イベント概要
議事録
デール・W・ジョルゲンソン
ハーバード大学サミュエル・W・モリス記念講座教授
日本の新たな成長戦略(=「日本再生戦略」)を策定された皆さんの素晴らしい仕事は賞賛に値すると思います。今年7月31日に「日本再生戦略」が閣議決定されたことは喜ばしいことです。同戦略の導入によって、過去20年間にわたる、日本の経済成長をめぐる議論は転換点を迎えたと思われます。今日のプレゼンテーションでは、その詳細について触れるとともに、検討すべき他のアプローチも紹介したいと思います。また、国際通貨基金(IMF)が8月1日に締結した4条協議で提案された成長戦略についても触れたいと思います。
現在の日本経済が抱える課題
現在、日本経済はいくつかの戦略的課題に直面しています。東日本大震災とそれに伴う原発事故は、その重要な例です。このきわめて困難な状況に対する日本国民・企業・政府および関連自治体の取り組みは、世界的に賞賛されています。この取り組みについてはRIETIで詳細に論じられていますので、今日のプレゼンテーションでは、より具体的に、今後の日本の経済成長に焦点を絞ることにします。日本経済が直面しているもう1つの戦略的課題は、デフレ克服と円安への誘導です。2007年に始まり2009年まで続いた米国発の経済・金融危機が、日本に大きな間接的影響を与えたことは周知のとおりです。多くの金融投資家にとって日本は安全な逃避先となり、円建て証券に対する大きな需要をもたらしました。これが米ドルおよびユーロに対する円の大幅な上昇を招き、他の多くの先進工業国と比較しても、より厳しい輸出・工業生産の減退の原因となりました。また、日本は急速な高齢化とエネルギー面での制約という課題に直面しています。この2つの問題は、「日本再生戦略」を論じるうえで最も大きな役割を演じることになるでしょう。
経済・財政運営を考える場合、デフレの克服は日本経済が対処すべき非常に困難な問題です。IMFの調査によれば、現在、日本における需給ギャップはGDPの約2.6%。つまり、総供給が総需要を2.6%上回っているということです。IMFでは、この需給ギャップにより2016年いっぱいはデフレ圧力がかかるので、日本がインフレ率1%を達成できるのはようやく2017年になってからであると予測しています。またIMFは、現在から2017年までの実質成長率はわずか1.3%に留まるとも予測しています。一方で、日本の2010~2020年の名目成長率目標は年3.0%、同時期の実質成長率目標は年2.0%に設定されています。十分な情報に基づいたIMFの予測と比べて、こうした目標が理にかなっているかは疑問の残るところです。
IMFは、年2.0%の成長を実現するために必要な改革について一連の勧告を行っています。そうした勧告の1つに、女性と高齢者の就労率の向上があります。IMFは、女性の労働力供給に対する日本の税制上の阻害要因を指摘し、この撤廃を勧告しています。しかし、女性の就労率を向上させるために必要となる制度変更には課題が多く、かなり長期間にわたって段階的に進めていく必要があるため、直ちに取りかかるべきです。高齢者の就労率向上促進に関しては、年金制度の改革が必要になりますが、これもやはり困難なプロセスです。IMFによるもう1つの勧告は移民受け入れの拡大であり、これについては正しい方向に向けて漸進的な措置が実施されています。最後に、IMFは保護を受けている部門の開放と規制緩和についても勧告を行っています。
「日本再生戦略」4つの提言
「日本再生戦略」は、4つの主要な政策提言パッケージで構成されています。第1は、エネルギーと環境に関するものであり、省エネルギーと再生可能エネルギー源への依存度の向上を目標としています。1970年代のエネルギー危機以来、日本は省エネ・環境技術の分野で先頭を走っており、諸外国が同様の基準に向けて動き始めるなか、その技術と専門知識のおかげで日本は世界中の市場を開拓してきました。当面の間、中国やインドなどの新興国は、確実に日本の技術と専門知識に頼らざるを得ないので、省エネ・環境技術は日本にとって持続的な比較優位の基盤であると同時に、政策上の重点項目であると思われます。一例ですが、日本はここ数十年にわたって、ハイブリッド/電気自動車分野で世界的リーダーとなっています。
エネルギーと環境という観点から検討の価値があるまったく異なるイニシアチブが他にもあります。それは、日本全国に単一の電力市場を提供することです。これまで日本の電力事業者は、電力単一市場の構想を拒否してきましたが、昨年の原発事故を受けて日本が厳しい節電努力に取り組まざるを得ない中で、非効率の典型とも言えるようなシステムが露呈しました。これを改めるには、経済の仕組みと技術面で大変な努力が必要になるでしょう。電力単一市場の優位性は、効率の改善という点に加え、エネルギー供給の形式にかかわらず、活用が可能になるという点です。
「日本再生戦略」の第2の政策提言は、健康・生命科学に関するものです。日本の医療制度は世界の模範です。医療政策という面での成果は素晴らしく、技術の質も高い。この分野も日本にとって持続的な比較優位の源となります。こうした比較優位のメリットを実現化させるには、通商交渉担当官が通商政策のアジェンダに医療機器・医薬品の輸出を盛り込むべき、と認識することが重要です。
これと関連する重要な問題は、高齢者向けの施設介護を提供する産業の普及です。これは潜在的に「日本再生戦略」で提唱されている女性起業家のビジネスチャンスとなる可能性もあります。また保育も日本では遅れている関連分野であり、拡大されれば、女性の就労率を向上させる可能性が非常に大きいのです。
「日本再生戦略」の第3の提言は、農林水産業に関するものです。さまざまな問題から、この部門は進展が大幅に遅れ、失望を招いてきました。その結果、日本は世界の先進国中で食品価格が最も高い国となっています。さらに、国内で労働力の高齢化が最も進んでいるのも農業部門です。「日本再生戦略」では、農業部門の改革と経済成長の関連性が指摘されています。貿易障壁の撤廃により、農産物を含む日本産品は世界に市場を拡大できるでしょう。
「日本再生戦略」の最後の提言は、中小企業(SMEs)に関するものです。日本の信用補完制度による中小企業への長期的な公的支援は、財務面では存続不可能な企業を多数生き残らせ、そうした企業が事業を営む商業・サービス分野の生産性と成長の停滞を招いています。中小企業は大きな雇用供給源であるため、個人的には「地元原則(prefecture of origin principle)」を提案したいと思います。「地元原則」とは、国内のある地域に立地する中小企業が国内の別の地域に支社や支店を開設しようとする場合、認可を受けられるというものです。この原則は、参入障壁の撤廃や、有能な起業家が事業を拡大し、新しい雇用機会を創出するチャンスを生む可能性があります。
規制緩和が生産性向上に与える影響
先に述べたIMF勧告に話を戻しますが、日本では、主として都道府県レベルでの規制により、競争から保護されている部門があります。IMFの調査は、こうした保護部門にも成長性があるとしています。日本の経済成長を減速させる生産性ギャップを生み出している産業を特定するには、日米の生産性ギャップに関する研究が役に立ちます。成長性を刺激するために、日米両国のさまざまな部門における生産性水準の比較が行われています。
1960年の時点では、日本の生産性は米国に比べて約60%低かったのですが、日本経済の発展につれて生産性ギャップは縮まり、1970年には1960年の半分、1990年には14%までに追いつきました。その後、日本の生産性は低下し、ギャップは約20%まで拡大しています。製造業に関しては、日本は米国との生産性ギャップを1990年までに解消しましたが、非製造業ではギャップは依然として大きいままです。こうしたことから、日本が集中的に改善すべき分野は明らかです。
日米の生産性ギャップを産業別に見ると、卸売・小売部門の生産性ギャップは、1990年にはわずか2%でしたが、2004年には6%まで上昇しています。生産性ギャップに占める割合では、依然としてこの部門が最大です。卸売・小売部門は、都道府県や市町村レベルの何層にも重なる規制で保護されており、対応が不可欠ですが、「地元原則」活用による解決法も一案です。この他に日本で保護されている産業として食品、建設、農業、電力、輸送、その他サービス等が挙げられます。
日本経済はいくつかの課題に直面していますが、日本固有の課題ではありません。優れた経済学者でもあるイタリアのマリオ・モンティ首相は、2010年に欧州委員会委員長に提出された報告書「単一市場の新戦略 (a new strategy for the single market) 」の筆者です。同報告書の中でモンティ氏は、EUはサービスの単一市場ではなく、財の単一市場を念頭に設立された、と述べています。また、EUのGDPの70%をサービス部門が占めていますが、市場は非常に細分化されており、EU域内で加盟国にまたがるサービスは全体の20%にすぎません。さらに、米国とユーロ圏の生産性ギャップは30%にも達しています。EU域内では日本と同様に、商業・サービス部門が、当初は雇用創出(日本の場合、第二次大戦後に内地に帰還した数百万人の日本人の吸収)を目的に保護されてきました。こうした規制はその後まったく変更されることなく、現在では、経済の生産性を阻害していると考えられます。
最後に、日本はデフレの問題を克服しておらず、依然、経済・財政運営が最優先課題です。日本銀行のイニシアチブで量的緩和が再開されましたが、これは正しい方向への第一歩です。しかしながら、「日本再生戦略」で言及されている経済・財政運営以外の問題にも取り組むべき時がきました。単一エネルギー市場を導入し、新しい保健・生命科学技術の開拓しつつ高齢者向け介護施設の拡充を図ることは、日本にとってプラスになるでしょう。また、成功した中小企業が事業を拡大し、その過程で雇用を創出できるよう、障壁を撤廃し、また農業分野の保護主義をやめ、国際通商交渉の場に農業市場を開放することも、やはり日本の利益になるでしょう。
人口の減少に関しては、年金制度改革が必要で、高齢者の就労率向上に向けた取り組みに注力すべきです。IMFアジェンダの中で最も有望なのは、保護を受けている部門の開放から得られるはずの潜在的な利益だと思われます。RIETIは東日本大震災に対応して研究プログラムを実施し、政策上の幅広い選択肢を提示しましたが、これについて政策立案の場で議論がなされるべきです。RIETIにとっては、日本の潜在成長率向上のためにアジェンダを作り出す大きなチャンスの時です。
コメント
小林 慶一郎
RIETI上席研究員、一橋大学経済研究所教授、キヤノングローバル戦略研究所研究主幹
本日のプレゼンテーションでは、3つの問題を取り上げたいと思います。第1に、生産性をどうやって成長させるか。第2に、日本の政府債務の持続可能性をどのように回復するか。最後に、日本の所得格差についてです。
ジョルゲンソン教授がおっしゃっていたように、日本の潜在成長率という点で最も重要なのは、サービス部門です。この部門はGDPおよび労働時間の約75%を占めていますが、各業種のあいだで大きな差異があります。流通サービス業の全要素生産性(TFP)は急速に成長していますが、金融サービス業のTFP成長率は低いです。生産性向上の観点からどの分野のイノベーションが最も見込みが高いかを「誘発的技術革新モデル」を用いて研究した結果では、技術変化の方向は市場環境によって決定されることが示唆されました。またこの研究では、1960・70年代における熟練労働力の供給増大がイノベーションと技能集約型テクノロジーを加速させたことが示されています。近年の市場環境における最大の変化は、人口の高齢化です。介護サービスへの需要が増大しているので、介護サービスなどの高齢者関連の技術分野(近年、ジェロンテクノロジー、すなわち高齢者工学と呼ばれています)でのイノベーションが必要です。
政府債務の問題に関しては、多くのエコノミストが、日本は債務の対GDP比を維持するために消費税を25~30%に引き上げる必要があると主張しています。その他の提言には、高齢者の医療費自己負担比率を10%から20%に引き上げるとともに年金給付を大幅に引き下げる、全般的な歳出削減を行う、といったものがあります。このような措置の導入には途方もなく長い時間がかかるでしょうし、国民に我慢を強いるものです。こうした計画の実施に向けた展望は明るいとは言えないでしょう。
所得格差については複数の意味合いがあります。労働者・資本家というエージェントを含む新古典派的な成長モデルを用いる場合、労働者の資本ストックの比率が低下すると労働者の労働力供給が増大し、労働者の所得が減少し、資本家の所得が増大し、総生産量は増大します。しかし、総生産量の増大が社会福祉にとって善であるとは限りません。日本の経済成長という問題を考える場合、この点は念頭に置くに値すると思います。
コメントバック
デール・W・ジョルゲンソン
生産性向上のためには、保護された市場への参入可能性を高める必要があります。これはまさに、小林SFが示唆された技術変化を促進するものです。日本は確実にこの分野で主導的な立場にあります。保護された市場で活動中の企業に対する保護を撤廃することで、新たな技術の振興につながります。こうした変化をもたらすという点で、就労率の改善も重要な役割を果たすでしょう。日本の財政の持続可能性に関してですが、将来的な税率について悲観的な見通しもあるでしょう。しかし、どのような変化も政策立案の場で議論されなければなりません。
RIETIは、引退問題に関するデータベースを構築していますが、そうした政策変更の潜在的効果を調査するうえで理想的なツールとなっています(JSTAR:くらしと健康の調査 )。福祉の問題もまた重要です。GDPの増大は望ましいですが、その基本的な目標は福祉です。福祉は、福利に関連した市場活動と非市場活動から成り立っています。いかなる政策評価においても、福祉という目標を考慮に入れることが必要です。
質疑応答
- 質問1:
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細分化された電力市場から電力市場統合への移行を成功させた国の例があれば教えてください。
- デール・W・ジョルゲンソン:
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残念ながら、成功例はあまり多くありません。イギリスは全国統合の送電網(national grid)の構築に成功しましたし、ニュージーランドやノルウェイの例もあります。
- 質問2:
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市町村レベルで保護を受ける部門の存在について、詳しく説明していただけますか。
- デール・W・ジョルゲンソン:
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規制の問題は日本でよく議論されています。私が今日のプレゼンテーションでお話した規制は、米国による占領期直後に、都道府県・市町村レベルに分権化され、現在もそのまま存続しています。その結果、投資・雇用とともに技術変化をもたらしたであろう多くの分野が、競争から保護されてきました。何百万人という日本人が内地に帰還し、雇用を求めていた当時には合理的な政策でした。しかし、現在の日本の労働市場のニーズには反しています。サービスに関して全国規模の単一市場を創出する法的な基盤を定めるような改革を行うべき時です。欧州では、財の単一市場と、金融サービスなど一部サービスの単一市場創出にある程度成功していますが、サービスの単一市場が十分でないという点では、日本と似た問題を抱えています。
この議事録はRIETI編集部の責任でまとめたものです。