農業・食料問題を考える

中国の農業・農村問題

山下 一仁
上席研究員

1.中国の三農問題とは?

昨年12月11日から12日に北京で開催された、日中韓三カ国の東アジア農業政策協力国際シンポジウムに出席し、中国、韓国の政府関係者や研究者の方々と意見交換をしてきました。中国の抱える内政上の最大の問題は、「農業、農村、農民」の「三農問題」であると言われています。この問題の核心は、農業と工業の間、農村と都市との所得、生活格差の拡大です。

途上国では、労働コストの多くを占める食料品価格を低く抑えることで工業の発展を図るという経済成長政策を採って来ました。つまり農産物価格を低くし農村を搾取することで都市の発展を実現してきました。中国でも例外ではありませんでした。農家には農産物に農業特産税が課される一方、都市住民には市場価格よりもさらに低価格での食糧配給制度が1991年まで実施されていました。1958年には都市戸籍と農村戸籍が区分され、就学就業面で農村住民が都市へ移動できなくなりました。都市で就職先を見つけた場合でも、「暫住」(しばらく住む)という資格しか与えられず、低賃金、長時間労働という劣悪な労働条件を受け入れなければなりません。都市住民は医療、失業保険、年金等の社会保障を受けられますが、農村住民にはその権利はありません。また、農業税という特別な税金が課されているうえ、村の財政に対処するための税制が確立されていないため、恣意的に農民から資金調達がなされたりします。さらに、正当な補償もなく、土地が強制的に取り上げられてきました。

中国では、13億人の人口の約7割が農村に居住していますが、農民と都市住民の1人当たりの可処分所得の比率は、1998年の2.5倍から最近では3.5倍に拡大しているといわれています。しかし、このような都市と農村の格差を放置していくことは、大きな社会的不安定要因となるだけではなく、経済成長を支える消費需要の拡大が困難となりかねないという問題があります。これまで中国の経済発展は輸出に支えられたものです。人口では7割を占めるにもかかわらず農村部での商品販売額は全国の4割弱にすぎません。日本の高度成長は農家所得の向上によって農村部を含め全国の消費需要が好調に推移してきたことにも大きく支えられてきました。いわゆる三種の神器といわれた家電製品の普及率は高度成長時代の都市と農村でほとんど変わりありませんでしたし、自動車に至っては農村の普及率が都市を上回っていました。中国が経済成長を維持していくうえで、都市・農村の所得格差の是正が大きな課題となるのは当然のことです。

2.日本の経験

我が国も1960年頃農業と工業の所得格差の拡大が問題とされました。農業の規模拡大によってコストダウンを図り、農業所得を増加させてこの問題に対処しようとしたのが1961年の農業基本法でした。その前提として、農業部門からの他産業への労働力流出が見込まれるという予想がありました。経済発展の過程で、はじめは農村に滞留していた次男、三男や子女を中心とした多くの過剰労働人口が農家を離れて離村したり、出稼ぎをすることで、工業等の拡大に必要な労働力が供給されました。その後、農村近辺に工業が導入されるのにともなって、あとつぎや世帯主までも農家から「通勤」するようになりました。農家の兼業化です。政府も農村地域への工業等の導入を補助金、金融、税制措置等により積極的に支援しました。

また、政府はコストダウンではなく米価を上げて農業所得を増加させました。こうして農家所得は、65年には勤労者世帯の所得とほぼ均衡化し、それ以後はこれを大きく上回るようになります。農村は豊かになりました。かつて農政に携わった人達が課題として取り組んだ農村の貧困問題は解消したのです。

しかし、大きな副作用が残りました。兼業化と米価政策で零細な兼業農家が滞留したため、農業は規模拡大できず、農業の担い手となる企業的な農家は発展しませんでした。農村の経済的地位の向上は、日本では農業を犠牲にしながら進みました。

3.中国ではどうか?

2004年から中国は、延滞していた土地収用補償金の返済などの改革を実施しています。今年から農業税も廃止します。昨年には本格的な戸籍制度の改革の検討を打ち出しました。これによって農村から都市への人口移動が進めば、日本の例のように格差は是正されていきます。

一方、農業については、農民一人あたりの耕地面積は0.24ヘクタールで日本の1ヘクタールよりも規模は小さいという問題があります。現在は労働コストが低いので農産物の国際競争力はありますが、都市との所得格差が是正され、労働コストが上昇すれば競争力は低下していきます。中国は2004年から穀物の売買と価格を自由化し、農民に直接補助する政策に切り換えました。日本が米価政策によって零細農家を滞留させたことに較べると、正しい政策を採っていると評価できます。

我が国では、今でも生産者による米の供給制限に政府が助成し、国際価格の9倍の米価を維持するという政策を採っています。いずれ日本の政策担当者や研究者が中国に教えを請う日がくるのではないかと心配です。

2006年1月6日

2006年1月6日掲載