開業率の把握の現状と課題

安田 武彦
ファカルティフェロー

我が国において開業率の低下が問題視されるようになってから約10年、開業促進に係る諸施策は、現在、他の先進国と比べても非常に充実した水準にまでなってきた。開業に当たって最も大きな障害といわれる金融面については2002年1月に国民生活金融公庫の新創業融資制度が新設され、現在は750万円を融資限度に無担保、保証人無し(法人代表者の保証も不要)で資金融資を受けることができる。また、取引上の信用等の事情から株式、有限会社形式で開業したい者は従来、最低資本金として1000万円の預金証明書を必要としていたが、昨年2月からの最低資本金特例の導入により「1円起業」が可能となった。

こうした新制度は、現在まで件数でみて着実な利用が進んでいるが、このことが開業率の引き上げにどの程度、効果を持ったのかについて定量的に把握するためにはある時点で計量的分析に基づく政策評価が必要となる。

ところがその基礎、第一歩となる開業率の正確な把握は実のところ非常に難しい。最初の前提が少しはっきりしないのである。「そんな馬鹿な!」という話であるが、それではどうすればよいのか? ここでは開業率の把握の問題点と今後の課題を探っていこう。

開業率把握の現状

現在、全産業ベースでの開業率の把握で最もよく使われるのは、総務省が実施する「事業所・企業統計調査」である。この調査は我が国の事業所、会社をカバーするセンサス調査であり、地域別、業種別等の事業所の存在状況を尋ねるとともに、事業所の開設時期、会社については登記上の会社成立時期についても尋ねている。従ってある時期の開業率を把握するためにはその時期の会社の新規成立に個人企業(会社企業以外)の新規開設(事業所の新規開設)を加え、期首の会社および個人企業総数で割ればよいこととなり、『中小企業白書』においてもこうした方法で開業率を算定している。

ところが、「事業所・企業統計」の統計上の制約からこうして得られる開業率にはさまざまな限界があることが指摘されている。

最もしばしば指摘される問題は「事業所・企業統計」が2年ないし3年おきに行われる調査であるということである。新規開業に関する内外の研究でわかったことの1つに新規開業企業の高い退出率がある。日本でも製造業の例をとると新規開業企業の2~3割が参入後1年で退出する。従って、2~3年おきの調査ではその期間に実際に開業した企業の数割が補足されていない可能性を抱えているのである。

また、これも広く指摘されることではあるが「事業所・企業統計」が地域単位で実施されることから、個人企業の場合、調査年によって移転が開廃業としてカウントされることがあるという問題点がある。つまり、引っ越しでその地域からいなくなることは死亡と見なされるわけである。企業の移転がどの程度、開廃業率に影響を与えているかについては企業を追跡調査した大規模データが存在しないので必ずしも明らかではないが、調査の単位となる調査区は、1調査区内の事業所数がおおむね30事業所になるよう設定しており、全国で約24万8000の調査区があることから、これを越えた個人企業の移転は容易に生じうるものと考えられる。

さらに経済活動の場所として捉えられる事業所は、ネットビジネスなどの場合、外部から把握することが困難である。極端な場合、たとえば人気ホームページを設けバナー広告で収入を得ている場合など家族ですら把握できない場合も考えられる。

以上、しばしば指摘される問題点の他、「事業所・企業統計」の本調査と簡易調査における開業の定義の差等細かな問題点もあるが、直ぐに強調するべきことは開業率の把握が正確に出来ないということは、決して統計部局の「さぼり」によるものではないということである。

そもそも開業という現象は経済現象の中で最も漠然としたものの1つである。ある人間の活動が経済的活動という意味で事業となるのかどうかということは判断が非常に難しい。たとえば趣味で絵を描いていた者がいたとする。最初は誰もその人の絵に興味を示していなかったのが、次第に興味を持つ人が出始め時々売れるようになる。そして最後は描けばほぼ売れ、その収入で食べていけるようになる。この段階で彼は立派な職業画家となるのであるが、それがどの瞬間からかについては意見が分かれるところであろう。

こうした開業のあいまいさ、そして開業後、直ぐに死滅する事業の多さから日本のみならず、諸外国においても開業動向の把握には難渋している。たとえば、英国の起業学の権威であるD.ストーリー教授は次の様に指摘している。

「統計的な問題で最も深刻なことは、経済における全ての企業を網羅した包括的な名簿が存在している先進国などはないということである。・・・(中略)・・・
企業が事業活動を長く行っていればいるほど、何らかの公式の記録に登場する確率は高くなる。しかし、われわれが新規開業企業に興味を持っている場合、これらの企業は定義上、新しい企業であり、かつ規模がとても小さく、生存期間も短いことが多い。このため、新規開業企業は公式の記録に最も登場しにくい企業群になる」(Storey(1994))

このように開業動向の把握は経済統計の中で最も難しいことの1つなのである。
しばしば政府は国会やマスコミから、開業をこれだけ熱心に促進しようとしていながら正確な統計情報すら把握していないとの叱責をうけるが、開業自体の上記のような特性、統計実施のための費用の膨大さを考える限り、新規開業の動向を極めて正確に把握することは統計担当部局の手に余る作業ということが出来るであろう。

税務統計利用の問題点とその克服

それでは開業率について、現在我が国が行っている方式に改善の余地はないのであろうかというとそういうわけではない。1つあるのが税務統計の利用である。国税庁は税務を通して把握した統計情報について、毎年度、『国税庁統計年報書』という形で公表している。この中には法人企業の数、法人数や資本金総額、利益計上法人と欠損法人割合、民間給与実態等のさまざまな有益なデータが存在する。日本の優秀な税務署がその業務を通じて入手したデータだけに信頼性の面でも良質のデータである。

この中に開業に係るデータはみられない。しかしながら、税務を通じて開業の動向は把握が可能である。というのは法人税の関係から、内国普通法人等を設立した場合、法人設立の日(設立登記の日)以後2カ月以内にその旨を税務署に届け出をしなくてはならないことが定められており、個人の場合も同様に新たに事業を開始したとき、事業用の事務所・事業所を新設、増設、移転、廃止したとき又は事業を廃止したときには、事業の開始等の事実があった日から1カ月以内に届け出を提出しなければならないこととなっているからである。

税務を通じて得られた開業に係るデータが『国税庁統計年報書』の中に含められれば、開業についてより正確なことがわかるであろう。

税務統計の優れた点は先ほど指摘したような優秀な徴税機構により収集したデータであるということのみではない。毎年、さらには毎月でも開業状況を把握できること、納税の関係なので転入転居が把握できること、SOHO等外部からは把握しにくい形態の事業も対象になること等、「事業所・企業統計」の問題点とされる点がほぼクリアされる。

諸外国をみるとイギリスなどは付加価値税対象企業の登録状況から開業を把握している。アメリカではセンサス局が発行する"Statistics of U.S. Business"をもとに開業率が算定されているが、これとは別に税務統計をもととしたデータが様々な研究に使用されている。また、ドイツにおいては各州の開業許可届出が開業率算定の基礎となっている。このように各国とも行政制度の執行に伴い獲得される情報を効率的に利用しているわけである。

日本では税務統計はもっぱら税務のためのみに利用されるものとの見方がされがちである。日本における開業率のより精確な把握が可能になるのだから、この中でせめて、開業率の部分だけでも見直しを出来ないものであろうか。

2004年8月3日
文献
  • David J. Storey (1994) "Understanding the Small Business Sector"(邦訳『アントレプレナーシップ入門』(2004)忽那憲治、安田武彦、高橋徳行訳、有斐閣)

2004年8月3日掲載

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