第3セッション議事のサマリー

敬称略。なお、本ワークショップでの発言はいずれも個人としての発言であり、個人が所属する組織等を代表する見解・意見ではありません。

<鷲見>

第3セッションのテーマは、経済協力政策の再編成ということで、経済協力政策がいかにあるべきかという議論を行い皆様方のいろいろご意見を賜りたい。まず私から論点だけ問題提起し、下村先生から同様の問題意識で今後のODAのあり方についてご意見いただきます。

<鷲見によるレジュメに基づく発表 → レジュメ参照>

<下村によるレジュメに基づく発表 → レジュメ参照>

<河合>

  • 国際機関での日本の発言力はないに等しいといわれたが、私が世銀にいた感じでは必ずしもそうは思わなかった。ボーティングシェアに基づく日本の発言力というのはばかにできないなというのが私の印象。ただそこにどのようにもっと強く日本の意見を反映させていくべきかという問題は残っているのだろう。
  • IDA融資の贈与化であるが、それは世銀の国際金融機関としての機能という点からすると、非常に外れることではないか。贈与化を目指すのであれば、国際金融機関とは何かという根本的な問題を考えなければならない。
  • 援助の有効性に関わる、援助の「質」の問題も重要。受取側のオーナーシップがカギだということがこれまでの何十年かにわたる経験。援助としてタックスペイヤーマネーをつぎ込むとき、それがきちんと使われるということが最低限確保されるべき。よいマクロ政策とよい政策体系の下で金が変なところに行かない、途中政治家などのポケットに入ってしまわないという確信をもたないと援助はすべきでない。そういう条件がない中で援助資金を出せるのかというと、やはり国としては出せないのではないか。

<鷲見>

  • 日本の国際機関に対する関与の度合いというのは、ボーティングライドが高いというのは事実なのだが、それに合わせた発言というのはできる余地はもっとあると考えているということ。例えば世銀の事務局に長年勤めていて、いろいろな国から理事会に上げる前に案件について質問を求められていろいろ聞かれるが日本の理事室からまず来ないなど。

<河合>

  • 日本のコンサルティングファームが自分たちを売り込まないということもある。世銀のプロジェクトについて関心を持っている世界のコンサルティングファームは自分たちで売り込んでくる。もっとそういう努力をするべきなのではないか。

<鷲見>

  • 同感。レジュメ5番のcで書いたのもまさにそこで、JICAへの納入という形では、頑張っているが、外に出ると競争力がないというのは残念ながら現状。

<荒木>

  • 異論ではないのだが、学閥というのもある。欧米のコンサルティングファームは同じ大学出身であることを利用して国際機関に売り込んでおり、国際機関の側にもそれを受け入れる素地がある。

<山崎>

  • 国際機関とのつき合いで日頃感じているのは、貧困削減という大きな土台自体はしようがないものとして受け入れて、経済成長重視などはそのための方法論みたいなことにせざるを得ないというのが現実としてあること。大上段で議論しても、結果として世銀のポリシーは変わらないだろう。その上で、国際機関とのつき合いはどうあるべきかは、補完性ということを意識してやっていったらよいのではないか。例えば貧困削減がメインカレントになればインフラは相対的にシェアが下がるので、そこを行うということではないか。また、バイではいいにくいマクロ・財政運営についてきちんとマルチ機関に目配りしてもらうという注文の付け方もある。さらに日本としては民間ビジネスがしやすい環境をつくるといったことについては国際機関に対して比較優位がある。このような点で国際機関とは協調したらどうか。

<奥村>

  • NPO的なある種、志が高くて、かつ継続的に物をみていって、かつ相手国に対して物を自由にいっていけるような、具体的には途上国の自主的な発展を促していくということを考えながら、当面の問題として受けたい援助が何であるかというプログラムをきちんとつくっていけるようなNPOを日本で育てるべき。そこに本当に政府のお金が必要ならODAで流したらいいのではないか。

<大野(健)>

  • 国際機関にどのような連携を行っていくか。一つは積極関与。世銀がどう考えてもおかしいと思うところ、欠けているところ、不足しているところを補うように世銀を乗っ取ってしまう。もう一つは日本独自のイニシアチブをつくって、その欠けているところを補う。貧困だけでは余りにも窮屈で別の考えがあっていい。いくつもの考えが競合するというのが健全。アジアダイナミズムのような受けとめるものがあればやるというクライテリアもあっていい。それと同時に、河合先生みたいなものもあっていい。どっちかがどっちかを凌駕するとか、そういう世界がよくないのだろう。

<河合>

  • コラプションがある国に対して援助すべきかという点では、政府が反コラプション・プログラムにコミットしているとか、全体のプログラムが改善の方向に向かっているかということが非常に重要。コラプションがあるから援助を行わないということではない。
  • 公的資金を使うのだから、その論理は何かということが重要で、アジアダイナミズムに貢献するから金を使おうというのは全く論理になっていない。どういう範囲で、どういう形でODAを使うのかというところまで下りていかないといけない。お金の使途は限定しなくてはならず、セレクティビティーが重要で、どういう戦略で、どういう論理で援助を行っていくのかということをもっときちんと考えるべき。

<木村>

  • 東アジア向け経済協力は貧困削減だけでは括れない。貧困削減というコンテクストで話をされることというのは、援助が金持ちの役に立つ、多国籍企業の役に立つ、だからだめだというロジックで使われることが非常に多く、これは問題。貧困削減のためではなくて経済の活性化、経済を活性化するための政策環境をつくるためにはどうしたらいいのか。そういうところに経済協力を使っていこうではないかというのも1つの立派なロジックだし、それが貧困削減で括れないようならそのプログラムはそこから分かれてしまってもいいのではないか。

<鷲見>

  • 中国の環境問題は都市部で起こっており、これを貧困の切り口だけで説明するのは困難だが、世銀が貧困削減に傾斜する中、98年度以降世銀が行う中国の環境関連のレンディングは全て止まってしまった。貧困削減はレトリックに過ぎないが、レトリックがひとり歩きしてしまったということだろう。

<林>

  • 日本のODAは海外進出の呼び水というような批判が消えつつあるときに、ODAを日本企業の直接投資と結びつけるような内容となっているが、それで本当によいのか疑問。日本のODAをアジア全体に広がる華人資本・アジア各国の土着資本と有機的に結合させて展開したらどうかと思う。
    日本は、政府援助とか金融機関によるアジア向け債権が多く、不良債権もたくさん抱えている。アジア各国の経済が改善し、軌道に乗らなければ、日本の経済も軌道に乗ることができないという認識が大切。その点で、円レートの安定的な推移が重要。急騰も急落もアジア諸国にとっては非常に迷惑。
    コラプションの話もあったが、アジア各国の経済発展に日本の経済援助は寄与しているかどうか、援助される側から見ると不思議に思う人が非常に多い援助をされる側の国民にも理解できるような説明、その政策を展開してほしい。また援助される側の国の必要に応じて援助を展開してほしい。産業の育成なのか、人的資源の開発なのか、環境の保全なのか、F/Sを通じて把握し、展開することを期待している。

<大野(泉)>

  • 経済協力二分論を前提とするのであれば、アフリカのような最貧国への支援は国際機関との能動的な連携が重要で、特に、実質的に、IDA資金のアクセスのためのコンディショナリティーと化しているPRSPに日本としてどのように取り組むかが大きな意味を持つ。
  • 特に貧困削減と成長のバランスをどうとるかといった内容の問題は、援助の効果をどのようにモニターするかという観点からの指標化、効果の測定を強く打ち出してきていることをどう考えるのか。我々としては、その内容の妥当性や厳格さの度合いについて、総論レベルと具体的なレベル双方で取り組んでいかなければならない。
  • グラント化については、金融機関としての世銀の役割、国連機関とのデマーケティングの問題、さらにグラント化することによって、特定のセクターに偏重するという可能性についても検討が必要である。これらもPRSPの議論とも絡めて考えていかなければいけない。
  • また、河合先生がおっしゃった公的資金を使うための理由をどのように考えるかということでは、日本の国益は何なのかというところと結びつけて考えるべきではないか。

<荒木>

  • DAC上のODA分類に関わらずアジアダイナミズムに貢献するなら貢献するということで経済協力スキームの再編成をやっていくべき時期に来たのではないか。貧困だけでは、極端にいえば円借款の出番は非常に苦しい。
  • ODAとしては組織再編成ではなくて機能再編成をやってみて、改めて国際的なニーズと国内的なニーズの合体を目指していく。そのための理論武装として、二分論は非常によい。新しい日本の構想を世界に向けて堂々とやればいい。その一環として過去の東アジアでの経験を整理して世界に発表するというような情報発信をしてゆくべきである。円借款をどうするとか、技術協力はどうするという話ではなくて、大枠でスキームを見直すべきだろう。

<村田>

  • ODAについての重要な提言が各種行われているが、必ずしも政策立案のためのバックグラウンドになる研究をベースに、この種の提言研究が行われているわけではない。そういう意味で、この研究会がモメンタムを失わずに成果を出すことを期待する。
  • 国内産業政策と投資政策と貿易政策を念頭に経済協力政策を新たに立案していく。その際の重要なアプローチとして、これまでのODA政策というのをきちんと評価してみる必要があるのではないか。
  • 世銀関係の話では、世銀をシンクタンクとして活用していくという視点をしっかりもつ必要がある。また、日本が主要なドナーになっているアジアの国に、世銀が援助方針を立案する前に、日本政府を中心とした関係機関ときちんと協議をして援助戦略を決めるような――これは非公式であってもいいと思うのですけれども――メカニズムをつくるように要望していくべき。
  • また世銀だけでなく、OECDのDACからも大きなポリシーがでてくるが、日本はDACの使い方が世銀の活用の仕方以上にうまくない。援助政策が、日本が主導しない形で、日本に不利のような形ででき上がってしまっているというのが現実。DACでの日本のプレゼンスを高めること、コントロールを強めていく必要があるのではないか。

<五百籏頭>

  • このセミナーでの非常に根本的な問題に立ち向かう議論というのがモメンタムを失うことなくぜひ進めていただきたいと思う。
  • 下村先生の報告について2点質問。ODAを続けていたら破産せずに済んだといえるのか。破産国家を生まないためには何が必要なのだろうか。第2点は、グッドガバナンスがないという場合にどう対処したらいいのかについて、もう一言踏み込んでいただきたい。

<中野>

  • 二分論は、1つは説明の仕方としては非常に目新しいがそれだけでは説明できない。同じ地域・国の中で成長セクターもあれば貧困地域もある。一般論で説明するには限界があるところを、国別アプローチという形で、問題解決型で対処しようというのが昨今の動き。これが、国別援助計画であり、JICAの国別事業実施計画となっている。
  • こうした中での最近の変化は、技術協力は農業・工業技術の生産技術を移転するというところに大きな主眼があったが、それが下流展開と上流展開という形で2つの大きな分化が起こっている。下流は国民参加型ということでNGOないしはボランティア等が参加して、直接貧困の問題を現地で片づける、上流は中枢政策支援とか知的政策支援で、かつての生産技術ではなくて国家経営技術、あるいは経済運営技術というところを対処するということ。これは日本の英知・経験・総合力の結集というところが非常に重要である。

<下村>

  • 「公的資金だから"とんでもないこと"にお金を使わせるわけにはいかない」という議論が有力だが、問題は、何が"とんでもなく"て、何が"とんでもある"かをだれが判断するのかということ。判断基準についてのドナー優位が際立つ現状は問題。
  • "とんでもない"ことにお金を使わせないために、3つのことを徹底すべき。まず判断基準が恣意的であったり、不安定であってはいけない。2つ目は、有効性を長期的視点でとらえなければいけない。3つ目に、"とんでもない"ことにお金を使わせないといっている人たちが途上国に多額の兵器を買わせており、兵器購入に途上国側の公的資金が多額に使われている実状はいけない。こういう条件が満たされない状況でファンジビリティーとか"とんでもない"こととかいっているのは、ドナー側の身勝手である。
  • 五百籏頭先生の提起された重要な点への対処だが、グッドガバナンスの欠如あるいは不足がペナルティーになるようにしておいて、同時に、貧困層に破綻が起きないようにするための援助を全く別な形で行うことが望ましい。ただ、グッドガバナンス、グッドポリシーがないから、よその国よりも資金流入の面で損をしていることを認識してもらえるような仕組みにする必要がある。
  • ODAを続けていても、破綻国家のうち大半は破綻したと思うが、最低限の量の資金が流れ込んでくるということは、破綻国家の数を1つでも2つでも減らすことができるのではないか。その方が長期的に"有効な援助"ではないか。セレクティビティーとは別に、2つの基準を平行して走らせる、そういうアートの領域の話ではないか。

<最後の総括的コメント 大野>

<大野(健)>

  • 今後の活動としては、皆さんのご意見を反映して、本を出したり、もちろんウエブでも公開する予定。今日のことは、議論したこと自体よりも、このようなやり方でネットワーキングして議論を高めていくための1つのトライアル。その点でこれで終わりではなくてもっとやりたいと思いますので、よろしくお願いします。