京都議定書CDM事業の破綻とその波及-「炭素恐慌」が残したもの-

戒能 一成
研究員 / 気候変動枠組条約京都議定書CDM理事会・理事

破綻した最初の国際炭素ファイナンシング事業

京都議定書CDM(Clean Development Mechanism)とは、1997年に京都で採択された京都議定書第12条が定めた世界最初の国際炭素ファイナンシング事業のことである。締約国会議とCDM理事会が定める規約や方法論に従い、途上国での省エネ・新エネなどに投資し排出削減が確認された場合に、投資事業者はCER(Certified Emission Reduction)というクレジットを得られるという仕組みとなっている。制度創設当時の目的は、途上国への投資によりクレジットを買えるようにすることで、京都議定書で排出削減義務を負うEUや日本の目標達成が容易となるよう措置することにあった。

CDM事業により発行されたCERは世界の主要な商品取引所で取引されてプライシングが行われ、第一約束期間当初の2008年には1t-CO2当25ユーロの最高値をつけた。制度創設から京都議定書の第一約束期間末である2012年迄の期間に、CDMは累計約6,600事業が登録され、合計約12億t-CO2のCERを発行する実績を上げるなど、当初の制度運営は順調そのものであった。CERの発行が増えるに従いCERの価格は1t-CO2当10ユーロ程度迄徐々に下落したが、これはCERの需給を正常に反映したものであったと考えられる。

ところが第一約束期間末の2012年にCER価格は一挙に暴落し、1t-CO2当0.5ユーロ前後の屑値となり、ついには全く価格がつかなくなるという「炭素恐慌」状態に陥ってしまった。世界最初の国際炭素ファナンシング事業はわずか5年で破綻してしまったのである。本稿では、CDM理事会理事として破綻の一部始終を経験し、今なお事業の運営に腐心している筆者が見た破綻の背景と波及について私的見解を述べておきたい。

2012年「炭素恐慌」の背景

2012年にCDM事業を襲った「炭素恐慌」の背景は、主として買手側が起こした問題であり、1)EUにおけるCERの利用禁止という「炭素鎖国」政策と、2)日本の京都議定書上の数値目標からの離脱政策により、CDM事業への市場の信認が失墜したことにある。

EU委はCDM事業と並行して、域内排出割当・取引制度であるEU-ETS制度を運用していたが、旧東欧諸国の経済不振を背景に域内排出権EURの価格低迷に悩まされていた。EU委は旧東欧諸国への手厚い排出割当が設備投資を誘発し、経済活性化と失業緩和の一助となる「欧州版グリーンエコノミー」の実現を目論んでいた。ところが旧東欧諸国で実際に起きたことは、手厚い排出割当の対象となった石炭火力と炭鉱が次々と閉鎖されてロシアからの廉価な天然ガスに転換され、余った排出権と失業者が域内に溢れ返るという悪夢のような事態であった。このため、当初EU委はCERをEURの代わりに利用することを認めていたが、EURの価格引締めの一環として2012年からは将来に亘り低開発国(LDC)以外のCERの利用を禁止するという、ブロック経済を彷彿とさせるような「炭素鎖国」政策(注1)を公表した。

日本についての説明は不要であろう。2011年に発生した東日本大震災・福島第一原発事故により、全ての原子力発電所が停止する事態となったことを背景に、2012年以降の第二約束期間に京都議定書上の数値目標を持たないことを政治決定した。当然にCERも買わないこととされた。

従ってEUと日本の政府の意図せざる連携プレーにより「炭素恐慌」が引起こされ、CER価格は暴落し事業は破綻してしまったのである。

世界最初の国際炭素ファイナンス事業の清算開始

2013年最初のCDM理事会は、「破産企業の債権者集会」のような殺伐とした雰囲気であった。途上国の理事からEUや日本の姿勢に激しい非難が投げつけられた。黙って聞いているのも癪なので、米国の硫黄酸化物排出権取引制度(注2)を参考に小生から以下のような提案を行った。

1)任意償却制度の創設:当時CERは京都議定書上のEUや日本だけが買手となる制度であったが、2013年以降は買手の制約を完全に撤廃し、地球上の如何なる企業・個人でもCERを直接購入・償却できるようにする「任意償却:Volunrtary Cancellation」制度を創設すること、というものである。勿論これで12億t-CO2のCERの在庫が全部捌ける訳ではないが、理事会としてわずかでも実施できる方策は講じるべき、という見解は共感を得た様子である。

当該提案に毒気を抜かれたのか理事会の空気は一変し、他の理事や事務局幹部から2)途上国・国際機関などへのCER利用推奨の実施、3)サッカーなど国際イベントの炭素オフセットへのCERの売込みといった、CDM事業の清算を円滑にするための方策が次々と提案された。途上国理事の強い意見により「清算」という用語は使わなかったものの、2013年からのCDM事業は事実上の清算に取組むこととなった。

従って少なくとも2013年の時点では、誰もCDM事業が思わぬ援軍により清算を終えて今日のように復活する、などとは考えなかったのである。多くの理事が景気の悪い話を嫌気して理事を離職して行った。小生自身が「針の筵のような」理事職を離職しなかったのは、国連事業の清算という奇特な事態に若干興味があったためである。

思わぬ援軍とCDM事業の復活

「捨てる神あれば拾う神あり」とは良く言ったものであり、上記の任意償却制度を軸としたCDM制度の清算は2020年迄にほぼ完了している。清算が終了した最大の要因は事業期間(10年又は7年・2回更新)の満了により、多くの投資事業者が泣く泣く「損切り」を済ませたことであるが、以下のように米国と途上国から思わぬ援軍がやってきた点は全く予想外であった。

1)任意償却制度の利用量は予想外に多く、現状で累計約77百万t-CO2に達している。驚くべきことに、任意償却制度の最大の利用者は米国企業・市民である。量的には加州・東部13州の排出権取引制度の対象企業が多いが、件数は圧倒的に米国市民が多い。政府が京都議定書やパリ協定に参加していなくても、市民が自分の判断でCERを買うというのはいかにも米国らしい話である。

2)途上国・国際機関などへのCER利用推奨の結果、中国・南ア・メキシコなど多くの途上国が国内環境税制度や排出権取引制度においてCERの利用を認めてくれることとなった。典型的な事例は2019年に成立した南アフリカの炭素税制度であり、電力・鉱山など大規模排出企業は排出量に応じて名目税率約US$8-/t-CO2が課されるが、CERを任意償却すればその部分は税が免除されるという仕組みである。

この結果、近年に至ってCDM事業は回復基調にあり、2013年以降1,200事業が新規登録し、CERの発行量は累計20億t-CO2に達している。これらの新規事業や発行量の多くは、中国・南ア・メキシコなどでの制度がCERの利用を認めているため、これらの国内企業がCERを将来に向けて備蓄すべく先行投資しているものである。例えば南ア電力公社から聞いた話では、異常気象や税率の急な引上げなど不測の事態にある程度備えておくことは必要であり、公社の経営が非常に厳しい中で、「非常にお値頃な」CERを歓喜して買漁り無形資産として備蓄しているそうである。

ではCDM事業の将来は明るいか、というとそれは誤解である。筆者から見てこれらの成果はあくまで結果論で偶然の所産であって、CERの価格が現状で1t-CO2当1~2ユーロに止まっているための過渡的な現象であると考えるべきであろう。

より本質的には、CDM事業を始めとする国際炭素ファイナンスの世界は、潜在的に需要より供給が圧倒的に多く再び恐慌を起こしやすい構図にあるという点は何も変わっていないのである。またEUと日本が引起こした「炭素恐慌」により大損をさせられた投資事業者や、炭素ファイナンスを仲介して地獄を見た金融機関がまだ世界中に数多く居るわけであり、京都議定書がパリ協定になったからと言って状況が一変すると考えるのは都合が良すぎるであろう。

破綻の波及-パリ協定の交渉は何故難航するのか-

現在気候変動枠組条約の世界では2016年に制定されたパリ協定の交渉が進められているが、交渉が難航している理由の1つがEUが提案する「CERのパリ協定への継承制限」である。

上で説明したように、2013年以降のCDM事業の主要な投資事業者は中国・南ア・メキシコなどの途上国の事業者であり、パリ協定への途上国の参加に向けてせっせとCERに先行投資して備蓄していた事業者である。彼らが備蓄したCERを「環境十全性:Environmental Integirity」という題目の下で一挙に無効にすべき、というEUの提案は勿論猛反発されて大炎上している。そもそもEUは2012年に「炭素恐慌」を引起こした当事者であり、既にCERは売手も買手も途上国という時代になっている。従って、途上国から見てEUは「地産地消の魚屋の店頭で、魚を買いもしないのに「鮮度が悪い」と横から難癖をつける迷惑なケチ」でしかないのである。

他方で国際炭素ファイナンスの関係者から見た場合、京都議定書よりパリ協定の方が目標達成の結果を評価する遵守制度が圧倒的に緩いものであるため、本当にパリ協定下でのクレジットは2030年以降に然るべき買手が買取るのか、という点が疑問であると評価されている。特に大量に積上がった廉価なCERをパリ協定へ引継がない場合には、パリ協定下のクレジット価格が不安定となり、途上国がクレジットを買って遵守することを拒否してしまい再度炭素恐慌に陥るのではないか、という疑念も呈されている。

京都議定書の時代には「米国を含め先進国だけが排出削減目標を負うべき」というEUの主張は途上国に広く受入れられEUは交渉の主導権を手にした。しかし、パリ協定では既に米国は脱退しており、EUの本音が「域内グリーン・エコノミーの実現と保護」であると判明した以上、EUが再び交渉の主導権を握れるというのは全くの勘違いである。EUが都合の良い「環境十全性」を振り翳(かざ)して途上国の手足を縛ろうとする限り、交渉はさらに拗(こじ)れて妥結する日が遠のいていくのみであろう。

脚注
  1. ^ ちなみにEUの「炭素鎖国」政策はなお問題を引きずっており、EU委による相次ぐ排出割当の引締め政策が効き過ぎて、2020年現在EURは1t-CO₂当30ユーロに達し物価を介して低所得層の消費者を苦しめていると聞く。政府が価格や市場を管理・統制することの難しさを物語る話であり、以て「他山の石」とすべきであろう。
  2. ^ 米国加州の硫黄排出権取引制度では硫黄排出権は誰が購入・償却しても良く、価格が低迷すると環境保護団体が個人の寄付を募って排出権を買支えている。残念ながらEUや日本の環境保護団体がこうした意味のある取組みを行った話を小生は聞いたことがない。

2021年9月7日掲載

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