政策シンポジウム他

日本の財政改革:国のかたちをどうかえるか

イベント概要

  • 日時:2004年3月11日(木)・12日(金)
  • 会場:国際連合大学(東京都渋谷区)
  • 開催言語:日本語
  • 第8セッション:総括討議

    第8セッションでは、参加者全員によるディスカッションが行われた。

    青木所長は、経済産業研究所はこれまで、研究所全体としての政策提言ということはせずに、個人の研究ということを重視してきたが、これは経済産業省から一括交付金を頂いている研究所として、とげのなくなった議論が行われてしまわないための工夫だったと述べた。このプロジェクトの成果については、一般の国民の人々に知らせていきたいこと、プロジェクト参加メンバーの研究成果をもとにした政策提言をプレスリリース[PDF:132KB] の形でプロジェクトリーダーの責任によって示したが、これを材料として議論を進めて頂きたいと述べた。全体のこれまでのまとめとして政策提言についての説明の後に、予算プロセスの組織的な配置の問題、地方財政改革の進め方、財政運営の市場規律の問題を中心に議論をしてもらいたいことを述べた。

    森信教授からは、消費税の導入と改正の経緯が説明され、その上で、これまでの日本の税制改正が、インナーといわれる党税調と財務省主税局だけで行われてきたわけではないとの主張をした。その歴史は、与党と野党の政策のすり合わせの歴史であったとした。経済財政諮問会議がもうひとつパワ-不足なのは、与野党とのすり合わせを行わない、あるいは行う必要がないことによると述べた。結局、国会での議論が一番透明性が高く、そこで議論ができる仕組みを作っていくことが重要であるとのコメントをした。これに対して、青木所長は、予算の過程を、全体の枠をはめる、優先順位を決める、具体的な予算編成をする、それを実行するという4段階に整理したときに、消費税という大きな事案については、全体の枠の話ということになるだろうと感想を述べた。続いて、これらの過程の各々の段階をどのような機関が担っていくべきかということについての議論をして欲しいと提案した。

    飯尾コンサルティングフェローは、大枠ということを考えるに当たって、政治の要素を考慮せずに議論することはできないとし、国会という場で超党派合意ということをする際にも、有権者の中である程度決着をつけられると述べた。組織的配置ということについては、現在の日本は意思集約をしにくい仕組みの下で集約をしようとしていること、今の行政機構は期待されている機能と実態が異なっていることからうまく機能していないことを述べた。岸本周平コンサルティングフェロー は、予算は政治的なもので、それを改革するには政治的なリーダーシップが必要であると述べた。また、財務省は資源配分ということを目的としてこなかったし、その役割もなかったことから、内閣府なり内閣官房なり、どこか別の組織が政治的リーダーシップによって、予算の配分機能を担うべきだとの提案をした。ただ、予算配分機能を財務省から奪うことは、抵抗が予想されるため、その代替物として資金のコントロールを担う国内金融の企画部門を財務省に戻すということがよいのではないかと述べた。

    青木所長から、政策的な優先順位を決めて予算の大きな枠を作る作業と、各省庁への配分の作業は、組織的に分けた方がよいか、また実際に各国ではそのようなルールやモデルの推定などということはどのように行われているのかとの質問が田中コンサルティングフェローになされた。それを受けて、田中コンサルティングフェローは、世界の財務省はマクロ政策を担い、それらの機能はまとめられているが、日本の場合には経済企画は内閣府、金融の企画は金融庁、予算は財務省というように分かれてしまっているという不幸な状況にあると述べた。また、政策提言へのコメントとして、細目の執行と配分は各省庁に分権化するという際には、それは裁量的経費のことを通常いっており、義務的経費に関しては査定をしっかり行う必要があると述べた。

    その後、青木所長は、地方財政について地方財政自主権と自己責任の確立についての改革の道筋はどのように考えているかとのコメントを小西教授に求めた。小西教授は、ベースに官僚不信があり、政府がガバナンスできないから地方分権するという議論はおかしいとの認識、財政は基本的には権力構造であり、機能論では語りきれないとの印象を述べた。その上で、たとえば義務教育のように、国から地方への政策の大枠を決めた上で、地方自治体が実行責任を負うときには、現在の財政制度はけっして悪いとはいえない。もし地方税だけで賄うという方向に地方財政をもっていくのであれば、国はその業務については地方に責任がないということを明確にすることが先であると述べた。結局、地方財政改革ということは地方財政計画を今のものと変えていくということだが、その議論はこれまであまり行われず、今日はその入口の議論だとの認識を示した。土居コンサルティングフェローは、地方財政の問題の中で、国と地方の役割分担を明確にせずに、収入源の話をしても意味はないと述べた。小西教授の指摘のように、義務教育はやはり国がちゃんと資金を保障すべきだろうとの同意を示した上で、国と地方の役割分担の基準としては、ナショナルミニマムということなのではないかと述べた。また、自身の土居報告の中で収入ということにこだわったのは、地方の予算が国全体の予算制約をソフト化しているということが問題であるとの観点からなされたものであると述べ、地方財政計画は国全体の予算制約のソフト化を誘発するものであるとの認識を示した。喜多見コンサルティングフェローは、国と地方の役割分担という議論において、現在は国と地方の分担が多様に決められており、法定受託事務と法律で決まっているものもあれば、地方交付税の基準財政需要額を定める形で決まっているものもあり、また、補助金を交付することで国の事務が決まっていたり、各省庁の地方事務所という形でなされているものもあると指摘した。この点を総務省に一元化した上で、それから国と地方の役割分担が議論できるだろうと述べた。

    次に、青木所長から財政運営に対する国債からの市場規律についての議論が促された。北村教授は、国債発行による市場規律において、中央銀行が役割を担うというのは少しおかしいとの認識を示した。国枝助教授からは、アメリカのクリントン政権時のグリーンスパン議長は、財政再建は重要であると述べながら金融緩和を行っており、結果として、財政再建による経済への影響をソフトランディングさせ、財政再建が成功したとの逸話に言及し、そのような方法の方が望ましいのではないかとの感想を述べた。鶴上席研究員は、渡辺報告は市場が完全であるとの新古典派的世界観が提示されているが、国債が実際に消化できるかという問題については、これまでの経済学では見落とされがちで、これも制度、政治過程ということと関連しているのではないかとの問題意識を示した。また、渡辺報告における金融政策についてみると、一方で財政赤字という明確な指標と、もう一方で、自然利子率という観察が難しい指標を用いているが、そのような中で中央銀行はどのように短期金利を誘導していくのかということについての疑問を提示した。横山上席研究員は、国債のように日本の市場だけでマーケットが成り立ってしまうと、市場規律は働かないのではとの感想を述べた。川本氏は、人々が財政再建において市場規律ということを認識しているかということについては疑問を感じると述べた。現在の日本の制度は、たとえば、地方債の暗黙の保証のように、逆に市場規律を失わせる方向にはたらいているのではと述べた。また、官僚に対して、自分たちの能力の限界をしっかりと評価した上で制度設計を考えて欲しいと述べた。北村教授からは、資金も民から官に移り、銀行も国債を買うことで資金を市場には流さず、市場の機能が退化していることから、その機能をいかに回復するかが大切だろうとの意見がなされた。その上で、日銀のゼロ金利政策は、長く続けすぎれば、市場の規律を失わせてしまうことから、その点についてはバランスが必要であろうと述べた。土居コンサルティングフェローは、ゼロ金利政策の下では価格調整は働かず数量調整に依存しており、買いオペなどの操作が存在することが金利を通じた財政規律の機能を難しくしているため、ゼロ金利政策から脱して価格調整が働くようにならないと、金利を通じた財政規律は働きにくいのではないかと述べた。

    最後に、青木所長から、参加者から貴重な意見を頂いたことに対する謝意が表明され、今後の研究に生かしていくつもりである旨が述べられて、シンポジウムが締めくくられた。

    (文責:RIETI研究スタッフ 木村友二)