政策シンポジウム他

21世紀の農政改革-WTO・FTA交渉を生き抜く農業戦略-

開会挨拶

吉冨 勝 (RIETI所長・CRO)

RIETI政策シンポジウムの開催にあたり、一言ご挨拶申し上げると共に、合わせて主要な問題提起もさせていただきます。

1.21世紀に入りアジア経済の統合が一層急速に進んでいます。FTA(自由貿易協定)はその統合を促進する重要な政策手段の1つです。FTAのメンバーは互いに関税をゼロにする義務を負います。農産物にかかっている関税も下げる必要があります。因みに日本の米の関税率は490%です。だから、日本の農産物関税を下げることが出来ないと、FTAによるアジアの経済統合の促進も滞ってしまう。それに加えて、WTOドーハ・ラウンド交渉では、農産物について一定率(たとえば100%)以上の関税は認められないという上限関税率の設定や高率関税の大幅引き下げが合意されることが予想されます。

2.ではどうすればよいのか。農産物の関税引き下げと農家所得の保護を両立させるためには、一方で農家所得を高関税によって保護することをやめ、他方で関税低下によって減少する農家所得を補填する「直接支払い」を導入すればよいわけです。EUは1990年代の初頭まで、可変課徴金等により域内市場価格を国際価格より高く設定する一方、過剰生産分を輸出補助金によって処理していました。このためアメリカとの間で深刻な貿易紛争を生じました。そこで、1992年に農政改革を行い、穀物の域内支持価格を大幅に引き下げ、財政による農家への直接支払いで農家所得の減少を補いました。

3.しかし、単に「直接支払い」を導入するだけでは、農産物の高価格から発生する現在約4.7兆円の消費者負担を政府による直接支払いという納税者負担に置き替えるだけです。消費者負担であれ納税者負担であれ、全体としての国民負担そのものは減少しないわけです。国民負担が低下しない根本的理由は、農業の効率化が進まず、いつまでたっても何らかの国民負担によって保護し続けなければならないからです。

4.日本では都市と農村の所得格差を是正するため、農産物の高価格政策によって一律的に農家を保護してきました。その結果、構造改革が充分に行われないまま、零細な農業構造が温存され、農業は非効率なままとなっています。そうした高価格支持政策とそこから生じる過剰生産を処理する減反政策との併用の下で、兼業所得を主とする120万戸の零細副業農家が滞留し、主業農家はわずか40万戸に減りました。

ところが、稲作副業農家の年平均所得(2002年)は792万円で、勤労者世帯の660万を十分に上回っています。しかしこの792万円の所得のうち、米作による所得は、12万円にすぎません。他方で主業農家の場合は、平均所得が664万円、そのうち米作による所得が312万円です。

5.日本で農業の効率化が進まない直接の理由は、農家当りの農地が大規模化してこなかったことに求められます。EUと異なり日本では、農地が流動化せず主業農家への農地の集中や大規模化が遅れた理由にはいくつか考えられます。1)不十分な土地利用規制(ゾーニング)です。2)将来、宅地や商業地等への転用によるキャピタルゲインの期待があるため副業農家が土地を手放さないこと。3)米を買うより高米価のもとでは効率の悪い農家も米を作るほうが安上がりとなるため零細農家は農地を貸し出さないこと。4)米価が低下すると規模拡大が十分でない状態のもとでは主業農家の地代負担能力が低下し、農地を借り受けられず、耕作放棄が生じたためです。

こうした理由から生じている日本の農業の非効率性が、一方で世界で最も農業保護主義的であり、且つ減反政策や耕作放棄がみられる中で、他方では食料の自給率が世界で最も低い国になっているという、パラドックス的な現象も生んでいると考えられます。

6.ところでEUでは、価格支持政策が行われる以前から構造改革が強力に実行され、農業の規模拡大、効率化が相当進みました。現在の穀物の支持価格トン当たり101.31ユーロ(120~130ドルに相当)は、本年2月の小麦シカゴ相場(139ドル)を下回っています。今ではEUはアメリカ産小麦に関税ゼロでも輸出補助金なしでも対抗できます。

日本においても、単に関税引き下げに対処するためだけの直接支払いではなく、EUのように、農業の効率化も促す政策が同時に必要なことが分かります。

1つの考えは、農家らしい主業的な農家に限定して直接支払いを交付することです。これにより農地をこれらの農家に集積し、農業の規模の経済を発揮させコスト・ダウンを図ることだと思われます。

直接支払いを主業農家の農地規模拡大を可能にする構造改革と組み合わせるという考えは、かつての1961年制定の農業基本法の考えにも適する農政です。そこでは、農業生産の選択的拡大を伴う農業構造の改革を通して、農工間の所得格差を是正することがうたわれていたからです。

7.しかし、構造改革を伴った直接支払の方法には、次のような批判が向けられています。それをいくつかの大きな範疇に分類すると以下のようになります。
第一は、選別政策だという批判です。副業農家も水路、農道の管理等、地域において重要な役割を果たしているという意見もありますし、同じような理由から集落全体で農地、水路、農道を維持管理し農業を営む集落営農も対象とすべきだという意見もあります。

第二は、米例外論です。WTO・FTA交渉で米(コメ)を関税引き下げの対象から外すことができれば、米は農政改革の対象から外すべきであるという主張です。

第三に、農政改革に必要な費用は既存の農業予算以外から支出すべきであるという意見があります。現在の国の農業予算は2.4兆円、補助金の地方負担も加えると3兆円にのぼります。また、種々の利益の絡まる農業予算を組替えるとすれば相当なリーダーシップが必要になるという意見もあります。

8.以上のような批判に対しては、上の範疇ごとに次のような反論も予想されます。
第一に、対象を限定しないと構造改革は進まず国民負担が高止まりしてしまうのではないか。勤労者世帯の所得を上回る副業農家にまで直接所得補償をすることは認められないのではないか。彼らの農業所得(12万円)は守るに値しないのではないか。集落営農といってもリーダーのいない集落営農は長続きしないのではないか。農地は集落で、農業は担い手で、という考えを採るべきではないか。

第二に、米例外論については最も構造改革の遅れている米を改革の対象から外すのであれば、農政改革とはいえないのではないか。交渉とは関係なく(交渉で一部品目について例外扱いが認められたとしても)我が国も日本農業それ自体に内在する問題に対処するために改革を行う必要があるのではないか。

第三に、財源については、現在の日本の財政状況や急速に進む高齢化問題を前に、新たな税源を捻出できる状況ではなく、また、別に財源を求めるのであれば国民の負担の軽減にはつながらないのではないか、といった再批判もあります。

9.今日はOECDのケン・アッシュ農業局次長もお招きしています。私も1980年代なかばに3年ほど一般経済局長を務めたことがあります。世界最高のシンクタンクであるOECDは2年前、世界の農政改革の経験も踏まえながら望ましい農政改革の姿を提案しました。今日はその提言内容のみならず日本と他のOECD加盟国との農政の違いについても説明していただけるものと思います。また、本日は農業政策、通商政策等の分野で日本ではこれ以上の行政・学識いずれも優れた経験をお持ちの方はいらっしゃらないという方々にお集まりいただきました。このようなメンバーが一堂に会することはなかなかないことではないかと思います。皆様、本当にお忙しいところありがとうございます。OECDの提言も踏まえながら、日本が採るべき農政改革、特に日本型直接支払いの姿について突っ込んだ議論がなされることを期待しています。

10.この経済産業研究所(RIETI)は、日本経済が当面する最も重要な政策課題について研究し、考えられる政策についての賛成論と反対論、つまりpros and consを客観的、分析的に明示し、専門家、有識者、そうして国民に貴重な判断材料を提供することを大きな目的の1つにしております。このシンポジウムがこの目的へ一歩でも接近することが出来れば、RIETIにとっても最大の収穫であります。

これをもちまして私の挨拶とさせていただきます。