システムとしてのセーフティネット

赤石 浩一
研究員

セーフティネットの議論が盛んだ。いわゆる「骨太」をはじめ総合規制改革会議、産業構造・雇用転換本部、日本医師会等当事者の提案、各種経済団体提言、政策シンクタンクの提言、それに対する担当省庁の反論など、ほぼすべての論点が出尽くしているような感がある。

セーフティネット改革の基本的な背景にある1)人口構造の変化と2)経済構造の変化に対応するためには、これまでの企業福祉主義から脱却し、ヒトが流動化することを前提として、公的負担と個人の責任の両者のバランスをいかに確保していくか、という観点からセーフティネット全体をシステムとして再設計していく視点が欠かせない。

現在行われている改革論議は個別にみるとそれぞれに理がある。しかしながら、一歩離れて、セーフティネットシステム全体として改革の方向性に沿っているかという観点から鳥瞰的に眺めてみた場合、いくつかの課題を指摘できる。

第一に、それぞれの制度は歴史的にバラバラに構築され進化してきた生成過程をそのまま引きずっている場合が多いが、複雑に入り組んだセーフティネット関連制度を分野毎に改革しても、全体としてみると改革の目的を効率的に達成することはできない。セーフティネット制度相互間の関連性、補完性についての検討が今後の課題である。

第二に、改革議論が目前の課題の解決に追われてしまい、それぞれの制度が自律的に持続可能性をもって存立するダイナミックな構図、言い換えれば制度のガバナンスをどうするかという観点からの議論が十分に行われていないように思われる。

制度相互間の補完性の観点

セーフティネットにかかる制度については、それぞれの制度を自己完結的に構築するのではなく、全体として有機的なシステムとしてとらえ、お互いに整合的で、効率性を高めあうような、そういった相互補完的な複数の制度を「システム」としてどう再設計するかが議論されるべきである。雇用の流動化を図るための年金制度はどうあるべきか、企業の競争力の向上と負担の適正化という観点から全体として企業にどこまでセーフティネットの負担をしてもらうべきなのか、国民の最低限の生活を守るための生活保護、失業保険、年金給付の関係はどうあるべきか、個人の立場にたって各種社会保障制度を最適に選択するためにはどういう制度設計が必要なのかなど横断的な切り口で検討すべき課題は多い。

また、総額数十兆円に及ぶセーフティネット分野は経済社会全体との関係を視野に入れずして議論することは適切ではない。特に、構造改革と経済対策との両立が求められている今日、それぞれの個別の分野単独での整合性を考えるのではなく、消費性向や労働力人口などのマクロ経済との関係、産業としての発展可能性あるいは生産性の向上、個人のライフスタイルの変化といった「経済社会全体のシステム」をより明確に視野に入れたうえで制度設計を行う必要がある。

制度のガバナンスの観点

昨今の議論は制度のガバナンスの問題に対する配慮がいささか足らないように見受けられる。
たとえば、企業福祉主義からの脱却は公的責任の強調につながりやすいが、政府という主体を通じた資金の効率的管理・運用・配分が問題となっているときに、そのガバナンスをどうするかという議論が欠落している。また、「個人の責任」を強調する点は重要であるが、年金運用者や医療・介護サービス提供者と個人との間で、情報の非対称性を始めとする歴然たる力の差があるなかで「自立した個人」を謳うことは、結局個人に責任と負担を押し付けるだけに終わる恐れがある。個人の能力を補完する仕組みをどのように構築していくか、という議論が不可欠である。

医療制度の一本化や税によるコスト負担など、しばしば主張されるシステムの統合論についてみると、それは制度を簡素化するメリットを有する一方で、受益と負担との関係を不明確にし、その場しのぎの対策であることが多く、資金の効率的管理・運用という視点が欠如しやすい。両者の均衡をいかに達成するかが今後の課題となろう。

また、高齢者医療費の問題に典型的にみられるように、多くの改革論議が財政制約から出発していることから、財源負担論が全体を流れる基調にあり、受益者と負担者、サービス提供者などの当事者の全体の効用が増大するような仕組みをどう構築するか、そのためのインセンティブ設計をどう構築するかという議論も足りない。

セーフティネットの制度は大きく捉えれば、「限られたリソース(財源)」と「クライアント」(ex.高齢者、患者、失業者)をそれぞれの制度の管理者(ex.年金基金、健康保険組合、雇用保険特別会計の管理者など)が結び付けている構図であり、同様のメカニズムをとるコーポレートガバナンスの考え方を参考にすることが考えられる。セーフティネットの資金拠出者とサービスを受けるクライアントのニーズをいかに吸い上げるか、制度管理者の監督、場合によっては退出をどう促すかなどの点についてガバナンスの観点からダイナミックな仕組み、インセンティブ設計を検討していくことが課題となろう。

もちろん、公平性や公正性、所得再配分機能など、そもそも「市場の失敗」を補う点に主眼があるセーフティネットに市場メカニズムの考え方を導入するには抵抗があるだろう。しかしながら、年金の受給資格、地域によるサービス提供格差などの問題をはじめ、今の制度が社会正義を実現していると胸を張っていえる状況にもないように思われる。変化への対応、負担者と受益者の相反するニーズの効率的な調整、システムとしての持続性という点においては、「市場の失敗」を「市場メカニズム」を活用して補完していく、という新たな「公益実現手法」を「リエンジニア」していくことが求められているのではないか。

複数のセーフティネットをひとつの有機的な「システム」として捉え、経済社会全体を視野にいれつつ、どういった方向で再設計していくべきなのか、また、セーフティネットのダイナミックな設計はどうあるべきか、今後議論を深めていく必要がある。

経済産業研究所では、9月7日に「活力ある経済を支えるセーフティネット~システムとしての再設計~」と題したシンポジウムを開催し、セーフティネット再構築に向けた問題提起を行います。

2001年8月29日

2001年8月29日掲載

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