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円高と空洞化 (議事概要)

イベント概要

  • 日時:2012年10月5日(金)16:00-18:00
  • 会場:RIETI国際セミナー室 (東京都千代田区霞が関1丁目3番1号 経済産業省別館11階1121)
  • 議事概要

    講演1「円高が日本経済停滞の原因か」

    伊藤 隆敏 (RIETIプログラムディレクター / ファカルティフェロー / 東京大学大学院経済学研究科(兼)公共政策大学院教授)

    1. 名目実効為替レートの推移

    円高が日本経済停滞の原因となったかという問いに対し、YESという見方の根拠となるのが、名目実効為替レートの推移である。1974年から上下動を繰り返し、最近になって最も円高になっている。ところが、貿易相手国のインフレ率格差を調整し、15カ国の貿易ウェイトで平均した実質実効為替レートで見ると、2004~2008年のリーマンショックの前までが超円安だったという説明が成り立つ。したがって、現状も、それほど円高ではなく、ほぼ過去10年間の平均に戻ってきたといえる。

    一方、日本の電機産業や自動車産業の主な競争相手が韓国であることから、対韓国ウォンで判断すべきだという意見がある。確かに円ウォン為替レートはリーマンショック後に円高ウォン安に大きく振れ、円のレートが2倍ぐらいになっている。このことは、為替が円高になるのは産業にとって不利益だという意見の根拠とされている。

    2. 産業別実質実効為替レート

    では、日本の電機と自動車は、本当に韓国に対する価格競争力を失ったのか。佐藤清隆教授(横浜国大)の労作で、RIETIが2012年7月よりウェブに公開している産業別実質実効為替レート(http://www.rieti.go.jp/users/eeri/index.html )を見ると、電機は多くの産業の中で最も円安で、超円安の2005年を基準に考えても10%ほど円安の水準にある。しかも、日本の電機はコスト削減努力により国内価格が下がってきているため、輸出競争力としては、円高分を相殺できるのではないかと見ることができる。ところが、同じように韓国の産業別実質実効為替レートを見ると、2005年に比べて40%もウォン安が進んでいる。すなわち、韓国の国内物価の方が日本よりも大きく下がり、それが輸出競争力となっているのである。

    つまり、日本の電機は円高を帳消しにするような国内価格の下げがあり、実質的にはそれほど円高にはなっていないのだが、競争相手の韓国の通貨レートが下がったために、苦境に立たされている。すなわち、国内物価を下げることができる=コストを下げると解釈すると、確かに韓国の電機産業の方が日本を凌ぐイノベーションを行ってきたといえる。したがって、円高だけを責めることはできないというのが私の結論である。

    3. 超円安時代の投資判断の誤り

    さらにいえば、2005~2008年の超円安が日本の産業を円安に慣れさせてしまったという見方もできる。つまり、1ドル100~110円当時、名目の為替レートに気を取られて「円高の中でもどんどん輸出できる」と思っていたが、実質実効ベースで見ると実は円安であり、それに助けられていただけだったのだ。そこで投資判断を誤り、国内に投資をしてしまった産業・企業があったのではないだろうか。

    これに対しては、超円安後、2008年の第4四半期から2009年の第1四半期までの円高は急激過ぎるという反論があるかもしれない。これはリーマンショック後、急激な信用緩和が行われた時期に当たり、FRBやBOE、ECBが相次いでバランスシートを拡大する中、日銀だけが唯一フラットだった。こうして、通貨戦争への敗北の結果として円高が急速に進み、そのスピードに産業が付いてこられなかったという可能性があるのではないか。

    4. 結論

    長期的な傾向としては確かに空洞化は進んでいるが、まずは名目為替レートに惑わされず、実質で見る必要がある。さらに、産業別に細かく見ることや、為替レートのレベルとともに変化のスピードも考慮しなくてはならない。もし、現在の為替レベルで日本の産業が耐えられないというのであれば、それは生産性を上げる競争に負けているということではないだろうか。

    講演2「円高と空洞化」

    吉川 洋 (RIETIシニアリサーチアドバイザー / ファカルティフェロー / 東京大学大学院経済学研究科教授)

    1. 円ドル為替レートとPPPの動き

    円高が日本経済にとって大きな脅威だという言説は、はたして真実なのだろうか。今から20年以上前、日米の輸出財産業を選び、ウェイトを付けて購買力平価を計算し、それに交易条件の変化なども加味した「均衡レート(PPP)」を提起・算出して、現実の為替レートとの違いを考えたことがある。

    大きく目立つのは、80年代前半のレーガン時代には、アメリカの高金利ドル高政策により、超円安が生まれていることである。したがって、プラザ合意以降の動きは、基本的にはその超円安の修正のプロセスだったというのが私の見方である。しかし、その後の為替レートの長期的な円高方向の動きは「均衡レート」を反映したものとなっている。なぜなら、当時の円高要因は、通貨のインフレ格差というよりは、日本の輸出財産業 (電機や自動車)の生産性の伸びがアメリカを大きく上回ったからである。

    では、直近の円高はどう解釈すべきなのか。経済界では、ここ数年は歴史的な超円高であり、日本の産業を取り巻く六重苦、七重苦の1つなどといわれているが、実質実効為替レートを見ると必ずしもそうではない。また、参考として、イギリスの「エコノミスト」誌が、毎年、マクドナルドのビッグマックの価格を使って測った世界の購買力平価を見ると、円は驚くほどゼロに近い。すなわち、ニューヨークのビッグマックと東京のビッグマックは現在の2012年初めの為替レートで均衡している。

    2. 景気拡張局面における消費と輸出の寄与率

    一方、日本の景気拡張局面における消費と輸出の寄与率を見ると、小泉政権のころから始まり2007年にピークを迎えた戦後最長の景気拡張期には、輸出主導といえる姿が現れてきている。問題は、超円高というのは2008年以降のことなのだろうかという点だ。私が関心を持ったのは、日韓の比較である。日韓を比べる際に、双方がそれぞれ第三国に輸出するという状況の中、極端なウォン安によって日本が韓国との競争に負けたといわれる。そこで私は2002~2011年の韓国、日本の輸出の変化率を時系列に追跡した。

    2008年のリーマンショック以降、確かに日本の落ち込みの方が大きいが、韓国も落ちている。つまり、輸出は為替だけでなく、輸出相手国の米国、欧州の景気に左右されるので、2009年の落ち込みにそれが関係していることは間違いない。したがって、手放しで為替が悪いとすることには疑問がある。

    3. 第3次産業革命の到来

    「エコノミスト」誌は、今年の初めに「第3次産業革命」という特集を組んでいる。彼らはiPadを例に取り、500ドルの価格のうち人件費が25ドル、そのうち中国分が8ドルだとして、賃金が安いから途上国で作るという議論はもはや成り立たない、製造業は先進国に戻ってくると言っている。それは途上国の賃金が上がるからではなく、そもそも製品のうちに占める人件費の割合が下がってくるからだ。

    すなわち、新しい物やサービスを作り出すイノベーションが先進国経済の生きる道であり、プロダクトイノベーションとは、潜在的なものも含めてどのような需要がマーケットにあるのかを探し出すところにあるのだと彼らは言う。そうなると、ニーズがある先進国のマーケットに近い所に製造拠点を置く必要がある。これは業種にもよるし、いつそうなるのかについては議論の余地があると思うが、基本的には正しい議論だと私は思っている。まして為替についても、本当に超円高かというとクエスチョンマークが付く。したがって、ものづくりにおいては、為替とは独立したところに重要な問題があるのではないだろうか。

    ディスカッション

    モデレータ 中島 厚志 (RIETI理事長)

    本当に超円高でないのか

    中島: 今の円レートは、超円高とはいえないまでも、この数年間で見るとユーロ安は明らかに進行し、アメリカでも量的金融緩和政策が進められている。また、新興国でも自らの通貨をドルにリンクするなど、経済活力維持のために通貨安を志向しているように思われる。そうすると、やはり為替の面でも日本の経済や企業は厳しい状況に置かれているのではないか。

    伊藤: 現在のユーロ安は、財政危機および銀行危機への対応の副産物であり、ECBが意図的に起こしたものではない。また、もし今、円安だったとすれば、エネルギーの輸入コストが高騰し、経済にも大きな影響を与えていただろう。このように、通貨安と通貨高は、どちらがその国にとって良いと一概にいえるものではない。

    吉川: 問題は、2010年から2012年10月の1ドル90円から78円への円高をどう評価するかということだろう。確かに2011年は輸出が落ちているが、これはサプライチェーンの途絶や東日本大震災の影響など、為替とは別の要因があったと思う。

    日本経済沈滞の真の原因

    中島: 現実に足元を見てみると、製造業で空洞化が起きている。為替以外の要因として、先ほどイノベーションや生産性競争などの話があったが、日本の産業、特に製造業にとっての沈滞の要因は何なのか。

    吉川: 先進国の産業は、常に新しい物やサービスを生み出すことによって生き残り、経済全体も成長していくものだ。したがって、確かに競争相手が強くなってきたという周囲の環境変化はあると思うが、それはいつか必ずやってくることなので、日本の産業が国際競争力を維持するためにはイノベーションを続けるしかない。

    伊藤: 製造業については、企業にできるだけ長く日本にとどまって欲しいと思えば、FTAやTPPの早期締結と、法人税のさらなる引き下げが必要になるだろう。しかし、中長期的に見れば製造業の雇用縮小は免れない。しかも、人口の減少と高齢化により、国内市場が縮小していくことも目に見えている。そんな状況で、日本国内に大規模な投資をする企業があれば、むしろそちらの方が不思議だ。問題は、企業がグローバル化しても、労働力がグローバル化していないことにある。市場が世界に移っていく中、世界で即戦力となる人材を育成・確保していく必要があるだろう。

    生産人口が日本経済に与える影響をどう見るか

    吉川: 私は、先進国の経済は人口とはほとんど関係がないと考えている。たとえば高度経済成長期の10%成長のうち、労働力人口の伸びは1%で、残りの9%が労働生産性の伸び率だった。あるいは過去6~7年、数字で見ればドイツの人口減少の方が日本より大きい。しかし、誰もドイツ経済が駄目だとは言っていない。

    伊藤: まず、生産年齢人口の減少は経済に非常に大きく影響する。60年代の高度成長期は10%の成長があったが、当時は生産年齢人口も増えていたので、生産年齢人口当たりの成長率は7.5%程度しかなかった。現在は生産年齢人口で既に-1%なので、生産年齢人口当たりで2%成長しても、経済全体の成長率には1%しか反映しない。さらに、一家に3台も4台も車を持つような家庭はまれなので、マーケットの量的拡大は今後あまり期待できない。そこで、たとえば高齢者のニーズに即したものを提供していくサービス産業を主力にするなど、産業構造の大きな変革が求められている。

    吉川: 生産年齢人口の減少は、確かに短期的には成長へのマイナス要因となるだろうが、それによってマーケットが縮小していくという見方には賛同できない。そこで鍵となるのがイノベーションである。高齢化の進行は、今の時点では想像もできない社会の姿をもたらすはずで、コンパクトシティに象徴されるように、交通手段も、建築物も、道路もすべて変わる。それに対応してサービス業が伸びていくのと同時に、製造業の在り方も当然変化するし、新たに大きなマーケットが生まれてくると思う。そして、それを生み出すのは途上国ではなく、やはりマーケットが大きく所得水準の高い先進国であり、日本はフロンティアになり得る。それが進んでいない要因は、政府のイニシアチブ不足である。

    六重苦・七重苦への処方箋

    中島: 今、企業業績には円高、電力制約、高い法人税などの六重苦や七重苦が下押し要因としてあるといわれる中で、それを日本経済や日本企業がどう克服していけばいいのか、大きな方向性をぜひ承りたい。

    伊藤: 今の日本で企業が最も不安視しているのが、政治リスク、財政リスクだ。まずはこれを最小化する必要がある。

    吉川: 空洞化といわれる問題の中で、1つ大きいのが雇用である。少子高齢化の中で雇用創出を担い得るのはやはりサービス業であり、特に医療・介護の分野だ。アメリカでも、2000年代前半に雇用が増加したのは、シリコンバレーではなく病院、それも医師をサポートする看護師などの部分だった。一方日本では、今、女性を中心に、過重労働に耐えかねて休職中の医師が増えている。これを改善するには、雇用を生み出す素地を作るための規制改革など、政府が具体的なイニシアチブを取っていく必要がある。

    伊藤: アメリカでは、医療サービスが拡大すると同時に職種が細分化して、ナースプラクティショナーという看護師と医師の中間の仕事をする職種もある。もちろん、職種に応じて賃金にも差が出ている。一方、日本の看護師協会や医師会はナースプラクティショナーの導入には反対で、准看護師も廃止した。このように、業界団体自身が変わろうとしないことも、医師や看護師の過重労働の問題や、医療ニーズの多様化に対応できない大きな要因の1つとなっている。

    Q&A

    Q1: この20年、企業の多大な努力にもかかわらず、良い結果が出ていないのはなぜか。

    吉川: バブル崩壊後、日本企業は債務・雇用・設備の3つの過剰を抱え、コスト削減のためにリストラを断行してきた。しかし、日本経済全体として見ると、行き過ぎたコスト削減のために、生命線であるプロダクトイノベーションで後れを取ってしまったのではないかと感じている。

    さらに、非正規雇用は80年代には6人に1人だったのが、今や3人に1人だ。これは、個々の企業ではそれなりの合理性があっても、日本経済全体ではどう見ても最善策にはなってない。生産年齢人口が減少し、人材の量より質が求められていく中で、非正規雇用では若者の技能形成や人的資本の蓄積は不可能と言わざるを得ない。このままでは、20年後に今の若者がロストジェネレーションになってしまうのではないかと危惧している。

    伊藤: 日本企業はこれまで、繊維からハイテク、セラミックから太陽光発電など、先を見据えて絶えず産業形態を変化させてきた。では、それがなぜうまくいかなくなったのか。そこには、成功体験に甘えてイノベーションを怠ったことに加え、やはりグローバル化への対応の遅れがあると私は見ている。また、「失われた20年」における財政・金融政策も、バブルをつぶし過ぎたり、財政の刺激が小出しで公共事業が乗数効果の高いところに行かなかったりなど、節目節目で幾つかの間違いがあったことは否めない。

    Q2: 伊藤先生から投資判断の誤りというご指摘があったが、海外に市場を求めて投資を行った企業で、具体的な成功例があれば紹介して欲しい。また、日本の大きな貿易相手となった中国との関係についてもご指導いただきたい。

    伊藤: 企業の成功例としては、医療・介護分野と、マスク、紙おむつ、医療機器などの健康産業が業績を伸ばし、株価も上昇している。

    中国に関しては、安い賃金で勝負するという時代は完全に終わった。これから産業構造が高度化し、技術の階段を上がっていく中で、日本企業がどれくらい食い込めるかは、個々の企業の覚悟に懸かっている。一方、中国の経済成長は、しばらくは7~7.5%を維持するが、その後は6%、5%と落ちていくだろう。したがって、中国一辺倒というのは適切な判断ではないと考えている。

    吉川: 中国経済は、今後も所得水準の伸びが期待できるため、マーケットでは需要の増加・多様化が見込まれる。一方、プロダクションサイトとしてのアドバンテージは縮小していくだろう。「エコノミスト」誌は、たとえば金属やプラスチックの製品をボタン1つで生み出す三次元プリンターの開発など、製造業における人件費のシェアが縮小していく中で、人件費が安いことのメリットが消失するのは時間の問題であると述べている。

    企業の成功例については、円盤形の掃除ロボットを作っている企業の創業社長が、「日本の消費者の目は非常に厳しい。その声を吸い上げて製品の改良を重ねたことで、市場が爆発的に拡大した」と語っている。高齢化という大テーマにおいて、日本の市場は無尽蔵のポテンシャルを持っているというのが私の持論だ。

    伊藤: ただ、今はプロダクトサイクルが短くなってきているので、開発したらすぐに高いマージンで資金を回収して次のものに行かないと、追い付かれてしまう。

    吉川: 単なる製品でなくモデルとしての重要性が高ければ、長期にわたって社会に大きな影響を与え続ける。今、日本の電機製品は「オーバースペック」「ガラパゴス」といわれ、複雑化しすぎているが、そうではなく、後に続く製品のモデルとなるようなコンセプトを作っていくことだ。すべての物やサービスについて、高齢化の中で時代の先を行くモデルを打ち出していく必要があるだろう。

    為替がマクロ経済に与える影響について、ケインズとシュンペーターは全く異なる考えを持っていた。ケインズは、1920~30年代にポンドの過大評価がいかにイギリス経済の重荷になったかを力説した。ところが、これに対してシュンペーターは、ポンドの過大評価は1820~30年代にもあったが、当時のイギリス経済がそれをものともしなかったのは、イギリスの産業がイノベーションにあふれていたからだと反論した。つまり、マクロ経済を疲弊させるのはイノベーションの欠乏にほかならないと述べたのである。