特恵的貿易取極による無差別原則の浸食-サザランドレポートの警鐘-:投稿意見

上野 麻子
コンサルティングフェロー

FTAの経済学的な評価:サザランドレポートへの警鐘

アメリカ 大学院生(経済学/Ph.D. Candidate) 安田洋祐

上野フェローが紹介された「サザランドレポート」は、急拡大するFTAブームに対するWTOからの警鐘と読むことができる。その内容には注目すべき点が多いが、WTOが多国間交渉を推進する立場であることを考慮に入れると、FTAの効果が過小評価されている危険性は極めて高い。当コメントでは、現在私が進めている研究(Yasuda (2005))をもとにWTOの視点とは異なる立場からFTAの経済学的な評価を紹介したい。
基本的なアイデアはシンプルで、上野フェローが言及している以下の現象に注目する。

以下、引用文

報告書は、他の国々への追随を自制すべきと提言するが、これは現実的には非常に難しいといえる。何故なら、ある国が地域貿易協定を結べば、それに伴う不利益を解消するために他の国も同様の特恵を求めて追随するという連鎖反応が生じるからである。

ある2国間によるFTAの締結が他国に不利益をもたらすことを経済学では「負の外部性が生じる」と表現するが、Maskin (2004)は貿易交渉に限らず、外部性が生じるような一般的な交渉問題において、以下の注目すべき結果を示した。

Maskin(2004)の定理

個別交渉によって達成される部分的なグループ内の協調が他のメンバーに対して負の外部性をもたらす場合には、2国間の逐次交渉が常に全体のメンバーの協調をもたらす。

これは、自由貿易交渉の文脈においては、2国間FTA交渉を続けることによって、最終的に世界的な自由貿易が達成される可能性を示唆している。この結果を信じるならば、引用文で言及されているFTAの連鎖反応は自制すべきものではなく、むしろ歓迎すべきものといえるだろう。
もちろん、多国間交渉から2国間交渉に移ることによって生じる追加的なコストや政治的な問題等を虚心坦懐に見ていく必要があることは間違い。しかし、シアトルでの失敗を例に出すまでもなく、WTOの提唱する多国間交渉が問題を抱えていることも事実である。他国間交渉を行ったからといって、必ずしも自由貿易の促進が実現されるとは限らないのである。今回のサザランドレポートをはじめ、WTOによる分析はこの問題点を軽視しすぎてはいないだろうか?
現在私が進めている研究は、上で紹介したMaskinの洞察を一歩進めて、多国間交渉によっては世界的な自由貿易が達成されない状況においても、FTA交渉を段階的に積み重ねていくことによって自由貿易が達成される可能性があることを示した。米コロンビア大教授のバグワティ氏の言葉を借りれば、FTA交渉が『building blocks』になり得ることを理論的に示したといえる。一方で、貿易交渉が正の外部性を生まない限り、FTAがもたらすマイナスの効果である『stumbling blocks』が起こり得ないことも明らかにされている。
経済学によるFTA形成に対する事実解明的な分析や、多国間交渉とFTA交渉がもたらす厚生の比較という規範的な分析は始まったばかりである。今後のFTAをめぐる分析が、サザランドレポートが明らかにしたような現実的視点と、経済学がこれから提供していくであろう理論的な視点の双方に基づいたバランスのよいものになることを望んでいる。また、RIETIが精力的にFTA研究が行うことで、今後の我が国のFTA政策へ質の高い指針を提供していくことを願っている。

コラムを読む

文献

Maskin, E. (2004) "Bargaining, Coalitions, and Externalities" Mimeo, Institute for Advanced Study / Princeton University"
Yasuda, Y. (2005) "Building blocks and stumbling blocks under superadditivity" Work in progress, Princeton University