標準必須特許のライセンスをめぐって:ホールドアップ、リバース・ホールドアップ及び事前交渉

長岡 貞男
プログラムディレクター・ファカルティフェロー

標準必須特許技術は、その特許権者が合理的で無差別な条件でライセンスをすることにコミットしたうえで標準規格に反映されている。しかし、近年そのライセンスをめぐって多数の紛争が発生するようになっており、その在り方が問われている。特許庁が、「標準必須特許のライセンス交渉に関する手引き」を作成し平成30年6月5日に公表したことにも、そのような背景がある(注1)。本コラムでは、標準必須特許のライセンスにおいて重要な問題となっている以下の3つの論点について、簡単な解説を試みよう。ホールドアップ、リバース・ホールドアップおよびライセンスの事前交渉である。

ホールドアップ

ホールドアップは、標準を使う事業への投資をした後に、必須特許の存在が判明し、これを保有している企業が高いロイヤルティを要求した場合に、それに応じざるを得なくなる現象である。その原因は、標準利用企業による事業投資が埋没費用(サンクコスト)となっており、特許権者が特許侵害として事業の差し止めを行った場合には、その事業投資を使えなくなる危険があるからである。例えば、標準を利用した事業投資が100億円、事業収入が110億円だとする。もし事業投資の前にライセンス交渉をすれば、ロイヤルティ総額は事業収益の10億円以下に収まるが、もし事業投資が行われた後の交渉であれば、事業収入の110億円以下に収まる保証しかなく、それは事業収益を上回って事業投資を回収できなくなる危険性もある。

標準機関はこうした問題があることを認識しており、標準必須特許を「合理的でかつ無差別な条件」でライセンスをすることを約束した企業の技術のみを標準技術として採用している。

ただ、標準必須特許全体をカバーする特許プールが存在する場合を例外として、標準必須特許のロイヤルティの水準は事前には明らかにされていないことが多い。その結果、特許権者が高いロイヤルティを要求することを可能とするように示唆されるが、それが可能となるかどうかは、ホールドアップの源泉である事業の差し止め要求を裁判所が無条件に認める場合である。逆に差し止めの可能性が全く無い場合には、以下に述べる「リバース・ホールドアップ」の問題が発生する。

リバース・ホールドアップあるいはホールドアウト

リバース・ホールドアップ(あるいはホールドアウト)とは、標準必須特許の利用企業が支払い契約の締結に応じないために、特許権者が収入を得られない状況となることを指す。近年では、特許権保有企業のホールドアップではなく、リバース・ホールドアップの方がより問題だと指摘する専門家も少なくない。

リバース・ホールドアップの問題を明確にするために、特許権者が研究開発専業企業である場合を考えよう。ライセンス交渉の通常のタイミングでは、この企業による研究開発投資は、ライセンス交渉時にはサンクコストである。研究開発の成果である発明が得られ、かつその発明が公開されて特許権が成立してからの交渉となるのが通常だからである(注2)。加えて、標準は公開されており、かつ標準の必須特許は無差別にライセンスがされることに特許権者はコミットしているので、標準の利用企業は標準を利用しようと思えばいつでも利用できる。

このような状態で、もし特許権者からの事業差し止めの危険も無いとすると、標準の利用企業にはライセンス交渉を早く締結するインセンティブが無い。ライセンス料の値下げを要求してライセンス交渉を引き延ばすことで利益を得られる。また特許が無効となればライセンス料を支払う必要性もない。他方で、特許権者は、交渉が成立しない理由のみで、当該企業をその特許権のライセンス対象から外すことはできないし、さらに研究開発投資はサンクコストなので、ライセンス契約以外にはこの投資から利益を確保する方法は無いので、ライセンス料率を下げて費用回収を行う潜在的なインセンティブがある。このような状況では、ライセンス交渉はなかなかとまらず、また、まとまったとしても非常に低いロイヤルティとなってしまう危険性がある。

このような問題に対処するには、誠実にライセンス交渉に応じていない標準利用企業に対するペナルティが必要である。このような企業には差止請求権の行使を認めることがその方法の一つであり、最近の多くの判例で、誠実交渉義務を満たしている標準必須特許利用企業(Willing licensee)を認定し、そうした企業には差し止めを認めないが、そうでない企業(Unwilling licensee)には差止請求権を認めている。

事前交渉とイノベーションへのインセンティブ

ホールドアップやリバース・ホールドアップの問題は、ロイヤルティが事後的な交渉力によって左右されてしまうことから発生する問題である。これを回避するための一つの方法は、事前交渉(Ex-ante negotiation)の枠組みで、すなわち、イノベーションへの投資への適切なインセンティブをもたらすロイヤルティを仮に事前に決定したとすれば、どのような結果となったかを検討することで合理的なロイヤルティを決定することである。このような事前交渉の考え方は、誠実なライセンシー(Willing licensee)と誠実なライセンサー(Willing licensor)の間の仮想交渉として米国において損害賠償額を決定する枠組みとして広く活用されている。

まず、標準利用企業による事業投資の前における交渉(仮想的な事前交渉)でライセンス料が決まると予想されれば、標準利用企業による事業化投資への適切なインセンティブをもたらすことを確認しよう。標準を利用する企業が事業化投資を行う前に、仮にライセンス交渉をしたとすれば、ロイヤルティは標準の利用からもたらされる予想利益の範囲内に収まる。それより高い水準となれば、利用企業は事業化投資をしない選択をするからである。したがって、合理的なライセンスからのロイヤルティ=このような事前の交渉結果によるロイヤルティであるとのルールが明確であれば、標準を利用する投資への適切なインセンティブをもたらし、ホールドアップ問題を避けることができる。

事前交渉は、更に遡って標準決定時点より前に設定すべきであるとの考えもある。標準の価値は、それが広く普及することによるネットワーク外部性で決まっているとすると、標準が普及した後のライセンス交渉では標準に採択された技術の価値を過大に評価することになり、また複数の技術的な選択肢があったとしても、標準成立後のライセンス交渉ではこれを反映しないという理由からである。

しかし、事前交渉を標準決定時点より前に設定する場合に、標準技術の研究開発への適切なインセンティブの確保が必須である。ネットワーク外部性が重要であるとしても、その発生には新しい標準技術が不可欠であったとすれば、標準技術がもたらす標準の価値をロイヤルティに反映させることが優れた標準技術開発へのインセンティブの確保に非常に重要である。

また、複数の技術的な選択肢の価値の差分(=採択された技術提案の価値―次に優れている技術提案の価値)を、採択された標準技術の合理的なロイヤルティであるとすると、二つの技術提案が同様に優れていた場合、採択されなかった技術の価値がゼロになるのみではなく、採択された技術のロイヤルティもゼロになってしまうので、研究開発への過小なインセンティブをもたらすことになる。

特許制度の場合には、同じような発明を複数の企業が行った場合に、最初に出願した企業が特許権(独占権)を得られ、二番目に出願した企業は最初の特許権を基準として進歩性があれば、その部分についても特許権が得られ、なければ特許権は得られない。したがって全く同じ発明がなされた場合にも片方の発明のみには独占権を与えるために、研究開発へのインセンティブとして特許権が機能する。このような制度的仕組みは必ずしも最適とは言えないが、研究開発への誘因を与える制度として重要な役割を果たしてきた。標準の場合も、すでに利用されている既存標準を基準とした新標準の技術的な付加価値に応じたロイヤルティを設定することは、技術的な進歩に誘因を与えるという特許制度の基本的な考え方と整合するが、新標準提案の中で最も優れた案とその次の案の差分に対応したロイヤルティを支払う考え方は特許制度の基本的な考え方とも矛盾しているといえよう。

したがって、事前交渉を標準決定時点より前に設定する枠組みを採用する場合には、標準技術の研究開発へのインセンティブにまで遡って考える必要がある。すなわち、標準のイノベーションには標準技術を開発する企業と利用する企業がともに補完的な投資を行うことが必要であり、普及のためにはロイヤルティはホールドアップの要素を含まない事前交渉ライセンスで決定される必要があるが、同時に新標準の研究開発への適切なインセンティブをもたらす必要があるのである。

脚注
  1. ^ http://www.meti.go.jp/press/2018/06/20180605003/20180605003-1.pdf
  2. ^ ただし、特許プールでは、将来成立する特許を含めた定率の一括ライセンスを提供しているのが特徴である。

2018年9月18日掲載