コラム

003: 年金資金運用の実務から見たコーポレートガバナンス

高原 弘海
厚生年金基金連合会年金運用部長

わが国においても、最近、コーポレートガバナンスに関する社会的な関心が急速に高まってきていることを感じるが、現在、年金資金運用の実務に携わっている立場から、日頃の株主議決権行使への取組みなどを通じ、わが国のコーポレートガバナンスについて考えていることをいくつかお伝えしてみたい。

まず、わが国のコーポレートガバナンスをめぐる時代状況についての認識である。

戦後のわが国のガバナンス構造における大きな特徴であったメインバンクやグループ企業による持合い構造は、グローバルキャピタリズムの進展の中で既に大きく崩れつつあり、一方で、労働組合の力の低下も著しく、従来わが国の企業経営に緊張感を与えてきた契機・メカニズムが急速に失われつある状況が見られる。そして、このことが、経済・株価低迷の長期化・深刻化と相俟って、企業経営に対する牽制機能としてのコーポレートガバナンスのあり方に関する論議の高まりの背景にあることを感じる。

そもそも、コーポレートガバナンスの具体的なあり方については、古今東西を問わない決まった一定のフォームがある訳ではなく、それぞれが置かれた時代環境、広い意味でのカルチャーの違いなどを背景として、それぞれの国で最も適切なやり方を考えていくほかないというのが率直な印象であり、今、わが国に求められているのも、これからの時代において、企業経営に対する牽制機能をいかにして健全に機能させていくか、そのためのコーポレートガバナンスのあり方をどうしていくべきかを自らが真剣に考え、社会システムとして具体化させていくかということではないかと思う。例えば、本年成立した商法改正における委員会等設置会社の導入なども、このような動きの具体的な現れの一つであり、既に、抽象的な議論の段階から、具体的な実践の段階に移っているということであろう。

次に、年金資金としてのこの問題に対する基本的なスタンスである。

年金資金運用の目的は、円建の年金給付の原資を将来にわたり安定的に確保していくことにある。そして、年金制度が、公的年金であるか企業年金であるかを問わず、自国の経済に存立基盤を置く存在であることは言うまでもない。確かに、1990年代以降の株価の長期低迷や、欧米に比べても低い株主資本収益率などの数字だけを見ると、国内株式を投資対象とすることの意義すら自問せざるを得ないような状況となっているが、年金資金運用の本来の目的に照らせば、リスク分散の観点から一定の国際分散投資を行うことは必要としても、あくまで国内投資に軸足を置いた長期投資家として、自国を中心に企業の株式に投資をして収益を得、年金給付に反映させていくということが基本であろう。そして、長期投資家として、株主としての権利を適切に行使し、資本主義社会のプレーヤーの一員として企業経営に対する健全な牽制機能を果たしていくということは、年金資金としてのこの問題に対する最も基本的なスタンスであり、社会的な責任ではないかと思う。

具体的な取組みの一例を申し上げれば、私が所属する厚生年金基金連合会(約1千7百の厚生年金基金で構成される全国組織)では、1999年度から運用受託機関を通じた間接的な議決権行使を行ってきているが、これに加え、自家運用(インデックス運用)の開始に伴い、2003年度からは直接的な議決権行使を本格的に行う予定であり、さらに、議決権行使以外の効果的なコーポレートガバナンスの手法についても検討していきたいと考えている。また、国内では、世界最大級の資金規模を有する年金資金運用基金が運用受託機関を通じた積極的な議決権行使方針を公表し、地方公務員共済組合連合会に代表される大規模・有力公務員年金が議決権行使に乗り出すなど、ここ一、二年の間に、株主議決権行使を中心としたコーポレートガバナンスに関する本格的な取組みが開始され、社会的にも、長期投資家としての年金資金の存在が次第に認知されるようになってきている。

この問題については、あくまで関係者の具体的な取組み次第ではあるが、今後、わが国においても、大型の年金資金を中心とした個別具体的な取組みが試行錯誤的に積み重ねられていく中で、案外、急速に取組みが進んでいくのではないかという気がする。その場合、具体的な取組みを進めていく過程ではいろいろな課題も出てこようが、例えば、長期投資の年金資金として忘れてならないのは、「株主」重視に名を借りた短期的で行き過ぎた「株価」重視の結果、将来に向けた成長への投資を犠牲にするような企業経営と、中長期的な企業価値・株主価値の増大を図る健全な企業経営とを的確に見極め、マーケットを通じ、後者に適切に資金が廻っていくようにしていくことの大切さであり、同時に、このことはさほど容易なことではないことを感じる。

最後に、雑感を述べさせていただく。

わが国の経済・株価の低迷は長期化・深刻化しており、日本経済が世界的にもてはやされた1980年代から、昨今の世界経済の不安要素と言われるようになるほどの極端な変化の中で、先行きの不透明感とも相俟って、悲観的な見方が蔓延していることを感じる。しかしながら、議決権行使の内部検討などを通じて部内のスタッフと議論をしていて感じることは、個々の企業ベースで見ると、真剣なリストラ努力の積み重ねにより、体質改善が大幅に進んでいる企業が決して少なくないと言う事実であり、日本経済の基盤を成す企業のポテンシャルについて悲観する必要はないという認識である。デフレトレンドからの脱却や金融機関の健全化などマクロの金融・経済政策が適切に行われるというような条件は欠かせまいし、今後予想される人口減少など厳しい客観条件があることも事実ではあるが、後で振り返れば、トンネルの出口に結構近づいていたということになっているのかもしれない。そして、企業経営に健全な牽制機能を果たすコーポレートガバナンス機能の構築も、日本経済が長く暗いトンネルから脱却する重要な契機の一つであることを予感する。

2002年12月18日

2002年12月18日掲載

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