RIETI-ANUシンポジウム

大国間競争と世界経済の混乱に対するアジアの対応(議事概要)

イベント概要

  • 日時:2025年10月16日(木)13:30-16:25(JST)
  • 会場:イイノホール&カンファレンスセンター + オンライン配信あり(ハイブリッド開催)
    (千代田区内幸町2-1-1 飯野ビルディング4階)
  • 主催:独立行政法人経済産業研究所(RIETI) / オーストラリア国立大学(ANU)

議事概要

大国間の競争が激化し、世界が混乱を深める中、インド太平洋諸国は経済の開放性と強靭性(レジリエンス)のバランスをどうとるかという喫緊の課題に直面している。サプライチェーンの混乱や輸出規制、保護主義の台頭により、かつて繁栄を支えたシステムの脆弱(ぜいじゃく)性が明らかになっている。自給自足と経済安全保障を目指す方向へ各国が舵を切った結果、効率と安定との間に新たな緊張関係が生まれている。

アジア諸国はどうすれば成長を維持しながら、ルールに基づく秩序を強化できるか。どのような政策を実施すれば、分断を招くことなくレジリエンスを確保できるか。今回のRIETI-ANUシンポジウムでは、「大国間競争と世界経済の混乱に対するアジアの対応」というテーマのもと、これら差し迫った問題への対応について専門家が議論した。

開会挨拶

深尾 京司(RIETI 理事長 / 一橋大学経済研究所 特命教授)

第10回を迎える今回のRIETIとオーストラリア国立大学(ANU)の共同シンポジウムでは、急速に変化する国際政治経済環境の中で、貿易と投資に大きく依存するインド太平洋諸国が、米国および中国の双方から生じるリスクの高まりに対しいかに対応しているかを検証します。サプライチェーンの強化、グローバルおよび地域の貿易戦略の再考、経済安全保障の向上に焦点を当て、地域の動向の分析、政策対応の評価、戦略の策定を行います。

現在の状況に最も適した政策の方向性について、日本、オーストラリア、シンガポール、マレーシア、インドの関係者の皆さまに議論いただきます。経済産業省経済産業審議官の松尾剛彦氏による基調講演の後、「サプライチェーンの強靭性」「国際経済秩序」に関するパネルディスカッションを行います。

基調講演

松尾 剛彦(経済産業省 経済産業審議官)

本日は3つのポイントについてお話ししたいと思います。まず現状を評価し、次いで強靭なサプライチェーンの構築に必要な施策、そして国際経済秩序の未来についてお話しします。

現状の評価

サプライチェーンの途絶リスクは新型コロナウイルス感染症の流行時に表面化しました。そして今、ロシアのウクライナ侵攻を通じて、ロシアへのエネルギー依存のリスクや防衛調達を支える産業基盤の脆弱性が明らかになりました。さらに、中国の過剰生産と重要鉱物の輸出規制強化、米国の貿易収支改善のための追加関税導入は、他の国々の経済やサプライチェーンに深刻な影響を及ぼしています。

サプライチェーンの強靭性を確保するための施策

約15年前の日本のレアアース危機はライナス(Lynas)プロジェクトなどの政府支援投資につながり、この継続的な支援のおかげでその後の市場の混乱にも耐え抜きました。しかし、ライナス・プロジェクト立ち上げ時の苦労を目の当たりにした事業者は、低価格の中国製品と競い合う自信を持てず、ライナスに続くプロジェクトはなかなか立ち上がりませんでした。このことから、供給サイドへの投資支援だけなく、安定した需要を保証することが、プロジェクトの成立に不可欠であることが明らかになりました。日本は今、代替サプライヤーに対する安定した需要を確保するため、需要家側に対し、政策インセンティブを通じて、安定供給等の非価格要素も適切に評価することを促しています。それにしても、将来的には、競争力のあるコストを実現することが不可欠であり、それには十分な市場規模が必要です。日本とEUはそうした認識に立って、競争力アライアンスを立ち上げ、協力することに合意しました。需要の多様化はサプライヤーにとっての脆弱性を低下させますが、同様に、供給の多様化は買い手にとっての脆弱性を低下させます。このように両者の協力は極めて重要です。こうした政策介入はデカップリングを目指すものではありません。あくまで、サプライヤーと買い手の多様化を促すものです。合理的な範囲での相互依存は、むしろ両者の関係の安定化につながると考えています。このような取組は持続可能なものでなければならず、そのためのパートナーシップは信頼に基づくものでなければなりません。そうした信頼性確保のための法的枠組みの好例が日・オーストラリア経済連携協定(JAEPA)です。協議へのコミットメント、輸出規制の回避、情報共有などを通じて信頼性を確保し、液化天然ガス(LNG)の日本への安定供給を支えます。

国際経済秩序の未来

世界貿易機関(WTO)の機能回復が急務です。大国が一国のうちにサプライチェーンを囲い込み、完全な国内自給を目指して過大な努力を払うのは、非効率かつ有害です。信頼できるパートナー間で相互依存的で確かなパートナーシップを築くことにより、繁栄と安全保障の両方を実現することができます。例えば、経済連携協定(EPA)やアジア・ゼロエミッション共同体(AZEC)などの枠組みがこうした基盤を提供します。いま、世界はグリーントランスフォーメーション(GX)やデジタルトランスフォーメーション(DX)のさなかにありますが、これは、世界的なサプライチェーンの再構築を伴います。そして、それはまた、互いに有益で強靭なサプライチェーンを構築する大きなチャンスにもなると思います。

パネルディスカッション1:サプライチェーンの強靱性

セッションチェア

浦田 秀次郎(RIETI 名誉顧問・特別上席研究員(特任) / 早稲田大学 名誉教授)

プレゼンテーション1

猪俣 哲史(日本貿易振興機構 アジア経済研究所 上席主任調査研究員)

サプライチェーンの強靭性を高めるためには、生産拠点やサプライヤーの多様化、在庫の拡大、代替品やリサイクル技術の開発といった方法が従来から取られており、これによって自然災害やパンデミックへの脆弱性に効果的に対応することができます。しかし、地政学的なリスクについては、サプライチェーンの管理にゲーム的な特性が生じるため戦略的思考が必要になります。というのも、特定のリスクを緩和するための一連の施策は相手方の認識に影響を与え、そのことが全体的なリスク環境自体を変容させるからです。

一般的に、古典的な抑止理論では「懲罰的抑止」と「拒否的抑止」という2つのモデルがあります。前者は、相手方が先制攻撃で得る利得を相殺するほどの報復能力を相手に示すことによって、そして後者は、敵対的行動の成果に関する相手方の期待値を低下させることによって、抑止を実現しようとします。これらを経済安全保障に当てはめた場合、懲罰的抑止は、サプライチェーンの中核機能を支配し、それを用いた強力なエコノミック・ステイトクラフトの能力を示すことに相当します。一方の拒否的抑止については、フレンド・ショアリングなど、国家間の経済連携がその機能を果たすかもしれません。例としては、インド太平洋経済枠組み(IPEF)のサプライチェーン協定が挙げられます。これには、参加国の間で重要物資の供給余力に関する情報共有を促すといった取り決めがあります。すると、それによって、輸出規制など敵対的行動の効果に関する相手方の期待値が低減され、抑止が働きます。

経済的抑止力を軸にサプライチェーンの強靭化を図るため、政府は何をすべきでしょうか。日本については課題を3つ挙げることができます。第一に、日本はサイバーセキュリティに関して他の主要国から後れを取っており、これはすぐに是正されねばなりません。ただ最近、セキュリティ・クリアランスや能動的サイバー防御の制度化など注目すべき動きが見られます。第二に、中小企業(SMEs)のリスク認識が不十分であり、とりわけ国家安全保障に関わり得る製品・技術情報については、適切に対処する必要があります。第三に、たとえば環太平洋パートナーシップに関する包括的および先進的な協定(CPTPP)などを通じて、経済安全保障に関する制度構築へ向けた国際協力を推進する必要があります。

プレゼンテーション2

ケイシー・リー(ISEASユソフ・イシャク研究所 上席研究員)

サプライチェーンの強靭性を地経学や地政学の文脈で分析しようとすると、複雑な構造的ネットワークについて深く理解する必要がある数多くの問題を、経済政策に影響を与える企業、制度や機関、有権者や家庭の視点から検討しなければなりません。私の問いかけは2つです。第2次トランプ政権の政策のような「国が主導するショック」に対してサプライチェーンはどの程度脆弱か、そして、レジリエンスを高めるために各国政府は何ができるか、あるいは何をやってきたかです。

マレーシアは経済的に開かれた小国で、貿易比率が高く、輸出集中度も高まっています。特に顕著なのは半導体をはじめとする電気・電子(E&E)分野で、組立、アセンブリテストやパッケージングが中心です。この業界では集積回路(IC)が半導体輸出の80%近くを占めます。海外からの投入財は今なおE&E輸出の付加価値の約55%を占めています。E&Eの輸入元は中国、台湾、シンガポール、米国に集中しています。

マレーシア政府の政策対応は、場当たり的なものから組織的な戦略へと移行してきました。後者には「新産業マスタープラン2030」、「国家半導体戦略」、導入間近の重要鉱物政策などが含まれます。国家半導体戦略では、IC設計への多角化、国内の有力企業の育成が検討されています。マレーシアは米中に対して中立的な立場を維持しようとしてきました。またNational Geoeconomic Coordination Council(NGCC)の設置、外国直接投資(FDI)の促進、貿易協定拡充の検討、中小企業への支援などを行ってきました。最新の企業調査によると、売り上げの減少とコストの上昇が見られ、支援を求める声が高まっています。最後に、デズモンド・リー教育相の言葉を引用します。「経済のレジリエンスとは逆境に耐えることだけを指すのではなく、その過程で変容を遂げ、新しい環境で成長することに他ならない」。

プレゼンテーション3

ヨセ・リザル・ダムリ(インドネシア戦略国際問題研究所(CSIS)所長)

私たちは3年前からすでに世界の分断について議論してきまましたが、今や分断は加速するばかりです。こうした現状では、サプライチェーンや経済のレジリエンスについて議論することがより重要になっています。政府側の視点を中心に、インドネシアがこの問題にどう対応しているのかを考えてみたいと思います。

インドネシアはこれまでグローバルなサプライチェーンにしっかりと組み込まれることがありませんでした。貿易の貢献度は低下しており、バリューチェーンへの参加レベルもマレーシアやベトナムに比べたら随分低いままです。インドネシアは歴史的に、まるで何かに取りつかれたかのように経済的な独立を目指し、自給自足を推進してきました。政府は現在の世界的緊張や貿易戦争、パンデミック、地政学的変化を、産業競争力をさらに高め、外国依存を減らすチャンスだと捉えています。

インドネシアは、物流や接続性(コネクティビティ)重視から、国内生産や備蓄優先へと方針を変えてきました。国家は今や過大な役割を担い、国有企業や直接的な政策介入を通じて投資や生産を主導しています。ジョコ・ウィドド政権時には3つの戦略を前面に打ち出しました。(1)資源分野では輸出禁止によるダウンストリーミング(国内加工の拡大)、(2)産業全体での原材料国内調達の義務化、 (3)投資環境の改善です。プラボウォ・スビアント現大統領は、特に食料とエネルギーのレジリエンスを中心にこの方針を強化しています。

企業にとっては迷惑な話です。こうした内向きの戦略は調達や販売を一層困難にします。CSISインドネシアが2023年に実施した調査によれば、現地調達ルールによって上流と下流両方の企業が痛手を受けています。食料、エネルギー、原材料のいずれにおいても、こうした政策は価格ショックから国内を守ることはできず、むしろ上流投資が抑えられ、あらゆる面でマイナスの結果を生んでいます。こうした政策の効果はいまだ不透明です。レジリエンスを追求する際に、新興国は他の国々とは異なり、開放性を犠牲にしてしまうことがあるのです。

ディスカッション

浦田:
サプライチェーンの分断に対して、国内レベルの対応を超えた地域・国際レベルの協力がどのように利用できるでしょうか。

猪俣:
グローバル・バリューチェーン(GVC)は、エコノミック・ステイトクラフトの手段として利用され得るいっぽう、国境を越えたコミュニケーション・チャネルとしても機能します。各国政府はこういったGVCの両用性を認識し、それを国家間の信頼醸成装置として活用する可能性を考えてみてはどうでしょうか。たとえば、ASEAN地域フォーラムのアジア太平洋安全保障協力会議(CSCAP)などが適当なプラットフォームとなり得るのではないかと思います。

リー:
貿易円滑化やデジタルトランスフォーメーションをめぐる協力のような標準的施策も重要ですが、本当のところレジリエンスは国家間の深い信頼関係にも左右されます。相互依存は脆弱性を高めるからです。タイとカンボジアの国境紛争、ミャンマーのような未解決問題など、地政学的な緊張は関税よりもはるかに大きな経済的影響を及ぼしていますから、これに対応してASEANの実効性ある協力を可能にしなければなりません。

ダムリ:
信頼は不可欠ですが、「レジリエンス」や「経済安全保障」が何を意味するかについての共通理解も大切です。インドネシアの内向きの解釈は日本のような国々とは対照的です。したがって、世界的な課題にASEANが結束して対応するための共通の概念的枠組みを確立しなければなりません。

浦田:
自給自足や戦略的自律を通じてサプライチェーンの強靭性を目指すと、必然的に世界の経済的分断を招くのでしょうか。だとしたら、それは容認できることでしょうか。容認できないとしたら、どうすればよいでしょう。

ダムリ:
各国がレジリエンスの内向きの定義を採用したり、排他的な経済圏を築いたりすれば、分断が生じる可能性は高いでしょう。これはグローバル経済にとってGDPの最大12%の損失となりかねず、経済と政治の両方が受ける影響に注意深く対処しなければ、広範な社会不安を招く恐れがあります。

リー:
世界の分断は今や現実となりつつあり、マレーシアやシンガポールのような国は中立的な立ち位置や適応戦略によってこれに対応しようとしています。多国籍企業が国家の政策にますます影響を与えていますが、各国政府は大企業が相手の交渉と並行して、中小企業も保護し、社会の安定を維持しなければなりません。

猪俣:
戦略的自律が常に分断を生じさせるとは限りません。たとえば、生産拠点や調達先を分散することによってサプライチェーンは強靭化されますが、それは、より多くの国を巻き込んだ国際生産ネットワークの構築へとつながります。その一方で、自律性確保のための行き過ぎたリスク回避行動は、フレンド・ショアリングの経済ブロック化、デカップリングをもたらす危険性があります。客観的なデータに基づいた分析が必要です。

浦田:
米国が貿易相手国の過剰生産や貿易黒字について――特に産業政策や積み替え(トランシップ)問題との関連で――批判していますが、どう思われますか。こうした主張をどう解釈し、どのように対応されますか。

リー:
批判の対象は主に中国ですが、積み替え問題は原産地規則と結びついており、この規則は複雑で、執行が困難です。ソーラーパネルの場合のように、米国は立証責任を企業に課す可能性があります。多国籍企業は市場のインセンティブに反応しているだけであり、米国の貿易政策の転換をきっかけに、中国企業は生産拠点を東南アジアへ移しています。これらの国は経済的利益のためにこうした動きを歓迎することがよくあります。

ダムリ:
米国の積み替えの定義は、東南アジアにおける従来の解釈の枠を超えています。これには国単位ではなく地域として対応しなければなりません。ASEAN主導で統一した対応をとるべきです。ASEANシングルウィンドウのような仕組みを拡大することが考えられます。また、米国が積み替えや原産地規則をもっと幅広い安全保障問題に結びつけようとしているため、ASEANは経済安全保障に関するスタンスを明確にする必要があります。

浦田:
サプライチェーンの強靭性を高める上での官民パートナーシップの役割をどうご覧になりますか。日本ではこうしたパートナーシップは限界があるとも言われます。皆さんの国はどのような状況にあるのでしょう。

猪俣:
官民連携については、日本はむしろ諸外国より進んでいると思います。たとえば、時事通信社が開催する「ECONOSEC JAPAN」などのイベントでは、経済安全保障に対する官民の認識共有・向上が図られています。重要なポイントは、経済安全保障が単なるコンプライアンスではなく、企業自身によるリスク管理の一環として捉えられるようになったことです。企業は、政府とも可能な限り情報を共有しつつ、より主体的に経済安全保障へ関与する必要があります。

ダムリ:
インドネシアではサプライチェーン強靭化政策はほとんど国主導で進められ、民間セクターは議論でも政策立案でも蚊帳の外です。戦略的な政策の立案から排除されているにもかかわらず、民間企業は結果としてのリスクを自力で管理することが求められます。

リー:
シンガポールやマレーシアのようなASEAN諸国では、官民パートナーシップの形態が異なり、多くの場合、政府や多国籍企業、各種機関が情報を共有して不備を補い合うことが中心です。大企業は国よりも多くの戦略的情報を保有することができ、ソフトバンクとトランプ大統領の例に見られるように、外交政策に影響を及ぼすことさえあります。国内企業が主流の日本とは事情が異なりますが、こうした情報の流れを制度化することが協力体制改善のカギです。

浦田:
ありがとうございます。他にもいろいろ質問を受けましたが、時間の関係でここまでとさせていただきます。私からは最後のまとめの時間に、少し話をさせていただきます。パネリストの皆さまにどうぞ盛大な拍手をお送りください。

パネルディスカッション2:国際経済秩序の未来

セッションチェア

シロー・アームストロング(RIETI ノンレジデントフェロー / オーストラリア国立大学 クロフォード公共政策大学院 教授 / 豪日研究センター長 / 東アジア経済研究所長)

プレゼンテーション1

ビスワジット・ダール(ジャワハルラル・ネルー大学 元教授)

インドは米国と中国の間で地政学的な板挟みに陥っています。ソ連/ロシアと長年歩調を合わせてきた後、米国との連携を深める方向へ舵を切り、クアッド(Quad)やインド太平洋経済枠組み(IPEF)にも加わりました。政治的には米国と足並みをそろえていますが、それでも経済的には、中間財の最大の供給国である中国に依存しています。第1次トランプ政権の後に中国が米国との貿易を減らすと、インドの対米輸出が増加し、輸出総額の4分の1を占めるほどになりました。一方、輸入の17%は中国からです。

インドの携帯電話と医薬品のセクターは米国市場に大きく依存しています。しかし、米国が重視する農産物などの輸入を拒んだために、ここのところインドからの輸出は低迷しています。インドは専門職ビザの拡大を目指しているものの、国内の小規模農家をめぐるデリケートな政治状況を抱えていることから、農産物の輸入を増やすことができません。

インドはトランプ政権下で初めて米国と二国間貿易交渉を開始しましたが、米国がトウモロコシや大豆をはじめとする農産物のさらなる市場開放を要求したことで頓挫しました。その後、米国はインドからの輸入品に25%の関税を課し、ロシアからの石油輸入を理由にさらに25%を追加しました。インドはこれを、石油の輸入ではなく、農業市場開放を拒んだことに対する報復だと考えています。

皮肉なことに、インドがロシアから石油を買い、市場を安定させようとしたのは米国からの圧力がきっかけでした。新型コロナパンデミック後の経済リセットの期間は、値引きされた原油の輸入による恩恵を受けました。モディ首相が上海協力機構首脳会議に出席するなど、2025年8月以降、インドは中国寄りに方向転換したと思われます。インドはイランのチャーバハール港開発も支援しているほか、地域的な包括的経済連携(RCEP)協定の交渉に復帰する可能性もあります。米印貿易協定はすぐに締結される可能性は低そうであり、インドは中国やグローバルサウスに重点を移すかもしれません。

プレゼンテーション2

レベッカ・ファティマ・サンタマリア(IDEAS ディレクター / 前APEC事務局長)

マレーシアが議長国を務めたASEANでは、貿易と投資、包摂的で持続可能な道筋、統合と連結性、デジタルレジリエンスという4つの柱のもと、18の優先経済成果物(PED)に重点を置きました。主な動きとしては、ASEANの結集力を活用するうえで重要な一歩となったASEAN・湾岸協力会議(GCC)・中国首脳会議、トランプ政権の貿易政策や世界的な地経学的動向を受けて設置されたASEAN 地経学タスクフォースなどがあります。ASEAN各国の経済相と外相は、経済安全保障をめぐる共通の課題や懸念に対応するため、初めて一堂に会す予定です。

その他の重要な取り組みとしては、ASEANパワーグリッド、中小零細企業のグリーン移行を支援するためのセンター・オブ・エクセレンスなど、投資やエネルギー関連の協力体制に進捗(しんちょく)が見られました。統合半導体サプライチェーン枠組み(AFISS)の策定や観光の再重点化なども重要でした。デジタル経済枠組み協定(DEFA)はほぼ合意に達しましたが、2025年中の署名という目標は達成できませんでした。スタートアップエコシステムやASEAN AI戦略も進捗を見ました。

まだやり残しているのは、DEFAの実行、マレーシアでの「女性の経済的エンパワーメントセンター」の立ち上げ、RCEPの進捗加速などです。ASEANプラスワン協定はアップグレードされましたが、RCEPの取り込みは相変わらず進んでいません。専門の機関がRCEPを効果的に普及・実行し、必要な取り組みのモニタリングを改善しなければなりません。

民間セクターはASEAN Supply Chain Coordination Council(ASCCC)を通じて主な取り組みをスタートさせ、繊維と半導体を皮切りにサプライチェーンを追跡するためのダッシュボードを用意しています。ASEANビジネスエンティティにより企業内転勤ができるようになり、国境を越えた上場を支援するためのASEAN IPO目論見書も準備中です。

プレゼンテーション3

川瀬 剛志(RIETI ファカルティフェロー / 上智大学法学部 教授)

1月以来、トランプ政権のもとで米国の貿易政策は劇的に変化しています。中心となる3つの柱は、(1)通商拡大法第232条に基づいて鉄鋼、アルミニウム、自動車、木材に課される製品別関税、(2)国際緊急経済権限法(IEEPA)に基づいて好ましくない国に対して課される国別関税、(3)貿易不均衡に基づいて課される相互関税です。この「ターンベリー体制」が多国間の自由貿易をWTO枠外での二国間合意(ディール)網に置き換えており、結果的に法の支配や最恵国待遇(MFN)原則が損なわれ、GATTの国家安全保障例外条項が乱用されています。

米国がグローバル貿易に占める比率は15%に満たず、残る85%のほとんどはルールに基づくシステムをなお支持しています。これらの国々は国際貿易秩序を維持・改革するために行動を起こさなければなりません。第一に、スタンドスティル条項の合意によってWTOルールへのコミットメントを再確認することができます。第二に、多数国間暫定上訴仲裁アレンジメント(MPIA)の締約国拡大により、WTO上級委員会が機能停止していても既存のルールを強化することができます。アルゼンチン、インド、インドネシア、韓国といった未加入の主要ユーザー国の参加が望まれます。

オタワグループなどを通じて中堅国のアライアンスを再構築することが、ルールに基づく自由貿易システムの維持には必要です。また、そうすることで米国との交渉における影響力を高めることもできます。日本、オーストラリア、カナダ、英国、EUなどが中核メンバーになるべきでしょう。メガ自由貿易協定(FTA)、とりわけCPTPPの活用は不可欠です。サプライチェーンや非関税障壁に関する実践的な協力とあわせて、ASEAN加盟国の拡大、EUとCPTPP間の連携強化を目指さなければなりません。

長期的な改革こそがシステムを再生させ、デジタル貿易ガバナンスを強化し、貿易や安全保障問題に対応し、柔軟な貿易救済措置、補助金や非市場的行動に関するルールの厳格化を通じて公平性を確保します。ターンベリー体制によるダメージはあるものの、残る85%が協力すれば多国間貿易システムを守り通すことができます。

ディスカッション

アームストロング:
インドは中国の中間財や外国投資を必要としていますが、それを踏まえたうえでの対中戦略はどのようなものですか。また、インドが東アジアの大統合へと方向転換し、多国間主義的な役割を強める可能性はありますか。

ダール:
インドは中国との関係改善に動き始めています。最近、RCEPへの招待を受けましたが、その中にはインドからの輸入を増やすインセンティブも含まれています。しかし、産業政策の取り組みは停滞気味です。構造的変化は不透明ではありますが、中国との距離を縮めることは最終的に地域での多国参加が拡大する可能性があります。

アームストロング:
中国の輸出が増加し、米国が近く互恵的貿易協定を要求してくるという重圧の中、最近のASEANは持続可能な調整ができていますか。「トランプ合意」にはどんなリスクが考えられますか。

サンタマリア:
関税は問題の一部でしかありません。中国の現地調達や積み替えをめぐる不透明なルールは、課題をさらに大きくします。ASEANはまた、MFN原則を守りながら、各種の定義について明確にしなければなりません。さらに加盟国の間で透明性を確保し、今後の米国との協定ではフリーライダー条項の受け入れを回避しなければなりません。民間セクターはASEANに対して、原産地規則の改善、貿易円滑化の支援、政策調整、既存コミットメントの完全実施を促しています。

アームストロング:
ターンベリー体制は、多国間体制を守ろうとする取り組みを完全に損なうものではありませんか。RCEPはCPTPPに比べて、多国間体制の保護をどのように織り込んでいますか。

川瀬:
ターンベリー体制は85%の国々の間でもMFN原則を弱体化させます。ですからWTOルールを守るためにスタンドスティル条項の合意は不可欠なのです。RCEPは重要ではありますが、CPTPPほど野心的ではなく、例えば国有企業や労働力に関する基本ルールがありません。また中国が加入しているため、最近のケースを含めた経済的威圧が懸念されます。米中抜きのCPTPPはもっと安定した枠組みを提供できますし、CPTPPをEUとリンクさせ、同時にASEAN諸国のCPTPPへの参加を拡大すれば、ルールに基づくシステムをさらに下支えできるでしょう。

アームストロング:
日本は現在、オーストラリアや韓国などの中堅国と協力しているのでしょうか、それともRCEP首脳会議などASEAN主導の取り組みを支援し、多国間の利益を守ろうとしているのでしょうか。

川瀬:
目に見える動きはありませんが、高官レベルの議論は行われているようです。他に選択肢がないため、この方向をさらに進めていくしかないでしょう。

アームストロング:
インドと協力して多国間体制を支えるうえで、中堅国の役割はどのようなものでしょうか。

ダール:
政府内では協議されていますが、何も公にはされていません。議論や期待の中身をオープンに評価・理解できるよう、透明性が必要です。

サンタマリア:
途上国にとってRCEPはCPTPPよりも自由度が高いと言えます。またASEANが中国との統合を深めれば、デカップリングは現実的でなくなります。RCEP内で中国の関与を強め、できることならRCEPとCPTPPを結びつけてもっと大きな枠組みを作るのが望ましいと思います。

アームストロング:
RCEPとCPTPPを同じ戦略的方向で調整・展開し、貿易交渉の進捗が滞らないようにすることが重要です。そこには米国以外の85%、とりわけ現行ルールに大きな利害を持つ中国が含まれなければなりません。今後のルールに基づく発展に向けて、これが最も確かな土台になるでしょう。枠組みが広ければ広いほど、中堅国は多国間体制を支えやすくなります。

閉会挨拶

シロー・アームストロング(RIETI ノンレジデントフェロー / オーストラリア国立大学 クロフォード公共政策大学院 教授 / 豪日研究センター長 / 東アジア経済研究所長)

2018年に始まったRIETI-ANUシンポジウムシリーズ、第10回を迎える今回は、CPTPP締結における日本のリーダーシップを手始めに、中堅国の視点から地域の問題を検討してきました。私たちは残念ながら混乱へ向けた道のりを歩み続けており、その意味で「大国間競争と世界経済の混乱に対するアジアの対応」という本日のテーマはタイムリーです。こうした公開討論は、日本やアジアでコンセンサスを築き、政策を形成するためには大変重要であり、公式の対話を補うことができます。中堅国の連携は日本のリーダーシップなしには機能しません。特に、米国以外の85%のグローバル貿易を担う多国間体制を守る上で、日本の存在は不可欠です。来たるASEAN会合は、補助金の定義、過剰生産能力、産業政策などに対処しながら、積極的な多国間主義に対する東南アジアの包容力を実証することになるかもしれません。効率的で持続可能なエネルギートランジションを推進し、環境にやさしいサプライチェーンを促進するためには、開かれたグローバル経済がこれからも必要不可欠です。

浦田 秀次郎(RIETI 名誉顧問・特別上席研究員(特任) / 早稲田大学 名誉教授)

米国以外の85%のグローバル貿易を支配するルールづくりにおいて、中堅国としての日本の役割は極めて重要であり、このメッセージが近々発足する次の政権に届くことを私は願っております。現在行われている次の政権をめぐる討論では、国際経済に関する喫緊の課題は扱われておりません。最初のセッションでは、サプライチェーンの脆弱性について需要サイドと供給サイドの2つの側面に焦点を当てました。マレーシアについては半導体部品の輸入と半導体の輸出という形で二つの側面での脆弱性にさらされていることが指摘されましたが、インドネシアと日本については材料の調達における問題が取り上げられ、供給サイドの脆弱性に焦点が当てられていました。各国政府は主要製品の脆弱性に「3つのP」――プロテクション(保護)、プロモーション(促進)、パートナーシップ(連携)――で対応してきました。これらの政策の効果は各グループにより異なることから、評価は複雑になります。例えば、食材の保護は生産者には利益をもたらしますが、加工業者には仕入れコストが上昇するので痛手です。本日の議論で重要なテーマとして取り上げられた国家安全保障上の制約を考慮したうえでの経済政策の評価はさらに難しくなります。また、従来、経済学者が外生変数として扱ってきた関税のような政策が政治的要素などによって変化する内生変数になってきたことで経済分析をより一層難しくしています。