政策シンポジウム他

女性が活躍できる社会の条件を探る

男女雇用機会均等法による法的環境整備や育児・介護休業法や保育所の整備等、均等法成立以前に比べると、外的支援環境整備も一定の前進を見ているにもかかわらず、我が国では女性の登用がなかなか進みません。RIETIでは来る2004年11月9日(火) に港区北青山のTTEPIAホールにて、RIETI政策シンポジウム「女性が活躍できる社会の条件を探る」 を開催し、労働市場や子育ての外的支援環境にまつわる問題点を踏まえつつ、従来、政策論としては十分には議論されてこなかった「教育」の役割や、本人と家族との関わりにおける問題点及び女性の就業形態は男性型のキャリアばかりではなく多様な形態がありうることを踏まえるなど、新たな視点からの議論を行います。本コーナーではシンポジウム開催直前企画として、シンポジウムの論点の見どころ、独自性についてシリーズで紹介していきます。第3回目はハイパー・メリトクラシー社会における母親が子供の教育に果たす役割を論じている本田由紀東京大学大学院情報学環助教授にお話を伺いました。(RIETI編集部 熊谷晶子)

RIETI編集部:
日本は「ポスト近代型能力」が社会で重要視される、「ハイパー・メリトクラシー社会」になるとおっしゃっていますが、具体的にどういう意味ですか。

本田:
「メリトクラシー社会」では学校教育を経て達成されるような能力が人々の社会的地位達成において重視されてきました。これに対して「ハイパー・メリトクラシー社会」で重要視されるのが「ポスト近代型能力」で、問題解決能力や意欲、対人コミュニケーション能力といった捉えどころのない能力が重要化しています。これは努力を通じて達成されるものでもなく、きちんと証明されるものですらありません。むしろ生まれ持った資質や家庭環境などによって形成される能力が有効だといわれ、実際に「ハイパー・メリトクラシー社会」ではそのような能力に優れた人が高い社会的地位を得ます。

RIETI編集部:
このような「ポスト近代型能力」を得るためには母親自身が子供の指導者になることが必要とされている、とおっしゃっていますがどういうことでしょうか。またこれは、ある程度裕福な家庭においてのみの現象ですか?

本田:
母親自身が全生活をかけて子供の指導者・助言者となる必要があると声高に言われ始めています。当初そのような意識の高い人は高学歴の家庭だと思っていました。しかしながら、むしろ相対的に学歴の低い女性の間でそのような意識が強いことがわかり、驚きました。家庭教育の条件に恵まれない女性ほど「うちのような条件の家庭は子供を持っても教育できない」と不安感を抱き、子供を持たない選択をするケースが増えています。

RIETI編集部:
母親自身の人生を犠牲にしないでも子供の地位を達成できるようにするための政策が必要だとおっしゃっていますが、どのような環境、条件を整えることを理想とお考えなのか教えてください。

本田:
現在のように将来に対する不安感が広がり、学校教育に対する不信感も広がっている状況にあっては、普通の公立学校に子供を通わせておけば十分な力を確保できると母親が感じられるような教育政策が必要だと思います。学校は短時間で終わってしまいますので、学童保育の拡充が大切だと思います。公立保育園の場合、先生の職も安定し、保育士の教育もしっかりされており、質は相当高いです。しかし学童保育の場合は資金面で足りなかったりして指導を担当する先生の経歴がさまざまです。もし学童保育で子供が充実した時間を過ごせるという安心感があれば、母親が放課後、子供の面倒を見なくてもすみます。これは教育政策による対応です。また、費用はそんなに高くないが子供を預かって教育してくれる機会があれば良いと思います。ビジネス、社会福祉のどちらが適しているのかわかりませんが、すでに幾つかの地方自治体の学校では子供を放課後預かり、体験学習などをさせてくれるところもあるそうです。このような市場へのニーズは高いと思います。

また、私は「ハイパー・メリトクラシー社会」を肯定しているわけではありません。非常に過酷な社会だと思います。というのは、これまでの近代化社会は、公平性や機会の平等を建前としていた社会でした。しかし「ハイパー・メリトクラシー社会」ではとにかく創造性や個性、発想などが重要視されます。むき出しの経済競争の中でお金を稼ぐ能力がある人が生き残るような社会で、ポスト近代的能力を持っているかどうかで不平等を生みます。特にサービス経済化が進行している中で経済競争に勝ち残ろうとすることで、人と仕事との距離がとても短くなっているように思います。

社会学では感情労働ということがいわれますが、人々は自分の感情、内面まで投入して仕事をやらざるを得なくなってきています。これは接客などのサービス業以外の仕事に関してもそうで、一日のある一定の時間割り切って仕事をして収入を得る、というのではなく、感情の深いところまですべて投入して労働に従事しているという意味でとても苛烈です。これは放置すると進行すると思います。これには政策的、社会的な努力が必要で、専門性という意味での線引きが必要だと思います。柔軟でソフトで捉えにくい「ポスト近代的能力」がまかりとおるような社会ではなく、専門性において人が自分を鎧うことができ、専門性を通じて仕事に参加できる、ある種のバッファーになる、ツールとしての専門性が必要だと思います。

このような社会の枠組みが日本と比べて比較的整っているドイツのような国においても、ハイパー・メリトクラシー化しているという報告があります。日本社会においても専門性をツールとした枠組みを作る必要があると思います。つまり、ポスト近代化能力を保証するような教育政策と、逆説的ですがポスト近代化能力の有無がそれほど問題にならないような専門性を身につけることが必要になるでしょう。もっと身近なことでは、母親だけでなく、父親も家庭環境の整備に参画できるようになれば、母親が家の外で働くための基盤になります。女性の社会における活躍という面からすると母親の肩の荷は軽減されると思います。

RIETI編集部:
母親が子供の教育に時間を割くため、仕事をセーブ出来るようにするにはそれを可能にさせる生活基盤が前提だと思うのですが、昨今の経済情勢との関係ではいかがでしょうか。

本田:
経済情勢は悪化している一方で、むしろ若い女性は労働市場から撤退している、とういう報告があります。既婚者についても就労率が低下しています。妻が働いて生活を支えるか否かという要件と就業機会とのせめぎ合いは微妙な関係だと思います。女性の労働意欲の低下は雇用の質の低下によるものだと思います。

RIETI編集部:
女性が社会で活躍するためには本人の努力が必要なことはもちろんですが、祖父母世代による孫育児の支援などといった、環境的な要因でも女性の社会進出は左右されると思いますが。

本田:
祖父母との同居が、女性の就労に関してプラスに作用するという研究結果は過去にもあります。祖父母が頼りにできるような条件が揃えば良いですが、なかなか祖父母を頼りにできるという女性が趨勢的に増えているとは言えませんし、晩婚化、晩産化が進んでいますので、子供が学童期になったときに祖父母の介護を担うことになる可能性もあり、そうなればかえって大変になりますので、なんとも言えません。また、祖父母の教育方針が、ポスト近代的能力をつけさせたい、という母親の発想とそぐわない場合、家庭内のあつれきを生むことも考えられます。うまく同居を機能させるには祖父母の健康、資質といった幾つものハードルをクリアしなければなりません。

RIETI編集部:
日本では父親の労働時間が長く、なかなか子供の教育を夫婦で分担するのが難しい状況です。父親の労働時間を減らし、逆に母親の育児時間も減らせれば理想だと思うのですが、このような社会的な環境作りに良い方法は何かないでしょうか。

本田:
父親が子供の教育に参加すればより多面的な教育ができます。オランダで「1.5働き」という発想があります。妻も夫も1ずつ働いて2ではなく、夫が1、妻が0.5のパートでもなく、0.75ずつ両方が働いて1.5の収入を得るという発想ですが、実際オランダでも夫が1で妻が0.5という働き方が多いそうです。日本では労働時間はむしろ長時間化しつつあり、マスコミなどでも言われていますが、景気回復局面にあっても自殺が増えている状況です。これは90年代に企業のスリム化が進み、その後仕事は増えたのにスリム化した人員で仕事をしていることからくる過重労働が原因のようです。

RIETI編集部:
日本が真似できるような国際的な成功例はありませんか。

本田:
万能の解決法、秘策はありません。どこの国でも母親はジレンマを抱えながら就労しているようです。制度的環境は国によって違うようで、とにかく性別役割分業感は制度的な環境とは別のようです。そうした意識面へのてこ入れが必要ということで、かなり若い頃から意識啓発を行うことの必要性が指摘されていますが、教育投資をし、能力ある高学歴の女性が社会にでないことが日本では謎とされてきました。

ある研究によれば、女子高校生と大卒女性の意識を分析したところ、高校から大学に進学する時点ではまだ意気揚々としていることがわかりました。しかしその後労働市場に直面したときに意気消沈してしまうそうです。家庭に入った後は自分の状況を納得させるために、性別役割分業だから自分の生きる場所は家庭なのだと自分を納得させているという、意識の動きが長期的な時系列で見られます。それならば高校や大学で女子に対して今まで以上に教育啓発をしたとしても、労働市場の現実に落胆し、家庭に入ってしまう。これは労働市場、職場の問題ではないかと思います。とは言え、学校教育の重要性は確かです。女性科学者(Woman in science)の問題でいうと、アメリカの中学や高校の図書館では女性科学者のコーナーではさまざまな業績が大々的に取りあげられており、それが当たり前になっています。女性の科学的能力は男性に劣るものではない、むしろ高いかもしれない、というようなわくわくするような発想は日本社会ではあまり見聞きしません。個人の意識がどうであれ、直面して幻滅させられるような労働市場の現実がやはり問題だと思います。

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武石恵美子顔写真

本田 由紀 (東京大学大学院情報学環助教授)