リーマンショック後の世界不況に対する日本の労働市場の変動分析

STEINBERG, Chad
RIETIコンサルティングフェロー

中根 誠人
コンサルティングフェロー

国際通貨基金(IMF)では、景気循環に対する日本の労働市場の変動について研究を行った。初めに今回の世界不況下においてわが国の労働市場がどのように変動したかさまざまな視点から分析した。次に、以前の景気循環の際、日本の労働市場がどのような反応を示してきたか分析し、他国の結果と比較した。続いて、日本の雇用変動割合の変遷を概観した後、国内労働市場の部門ごとの違いについても検討した。さらには、過去の変動の分析結果を基に今回の不況下の雇用変動の推定を行い、推定値と実際の状況とを比較・分析した。最後に、日本の労働市場の特性について考察をまとめた。

リーマンショック後の不況下におけるわが国の雇用状況

わが国の失業率は、リーマンショック直前には4.0%であったが、2009年7月には過去最悪の5.6%に達した。その後、景気は回復に向かってはいるものの、失業率は現在も5.0%を上回る状態が続いている。しかし、他のOECD諸国に目を向けると、アメリカではリーマンショック直前に6.0%前後であった失業率が最悪期には10.0%を超え、ヨーロッパ諸国でも7.0%前後から9.5%前後にまで上昇した。これらの数字からわかるとおり、日本の雇用は厳しい状況にあるものの、国際的な水準からすると決して悪くない。

次に、国内の労働市場を詳しくみると、雇用の変動は、産業、企業規模、年齢によって大きく異なる。産業別にみると、もともと衰退傾向にあった製造業や建設業で就業者数が大幅に減少した。これに対し、需要が伸びている医療サービスや情報通信産業では、就業者数が増えた。また、企業規模別の就業者数の変化を調べた結果、中小企業ほどダメージが大きく、逆に1000人を超す雇用者を抱える大企業では、大した影響を受けていないように見受けられる。さらに、男性労働者の雇用状況を年齢別にみてみると、若い世代ほど就業者の減少が大きく、30代後半から50代前半は就業者の数に大きな変化がみられない。このような雇用変動における他国との違い、および部門間の違いはなぜ生じたのか、以下分析を行った。

他国に比べ柔軟な賃金制度

分析に当たっては、まず、生産量と雇用の関係を表すオークンの法則を応用し、各国の労働市場が景気循環に対しどのように反応してきたかを検討した。分析の結果、他のOECD諸国に比べ、わが国の労働市場は景気の浮き沈みに対し雇用の変動が狭い範囲に収まってきたことが実証された(図1参照)。

今回の不況下においても、労働者1人当たりの生産量の変化をみると、わが国の生産量はリーマンショック後の2008年第3四半期に大きく落ち込んでいる。これは、生産活動が縮小したにもかかわらず労働者の数はそれほど変化していないということを意味する。これに対し、アメリカなどでは不況下においても労働者1人当たりの生産量のレベルは下がっておらず、生産の縮小にあわせて労働力も削減されたことが伺われる。

それでは、わが国と他国の間で雇用変動に違いが生じたのはなぜであろうか。その原因を探るため、先に用いたオークンの法則を生産量と賃金所得の関係に当てはめてみた。すると、わが国の生産量の変化に対する賃金所得の変動の大きさは、雇用に比べて国際的に上位に位置することがわかった(図2参照)。すなわち、生産活動が縮小した場合、わが国では雇用を減らすよりも、賃金所得をカットすることで不況に対応してきたといえる。

図1:世界不況以前の過去20年間におけるGDPの変化に対する失業率の変動の大きさ(i)
図1:世界不況以前の過去20年間におけるGDPの変化に対する失業率の変動の大きさ

図2:世界不況以前の過去20年間におけるGDPの変化に対する賃金所得の変動の大きさ(ii)
図2:世界不況以前の過去20年間におけるGDPの変化に対する賃金所得の変動の大きさ

雇用変動を増幅させる非正規雇用の拡大

また、過去にさかのぼってわが国の雇用情勢を分析してみると、一貫して他国に比べて小さい変動率を維持しているものの、景気循環に対する雇用の変動幅は年々大きくなっていることが分かる(図3参照)。特に、バブル崩壊後の1990年代から変動幅の拡大が顕著になる。この原因として我々が注目したのが、構造調整や労働者派遣法改定に伴う非正規雇用者の増大である。景気循環に対する労働市場の変動と非正規雇用の関係を調べるため、 国際比較と同様の手法を用いて、我が国雇用の変動の大きさを、年齢別、企業規模別に分析した。まず、男性労働者の雇用状況を年齢別に分析したところ、非正規雇用の割合が高い若年層が雇用変動の割合も一番大きく、正規雇用が主流の中年層は変動が一番小さいという結果が出た(図4参照)。また、企業規模別では、中規模の企業より小規模および大規模な企業が、景気変動に対し雇用が大きく変動するという結論が得られた。企業規模別の雇用状況をみると、中規模企業と比較して、小規模企業はパートタイム労働者の比率が高く、大企業では派遣労働者が多数働いており、いずれも非正規雇用者が多い。

図3:失業率の変動割合の推移
図3:失業率の変動割合の推移

図4:男性労働者の年齢別雇用変動の割合と非正規労働者の割合
図4:男性労働者の年齢別雇用変動の割合と非正規労働者の割合

今回の不況下における雇用変動の検証

さらに、仮に今回の不況においても、生産量の減少に対し、日本の労働市場が過去の景気循環と同じ反応をした場合、就業者数がどの程度変化したか推定を行い、実際の変化と比較した。その結果、労働市場全体では、過去の反応から推定された値と、実際の失業率はほぼ同じであった。つまり、生産量の減少の大きさをコントロールすると、今回の失業者の増加が過去と比べ特段大きいというわけではない。また、産業別に就業者の変化について推定値と実際の値を比べてみると、製造業は推定値よりも実際の就業者の減少が少なかった。製造業、その中でもとくに中小企業において就業者の減少が抑えられた一因としては、政府が雇用調整助成金制度を拡充し、雇用の維持をサポートしたことが考えられる。企業規模別に推定値と実際の値を比較した際には、1000人以上の雇用者を抱える大企業のみ実際の就業者数の変化が推定値より良好であった。これは、大企業では、賃金所得の切り下げによる労働コストの削減などにより、正規労働者の雇用を維持したことが大きかったと考えられる。

近年の日本の労働市場の特性

このように、日本の労働市場は他国に比べ、雇用の変動が小さいことが確認された。その原因は、雇用の変動に比べ、わが国の賃金所得が大きく振れることにあることがわかった。しかし、雇用の変動の幅は年々大きくなっており、これは非正規雇用労働者の増大と関係があると思われる。実際に国内の労働市場をみてみると、非正規雇用の割合が高い産業や企業ほど雇用の変動が大きいという結果も得られた。また、今回の不況による雇用の減少もこれまでの不況時の変動の延長線上にあることが確認された。

(注) 本コラムは、Steinberg, Chad and Masato Nakane, (Forthcoming), “To Fire or to Hoard? Explaining Japan's Labor Market Response in the Great Recession,” IMF Working Paper (Washington: International Monetary Fund)を基に執筆したものである。なお、オリジナルペーパーは後日IMFのウェブサイトに掲載予定。

(注) 本コラムに記載されている内容は、国際通貨基金(IMF)の見解ではなく、執筆者個人の見解を示すものである。

2010年12月28日
脚注
  1. オークンの法則に基づいて、GDPの変動と失業率の変動の関係を動学的に推定した結果を図示したもの。詳しい導出の仕方については、Balakrishnan, Ravi, Mitali Das and Prakash Kannan, “Unemployment Dynamics during Recessions and Recoveries: Okun's Law and Beyond,” World Economic Outlook, April 2010, World Economic and Financial Surveys (Washington)参照。
  2. 失業率と同様に、オークンの法則に基づいて、GDPの変動と労働者1人当たりの賃金所得の変動の関係を動学的に推定した結果を図示したもの。詳しい導出の仕方については、Steinberg, Chad and Masato Nakane, (Forthcoming), “To Fire or to Hoard? Explaining Japan's Labor Market Response in the Great Recession,” IMF Working Paper (Washington: International Monetary Fund)参照。

2010年12月28日掲載