企業活動が国境を越えて拡大する中、「サプライチェーンにおける人権尊重は、企業の社会的責任にとどまらず、経営課題としてもその重要性が高まっている。国連「ビジネスと人権に関する指導原則(以下、国連指導原則)」や「経済協力開発機構(OECD)責任ある企業行動に関する多国籍企業行動指針(以下、OECD多国籍企業行動指針)」などの国際基準が企業活動における人権尊重の指針として広く用いられている中、近年、欧州を中心に法規制を通じてデュー・ディリジェンスといった人権尊重の取組を求める動きが進んでいる。
もっとも、法施策は常に一方向に強化され続けているわけではない。EUでは2024年に企業持続可能性デュー・ディリジェンス指令(CSDDD:Corporate Sustainability Due Diligence Directive)が採択されたが、2026年2月、規制負担の軽減と競争力強化を目的とする「オムニバスI(第一弾)」の簡素化パッケージがEU理事会で正式承認され、適用閾値の引き上げや要件の簡素化が決定された。このような動きは、企業を取り巻く環境が複雑化していることを示している。
こうした揺らぎがある中にあっても、企業活動における人権尊重の要請そのものが一概に弱まったとは言い難い。国連指導原則やOECD多国籍企業行動指針は各国の政策や企業実務に浸透しており、取引先選定やサプライヤー評価においても、人権リスクへの対応はますます重要になっている(注1)。こうした状況下で問われるのは、制度に対応すること自体ではなく、その取組をどれだけ現場の改善につなげ、ひいては企業やサプライチェーン全体の価値向上に結びつけられるかという点である。
形式的対応から見える課題
人権デュー・ディリジェンスへの対応が企業実務に広がっていく一方で、その実施のあり方が改めて問われている。企業が内部方針やコンプライアンス体制を整備したとしても、労働条件の改善や被害への対応といった実質的な変化につながるとは限らないとの指摘がある(注2)。
形式的な実装の問題は、企業内部にとどまらず、サプライチェーン上の取引関係においても顕在化しやすい。実質的なリスク対応よりも、遵守の証明を重視した文書提出や是正要求が中心となる場合、サプライヤーに過度な負担を与え、形式的対応や問題の隠蔽(いんぺい)につながり、かえって人権リスクの早期把握や改善を困難にする恐れがある。また、サプライヤーが人権尊重の重要性を理解していない場合、要求事項を満たすこと自体が目的化し、形式的な書類提出に偏りやすく、現場の改善に結びつきにくい側面もある。
さらに、企業自身の購買行動が人権リスクにつながり得る場合、サプライヤーに是正を求めるだけでは根本的な解決にはならない。こうした点は、国際労働機関(ILO)とEthical Trading Initiative(ETI)が、2016~2017年に実施した調査からも示唆されており、短納期や価格圧力といった購買慣行が、労働条件に影響を及ぼす可能性が指摘されている(注3)。加えて、地政学的要因などに伴う追加コストがサプライヤーへ転嫁され得る事例も報告されており(注4)、制度対応だけでは市場要因への対応は容易ではないことを示唆している。
「協働」の必要性
実務面での課題意識は政策・制度の動向にも表れつつある。例えば、ドイツのサプライチェーン・デュー・ディリジェンス法(注5、注6)においては、企業が自らのデュー・ディリジェンス義務をサプライヤーに過度に転嫁する契約慣行に警鐘を鳴らしており、サプライヤーからの契約上の保証に過度に依拠し、それをもって自ら行うべきリスク分析やデュー・ディリジェンス義務に代えることはできないと指摘している。企業は、リスク分析の結果に基づき、サプライヤーとの協働を通じて、適切かつ有効な予防措置を講じることが求められている。また、EUのCSDDDにおいても、企業はビジネスパートナーとの関与・協力を通じてデュー・ディリジェンスを実施することが重視されており、契約上の保証は、当事者間の役割の分担を明確にしつつ、指令上の義務を一方的に移転することのない形で設計されるべきものと位置付けられている(注7)。もっとも、保証を求める対応は、バイヤー企業側のリスクを一定程度低減し得るものの、零細サプライヤーが直面する経営上の制約を解消するものではなく、根本的な解決にはつながらないとの指摘もある(注8)。ここに、制度対応の限界がある。
こうした議論は、人権デュー・ディリジェンスが「チェックリスト型」の対応ではなく、企業の事業活動や意思決定のあり方を継続的に見直すプロセスとして理解されるべきことを示している。この理解に立つと、重要なのは、サプライチェーン全体で課題を共有し、改善を共に進めていく姿勢であり、その前提となる信頼をいかに醸成していくかである。
協働型アプローチ:日本産業界における取組
サプライチェーン上のリスクが複雑化する中、日本企業では、現場と向き合い、共に改善する協働型のアプローチが見受けられる。アパレル分野では、一般社団法人日本アパレル・ファッション産業協会(JAFIC)が、工場の可視化を進め、人権が守られているかを確認するために、会員企業が共通で使える「CSR工場監査要求事項」(チェックポイント)を整備している。注目すべきは、問題があった場合に直ちに取引を打ち切るのではなく、取引先と共に是正し、改善を図るという姿勢を重視している点である(注9)。
日本の電機・電子業界におけるJEITA(電子情報技術産業協会)の「サステナブル調達パートナーシップ構想(SPP)」(注10)では、業界横断で持続可能な調達の土台を築く取組を進めている。同構想は、中小企業に対する人権方針策定の個別支援等を提供し、「方針をどう書くか」、「どこからリスク評価を始めるか」といった初期段階のつまずきやすい部分に寄り添いながら、伴走型の支援を行っている。また、大企業と中小企業が課題を共有し、「共に改善する」関係構築を重視している。
JAFICとJEITAのアプローチは、業界団体として、監査や是正要求に偏らず、バイヤー、サプライヤーにおける協働を重視し、サプライチェーン全体の改善を進めるという点に特色がある。協働を通じて信頼を蓄積し、その信頼を基盤に情報共有と改善を進めるという点において、実装段階における課題に応える実践例として位置付けられるのではなかろうか。
おわりに:人権デュー・ディリジェンスを「行動変容のプロセス」として捉える
人権デュー・ディリジェンスは、制度への対応にとどまるものではなく、企業行動そのものを問い直し、変えていく。制度対応の強化だけでは、複雑化するサプライチェーンにおける人権課題を十分に対応しきれない場合がある。企業が自らの行動や取引慣行を見直し、サプライチェーン全体で学び合い、改善を積み重ねていくことが不可欠である。協働型アプローチは、サプライチェーン上の主体間に信頼を蓄積することを通じて、デュー・ディリジェンスを企業の行動変容を促す実践的な枠組みとして位置付けられる。日本の経験を国際社会と共有することは、アジアを含むグローバルなサプライチェーンの持続可能性向上に向けた実践的示唆を提供するだろう。