行役を訴訟リスクなどから守る城壁でもあるのである。

そうした観点からすると、少々長くなるが正確さを優先して「執行役・委員会設置会社」とするか、経済界への普及啓蒙を促進するという側面からは「CEO指導力発揮会社」としたほうがより理解を得られやすかったかもしれない。

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日本の「委員会等設置会社」あるいは「CEO指導力発揮会社」は米国型の企業統治モデルであるといわれているが、これは間違いである。

ここ10年の間に日本企業が行ってきたボード改革は、次のように多岐にわたっている。――取締役の員数の縮減、社外取締役の招聘、カンパニー制の導入、執行役員制度の新設、アドバイザリー・ボードの導入、指名委員会・報酬委員会の設置、ストックオプションの導入、経営者報酬制度の見直し、コンプライアンス体制の充実、内部統制システムの確立などである。これらは各社によって色彩は多少異なるが、いずれも経営トップの指導性によって実現してきた組織内部からの改革の成果である。

そして、これらのボード改革の延長線上に、当面の集大成として委員会等設置会社が制度化されたと考えられる。実際、昨年、サーベンス=オクスレー法が制定され、ニューヨーク証券取引所の上場規則が改正される以前には、社外取締役が過半数を占める指名・報酬・監査の3委員会を法定した国は世界で日本以外にはなかったのであるから、委員会等設置会社は「日本的」なボード改革の当面の集大成といっても過言ではないのである。

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それでは、日本のジャーナリズムが「日本的」なるものの典型とみなすトヨタやキヤノンについて考えてみよう。

1兆円を超える利益を上げている日本一の会社であるトヨタや、時価総額でソニーを抜いたキヤノンは、委員会等設置会社への移行を今のところ表明していない。仄聞するに当面移行する意思はないようである。日本では、「あのトヨタ、キヤノンが委員会等設置会社に行かないのだから、わが社も行く必要はない」と考えている企業経営者は多い。しかし、そうした企業でトヨタ、キヤノンのような高い経営成績を残している企業は少ない。これらは「トヨタ、キヤノンもどき企業」と呼んで、本家とは区別すべきであろう。

思い出してほしいのは、委員会等設置会社への移行目的である。ソニー、東芝をはじめ、移行会社は、(1)経営のスピードアップ、(2)経営の透明性の向上、(3)グループ経営の強化を目指していた。当面移行する意思のなさそうなトヨタ、キヤノンは、上記の目標を別の手段で達成できると考えているか、あるいは既にある程度達成しているから移行の必要はないと考えているのではないかと推量される。筆者にはトヨタ、キヤノンは、逆説的にではあるが、既に委員会等設置会社に移行しているように思われる。

すなわち、トヨタ、キヤノンは、経営の機動性や効率性、グループ経営の浸透度においては一頭も二頭も他に抜きん出るほどの実力を示し、成果を上げているのである。そうでなければ、あのような高い経営成績の説明はつかない。

問題は経営の透明性である。透明性には2つある。1つは、従業員や役員間での透明性や、大口取引先や主要顧客に対する透明性のような、いわば「身内に向かって閉じられた組織内部の透明性」である。もう1つは、資本市場や市民社会に対する透明性のような、いわば「外の世界に向かって開かれた透明性」である。

トヨタ、キヤノンは、前者における透明性はずば抜けて高い。つまり、企業グループ内ガバナンスが有効に機能しているのである。委員会等設置会社へ移行する3つの目的のうち、トヨタ、キヤノンは既に2つ半まで達成しているといえるだろう。

トヨタの場合にはさらに特色がある。トヨタは、フォードやフィアット、BMWのようなオーナーシップによるガバナンスではなく――実際、日本の社会主義的な相続税制もあって豊田家の持株比率は1%以下である――、創業家という血筋によるガバナンスが実効性をもっているように推測される。そうだとすれば、これは日本的というよりも貴族的な支配構造を含意しているということである。そして、日本にはこのような支配構造を有する企業は数多く存在しているから、血縁的側面からも心理的側面からもトヨタは目標となりうるのであり、「トヨタもどき企業」が数多く輩出する理由もそこにある。

日本の場合、創業家という血筋によるガバナンスは、オーナーシップを超えたところで機能し、それを当たり前と受け入れる土壌が社会にはある。しかしオーナーシップなきガバナンスを正当化するためには、王家の場合と同様に青い血によるノブレス・オブリージュやそれに裏打ちされた高潔な倫理観が要請されるだろう。トヨタの成功は、歴代豊田家の家長たちの高潔な倫理観に負うところ大だったのであり、大いに有能な番頭・手代をして、浮利を追わせなかったことが今日の繁栄を築いているのである。

血筋によるガバナンスの課題を挙げるとすれば、創業家が恒常的にガバナンスの役割を担い続けることができるか否かにかかっていることは否定できない。高潔な倫理観の血脈が途絶えれば、トヨタでさえ「トヨタもどき企業」にならない保証はなにもないのである。

創業家によるガバナンスを諦めざるをえなかったり、あるいは環境の変化によって機能しなくなった企業群は、より大衆的な方法にその活路を求めることになる。高潔な倫理観や貴族的なノブレス・オブリージュに替わりえるものではないが、その代替物の一つとしての「外から見た透明性とわかりやすさ」が追求されるのである。委員会等設置会社は、大衆化の意義を自覚した企業経営者がその高潔な倫理観を制度化するために選択したものとも考えられる。

創業家や経営者の高潔な倫理観を自らのうちに内部化することを選んだトヨタ、キヤノンを一方の軸として、創業家や経営者の高潔な倫理観を外に向けて解放する(外部化する)ことを選んだソニー、オリックスを他方の軸として、相互に補完しあいながら、日本ではベストボードの模索が続いていくことになる。

2003年5月29日

2003年5月29日掲載

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