書評:苅谷剛彦著『階層化日本と教育危機』

格差問題の論争

格差は問題である派

苅谷剛彦著『階層化日本と教育危機』

(2001年、有信堂高文社)

根橋広樹

ポイント

  1. 戦後の短い期間で、日本は職業構造の変化と学歴の上昇が同時に起こった。そして、職業配分メカニズムは、メリトクラテッィクな選抜の影響を強く受けるようになった。
  2. この変化によって、教育において階層の影響は見えにくくなり階層という視点は消えていった。同時に、個人の能力による序列化を問題視する考え方が定着していった。
  3. しかし、実際には階層の影響はなくなっておらず、そのような教育観によって、階層間のインセンティブディバイドをもたらし。

内容要約

戦後の職業構造と選抜の変化

戦後、学校を卒業した農家の子弟はマニュアル職に従事するものが多かった。義務教育終了年限が上昇し(「見えざる学歴上昇」)、義務教育卒業者の製造業への就業が容易になったことがその要因としてある。

高校進学率が上昇した60年代以降は、高卒がマニュアル参入者の中心となった。同時に、父親がマニュアル職の家庭の出身者が高校を経てマニュアル職へ参入するようになった。

高学歴化と階層秩序形成の同時進行は、職業配分メカニズムに影響を与えた。筆者はSSMのデータを分析し、世代が若くなるほど、出身階層の影響をそれほど強く受けない成績が本人の初職を規定する重要な要因となったと説明している。このように、職業配分メカニズムは、学力を中心としたメリトクラティックな選抜の影響を強く受けるようになった。

教育観の変化

就業構造や職業配分メカニズムの変化などの社会構造の急速な変化は、階層要因のはたらきが実際にはなくなっていないにも関わらず、それを見えにくくした。教育における差別認識において、1950年代には貧困という社会的カテゴリーとの意味関連が存在したが、1960年代以降には階層という視点は消えていった。

ただし、1950年代の社会カテゴリーと差別認識に関連があった時代においても、差別認識は、差別感という意識を機軸に構成された。そのため、教育において差別感を生みだす差異的処遇を忌避する視座が組み込まれていた。1960年代には、能力の固定性を批判する能力観や、学校が測定する学力を「真の学力」とはみなさない学力観が広がり、それが差別感を問題視する差別教育の認識枠組みと結びつくことで、能力を基準とした序列化を差別教育として問題視する教育認識の枠組みが成立した。

この教育観においては、学力によるいっさいの差異的処遇が批判され、画一的な処遇がなされた。また、1980年代以降の教育や教育改革の議論においても、階層的な視点を抜け落ちさせ、さらに学歴社会批判や受験教育批判をもたらすという影響を与えた。

教育改革と階層間格差拡大

受験教育批判をベースの1つとした1990年代の教育改革では、「ゆとり」の教育が目指された。また、「興味、関心」や「自ら学ぶ意欲」が学習の軸におかれた。

しかし、1979年に比べて1997年では、全体として学習時間が短くなっており、学習に対する意欲や興味関心も低下した。さらに、階層が低い層ほど学習時間がより短くなっており、学習に対する意欲や興味・関心もより低下している。このように、自ら学ぶ力の育成を目指してきた教育は学習意欲を高めることに成功せず、それどころか意欲の格差を拡大させた。意欲の格差が拡大した理由としては、受験競争に変化が生じ受験の圧力が弱まったために、個人の外側にあるインセンティブが見えにくくなり、見えにくくなったインセンティブへの反応が社会階層によって異なったことが挙げられている。

一方で、感覚としての平等感・不平等感にしたがって結果の平等を考える日本的平等観のもとでは、処遇の画一化が結果の平等と読み違えられ批判された。そして、階層による不平等の実態をふまえないまま、自己責任の原理が強調され、自立した個人形成(=強い個人)のために「個性尊重」の教育改革が掲げられた。

この現状のもとでは、「階層と教育」の問題を教育改革の議論に正しく位置づけ、そのうえで階層間の不平等状態をよりましな不平等に変えていくべきである。階層間格差の趨勢に対して、1)「下に手厚い」教育により、初期の格差を縮小するという原則と2)それでも拡大してしまう格差や青年期のインセンティブディバイドに対して学習と職業経験との試行錯誤や移動の可能性を高めるという原則の2つの原則で対処することを提案されている。

コメント

「階層と教育」に着目した議論

本書は、「階層と教育」の問題について議論がなされている。現在日本では、格差問題がさまざまなところで論じられている。その中でも、誰もが受ける学校教育と階層の問題を考えることは、機会の格差を考える上で非常に重要である。その点で、テーマそのものが非常に興味深いものとなっている。

また、本書は、階層格差が明らかにされてこなかったメカニズムを解明することで、今までの教育観の問題を明らかにしており、教育改革の議論に参考になるものといえる。

説得力のある分析

多くの場面で統計的な分析(重回帰分析等)がなされており、客観的な分析がなされていると感じた。教育の議論は主観にもとづくものが多く、本書はその点で貴重であるといえるだろう。

また、分析のもとになっているデータも信頼がおけるものである。SSM調査と筆者の独自調査の両方が使われているが、SSM調査はサンプル数、抽出方法のどちらも信頼のできるものである。筆者の調査も二県の高校を対象にしたものでややサンプルが偏っている可能性があるが、幅広い高校からサンプルを抽出しており、信頼性は高いといえる。

さらに、統計分析だけでなく、全国教育研究集会の記録である『日本の教育』の第1集から第13集までの言説を分析することで、日本における教育認識の変化を捉えようとしている。このように本書では、目的に応じて分析方法を使い分けており、厚みをもった分析となっている。

日本的平等観の議論

本書は、日本において平等感にしたがって平等の問題を考える傾向があることを示した。このことは、教育だけでなく他の分野の議論においても重要な示唆となっている。つまり、格差の問題において、実態的な面ばかりが注目される傾向にあるが、もっと意識面を調査する必要があり、また意識面と実態面がどのぐらい乖離しているかを議論する必要があることを示しているといえる。

さらに、日本的平等観の議論は、実態的な平等を目指すべきか、平等感の上昇を目指すべきかという議論につながる可能性がある。本書では、教育をする側の教育観に主に着目しているため、実態面に着目して教育するべきであるという意見は分かりやすい。しかし、国民が満足する施策を考える場合に、実態的な平等よりも平等感に根ざした施策の方がよいといえる場合もありえるのではないかと考えられる。

本書の問題点

外在的なインセンティブが見えにくくなったことが、学習意欲の階層間格差の広がりに対して、どのようなメカニズムで影響したのかという説明に物足りなさを感じた。そのメカニズムの説明としては、1)上位の層の子供たちは、その環境ゆえにインセンティブを見抜き意欲を維持しているという仮説、2)上位の層の子供ほど、過去の良い学習経験や知的な構えを要しているため、内発的な動機づけによる学習が容易であるという仮説が挙げられている。しかし、これらの仮説については、実証的な分析がなされておらず、あくまでも仮説に留まっている。そのため、本書は、階層間格差が広がった要因を究明するという点においては少し不十分であるといえる。

また、階層間格差が広がった要因についての分析がやや不十分であるため、政策案の説得力が他の箇所に比べると少し低いように感じられた。特に、若者のインセンティブディバイドに対して、低利長期返済の奨学資金の創設を提唱しているが、若者の意欲が20代後半に高まっていく可能性についての説明がないため、効果に疑問を感じる。

このような問題点もあるが、現状分析から政策の提案までを論理だった説明で包括的に議論している文献は少ないため、その点でも本書は貴重な存在であり、筆者の力量を示すものといえよう。