Economics Review

No.16 司法の効率性向上を目指して ―司法改革の起爆剤としての裁判外紛争解決(ADR)の役割―

鶴 光太郎
上席研究員

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1. イントロダクション

日本の司法改革は、この秋、大きな山場を迎えることになる。これまで、2002年3月に決定された「司法制度改革推進計画」に沿って、法科大学院の設置(2002年秋の臨時国会成立、2004年4月開校)が決まるとともに、裁判迅速化法案(第一審の訴訟手続きの2年以内の終局化)や弁護士、裁判官制度に係る諸改革が成立した(2003年通常国会成立)。一方、政府部内で司法制度改革の作業を進めてきた「司法制度改革推進本部」は来年(2004年)11月末をもって組織解散することになっている。つまり、残された大きな課題である、裁判員制度、刑事司法改革、ADR(裁判外紛争解決、Alternative Dispute Resolution)の拡充・活性化などの法案つくりを、実質的には2004年1月に始まる通常国会までに間に合わせなければならない状況である。現在、立法作業がさまざまな利害関係者とのせめぎあいの中で進行し、大詰めを迎えている。

今回の司法制度改革では既にその大枠は定められているが、本稿では司法改革のあり方をその理念にまで遡って再考してみたい(特に、経済との関係を考えるため、民事の分野のみを扱うこととする)。その際、核となる概念は、「司法の効率性」(judicial efficiency)である。発展途上国を含めた国際比較を通じ経済発展と司法制度に関する研究を蓄積している世界銀行と、その司法改革プロジェクトに参加している学者達も「司法の効率性」を分析視点として強調している。法曹関係者からみれば、司法制度の理念として第一に挙げられるのは「公正」(fairness)であろう。途上国の中には司法の独立性(judicial independence)や透明性・アカウンタビリティが確立されておらず、腐敗(corruption)が問題となっている国も少なくない。その意味では「公正」の概念が司法制度の根幹にかかわる理念であることはいうまでもなく、日本の司法制度は、「公正」という点では国際的にみても優秀なパフォーマンスを誇ってきたことは疑いない。しかしその一方で、コストや迅速性といった「司法の効率性」が軽視されがちであったことも確かである。したがって「司法の効率性」を高めることが、日本の司法制度改革の重要課題となる。

本稿ではこうした問題意識に立って、「司法の効率性」を高めるための司法制度改革のあり方を、世銀プロジェクト(World Bank(2002))における国際比較の分析を紹介しながら整理することにする。議論のポイントは、司法につぎ込まれるカネ、ヒトなどの資源の大きさよりも、競争や選択を通じた法曹のインセンティブ改革、紛争解決に係る複雑な手続きの簡素化である。日本の法曹界では、法的サービスの迅速化や競争はその質を低下させるという主張が根強い。つまり、効率性と公正性は二律背反という見方である。しかし、以下の議論での「司法の効率性」は、迅速性(swift)と手ごろなコスト(affordable)(つまり容易なアクセス(accessible))、公正な紛争解決(fair)をその構成要素に含み、それぞれのバランスがとれることが前提となっている(World Bank(2002))。競争が行われることで、むしろ不良なサービスが淘汰され、質の高い法的サービスが供給され、選択されることこそが、「司法の効率性」向上の主眼である。そのための大きな1歩として、本稿ではADRの拡充・活性化が日本の司法制度に大きな刺激を与え、司法改革を進める上での起爆剤になることを強調したい。

2. 「司法の効率性」と経済発展

司法制度を経済学の立場から分析する理由は、それが1国の経済パフォーマンスと密接に関係するからである。司法制度と経済制度・パフォーマンスは相互に連関し合い、その影響も経済の発展段階などに応じて異なると考えられる。Messick(1999)は、司法制度と経済発展の関係について以下の2つのルートを示した。第1は、良い司法制度は政府の権力の乱用を防ぎ、法の支配を守ることで経済発展に貢献するというルートである。これは司法の行政へのチェック機能であり、「司法の独立性」(judicial independence)を重視する見方といえる。このようなルートは、司法制度がまだ十分に整備されていない発展途上国において特に重要である。第2は、司法制度が経済・社会におけるさまざまな関係・取引を円滑にし、かつ促進することで経済発展をサポートするというルートである。これは、「司法の効率性」(judicial efficiency)を重視した考え方である。日本を含め「司法の独立性」が確立され、司法制度が相当整ってきている先進国にとっては、司法改革の視点としては、「司法の効率性」がより重要といえる。

関係・取引の円滑化という視点からみた司法制度の意義は、新たな関係・取引を始める場合、特に重要となってくる。歴史的にみても、司法制度がまだ発達していなかった時代に、契約などの執行メカニズムは「評判」や「信頼」というインフォーマルな仕組みに依存するものであった。つまり、取引を行っている相手との関係においてルールや約束を破った場合は、二度と関係を結んだり、取引を行ったりすることができなくなり、そこに契約・約束を守ることで「評判」を積み重ねるというインセンティブが生まれる。裁判所がなくても取引が円滑に実行される仕組みが生まれたのである。このような仕組みは、11世紀の北アフリカや地中海の海運取引で実際に機能していただけでなく(Greif(1993))、ウィスコンシンの木材産業、ニューヨークのダイアモンド取引、現在のアジア、アフリカ、ラテン・アメリカにもみられる (Greif(1997))。

しかし、このような仕組みがうまく機能するためには、取引を行う主体の数がある程度限られていて、取引が長期的・継続的であることが前提となる。逆に、うまく機能する司法制度(裁判所)がないため、契約が円滑に遂行されるためには既に取引関係のある相手に頼らざるを得ないともいえる。一方、経済環境が大きく変化している時には、新たな相手と取引を行うことで生まれる収益機会を逃さないことが重要である。「評判」のメカニズムが機能しないような新規の取引相手との場合、契約の履行を確実にするためには、司法というフォーマルな執行メカニズムが必要となる。また、長期的・継続的な取引関係が重視されると、既に収益を生まなくなった取引を止めることは難しいため、こうした場面でも一定のルールで紛争解決を行う第三者的な司法のメカニズムは重要である。

Johnson, McMillan and Woodruff (2002)は、旧東欧・ソ連の市場経済移行国(5カ国)の民間中小企業(製造業)のサーベイ・データを使い、裁判所が有効に働いていると考えている企業ほど、取引相手、特に新規の取引相手を信頼する(企業間信用を与える)傾向が強い、また、取引相手を新規の相手に変える際のスイッチング・コストが低い(10%の価格低下というオファーを受けたら新しいサプライヤーに変更するという割合が高い)という結果を示した。また、Bigsten et al (2000)はアフリカにおける司法と企業活動(製造業)の関係を調べ、その周りの諸国よりも法や司法制度が発達しているジンバブエのような国では、企業が紛争を裁判所に持ち込む機会が多く、また、よりリスクの高い(潜在的にはより収益率が高い)活動を行っていることを示した。このようにみると、利害関係者の間でさまざまに張り巡らされた「しがらみ」を断ち切り、創造的破壊や実験を通じ、さまざまなレベルでリスクをとって新たな関係、取引を構築することが求められている現在の日本の経済社会状況を考え合わせてみても、「司法の効率性」が重要であることがわかる。

3. 「司法の効率性」を高めるための司法改革とは

それでは、「司法の効率性」を高めるためには具体的にどのような改革を行えばいいのか。World Bank (2002)のバックグラウンド・ペーパーとなった、Botero, La Porta, Lopez-de-Silanes, Shleifer and Volokh (2003)は、以下の4つの考え方を挙げて、それぞれの有効性を検証している。第1は、司法制度の問題を司法制度につぎ込まれる資源(財源)の多寡にあるとする見方である。この場合、裁判所、裁判官、弁護士などの数や訓練を増やしたり、コンピュータ・システムを導入したりすることが問題解決の決め手となる。第2は、司法制度に過剰なアクセスが生じているため(濫訴)、司法制度が非効率的になっているという見方である。この場合、訴訟を行うためのハードルを高くしたり、弁護士の宣伝や報酬に制限を加えたりするという方策が必要となる。第3は、司法の非効率性を司法制度の担い手のインセンティブの問題と捉える考え方である。紛争解決に関する多様な仕組みの選択を可能にし、それぞれの仕組みの間で競争を働かせることが、既存の司法関係者のインセンティブを変える上で重要な役割を果たすことを強調する立場である。第4は、硬直的で煩雑な手続きが司法の効率性を阻害しているという見方である。これは、特に植民地時代、受入国のニーズに十分適応しないまま法制度が移植された途上国で顕著にみられる要因である。この考え方によれば、司法制度の中の複雑な手続きを簡素化することが改革指針となる。

このような4つの司法改革のあり方を、世界各国で実施された司法改革に関する実証分析に照らし合わせて検証したBotero et al (2003)は、司法制度に関わる人々に適切なインセンティブが与えられていないこと、過度に複雑な手続きが「司法制度の効率性」を阻害していることが、大きなウエイトを占める問題であることを強調している。確かに、日本の状況に照らし合わせてみても、濫訴が問題になっているアメリカとは異なり今後更に国民に開かれた司法制度が必要とされている中で、訴訟件数を減らすことで裁判の遅れを解消するやり方(第2の見方)は現実的ではない。中南米やアメリカの実証分析でも、訴訟件数の多さは司法の非効率性の重要な要因ではないという結果がでている。

そこで、「司法の効率性」を高める改革として、司法制度へ投入される資源を増やす政策(第1の見方)が問題解決に寄与しないのはなぜか、法曹のインセンティブ改革(第3の見方)や、手続きの簡素化・柔軟性増大(第4の見方)が「司法の効率性」向上につながりやすいのはなぜかを、世界の司法改革の経験を踏まえながら以下で更に論じてみたい。

非効率性解消にはかならずしも結びつかない司法制度への投入資源増大

法曹関係者は司法制度が円滑に機能しない理由として、予算やスタッフが足りないことを挙げることが多い。しかしながら、既存の実証研究をみる限り、投入資源増加の効果は必ずしも明確ではない。たとえば、アメリカの州レベルやラテン・アメリカ諸国でのデータでは、利用可能な資源のレベルと訴訟事件の処理スピードの間には相関がないことが報告されている(Botero et al (2003), Buscaglia and Ulen (1997), Dakolias (1999), World Bank (2002))。Dakolias (1999)は、先進国、途上国を含む11カ国を選んで、裁判官数や司法のパフォーマンスを比較した。たとえば、シンガポールの10万人当たりの裁判官数は11カ国中最も少ないが、「司法の効率性」を示す一指標である混雑率は最も低いなど、両者の相関は弱いことを示している。また、コンピュータ・システムや機械化導入は、ラテンアメリカやシンガポールの研究で裁判の迅速化に効果があるという結果が出ている。しかしこれは、一義的には司法の透明性・アカウンタビリティを向上させることで「ごまかし」や「腐敗」行動が難しくなる効果が大きいと考えられ、「司法の効率性」向上はその副次的な効果といえる(Botero et al (2003))。

もちろん、途上国などで司法制度への財源が非常に限られている場合、資源の供給による効果はあろう。しかし、投入資源の増加は、他の司法改革のイニシアティブと同時に行われることで初めて効果を持つと考えられる。投入資源増加は確かに短期的には裁判の遅れを解消する効果を持つかもしれないが、それだけでは効果は長続きしない(投入資源増加は需要増(訴訟件数増加)を引き起こし、裁判の遅れは元のレベルに戻ってしまう)。それは、投入資源の増加だけでは司法に携わる人々の根本的な行動パターンを変えることができないためである。

求められるインセンティブ指向型の司法改革とは?

たとえば、制度上、裁判の遅延に係るコストを負担しない裁判官による裁判は遅いであろう。なぜなら、そのような場合、裁判官には裁判を速く行うインセンティブがないためである。裁判官、弁護士、訴訟当事者に「正しい」インセンティブを与える方向での司法改革は、諸外国の例をみても、説明責任、競争、選択を促進することを通じ、「司法の効率性」向上に大きく寄与することが分かっている(Botero et al (2003))。たとえば、審理期間に上限を設けることは裁判の迅速化のためにしばしば用いられる手法であるが、あまり機能しているとはいいがたい。アメリカの例をみても、審理期間が上限に達した場合でもほとんどすべてのケースに当てはまるような例外規定があり、抜け道が用意されているためである。一方、アメリカの大都市の裁判所を対象とした調査では、最初から最後まで同一の裁判官が当該民事訴訟事件を担当する裁判所の方が、裁判官が審理途中で変わる裁判所よりも審理が速いという結果がある(Church et al (1978))。これは、審理が大幅に遅れれば、それはその裁判官の責任であることが明確になり(説明責任の向上)、裁判官に速く審理を終結させようとするインセンティブを与えることになるためである。

弁護士のインセンティブ改革:非弁護士との競争

一方、裁判官でなく弁護士のインセンティブ変革も重要な課題である。特に、Botero et al (2003)は、「弁護士の独占緩和は、司法改革の重要なターゲットであり、弁護士を他のプロフェッショナルと競争させたり、訴訟当事者の自己弁護を促進させたりすることは、弁護士の説明責任を、ひいては「司法の効率性」を向上させる上で効果的な戦略である」と強調している。たとえば、イギリスの下級裁判所での効率性の高さや訴訟当事者の満足度の高さは、弁護士があまり裁判に関与していないことが理由として指摘されている。また、同国では「市民相談所」が法的な助言を行う最も大きな組織であるが、その助言者の多くは弁護士ではない。つまり、法的サービスにおける弁護士独占に「風穴」を開けることが、「司法の効率性」を高めるために重要である。その意味で、法曹の質を向上させる方策は、弁護士独占維持のための「道具」にされやすいため注意を要する。弁護士の資格・適格性認定を高める方策が導入される場合、更なる弁護士独占が懸念されるため、同時に法的サービスの供給者を多様化し、供給者間での競争を高めるような方策、たとえば、弁護士の資格を持たない専門家による訴訟代理の要件を緩和することが必要である(Botero et al (2003))。

紛争解決機関の間での競争と紛争解決手続の選択肢拡大

上記では、法的サービス供給における弁護士と非弁護士の競争に着目したが、紛争解決を行う「場」の間で役割分担や競争が行われ、紛争当事者の選択肢が広がることも法曹のインセンティブ改革のためには重要である。たとえば、裁判所の中でも通常の裁判所と専門裁判所、少額訴訟裁判所(日本の場合は簡易裁判所)との間、または、通常の裁判所と裁判外紛争解決(ADR)機関との間の役割分担や競争の促進である。訴訟当事者をADRや少額訴訟裁判所など別の紛争解決機関に奪われる心配のない裁判システムでは、訴訟当事者は選択の自由がないいわば「囚われの身」ともいえる(Botero et al (2003))。このような状況では、通常の裁判システムに効率性向上へのインセンティブを与えることは至難の技である。

法曹関係者からみれば、裁判所間や他の紛争解決機関との間の競争というのはやや違和感を覚える概念かもしれない。しかし、英米の法制度、司法制度が中世の時代から進化してきた過程において、裁判所間競争が大きな推進力となったことは重要な視点である。イギリスではノルマン人が侵攻した当時、地元や領主の裁判所で紛争解決が行われていたが、解決までに時間がかかり、社会的、経済的にもコストの高いものになっていた。ノルマン人は、伝統的な法廷の代わりに紛争解決を行う機関として「王立裁判所」(royal courts)を設立した。両方のシステムは並存し、競争が行われた。その結果「王立裁判所」は、特に13世紀、土地の所有にまつわる紛争(適切な所有者への返還)において、簡素でスピーディな手続きを行ったことにより次第に人々の信頼を得、持ち込まれる訴訟件数も増えていった。これは、より良い手続き・ルールを提供し、競争を促進させ、公正な紛争解決を行うことで、新たな国家統治者が国民に選ばれるような司法システムを確立することができた例といえる(Islam(2003))。また、現在のアメリカにおいても、異なる州裁判所同士、または、連邦裁判所と州裁判所との間の競争が、司法制度の改善に寄与しているとされている。

少額訴訟裁判所の創設や発展は、司法改革の中でも最も成功した例である。手続きが簡素な少額訴訟裁判所は、多くの国で審理期間の短縮や国民の司法へのアクセス拡大に大きな効果を挙げている。たとえば、1995年に少額訴訟制度を導入したブラジルは、訴訟費用を低くすることで国民の司法へのアクセスを容易にすることに成功している。また、もともと少額訴訟裁判所がうまく機能していたイギリスでも、少額訴訟の上限引上げ(5000ポンド)を行っている。少額訴訟裁判所は、オーストラリア、日本、アメリカでも盛んである(World Bank (2002))。

「司法の効率性」の鍵を握るADRの発展

既存の裁判所との競争と紛争解決の選択肢の拡大という視点からは、裁判外紛争解決(ADR)が重要な役割を担っている。ADRとは、従来の訴訟手続きによる紛争解決に代わる手段であり、調停・和解斡旋(中立的な第三者が紛争当事者の合意を促したり、交渉の円滑化を図ったりする)などのように裁決を下さない調整型紛争解決手段と、仲裁(当事者から任命された仲裁人が拘束力のある裁定を下す)のような裁断型紛争解決手段に分かれる。ADRがうまく機能している諸外国の例としては、インドの「国民の裁判所」("lok adalats")が挙げられる。通常、退職した裁判官、弁護士、ソーシャル・ワーカーで構成され、普通の市民でもアクセスしやすいインフォーマルな手続きを通して調停を行っており(主に交通事故などの小さな事件)、そこで和解が成立しない場合は、通常のフォーマルな裁判システムに戻される(Botero et al (2003))。

フォーマルな裁判制度が十分発達していない途上国にとっては、ADRがフォーマルなシステムの代替手段として機能しうる。一方、正式な裁判システムが発達してくれば、裁判所で処理される紛争件数も増加していく。この過程において、ADRという代替手段の存在は、裁判官が訴訟当事者から収賄を行うことを難しくし、裁判の「腐敗」の機会を少なくするという意味で既存の裁判システムに規律を与える。これは、チリやエクアドルの制度に関する実証分析から明らかにされている(Buscaglia and Dakolias (1999))。一方、裁判システムがかなり効率的になれば、その結果が十分予測可能になるので、むしろ、手続きが簡素化された、裁判外の紛争解決が相対的に増加していく (World Bank (2002))。このようにみると、裁判所の訴訟手続きとADRは、代替的であると同時に補完的でもある。つまり、司法制度の発展レベルにかかわらず、互いに競争し、紛争解決の選択肢が増えることは、役割分担をさらに明確化し、両者の補完関係を強めるとともに、それぞれの仕組みを効率化することにもつながる。その意味で、ADRは「司法の効率性」向上において本質的に重要な役割を担っているのだ。

4. 法曹のインセンティブ改革という視点の抜け落ちた日本の司法制度改革:ADRの拡充・活性化の重要性

以上のような整理に基づいて、今回の日本の司法制度改革を評価してみたい。まず、すでに設置が決まった法科大学院を中核とした法曹人口の拡大について考えてみよう。厳しい参入制限の下、日本の法曹人口の規模はアメリカやヨーロッパ諸国と比べて極めて小さく、法的サービスに対する需要に応えられていないことは明白である。したがって、法曹人口の拡大は急務であるが、今回の司法制度改革においては、人的資源投入増大への期待が非常に強いという印象を受ける。上記でみたように、司法への投入資源の増大だけでは「司法の効率性」は達成できず、投入資源増大のみに過度の期待をかけることは望ましくないであろう。

一方、「司法の効率性」を向上させる上で重要な紛争解決手続きの簡素化は、少額訴訟手続きの訴額上限の引上げ(90万円→140万円)や訴え提起の手数料の引下げ(いずれも2003年通常国会成立)などの措置によって一定の効果が期待できる。しかし、もう1つの重要な柱である司法関係者のインセンティブ改革の視点は、残念ながら、現在の司法制度改革のフレーム・ワークから抜け落ちているといわざるを得ない。たとえば、裁判の迅速化については、第一審の終局が2年以内を目標とすることが法律で明文化されたが、上記でもみたように単に目標設定のみが行われるだけであれば、個々のケースで例外的事情が考慮され、目標が「骨抜き」になりかねない。

紛争解決機関やそれに従事する人々の間での競争を促進し、紛争解決手続きの選択肢の拡大を通じて司法関係者のインセンティブを変革し、「司法の効率性」を高めるためには、日本の場合、ADRの拡充・活性化が決め手となると考えられる。既存の訴訟制度と比較した場合、ADRの大きな特徴は多様性である。つまり、ADRが充実・発展すれば、ユーザーは紛争の内容やニーズに合わせて、交渉、和解、調整、仲裁やその組み合わせを選択したり、少額案件であればそれに見合った時間的、金銭的コストに対応するADRを選択したりすることが可能となる。すなわち、ADRによる紛争解決手続きの多様化は、手続きの簡素化、選択肢の拡大に資するのである。また、ADRによる多様化は、通常の訴訟制度では満たし得ないような紛争解決ニーズを満たすという補完的な役割を果たすだけでなく、ある程度発展した司法制度を前提に、迅速性、廉価性を武器に、既存の裁判制度と競合していきつつ、それぞれが互いにポジティブな刺激や規律を与えながら発展することを可能にすると考えられる。むしろ、既存の裁判所を含め多様な紛争解決機関が積極的に競争することで、それぞれの機関が効率化するとともに、試行錯誤を通じてよりよい役割分担が形成されることが期待される。

さらに、ADRの活性化・拡充が現在の日本にとって重要なのは、それが法的サービスにおいて弁護士と非弁護士の競争を活性化させる契機となるためである。ADRが盛んな分野(海事、建設、電子商取引等)では法律知識も重要であるが、それは必要とされる専門知識の1つであり、当該分野に関する専門知識や紛争解決の専門知識が優先されるケースも多い。こうした事情から、諸外国ではADR主宰業務について弁護士などの資格要件を設けている例はほとんどない。しかしながら日本では、弁護士法72条で非弁護士の法律事務取扱が禁止されており、ADR主宰業務も弁護士以外の者が業として行うことは認められていない。隣接法律専門職種(司法書士、弁理士、税理士など)のみならず、広く法曹以外の専門家がADRの主宰業務に従事できるように、弁護士法72条を抜本改正することは、弁護士独占に「風穴」を開け、弁護士と非弁護士の競争を本格的に導入させるための大きな契機または試金石ともいえる。

5. 司法制度改革を実りあるものにするためのADRの制度基盤作りのあり方

以上、現在の日本の司法制度改革において、特に「司法の効率性」を重視する立場からは、画一的・硬直的な裁判制度と、多様で柔軟なADRが互いに補完的、代替的(競合的)な役割を果たしていけるようなADRの拡充・活性化が大きなポイントになることを強調した。しかし、現在の司法制度改革のフレーム・ワークでは、ADRの制度基盤作りは民事訴訟制度改革の1項目という扱いにしかなっていない。また、政府の司法制度改革推進本部事務局が本年7月に論点整理のために公表した「総合的なADRの制度基盤の整備について」をみても、今後発展が予想される「ADR業」を政府の立場からいかに「規制」するかという点に主眼が置かれているようにみえる。たとえば、一定の法的効果を付与するため、行政機関によるADRの適格性の事前確認・承認制が提案されている部分がそうである。加えて、主宰者の資格要件(弁護士法72条)に関する部分は、「悪しきADR業」から国民を守ることとともに、既得権益者である「法曹業界」を新規参入者である「ADR業」からいかに守るかという政府の意図も見え隠れする。

さまざまなニーズに対応した多様なADRが生まれてくるには、ADRの担い手の創意工夫やADR同士の競争が自由にできる環境が必要である。このため、基盤整備といえども、政府がADRの活動に網をかけるような法的規制を加えることは望ましくない。むしろ、ADRに必要な公正・中立・独立といった資質も、競争原理が働くことで正確な情報に基づき市場(ユーザー)が自主的に判断することができるような環境整備(情報開示の促進、ADRへの理解、アクセスの改善)を行うことが重要である。EUにおけるADRの議論をみても、(Hornle(2003))、「現時点でADRに規制をかけるのは適当でないのは、ADRがまだ、進化、実験、発展の段階であり、また、ADRの利点である柔軟性と敷居の低さが規制で失われてしまうからである」との見方がコンセンサスとなっている。

ADRについては、近年、電子商取引の発展に伴い、当該分野の紛争が国際化されており、既にADRが発展している海事と同様、国境を超えた紛争に対応できる解決手段として注目を集め、アメリカなどを中心にかなり活用されてきている。また、国境を越えるという点で、インターネットを利用したADR(Online Dispute Resolution, ODR)(サーベイはHornle(2002)参照、日本の現状は電子商取引推進協議会ネットショッピング紛争相談室参照)も盛んになってきており、ADRの手法とインターネットの仕組みとの相性のよさも確認されてきている(コスト低下、迅速化)。こうした電子商取引の発展とそれに付随した紛争の円滑な解決という意味でも、日本におけるADRの拡充・活性化は待ったなしの状況なのである。

既に確立された「制度」、「仕組み」を大きく改革することが容易でないのは司法制度も例外ではない。「制度」の内部にいる者による内向きの努力だけでは彼ら自身のインセンティブを変革することはできないからである。そうした膠着状況を打ち破るのは、広い意味での「外圧」であり「競争」である。制度に「風穴」を開けて、「外の空気」を入れてやることで、初めて真の「制度改革」は始まるといえる。日本の司法制度に「風穴」を開ける推進力となるのがADRであり、その新たな担い手なのである。今回の司法制度改革が山場を迎えるに当たって、ADRの長所である多様性や柔軟性が十分担保されるだけでなく、それを支える担い手にも多様性が確保される、ADRの基盤整備が行われることを切に希望したい。

2003年10月6日

2003年10月6日掲載

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