コラム

007: 日本におけるコーポレート・ガバナンスの現状と課題

小林 陽太郎
社団法人経済同友会代表幹事

コーポレート・ガバナンスについて、経済同友会が昨年7月に発表したレポートと、この3月にまとめる予定の企業白書を紹介しつつ、現在の日本におけるコーポレート・ガバナンスの議論を自分がどうみているか紹介したい。

我が国における動き

4月1日から商法改正に伴い、コーポレート・ガバナンスの仕組みが従来のものとは変わってくる。端的にいえば、(1) 取締役会と監査役会を中心に行われてきた従来のコーポレート・ガバナンス、(2) いわゆる欧米方式、米国方式といわれる監査委員会、その他のいくつかの委員会を中心にして、なおかつ社外重役をマジョリティーとした構成に従うガバナンス、(3) その中間、という3つのオプションが可能になる。

現在のところ、日本における議論は、取締役会、監査役会、監査委員会、そして内部監査も含めた監査機能、そのような仕組みをどのように組み立てたらいいのか、それとの関連で、たとえば、取締役会における社外重役をどう考えるか、あるいは監査役会における社外監査役をどのように考えるかといったところが主たる論点となっている。また、残念ながら、ここ1、2年はそれらの論点に加え、かなり基本的なコンプライアンス、法令遵守といったことについての不祥事がいくつか出てきたのでそれもあわせて議論されているといえる。

経済同友会のレポート

そういった中、経済同友会の企業経営委員会は昨年の7月、「企業競争力の基盤強化を目指したコーポレートガバナンス改革」(委員長は日本IBM北城会長)とうレポートを発表した。

「日本の経済の競争力を維持する上で、企業競争力を国際的なレベルで維持し、あるいは平均的なレベルよりも高いところに保つために、日本企業のコーポレート・ガバナンスについては、かなり思い切って変えなければいけないところがある」という基本的な視点の下、企業競争力の基盤強化を目的としたガバナンスの提案をしている。

提言の中身は主として2つある。1つは業務執行と経営監督をはっきり分けるということ、つまり、ボードの取締役会あるいは取締役の役割を経営監督としてきちんと位置付けし、その役割を純化させようということである。もう1つは、マネジメントチーム、つまり執行部の評価を経営監督の一環としてきちんとしていく、ということである。ボードが「このチームでは成果を上げ続けられない」と判断したときには、チームを変えることができる、そういう仕組みを日本のコーポレート・ガバナンスの中にもう少し明確に入れるべきということである。

「実質的にはマネジメントチームが自分たちで自分たちの評価する」という従来の仕組みが続く限りは、臨機応変に、迅速にチームを変えることができない。これが日本の、とりわけ国際的な局面において競争力を低下させている理由の1つではないか。そのため社外の重役がマジョリティーであるような委員会をきちんと作り、評価し、判断をしていく、という仕組みが必要であろう、といった提案をしている。

なお、この提案は米国型に近い仕組みであるが、この報告書では短期的な株主の利益の極大化というよりは、むしろ長期的な株主利益が大切であると述べている。もちろん短期的なスペキュレーションを目的とする株主の存在自体を否定するわけではない。「企業の経営というのはそのような株主のためではなく、長期的に株主に対するリターンを考えるべきである」、結果的には、「シェアホルダーズ思考よりステークホルダーズ思考にならざるを得ない」ということである。そして具体的仕組みについては、「アドバイザリーボードや執行役員制度などからステップバイステップで導入していったらいいのではないか」という提案をしている。

社外取締役については、日本の中でいろいろな議論があるが、「社外重役としての適切な人材が見あたらない」、あるいは「いかに偉くても、自分の会社の状況について知らない人からくちばしを入れられるのは快くない」といったネガティブな意見が強いといえる。しかし、1つの企業に関する知見だけにとどまって経営をしていくのは非常にリスクが大きい。また、客観的に企業の経営を評価するには、極論をいえば、企業の中身について細かい知識がなくても、「業界全体や他の業界にどういうことが起きているのか」についてマネジメントの目を開かせることのできる、いわばマネジメントに複眼的な性格を持たせることのできる、そういった社外取締役の存在が不可欠だと考えられる。なおこの点についても最初から米国のように過半数を社外取締役にすべき、というのではなく、徐々に増やしていけばいいのではないか、というのが本報告書の提言するところである。

企業の存在意義とコーポレート・ガバナンス

この3月にまとめる予定のもうひとつの報告書については、「企業は一体何のために存在するのか、企業はだれのために存在するのか」という根本的、普遍的な問題意識から始まっている。

基本的には「企業は社会すなわちソーシャルニーズの役に立つために存在する」といえるだろう。そして「だれのために存在するか」といえば、「企業の経営に直接・間接に関係する利害関係者=ステークホルダーズといった、企業がはっきりと認識しなければならない人たち」であるといえる。

現実には「株主に重点を絞ってそのリターンを極大化するしかないのではないか」という現実論が強いのは事実であるが、欧州では「企業の社会に対する責任=CSR(コーポレート・ソーシャル・レスポンシビリティー)」が地に足のついた形で議論されている。しかも、それはかなりの部分で、いわゆるプロフィットメーキングという企業の本業も含めたかたちで議論され、実践の場でも展開されている。

そこで、経済同友会では、企業の場におけるCSR、あるいはCSRを色濃く展開している企業を対象にしたSRI(社会的責任投資)について欧州の実地の検査、踏査も含めて、「企業白書」で取りまとめようとしている。

同友会自身はCSRを測る定量的なインデックスを、試行期間を経て、その意義が確認されれば何らかの形で導入するつもりでいる。定量化がなされることにより、CSRを具体的な経営の実践の場においてツールとして生かすことができるようになる。そうなるとこのCSRをコーポレート・ガバナンスの問題として捉えなければいけないということになる。そうなると例えば社外取締役についてもかなり社会の広い層に対して参画を求めていくということも当然出てくるのではないかといえる。

社会的信頼に向けたコーポレート・ガバナンス思想の必要性

日本の競争力が国際的な比較の中でもかつてに比べればかなり落ちてきていることは事実であり、投資家により高いリターンを可能にしていかないと現実に企業の経営に必要な資本が集まらないという問題は当然存在する。

しかし、最近の米国あるいは日本において起きてきている現象を見ると、単に不祥事の問題として見るのではなく、より大きなイシューとして「企業は一体何のために、だれのために存在するのか」、かなり広い意味で「社会の信託、社会の信頼というものに企業の現在のあり方、今までのあり方が十分に応えているのか」ということを、我々は深刻に受けとめなければいけないのではないか。コーポレート・ガバナンスを「継続的に高いレベルで社会の信頼を獲得し続けるために必要な思想と仕組み」と理解するのであるならば、「仕組み」の議論だけではなく、「思想」のところについても、もう少しきちんとした議論があって然るべきであろう。

戦後の経営と現代の経営

戦後1970年代ぐらいまでの日本の経営というのは、「戦後の新しい知見というものを欧米に求めて身につけて帰ってきた若い人たち」と、「戦前のかなり色濃い教養、人文、もちろん歴史、哲学、宗教、そういったものを含めた教育を受けたリーダー」が存在した。そのコンビの中で「すぐれた経営手腕あるいは技術を駆使しながら経営を発展させるということ」と「それをあるところでバランスをさせる、いわゆる"中(中庸)"とかモデレーションを可能にしていくこと」との間の極めてバランスのとれた経営がなされていたといえるだろう。

しかしながら現在の日本ではトップから現場まで主に、戦後のいわゆる技術教育、ハウ・ツー教育を受けてきた人々によって経営がなされている。こういう経営陣の中で、「あるべきモデレーションはどうやって可能になるのか」、「最終的な柱はマーケットに任せるしかないのか」、この辺が非常に悩ましい重要な問題である。

結論的には、「仕方がないからマーケットに任せる」ということではなく、経営者1人1人がそういう"中"ができないのであれば、複数の経営者で、あるいは他の企業に学びながら、個々の企業のあり方についてモデレーションというものを可能にしていく。そのための1つの重要な仕組みとして、改めて社外重役の存在が認識されなければいけないのではないかということを考えている。

また、同時に、経営者が「現実のオペレーション」と距離を置かないことも重要であろう。特に監査というような機能についてはその点が重要である。日本の従来の監査役会制度に社外監査役を入れ、加えて取締役会に社外重役を入れる、そのコンビによって「経営に対する複眼性を追加すること」と、「監査の領域において日常のオペレーションと距離を置かないこと」との2つを可能にしていくことは、これからのガバナンスのあり方としてはもう少し注目されてもいいのではないだろうか。

2003年3月17日

* 本稿は2003円1月10日に国連大学で実施された、RIETI政策シンポジウム、「コーポレートガバナンスの国際的動向~収斂か多様性か~ 」にて行われた講演の縮約版です。同シンポジウムは 経済同友会、日本取締役協会との共催にて実施されました。

2003年3月17日掲載

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