日中経済討論会2006

イベント概要

  • 日時:2006年11月16日(木)/17日(金)
  • 会場:大阪国際会議場
  • 経済産業研究所セッション概要

    プレゼンテーション資料[PDF:1.9MB]

    11月16日-17日に大阪国際会議場で、日中経済討論会2006「日中共生に向けた相互依存の深化」が、経済産業研究所を含む複数機関の共催で開催されました。16日の全体会合では、吉冨所長が「日本経済の教訓:為替政策と所得格差-中国にとっての反面教師と正面(?)教師-」と題して講演しました。

    講演の中では、まず、現在の中国経済(1994年~2006年)と高度成長期(1950年~73年)の日本経済の類似点、相違点を総覧した後、為替政策と所得格差という、中国経済が抱える2つの大きな問題点について、日本の経験を振り返りながら、中国が今後経済運営をする上での留意点について言及しました。以下講演の概要です。

    日本経済の教訓:為替政策と所得格差
    -中国にとっての反面教師と正面(?)教師-

    ■現在の中国経済(1994年~2006年)と高度成長期(1950年~73年)の日本経済の類似点と相違点

    この期間の日本と中国の経済成長率(日本9.45%、中国8.55%)は、工業生産の成長率(日本14.56%、中国12.17%)と同等の高成長率を維持してきた。

    貿易・為替を見ると、高成長期では、日本も固定相場制を採っており、その点は中国と類似している。相違点は、日本は当時海外からの直接投資を受け入れていなかったが、中国は積極的に受け入れてきているという点。日本は原材料(例, 鉄鉱石)を輸入してそれを加工して輸出する(例, 鉄鋼板)という加工貿易を行っていたが、今日の中国は、高度な部品・中間財を輸入して、それを加工して最終製品として世界に売るという貿易を行っている。中国の輸出入総額をGDPで割った比率が45%あるのに対して、高成長期の日本の場合はその半分の20~25%程度であった。中国の直接投資への依存と、加工貿易の内容、貿易がGDPに占める割合、貿易赤字が生まれ易かった日本、大きな黒字を生み出している中国、といった諸点が相違点として挙げられる。

    また日本は高成長期に所得格差を縮小してきたが、中国の場合は拡大している。

    ■為替政策

    中国の多くの経済学者や政策担当者は「日本経済が10%の高成長から、4~5%の中成長(1973~91)、中成長から1~2%の低成長(1992以降)へと変遷してきた節目には必ず為替の切り上げがあった、したがって、為替を大きく切り上げると経済が停滞していく」と考えている。だがこれは間違いである。
    第一次円高の後、成長率が下がった理由は国内にある。経済成長は労働供給の増加と資本装備の深化と技術のキャッチアップで起こるが、70年代初頭に日本は完全雇用になり、成長率は鈍化せざるを得ない。中国の場合は2億人規模のunderemploymentがまだあり、新規労働吸収力は毎年1200万人程度であるから、今後10~15年は完全雇用にはなりにくい。

    プラザ合意による第二次円高後のバブルの発生とその後のバブル崩壊による長い経済不況については、バブルの原因そのものが急激な円高に対して金融緩和をやりすぎたことによるという考えが強い。これも決して正しくない。金融緩和といっても、その悪影響が現れるべき消費者物価のインフレは80年代後半は1%台で安定しており、実質金利も3.5%程度で正常だった。マネーサプライの行き過ぎの度合いは毎年2%ポイントだったが、これが地価や株価を2~3倍も上げることは、量的に説明不可能。むしろ80年代の日本経済では、半導体や自動車で世界の技術の最先端を走り、インフレは安定しているという自信の高まりから来るユーフォリア現象に加えて、同時に起こった金融自由化や規制緩和が金融機関や企業をリスク・テイクの行動にかりたて、それを管理する監督、情報公開、法制などの諸制度が追いついていなかったから起きた。

    ■日本の所得格差が広がらなかった仕組み

    日本における所得格差が小さくなった理由は3つある。
    1つは農家の所得が急増したということ。まず、戦後の農地改革によって、不在大地主をなくし、自作農を育成したことが、土地生産性の上昇につながった。また高成長期に高い米価政策と出かせぎにより農家世帯所得と都市労働者世帯所得の格差も解消し、中成長期には逆転した。

    2つ目には企業内多能工の形成のためブルーカラーに対しても年功賃金制を採っていたこと。ホワイトカラーについては欧米も年功賃金であるが、ブルーカラーの賃金体系では、欧米の場合は30才台で賃金水準が頭打ちになりそれ以降の年齢ではホワイトカラーとの所得格差が広がって行く。これに対して、日本の場合はブルーカラーの給与体系がホワイトカラーのそれに似ているため、ホワイトカラーとブルーカラーの間で年齢による所得格差が広がりにくい。日本の製造業では、ブルーカラーを多能・熟練工へ育てていったため、賃金体系も年功序列の体系を保ち、生産ラインのブルーカラーがエンジニアであるホワイトカラーと対話できるようになった。

    3つ目には地域振興による地域間格差是正に政策的に取り組んできたことがある。まず、社会資本の整備により、三大都市圏への集中の是正と地方のインフラ整備と工業化が図られた。中央政府が地方政府の財源不足を助けた。更に、高成長のひずみである公害や国民福祉の無視といった点への対応も重視された。1970年代の石油危機の後、日本のエネルギー消費の効率化は世界一となった。

    ■戦前、そして現在の日本との比較

    現在の中国をどの時期の日本と比較するかという問いは非常に難しい。この講演では高度成長期の日本と比較してきたが、所得格差に着目すると、むしろ戦前(1920~30年代)の日本と今の中国には同じぐらいの所得格差がある。戦前の日本の状況は、財閥の繁栄と農村の疲弊が国民の不満、内政問題を外敵へ向ける傾向へとつながっていった。第一次大戦後不況が続く中で、大正デモクラシーの抑圧、軍部台頭、そして戦争へと進んでいった。日本をとりまく世界政治情勢や海外直接投資が現在のように盛んでは無かったことが、戦争を起こしやすくした面もある。

    翻って、現在の日本と中国を比較すると、1人当たりの所得格差は20倍ある。仮に1人当たり所得が7%で成長するとして、10年で倍、20年で4倍、30年で8倍になる。かなり時間をかけて持続的に成長しなければならない。その発展過程で所得格差を減らし、公害へ対応し、エネルギー効率を上げていく際に、日本の経験がかなり参考になるであろう。