RIETI政策シンポジウム

Asian Economic Integration- Current Status and Future Prospects -

イベント概要

  • 日時:2002年4月22日(月)・23日(火)
  • 会場:国際連合大学(東京都渋谷区)
  • 開催言語:英語
  • 進みゆくアジア経済統合 - 制度進化の過程に見る「雁行形態」とは?

    青木 昌彦(経済産業研究所所長・スタンフォード大学教授)

    青木昌彦ここにANEPRの第一回ラウンド・テーブル・コンファランスを開きたいと思います。今年のテーマは「アジア経済統合ー現状と将来の展望」です。まず第一に主催者のRIETI(経済産業研究所)を代表して、われわれの招待に応え、このテーマに関してRIETIのフェローと意見を交換するため、はるばる外国から来てくださった参加者の方々に、歓迎と感謝の意を表わしたいと思います。参加者の方達が用意してくださったペーパーの草稿を読んで、すでにこの会議には、実り多い議論とテーマに関するより深い理解とが約束されているように思われます。このテーマは疑いもなく、今日のアジアにおいて、またさらにそれを越えて、最も重要な公共政策の課題となりつつあります。

    RIETIはその創設時から、アジアにおける研究者と政策担当者のあいだの対話がますます重要性を帯びるであろう、と認識してきました。それはアジア経済の移りゆく状態について理解を深めるとともに、この地域における安定的で効率的な協力、統合、そして競争に導くという点で相互利益となるような政策の選択肢を探求する上で、有益であると考えられるからです。ANEPR(Asian Networking of Economic Policy Research)はそうした対話を促進し、維持するために構想され、昨年の一月にはRIETIの創設に先立って実験的なコンファランスがもたれました。今日のコンファランスは、これから毎年開かれるであろう正式のコンファランスの第一回となります。

    日本、NIES諸国、中国のGDPの合計は、米国の約9割に相当します。かくしてASEAN諸国も含めたアジア地域は潜在的に大きな経済圏を形成していますが、経済や政治のフォーマルな統合という点では北米やヨーロッパにずっと立ち遅れているように見えます。しかし、このコンファランス、特にその第二セッションで発表される論文では、貿易や対外直接投資という点では、これらの経済がますます強く結びつけられつつあることが示されています。とりわけ中国の高度経済成長をその原動力として、デファクトの経済統合が始まっているといえるでしょう。これらの国々の経済は以下の点でも、これからますます相互作用を強めていくでしょう。それらは、

    • 国境を越えた「人」の流動化(旅行者、研究者や学生、企業家や技術者、労働者など)
    • 輸送や通信インフラの開発における競争と戦略的提携
    • 環境破壊の外部効果
    • 技術移転と知識の伝播
    などです。

    このコンファランスで議論される重要な問題の1つは、「東アジア経済は同一市場を巡って競争しているのか。それとも資源賦与量の相対的構成や分業の観点から補完関係にあるのか」ということでしょう。たとえば、昨夏、日本では現れたと見える中国の産業発展の現実に突如として驚き、それを日本の製造業の優越にたいする「脅威」と捉える論調が現れました。しかし、その後、人々はバランスのとれた見方をし始めるようになり、最近小泉首相が海南島で開催されたボアオ・アジア・フォーラムで行ったスピーチ でも「中国は日本にとって脅威ではなく、中国の安定した経済成長は近隣諸国の経済にとっても利益になる」と述べられています。「比較優位の経済法則」にそっても、労働集約的製品が日本から中国にシフトするのは避けられないし、他方日本が競争力を維持するにはより高付加価値製品へと向かわねばならないことは明らかです。

    日本の長引く不況によって、東アジアのさらなる経済統合に歯止めがかかり、統合に向けて、日本が本来発揮すべき政治的、企業家的イニシアティブが発揮されず、当該地域が保護主義へと陥りやすくなるのではないか、と憂慮する人々がいます。しかし、日本の不況とアジア経済統合の関係性について私は異なった見方をしています。日本の現在の問題は単にマクロ政策の失敗から生じたものではなく、国際社会におけるより緊密な相互作用の時代に、日本がその制度様式を適応させるという、重要な制度転換の時期に入った兆しとして捉えられないでしょうか。残念ながらこのプロセスの進み方は、私がそうありたいと思っているものより、遅すぎます。にもかかわらず重要な変化が起こり始めています。日本の制度変化は、もしそれが正しい方向に向かうならば、東アジア地域の安定的で効率的な経済統合を促進するでしょう。逆にこの地域で現在進行中の自然発生的な市場統合は日本の制度改革の軌道をよりオープンなシステムへと向かうことを促すと思われます。

    私は制度を単なる成文法、規制あるいは組織以上のものであるとみています。もし単に法規制や組織にすぎないならば、制度は専門家やエリートによる政治的な意思や意識的な組織デザインによって簡単に変えられうることになります。日本の制度変化の遅さを批判する人々は、そういう見方を摂っているのではないでしょうか。社会変化が生じるにあたっての政治的リーダーシップや合理的な組織のデザインの重要性を否定しようというのではありません。しかし、法律、規制や組織デザインは、幾多の経済主体者がそれらに戦略的に反応し、それぞれの選択を行うならば、時として意図しなかった社会結果を生み出すことがあります。

    私は制度を「実際にゲームがどのように行われているかについて、経済主体間で共有されている了解」と概念化したいと思います。そのような了解がなぜ、人々の間で共有され、維持され、それによって含意されるゲームのルールが自主的に守られるかというと、それは政府を含めたすべての経済主体の戦略的行動の均衡形態を反映しているからです。実際のところ、日本のメインバンク・システムや終身雇用制は制度そのものと考えられますが、それらは少なくとも最初の段階では法律や契約で定められたものではありませんでした。それらは自然発生的に創発し、普及し、人々によってゲームのプレイの仕方として自然に確立されたものです。さらに、経済・政治・組織などのさまざまな領域において人々によって主観的にベストの戦略として選択される行動には相互依存性があるが故に、多様な複数個の均衡があり得ることになります。経済学者のあいだだけで通ずるような特殊な専門用語を用いれば、制度的補完性は制度様式の多様性を生み出す、ということです。どのような状況にあっても存続可能で最適であるような、たった1つの制度様式が存在するということはあり得ません。

    こうした制度の概念化については私は近著『比較制度分析に向けて 』で詳細に述べていますが、それは制度変化の複雑さを理解する上で有用だと願っています。制度変化のプロセスは人々が現存するゲームのプレイの仕方に関して確信を失ったときに、その引き金が引かれるといえます。このような集団的な認識の危機は、外部からの大きな衝撃、内部の摩擦や矛盾の集積、あるいはその両方が合わさった時に引き起こされるでしょう。しかし、そのような危機から新たな制度様式が生まれてくるのはそう簡単なことではあり得ません。法律と規制は危機に対応して書き直されるでしょう。私的な領域で組織や市場の新しい方法が実験され、進化的に選択されていくでしょう。望むべき変化の方向性について競合するアイディアが公に述べられ、また議論されるでしょう。政治的リーダーシップも重要な要素でしょう。これやあれやのファクターの複雑な相互関係を通じてのみ、多くの変化の可能性の中から、特定の1つに焦点が絞られて行くことになるでしょう。新たな制度様式は、このようにして、新しいゲームのプレイの仕方について人々の予想が収束することによって生まれてくると考えられます。しかし、すべての個人がイデオロギー的にそれを承認するとか、そこから利益をうる、といったことはないかもしれません。

    東アジアは現在、このような意味で全体として大いなる制度転換の中にあると考えられないでしょうか。一国における制度変化は、増大する貿易や海外直接投資、国境を越えた頻繁な政治・学術・個人的コミュニケーションを通じて、域内の他国経済の制度変化のプロセスに大きなインパクトをもたらします。しかし、このことは必ずしも、アジア諸国の制度変化のプロセスが即座に経済統合や政治統合を通じて1つのパターンに収束するということを示唆するものではないでしょう。しかし同時に、この地域の制度進化において、おしなべて或る一般的な特徴があり、それは共通した(農業的な)伝統に基づいている、という仮説が立てられるかもしれません。

    アカデミックな世界や一般向けの書物で、東アジアの経済発展の特徴的なパターンを指して、「雁行形態」と表現されることがあります。実際このコンファランスで発表される論文の中にも、中国の工業発展と日本の産業基盤の空洞化によって「雁行形態」がついに崩れ始めたのではないか、という現在の論争について触れたものもあります。故赤松教授に遡る「雁行形態」の最初の考えも、最近の議論も、アジアにおける国と国との間の産業発展の段階的発展の差異に関わるものでした。すなわち、日本が産業発展の先頭をきり、その他の国が順次、ちょうど雁の集団的な飛行パターンのように、それに続くというものです。しかし、制度進化についても類似した考え方を適用することが出来ないでしょうか。そこでまず、次のような産業発展とそれに対応した制度様式の進化段階を仮定してみましょう。

    第一段階:これは、工業発展のために、政府の介入によって農業部門から工業部門に資源の余剰が移転される段階です。政府は特定の産業集団(実業家)を選んで、資金の供給を行い、それを援助します。農村部門の犠牲の上に成り立った、一枚岩的な政府とエリート企業集団のこの結託を、「開発国家」と呼ぶことが出来ます。この国家の開発効率性は、実績に基づいてのみ企業集団に補助金を与えるという、政府のクレディブルなコミットメントが存在するか否かによるでしょう(青木、前掲書第六章)。この段階では、工業部門でも、政府と同型に、権威的な組織アーキテクチャが生じるでしょう。

    第二段階:工業発展が成功するにつれ、社会の安定のために、発展成果の一部を用いて低生産性部門や農業部門にむけて補償が行われるようになる段階です。この段階は政府によって媒介された一種の経済多元主義として特徴づけられるでしょう。企業産業部門においては労働者をも含んだインサイダー・コントロールが進化するかもしれません。そうした企業の効率性は、業績が悪化した場合にインサイダー・コントロールに対して外部者による確かな介入が行われる、というメカニズムの存在如何に左右されるでしょう(いわゆる「状態依存的ガバナンス」青木、前掲書第十一章を参照)。

    第三段階:経済が国際間の産業力競争で追随者に追いつかれるにしたがい、低生産性部門を保護するために用いられる工業力基盤は堀崩され、政府によって媒介された多元主義は維持可能でなくなるでしょう。そうすると生産性の低い部門や慣習を徐々に縮小させることが不可欠になります。そのような構造改革の試みから生ずる利益対立は、政治の領域における多元主義的競争に反映されることになるでしょう。

    こうした産業的・制度的発展パターンの特徴付けは、いまだきわめて原初的な仮説・試案の段階にあり、実証的検証を通じて精緻化されなければならないことは当然です。また3つの段階は実際には必ずしも明確に区別できないかもしれません。それぞれの経済においてそれらが互いに複雑かつ特異に絡み合っている可能性があります。しかしながら、以上の仮説は東アジア経済圏における産業、制度の発展パターンの重要な側面を捉える上で、予備的ではあるが有用な概念的な枠組みを与えるかもしれません。たとえば、最近の中国政府による農村再開発政策の強調や民営企業の企業家への共産党の門戸開放などは、第一段階から第二段階への移行を暗示しているとはいえないでしょうか。すなわち、中国国家は西洋型の自由民主国家とは異なっているが、利益媒介型多元主義の機構に変わりつつあるのかもしれません。

    韓国の朴政権下では開発の第一段階の特徴がみられました。その後、韓国の政治的レジームは徐々に第二段階の要素を含む形に移行していきました。しかし企業の組織構造は必ずしも新段階に適応せず、また交渉力のバランスが政府よりエリート企業集団に有利に傾くにつれ、後者は外部の規律からますます自由になってしまいました。このような効果的なコーポレート・ガバナンスの欠如が、1997年の金融危機の一つの原因であったと考えられます。最終的な結果は予測できないというものの、金融危機は韓国が第二段階から第三段階へ移行するきっかけとなったと言えるでしょう。まさに第二段階レジームの脆弱性や矛盾が、危機に対するより決定的な(ビッグバン的な)制度的解決法の模索につながった、と考えるのは興味深い仮説でありうるかもしれません。

    日本に関しては第一段階から第二段階への移行期はなかなかに特定し難いようにみえます。とはいえ、最も洗練された行政的多元主義が形成されたと考えられるのは、1960年代末の環境危機とそれに伴った政治危機の後といえるでしょう。私はこの政治経済制度を「官僚制多元主義」ないしは「仕切られた多元主義」と特徴づけ、その本質と含みをさまざまな場所で分析してきました。1988年という時点で、展開しつつある国際環境の下で生産性の低い部門を保護しつつ、生産性の高い部門の競争力を維持することの困難さを指して、「官僚的多元主義のジレンマ」と私は呼びましたが、不幸にもこのジレンマに対する社会的解決法はいまだに見つかっておらず、私が予測したように問題は悪化しています。韓国とは対照的に、高度に洗練され、緊密に結合された第二段階の日本の制度様式が、かえって第三段階に移行することを困難にする慣性として働いているようにも思えます。

    かくして制度的雁行形態の先端を飛行していた雁には、その行く先に迷いがみられるようにも見えます。しかし、それはやむを得ないことかもしれません。なぜなら第三段階への飛行の地図は、まだ誰にも明瞭に描けていないからです。しかし、薄明かりのなかを試行錯誤の飛行を続けるうちに徐々に視界が開けてくるのかもしれません。その兆候はあるようにも思えます。

    たとえば--

    政治において:民間の利益団体(業界)、所管官庁、族議員の間の仕切られた結託を通して行われる業界内部の局所的な政策決定は、市場開放が進むにつれ、他部門に外部不経済をより頻繁に及ぼすことになります。これは仕切られた多元主義の政治基盤を弱体化させるかもしれません。たとえば、昨年、中国からの農産物輸入増加に対するセーフガードの正式発動は、被害を受けた農民や関係族議員の圧力にも関わらず、見送られました。もし実行すれば、中国の報復によって工業部門が外部的影響を受ける可能性のあったことが、最大の理由です。この問題は二国間における交渉によって解決されましたが、今後両国が合理的な交渉慣行を構築できれば、より安定的な市場統合が進められるでしょう。

    組織アーキテクチャに関して:情報通信技術の発展により、大規模組織による排他的な情報処理や組織内情報共有の価値は低下しています。モジュラー化された組織は、同様な組織と結びつくことによって、より早く情報を処理し、イノベーションや新ビジネス慣行を柔軟に創出できるようになります。日本では既存の企業は新しい市場や技術環境に適応する独自の組織慣行を往々にして、なかなか発展させえないでいます。というのも多くの企業が過去の成功の神話に囚われているからです。ですが、その一方で、国際分業を用いて組織アーキテクチャを柔軟なモジュラー型にする企業も少なからずあります。

    市場において:近い将来に飛躍的な大学改革が実施されるので、大学から産業への円滑な知識移転のみならず、新しい仲介機関の助けも借りて産学間の人材の移動が促進されるでしょう。こうしたことは一般的に終身雇用の規範を侵食することになるでしょう。労働移動性が高まれば、既得権益を守るべく形成された業界団体の価値と、ひいては仕切られた官僚的多元主義の価値を下げるでしょう。また、日本の市場や組織ドメインへの海外からの新規参入も促進されるでしょう。

    規範に関して:若い世代の間では組織に対する忠誠心が揺らいでいます。かわって職業人としての新しい規範のようなもの(ネチズン規範、ボランティア活動等)が進化しています。このようなタイプの規範が国境を越え、共有されるようになると、経済統合に貢献するでしょうし、その逆もあり得るでしょう。アジアの若者の間で共有されるポップカルチャーはこのような兆候として認められうるかもしれません。

    これらの兆候は、日本で新たな制度様式を生み出すほどの勢いにはいまだ至っていません。しかし日本の制度変革とアジアの統合との間に存在するシスティミックな補完性の存在が示唆されます。日本以外のアジア各国の制度変革とアジア統合の間にも、それぞれに固有の補完性が存在するに違いありません。このコンファランスにおいて、このような可能性について学ぶことを、私はとても楽しみにしています。私が1つ確信していることは、近隣諸国における発展状況や、市場とその他の制度メカニズムの相互作用を考慮せず、それぞれの国が個別に制度変革の性質を理解し、合理的な公共政策を打ち出すことはもはや不可能だということです。この状況はほんの5年前に起こった金融危機以前には、それほど明らかではなかったことともいえます。

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    (2002年4月22日、第1回ANEPR・ラウンド・テーブル・コンファランスにおける英語オープニング・リマークの翻訳)