温室効果ガス排出権取引という「未曾有の難問の山」

戒能 一成
研究員 / 大阪大学特任教授

温室効果ガス排出権取引を巡る論点

現在政府部内では国内での温室効果ガスの排出権取引制度についての検討が進められている。制度導入の是非自体は政治的意志決定の問題であるとして、総合エネルギー統計の開発など国内のエネルギー起源温室効果ガス排出の実態把握やエネルギーに関する多彩な経済分析に長年携わってきた一実務家の目から見た場合、制度設計上の諸論点はどれも「未曾有の難問の山」に見える。こうした論点の概略について本コラムで紹介することにより、関係者の理解を深め今後の制度設計上の一助に資することを願うものである。勿論本コラムで取り上げた以外にも多数の論点や見解があるが、関係「有識者」の各位におかれては紙幅の都合上敢えて的を絞ったことを御了解ありたい。

論点1:割当規制点と対象範囲をどう設定するか

割当規制点の考え方としては、大きく分けて化石燃料などの輸入・生産段階で割当する上流割当制度と、これを燃焼して消費する段階で割当する下流割当制度が考えられる。

上流割当制度では日本に輸入・生産される全部の化石燃料が規制対象となるため、上流での化石燃料の輸入事業者が排出権購入などに要した費用は、下流が家庭であれ企業であれ例外なく全ての部門がエネルギー価格に転嫁された分を負担することとなる。 上流割当制度では輸入・生産だけを監視すればよいので制度の執行や目標達成は比較的容易であるが、化石燃料の輸入事業者は事実上の「独占販売権」を付与されることとなるため、過剰な価格転嫁や「売惜しみ」の厳格な監視が必要となり、地震で原子力発電所が止まった場合などの「不可抗力」にどうセーフティネットを設けるかなどの問題を生じる。

下流割当制度では、化石燃料を燃焼しエネルギーを消費するところが割当規制点となるため、実務上必然的に規制対象は大企業・大規模事業所に限定される。従って90年代から排出量が激増した家計部門や群小の中小企業からなる第三次産業部門の大部分は規制対象から外れてしまい、制度の実効性に問題を生じてしまう。中小企業への制度適用については、実際のところエネルギー消費統計など中小企業向けの統計調査が開始され既に4年が経過するが依然として「誤記入」が多く、筆者は大変な苦労を強いられている。従って現段階で中小企業までを対象とした制度を強行実施しても現場が混乱し実効が上がらないだけであり、下流割当制度の中小企業への拡大には相当な時間を要すると思われる。

論点2:電気・熱の売買に伴う間接排出をどうするか

下流割当制度を選択した場合には、さらに電気・熱の売買に伴う間接排出をどう扱うかという問題が生じる。現在の地球温暖化防止法では第2条の定義で「他人から供給された電気・熱は(消費者の)排出とする」旨明記されており、省エネルギー法などでも電気・熱の発生に伴う損失分は消費側に計上する「間接法」とすることが長く実施され定着している。

一方、EUの排出権取引制度では後述する「排出原単位」に関するやっかいな問題を回避し制度を運用しやすくするため、電気・熱は消費側での排出ではなく電気事業者など化石燃料を燃やした供給側の排出とするという「直接法」が用いられている。

「直接法」の方がわかりやすく制度の執行が容易であるという利点の反面、消費側での節電が排出削減と直接関係のない行為となってしまうため、現行地球温暖化防止法や省エネルギー法に則り節電に先行投資した企業やグリーン家電を買った消費者の努力は無に帰してしまい、自家発電やコジェネをやめて電気事業者からの買電に切換えるとたちまち「ニセ排出削減」ができてしまうなどの問題があり、長く「間接法」を実施してきた経緯から見ても日本においては「直接法」への切換には問題が多いと考えられる。

一方、「間接法」にも電気・熱の「排出原単位」をどう設定するかという大きな問題が残る。

たとえば電気事業者の責任で原子力発電所が停止するなど「排出原単位」が変動した場合に消費側の排出量が変動することは理不尽であり、消費側には基準年を設けて「排出原単位」を固定する、供給側の電力・熱供給会社にも原単位改善分を割当てる規制を導入するなどの措置が必要である。また、長期に亘り「排出原単位」を固定してしまうと電気・熱の実態上の排出との乖離が大きくなるという弊害を生じる。

論点3:初期割当の設定と負担をどうするか

上流割当制度であれ下流割当制度であれ、初期割当をどう設定するかという問題は非常に大きな問題である。大きく分けて「設定上の問題」と「負担上の問題」が指摘できる。

設定上の問題とは、初期割当を如何なる基準年の排出実績値で割当てるか、基準年から何%減で割当てるかなどの問題である。基準年を90年度など遠い昔とした場合記録が残っていないため実績値による割当は不可能であり、競売による初期割当以外方法がないと考えられる。基準年を直近5年間の平均値などとした場合は実績値による割当は不可能ではないが、経団連環境自主行動計画などに基づいてそれ以前から省エネや排出削減に苦労して先行投資してきた企業の努力が全く報われないなどの問題を生じる。

だからといって政府が「諸事情を総合的に勘案し」個々の割当を行うなどという制度は経済団体連合会が言う「経済統制」そのものであり、EUの失敗にかんがみ最も避けるべきである。EUの排出権取引制度の導入当初において初期割当は実質的に各加盟国が実施したが、国際競争力上の配慮から輸出産業に甘く国内産業に厳しいなど不透明で歪んだ割当が行われ、制度第1期後半の価格崩壊の原因となったことを忘れてはならない。

負担上の問題とは、初期割当を有償とするか無償とするか、特に有償の場合競売とするか否かなどの問題である。上流割当制度の場合無償割当とすると化石燃料の輸入事業者は「独占販売権」をタダで付与されボロ儲けができてしまうため、必ず有償割当とし可能なら競売を導入すべきである。しかし、競売には価格が不安定で予見可能性を欠くという問題があり、いきなり大規模に導入すると国内のエネルギー価格や物価を高騰させる危険を伴うこととなる。下流割当制度の場合はその反対に当初から有償割当とすると価格転嫁ができず規制対象の負担が過大となるため、制度導入時には割当量の大部分を無償割当とする必要があると考えられる。輸出産業の国際競争力の確保という観点からは無償割当は魅力的な措置であるが、しかし当該無償割当もまた「既得権」に他ならないため中長期的に見直して行かなければ競争政策上の問題を引き起こす懸念も考えられる。

昨今EUでは大部分を無償割当とした第1期・第2期に電力価格などが異常高騰し競争政策上の深刻な問題を生じてしまったため、競売制への移行を目指しているが、一旦既得権を手にした規制対象との利害調整に難航している模様である。

論点4:不遵守時の罰金・罰則をどうするか

日本ではあまり意識されていない論点であるが、不遵守時に罰金・罰則を幾らとするかという問題は、初期割当問題と並んで非常に重要な問題である。

罰金・罰則を少額・軽微に設定しておけば、運用上の欠陥や想定外の事象などの「初期不良」で制度がうまく運用できなかった場合の実体経済への被害を局限できるが、規制対象側にとってみれば実効ある対策を行わず罰金を納付し済ませてしまうという「抜け穴」ができたに等しいという問題がある。

一方、罰金・罰則を高額に設定することは、上記の逆の効果を生じる点に加え「海外から足下を見られる」「製造業が国内に見切りをつける」という問題を生じる危険性が潜んでいる。一般に、省エネ対策の進んだ日本では国内で追加的に削減対策を行う費用は相対的に高価で時間が掛かるため、当面は海外から京都メカニズムによる廉価なクレジットを購入することが合理的と目されている。しかし、国内で罰金・罰則が高額に設定されている場合、クレジットの売手国はOPECのように協調して生産調整を行うなどの方法で当該罰金を目安に価格を操作して買手国の「足元を見る」ことが可能である。特に京都メカニズムの大口クレジット産出国は中国やロシア・ウクライナなどごく少数の国に偏っており、高いものを買わされないためには売手国の動向に細心の注意が必要であろう。

罰金・罰則を高く設定した場合に「製造業が国内に見切りをつける」という点については自明であり、筆者が改めて説明するに及ばないと思われる。

最悪のシナリオとは

制度導入当初においては、短期的に回避すべき問題として以下の2つが想定される。

- 恣意的で一貫性のない制度を嫌気したり、国際競争力上負担できない目標を負わされた輸出産業が海外移転し国内の雇用が減少して経済活力が低下すること

- 海外から京都クレジット価格の足下を見られたり、輸入事業者が「独占販売権」を濫用するなど、エネルギー価格の高騰により必要以上の経済的負担を生じること

これらを可能な限り回避するためには、EU同様に導入当初の暫定的な制度として、無償割当による下流割当制度を用い罰金・罰則は少額・軽微と設定することが妥当と考えられる。しかし、EUの失敗にかんがみ、政府の裁量で不透明な初期割当を行うことを避け過去10年程度の実績値に基づく客観的な初期割当を行うことが必要と思われる。

筆者は当初「導入しやすい制度」を多少外れた制度設計がなされ摩擦が生じても、なお「最悪のシナリオ」よりはましと考えている。多少問題がある設計がなされても、たとえば5年おきに政策評価を行い、制度対象の中小企業への段階的拡大や罰金・罰則の引き上げ、有償割当や競売制度への移行などの見直しを着実に進め、必要があれば削減目標自体も見直していくのであれば、いずれは制度導入への理解は進みそれなりの犠牲の下で排出権取引制度が国内に定着していくものと考えられる。

本当の「最悪のシナリオ」は、政府が一旦制定した制度や削減目標に拘泥して制度の見直しを怠ることにより、いつしか地方では製造業の事業所が消え規制対象未満の非効率な事業所が妙に増加し、都市部では単に罰金を納付して済ませることが慣習化してしまい、実効ある省エネ・新エネ技術の開発や普及が一向に進まない上に、不当に高い京都クレジットを何時までも海外から買い続ける不毛な政策に陥ってしまうことである。

2010年2月23日
文献
  • 前田章『排出権制度の経済理論』(2009) 岩波書店
  • 西條辰義・新澤秀則・戒能一成他(共著)『地球温暖化の経済学』(2009) 大阪大学出版会

2010年2月23日掲載

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