フェローコンテンツ: 対談・経済政策の選択肢

第7回「日本経済の問題を需要不足にあると見て、財政出動を重視する選択肢」

植草一秀(野村総研→早稲田大学大学院教授)氏との対談

植草一秀 (うえくさ・かずひで)
1960年東京都生まれ。1983年東京大学経済学部経済学科卒業。同年、(株)野村総合研究所経済調査部研究員。1985年より1987年大蔵省財政金融研究所研究官。1991年京都大学経済研究所助教授、1993年スタンフォード大学フーバー研究所客員フェローを経て、1996年(株)野村総合研究所主任エコノミスト、1999年上席エコノミスト、2002年主席エコノミスト。2003年4月より早稲田大学大学院公共経営研究科教授。テレビ報道番組のコメンテーターとしても活躍。

日本経済全般の認識について

飯尾:
基本的に、小泉政権の政策スタンスに反対しておられるのは知っているのですが、その前提として、今の日本経済が一番問題だとお考えになっている点についてお話しいただけますか。

植草:
今の日本経済は、経済学の用語でいうと不均衡という状態にあると判定していいと思います。何が不均衡かというと、生産力、物をつくる力、生産資源の稼働率が著しく低下している状態を表現しています。

現実の生産水準は何によって規定されるかといえば、基本的には、その時点の国、世の中、経済全体の需要水準です。個人消費だったり、設備投資だったり、そういう最終需要の水準によって規定されます。さまざまな計測がありますが、この水準が現在は、生産能力に対して、大体90%から93%ぐらいという計測が多いと思います。そうすると、7%から10%のギャップが生じている。この状態を不均衡と表現しています。不均衡がどういう問題をもたらすかというと、これは生産資源についてのことですから、生産設備とか、企業とか、あるいは労働者と置きかえて考えることが出来ます。

一番深刻なのは、人の問題で、100人が仕事をしたいというときに、90人分しか仕事がない状態なわけです。表向きの統計は、失業率は5.5%などという数字になりますが、統計の定義上の問題があって、実態上での失業者が十分捕捉されておらず、実態上は失業は10%程度と見ています。こういう状態が今の問題点です。

飯尾:
不均衡というのは、経済学の教科書だと、自動的に回復するように書いてあったとも思うのですが、回復はしないものなのでしょうか。

植草:
不均衡から均衡への移行のプロセスは3つ考えられます。

1つは、市場にゆだねるという方法です。これは、価格メカニズムが有効に機能すると、需給が調整されるということです。どちらがどちらに収斂するかというのを、古典派的な経済学の考え方でいえば、供給はそれ自体の需要を創出するという考え方がベースにあります。つまり、供給力が生産水準を決めると。それがどう配分されるかは、価格が変動することによって、供給に見合う需要が生まれるように調整されて、需給が均衡する。ですから、基本的に100の実質的な生産力に対し、需要が100になり、両者が均衡する。つまり100の資源は100生かされる状態に移行する。これが古典派的な考え方です。それに対して、ある程度人為的な措置を伴って需給の調整をしようというときに、大きく分けて2つの考え方があります。

1つは、100ある供給力を90に削減してしまうことによって、需給を均衡させるという考え方です。非常に単純にいえば、問題のある会社をつぶすということです。立ち行かない企業を法的整理にかけるということが中心になり、退出すべき企業は市場から退出させる。 もう1つは、今、90%の需要を100%に誘導していく方法という考え方です。それによって、100%の生産力が稼働する状況に誘い込む。

古典派的な価格メカニズム万能論で考えると、市場の機能にゆだねるべきだといいますが、現実には、価格メカニズムは必ずしも完全ではない。価格の下方硬直性とか、賃金の下方硬直性とか、あるいは生産資源のモビリティーとか、生産資源が移るということについて、必ずしも調整速度が高くない場合があるわけです。不均衡の状態が非常に深刻で、かつ不均衡の持続時間が非常に長い場合には、社会的な不安につながるなど、さまざまなコストが発生します。

そのコストを考慮したときに、もし人為的な手法を用いて調整時間を短期化するとか、不均衡の深刻の程度を緩和することが可能であれば、放置した場合のコストと、人為的な手段をとった場合のコストと比較して、むしろ人為的な手を加えたほうがいいという判断が生じてきます。

少なくとも、それをはなから否定して、あり得ないと断じることはできない。どういう方法があるのかを検討して、その方法をとった場合のメリット・デメリットを比較、考慮した上で、何もしない場合と比較するだけの意味はあると思います。

飯尾:
今のお話は、現在を出発点としてどうするかという話ですか。それとも、そもそも政府というものとはという感じになりますか。

植草:
今の説明は、基本的に今の状況ということで話をしましたが、一般論でいっても構いません。不均衡ということが発生して、その不均衡の程度が非常に深刻で、かつ長期化する場合があり、その不均衡の問題が金融システムと関連を持つような場合においては、その調整に非常に大きなコストを伴うケースが、一般論として成り立ちます。

さまざまな議論はあると思いますが、その場合には、何もしないということ以外に、何かをするということも含めて検討する必要があると私は思っています。

今言いましたように、生産力の方を削減してしまうというのが1つの方法です。それに対して需要を拡大させるというのがもう1つあります。ただ、前者の考え方は、ある種、人々を説得しやすい部分はあるのですが、大きな誤りを含んでいると思われます。

一国経済を取り巻く環境が激変する時期、たとえば新しい新興国が浮上して、その国が生産力を強めて、国際社会において価格競争を激化させるような局面においては、比較優位から生産が代替されるということは不可避です。そうすると、一国内において行われていた製造業が存立し得なくなり、製造業の立地の拠点が海外に移っていく場合もあります。あるいは消費者の選好が変わって、例えば耐久消費財を中心に消費活動をしていた消費者が、サービスに関連した需要の相対的位置を高めてくるような場合には、それに連動して生産の構造がシフトせざるを得ません。そうすると、例として、鉄鋼会社にしろ、繊維関連の産業にしろ、そういう産業が生産活動を行っている場合にそれをやめなければいけない。機械設備は存在しているけれども、日本ではそれを動かす積極的意義がなくなっている場合がある。設備の廃棄が必要になります。つまり、その状況が需要不足ではなくて、供給過剰であるという議論は成り立ち得るわけです。

そういう点を見ますと、ミクロの視点でいえば、供給過剰ということは発生し得るし、その供給過剰の構造を是正するということは必要になる場合はある。そういう会社が過剰債務、過剰設備、あるいはそれに伴う過剰の人員を調整する。しかし、マクロの政策の概念として、先ほどの100%と90%のギャップを埋める際に、そのミクロの議論をそのままマクロに適用するのは誤りだと私は思います。どこが一番重要かというと、一部の生産設備については、そのような方法を取ることがいいのですが、これを人に置きかえた場合には、その妥当性を失ってくるわけです。つまり、100人が仕事をしたいときに90人にするということは、10人の人が仕事をする考えを捨てて、失業者になれということです。

労働関連の統計でいえば、生産年齢人口というのがあって、そのうち働く意思を持つ人を労働力人口といいます。労働力人口のうち、働いている人が就業者、働いていないのが失業者。この失業者のうち、自らの意思でとりあえず失業状態にいる人を自発的失業といい、そうでない人を非自発的失業といいますけれども、失業者について、働く意思を捨てろと。ですから、労働力人口を非労働力人口に転化する。もしそういうことを何らかの形で強制すれば、失業率をゼロにすることも不可能ではないわけです。

そういう意味で、不可能ではないけれども、本来、働いて自分で生計を立てていきたいという人に対して、政府の施策として「働く意思を捨てろ、失業者として生きていけ」というのは正しい施策とは思えません。政府にはさまざまな役割がありますが、仕事をして生きていきたいという人が100人いれば、その100人に仕事が供給される状況に誘導していくのが政府の本来的な役割なのではないでしょうか。

それでは、どういう方法でそれを誘導できるかということでいいますと、90年代以後の経済政策の変遷を、もう少し詳細に議論しておきます。生産が回復に転じる、つまり需要が増大して、生産が増大した局面は何度かあるわけです。事態の悪化をはかる指標として、生産活動の指標と株価の指標と2つ考えられますが、90年代、特に95年以後などでいいますと、株価と生産活動はほぼ1対1で連動関係を持っていて、株価の変動に対し、生産活動が半年から1年遅行します。

過去の財政政策について

飯尾:
株価が生産水準を追いかけるのではなくて、株価の方が早いわけですか。

植草:
そうです。先行指標です。そのような現象が現実に観測されるので、株価の変動をもって経済の変動の代理変数として見ると、90年代に株価が大きく値下がりして、その中で危機と呼ばれた局面が4回あります。1つは92年8月、2番目は93年11月末、それから95年7月と98年10月です。その4回の局面でどのように対応して流れを変えたかというと、92年の8月は宮沢政権が10.7兆円の景気対策を打ちました。それから、93年11月末のときは、最終的には94年の2月までずれますが、同じ時点から、実は所得税減税の先行実施などが浮上して、これを決めたのは94年の2月で、15兆2500億円の対策を決めています。それから95年の9月に、村山政権が14兆2200億円の対策を決めて、これに先立って、日銀は7月と9月に金利引き下げを行っています。98年の10月は、金融問題に対応して60兆円の金融支援策を固めて、翌11月には23.9兆円の景気対策を決めた。つまり、4回とも、ある程度の財政政策を中心にした政策対応が打ち出されました。財政需要によって、需要水準そのものを高めようという施策をとっています。

その後の市場の反応を見ると、4回とも株価が5000円から8000円上昇して、経済活動も一定の改善を見ているわけです。特に暦年の96年は、実質で3.4%の成長を実現した。株価は2万2600円まで上がりました。それから、2000年も日本の経済成長率は2.4%、株価も2万800円まで上昇した。ということで、非常に大きな成果を上げています。

ただ、それは結局長続きはしませんでした。そのことについて、人為的な景気対策は有効でないという話がしばしばなされますが、もう少し正確に実態を調べてみると、実は、事実と異なっています。というのは、93年の半ばに、株価は2万円を超えますが、これが崩れていきます。このときの要因というのは、記録的な冷夏が日本を襲って、夏の消費がものすごく落ちて、それ以外に、細川政権が生まれた年ですが、政策の空白が数カ月あって、政策が全く止まってしまいました。もう1つ、ゼネコン疑惑があって、公共事業の動きが止まった。それからクリントン政権が発足して円高が進行した。さまざまなことが重なって、腰折れしている。

94年の場合は、日銀が時期尚早の利上げの動きを本格化させて、世の中は利上げムード一色になった。これを背景に株が2万円を割り込んで、景気が悪化に転じます。そこに、95年に入って1月17日の地震とか、3月20日のサリン事件とか、3月、4月には円・ドルレートが1ドル80円を突破するとか、これが重なって、株価1万4485円まで急落していった。ですから、この2回のケースは、冷夏とか地震とかサリンというアクシデントにかなり左右されています。いずれにしても景気対策の効果が持続しなかったのではなくて、外的ショック、あるいは94年の場合には政策の間違った対応があって、悪化しただけです。

それから、3番目の96年ですが、株価は2万2600円まで上がっていました。ここに橋本政権が登場して、消費税の引き上げの方針を正式に閣議で決定したのが96年の6月25日です。株価は6月26日から下落を始める。結果、橋本政権は97年度に非常に強硬な緊縮政策をとっている。それで98年の10月まで2年3カ月で株価は1万円の暴落になった。つまり、橋本政権のあの緊縮政策がなかった場合、検証のしようはないのですが、なかったら多分全く事態は違っていた。超緊縮の政策がとられて、1万円の暴落になりました。

4番目は、2000年です。小渕政権の政策対応により、株価は2万円を突破し、経済成長率も2.8%を記録しました。しかし、2000年4月に小渕首相が倒れ、森政権に移行し、緊縮財政に政策が転換し、また日銀が金利引上げに動いた。翌2001年4月に小泉政権が発足し、緊縮路線を強化しました。株価は1万3000円も暴落しました。

長い説明になりましたが、要は、90年代に政策が景気浮揚策を方針として示して、それに見合う、ある程度の規模の政策を発動した局面では、4回とも株価の本格上昇と経済の流れの転換に成功しているんです。ところが、93年の場合には冷夏だったし、94年の場合には、日銀の政策にもよりますが、地震とかそういうのが一気に重なって崩れたし、96年とか2000年の場合には、基本的に政策の逆噴射によって壊してしまった。ですから、日本経済の低迷が長期化していることについて、積極的な経済政策は効果がなかったと説明する向きが非常に多いのですが、実体を詳細に調べるとそうではなくて、景気対策は効いたけれども、経済が軌道に乗った局面とか、軌道に乗る直前で政策の逆噴射、私は「負のケインズ政策」と呼んでいるんですけれども、そのような政策をとられたために、経済の改善というのは水泡に帰している。これが歴史の真実です。

飯尾:
そうすると、基本的に正しい政策をとられたけれども、長続きしないことが問題で、景気浮揚策を続けていれば、今現在、良い状態になっていたはずということですか。

植草:
それに近いのですが、これから先は、一体どのような方法で不均衡を均衡に誘導するかという出発点の話です。まず、景気浮揚に軸足を置いた政策路線を提示するというのが私の処方箋の一番です。今の政府は、不況が持続するという宣言をしています。それに対し、政策が全力を挙げて生産水準の回復を目指す。100の生産力に対して現実の生産が97で、現実の生産水準を供給力である100に近づけるというのを景気回復といっています。そういう方針を示す。方法としては、財政支出を含む、ある程度の積極策を打つ。実はこれが過去4回、非常に有効に効果を発揮しているということです。

飯尾:
証明された有効な政策だということですね。

植草:
そうです。ただそのときにもう1つ問題が出てくるのは、100の生産力に対し、需要が90である場合、それに伴う生産が90で、その生産を100に近づけるために、90の需要を100にする差の10を、財政がやるということに対して反論がしばしば生じてきます。

500兆円のGDPで10%ですから、約50兆円です。50兆円分財政で埋めるのかという話がありますが、そうではないと。私が言っているのは、事態が著しく悪化した時には、流れを転換するためにある程度インパクトのある政策が必要だと。流れのよい時は、政策は中立でいいとずっといっています。2002年の例でいうと、2002年の前半は生産は回復していました。これはよい流れなので、そのようなときには、重要なことは2つあって、政策当局は経済の改善が持続するように全力を挙げるというメッセージを出す。もう1つは、それに整合性を持つように、財政政策運営は中立スタンスを維持する。

財政政策のスタンスの基準

飯尾:
中立というのは、どういうものを中立というのでしょうか。

植草:
これは、財政が積極か緊縮かということが国会でもよく議論になりますが、厳密にいうと結構難しい話ではあります。ただ、簡便化して、客観性のある1つの評価尺度をとるとすれば、統計数値の速報性というか、ある程度今の状況がすぐにわからないといけませんから、そういうことも含めて結論を申し上げますと、一般会計が国家財政を集約したものですから、一般会計における歳出規模と税収から計算する財政赤字、つまり歳出規模と税収の差を財政赤字と定義して、この財政赤字の前年差を見るのがいいのではないでしょうか。

飯尾:
財政赤字が増えたか減ったかということを見るというわけですか。

植草:
そうです。ただ、そこで問題があるのは、一般的に一般会計での財政赤字というのはどういう計算になっているかというと、歳出規模から税収と税外収入を引いたものを財政赤字と定義しています。つまり、国債発行額になります。ところが、昨年度の国債30兆円枠問題と絡んで、ここが非常に大きな問題を生んでしまったのは、見かけの赤字を30兆円にするために、税外収入を増やすという会計処理がとられました。つまりNTTの売却代金を借りてきてここに入れると、見かけの赤字を30兆円にとどめることができるんです。これはまさに粉飾会計処理になる。その問題を取り除くには、税外収入を一定金額置いてもいいし、税収だけとってもいいんです。歳出の合計から税収を引いたものを財政赤字としてやれば、その操作の余地が出なくなります。

もう1つの問題は、あくまで最終的に決算ベースで得られる数値が事後的な財政赤字なので、財政のビルトインスタビライザーということとも絡みますが、景気がよくなると税収が増えて、財政赤字は減ります。そのときに緊縮策をとったかというと、そうでない場合がある。逆に緊縮策をとったときに、その結果、景気が悪化して、財政赤字が増えてしまうと、緊縮策をとっていないように見えたりするような、二次的な問題があります。

たとえば、2000年度というのは、財政赤字が前年差3兆2000億円のマイナスです。これは森政権です。確かにこの年は景気がよくなったという部分があるので、そのことは差し引かなければいけませんが、3兆2000億円の財政赤字の減少というのは、過去20年間、時系列で見ると最大の赤字削減なんです。ということは、森政権はかなり強い緊縮策をとっていることになります。

そして、2001年度の小泉政権の当初予算は、この額がマイナス6.7兆円です。過去最大の赤字削減は大体3兆円程度で、森政権はそれに大体匹敵して、金額ではそれを上回っていますが、小泉政権はそれの2倍の6.7兆円と強化している。これはかなり激烈な緊縮財政で、結局2回、補正予算を組むことになるわけです。ですから、昨年度の場合もブレーキの踏み過ぎなのです。

そのときも、私は積極策は必要ないけれども、一般会計ベースで見た前年差の財政赤字の増減で大体ゼロになる程度を中立と述べていたわけです。その程度のスタンスをとるべきだと。そして、昨年度はかなり強力な緊縮になっていた。2002年度も、程度は大分緩和されているんですが、実は当初予算ベースで2兆5000億円ぐらいの赤字削減になっていました。

これは、ブレーキの踏み方が弱くなっただけで、アクセルを踏んでいるわけじゃありません。あくまでもまだブレーキを踏んでいる。ですから、これも本年度の中立性が必要だったら、必ず補正が必要になります。

取るべき政策について

飯尾:
今の定義上だと、財政政策をするなら赤字を増やすということですね。

植草:
そうです。赤字を増やす。ですが、たとえば支出を拡大させるのもあれば、減税もある。どちらでも同じです。ただ、いずれにしても問題もあります。検証すると、そういう政策を打つときに、政策のスタンスがどうであるかが非常に重要で、政策により景気回復を促すとか、景気回復に全力を挙げるとか、そちらにプライオリティーを置くとかいう方針があって政策を打つのと、あくまで「改革なくして成長なし」の路線は維持したままでやるのは大きく違います。特に本来、政策の心理に与える影響というようなことを論じる視点が重要です。

そうすると、先ほどのプロセスの、まず第1段階では、政策の路線を言葉としてはっきり掲げる。2番目に、経済、金融の流れを転換するような対策を打つ。過去の経験則からいうと、その2つがそろったときには株価が5000円から8000円上がっている。生産活動は一旦改善に転じている。ですから、今でもそのような方法をとれば、そういうことは可能です。8000円の株価は1万3000円から1万5000円になる。

ただ、そのときにそういう形で財政需要を追加して、生産を引き上げるのをずうっと継続して50兆円なりのギャップを埋めていくのかというと、そうではなくて、そのような施策が目指すものは、民間需要主導での生産の増大です。つまり流れを転換させる。これを呼び水といっていますけれども、呼び水の部分が財政を動かさないと、化学反応を起こすのに、Aという物質とBという物質でCができるとしても、触媒を使わないと反応が起きない場合があるので、反応を引き起こす触媒として、財政を出すということです。

飯尾:
基本的には、財政赤字が手段となるということですね。

植草:
2つあって、意思の表明とそれを具体化する赤字です。意思の表明のない赤字は効果が3分の1とか5分の1とかになってしまいまいますから。

飯尾:
効果がそんなに違いますか。

植草:
そう思います。ですから今、5兆円の財政赤字を拡大するのに必要となる補正予算を打っても、「景気回復を目指さない」と言って政策を発動しても、市場はほとんど反応しないで終わるでしょう。言葉がついていないというのが最大の問題なんです。

飯尾:
逆はいかがですか。言葉は言っているけれども、さっぱりしていないというのは(笑)。

植草:
実は、そういう言葉だけで、本当に信用されるようなものがあれば、圧倒的に少ない金額で最大の効果を出すことができます。最悪なのは、意思はないと言いながらお金を使う。いくらお金があっても足りない。まさに、これこそ国を滅ぼす政策というか、財政赤字を無限に拡大させてしまう。

いずれにしてもそういう方式によって、目指すのは民間需要主導の成長です。私の頭の中にあるイメージは、今、日本では生産能力100に対し90しか稼働していない。つまり生産余力がある。潜在的な生産力が10%あるということです。10%の余力があるということは、2%ずつ使っても5年使えるわけです。

一方、生産力そのものは労働力人口の上昇と、生産性の上昇の和になりますから、2000年代の大きな問題は、供給サイドの成長力が低下してくるということです。これはさまざまな議論があると思いますが、とりあえず、しばらくは1%ぐらい。例えば80年代に4%ぐらいあったのが、90年代に落ちて、3%とか2%になった。今は1%という数字です。ただ、それでも1%増えるということは、5年かけて不均衡を均衡に誘導するような場合に、念頭に置くべき成長率の平均値を大体3%にする。つまり供給サイドの1%と、生産余力の2%。ですから政策の目標として、3%成長を5年持続させるぐらいの目標が妥当だと私は思っています。

このような不均衡の状況下においては、需要増大策に政策のプライオリティーをまず置くべきです。需要が増大して生産が増える。それで不均衡が縮小するということです。

最近よくいわれている「サプライサイドの改革路線」でよく提示される、さまざまなメニューは、むしろ均衡下における政策です。今のような不均衡下においては、需要をいかに高めていくかという需給ギャップの解消という方にプライオリティーは置かれるべきです。その順序が本末転倒というか、逆転した議論になっていると思います。

日本の成長パターンというのは、基本的に消費主導で考えていくべきだと私は思っています。実はアメリカが92~93年ごろに、そのような成長軌道を確立していますが、やはり消費主導です。それはどういうパターンかというと、生産が3%増えるということは、必ず分配所得の3%増加をもたらしています。労働に分配されたり、資本に分配されたりします。つまり、誰かの所得が3%増大する。3%の所得増加が、3%の支出増加に結びつく。こうして、次の3%の生産増加につながっていくわけです。つまり民間需要主導で3%の成長パターンが一度形成されると、通常は持続する。他の金利とか、海外要因とか、外的ショックがない限りは持続する。

そういう意味で重要なのは、96年の3.5%成長ですが、実は個人消費、設備投資主導で実現しています。設備投資の大循環があって、80年代後半に2桁の伸びを3年も続けますが、90年代前半に2桁の落ち込みを示す年も出てくる。設備投資の大循環が、1987年から1995年までの日本経済の最大の特徴で、それが5%成長を4年実現させた後で、1%成長が4年続いた。つまり、バブル景気とバブル崩壊不況は山高ければ谷深しで、対の関係なんです。

95年に、個人消費、設備投資、住宅投資といったあらゆる需要項目の伸び率が、小幅ながら全部プラスに収斂してきます。95年の経済白書をぜひもう一度見ていただきたいんですけれども、ストック調整完了ということを書いてあるわけです。バブルのころの過剰な設備問題が解消したと書いてあります。96年は、その調整が完了した後の3.4%成長で、個人消費、設備投資主導だったんです。ですから、私はこの成長軌道は持続力があると見ていました。そのときに政策が中立を維持すれば、3%成長を何年か持続することができて、それによって需給ギャップは大幅に縮小したでしょう。

飯尾:
ところが1年だけだったので、これが駄目だったと。

植草:
96年の年初から、今年は景気回復というのを私は書いていましたし、景気はよくなると。ところが、問題は94年に減税をやったときに、97年ごろに増税をするような話が既にその当時出ていました。

私は、ここであまりに過大な増税をすれば、この景気回復を壊してしまうと考えていました。96年の7月号の東洋経済の『論争』という雑誌に、「財政再建最優先論に意義あり」という論文を出しているんですが、そこで述べているのは、せっかくの成長軌道ができてきたので、それを壊すべきではないと。

また、日本の不良債権問題が非常に大きい。当時で100兆円の規模と私は考えていたわけですけれども、その問題があるので、緊縮策をとり、株価が下落して、事態が悪化すれば、それは必ず大きな問題を生み出していって、いわゆる金融不安を生み出していく。

結局やったのは、消費税率の2%上げによる5兆円の増税に加えた所得税の特別減税の廃止で2兆円の増税と、医療保険の負担が2兆円増えた。それから、97年は公共投資を4兆円減らしているんです。97年の政策は、5兆円の2兆円、2兆円の4兆円で計13兆円です。激烈なブレーキを踏んでいるわけです。96年の論文で私が主張したのは消費税の2段階引き上げです。97年4月と98年4月と2度に分けて消費税を1%ずつ上げる。これだと1年あたり2.5兆円の増税です。2.5兆円ということは、日本のGDP比でいうと0.5%なので、3.4%成長していた経済ですから、それに0.5%の負荷がかかっても吸収し得る。成長の軌道を壊さずに、将来に向けた税率の構造は変えられるので、この程度にしていくべきだと主張したわけです。自分でいうのは変ですが、すばらしい提案でした。

とるべき政策は、景気が軌道に乗った段階、民間需要主導で3%の成長が実現した段階で、しばらくは中立の政策スタンスをとること。それによって、その成長は持続していくことができる。個人消費の成長速度が巡航速度に回復するためには、2つの将来不安を取り除くということが必要です。1つは、日本経済が順調な軌道、つまり不均衡から均衡に戻っていくという中期的な経済に対する明るい見通しが人々に共有されるということ。 もう1つの条件は、日本の財政状況について、将来破綻するというおそれが非常に強まれば、そのこと自身が消費者の行動を萎縮させてしまう。それを避けること。つまり、財政の健全性回復について、長期的な安心感を生み出すことです。

ですから、先ほどの処方箋に戻ると、まず政策方針を変える。2番目にそれに見合う政策を打つ。それによって、民間需要主導の3%程度の成長を誘導していく。この成長を誘導していくときに、明確な将来設計というか、このような方法で経済をこう誘導していって、それが実現する可能性はこの程度高いということを説得しなければいけない。同時に、日本の財政事情についての不安心理を取り除くものを提示する。これがないと、消費回復は実現しない。

このような政策で経済を、3%の成長軌道に誘導することは可能です。重要な点は、消費者の政策に対する信頼を確保するという部分です。そして、私が言っているのは、景気を支援する政策を打つと同時に、「財政健全化10カ年プログラム」を提示することが必要ということです。

飯尾:
これは、最初の5年間は赤字があるけれども、あとの5年間で改善するということですか。

植草:
まだそこまで具体的に何年でというところまでは書いてはいませんが、その考え方だけを言いますと、10年後にある程度の財政健全化を実現することは可能だという判断を持っているわけです。10年後にはどこまで行くか。しっかり不安を取り除くのは15年後になるかもしれませんが。

税収は、90年度は60兆円ありました。2002年度は44兆円です。つまり12年間で税収が16兆円落ちているわけです。その間に減税をしたので、減税が幾らで、減税でないのは幾らかという具合に、循環赤字と構造赤字に分けられますが。1つ注意しなければいけないのは、政策当局のここのところの計算は、まゆつばで見る必要があります。OECDがやっているのも、日本の役人が行ってやっていますから、歪んでいる。政策当局がよく使うのは、OECDの計測によると、循環赤字は小さくて、構造赤字が大きいと。私も数値計算をいろいろとしたことがあるのでわかりますが、一言で言うと、どういう数字でも作れます。ほとんど全額が構造赤字という数字もつくれば、全額が循環赤字という数字もつくれる。ですから、そこは相当幅がありますが、政策当局が提示する数値は、明らかに構造赤字を大きく、循環赤字を小さくする計測になっている。実態は60兆円が44兆円で16兆円、そのうちの8兆円から10兆円ぐらいが循環要因、つまり景気悪化に伴う税収減だと思います。

飯尾:
景気が悪化すると、どうして税収が下がるんですか。

植草:
赤字法人の比率が上がりますので、法人税収というのは、所得弾性値がものすごく高いんです。

飯尾:
そこの部分が最大の要因になっているんですか。

植草:
最大の要因です。消費税は比例税ですからあまり影響は受けません。あとはたとえば所得税でも課税最低限以下の人が増えるとかいうことがあれば税収が減ったりします。

一言でいえば、生産活動が本来550兆円が500兆円になっていれば、直接的に所得が減少しますから、比例税であっても税収は落ちます。ですから、その部分で8兆円から10兆円はあるでしょう。これをしっかり回復するというのが財政再建にとっては不可欠です。現実にアメリカの財政赤字の減少を見ると、92年度が赤字のピークです。これはいわゆるS&Lの金融処理部分を除いて、本体部分でいうと、92年度の赤字が2927億ドル。円に換算すると30兆円を超えているわけです。この財政赤字が、98年に黒字に転ずる。つまり6年で黒字に転ずるわけです。アメリカの数字はわりと信頼できて、大統領府が構造赤字と循環赤字の数字を出しています。92年から95年と、95年から98年の前3年、後3年を分けて見ますと、最初の3年の赤字減少のうち7割が循環赤字の減少で、構造赤字の減少は3割。後半3年の赤字減少は、循環赤字の減少が3割で、構造赤字の減少が7割。つまりアメリカのやり方は、まず景気を回復させて、循環的な部分での赤字、いわゆる税収増を図り、その後で、かなり思い切った構造改革というか、構造的な赤字の削減を行っています。増税をやるとか。

飯尾:
ただ、92年からも大分緊縮をしているんですよね。

植草:
要するに財政再建に向けての努力をしていたのは事実ですが、結果的にいうと2つあって、前半部分の赤字減少は景気回復によるものが大きかったということと、もう1つは、92年以後アメリカは景気回復に入るんです。90年から92年までは不況です。景気回復に入るまでは赤字は減少しなかったという事実があります。つまり、景気が回復して赤字は減少した。しかも最初の3年は景気改善による赤字の減少が7割を占めた。ですから、日本の場合も、財政再建に向けてのいろいろな努力はしていっていいと思いますが、経済活動を改善していかないと、現実問題として赤字減少は進まない。これがまず1つです。

もう1つは、日本の財政の根幹にある問題は社会保障財政です。特に年金、医療、介護について、今の制度のままいくと破綻する。これが非常に強く流布されているので、これがやはり不安の最大要因です。そうすると、政府が財政赤字を増やす政策をとって、景気を支えようとしても、その結果として、将来年金が破綻すると人々が強く感じれば、今の消費を抑えて貯蓄に回してしまう。そうすると結局、生産を引き上げる効果は減殺されてしまう。ですから、私は、社会保障財政の収支均衡を図る具体策が必要だと。これについては、消費税を目的税にして、今の社会保険料なども消費税に転換するとか、基本的に消費税で社会保障を賄う。こういう形の決着をせざるを得ない。

将来の選択肢は、低福祉・低負担、中福祉・中負担、高福祉・高負担の3通りあると思います。日本の社会保障が信頼されない最大の理由は、高福祉・低負担をすぐ言おうとする。だからみんなまゆつばに思って、不安になるわけです。将来、これぐらいの社会保障のパッケージならこれぐらいの税率というのを3通りぐらい出してもいい。

私は、10%台ぐらいまで消費税を上げることが必要になるのではないかと思っています。消費税の税収は、今の状態で大体1%で2.5兆円ですから、4%で10兆円、8%で20兆円です。80兆円の予算で、仮に税収が50兆円として、景気がよくなるので10兆円増えたとして、55兆円として、25兆円の穴があく。25兆円を全部埋める必要はありません。特に投資的経費は借金で賄ったほうがむしろ健全ですから、ゼロにする必要はない。ということで、消費税を現行の5%の水準を10%から15%ぐらいまでを視野に入れれば、将来、年齢の人口構成は変わりますけれども、数字を出すことはできます。

3つ目に、一般財政の経費削減ということも可能だと思っています。その柱は、現在3200ある地方公共団体を、選挙の区割りは300であることから、これに合わせて300ぐらいに統合する。それによって、役所の人員の大幅な削減は可能だと私は思っています。

飯尾:
それは景気に悪い影響は与えませんか。

植草:
それについては、イギリスなどの事例でいうと、再就職を斡旋するとかしています。もちろん、民間でその分、就業機会がないと駄目ですが。とりあえずつなぎは失業補償のようなことになるのかもしれません。いずれにしても、そういう施策を本格化させるのは、均衡状態回復後の話ということです。

300に統合できれば、地方議会と地方の首長だけで大体7万人いるのが、もし7000人になっても、本人以外はだれも困らないのではないかということも考えられます。その点、中山間地の行政事務をどうするかということが出てきたら、それは全国津々浦々にある特定郵便局を活用して、行政事務代行を行なうとか、都会はコンビニエンスストアでかなりのレベルの行政事務の代行も可能です。これらは、歳出の削減になります。

さらに、天下りを廃止して、特殊法人、公益法人にかかる支出を切る。これは全部デフレ的な影響が出ますから、それは別途考えなければいけないんですけれども。

この3つを柱にすれば、大ざっぱな数字であっても、10年後の財政健全化は具体的に数値を出せると思います。信頼されるかという問題も別にありますが、しっかり政策を打ち出していけば、財政についていたずらに不安心理を増幅する必要は全くなくて、そういうことがしっかり確保される前提のもとでは、経済の均衡状態を誘導するために5兆円、10兆円の赤字増加があっても、何の弊害も及ばない。それによって例えば生産活動が90から100に戻っていく。税収そのものは44兆円から55兆円ぐらいに拡大していくことを考えれば問題はないのではないでしょうか。

飯尾:
税収はそのぐらいの率で拡大しますか。

植草:
私は、それぐらい拡大するのではないかと。これは、マンパワーを投入した分析が必要だと思いますが。そういうことがあれば、弊害は生まない。そういう形で策を打てばいい。そのためには、5兆円なり、10兆円の真水を含む景気対策をする必要があるでしょう。

飯尾:
これは5兆円なり、10兆円を赤字に上乗せするという意味ですね。今の赤字がそんなに減るということじゃなくて、30兆円が35兆円になり、35兆円が40兆円になるという話ですね。

植草:
そうです。そうすると、またそこは根雪になりますから、次の中立を維持すると、それ掛ける年数分、赤字は増えますから、そんなに気楽な問題ではありません。

しかし、とりあえず1つの目安はGDP比1%。今回の補正予算は、赤字を5兆円増やしますが、税収の見積もりの減少のところは3兆円です。先ほどの計算では、税収は何も関係ありませんが、支出を増やすのは2兆円です。GDP比0.4%。

これは支出だけの話です。税収が減ってきたのはきのうきょうの話ではなくて、みんなわかってきている話なので、新規の施策のところは2兆円の支出追加です。基本的には、GDP比1%ぐらい必要じゃないかと。

ただ一番の問題は、先ほどの言葉の問題です。経済主体の心理にしっかり働きかけなければ有効な効果は得られません。5兆円程度支出を増やすようなこと、あるいは減税ということが必要ではないでしょうか。

飯尾:
減税でもよろしいんですか。

植草:
減税でもいいです。新規に前向きのところですね。

財政を論ずるときに、我々は景気対策、景気安定化の視点でこれを論じてますが、もう1つ大きな問題は、財政の資源配分機能の問題で、限られた財政資金をどう配分するかという問題です。財政で一番大きな問題は、この資源配分問題だと私は思っているんです。それは昔からあるし、今も変わっていない問題です。ただ、よくある議論の混乱は、資源配分問題と、景気安定化問題を混同している場合が多いんです。つまり、景気対策は無駄になるからやめろといいます。ただ、それはあり得る話かどうかは別にして、無駄でない形で景気対策をやることは理論上は可能なわけです。ですから、景気対策はやめろではなくて、無駄な使い方はやめろという話になるわけです。

私が言っているのは、そこを分けた議論が必要だと。景気安定化という話と、内容をどうするかというのを分ける必要がある。

横軸に積極化、緊縮化で、右に積極で左に緊縮として、縦軸に資源配分で、下に利権で上に非利権というマトリックスでとらえると、世の中は二者択一、4象限あるにもかかわらず、左上と右下で論じているんです。つまり、利権をなくすけれども緊縮、景気は支えるけれども利権とかですね。

申し上げたい点は、資源配分機能の問題と、景気安定化の機能という2つの別々の問題が混同されているということです。両者不可分で論じられているところに問題がある。

もう1つは、日本の公共投資が96年に43.7兆円でした。これは歴年ベースのGDP統計の名目値です。2001年の公共投資は32.7兆円です。つまり、直近5年間で11.1兆円減っているわけです。これは、GDP統計の公的固定資本形成です。ですから、GDP統計によるところの公共投資は、44兆円が33兆円に減っています。ところが、小渕政権というのは98年から2000年ですから、96年から2000年がすっぽり入っていく。99年は4.9%ぐらい増えていますが、金額で言えば4.9%は大した金額ではありません。流れでは、96年がピークで、2001年に向かって激減しています。実は小渕さんは公共投資を全く増やしていません。小渕政権で赤字が増えたというのはどちらかというと減税のほうが大きいんです。ところが、小渕さんは公共投資をむちゃくちゃ増やしたと。あんなに公共投資を増やせば景気がよくなるのは当たり前だとかいうことが普通に語られているんですが、そういう事実はありません。ですからそのあたりも、実は我々の論議で事実に基づかない、風説の上にいろいろな議論が展開されているような部分がある。それは是正する必要がある。

今後の景気対策のあり方について、特定産業救済型の景気対策から使途自由な可処分所得、いわゆる使途自由な購買力付与型の景気対策へ、という言い方を私はしているんです。

特定産業救済型の景気対策というのは、生産側に直接資金割り当てをしていく。生産を直接引き上げる政策なので、生産構造を固定化する傾向を強く持っているわけです。つまり、たとえば建設業とか土木業とかですね。生産構造を調整するのを逆に妨げる効果を持っています。

逆に、購買力付与型の景気対策というのは、減税もそうですし、失業した人にお金を渡すのもそうです。それから、出産した人に費用助成をするのもそうだし、育児の費用を出す。つまり、現ナマを渡すということです。あるいは、設備投資をやる人に減税をする。何が違うかというと、使途自由ということが違うわけです。つまり、民間経済主体が、自分の意思に従ってその資金の配分を決めることができますから、そのことによって誘発される生産は市場原理を通じた生産の増加になる。その場合には、伸びるところは伸びて、伸びないところは伸びないんです。ですから、生産サイドの調整を進めていくためには、民間需要主導で生産が増大したときに、伸びないところは小さくなるし、伸びるところは拡大する。需要はあるけれども、生産者がいない分野は、新たに生産者が生まれてくるわけです。

よくいわれるサプライサイドの構造調整、生産サイドのいろいろな調整というのをどう進めたらいいかということが問題になりますが、民間需要主導の成長そのものがサプライサイドの構造調整には一番有効だと私は思っています。

民間需要主導の成長を誘導すれば、そのこと自身が最大の構造調整策になる。ですから、景気支援策でも、全く天と地の差があって、直接、特定産業救済型の景気対策をやると、産業構造を固定化する効果を持ちますが、購買力付与型の景気対策というのは、資金が自由に処分されるので、むしろ調整を促進する効果を持っているわけです。逆にいうと、政治家の立場から見た資金配分でいいますと、特定産業救済型でなければ、利権になかなかならないということです。可処分所得付加型の政策というのは、ルールに基づく資金配分に大体なるので裁量の余地が小さくなるからです。

飯尾:
可処分所得を増やすというのは、減税のほかに何がありますか。

植草:
それは、失業補償です。実はこれから5年間ぐらい、日本はかなり大きな産業構造調整の曲がり角に立っているので、いわゆる雇用の確保も企業内での雇用確保から社会全体での雇用確保に発想を切りかえる必要があるということです。

専門でないところに新規に進出してもうまくいかない。そうすると、そこの個人は一旦会社を離れて、再就職する。そういうケースが多発することになると思います。ただ、そのときの中心は、おそらく団塊の世代だと思います。団塊の世代というのは、今、50歳を過ぎたぐらいのところですが、この人たちのリストラというのがかなりの弊害を伴うのは、その人たちはほとんどのケースが年功制を前提に会社に入っているからです。年功制というのは、定年ぐらいまで会社にいて、生涯所得をもらう。生涯所得の受け取りについて傾斜配分で、若いころは働いた分をもらっていません。

飯尾:
後払い賃金なわけですね。

植草:
そうです。そこで、リストラされた人が新しい会社に入るときは、前貸し分がないわけですから、必ず能力給になるわけです。この人たちがそういう形で処遇を受けるというのは非常に理不尽な部分があって、やっぱり過渡期の措置として、5年ぐらいの時限で失業補償の強化、つまり一定の要件を満たした、特に団塊の世代を中心に、失業するときに人によって退職割増分をもらうケースもあったりしてもいいのではないかと思います。技術上の問題として、いろいろと難しいと思いますが。

飯尾:
何か補償していかないといけないということですか。

植草:
会社が倒産してしまって、退職金ももらえずに放り出されて、再就職したら給料が3分の1とかではね。

飯尾:
そういう場合は、補償金なわけですか。

植草:
そういう部分について、何らかの強化をする。逆に言うと、私は労働行政全般についての提言を何年も前からずうっとしていますが、日本の労働行政を企業内雇用維持から、社会全体の雇用確保に切りかえる。そのためには、失業、離職に伴うセーフティーネットを一旦強化する。政府としてはそれを強化することによって、企業に対しては、逆にある程度の構造調整の自由度を上げる。

飯尾:
つまり雇用規制などを少し緩めて、解雇権を認めるようにして、そのかわりに失業したときの補償、あるいは再就職をしてから収入が減った場合の補填も視野に入れたぐらいの手厚い補償をするということですか。

植草:
そうです。むしろ失業補償を5年なり7年なりの時限で強化する。ここにはもちろん財政資金を入れるわけです。雇用保険の外からですけれども。

もう1つ、これも本の中に書いたんですが、アメリカの財政というのは、支出をエンタイトルメント(義務的支出)と裁量支出に分類しています。エンタイトルメントは制度支出です。ですから、これは制度を変えない限りは持続する。

日本の財政支出を裁量的支出と制度的支出に数字の上で区分を明示すべきだと私は思っています。財政再建などをよく分析していくと、傾向としては、制度支出を切って、裁量支出を残す傾向が強いんです。それは単に政治家の意向だけではなくて、役所の意向としてもです。役所の権限というのは、あくまでも裁量支出の決定権ですから。

制度支出と裁量支出を区分することによって、景気対策を打つときに、制度支出のウエイトを何%、裁量支出を何%という数字まで出してくると、今回の景気対策は利権型か非利権型かということを客観的に示すことも可能になってきます。制度の部分というのは失業補償であり、社会保障であり、医療保障もそうですし、減税も制度によって一律で、おまえの税率はこれで、おまえの税率はこれとはできませんから、そういうものを中心にやっていく。2番目の柱は減税で、しかも短期的に効果があるのは、支出と直結する減税です。つまり個人消費でいえば、サラリーマンの経費算定の基準を拡大する。たとえばパソコンを買ったり、英語学校に行ったりする経費を認める。

飯尾:
申告制にして経費に認めてあげるということですね。

植草:
はい。たとえば住宅に投資するのに、住宅ローン金利の所得控除を全面的に認めるとかですね。設備投資について、時限でこの設備投資は加速度償却というか、特別償却で1年で全額償却を認めるとかいうことによって、支出行動にインセンティブを高めるような減税が短期的には有効です。というのは、たとえば法人税率を下げて、黒字の会社の税率が減っても、その分支出に回すかといったら、そうは思えません。

飯尾:
これはまた内部留保にしてしまったりとかね。

植草:
一般的な所得税率もそういう側面があるし、戻し税も支出に直結するとは思えません。

飯尾:
支出しなければ減税にならないようにしておけばいいということですね。

植草:
そうです。ですから、それはいろいろな工夫があると思います。それ以外に土地税制とか証券税制。

セーフティーネットということでは、先ほどの失業補償。それからもう1つは少子化の問題に対応して、出産に対する費用の助成とか、育児手当の問題とか。そういうものがあります。さらに、先ほどの公共事業についていえば、特定の目的に資する施策で、例えば地震がいつ起こるかわからないので、地震が起きたときの対応として、空から消火ができる消火体制など。

デフレについて

飯尾:
デフレというと、先ほどの不均衡の話とはまた別の現象なのでしょうか。

植草:
デフレというのは、人によって指している内容が少し違います。 3つのことがいわれています。まず1つは、景気が悪いというのを「デフレ」という方。2つ目に、一般物価が下落していることをデフレという考え方。3番目に、資産価格が大暴落していることをいっている方。特にデッド・デフレーションなどという議論は、資産価格が下落して、債務が非常に重くなる。事実上、債務が返済できない経済主体が多い。今の日本経済が一番深刻なのは、多分この資産デフレです。そういう経済主体が多数存在しているというのが問題だと思います。

ですから、私は、デフレの定義を明確にせずに議論すべきでないと思うんです。意味を明確にしないで構造改革を議論すべきでないのと同じで、言葉が具体的に何を指しているかというのが人それぞれ違いますから。

まず今の3つで分けると、不況という問題については、先ほどいったような処方箋があります。そこで、実は資産価格が経済に連動しているというのが私の考えで、資産価格が均衡よりも離れている場合、特に上方に乖離している場合、下駄を履いているわけです。日本では、株価や地価が資産の本来の価値である割引現在価値よりも上方に乖離した状態が続いていました。今は、株価についても地価についてもそういう乖離はあまりなくなっている。結局地価や株価というのは、現在から将来の予想される利益を割り引いたものの総額の割引現在価値です。そうすると、これは大きくいうと2つファクターがあって、1つはどれぐらい成長していくか、もう1つは将来の利益の割引現在価値ですから、長期金利に影響を受けます。その2つぐらいです。金利はあまり変動しないとすると結局、景気見通しだけに影響されます。

問題は、価格が安くても、何らかの別の要因で価格そのものが下がる予想がある間は価格が下落しつづけることです。これは、実はバブルの理論です。バブルのときは高いけれども、値上がりする期待があるので買う。現在はみんなが下がると思うので、価格が下がっていく。つまり、通常のバブルは上方のバブルで、今は下方バブルです。バブルを生み出す錯覚を取り除いてやれば、均衡に戻る。結局、土地が生み出す価値そのものは経済に連動しています。一言で言えば、経済活動を健全な方向に誘導すれば、資産価格の下落は止められます。

そうすると、2つの問題が一応取り除かれたとして、一番大きくいわれているのは、物価が下がるということをデフレと呼んでいる。これは、私の結論だけいいますと、一般物価は管理通貨制度の下においては、基本的に貨幣的な現象と判断した方がいいと思います。金利本位制であれば、金にリンクするわけですが、管理通貨制度の下においては貨幣的な現象です。ですから、基本的に貨幣的な手法によって対処できるという結論です。

よくある誤解は、中国が生産力を強めて、安いものをどんどん供給しているから、世界的にデフレだとか、その構図は変えられないというのは間違いだと思います。というのは、フリードマンなどの研究業績の1つですが、貨幣供給量、いわゆる世の中に流通されている貨幣量と、名目取引金額の間に一定の相関関係があって、比例的な関係がある。ということは、マネーの流通量が非常に増えれば物価が上がり、減れば下がる。これは今でも十分成り立つと私は思っています。今の日本で、物価下落を阻止する、あるいは物価を上昇させるような手段があるかどうか。それはあります。一番分かりやすくいえば、ヘリコプターマネーで、空から毎日10兆円ずつ1年間まきつづける。道端にも札束の山ができているかもしれません。お金をばらまけば、絶対に物価は上がります。ということは、貨幣量の調節で、中国がいかに安いものをつくろうが何をしようが物価水準には関係ないはずなのです。ですから、世界的に中国がどうこうだからデフレは是正されないというのは間違いです。

ただ、そういうやり方をすれば弊害があります。それで、中央銀行は信用がなくなる。そして、円という通貨の信用がなくなる。だれも円を使わなくなる可能性が高くなります。そのときに、円が1ドル1000円を超えたり、円の金利が200%、300%になったりして、株が暴落します。弊害のほうが多いのでやれないんですが、ただ、それが不可能ではありません。

つまり、物価を上昇させるためには、マネーサプライの増大を図る。通常、マネーサプライを増大させる手法は、金利を下げることです。ところが今、金利はゼロまで来ているので、限界に来ています。では、日銀ができるのは何かというと、短期市場の金を出す。つまり銀行の準備預金を増やすということです。銀行が目いっぱいの活動をしているときには、準備預金といわゆる預金準備率を計算して、信用創造量を計算できますから、幾らまで貸せると。貸した場合、預金に入る。ところが、今は信用乗数はゼロまで落ちています。つまり、短期の金を出してもマネーサプライは増えません。

結局、基本的には金融政策は行き詰まっていて、デフレを変えるのはなかなか難しい。そこで出てくるのが、日銀に土地を買えとか、株を買えとか。その延長線上がヘリコプターマネーなのです。しかし、これらは全部、日銀法を乗り越える政策です。なぜ日銀法があるかといえば、過去に激しいインフレを引き起こして、それが、人々に不幸をもたらしたからです。だから、それは副作用のほうが強いと私は思っています。信用というのは、5%下げるとか10%下げようとかいうものではなくて、信用があるかないかだから、信用がなくなることにつながるようなことはやはり望ましくないだろうと思います。

飯尾:
そうすると、中央銀行ができることは、今はない状態ということですか。

植草:
中央銀行は現状維持しかありません。

飯尾:
普通、デフレは貨幣的現象だという方は、大抵日銀が何とかすべきであると聞きますが。

植草:
それが違うんです。日銀がやるべきことを今はやっていって、ただ本来、やっていいことといけないことというのがあります。

それは長い歴史的教訓の中から得られている1つの原理原則のようなものです。昭和2年の金融恐慌が起きたときに、融資というのは担保価値の7割以上を貸してはいけないというルールを確立して、それを100年の教えとして生き残らせた銀行が、相対的にバブルの時期の被害は軽微でした。逆に、バブルの時期に貸し出し需要があるから、土地神話も手伝って、担保価値の150%、200%まで貸したところは全部バブル崩壊にやられているわけです。

日銀についても、中央銀行の本分というのは、あくまで通貨価値の維持、通貨の番人ですから、日銀法を乗り越えるような政策は邪道です。むしろ日銀は、政府に対して、しっかりと別の方法、財政政策などを活用して景気そのものを引き上げる政策をとるべきだと言うべきです。ケインズの言う「流動性のわな」という議論も、金利がゼロまで来たときには金融政策の効果がなくなるので、この局面は財政政策が中心というのが本来的な意味ですから、日銀はそれをはっきり言うべきなのです。

この議論を少し混乱させたのはクルーグマンで、インフレ目標というのを設定すれば、インフレ予想を変えられると。そうすると、名目金利は変えられないけれども、実質金利は下げることができる。つまりインフレ率が上がる分だけ、実質金利を下げられて、それによって生産活動、投資活動を活発化させるというのです。ただ、これも実は問題があって、インフレ予想を高めたときには、まず長期金利は上がります。結局、実質金利は変わりません。ですから、実質金利が下がる効果は結局ありません。

ですから、今の状態は、財政を活用して景気を高めることが必要です。本当に景気が高まってくれば、前向きの健全な資金需要が出てきます。そういうときに今の金融緩和を維持していれば、信用創造がなされて、初めてマネーサプライが増加してきます。このマネーサプライの増大をある程度維持してやれば、それが回り回ってインフレ率は徐々に是正されていきます。このルートしかありません。

飯尾:
日銀だけに義務づけられてもしょうがないことで、政府も一緒に財政政策をとらなければいけないということですか。

植草:
そうです。ですから、むしろ日銀がそれをしっかり言うべきなのが、今の日銀は、ほとんど政府に魂を売ってしまっているのではないでしょうか。そういうことが今の日本の最大の問題です。

最後に1点だけ、不良債権問題については、問題企業の整理はやらなければいけないと私は思います。やる場合は、法治国家としてルールを明確に定めて、ルールに基づく処理をすべきです。ですから、それは基本的には法的整理を軸にする。

金融機関についてもルール変更は必要だと私は思いますが、ただそれは銀行の生死判定基準の変更ですから、あさってからこうしたいとかいうのは成り立たないわけで、正当なルール変更の手続と、周知期間と猶予期間みたいなものが必要でしょう。そして、ルールを決める際にも正当性をしっかり確保できるような決め方をしないといけません。そういう意味では、産業再生委員会のようなやり方は、北朝鮮ならともかく、法治国家がやる話ではありません。

企業についても金融機関についてもルールを明確にして、ルールに準拠して処理していく。もう1つ言えることは、このような、ある種の切開手術、摘出手術はいずれ必要だと思いますが、ある程度経済を改善させてから行わないと、副作用が非常に強いでしょう。

1つのメルクマールは、2万円の株価に3%の成長。96年と2000年というのは、それを一旦達成していますから。それを維持する政策を打ちながら、具体的プログラムを定めて、何年何月までにこういうことをしていくという方針を出すのであれば、建設的だと思います。マクロの政策で経済を悪化させておいて、一方でミクロの側面でつぶすものはつぶすというのは危険極まりありません。

飯尾:
やっぱり不況のときに不良債権処理は具合が悪いわけですか。

植草:
不況を進行させれば、不良債権そのものは増大します。また、そのときに不良債権処理をするということは不況を増幅させます。

今の政策というのは、ハエが出てきて困るときに、新たなハエたたきを導入して、ハエを撃ち殺すといっているのに似ています。実はよく見ると、ごみがどんどん増えているんです。ハエの消滅を考えるんだったら、ごみの処理をしっかりと考えないと問題の解決になりません。ゴミの処理なしにハエの処理だけをやっても、ほとんど意味がないと思います。

2004年3月2日掲載

第7回PDF [128KB]

総括

植草教授との対談では、時系列的な出来事をもとに、具体的に議論を展開される姿勢が印象的であった。

需要不足が景気の低迷やデフレの主因であり、対策としては財政出動が有効であるという説の体系的な解説をうかがった。日本経済の実績から、財政赤字の前年度比をポイントとする財政運営が、株式市場の動向に影響を与えるという分析が展開された。

意外であったのは、財政再建や生産性向上の必要性が否定されなかったことで、実施時期についての議論であることがわかった。景気に対する財政赤字の役割について考えることは、結論に賛成するかどうか別にしても、マクロ経済管理の観点から重要であると感じた。

2004年3月2日掲載