地球規模の気候変動問題に対する議論については、政治的方法論の対立から、京都議定書を批准する欧州・日本、これを批准しないアメリカ他の諸国、そして実質的に何の義務も負わない発展途上国という形に世界は 3分裂する結果となった。しかし、各先進国グループが独自に実施する具体的対策措置の内容と成果を、共通の基準を設けて評価しようという動きが、民間の専門家によりISO(国際標準化機構)傘下で開始された。これは、京都議定書の第2遵守期間以降のあり方に対し1つの答えを与えるものかも知れない。
京都議定書の成立と世界の分裂
気候変動枠組条約は、IPCC(Intergovernmental Panel on Climate Change)第2次報告において気候変動に対する危機的状況への警告がなされたことを受けて、1992年のリオ地球環境サミットでアメリカ・欧州・日本を含む多くの国が署名・批准し発効した。当該条約は(是非御一読願いたいが)、2000年度前後に発効するであろう具体的措置に関する議定書が発効する迄の暫定的条約としての色彩が強いものである。気候変動枠組条約傘下では、既に京都議定書上の CDM(Clean Development Mechanism)、JI(共同実施)の先駆的事業として AIJ事業(Activities Implemented Jointly)という先行プロジェクトが実施されてきたが、意外に思われるかも知れないが、中南米・移行経済国を中心にこのAIJ事業を最も多く実施してきたのはアメリカであり、次いでノルウェー、カナダ、オーストラリア、日本等 EU以外の先進国なのである。
1997年のCOP-3における京都議定書の合意、そして2001年のCOP-7における Marrakesh Accords(京都議定書・気候変動枠組条約の運用に関する細則・規約・ガイドライン集)の制定の過程においては、発展途上国が気候変動問題について一切の排出削減約束を行わないことの是非、先進国における排出削減に対する方法論の是非(国内削減か、国際排出権取引か)を巡って議論が激しく対立し、同じ論点が再三形を変えて蒸し返されることとなった。その結果、先進国が国内削減措置を優先し発展途上国に約束を負わせないという原則の下で交渉が妥結し、京都議定書は「任意の先進国による国内措置中心の削減規約」という性格に限定された議定書として位置づけられることとなった。
ここで、視点を変えてみよう。
アメリカ他京都議定書を批准しない先進国においても国内での環境保護問題への関心が低いわけではなく、単に政治的方法論を巡って京都議定書を離脱しただけなのであるから、ブッシュ政権が2002年2月にGDP当たり排出量を10年間で18%削減する政策を打出したことに代表されるように、独自の取組みは継続せざるを得ない事情がある。また、アメリカにおいては約50件、全体の約50%弱のAIJ事業を既に着手済であり、京都議定書上では否定されてしまうが確かに温室効果ガスを削減するような事業(大規模水力発電、大規模植林)を先行的に実施した実績を有しているのであり、こうした努力は本来は正当に評価されなければならない性質のものなのである。むしろ当該交渉に直接従事した経験から言えば、EU諸国はAIJ事業の実績が殆どないことを負い目として、環境保護の観念論や国内削減主義の原則論を必要以上に強調して交渉に望んだ側面があり、議論は全くかみ合わないことがしばしばあった。EU諸国は京都議定書の賛同国ではあるが「過ぎたるはなお及ばざるが如し」であり、戦略的に極めて重要なアメリカ他の先進国を脱退させる原因の 1つを作ったという点では、気候変動問題における世界分裂の責任者であると見ることもできるのである。
ISO(国際標準化機構)での議論と各先進国の思惑
ISO-TC207は、従来より環境監査のためのISO14000シリーズを制定する等多くの実績を上げてきたTCである。2002年6月に、UNFCCC/Marrakesh Accordsの制定を受けて、マレーシアとカナダの提案によりWG5(温室効果ガス算定法)が設立された。
当該 WG5は、本来、幣研究所理事長の岡松が副議長を務めるCDM理事会の作業と一部完全に重複する性格のものであるにもかかわらず、アメリカを含め圧倒的多数を以て設立が決定された。先日ベルリンで開催された ISO-TC207WG5総会において各国の代表と会談した結果、その背後には以下のような事情があることが判明した。
1)京都議定書の批准国における国内措置の運用
京都議定書については、罰金こそないものの定量的目標の遵守を約束する形で構成されており、これを税制・規制措置等を活用しつつ具体的にどのような国内措置で担保し、どの程度の強度の遵守措置で達成を確保していくのかという点について、国際的な政策協調がなされていかなければならない。イギリスやオランダ、北欧諸国(ノルウェー、スウェーデン、デンマーク、フィンランド)においては既に気候変動目的の税制を中核とした企業単位での国内措置が実施され、イギリス、デンマークではさらに排出権取引オプションが開始される等、具体的な国内措置が開始されている。しかし個別政府の制度設計では時間が掛かりすぎる上、国際的不整合が生じる懸念が高いため、その運用・認証に必要な実務上の規定は民間の国際組織において統一的に整備する必要があると強く認識されていることが指摘できる。
特に欧州各国政府がこれまでに制定した規約類は、多国籍企業の経営実態や商取引上の慣行に必ずしも整合しておらず、また相互に矛盾するものもあり、欧州産業界は政府主導による今後の議論の展開に大きな懸念を持っていることが判明した。
2)UNFCCC・京都議定書自体の実質的運用
UNFCCC・京都議定書の運用上の規約(Marrakesh Accords)は、外交官によって政治的妥協の「覚書」として作成されたものであり、民間部門が実際にこれを運用していく上では相当程度の実務上の補完が必要であるが、こうした点を民間部門においてどのように解決していくのかを決めていかなければならない。欧州の京都議定書批准国全般において、京都議定書に関するMarrakesh-Accordsの規定では実際のプロジェクト実施・認証に必要な細部の規定が欠けており、なお投資リスクが大きすぎるという認識が産業界において一般的である。例えば、プロジェクトにおける温室効果ガスの算定において、無視できるような微少な排出についての打切水準(de-minimis)や、統計的推計や誤差処理の方法について何の規定もないが、こうした点は実務面においては大きな障害となる。
3)アメリカ他UNFCCC傘下の京都議定書離脱国の対応
アメリカ他数カ国のUNFCCC傘下の京都議定書離脱国においては、京都議定書を離れた独自の考え方に基づいた対応措置についての模索が開始されているが、こうした対応措置について国際的に合意された評価尺度を設けていかなければならない。アメリカにおいては、UNFCCC傘下で1992年以来民間企業によって多数の先行削減事業(AIJ事業)が実施されており、中南米やアメリカ国内で多数の実績が挙がっている。
しかし実際の京都議定書に関する一連の議論においては、こうした実績が事実上全く無視され、さらにアメリカが京都議定書から離脱するという政治的決着となったため、こうした先行削減事業の実績を、政治色を抜きにした新たな枠組みの下で再評価したいという民間からの要請がある。特に、京都議定書上では森林以外の吸収源や大規模水力発電は事実上CDM事業から除外されており、アメリカの関係産業界が先行削減事業(AIJ事業)での実績や科学的知見を散々紹介したにもかかわらず、EU諸国の原理原則論によって森林以外の吸収源や大規模水力発電が京都議定書上否定されたことについて極めて大きな反発があることが判明した。
ISO(国際標準化機構)での新たな流れと世界の再統一の可能性
現状において、ISO-TC207WG5はこうした問題の「接点」あるいは「るつぼ」となりつつあり、Marrakesh Accords以降の気候変動問題に対する世界の趨勢の縮図を見ることができる。
各国民間部門は、政治的方法論の相違を離れてこうして分裂してしまった気候変動の世界を純粋に技術的側面から再統合する必要を強く認識しており、既に各国代表の協調が開始されつつある。先日開催されたベルリン会議においては、民間部門において政治的体制を超えて適用可能な「万能規格」の早期策定に向けて協力をしていくことが確認された。
ISO-TC207WG5の作業は、京都議定書やアメリカの新・気候変動イニシアティブなどさまざまな体制の下での排出削減・吸収源に関する具体的措置についての用語の定義、計測の方法論、認証方法・手順等を検討し規格化しようとするものである。これは、今後の気候変動問題について再び世界が共通の尺度の下で削減措置について議論を行うための「技術的基盤」を提供しようとするものであり、ある意味では京都議定書の第2遵守期間以降の議論に向けた新たな潮流の中心となる可能性も秘めているものと考えられる。我が国は、慶應義塾大学山口光恒教授他の御尽力により、ISO-TC207WG5/AHG2(プロジェクトに関する算定法)とAHG5(少人数による規格素案策定会合)の幹事となることに成功し、現状において既にその議論において中核的役割を果たしている。我が国では京都議定書が唯一の気候変動の正当なる対策であるという認識を示される方が多いが、当該交渉に参加した当事者である筆者自身その認識は一面的に過ぎるものと考えており、本ISO-TC207WG5の作業は、現状の分裂状態を打開する 1つの可能性であることは間違いがないと考えている。我が国は、本問題に政治的に挑戦するばかりではなく、国内の関係各位の御協力・御支援を得つつ、気候変動の世界を民間主導で再統合する技術的側面からの取組みについても努力していくことが必要であると考えられる。