フェローコンテンツ: 対談・経済政策の選択肢

第2回「構造改革推進のために財政負担を覚悟し、デフレ脱却を優先する選択肢」

高橋 進(日本総研調査部長)氏との対談

高橋 進 (たかはし・すすむ)
株式会社日本総合研究所調査部長。一橋大学経済学部卒業。住友銀行入行後、ほぼ一貫して経済調査畑を歩む。調査部ロンドン駐在中は、欧州経済・金融情勢を調査。平成2年に日本総研着任後は、アジア経済、日本経済・金融の調査を担当し、現在に至る。平成12年より早稲田大学大学院アジア太平洋研究科客員教授。同15年近畿大学経済学部・経営学部客員教授を務める。現在、財務省アドバイザリー・グループ・メンバー、法務省出入国管理政策懇談会委員、21世紀臨調「新しい日本を作る国民会議」運営委員。テレビ東京系「ワールド・ビジネス・サテライト」、読売テレビ系「ウェークアップ」のレギュラー・コメンテーター。読売新聞夕刊「エコノeye」、日本商工会議所「石垣」、Nikkei Net「BizPlus」他に定期執筆。

経済全般の認識について

飯尾:
最初に現在の日本経済の位置づけについては、どのようにお考えですか?

高橋:
日本の経済といったときに、短期的な景気循環の話と、それからトレンドの話と両方あると思います。まず、短期的な循環から見てみますと、現在は非常に短命の景気回復が終わり、来年以降まで展望すると、輸出の動向などにもよりますが、基本的にはゼロ%近辺の成長に戻っていくということになると思います。長期的なトレンドで見たときには、右肩下がりの流れから、日本は脱することができないのではないかという感覚を持っています。つまり、過去10年間、日本経済はずっと体質が悪化しましたが、これから先もまだその悪化というのが続いていくものと考えています。

別の言い方をすれば、デフレからの脱却の糸口というのがつかめずに、ずるずると悪くなっていくのではないでしょうか。それに伴って、さまざまな問題が噴き出してくるわけですが、とりわけ一番弱い部分にしわが寄ってくると思います。特に、一番弱い金融システムに株価の下落の影響が集約的にあらわれるといった形で、経済の体質悪化が噴き出しつつあります。

しかしながら、日本にはまだ過去の蓄積があることから、日本経済はもっています。過去の蓄積とは個人・社会全体で見た貯蓄ですが、これは消費にも影響を与えており、フローで見た消費環境は極めて悪化していますが、貯蓄残高などに支えられたストックを背景にする消費というのは比較的堅調です。したがって、消費不振と一言で言いますが、実はそれほど悪くありません。つまり、まだストック的に余裕があるので、日本経済は大きく落ち込んでいません。しかしながら、さまざまなところでツケが回りつつあるというのが現在の状況だと思います。

飯尾:
小泉政権の経済政策についてはいかがですか?

高橋:
小泉内閣ですが、現状を抜本的に転換するために、構造改革ということを掲げています。構造改革の意味するところは、既存の制度や仕組みを変えることです。

その点では、私は小泉内閣の方向は正しいと思うのですが、そのような構造を変えていくことのコストをやや過小評価しているんじゃないだろうかと感じております。おそらく100兆円ぐらいの不良債権があり、経済体質の悪化が続くとさらに潜在的な不良債権が実際の不良債権として顕在化していくというプロセスが続いていきます。ここから逃れるためには、この100兆円の処理をしなければなりません。

ところが、今の政策というのは銀行にしわを寄せて、最終的には公的資金を投入するのだろうと思いますが、それにしても公的資金として想定している金額の規模というのが小さいのではないでしょうか。マクロ政策についても財政負担率なんかをできるだけ切り詰めたままで改革しようとしています。できるだけ少ない金額で構造転換をなし遂げようというのが小泉内閣の発想なのではないでしょうか。

強い経済であれば、それでも構造改革はできるのかもしれません。しかし、ここまで日本経済が悪化していると、むしろ結果的に大きなコストをさらに招いていてしまうのではないかと危惧しております。構造改革の方向は正しいとしても、それに伴うコストを見誤ると、短期的にはさらに経済が落ち込み、デフレスパイラルの状況になって、結局は国民が非常に大きなコストを負担するということになってしまうのではないでしょうか。

このようなデフレの罠から脱却していくためには、相当のお金を多年度にわたって注ぎ込んでいくということが必要だと思いますが、足元の財政の状況がそれを許さないという考え方で凝り固まってしまっているのだと思います。数年のうちにこのデフレ状況から脱却するためには、ある程度必要なお金は惜しみなく注ぎ込んでいくというスタンスに転換しなければなりません。不良債権処理そのものも、構造改革の一環ですが、同時にデフレ対策もとっていかないと、同じところをぐるぐる回る結果になってしまいます。つまり、不良債権の処理加速という方針はデフレ圧力を強めることから、財政支出の拡大も含めて総合的な政策をとる必要が出てきています。

思い切った処理をして、短期で終わらせるというのが一番理想的な解決方法だと思いますが、現在の経済状況を見てみますと、かなり大がかりなことをやったとしても、それですぐによくなるということはないでしょう。構造改革を行ったとしても、短期的に成果はすぐに上がりません。その間にも、経済の悪化はしばらく続いていきますから、埋め合わせていくだけの財政支出というのを覚悟せざるを得ません。

その際に、最低限譲れないのは、デフレスパイラルを回避しながら進めていくということです。大胆にやるのはいいのですが、短期間で改革をしようとしたとしてもデフレスパイラルに落ち込む可能性が高い。そこに落ち込ませないということを最低限の条件にして財政支出を増やしていき、それから改革を進めていくということが望ましいのではないでしょうか。同じことですが、デフレスパイラルに陥らないことを最低限の条件にしながら、改革のペースを加速しつつ、財政支出をしていくということです。

不良債権問題について

飯尾:
不良債権問題についてはどのように考えておられますか?

高橋:
日本の場合には、バブルの崩壊が不良債権の始まりでした。どこの先進国も同じような経験をしています。ただ、他の先進国の場合には、不良債権の発生の規模が小さかったために、素早く処理することが可能でした。また、いかなる処理をするかという決断もすることができました。

ところが、日本の場合には不良債権の規模が非常に大きかったことと、その処理が遅れたことによって、90年代後半まで不良債権問題を持ち越してしまいました。結果的に、その間にも残存した不良債権によって経済が悪化するという面も伴い、さまざまな要因によって、日本経済自体の体質が悪化していきました。これが90年代後半の状況です。

日本経済の体質を悪化させた他の要因は、国際的な競争環境の変化であるとか、構造改革の遅れといったことです。その結果としても、不良債権が増加していきました。そして、今度はバブルが崩壊したことに伴う不良債権ではなくて、企業部門・産業が疲弊していくことに伴う不良債権の発生が大きくなってきたのです。つまり、過去の負の遺産の処理の遅れと、日本経済の体質悪化を反映したものが、現在の不良債権になっています。

銀行が多額の不良債権処理を行っている年というのを見てみると、95年、それから97~98年、2001年と全て景気が落ち込んだ時期でした。つまり、不況になることで不良債権が増えていくという構図を見ることができます。そういう意味で、経済の悪化と不良債権というのは一方通行の問題ではありません。

企業部門について見てみると、具体的には、バブル崩壊後、債務、設備、人員、の3つの過剰を抱え、そのリストラをしてきたわけです。流通、不動産、建設の3業種を除いてみると、大企業についてはもう過剰債務は終わっており、バブル前の健全な体質に戻っているわけです。ところが、不良債権の問題が未だに解消されていないのは、この建設、流通、不動産の過剰債務の処理が遅れているということが一因なのです。

その一方で、中小企業の体質が悪化することによる不良債権の増加というのもかなり増えてきています。企業規模別に借金体質ということで測ってみると、中小企業の体質というのは非常に悪化してきています。過剰債務の問題だけではなくて、日本経済全体の体質悪化のしわが中小企業に寄ってきており、不良債権化してきています。だから、銀行の不良債権がさらに増え続けているというのは、過剰債務を抱えた企業に対する債権が残っているからだけではなくて、中小企業の体質が悪化しているということも非常に大きい原因です。経済体質の悪化を伴いながら、不良債権問題をさらに作り出しているのです。

ここで、経済の体質の悪化というのは、収益力の低下ということであり、大企業については収益力はかなり改善してきています。ところが、中小企業の収益力、財務体質というものが悪化し続けている。そのツケが銀行に回ってきているのです。

そういう中で、今回出てきた不良債権の処理策というのは、銀行がリストラをし、収益力を改善することを目指しています。まずは銀行の引き当て不足を解消させる。そのためには銀行部門は収益力を上げなければならないし、その収益力を上げるために、銀行部門のガバナンスを変え、リスクに見合うリターンを取ることを要求しています。いわば、コストを下げて価格を上げるということです。しかし、銀行の値段設定を上げるということは、とりもなおさず企業に対する金利を上げることです。しかし、企業・産業の収益力が落ちていれば、銀行の収益力を上げようとしても、土台無理なわけです。

日銀も政府も、現在のデフレが不良債権問題をさらに悪化させているということについては、認めつつあります。たとえば、最近の日銀の「不良債権問題についての考え方」という新しいレポートを見てみると、その関係の存在については明言しています。政府も、白書などを通じて、デフレの進行が不良債権問題を悪化させているという因果関係について書き始めています。

そこで政府は、銀行は引き当てをしなければいけない、あるいは収益力を上げなければいけないというわけです。銀行側はそれはできないといっても、政府はガバナンスを変えることで収益力を上げ、その結果として産業界全体の整理淘汰が進み、効率性が高まっていくという考え方で貫徹しています。しかし、現実の経済を考えていくと、もともと産業の収益力がないところにそれを行えば、さらにスパイラル的に経済が落ち込んでいってしまう危険性があるのではないでしょうか。

飯尾:
産業自体の収益率が低いのに、銀行にどんなに強くいっても収益率を上げることはできないということですか?

高橋:
そうですね。もし銀行が無理にでも収益を上げようとすれば、結局は、貸し渋り、貸しはがしという形になってしまうのだと思います。

企業側に体力があれば、企業は利上げ要請に応じるでしょうが、ないところは拒否するでしょう。銀行としては収益力の源泉である貸し出しが増やせないので収益力の強化ができない、そうでなければ融資自体を止めるという話にならざるを得ないわけです。

飯尾:
しかし、もし世の中に競争があれば、銀行業界にもイノベーター(革新者)が出てきて、より低い金利で貸し出し、より高い収益を預金者に提供するような企業が参入してくるように思うのですが。

高橋:
現在は、経済全体の収益性が落ちていることから、どんなアプローチをしても、高い収益は提供できない状況だと思います。少し前であったなら、外貨、海外証券を通じて高いリターンを提供をすることができたかもしれません。しかし、それには為替リスクが大きい。さらに、外国においても金利も下がってきたし、株価も下がってきたことから、リターンの提供ができない状況にあると思います。

年金基金についてみてみるとよく分かりますが、年金基金の場合はさまざまな投資の選択肢を持っています。その年金基金でさえ、どの選択肢をとっても収益率は落ち込んできています。10%以上の落ち込みをしていますから、異常な状況にあると思います。

結局、産業とか事業の収益力の高いところがあれば、そこに貸し出しを行うことによって預金者に高金利を提供できるし、リスクとリターンが見合う貸し出しが行われれば、収益力は高まるわけですが、その元となる貸出先が非常に少ないのだと思います。

飯尾:
銀行が高い利子率を提供できなくなれば、預金者は貯蓄から消費にシフトするようにも感じるのですが。

高橋:
先程申し上げましたように、消費が全く駄目なわけではなく、二極化しています。過去の金融資産の蓄積を持っておられる方々の消費というのは比較的堅調です。サラリーマンの方は、フローの所得が落ちていますし、金融資産もないから、消費する力がありません。

加えて、高齢世代も現役世代も将来不安が強いと思います。将来不安に備えるという形で預金を温存しているがゆえに、必ずしも消費に向かうということにはなっていません。資産デフレも続いていることから、債務返済を優先するため家計といえどもキャッシュフローを維持しておかなければならないという動機が強いのです。従って、結果として預金のリターンが低いのは承知の上で預金を保持し続ける、消費を抑制するという行動が見られます。

飯尾:
たとえマイナスの利子にしても持ち続けるかもしれないという状況が想定されるのでしょうか。

高橋:
そうですね。マイナスの利子率になれば預金は減るというのが経済理論なのですが、将来不安まで含めて考えると、それがキャッシュに変わるだけです。

飯尾:
もう1つ不良債権問題についてお伺いしたいのは、経済全体の収益率の低下が問題を作り出している一方で、担保価値が下がることによって不良債権問題が発生しているともいわれておりますが、本来リスクとリターンにあわせて銀行が融資をしていればそのような過程は起こらないのではないでしょうか? つまり、担保を取って貸し出しをしていることが問題をより深刻化させているのではないでしょうか?

高橋:
担保を取ることの善悪は別として、担保の価値が下がるから不良債権問題がさらに深刻化しているということは間違いありません。担保の価値が下がるのは資産デフレによるものです。なぜ資産デフレがとまらないかといえば、それはやはり経済全体の収益性が低いということに帰着するのだと思います。

銀行・金融機関に限っていえば、担保を持っている限り資産も減るし、ポートフォリオを変えることもできません。産業が新分野に投資することがより望ましいにもかかわらずです。そういう意味では、最近の銀行行動を見ていますと、担保がない企業に対しても積極的に貸し込んでいくという行動が(3000万とか5000万という単位の金額が多いのですが)、相当出てきているように思います。昔銀行でよくいわれた、ヒト、モノ、カネをバランスよく判断して貸し出していくという行動が見られるようになってきました。

そういう意味では、モノだけに偏重した銀行の貸し出し行動というのは、少しずつ是正されてきています。それに伴って成功する銀行も一部には出てきています。ただ全体としては担保によらない融資というのはなかなか進んではいないと思います。

なぜ進まないのかを考えると、結局新しい企業だとか新分野、将来見込まれる成長分野が育っていく確率が高ければ、担保は要らないし、そこに投資していくということはできますが、経済全体が縮小均衡ですから、それらの成長の度合いがものすごく低いし、成功の確率が低い。したがって、ロスが大きく、結局そのロスをカバーしようとして担保をとるという行動に出てしまうのではないでしょうか。

銀行も新しいビジネスモデルをつくりたいと思っているのでしょうが、それにはまだまだ限界がありますし、相当努力をしていますが、2年後、3年後に新たな不良債権になる危険性がかなりあるわけです。銀行はそういうジレンマに陥っているのではないかと思います。

政府の方針でいえば、銀行がビジネスモデルを変えることで、金融仲介機能が復活し、資源配分も効率的になっていく。それが新しい産業、経済を活性化させていくということで論理がつながっているわけです。しかし、現実にはそう簡単にはいかないと思います。いくとしても、相当時間がかかるのではないでしょうか。むしろ、短期的には活性化とは逆の方向に動く可能性も強いのではないかと思います。

直接金融と間接金融について

飯尾:
銀行から融資を受けなければ事業はできないものなのでしょうか?

高橋:
過去、日本でビックバンをやって、直接金融のルートを開こうとしてきましたけれども、ことごとく失敗しております。理由は2つあって、1つは直接金融のルートを開くまでに時間がかかるということです。人々のリスク回避志向というのを変えていかなければならないのですが、これには時間がかかります。もう1つは、経済が悪化しているなかで、預金から株を買った人が大損をしているという状況が続いていますから、直接金融を通じた成功体験が非常に少なく、直接金融を利用したがらない。そのため、個人のリスク回避度はさらに強まってしまっているのだと思います。もし経済情勢がよくなっていけば、意外と早く直接金融のルートが広まっていくでしょう。

飯尾:
不良債権問題が銀行にしわ寄せされているということの1つの背景に、銀行が集中的にリスクを負ってしまっているということがあると思いますが、そのようなリスクを分散させるための債権の証券化とか流動化は外国と比べても遅れてしまっているのではないでしょうか。

高橋:
そうですね。最近になって努力はしてきていると思います。しかし、アメリカなんかを見てみると、土地の価格が下げ止まって、上がり始めて、初めて流動化が一気に進んでいます。ですから、結局は経済環境が非常に悪化しているということがネックになっています。

アメリカの銀行というのは、債権流動化というのを何回も経験しています。かつて70年代あるいは80年代前半に、途上国向け貸し付けが焦げ付いた時に流動化が起こっています。さらに、80年代後半に不動産バブルを経験して、このときに抱えた不動産の流動化という問題に直面しました。当時は政府が音頭をとって新しいスキームを作ったことと、土地の価格が底打ちし、上昇し始めたので、一挙にいろいろなスキームが出てきて、流動化のマーケットが広がりました。

日本はそれに比べると、はるかに流動化の経験がありません。加えて、経済が右肩下がり、資産デフレも続いているということで、そういう試みがなかなかうまくいきません。

あとは直接金融ルートの拡大という意味では、REIT(不動産投資信託)やさまざまな商品開発努力を行っているわけですが、結局それもリターンが非常に低い状況です。やはりそれも経済情勢が悪いということに帰着してしまうのではないかと思います。

飯尾:
海外の投資機会についてはいかがですか? 為替の問題があるから難しいのでしょうか。

高橋:
為替はかなり大きなインパクトを持っています。過去5、6年を見てみると、日本人の外貨建て資産志向というのは相当に強まってきていると思いますが、それでもやはり為替がネックになっています。もう1つには、アメリカの成長率がだんだん低下してきているということもネックになっているでしょう。そういう意味では、世界的なデフレ傾向が、海外への投資を妨げています。

あとは、これだけ日本の経済が悪ければ、円が弱くなってしかるべきです。また、円安が日本経済が苦境を脱するための1つの手段だとも思います。しかし、アメリカ経済そのものも揺らいでいるということが為替の円安を結果的に阻止しています。90年代は、アメリカの金融資産の収益性が高かったので、かなり資金が流れていきましたが、ここに来てアメリカ経済の収益性が落ちてきたために、ドルが弱くなってきました。すると、円が弱くなるチャンスが相対的に小さくなって、結果として今のように為替があまり動かないという状況になっています。この状況が、まだしばらく続くとすれば、為替はよくて安定、さらに円高リスクというのも排除できませんので、なかなか海外には投資しづらい状況なのだと思います。

いずれにしましても、まだ預金者は預金から他のものに資金をシフトさせるということについては、極めて慎重です。国内資産については損しており、海外資産についても損した経験もあることから、もう少し成功体験が増えてからでないと、なかなか海外に投資する動きというのも加速されないのではないかと思います。結局は、どこへ行ってもお金をもうける機会がないということです。

最近銀行などにリクエストがあるのは新興企業に対して銀行が貸し出しをして、それを預金者に売るという、一種のファンドです。この方法というのは、間接金融のシステムは残したままで、手法を直接金融化していくということを意味しています。最近の傾向として、間接金融と直接金融の区別は絶対的ではなくなってきたということでしょう。銀行自身が直接金融の仲介をすることで、銀行に集中しているリスクを分散しようとしているのです。しかし、結局は肝心のリターンを持ったリスクが少なく、投資機会自体が少ないのが現状だと思います。

デフレについて

飯尾:
デフレというのは、世界的な傾向であり国内の政策をどのように使っても解決することは難しいとの意見もありますが、それについてはどのようにお考えですか?

高橋:
中国の過剰な供給力が日本を中心に先進国にデフレをもたらしているという考え方もありますし、その要因はそれほど大きくはなく、むしろホームメイドデフレだと考える方々も多くおります。また、現在政府では、デフレと景気は異なるものであるとの考え方が主流です。デフレというのは持続的な物価の下落であり、景気のよしあしとは異なるものであると。そこから導かれる結論として、景気については財政政策で対処することができるかもしれないが、持続的なデフレについては金融政策によってしか対応できないといえます。したがって、拡張的金融政策を取ればデフレを止めることができるし、デフレを止めることができれば、ほとんどの問題が解決できるという論理が内閣府、財務省を中心に支配しています。

しかし、私は便宜的には景気とデフレを分けて考えることもできるけど、実際には両者は相互連関の関係にあるのではないかと思っております。過剰な供給能力を抱える中で経済体質が悪化していくことが物価を持続的に下げているという側面もあるし、デフレが経済体質を悪化させている側面もあります。そのような相互連関の中で、内と外の両方の要因からデフレが進行しているのだと思います。

飯尾:
国内でデフレを進めている要因というのは何でしょうか?

高橋:
需要の側面と供給の側面の両面があります。エコノミストの間でも意見は分かれていて、景気を重視する方々は需要不足だといい、需要をつけることで結果的にデフレから脱却できると考えています。またもう一方の、供給の側面を重視する方々は、供給力の強化が必要だと考えています。私は両面あり、需要・供給の相互作用の中で、今の状況が生み出されているのだと思います。足元で需要不足であるのは間違いないですし、もう一方で長年にわたる供給力の低下、競争力の低下も大きな問題であるということも事実です。供給面についていえば、産業界・企業全体が新しい事態に対応して過剰な供給力はどんどん切り捨て、新しい供給力をつけていくという動きが鈍いので、これは是正しなければいけません。

しかし、日本はそのような供給力の強化ということができていませんでしたし、その流れを強くしていくためには、ある程度需要がついてこないといけません。したがって、今の日本は、需要も落ちるから供給サイドも強くならず、供給サイドが強くならないから需要も出てこないという両方が作用しています。経済政策、マクロ経済政策の処方箋として、需要サイドか供給サイドかと割り切らずに、両面の政策をとっていかなければならないでしょう。

具体的には、需要をつける政府の取りうる手段としては2つあって、1つは公共事業の規模をどうするかということ、もう1つは減税を行うかどうかということです。公共事業については中身をどうするかという問題もありますが、規模については財政の制約の中で減少させがちではありながらも、現在の需要不足に対応するためには、最低限、名目で規模を維持するようなスタンスで運営を行ってもいいと思います。民間需要ということについては期待成長率が高まってくれば自然と投資需要も誘発され、将来不安がなくなれば消費需要も出てくるでしょう。また、減税だけでは需要を喚起するということは難しいのではないでしょうか。

これに供給力の面を支援するための構造改革を組み合わせることが必要です。つまり、需要と供給のどちらかだけではなくて両方の政策を一緒に実施していくことが重要です。たとえば、研究開発投資やIT投資への減税のようなことは産業の競争力を強化していくためには有効な手段だと思います。

これらのことを進めていくためにも、結果としては、ボリュームで見た財政出動が少々膨らんだとしても、コストだと考えて政策運営した方が、マクロ政策的には整合性がとれています。

金融政策については、金融緩和が実際に経済に効くかどうかというのは理論的にはどちらともいえます。要は、やってみなければ分かりません。非常に強い弊害がない限りは、他の政策との組み合わせの中で、金融政策についてもある程度実験してみてもいいのではないでしょうか。財政面の政策と、構造改革というミクロ政策が従来とスタンスを変えていくのであれば、金融についてもスタンスの変更ということをやってみてもいいと思います。

金融緩和政策とは、極論すればインフレターゲットということで、それが実際に効くかどうかという問題はありますが、金利の低下を招き海外資産への選好が強まり、結果的に円安になるということになれば、日本にとっては一種のカンフル剤となるため、そういう実験をしてみてもいいのかもしれません。大幅な金融緩和の弊害については、デフレの罠が強いこともあり、当面は心配する必要はないのではないかと思います。財政スタンスが抜本的に崩れてしまうということがなければ、金融緩和政策をとることについて問題は少ないように思います。

飯尾:
量的緩和の手段が最終的には国債の購入であり、構造改革を進めるために財政の膨張もやむなしとして、国債を発行し続けると、デフレはとまるかもしれないけれど、実質的な金利はもっと上がるということになると思います。さらに、海外に資本が逃避するということは、実は金利が上がっていくということだと思いますが、どのあたりでそのバランスというものが取られるのでしょうか。

高橋:
現場の動きを見ていると、そう簡単に金利は上がらないという気はしております。投資機会が少なくて、資金の取り合いが起きない限り金利の上昇ということはないでしょう。期待成長率が低く投資意欲が減少していますから、資金の取り合いということにはならず、金利は上がらないのではないかと思います。

飯尾:
国債の金利が先に上がり始めることはないのでしょうか。

高橋:
今、財政をある程度拡張してもいいと申し上げましたが、10年かけてプライマリーバランスを均衡させるという目標をもし外してしまえば、国債の金利が上昇し始めるということもあるかと思います。

しかし、その目標が2010年でなくてはいけない合理的な理由は多分ないでしょう。いろいろ計算してみましたが、2010年が2013年にずれたとしても影響は少ないようです。だとすれば、十数年かけてプライマリーバランス均衡という目標は掲げたままで、足元のデフレ圧力に対処するためには、必要な財政支出は行いますというスタンスをアナウンスするとしても、それは金利上昇にはつながらないのではないでしょうか。

財政について

飯尾:
次に財政についてお伺いしたいと思いますが、現在日本政府はすでに膨大な量の国債の発行を行っています。単年度で見ても税金などでは賄えない財政運営をすでに10年ばかり続けてきているわけです。そうすると、プライマリーバランスの回復ということもなかなか難しいのではないでしょうか。

高橋:
経済財政諮問会議が示した小泉内閣のプランというのは、2010年ぐらいまでにプライマリーバランスを均衡させるということですが、その前提となっているのは、2004年以降経済が安定的に拡大してくれるということです。実質で1.5%、名目で2.5%から3%ぐらいの成長を続けるというのが前提で、それがあって初めて、プライマリーバランスが10年で均衡するという絵になっているわけです。そういう意味では、デフレから脱却するということが前提になっているわけです。しかし、逆にいうと、竹中さんはかつてナローパスと言ったように、その絵しか描けないともいえます。

デフレ下では財政再建はできません。ですから、経済を活性化させて、財政再建の軌道に乗せるための努力を今こそしなければいけません。今のままだと、私は2004年になっても2005年になっても、その軌道には乗れないのではないかという危惧を強く持っております。それでは、財政出動をとことんやればいいかというと、それは結局バランスの問題で、短期的に財政出動を行ったとしても短期的に経済が持ち上がるだけで、長続きしません。したがって、構造改革を地道にやりつつ、その効果が出るのを待ちながら、一方である程度財政支出についても容認していく、そういうスタンスしかないのではないでしょうか。

だから、一生懸命構造改革をやりながらデフレスパイラルを回避するという政策を続けていけば、数年後にその絵に近くはなってくると思います。

飯尾:
人口減少に入る中で、経済成長を見込んでもよいのでしょうか?

高橋:
人口成長率は従来に比べると非常に低いと思いますが、経済成長率は、労働投入量が減っても技術水準が上がることによってカバーできます。そうでないにしても、労働力については、女性と高齢者の労働力化とある程度の外国人労働力を国内に入れることで、マイナス幅を小さくすることは可能です。そのような方法で労働力を確保しながら、構造改革によって生産性を高めることによって、2%ぐらいの成長率は維持できると思います。

飯尾:
短期的には財政投入が必要で、長期的にはバランスさせていかなければならないということですが、多くの方々が、財政の投入がなされている部門は非効率で、より効率的な投入方法があるのではないかとも述べています。

高橋:
財政支出の中身を変えていくこともまた構造改革の1つです。一番理想的なのは、財政規模を縮小しつつも、財政支出の配分を効率化していくことで、乗数効果が大きくなっていくという道筋です。それに近づけていく努力が必要だと思います。ただ、乗数効果をすぐに上昇させることはできませんから、足元で財政支出の名目値を落とすということは避けたほうが良いのではないでしょうか。

飯尾:
これまでの10年の経験からすると、景気が悪いといって財政支出するけれども、その効果が少ないところに投入しつづけるために、ますます投入しなければならないという一種の麻薬状態になっているとも感じられるのですが、このような状態からはどうすれば脱出できるでしょうか?

高橋:
たとえば補正予算を打つといった時にも、短期的な景気刺激策ということだけではなくて、都市再生などの新分野を含めた乗数効果と、国民のニーズが高いと思われるところに資金を集中させつつ、また、それを実現するための制度改革の努力も続けていかないといけないのだと思います。

公共事業については本当は規模を縮小すべきと思うのですが、不良債権処理が進むことによってデフレ圧力が強まることも考慮すると、あまり焦って規模を縮小してしまうとマクロ経済上のバランスが崩れる危険性があります。これ以上の拡大ということはないにせよ、現在の水準を維持しつつ、もしくは多少は縮小しつつ中身を変えていくということが現実的なのではないでしょうか。

飯尾:
それでは、乗数効果が高い分野というのはどこにありますか?

高橋:
企業の新規投資が呼び込めるという分野ではないかと思います。既存の考え方に乗っていえば、IT、バイオや新社会資本とかいわれているような分野は、国民のニーズがこれから大きく、その候補となるでしょう。企業にとってもマーケットの成長の期待が高い分野ですから、このような分野でたとえば規制改革を進め、国の金もついてくれば、市場拡大の展望が開け、企業の投資もそれに続くため、乗数効果は高いでしょう。

飯尾:
しかし、そのような成長分野に民間企業の投資が行かないのは、規制のような何か人為的な要因、政策によって取り除かなければならないものがあるからなのでしょうか。

高橋:
全体として考えれば期待成長率が低いということによるものですが、新成長分野あるいは新分野が育たないという感覚を企業は非常に強く持っており、その背景には制度問題があります。何かやろうとしても壁にぶち当たってしまうというような。

そういう意味では、今出ている特区の構想というのは、部分的にでもその壁をぶち破ることで企業のマインドが変わり、少なくとも特区の中だけでも新規投資を呼び起こすことができるでしょう。もちろん本来ならば、全国で一律に規制緩和を進めていくということがベストの解決策だとは思いますが。

飯尾:
ただ特区を一旦作ると、レントが発生して全国の規制緩和を邪魔し始めるという危惧もあるので、特区で成功したら何年かで全国化するという前提を置かなければなかなか難しいようにも感じます。

高橋:
そういう観点からいうと、創業者利得なり先行者利得などが出るようにしてあげないといけないと思います。その上で、全国に広げていく。ただ、そのような先行者利得というのは、法律などで担保せずとも自然と確保されるでしょうし、可能なことを明らかにするという効果は大きく、企業に限らず地方自治体などの考え方も変わってくるのではないでしょうか。

構造改革について

飯尾:
構造改革というと基本的には生産性を高めるということだと思っていますが、一方で構造改革を進めるとデフレ圧力を強めてしまうとの懸念もあります。この点についてはどのように考えればよいでしょうか?

高橋:
もし今構造改革をしなければ、経済はとめどなき縮小均衡に陥っていくのではないかと思います。グローバルな観点からも、改革を先送りにすれば、日本は世界から取り残されてしまうのではないでしょうか。たとえば、現在、中国は着々と競争力を高めています。日本の供給力が一定の所にとどまっている限り、世界での日本製品への需要は減少し、日本経済は縮小に向かってしまいます。

そのように考えれば、日本はとどまることはできないし、そのためには構造改革の目的である生産性の向上のために資源の再配分は不可欠です。もし自然と構造調整が進むのなら、それが一番理想的ですが、それが進まない社会だからこそ、改革によって進めなければなりません。教科書的にいえば、本来はそのような流れというのは市場メカニズムによって自然と進みます。しかし、そこには規制の問題があり、構造の問題があるということです。その対処が日本の場合、非常に遅れてしまいました。その対応をする前に需要不足の問題が深刻になってしまった。しかし、構造改革ということには時間がかかるわけですから、先ほども申し上げたように、ある程度は景気を支えながら進めなければならないのだと思います。そうでなければ、かえって構造改革のコストが大きくなってしまいます。

飯尾:
恐慌を起こしてしまうという選択肢はありませんか。

高橋:
今取られている政策というのは、いってみれば、恐慌を避けるための政策です。日本がアルゼンチンのようになるのを回避するための政策です。今はまだアルゼンチンにはなっていませんが、今の状態が10年続けばそうなるかもしれません。そして、そのようになってしまったら、もう打つ手はありません。

だから、そうなる前に気がついた時点で、できるだけ早く手を打つことが、結局はコストを小さくするし、経済活性化のチャンスを大きくします。

飯尾:
構造改革に対する専門家の意見というのは、一致しているようで意外とそうでないように見えることもあります。私の目から見ると、マクロモデルでは構造改革についてそれほど明示的に扱っているようにも思えないし、ミクロの話を聞くと国全体としての生産性の向上という方向にはつながっていないような印象を受けます。

高橋:
伝統的なマクロ経済学の世界では、与えられた構造の中で財政政策、金融政策という話になってしまいがちで、その構造である制度や市場を作り直すといった議論はなされません。構造改革の経済学というのがないんです。

ただ、実際にはイギリスやアメリカの経験を見ると、市場の構造を変える政策を取ってきた結果と、財政・金融政策が組み合わさることによって成果が生み出されてきたわけです。もし日本でマクロ経済といったときに、財政とか金融のことしか見ないということであれば、それはおかしな話です。ミクロの仕組みを変えることで、それが生産力、生産性にどう影響していくかということを考えながら、マクロ政策を一緒に打っていくということが必要です。

レーガンが出てきたときに、ラッファーカーブのような主張が出てきました。結果的にそれが正しかったのかどうかは分かりませんが、経済社会を変えていくという意味では社会に貢献したわけです。たとえば、航空業界の規制緩和であるとか、活力を取り戻すという観点からの政策もとられました。それから、今日本で話題になっているような産業再生ということをアメリカは80年代に必死になってやったわけです。そういったもろもろのことが経済体質の改善という形につながっていきました。その間、マクロ政策というのは結構振れたわけですが、90年代に入って持続的な成長を遂げられたというのは、80年代の官と民の一連の改革努力の結実だと思います。

70年代後半から80年代初めに、アメリカが日本に対していかに恐怖感を抱いていたか。同じ恐怖感を、今、日本は中国に対して抱いていますが、そういう観点から見れば、日本も適切な政策を取っていけば希望を持つことができるわけです。

大きな波があって、ジャパン・アズ・ナンバー1といわれたときを頂点にして、今下がっていますが、アメリカの改革の良いところを取り入れ、日本型のシステムの良いところを改善していく努力を続けていれば、日本の潜在力を十分に発揮することができるのではないでしょうか。

また、日本はこれから高齢化を迎えていくわけですが、それはアジア諸国がまだ迎えていない新しいフェーズに入るということで、うまくいけば中国やほかの途上国のマーケットではつくれない製品・サービスを作り出すチャンスを生み出していくことができます。それが社会が高度になるということであり、人々が物質的な豊かさから精神的なゆとりや豊かさを持つようになるということだと思います。

高齢化社会というのは、明らかにニーズの場所が異なり、ニーズを持っている人たちがお金を持っています。そこで新分野が開拓されれば、それは将来の輸出のネタになります。そういう意味で新分野を早く顕在化させるということが、企業の期待成長率を引き上げることになり、投資を活発化することにつながっていくのではないかと思います。

そのような観点から最近注目しているのは、エコマネーとかNPOといった活動です。これらは、自己責任と公的扶助の世界の間を埋める動きですが、こういうものが出てきて、行政、企業、個人で埋め切れないニーズの部分を埋めていくと、そこが新たな付加価値を生む分野になります。それは、必ずしも高い付加価値ではないかもしれませんが、社会にとっては重要なものです。

そこをうまく育てていき、それを許容するような新しい社会システムがつくられれば、そのものを輸出することができるようにもなるのではないでしょうか。ですから、そういう分野を早く健全化させるような政策をとるということが大事だと思います。

それから、物づくりの部分でも、まだまだ高度化することは可能だと思います。日本がやりやすいのはナノテクだと思います。日本は従来から物づくりに強く、ナノテクは日本にとって技術の断絶性が他のものに比べて小さく、非常に期待できます。

それ以外の分野についても、物づくりの部分であるハードと日本のカルチャーというようなソフトの部分を組み合わせることによって、新しい物づくりができるようになれば、引き続き日本の産業は高付加価値を生み出していくことが可能だと思います。

ただ、今のところはそのような可能性が見えないところが日本のつらいところだと思います。成功事例がもっと出てくると、それが突破口になるだろうとは思います。しかし、そのための答えはありません。どうしたら皆さんの気持ちが変わり、新分野が育っていくかとかいうことについては、なかなか答えが出せません。

2002年11月19日採録 / 2003年7月28日掲載

第2回PDF [80KB]

総括

民間エコノミストとして高い信頼を得ている高橋進・日本総研調査部長との対談では、そのバランス感覚が印象的であった。不良債権問題にしても、デフレにしても、問題の根源には企業の収益力の弱さがあるという主張であり、そこからの脱却は容易ではないという基本認識は説得的である。

ただし結論は一般の構造改革論者とは異なる。日本経済の構造的問題が根深いと考えるがゆえに、改革は慎重に進めなくてはならないという主張となり、不良債権処理のための財政負担を覚悟するだけではなく、景気にも配慮した財政運営が必要であるとされる。つまり生産性の高い部門に経済をシフトさせるという意味での構造改革をゆっくりと着実に進めるための条件を探るというスタンスである。

2003年7月28日掲載