書評:トーマス L フリードマン著『フラット化する世界』

グローバリゼーションの論争

グローバリゼーションは問題ではない派

トーマス L フリードマン著『フラット化する世界』

(伏見威蕃訳、2006年、日本経済新聞社)

大越 諭

ポイント

  1. 本著は、ニューヨークタイムズの記者である筆者が取材した世界で起こっているさまざまなフラット化の事例を多数掲載してい。
  2. グローバリゼーションを3つの時代に分けて、現在のグローバリゼーションが「10の圧力」によって「三重の収束」として、フラット化が生じていると述べている。
  3. フラット化していくには、イマジネーションが大事である。開放した世界においてイマジネーションはベルリンの壁の崩壊(11.9)などの良い事例を生み出すが、孤立した世界を作ってしまうと同時テロ(9.11)などの悪い事例を生み出してしまう。

内容要約

グローバリゼーションの3つの時代

(1) グローバリゼーション1.0とは、旧世界と新世界のあいだの貿易が始まった1492年から1800年ごろまでの『国家や腕力が主役の時代』である。この時代では、国家が物理的な力(腕力、馬力、風力など)をどれだけ持っているかが重要であった。この時代の国家や政府は、壁を打ち壊して、世界をつなぎ合わせ、世界の統一をはかろうとした。この時代の課題は、自国をグローバルな競争やチャンスにどう適合させればよいかということであった。

(2) グローバリゼーション2.0とは、1800年から2000年までの時代で、『多国籍企業』が市場と労働力を求めることによって、世界がグローバル化したものである。具体的には、オランダとイギリスの共同出資による会社の産業革命が、蒸気機関や鉄道による輸送コストの軽減をもたらし、後半は電報、電話、人工衛星、パソコンなど通信コストの軽減を行った。大陸から大陸へと大量の商品や情報が移動することによって、世界市場が生まれ、生産と労働の両方の世界的な取引がそこに生じた。この時代の課題は、自社が世界経済にどのように適合するかというものであった。

(3) グローバリゼーション3.0とは、『個人』がグローバルに力をあわせ、またグローバルに競争を繰り広げるという時代である。これを可能にしたのが、「フラットな世界のプラットホーム」であり、世界中の人々は、個人としてグローバル化する絶大な力を持っていると気づいた。そして、3.0は1.0や2.0と異なり欧米の個人や企業が牽引したのではなく、中国やインドなど多種多様な個人の集団によって生じているのが特徴である。

フラット化した10の圧力

フラット化をもたらした要因として、本著では「10の圧力」を挙げている。
第1に、ベルリンの壁の崩壊である。これは、単に東と西がつながったことで、世界が単一市場になったということだけではなく、電話やFaxに代わって電子メールの整備が進むきっかけになったことを挙げている。

第2に、ネットスケープのIPOによるブラウザーの誕生と光ファイバーケーブルに対する過剰投資である。ブラウザーはもちろんインターネット環境になくてはならないことは自明だが、それに加えてインターネットバブルによって光ファイバーケーブルの過剰投資を生んだ。

第3に、共同作業を可能にした新しいソフトウエアの登場である。Web連携のための技術基盤が生まれて、ソフト同士を自動的に連携させることが可能になった。こうした標準化はイノベーションを阻害するものではなく、むしろ互いのインターフェイス調整などの余分なワークロードを削除することで、イノベーションそのものに集中させる働きを持った。

第4に、アップロードが誰でも可能になったことである。それによってオープン・ソースが発達し、オープン・ソースコミュニティでは、多くの個人がコミュニティで協調しあうことでイノベーションが生まれるようになった。

第5に、アウトソーシングの進展である。アウトソーシングを米国で進展させたきっかけとなったのはY2K問題(2000年問題)である。できるだけ安く、品質を落とすことなく大量の人材をY2K問題に対応させる必要があった。そこで登場したのがインドである。インドは数十万人のエンジニアを輩出し、米国の大学院と比べても非常に高いレベルをもち、英語も堪能であった。さらに、米国とインドの地理的な問題はIT技術によって障害とはならず、むしろインドの人件費が安いというメリットがあった。そこでインドにアウトソーシングを行い、Y2K以降もこうした外注の流れが起こるようになった。

第6に、オフショアリング(業務の海外移転)による中国の成長である。オフショアリングはアウトソーシングと違い、企業の特定の機能(たとえば工場)をそのまま海外に移転することである。このオフショアリングを後押ししたのが中国のWTOの加盟である。これは中国政府がグローバルの輸出・輸入・海外投資等のルールに従うことを同意したことであり、それによって中国は目覚ましい発展を果たしている。米国の調査によれば、中国は1995年から2002年の間に年率17%の生産性向上を果たしている。

第7に、サプライ・チェーン・マネージメントによる製品の生産・運搬・販売の全体管理と最適化である。ウォルマートでは配送コストを徹底的に削減し、さらに情報システムに投資して顧客が何を買っているのかを分かるようにした。また、この情報を生産者と共有し、必要な商品を常に棚に置いてもらうようにして機会ロスを削減し、在庫費も削減した。また、工場のジャスト・イン・タイムと同じ発想がITによって流通業でも行われた。

第8に、インソーティング(専門的業務受託)の進展である。業務を専門化して、それぞれの会社に振り分けるようになった。それによってコールセンターなどのサービスの質が向上し、顧客満足度が上昇するようになった。

第9にサーチエンジンによるインフォーミング(Informing)である。検索サイトの登場によって、世界のあらゆる場所から、あらゆる場所に対して商売ができるようになった。これを著者は、インフォーミングと呼んでいる。

第10に、上記の第5から第9までの圧力を合わせたステロイドである。ワイアレス・アクセスなどの技術により、いつでも、どこからでも、どの端末からも、さまざまなことができるようになった。そして、これらのアクセスのしやすさは、上記の効果を増幅するように働いた。

三重の収束

こうした10の圧力によって「三重の収束」が生まれた。第1の収束は、フラット化の要因が収束して「均している競技場」が誕生したことである。第2の収束は、この競技場を活用するためのビジネスモデルがいろいろと誕生した。リアルタイムのコラボレーションを実現する、インターネットによる社会・経済活動の場が生まれ、合計30億人の新興経済国がグローバル化に参入したことである。その中でも世界の博士号の半数がインド人と中国人で、安くて優秀な労働力の供給源となっていることを指摘し、インドと中国にスポットを当てている。第3の収束は企業が、独立した垂直サイロ方の組織から集約が起こり、水平型のコラボレーション時代に入りつつあることである。

フラット化の問題

世界がフラット化することで、さまざまな問題が生じてしまう。それは世界がフラット化し始め、バリューが(個人がより大きな力を持つさまざまな形式の共同作業を通じて)水平に生み出されることが多くなると、上下や搾取の関係が極めて複雑になる。そうなるとこれまでの規範や境界、組織は整理されていかなければならないからである。

そこで経営学でも政治学でも、製造や研究開発の分野でも、当事者は「水平化」を理解し、さまざまなプロセスを適応させなければならなくなる。こうした摩擦の最大の原因は、明確に定められた国境と法を備えた国家であり、政府がどれくらいに平らであってほしいのか。またフラットな世界で企業が競争しやすくするために、政府がどこまで自由化にするのがいいのかが問題になる。

さらに知的財産も、誰が何を所有するのかということが重要である。イノベーションを行った人間の知的財産を守り、本人がそこから得た利益を新たな発明に投入できるようにするには、どんな法的障壁であればいいのか。そしてどうすれば、最先端の発明に不可欠な知的財産の共有を促進できるかも考える必要がある。

解放された世界か閉ざされた世界か

フラットな世界では、競争作業のさまざまなツールはよって誰でも手に入る。しかし、イマジネーションはいつの時代も手に入れることができない。開放した世界においてイマジネーションはベルリンの壁の崩壊(11.9)などの事例を生み出す。そして著者は人間のイマジネーションが大切ではなかった時代は、今まで一度もないが、今ほどイマジネーションが大切な時代もないとのべており、解放した世界でなく孤立した世界を作ってしまうと、同時テロ(9.11)などの事例を生み出してしまうとしている。

コメント

本書は、IT革命によるグローバル化が、世界のフラット化をもたらしているという趣旨のものである。その論拠として数十もの事例を持ち出して説明をしている。フラット化をした10の圧力の整理は重複している点もあるが、さまざまな要因が相互に増幅しているという点はわかりやすかった。

しかし、タイトルが「フラット化する世界」としているにもかかわらず、世界全体で考えた場合、ITに触れることができない貧困国と先進国とのアクセスの差によるアンチ・フラット化が促進されているのでという点については言及していない。本書の中で言及している事例は、中国やインドなど、低賃金で優秀な労働者に仕事の需要が増えているという内容であり、これは、単に情報通信の分野でアウトソーシングが進んでいるだけであるという一側面の議論に過ぎないのではないかとも捕らえうる。

また、国内での産業による格差などについても言及が少ない。専門化・細分化の事例を基に、どのような産業でもフラットになると述べている。しかし、フラット化が難しい産業もある。実際に中国などでは、貧富の格差が主張されているのであり、扱っている事例に偏りが感じられた。

フラット化が持つ課題については、著者は記者であることを理由に、言及を避けているが、今後の議論の発展のためには、その点の考察も重要であろう。また、本書の議論の内容は、インターネット技術が導入され始めた当初から存在するものであり、若干、新鮮さが欠けるという感触を得た。