第3セッション議事録

  • 平成14年2月13日 15:00~17:00

敬称略。なお、本ワークショップでの発言はいずれも個人としての発言であり、個人が所属する組織等を代表する見解・意見ではありません。

鷲見

第3セッションを始めたいと思います。第3セッションのテーマは、経済協力政策の再編成ということで、午前中のODA二分論、域内経済統合のビジョンの議論、そして先ほどの中国、ASEANとの関係の再構築の問題、これに続きまして、今度はもう一度経済協力政策がいかにあるべきかという議論、そして我々は主としてバイで経済協力プログラムを企画、実施しておるわけですけれども、実際には国際機関が類似の分野でいろいろな仕事をしているわけですが、それとの接点、パートナーシップ、すみ分けはどうあるべきかという問題があるわけでございまして、ある意味ではその方向性、ある意味ではプラクティカビリティーといいますか、それをどのようにこの理念を実際のオペレーションプランにトランスレートしていくかという問題を私ども政策当局としては議論していかなければいけないわけです。
その参考に皆様方のいろいろご意見を賜りたいと思うわけですけれども、皮切りに私から少し論点だけ問題提起ということでお話をさせていただいて、その後、JBICのOBでもあり、今大学にいらっしゃる下村先生から似たような問題、意識で今後のODAのあり方につきましてご意見をいただくという順番で進めたいと思います。まず私からは、既にお配りしております数表で、これはもう既にご存じの方も多いと思いますけれども、途上国に対するさまざまな資金フローということで、狭義のODA、政府開発援助、それからそれ以外のOOF、民間資金の流れ、これの区分と99年、2000年の数字が書いてある表、これは財務省のホームページからとってきたものですけれども、その表と、順番は逆ですけれども、スリーメーンプレイヤーズということで日本と世銀、アジ銀が中国、ASEANの地域において直近3年でみまして、金額的にどれぐらいの資金フローをプレジしているかという表をごらんに入れながら、後でお配りさせていただきました諸問題のイシューのリストもあわせてごらんいただきたいと思います。
まず、午前中に議論がございました、ODAをできるだけ広くとらえるべきではないかという点においては、むしろこの資金の流れ以上に本当は広くとらえないといけないわけでありますけれども、ここに書いてありますように、ODA、そしてOOF、それから民間資金の流れが大きな太い柱としてあるわけです。99年、2000年、特に2000年は商社の投融資が、かなり財務が悪くなったこともありリスカバーシブルになった、あるいは再編をさせられてネットではアウトフローは逆にネガティブになったりしているわけですけれども、区分としてはこういうものもある。
さらにこのほかに実際の貿易活動、投資活動、直接投資が一番下に書いてありますけれども、途上国に対してマイナスになっていますが、あるわけです。ここでみますと、ODAがひとり相撲というか、かつて5年前、6年前に民間活力といわれていたものが、特にアジアに対してはとまっていますので、それを補完して今、何とか冬の時代を補っているという姿がよくわかるのではないかと思います。
狭い意味のODAだけについて日本の中国とASEAN向けの数字、それから世銀とアジ銀と比較したものがここの表にございます。ごらんいただきますと、大体天下3分の計といいますか、我々にとって一番関心のある中国及びASEANについては、日本の有償資金協力、具体的にいえば旧OECFの円借――少しこれは比べるものが違うのではないかというご指摘もあろうかと思います。世銀の場合はIBRD、IDAの両方の合計でありまして、日本のJBICはOECFでございまして、輸銀は入っておりません。それは少しおかしいのではないかというご議論もあろうかと思いますけれども、一応の感じはこれでつかんでいただけるのではないかと思います。
アジ銀はローンだけでありまして、アジ銀はご存じのようにJDFというグランドファシリティーをもっていますので、グラントもありますけれども、それはここには入っておりません。あくまでノーエンドグランツだけでございます。世銀はIDAに入っております。
中国についてごらんいただきますと、やはり日本が世銀、アジ銀よりも大きい。ASEAN全体でみますと、世銀、アジ銀合計して日本よりも若干上回る程度ということで、国によっては日本は断トツに大きい。タイ・マレーシアはもちろんですけれども、フィリピンもそうです。唯一日本が最近慎重になってきているのは、デットマネジメントの観点からインドネシアに対しては新規の貸し付けはかなり抑えておりますけれども、それでもこれはアジア危機の最中を含んでおりますので、それなりの金額が出ていると。
逆に同じASEAN10でも比較的日本との関係が希薄な3国については、もちろんミャンマーはすべてとまっておりますけれども、カンボジア、ラオスともにむしろ世銀、それからADBの方が大きいということでございます。
そういうファクト、ある意味ではアジア危機及びポストクライシスの期間を含んだ若干複合的な期間で、今後どのようになっていくかというのはなかなか難しいところがありまして、中国はいろいろな理由によって円借というのは金額が減っておりますし、インドネシアもデットオーバーハングの問題で貸し付けはミニマイズするように抑えているわけです。同じことが世銀、アジ銀についてもいえますので、いわゆるODAのベースでのローンというものが、一番大手の借り入れ国に対してかなり減るという形になりますので、これからどういう姿になるのか、向こう3年をみきわめると非常に難しいところであります。
イシューの方の紙を少しごらんいただきますと、大野先生の出された地球的貢献と地域的貢献という2つの原理の中でバランスをどのようにとっていくかということがあります。もちろんそれはオーバーラップさせるべきもので、2つを対峙させるべきものではないのも事実でありますけれども、それから地域をどのように定義するかという問題があって、アジアダイナミズムといった場合に、ASEAN+3を議論しているのだとおっしゃる方もあれば、もう少しそれは広いのだという方、あるいは狭いのだという方もひょっとしたらいらっしゃるかもしれませんが、ある意味で日本の経済発展の裏返しとしてのアジアの経済発展との連関を重視した広い意味での経済協力ととらえた場合に、それに対するリソースの割り当て、この場合は2つあって、ODAとノンODAも含めた両方でございますけれども、広義の経済協力全体を含めた意味でのアジアダイナミズム支援というのをどれぐらいの重みで置いていくか。しかし、地球市民としての日本の貢献というのもそれなりにまた重要であるということでございます。
それから2番目のバイとマルチのバランスの問題ですが、これもなかなか難しいところがあって、前の表の中にもマルチに対する出資拠出の金額が書いてありまして、日本のODA全体の大体2割強、4分の1ぐらいは国際機関に対する拠出で占められているわけです。それがいいのかどうか。それはその次の国際機関の戦略とも絡むわけですけれども、日本はアメリカに次いで2位の出資国で、IMF、世銀、アジ銀――アジ銀は同率首位ですね。それから国連の諸機関、全部そうですが、日本はすべて第2位でございますけれども、第2位の大オーナーなわけです。しかし、そこでの日本の発言力というのは、端的にいってアメリカの半分もいっていない、あるいはほとんどないに等しいという状況でありますので、そういう状況を改善するという努力は一方で必要であるのですけれども、例えばIDAの増資、今イシューになっているわけですけれども、本当にそれに軽々しく応じていいものだろうか。IDAをどう運営していくかということについて日本の意見がどこまで通るかということを考えていった場合に、今、日本はややゼネラスにIDAに出しているわけですけれども、本当にそれでいいのだろうかという問題があります。
二国間支援における政策手段は繰り返しになりますけれども、狭義のODA、無償、技協、借款、そしてノンODAの資金協力、これは政府資金としての旧輸銀のOOFと民間資金に対する保障を、もう国ではなくなりましたけれども、独立行政法人としての日本貿易保険、NEXIが支援しているという意味で、これは準公的なものだということでここに挙がっています。市場開放、投資促進といって、いわゆる貿易投資の本来もの、それからそのいずれにも属さない、ODA予算ではないけれども、知的な貢献をやっているという面もありまして、実はそこがこれから重要になってくるのではないかと思います。
4番の中の国際機関戦略でございますけれども、今、国際機関にどのように接していくかということが大変に問題になるというのは今年は開発の年だということでいろいろなイベントがあるわけです。その中でいわゆるローン、日本は有償、円借のようなものがあるわけですけれども、大変特異な存在でありまして、ご存じのように、恐らく世界の有償資金の中の、ODA資金の中の8割は日本が供与しているという現実があるわけです。それに対して諸外国はかなりクリティカルな姿勢で臨んでおりまして、今までもタイド規制をやっておりますし、アンタイドの規制にも動きかねないという動きがあります。そして、最貧国に対しては融資はむしろグラント化するべきだというアメリカの提案があるわけですけれども、それに対してそうではないのではないかということをどのように日本がいっていけるのか、あるいはそれに応ずるのか。あるいはPRSP自体どのような方向性をもたせるのかということです。事務局における日本のプレゼンスが低い、これは何十年来いわれてきたことで、残念ながら日本の存在は非常に低いわけです。これは鶏が先か卵が先かという問題にもなります。
それから今までは、日本のバイのODAというのがそれ以外の世界のほかの国のバイ、もしくはマルチとの接点がないままにずっと来ていたわけですけれども、コーディネーションということが非常に今いわれていて、先ほど少しご紹介しましたようなCGプロセス、援助国会合ですとか、世銀が言い出したコンプリヘンシブ・デベロップメント・フレームワークといったそういう枠組みの中に大ドナーが、しかも極めて異質なドナーである日本が入ってきたときに、日本の役割をどう定義し、すみ分けをし、協調していくかという問題があるわけです。その中で、ことし恐らくイシューになる話は、アジアダイナミズムの発展ではなくて、最貧国対策であり債務削減の議論が数年来ずっと起こっています。それの繰り返しということになろうかと思いますけれども、それにどう対処するかという問題は当然残るわけです。
これは実は数字をみると驚くのですけれども、結構、JBICは世銀と協調融資をやっていまして、問題ははらんでいますけれども、一緒に仕事をするということをやっているわけです。これを今後どのようにしていくのか。その狭い意味の協調融資もありますし、共同作業、あるいは相互に情報交換し合うといった問題がいろいろあろうかと思います。先ほど来いろいろコメントが出ておりますけれども、例えばマクロでもなくミクロでもないメゾマクロといいますか、メゾレベルのエコノミーを日本は重視してやってきたとした場合に、そういうことが本当に今後、国際的に説得力をもち得るというか、アプリシェイトされるものなのかという部分が1つあるかと思います。
5番に書いてあるのは順不同でありますけれども、今、ODA改革の中で我が省として非常に関心をもっている項目でございます。これ以外に例えば、司令塔不在のコーディネーションメカニズムをもっと改善せよと、先ほど荒木さんがおっしゃったような問題ですとか、これ以外にも重要な論点はあるのですけれども、我が方として大変関心をもって何とか改善したいなと思っているのがここに書いてあるような、特にaからeまでがそれにあたるものです。f以降は逆にただし書きといいますか、改めるのですけれども、マルチのプラクティスにできるだけ合わせていくというコンシスティンシーの問題という意味であらわれてきたというのがf以降――もちろんこれはまじめな意味でやっていかないといけないという面もございます。
案件形成が非常にデマンドドリブンといいながら非常に場当たり的で、ストラテジックな視点が欠けているということで、個別プロジェクト方式がずっとのさばっていたわけですが、できるだけプログラマチックアプローチにしていく、あるいは政策志向を強めさせていくということをどうしていったらいいか。それはbともつながるわけですけれども、プロジェクトバイプロジェクトの打ち上げ花火ではなくて、火がずっと続くようなというサステイナビリティー、そのためには今まで日本は余りやってこなかったコンディショナリティーの問題点にも当然首を突っ込まないといけない。しかし、そのコンディショナリティーを実際に実施していくには、それを担う人材が残念ながら十分ではない。それはJBICが十分でないとかJICAが十分ではないというのではなくて、それ以上に実際にソフト面での協力を担うコンサルティング、あるいはエンジニアリングの国際競争力が、残念ながら日本の場合、まだ十分でない。それは結局dの問題にもつながるわけで、日本はハードの調達において、かつては非常に競争力をもっていましたけれども、割高な生産コストの国になってからは、ハードの調達においても日本として出る幕がだんだんなくなってきた。それを制度的にどうやったらいいかということで特別円借款だとか環境円借款ですとか、いろいろ工夫してやってきたわけですが、それを今後どのように進めていったらいいか。
円借というのは結局はある意味でつなぎみたいなものでして、しょせん主役は民間であるべきなので、今、冬ごもりしている民間が出てきたときに、あるいは冬ごもりしている人を引き出すためにどうやったらプライベートパブリック、プライベートパートナーシップが生み出せるかという呼び水的な役割、あるいは補完性という問題が援助とむしろ民間投資をつなげていくという意味で非常に必要であるということであります。
それ以下の話は、最近、OECDの援助関係の委員会で世銀並みのいろいろな措置を講じないとどうしてもしり抜けになってしまって問題であるという批判が世界的に強まっていますので、NGOにいわれるまでもなく、開発の上でのさまざまな配慮事項ということに日本の援助というのも気をつかっていかなければいけないということで、今、JBICがガイドラインづくりをやっていますし、NEXIもそれに倣ってやっていますけれども、なかなか世銀並みというようにはいかないのが正直なところでありまして、環境ですとか住民移転の問題、少数民族への配慮、その他これからやっていかなければいけないし、パティシパトリーアプローチというのもやっておりますけれども、これもなかなかコストのかかる話、手間のかかる話で、案件形成とも絡むわけですけれども、利害当事者を早くから巻き込むということがどこまでできるか。これは幾らでもやればいいというものではなくて、そこには適切なという形容詞をわざわざつけたのですが、そういう問題がある。
それからプロジェクトをつくったら終わりということで、後は余り面倒をみないというのが、世銀の方がそうでないということはありませんけれども、日本の円借の場合どうしてもそういう問題があって、このインプリメンテーションスーパービジョンの問題というのが非常に重要かなと。
最後にガバナンスとの関係でオーディットですとか、コラプションフリーな援助ということがどうやったらできるということで、これもなかなか頭の痛い話であります。
以上、問題の列挙だけでそれ以上が十分示されていないのですけれども、私どもとしてこういうところを改善したい、予算の制約もある中でいかにしてよりエフェクティブな援助にしていくかという意味でいろいろ頭を悩ましている問題のリストをここでごらんに入れたわけでございます。
駆け足でございますけれども、私のプレゼンは以上で終わらせていただきまして、引き続きまして、下村さん、よろしくお願いします。

下村

太陽も大分傾いてきたように思いますので、レジュメに沿ってなるべく要点だけ簡潔にお話ししたいと思います。
私の申し上げたいのは、途上国支援の視点をもっと多様化する必要があるということに尽きるわけですけれども、そういう意味で、けさからいろいろ打ち出されているこの研究会のいろいろな提言と問題意識は基本的には共有しております。ただ、ここでは特に大野さんが触れられたような実物面の発展を強調する日本の経済協力の特徴ということ。基本的に私は賛成ですけれども、そちらには触れずに、もう1つ別な意味で1990年代以来の国際援助社会の主流な潮流になっているものの問題点、要するに視点が多様化していないということについて触れて、その後半でアジアダイナミズムについて若干具体化に際しての留意点をお話ししたいと思います。
ここで途上国支援とか国際協力とか経済協力とかいう場合には、NGOとか民間を含めた多様な担い手を含めておりまして、ODAというときは狭義の通常の意味のODAとご承知おきください。
現在の国際援助社会では、途上国のオーナーシップということがよくいわれるわけですけれども、特に国際会議などではこれはキーワードですが、私は非常にむなしくうつろな言葉だと思うのです。1ページ目の下の方にありますように、1)のドナーの視点の優越というところの最初のパラグラフに書きましたように、冷戦後の先進国と途上国との関係というのはそれ以前と全く違ってしまったという気がします。これはいろいろな背景があって、これについては釈迦に説法になりますから触れませんけれども、いずれにしてもドナーの声、ドナーの視点が非常に優越してしまって、その結果よくみられるのは、途上国支援のことを話しているのだけれども、途上国の声とか影とか全くなくて、途上国不在の途上国支援を豊かな国の人たちが一生懸命議論している。それは熱意とか誠意は十分に酌めると思いますけれども、非常に視点が偏っているという気がします。それにはちゃんと理由があるわけで、冷戦の終結後、特にドナー国内での途上国への関心というのが非常に薄れたわけです。
DAC諸国のODAのGDP比率が低下したということはよく知られておりますが、この資料の一番最後のページに表が載っておりますけれども、これは私がかかわったある研究会の報告書から出したものですが、DAC諸国で国際協力、国際支援をやっているNGOの自己資金、つまりODA資金を使っていない部分、献金とか寄附で賄っている自己資金のGNP比率は日本を除いて傾向的に下がっておりまして、それもアメリカのように大幅に下がっている国もあります。DAC全体でもかなり大幅に下がっています。こういう途上国への関心の低下というものがマクロ的にはみられる。
そこで出てくるのが、2ページに移りまして、効果的な援助、有効な援助を追求する路線だということです。もちろん効果的な援助でなければいけないわけですし、有効な援助を求めるということは大変重要なことではありますけれども、これが行き過ぎると、これだけに判断基準が偏ってしまうといろいろな問題が出るのではないかという懸念をもっております。
特に選択的援助、セレクティブに援助するというのですけれども、判断基準がよい政策とよい統治と、2つともあいまいな概念だといわざるを得ないと思います。そういうあいまいな基準でドナーが選択しているとどういうことが起こるかということが、特に援助資源の有効活用と貧困緩和――世界銀行のオフィスの正面の玄関のホールには貧困緩和がうたわれているという鷲見さんのお話でしたけれども、その2つを追求していると思うのですけれども、実際にはバランスがうまくとれていないということではないかと思います。
というのは、よい政策とかよい統治がないと援助は効果が出ない、これはそのとおりだと思います。そういうものがない国、あるいはよい統治とかよい政策を施行していない国には援助を出さないということも確かに立派なことだと思います。それは偏差値の高い子とかいい子を集めて一生懸命教育して、それ以外の人は切り捨てて効果があった、効果があったといっていることに少し似ていないかという気がします。とりあえずは、よい政策、よい統治をもっている国だけ対象にしていれば効果が上がります。
しかし、その後しばらくたつとどういうことが起こるかというと、2つのケースがあると思うのですけれども、1つ具体的に例を挙げておりますが、2ページ目の3)破綻国家です。ここに挙げたアフガニスタンとかアフリカの角とかアフリカの第一次世界大戦を戦っている国々は、よい統治もよい政策もない国々で、こういうところに援助をしても効果は上がらない。しかし、その結果、見捨てておくと飢饉とか疫病とか大量殺りくとか難民とか起こります。破局が起きると今度は世界じゅうが人道的な情熱に燃えて、みんなで集まって巨額の資金を出すことになるわけです。それはそれで非常に英雄的な行為ではありますが、破局までいかないと判断基準、選定基準が変わらないというのは、何か非常にバランスがとれていないという気がしてしようがないです。
アフガニスタンの場合ですけれども、短期復興資金需要が49億ドルあるというのですが、これを1年で満たそうと思うと98年のDACのLLDC向けODA純額の3分の2、2年に分けたとしても3分の1のお金をとってしまう。しかも効果があるだろうか。アフガニスタンの政府は国土内の実行支配も全くないわけですから、政策とかガバナンス以前のところなのですけれども、それは英雄的行動としていいのだということだと思うのです。
しかし、もう少し前に我々の健康でも環境問題でもそうだと思いますが、貧困問題でも破局になってからお金をかけるよりは、ずっと前にお金をかけて少しでも悪化することを防いだ方が効果が上がるのではないか。そういうお金の使い方というのは、当面の効果が上がらないし、有効な援助ともいえないかもしれないけれども、後になって取り返しがつかなくなってから大量のお金を英雄的につぎ込む国際社会の行動よりはもう少し効果的で有効なのではないかという気がします。
これはもう既に認識されていることですから、3ページ目の4)に移りたいと思います。ステートフェイラーのような非常に顕在化した問題が起こらない国のケースですけれども、東アジア危機の際にラオスに対してはミャンマーと同じように緊急支援が出ませんでした。それはどうしてかというと、ここにありますように、そのときラオスが放漫財政をとっていてIMFから非常に厳しく批判されていたということが原因だと思います。なぜ放漫財政かというと、1996年にラオスは干ばつで食料不足になりまして、これはいかんということで何とか食料自給だけはしたいということでかんがい整備を始めたわけですが、それには当然財政資金がかかる。それは財政赤字をふやすからIMFは認めないということで、そこから先、ラオス政府の行動が正しかったかどうかは問題ですけれども、自分のお金でポンプを買ったりしたわけです。その結果、タイの危機がラオスに波及したときに国際社会は信用しませんでした。しかし、ラオスで何が起こったかというと、タイで起こったよりもっとマクロ経済的には深刻なことが起きて、通貨の8割下落と3けたのインフレが発生したわけです。
これも国家破綻まではいきませんけれども、相当貧困層の生活には影響を与えていると思います。この貧困緩和とマクロ経済の比率、あるいはよい政策、よい統治のバランスというのは、あるところまで1つの基準で判断するというのはまずいのではないかという気がするわけです。
しかも、再三申し上げていますように、5)に移りますが、その基準というのはどうしても今の国際社会は先進国の感覚なのです。途上国の声に耳を傾けたり途上国から学ぶという、まさにこれは途上国支援の原点だと思いますが、そういう原点を忘れているという気がします。NGOでもドナーでもしょせんはよそ者なのです。よそ者に理解できること、やれることというのは限界があるわけで、そこに至らないかもしれないけれども、途上国の人たちに自分で考えてもらって自分でやってもらうという原点に戻らないといけない。
そう思ってみたり聞いたりすると、結構学ぶこともあるのではないかと思いますのは、例えばミャンマーですけれども、西欧の新聞にはブルータルジェネラルスとか書いてあるのですが、確かにミャンマーの将軍たちの手は血で汚れているわけですけれども、この血にぬれた将軍たちが目立たないところで意外に成果を上げているということが1つあります。今、民族問題人種紛争というのが世界的に問題になっているわけですが、恐らくここ10年、15年ぐらい、最も好転の改善に成果を上げたのはミャンマーではないかと思います。それは冷戦後、特に中国を中心にする国際関係の地政学的な変化によるところが大きいと思いますけれども、ミャンマー政府の対応政策自体が70年代のタイの軍部の共産ゲリラに対する対応から学んだものだと思いますが、そういうものによって効果は出ていると思うのです。
ミャンマーからですらそれだけ学ぶことができるのであれば、ほかの国からはもっと学ぶことができるのではないか。ガバナンス、ガバナンスというよりもどういうグッドガバナンスの面が、それぞれの社会、それぞれの経済にあるのか。そういうことを地道に事象研究、事例研究するということが必要ではないかと思います。
時間がなくなりますので3.に移りまして、アジアダイナミズムですけれども、第1セッション、第2セッションで随分いろいろな議論がありましたので、ここで私がいいたいことは、もう既に語り尽くされているかと思いますので、4ページ目の1)、2)に絞ってお話をしたいと思います。
東アジアの経験というのは確かに非常にリョプリカビリティーという点でいうと問題があるかもしれませんけれども、途上国の人からみてやはりキャッチアップをうまくやったなということはあると思います。これは経済発展ということでなくても、貧困緩和という角度からみてもいいと思いますが、やはり途上国の人たちの今の一番大きな問題であるとすれば、いろいろな手がかりの中からこれからの指針をつかみたい。そういう意味でキャッチアップに成功した東アジアの経験というのは、90%ぐらい役に立たないかもしれないけれども、何か手がかりがつかめるのではないかという関心はあって当然だと思います。その場合、国際機関とか我々も含むドナーが、「いや、東アジアとアフリカとは事情が違うんだよ、時代も違うんだよ」などというのは意味がないわけです。そういうことをいうのではなくて、例えばアフリカの人たちと東アジアの人たちと直接話をしてもらって、どんなニーズがあるのだろうか。一方でどんなニーズがあり、一方でどういう経験があるのだろうか、その中で役に立ちそうなもの、あるいは参考になりそうなものを途上国の人同士で話し合って見出してもらって、役に立たないかもしれないけれども、やってみる。役に立ったらめっけものというプロセスもあってもいいのではないかと思います。
そういう直接対話をやるという、それこそまさにオーナーシップではないかと思います。こういうことをしてはだめなのよとか、ああいうことをしてはだめなのよといって子供をがんじがらめにしていい子にするのは持続性がないというのを我々は今、経験しているわけで、途上国が自分の考えでやって失敗してみる。それが重要だと思うのです。失敗する自由を途上国に与えるということがドナーにとって一番重要なことではないかと思います。
2)ですけれども、ASEAN+3で考えると、ほとんどの国はもう既に新興市場になってしまって、一段高いレベルを先進国にキャッチアップするという段階になった。そこで必要不可欠なソフトということになると、金融の問題とかガバナンスの問題とかいろいろありましょうけれども、日本に優位性があるだろうかということになると、非常にじくじたるものがあるといわざるを得ないわけですが、それでも何かあるかもしれない。何がありそうかというのをもう一回洗ってみるというのはいいことだと思いますが、私はこういう知的支援をやる上で、制度的な制約条件が非常に大きいと思うのです。①から⑤まで書いてありますけれども、精神論で乗り越えられない、リーダーシップとか改革ということでは乗り越えられない、日本の公的部門に深く組み込まれてなかなか一遍に解決できない。
例えば、知的支援を考える上で重要なのは、予算と人材が非常に分散しているということです。乏しい予算、乏しい人材が分散している。これをどこかに統合するということは精神論としてはあり得ますけれども、現実になかなか難しいのではないかと思うのです。統合してしまうとゼロサムゲームになりますからどうしても難しい。思いつきかもしれませんが、知識集約型の国際支援のNPOでもつくって、そこと各省が連携するという形でやればゼロサムゲームにならないです。必ずしも失う部分があるわけではない。そういう知識集約型の国際支援の組織をつくって、できるだけそこに人材を流して、しかし、今まで知的支援をやっている人たちが仕事をとられたと思わない、予算をとられたと思わないように徐々に空洞化していくということしかないのかなと思っております。
最後の点についてはもう既に語り尽くされておりますので、触れませんけれども、途上国支援を語るときに、特に冷戦後、視点が単一化し過ぎているということがいろいろな問題を起こしているかなという気がいたしましたので、こういう貴重な機会をいただいたのを利用して少し話をさせていただきました。ありがとうございました。

鷲見

どうもありがとうございました。これは大変広範な問題で、下村さんからも役所ではなかなか提案できないようなおもしろいアイデアを出していただきました。
大野さん、木村さん、先ほど第1セッションの最後、時間不足で十分お答えいただく時間もなかったのですけれども、ここら辺でもう一度コメントされますか、それとも待たれますか。――では、皆さん方のご自由な発言をお願いいたします。後ろの方の座席の方でまだ第1、第2セッションでご発言いただいていない有識者、専門家の方も多々いらっしゃいます。産業界からJETRO、JICAの方々もいらっしゃっていますけれども、どうぞご遠慮なく札を立ててご発言ください。もちろん、メインテーブルの方もご遠慮なく。

河合

もう一度ODAをきちんと整理して考えてみようという2つの包括的なプレゼンテーションは非常に有用だったと思います。
まず、鷲見さんのプレゼンテーションについては、全体として全く違和感は何もないのですが、3点だけ取り上げたいのです。まず国際機関では日本は基本的にナンバーツーである――ただしADBの場合は同率ナンバーワン。鷲見さんは、それにもかかわらず日本の発言力はないに等しいといわれたのですが、私自身世銀にいた感じでは必ずしもそうは思わなかったということを申し上げたいのです。鷲見さんがもしそのように思われていたとしたら若干意外だなと思いました。1国1票制をとる国連機関における日本の発言力というのは、多分限られているのだろう。実際の発言力は1国以上のウエートは当然あると思いますが、つまるところは百何十ヵ国分の1の存在でしかないわけです。しかし、1国1票制ではない国際金融機関では出資金に応じたボーティングシェアがありますし、日本のプレゼンスはそれなりの重みをもっている。国際開発機関やIMFなどにおける日本の発言力というのは結構ばかにできないなというのが私の印象です。そこにどのようにもっと強く日本の意見を反映させていくべきかという問題は残っているのだろうと思いますが。
次に、IDA融資の贈与化の話が出ました。これは今まさに問題になっていて、G7でも決着がついていないのですが、アメリカはIDAを50%グラント化しろといっているわけです。ヨーロッパは当初、贈与比率は二、三%ぐらいという立場だったのが今10%ぐらいでいい、日本は10%より少し超えてもいいといっているのです。ただ、アメリカとヨーロッパ・日本との距離は非常に大きく、どのように決着がつくのかはまだわからない状況です。ヨーロッパの場合は非常に意思が硬く、アメリカは大統領がそのようにいっているということもあって、膠着状態です。
世銀のIDAは世銀の中の譲許性の極めて高い優遇的な融資です。それがグラント化されるということは、国際金融機関としての機能からすると、非常に外れることだと思うのです。贈与化を目指すのであれば、国際金融機関の機能とは何かという根本的な問題を考えなければならない。UNDPなど国連機関は借款(ローン)でなく贈与(グラント)を供与するわけですから、一体そことの関係をどのように整理していくのかという問題がカギだと思います。
3番目は援助の有効性にかかわる援助の「質」の問題です。これは下村先生のプレゼンテーションともかかわるのですが、エフェクティブネス・オブ・エイドに関する世銀のペーパー、デビッド・ダラーなどのペーパーが幾つかあります。鷲見さんのまとめておられるところ、それぞれについては問題はないのですが、援助の質を高めるには「よい政策とよい制度」が必要田という場合、それは具体的に何を意味するのかということをもう少し考えてみる必要があるだろう。
どういうことかといいますと、東アジアなどの場合がそうだったと思うのですが、援助の受け取り手の国側が自分たちの力で経済発展を成し遂げたいという意思をもって励むこと、主体的な意識つまりオーナーシップをもって政策的にコミットしていくことが必要です。そういう中で外からお金が入ってくれば有効に使うことができる。問題は、援助の受け手側にそういう条件があるのかどうかという点です。そういう条件がない中で外からいくら金をつぎ込んでもうまくいかないというのが、これまでの何十年かにわたる経験です。アフリカなど多数の国で過去40年にわたってつぎ込んできたお金の総額を計算すると、今GDPがなぜこんなに低いのか、キャピタルストックがなぜこんなに小さいのかというような国がたくさんあるわけです。幸いなことに、アジアではそういうことは起こらなかった。アフリカなどの問題を考えるときにはタックスペイヤーマネーをつぎ込むにあたり、きちんと使われるでしょうねということが最低限確保されなければならない。これは、消えてなくなっていい金だというのであれば、それは贈与とかにすべきです――贈与もなくなっていいから勝手に使えというお金ではないと思いますが。ただし、贈与になると出せる金額はそれなりに小さくなってしまうわけです。レバレッジをきかせるような形で出していくお金、つまりローンという形で出すのであれば、量的に確保しやすい。ローンであれグラントであれ、それなりにしっかりしたプログラムの下で、きちんとした使い道に向けてもらうこと、抽象的にいうならばよいマクロ政策、よい政策体系の下で金が変なところに行かない、途中政治家などのポケットに入ってしまわない、あるいはスイスのアカウントに移ってしまうようなことがないという確信をもたないと本来は援助はすべきでないのだろう。そういう条件がない中で援助資金は出せるのかというと、やはり国としては出せないのではないかと私は思うのです。

鷲見

ありがとうございました。大変重要なポイントを挙げていただいたと思います。
最初の点につきましては、日本の国際機関に対する関与の度合いというのは、ボーティングライドが高いというのは事実なのですけれども、それに合わせた発言というのはできる余地はもっとあると思うのです。
私、事務局に長年勤めていまして、いろいろな国から理事会に上げる前に案件について質問を求められていろいろ聞かれるのです。かなり厳しい指摘もあって、理事会の場でやられる以前に質問とりというのがあって、これはプロジェクトマネージャーの一番大変なところなのですけれども、日本の理事室からまず質問は来ません。ほかの中小のところはしょっちゅういろいろなことをいってきて、本当にうるさいぐらいで困るのですけれども、同国人としてもう少し聞いてくれてもいいのになと思ったことも結構ありました。
それから、もっとセンシティブな話で、きょうは産業界の方もいらっしゃると思うので申し上げますけれども、日本政府を使って調達問題で少しでも日本からのソーシングをふやそうというポリティカルな動きを日本はやらないのです。これは輸出振興はいけないということが長年しみついているのか、プロキュアメントで日本国政府の代表である日本理事室を使って事務局に圧力を加えるということは日本はやりません。ところが、ほかの国はやってくるわけです。ですから、私はエネルギーのプロジェクトをずっとやっていたのですけれども、ウェスティングハウスとシーメンスが取り合いになっているときに、ドイツの理事室、アメリカの理事室はしょっちゅう呼びつけて、おまえのところはなぜこういうスペックにするのだということをいってくる。例えば日立もリーディングに参加するのですけれども、同じようなことを日本の理事室からいわれたことはありません。ひょっとしたらいわないことがいいことかもしれませんけれども、少なくとも日本は甘くみられています。

河合

私自身は世銀勤務当時、具体的にそういう案件にかかったことはないのですが、そしてこの場にコンサルティング企業の方がおられたら怒られてしまうかもしれませんが、世銀のスタッフの方々によれば、日本のコンサルティング企業というのは、自分たちを売り込まない、つまり、仕事というのはお上から来るものだと思ってしまっているようだ。世銀が行ういろいろなプロジェクトがある中で関心を持つ世界中のコンサルティングファームは自分たちで売り込みにくる。理事室の紹介とかあるのかもしれませんが、タスクマネージャーに実際に会ってプレゼンテーションする、説明する、いかに我々はいいものを提供できるかということを売り込む。しかし、日本の企業はそんなことを全然やらない。むしろお上が振り分けてくれると思っているのではないかという意見を多くの世銀のスタッフから聞いたことがあります。  もしそうだとすると、日本のコンサルティング企業の方々にはもっとセールスマンシップをもっていただいて売り込んで頂きたい。非常にすばらしい技術をもっておられると思いますので、そういういいところをきちんとみせていく、そういうプレゼンテーションの努力をもっとされたらいいのではないかといつも思っている。

鷲見

同感です。私が5番のcで書いたのもまさにそこでありまして、JICAへの納入という形では、もちろん日本のソフト業界というのは頑張っているわけですけれども、その外に出ると競争力がないというのは残念ながら現状です。

荒木

異論ではないのけれど、つけ加えますと、UNDPのプロキュアメントの担当部長に聞いた話ですけれども、欧米には学閥というか学問の系列がありまして、ハーバード、ロンドン、ケンブリッジ、オーストラリアを結んで、調査研究チームを編成するときはあっという間に編成してしまう。国連機関でも、どこかの大学で同じかまの飯を食べた連中ということで、親密感を盛り上げている。
日本の場合は、そういうところとまるっきり関係のない、言葉は悪いのですけれども、エンジニア系のまじめなコンサルタントを少しソフト化したようなところがありまして、肩書きにプロフェッサー、ドクターもない。向こうは肩書きをもっている。そういうことで売り込みが人脈的になされていない。向こうは人脈的に売り込みを受け入れる素地がある。こういう関係が非常に強いようです。

鷲見

飛び入りでありがとうございました。では、順番に戻りまして、山崎さん、お願いいたします。

山崎

世銀なり国際機関とはカウンターパートとして日ごろおつき合いさせていただいている立場で、ご両者おっしゃったことはそれぞれ正しいと思って聞いていたのですけれども。
従来、割と我が国としての国際機関とのつき合いで、先ほど貧困削減に対するアプローチとか何とかいう話になると、割と大上段で貧困削減でいくのか、あるいは成長重視でいくのかというゼロか百かみたいな議論をしがちなところというのがあって、それはさっき河合先生がおっしゃったように、むしろ貧困という大きな土台自体はしようがない――しようがないものと思うかどうか別として――ものとして受け入れて、そういう意味での方法論みたいなことにせざるを得ないというのが現実としてあるのだろうと思うのです。多分に大上段で議論をふっかけてみても、結果として世銀のポリシーが変わるのかというと、変わらないだろうというのが、日ごろ個人的に感じている感想です。
そこまでいった上で、国際機関とのつき合いはどうあるべきかは、やや実務的な観点で申し上げると、私は補完性ということを意識してやっていったらどうなのだろうかと思っています。補完性というのは分野の補完性の話と手段としての補完性の話と2つあって、分野についていうと、例えば先ほどの貧困削減みたいなものがメインカレントになっている中で、実際国際機関サイドで別にインフラをやめてしまうわけではないけれども、相対的にシェアが下がる。他方、インフラの分野というのは全く民間の手に委ねて済んでいるかというとそうでもない中で、そういうところについてはこれは我が国でやりますといった分担というのがあり得る話だろうと思います。
もう1つ、最近、私はアジアを担当しているものですからアジアをみていて思うのですけれども、特に世銀なのですけれども、貧困削減であるとか、社会であるとか、教育であるとか、そういう分野に注力する結果としてセクター・ワイズなイシュー、さらには本来、世銀としてはIMFに任せているということかもしれませんが、マクロの相手の国の財政の状況なりという部分についての目配りというのが希薄になってきている感じがなきにしもあらず。こういう部分について、そこは我が国というか、バイとして注文をつけることの限界というのは当然ありますし、そういうところを彼らにちゃんとやってもらうという注文のつけ方というのは1つあるのだろうなと。
手段の話は今の話と関連するのですけれども、やはり相手の国のマクロの運営の話もあるでしょうし、セクター・ワイズな、さっき申し上げた電力部門改革だとかというイシューがあって、それを全部バイで我が国として取り仕切るというのは多分できない話なのでしょうから、そこは我が国としてあれこれ注文をつけながら、国際機関サイドにいろいろやってもらう。場合によったら一緒にやるということを考える。そういう分担というのが、分野別、あるいは手段別な話としてあり得るのではないだろうかという気がします。
特に、手段について若干補足させていただくと、実際、貧困削減と民間の開発というのは多分にパッケージになっている気がして、貧困削減に国際機関が協力した場合に、お留守になるインフラの世界をだれが面倒みるのかということを説明する材料が民間の開発だという部分が大いにあるだろうと思います。
そういう中で、実際に民間のビジネスが動くための環境整備について、世銀なりがきちんとしたノウハウを十分もっているかというとそうでもないというのが、実際我々自身が、さっきの内外の企業、あるいは金融機関とつき合っていての感想としてありまして、そこは案外と、例えばバイで契約の期間を短くするということを世銀が主張する。他方、そんなことではファイナンスは成り立ちませんということを我々もいうけれども、民間の金融機関もそうだ、そうだという世界というのがあって、むしろマーケット自体がこちらの味方になるようなことも時にはあったりする、そういう世界があり得るのです。
そういう点で、実際にビジネスがしやすい環境をつくる、特にアジアでいえば、実際に相手の国にとっても大きな役割を果たす、日本の企業による投資を初めとするもろもろの事業をしやすい環境をつくる、これは大義名分でいえば民間部門開発の前提条件を整えるということだろうと思いますけれども、そういったことを理由として国際機関とは協調というか補完性を踏まえた共同作業をしていったらいいのではないかという視点をもったらどうかと思います。

鷲見

ありがとうございました。奥村さん。

奥村

私は、援助の質の改善というところのご指摘から出発して二、三コメントをしてみたいと思います。これは非常に大事な話でございますが、私も役所に長年いまして、経済協力について何度か担当しまして、率直なところ、20年前からいっている話がまた書いてあるなという感想であります。別にこれは批判しているのではなくて、日本の援助についての問題点は昔からあって変わっていないというのが率直な実感でありまして、これをどうすればいいのかということなのです。下村先生のお書きになったところで答えが書いてあるのは、1つはNPO、NGOの話なのですけれども、今のはやりだから申し上げているのではなくて、今の日本の援助のやり方の一番の問題点は、まず金融というか融資という格好で円借款、それと無償と技術協力を分けて考えた方がいいと思うのですけれども、まず円借款を金融の世界でいいますと、融資をやる段階になるとJBICさんが実際おやりになる。その前の案件発掘などはJICAの調査とかそういうところで技術協力のお金を使って、ODAで向こうの政府の要請を受けて調査をするということで、まず案件発掘段階で、その背景には日本のコンサルタントの会社とか商社とかいるケースもあるのです。いずれにしろ案件発掘の段階と融資の段階が必ずしもうまくつながっていないケースがあるという感じを前から思っておりまして、まず案件発掘の段階でこのプログラム的な援助をするためには、やはりこの段階で政府のお金でなくてもいいと思っていまして、むしろNPO、NGOの人たちがある国のある国について本当にプロで、この国の開発をどうすればいいかということを常に考えていて、向こうの政府にしょっちゅう対話をしながら、あるいは刺激をしながら向こうの――これは河合先生に賛同するのですけれども、彼らの自主的な発展を促していくということを考えながら、しかし、当面は外国からこういう援助が欲しいというプログラムをちゃんとつくっていけるようなNPOを日本で育つべき環境を整えることだと思うのです。
そのときにもう1つ問題になるのは、今でもありますが、もともとそういう機能をもっていた一部のコンサルタント会社とか公益法人が日本もあったのです。結局それが、政府のお金がどんどん流れるものですから、政府のお金に縛られるというか、これは指摘されたわけではないのですけれども、そういう既存の機関自体も自主性がなくなっているというか、受け身になっていて、予算がもらえるかどうかとかそれを気にして――自分で本当にこの国をどうするのだというNPOを育てていっていただきたいなと。そういうところに本当に政府のお金が必要ならODAで流したらいいと思う。
あともう1点、それと関連しますと、いずれDACの統計もどうするのか知りませんけれども、NPOから流したお金も事実上援助効果はあるわけです。DACの統計では恐らくODAではないでしょうが、どういう分類になっているのか知りませんが、形式的には民間資金ですから。ただ、本当は先進国の政府がどんどん民に業務も仕事も移していくということであれば、本当はこういうお金も、例えばNPOに対するODAという格好での資金投入もありますし、あるいは税制で抜本的にむしろNPOを育てるのだということでNPOの自主性を担保しながら、そういう中でNPOの活動を支えていって結果的に今までODAでやっている、あるいはそれ以上の効果をもてるような援助効果というのも出てくると思うのです。こういうものは本当は新しくDACの統計でもとってもらったらいいと思うのですけれども、プライベート・ディベロップメント・エード、PDAという概念かもしれませんが、そういうのもあっていいのではないかと思っていまして、柔軟に考えるといろいろな考え方ができて、少しNPOで話が脱線しますけれども、要はNPO的なある種、志が高くて、かつ継続的に物をみていって、かつ相手国に対して物を自由にいっていけるような組織を育てていくのが一番ではないかという気がしています。
融資の前提としてそのような開発計画をつくる段階での話を申し上げましたけれども、実は技術協力とか無償でももっときめ細かいNPOの使い方というのはできると思うので、産業分野でも単に人道援助としてNPOを使うのではなくて、むしろ産業援助でも企業援助でもNPOというのは使い方があるのではないかと思っております。

鷲見

ありがとうございました。大野健一さん。

大野(健)

世銀の貧困について、先ほど河合先生も山崎さんも、そういうのは世界のトレンドだから闘うのはむだで、そこに入っていく。ある意味ではそうなのですけれども、詳しくみると私が考えていることとかなり違うのがあるのです。
どういうことかというと、例えば河合先生は、私が朝いったのは、アイデアは画一化されてはいけないと。常にどっちが正しいというのはなくて、 100%正しいという考え方がないから、常に複数なければいけないということで、下村先生の意図もそういうことだと思いますし、五百籏頭先生もそういうことを第2セッションでおっしゃいましたけれども、それに対して、韓国とかODAが小さい国は別ですけれども、日本みたいな国が、世銀のイニシアチブに対してどのような態度をとるかというのを考えたときに、私は貧困に協力していくだけではだめだと思うのです。今、山崎さんがおっしゃった、抜けている部分を埋めて補完的にやる、もちろんそれもいいです。だけれども、それだけでは余りにもおかしいような気がするのです。もう少し積極的であっていい。
私のゼネラルソリューションは、まず世銀に協力するけれども、世銀がどう考えてもおかしいと思うところ、欠けているところ、不足しているところを補うように世銀を乗っ取ってしまえばいいと思うのです。それが1つ。だから、積極関与です。同じ積極関与でも世銀に対する積極性がかなり違いますけれども、ポバティーに関しては、今のポバティーのやり方はどう考えてもおかしいと思うので、乗っ取ってブロードベーストポバティーとか名前をつけて、結局我々の今までやっていたのと変わらない方に引っ張る。成長案件、インフラ案件をあるLLDCでやってもいいのだというようにして、結局そうしたら前と大して変わらないから、フレームワークがあってもなくてもいい、そのようにしたいと。それが1つ。
もう1つは、世銀とは別にバイでもマルチで世銀を引っ張ってもいいけれども、日本独自のイニシアチブをつくって、その欠けているところを補うという意味で、だから、山崎さんがおっしゃっているよりははるかに積極的な世銀関与だし、むしろ日本が世銀を利用するということがあっていいのではないかと思います。
私は、どう考えても貧困だけの入れ物だけでは余りにも窮屈だし、だから別の入れ物の方がいいと思うのです。あってもいいと。だから、生産とかダイナミズムだけでもポバティーの問題があるけれども、それが競合するというのが健全であると思います。
さっき、河合先生が、政策がだめな国に金をつぎ込むのはバケツのあいたものに入れるようなものだと。その一般論では私も全くそうだと思うのですけれども、政策のいいのと悪いのが、内容が大分違うのです。河合先生はコラプションとかマクロが安定して、政策体系がしっかりしていればとおっしゃいました。だけれども、私は下村先生にも似ていますけれども、コラプションがあるということに余りに目くじら立てるということは、日本はどうなのだということになりますから。特にベトナム以下の国でコラプションがあるからとめるとか、そういうのはほとんど恐喝みたいなものだと思うのです。
私が政策がないとだめだというのは、さっきだれかがおっしゃったけれども、経済発展でやるための日本の受けとめてくれるようなシステムがあるという意味で、アジアダイナミズムのような受けとめるものがあればやるというクライテリアもあっていい。それと同時に、河合先生みたいなものもあっていい。どっちかがどっちかを凌駕するとか、そういう世界は困ると思うのです。

鷲見

順番を狂わせて申しわけないのですが、河合さん、最後に一言だけ、特別に。

河合

結局、狭義のODAでは公的資金を使うわけですから、その論理は何かということが必要で、アジアダイナミズムに貢献するから金を使おうというのは全く論理になっていないということなのです。アジアダイナミズムをエンカレッジするというのは非常にいいことだと思います。ただ、そのためにどういう範囲で、どういう形でODAを使うのかというところまで下りていかないと、何をいっているのかわからないということがまず第1点です。
コラプションがある国に対して援助すべきではないという点ですが、実際には世銀やヨーロッパのバイのドナーもインドネシアとか中国でも援助を行っているわけです。中国は大コラプションの国でそのことはみんな知っている。しかし、政府は反コラプションプログラムをつくって腐敗をなくすことにコミットしている、きちんとやっていこうとしているわけです。ですから、今コラプションがあるから援助はしないというのではなくて、全体のプログラムがどういう方向に向かっているかということが非常に重要です。
最後の点ですが、ポバティーリダクションというのは、要するに余り反論できない論理なわけです。ですから、そういう論理を大前提として、日本の観点から見て効果の大きい援助を行えばよい。例えば先ほど鷲見さんがいわれたように、大企業、中小企業、貧困層と簡単に分けると、中小企業支援も実は貧困層を引っ張っていけるという貧困緩和効果をもつわけです。あるいは、各分野におけるインフラ投資も、それらが適切にデザインされている限り、生産性の向上と成長に寄与し、貧困緩和に結びつく。
要するに、この金は何のために使うべきかという目的は、かなり限定されるべきである。さもなければとんでもないことに金が使われてしまいかねない。そんなに我々も金をもっていないわけですね。そういう意味では、セレクティビティーが非常に重要ですし、援助を行うときにどういう戦略で、どういう論理でやっていくのかということをもっときちんと考えなくてはいけないと思うのです。大野さんにはぜひそこをもう少し詰めていただきたい。

木村

やはりポバティーリダクションという入れ物には、東アジア向け経済協力はなかなか入らないと思うのです。ここは非常に本質的な問題でないとと思うのです。というのは、ポバティーリダクションというコンテクストで話をされるときには、例えばダムをつくるとか道路をつくるとかいうときに、この道路をつくったらどのように貧困層の役に立つかというリーズニングをそれぞれつけなければいけない。それから、中小企業といったときに、コテッジインダストリーを進行するのか、それとももっと外資系企業とかそういうもののサプライネットワークに入っていくような中小企業をターゲットにするのか、インドネシアなどでも非常に本質的な問題があると思いますけれども、そのときにポバティーリダクションだからコテッジインダストリーが先だというようなロジックで話が組み立てられることが往々にしてあるわけです。やはり、ポバティーリダクションというロジックを使うか使わないかは、もう一回問題としてあると思いますけれども、今、ポバティーリダクションというコンテクストで往々にして話をされることというのは、援助をやったときに、それが金持ちの役に立つ、多国籍企業の役に立つ、だからだめだというロジックで使われることが非常に多い。それは東アジア向け経済協力を考えるときに非常に本質的な問題で、そこのところは大事だと思うのです。
我々のレポートの中で、政府の役割、ODAの役割がきちんと書かれていなかったというのは確かに問題だと思うので、そこは直したいと思います。政府と市場とどこに線を引くべきなのか、どういう市場の失敗があるからどこまで政府が踏み込んでいけるのか。そういうことはもちろんきちんと書かなければいけないし、その中でのいろいろな競争条件のレベリングフィールドの問題、日系企業とほかの国籍の企業のレベリングフィールドの問題、そういうことはもちろんちゃんとやらなければいけない。ですけれども、それをやった上で、やはり東アジア向けの経済協力というのは究極的に目的関数がポバティーリダクションだということにすると、非常にゆがんでしまう。そうではない形にしないといけないのではないかというのを非常に強くいいたい点です。
だからこそ、いい例ではないかもしれませんけれども、EUの中で、例えばペリフェリー政策だとか、EUパートナーシップの中でくっついている経済協力だとか、ほかのFTAでも経済協力がぶら下がっているところがたくさんありますけれども、そういった形でのリーズニングというのも1つのロジックとしてはあり得るのではないか。ポバティーリダクションのためではなくて経済の活性化、経済を活性化するための政策環境をつくるためにはどうしたらいいのか。そういうところに経済協力を使っていこうではないか。これも1つの立派なロジックだし、そういうロジックがもしポバティーリダクションの入れ物に入らないならば、そのプログラムはそこから分かれてしまってもいいのではないかというところを主張したいと思います。

鷲見

ありがとうございました。いろいろこの点はご議論あろうかと思いますが、私も世銀におりまして、ポバティーリダクションをやっていないのは人にあらずみたいな雰囲気が出てきたときにエネルギーをやっていたものですから大変苦労したのですが、そのときにどうやってみてもポバティーリダクションに入らない、しかし重要なのが中国の環境問題だったのです。中国の環境問題は、ご存じのように都市部で起こっているのであって、農村部はそんなに深刻なわけではないので、どうしてもポリューションコントロールのプロジェクトをやろうとすると、ポバティーの切り口だけではやっていけない。現実に中国の98年度以降、ポリューションコントロールのレンディングがすべてとまってしまったのです。ですから、世銀は今、中国のポリューションコントロールという一番やらなければならないことに何の貢献もできていない。まだ日本の方がましだという状況がありまして、ポバティーリダクションというレトリックは、私はレトリックだけだと思っていたのですが、やはりレトリックがひとり歩きするという経験をもっております。
林さん、お待たせいたしました。どうぞ。

お2人の報告ありがとうございました。素朴な質問なのですが、下村先生に教えていただきたいのです。日本ODAが華人資本のネットワークと日本企業の直接投資、有機的に結合させている日本の開発途上国に対する援助、あるいはアジアダイナミズムにとって有効、有利であるという内容なのです。それは私も同感なのですが、問題は一昔前、日本のODAは海外進出の呼び水というような批判が多かったのですけれども、最近はそういう話はなくなっています。昔はご承知のように、親日派から知日派まで経済界、政界、学界等、日本の援助に対する批判があったのですけれども、せっかくそのような批判が消えつつあるときに、また日本のODAは日本企業の直接投資と結びつけるような内容をどのように理解したらよろしいか。また、それと関連してアジア各国の華人資本ネットワークを利用することに関連しますけれども、私からみれば華人だからそれは歓迎しますけれども、問題は戦後、アジア各国において、いろいろな土着資本とか民族資本が成長してきたのですが、華人資本のネットワークを利用すると同時にアジア各国のそのような民族資本のネットワークをも念頭に置きながら、有機的に結合させて日本のODAを展開したらどうかというのが私の期待なのですが。それが第1点です。
第2点は、私の真摯な期待なのですけれども、日本のODAは日本の安定的な通貨の維持が非常に大切だと思いますけれども、日本の通貨の乱高下が、援助をされる側からみれば非常に迷惑です。今、日本通貨が円建てでアジア各国にどのくらいのパーセンテージで展開されているか、私、調べていませんけれども、アジアNIES、アジア諸国はもちろんドルにリンクして、ドルの乱高下、日本通貨の乱高下、特にG5直前に1ドルが 242円だったのですけれども、95年4月になると1ドルが78円になったのです。アジア諸国にとって日本通貨の急騰は非常に迷惑だったのです。返済できなくなったのですが、日本政府、日本の首相がアジア諸国を訪問すると必ずこの問題が提起されて、円借款の解決にもっていけなかったのです。今度、円が暴落して、アジア諸国の経済がまた悪化して返済ができなくなってしまったのです。私がいいたいことは、堅苦しい話になるのですけれども、日本はアジアの成長がなければ日本の成長はない。アジア各国の不良債権を解決できなければ、日本国内の不良債権の解決もできません。つまり、日本ODAだとか政府援助とか金融機関のアジアに対する援助が多くて、不良債権もたくさん抱えています。したがって、アジア各国の経済が改善し、軌道に乗らなければ、日本の経済も軌道に乗ることができない、そのような認識も大切ではないかと思います。
第3点は、ODAの認識のギャップです。日本の国民からみれば初歩的な感想なのですけれども、 666兆円の財政赤字を抱えている日本政府が、どうしてまた日本国民の税金を使ってアジア各国の支援をしなくてはいけないか。支援される側の人間は、それはマルコス政権の崩壊、あるいはインドネシアのスハルト政権の崩壊も関連するのですけれども、さっきコラプションの話もあったのですが、アジア各国の経済発展に日本の経済援助は寄与しているかどうか不思議に思う人が非常に多いと思います。したがって、日本の政策担当者、ODA関係者は日本国民だけではなくて、援助をされる側の国民にも理解できるような説明、その政策を展開してほしいと願っております。
最後なのですけれども、援助して アッピーシェックされるような展開をしてほしいと。けさの話でもあったのですけれども、タイとかマレーシアは、本当はODAの援助の対象から外してもいいような発言がございました。シンガポールは、日本から経済的な援助をやっていませんが、技術移転とか人的資源の開発等々、そういう援助はあるのですけれども、金銭的な援助は今のところずっともらっていなかったのです。それはいいとして、開発途上国、あるいは中進国、援助される側の国の必要に応じて援助を展開してほしい。それはフィシビリティースタディーをちゃんと行ってどういう方面、その産業の育成なのか、人的資源の開発なのか、環境の保全なのか、国によって程度の差こそあれ、それをちゃんと把握して展開してほしいと私は期待しております。

鷲見

ありがとうございました。大野泉さん。

大野(泉)

それでは、PRSP、すなわち貧困削減戦略ペーパーと最貧国支援についてコメントさせていただきたいと思います。
きょうの議論でODAあるいは経済協力の二分論を前提とするのであれば、やはり、アフリカのような最貧国への支援は、国際機関との非常に能動的な連携を通じてやっていくのが1つの大きな方向だと思います。そういった意味で、まさに貧困削減戦略ペーパーにどのように取り組むか、このイニシアチブに対してどのように取り組むのかというのは本当に大きな意味をもっていると思うのです。私は、このイニシアチブは相当しばらく続き、ある意味では構造調整融資にとってかわるものになるのではないかと考えています。
ですから、日本としての取り組みについて、本当に全力を挙げて考える必要がある。なぜかというと、1つは、これはほぼコンディショナリティー化していること。当初はHIPCに対する債務を削減する際のスキームを意図したものでしたが、現在のIDAの増資の交渉の中でも確認されたように、IDA資金へのアクセスを得るためには、全てのIDA対象国はPRSPをつくらなければいけないことになっている。
第2に内容については、先ほどからずっと議論がある貧困削減と成長のバランスをどう考えるのか、貧困削減のフレームワークの中でするのか、あるいは成長ということを別に入れるのか、そこはいろいろ議論があると思いますが、そういったPRSPの戦略の中身に関する問題。それから、援助の効果という観点からも、今のIDAの増資の議論の中でも非常に細かな指標を設けて、そういったことを踏まえた上での融資をしていく、あるいは支援をしていくということで、PRSPの中で中間的な指標とか最終的な援助の効果をどうやってモニターするか、そういった指標というのは非常に強く書くようになってきている。そういった意味で、この指標化、あるいは効果の測定ということについてどう考えるのか。
我々としてはどこまで厳格なものにするのかとか、コラプションを入れるか入れないかとか、そういったことも含めて我々はPRSPに対する取り組みというのは非常に真剣に考えなければいけないと感じております。それをどのように取り組むのかということですが、それは総論レベルと、あと具体的なレベルという形でやっていかなければいけない。
先ほど鷲見審議官もおっしゃったように、ベトナムでは、PRSPをPRGSPと名づけ、「Growth」すなわち成長という視点も入れながら策定に取り組んでいる。そういった成長志向のPRSPの具体例も一つ一つつくっていくことも大切と考えています。日本としても知的協力の基盤がある国に対しては具体的な例もつくっていきながら、1つのモデル、パイロットという形で示していければ、総論レベルでの話も補完していくことができ相乗効果が生まれると思っています。
グラント化の話もありましたが、グラント化は金融機関としての世銀の役割も非常にありますし、国連機関とのデマーケティングもありますし、グラント化することによって、例えば特定のセクターに偏重するという可能性についても検討が必要です。これらもPRSPの議論とも絡めて考えていかなければいけない。
最後になりますが、河合先生がおっしゃった公的資金を使うための理由をどのように考えるかとありますが、おそらくこれは公的資金を入れることによる譲許性の程度にもよると思うのですが、日本の国益は何なのかというところと結びつけて考えるべきではないかと思います。

鷲見

ありがとうございました。荒木さん、2度目のご発言をお願いします。

荒木

大変勉強になりました。いろいろな角度からの議論が出ているのですけれども、今のアジアダイナミズムと関係があると思うのですが、実はDACの統計では第1分類、第2分類の2分類があって、そのパート1ではODA対象国、パート2はオフィシャルエイドということで政府援助。我々が取材をしていますと、アメリカなどはDAC事務局に援助したものの統計を投げて、DACが勝手に分類させる。その分類の結果によりますと、アメリカのバイの2000年初めのデータですけれども、イスラエルが断トツで1番ですけれども、これはOA、オフィシャルエイドで、卒業国論でいうと、卒業した国だということです。ロシアもOAになっていて、2位です。3位エジプト、4位がウクライナでこれもOAです。以下、10ヵ国については、最後カンボジアですけれども、アメリカは自分の外交政策上必要なものとして統計を投げて、DAC事務局に統計をつくらせているということで、この根底にあるものは何かというと、我が国では卒業国論というのがあって、卒業した国には援助はしない。これは過去に援助して3年の経過期間をおいてODAを打ち切っているというケースがあるわけです。隣の韓国でもJICAとの関係の技術協力関係も去年で終わりになるわけです。
私は、広義的な意味では、技術協力の共同研究とかいろいろな意味でまだまだODAに類するような費用がかかるものがたくさんある、あるいは高度な技術開発もそうかもしれません。そういう目で日本のODAの二分論ではないですけれども、たとえば円借款なども国益論の枠組みに入れて政府援助し、日本のアジアダイナミズムに貢献する形でスキームの再編成をやっていかないといけない時期に来たのではないかと思う。貧困問題では、極端にいえば円借款の出番は非常に苦しい。円借款の有効性をいろいろいって書いてみても、かなりへ理屈になってしまう可能性がある。特にアフリカの場合、やればまた債務になってくるということで、やればやるほど借金が嵩み、帳消しになってしまう。
したがって、我々の議論は何十年もやってきているのですけれども、ここらで一回がらがらぽんして、従来の機能というものをもう一遍再編成するという、こちらで再編成の意見がありましたけれども、組織再編成ではなくて機能再編成をやってみて、改めて国際的なニーズと国内的なニーズの合体を目指していく、あるいは二分論ではっきりしていく。つまり、今、林さんが話したように、日本は決してそう変なことをしているわけではないのですけれども、国際的に非常に誤解を招くようなことが多々ある。先ほどの貧困論の問題を国際的にどうやって説明するのかという問題のように、ちゃんと説明がつかない部分が出てくると、これを突かれて――突かれるというのは、間違いなく欧米が突いてくるのです。戦略的に突いてきますから、そこのところを説明が付くように分類していくという手があるのではないか。そうしないと、我々が過去いいことをいってきて、やってきて、実績をみろといっても事実アジアは発展してきているわけです。だけれども、実証的に何で、どうして、どういうことで日本のODAが貢献して発展したのかというところが計量的にもちゃんと立証できないということがある。したがって、いつも批判されるとアジアの経験を持ち出すけれども、アジアの経験でさえもちゃんと論理化されていないという面があって、なかなか説得力がない。それでいつも負けて下がっているということで、日本の顔のみえる援助というか、交渉能力が世界に示すことができないで終わっているわけです。
ですから、ここらで大野さんやお若い皆さんがもう一度再構築する、新しい日本の論理構築を世界に向けて堂々とやればいい。これは実は、第2次ODA改革懇談会の中でも日本型援助はいろいろ議論があって、それは現状に合わないのではないかという意味ではなくて、過去の経験をちゃんと整理して世界に発表していこうではないか、そういう情報を発信しようではないか。そうしないと誤解を受ける。今、援助される国々からどう思われているかということもあって、説明責任というのは日本の国民のみならず、援助される方々に対する被援助国寄りの説明責任があるのではないか。そういう議論をしている最中でございますので、円借款からどうするとか、技術協力はどうするという話ではなくて、ぜひここらでもう一度、大枠で見直しを図ったらどうか。そうしないと、21世紀の世界のニーズに合わない仕組みだけが残ることになる。頭の中も冷戦構造から余り変わっていないような状況かと思います。

鷲見

ありがとうございました。あとお3方いらっしゃいます。村田さん、五百籏頭さん、中野さんの順番で。

村田

JBIC開発業務部の村田でございます。きょう、久しぶりに経済協力について熱い議論が闘わされているところに出席させていただいて感銘しているところなのですが、最近、第2次ODA懇談会とか各種の懇談会でODAについての重要な提言が行われているわけですけれども、必ずしも政策立案のためのバックグラウンドになる研究をベースに、この種の提言が行われているかというと必ずすもそうではないわけです。あるいは今後の政策立案のためにこの種のバックグラウンド研究が行われているかというとそうではないわけです。そういう意味では、今後の我が国のODAを含めた経済協力政策に関するこの研究会をぜひともモメンタムを失わずにしっかりした成果を出していただきたいと希望します。
その際に1点お願いというか、我々も含めて考えなければいけないのは、荒木さんなどもおっしゃっている、いろいろな観点からがらがらぽんで検討していかなくてはいけないと思うのですが、ここの研究の重要なトピックスである国内産業政策と投資政策と貿易政策を念頭に経済協力政策を新たに立案していく。その際の重要なアプローチとして、これまでのODA政策というのをきちんと評価してみる必要がある。ODAの事業評価は何度も行われていますが、ODAの政策評価、それから経済協力政策の評価というのは行われていないので、これはどこの場で公式に行えるかはともかくとして、こういう経済協力の研究がそういう評価にダイレクトにつながって、その反省に基づいて新しい政策が出てくる必要があるのではないか。これは援助機関の現場にいる人間として、これまでの政策の評価が十分になされていないのにどんどん新しい政策に踏み込むのには、ややちゅうちょするところがあるのかなと感じています。
きょう、幾つかの論点の中で、今後の大きな政策にかかわる話として、河合先生などがおっしゃった、金ではなく技術協力に変えていくべきだとか、低所得国とか中所得国というのはODAの対象にすべきではない。これは非常にこれまでのODAの卒業政策に絡んだ大きな政策転換の話なので、その部分についてはしっかりした政策の評価と、そのように主張していく根拠を明確にしていく必要があるのではないか。
これまで卒業基準というのは、日本の援助の場合、非常にしっかりしていまして、中進国になれば基本的にこれまでのODAにはやらない、環境だけに限定する。今まさに発展段階にある幾つかの国についてインフラ卒業基準、インフラから貧困削減に援助をシフトさせる基準をつくっていくべきではないかということも研究されたりしておりまして、そっちの方向に実施機関の舞台としては動きつつあるということをご報告させていただきたいと思います。
それから、世銀の関係の話ですが、開発援助の現場で一緒にいますと、世銀の職員というのは、我々と語る言語が基本的に同じというか、同じように開発を考えていますので、同志意識は非常に強い。ある意味では、世銀の人間と話をしていると心地よく途上国の経済開発を語り合えるのですが、ふと日本全体に振り返って考えてみると、やはり一援助機関ではなく、我々はオールジャパンとして、日本として世銀を活用することを考える必要がある。世銀みたいな大官僚機構で大シンクタンクなわけですから、途上国の開発の情報が詰まっているわけですから、これをシンクタンクとして活用していくという視点をしっかりもつ必要がある。もう1つは、日本が主要なドナーになっているアジアの主要国に、世銀がこういう援助をしていくという方針を立案する前に、主要な援助国である日本政府を中心とした関係機関ときちんと協議をして援助戦略を決めるような――これは非公式な協議の手続きであってもいいと思うのですけれども――メカニズムをつくるように要望していくべきではないかと思います。
それから、世界の援助は、別に世銀だけがリードしているわけではなくて、割と大きなポリシーは最近、OECDのDACというところから出てくるわけですけれども、DACで日本は最大の援助のフロントランナーといわれている割には、DACの使い方が世銀との活用の仕方以上に余りうまくないのではないかと感じています。DACでいろいろな各国のピアレビューとか評価が行われて、日本の援助もこういう点が問題だと各国にいわれたり、いろいろな援助政策が、日本が主導しない形で、日本に不利のような形で、場合によってはでき上がってしまっているというのが現実ですから、その意味からいうと、DACでの日本のプレゼンス、あるいは日本のコントロールの仕方もしっかり強めていく必要があるのではないかと思います。

鷲見

ありがとうございました。五百籏頭さん。

五百籏頭

今、村田さん、荒木さんがおっしゃったことに同感でありまして、このセミナーでの非常に根本的な問題に立ち向かう議論というのがモメンタムを失うことなくぜひ進めていただきたい。それは21世紀の日本の名誉のためだけでなくて、21世紀の国際社会がやっていけるという上でも非常に重要なことだと思いますので、お二方に協賛して、時間の関係で私も詳説いたしません。
簡潔に2つ、下村先生のすばらしい報告に対して2点質問させていただきたいと思います。アフガンの場合、破産国家になってからどっと援助して、それまで見捨てていたという大変鋭い指摘だと思うのですが、ではODAを続けていたら破産せずに済んだのか。いいかえれば、破産国家がたまたま趣味でどこかの国がなるというのではなくて、サブサハラから中央アジアまで、しかばね累々というように生まれてくるとすれば、これはある種のメカニズムが働いているのだろうと思うのです。破産国家を生まないためには何が必要なのかということについて言及していただければありがたいというのが第1点。
第2点は、グッドガバナンスがない国はコンディショナリティーを満たさない国に世銀等が打ち切ってしまう。そうではなくて、グッドガバナンスがないという場合にどう対処したらいいのかについて、もう一言踏み込んでいただきたい。先ほど大野さんは、アジアダイナミズムを受け入れられるような国であるということをおっしゃったのは、恐らくみずからの経済的国づくりをやる意思と一定の自助能力みたいなことを大事な条件とすべきだとおっしゃったのだと思うのですが、下村先生はどうお考えかというのが2番目の質問です。

鷲見

ありがとうございました。ご答弁は後でお願いいたしますが、その前に中野さん。

中野

国際協力事業団アジア一部の中野でございます。きょうは、ためになる話をたくさん聞かさせていただいて、ありがとうございました。今日の会合の中で余り議論されていなかったことを少しだけ申し上げようと思います。最後に発言の機会を頂きましてありがとうございました。
私自身は、92年から95年までOECDのDACで援助政策のレビューの責任者をしておりました。当時はアフリカ開発が援助の中心問題なっていました。90年代中頃は、DAC主要メンバーの援助への取り組みを表して、「危機・低迷のアメリカ」、「工夫を凝らす過渡期の欧州」、「自信の日本」という表現がありました。それから10年間が経過してみますと随分と様変わりという印象を受けます。
最近の傾向として、ライクマインディドグループ(Like-minded group)という北欧、オランダ、英国、カナダを中心とするグループは、貧困削減、あるいは社会開発分野に途上国支援の中心をおくようになり、アメリカは、紛争解決、安全保障、あるいは、市場経済・民主化・移行国支援という方向に活路を見出して、日本は難しい時期を迎えていると思います。日本は、90年代半ばには、DAC新開発戦略の策定に大きな貢献をしまして、1996年にそれを完成させ、その新開発戦略の中心目的であった貧困削減がその後の開発支援の潮流になります。しかしながら、ひさしを貸して母屋をとられたといいますか、6年前に日本が中心になって取りまとめ、提唱したものを、現在では欧州や世銀、国際機関が強く推進するという、ちょっと皮肉な事態に進展する結果になっていると思います。
きょうの議論の中で二分論というのがありましたが、二分論は、1つは説明の仕方としては非常に目新しいという感じがしました。ただ、これもお話の中にあったように、援助の対外説明や国際協力への国民支持・理解を得るための解説材料としては有効ですけれども、これだけでは2つの原理のうちアジアダイナミズムを発展させる手段としてのODAの必要性を説得し切れないのではないでしょうか。あるいは、特定の地域や中進国に成長ダイナミズム重視型の支援を集中するという考え方が東アジア諸国にも受けないのではないかというのが、1つ感じたことでございます。理由は、東アジアの中にも、極めて貧しい国がいくつか存在し、豊になったといわれる国でも国内には深刻な貧困問題が現存するからです。現在約150ヵ国の途上国のうち、約35ヵ国がHIPCの対象国で、債務超過でかつ貧困と認定された極貧国です。そのほかに低所得国が約35ヵ国ありますから、全途上国の約半数の70カ国がODA支援の優先対象国になっているわけです。これらに対する貧困削減支援が国際的な関心を集めて強調されている現状はうなずけるところがあります。
それでは、貧困削減重視の動きはアフリカだけの問題かといいますと、アジアにも深刻な貧困と債務の問題があります。例えばASEANの中で、ラオスはHIPCの対象国です。ベトナムも同じカテゴリーに入っています。貧困削減のために、成長にも配慮して戦略書を作成して、世銀とIMFから貧困削減を目的とした新たな支援資金を受け取っています。ただ、債務返済を続ける意思を表明していますので、借金の棒引きを受けようとする国とは違った対応です。ミャンマーとカンボジアはLLDCです。カンボジアも貧困削減計画を作成中です。インドネシアもPRSPを作成する予定があり、貧困問題はアフリカだけの問題ではなくて、ASEANの後発グループのみならず、先行グループにとっても大きな問題になってきています。同時に二分論として成長か貧困かということではなくて、成長も貧困も、双方とも似対処すべき課題でありますし、先行グループも後発グループも、あるいは同じ国内でも、成長セクターや地域もありますし、過疎地、遠隔地、あるいは農業不適地の問題もありますから、必ずしも一般論だけで片づけられない現実があります。
この点については、私どもJICAは援助の国別アプローチを強化することが有効との考え方で対処しております。支援の対象となる国々の発展計画をより詳細につくって援助していく中で、問題解決型で対処するのが昨今の動きになっております。JICAは約50カ国について国別事業実施計画を策定し、支援の実務対話に活用しております。外務省でも10数ヵ国の国別援助計画を作られて、政策対話を充実しておられます。
ご参考までに、2点ほど最近の動向を申し上げて、ご協力をお願いしたいと思います。これまで技術協力や開発支援は、全体の発展の流れの中の中流部分を担当していました。農業や工業に関する生産技術や改善方法を移転することに大きなねらいがあったわけです。最近ではそれが下流展開と上流展開という分化の動きが起こっております。これは多様化するニーズに対応して、下流の方は国民参加型支援を目指しNGOやボランティアの方々が積極的に参加して、貧困問題や地域・村落開発などに直接に現地で支援する方式の協力が展開されております。
もう1つの展開は、中枢政策支援とか知的支援と呼ばれておりますけれども、かつての生産技術ではなくて経済運営ノウハウや国家建設の手法などに対処するという形で、具体的には、市場経済移行国に対する経済政策支援、あるいは、経済構造調整政策策定の共同研究が、ご承知のようにベトナム、ミャンマー、ラオスで行われております。また、インドシナ諸国に対して法制度整備の支援をベトナム、カンボジア、ラオスで実施しております。中小企業振興支援も重要な課題になってきております。日本の援助の大手の受け取り手であるインドネシアに対しては、警察行政の支援、法制度整備、司法改革支援を展開しております。今後3月ないし4月からはインドネシアの経済改革の推進を支援するために、閣僚レベルにアドバイスを行う計画があり、きょうここにお集まりの何人かの先生にも参画いただいて、マクロ経済運営、金融セクター改革、投資促進、中小企業振興、地方分権化、民主化などの問題にも協力していくことにしております。
発展途上国の開発支援において、最近気をつけようと思っておりますことを一点、付言します。日本の援助は、従来は政府機関の強化、あるいは新しい行政機関を設立して、そこを一人前に育てるという方式の支援が割と得意だったのです。ですから、無償資金協力で建物を建て、新しい機構をつくり、そこの人材を育成する方法がこれまで一般的だったわけですが、最近我々が直面しておりますのは、いかにして直面する問題を緊急に解決することに協力できるか、先方の優先・重要課題をいかに迅速に支援できるかというところです。ですから、どちらかといいますと、物理的な施設は無くても、きちんとした機関を新設することに優先して、特定の問題をどのように解決していくかに有効に取り組む必要が出てきております。それは相手国との共同作業・研究となる場合も多く、日本国内の特定機関の経験にお願いしてできるという問題ではありませんので、専門能力と経験をお持ちで、その分野に習熟した研究者や実務家の方々に一時的にでもお集まりいただいて、その問題解決に取り組んでいただくという必要が出てきております。
対象の課題は、インスティテューションビルディング(制度・組織整備)とかキャパシティーディベロップメント(能力開発)といっても、日本がこれまで余り経験のない分野が少なくありません。こうした息の長い人づくり支援と有効な政策提言や助言を並行して進めるためには、きょうのお話のテーマの1つであります日本の英知、ないしは経験、あるいは総合力の結集が不可欠になってきております。有用な政策を提言しても、その後の、例えば実施の資金繰りがつかないということになれば深刻な問題にもなりますので、きょうこの場所をお借りして、問題解決指向の新しいソフト型の支援もしておりますことをご報告差し上げます。これまでは、ミャンマー、ラオス、ベトナムの経済政策支援についても経産省の方や財務省の方にご参画いただいております。今後とも相手国のニーズに応え、真に役に立つような提言をし、報告書にまとめるだけでなく、その提言の実現や施策の実施までうまく結びつけられるような支援が展開できるように、今後とも皆様のご協力をお願いする次第です。本日のテーマとも関連して、私どもの経験をご紹介させていただきました。どうもありがとうございました。

鷲見

ありがとうございました。最後に下村さんから、先ほどの五百籏頭さんのご質問に加えまして全体としてのコメントをいただければと思います。

下村

きょうは非常に貴重な機会を与えていただきまして、ありがとうございました。五百籏頭先生の非常に基本的な問題提起というかご質問にお答えするのにつなげる形で1点だけ申し上げたいと思います。これは繰り返しになるかもしれませんけれども、河合先生が席を立たれる前にこういうことをいわれたわけです。公的資金だからとんでもないことにお金を使わせるわけにはいかないと。問題は、何がとんでもなくて、何がとんでもあるかという話なのです。ゲームのルールをだれが握っていて、だれがそれを判断するのか。ここが反グローバリゼーションの問題と全く同じ問題が今の世界にあるということだろうと思います。
私は、とんでもないことにお金を使わせないために、3つのことを徹底しなければいけないと思うのです。まず判断基準がボラタイルであってはいけない。恣意的に不安定であってはいけない。例えばウズベキスタンです。ウズベキスタンがもてはやされて、例えばラオスにお金が行かないなどというのは非常に不条理なことで、不条理なことが起こるというのがテロとかを誘発する一番大きな問題だと思うのですけれども、これは援助する側が少し前まで非常に独裁国家だといって、あるいはコラプションがあるといって批判していたウズベキスタンに手のひらを返したようになる、こういうことはいつも繰り返されているわけですけれども、例えばパキスタンの歴史をみれば、それは非常に長く繰り返されてきたわけですが、こういうボラタイルな基準をもてあそんではいけないということだと思うのです。
2つ目は、長期的視点でとらえなければいけない。今、とんでもないことだと思われる効果が望めないようなことでも、だからといってやらなければもっとひどい結果になって返ってくるというのが、先ほど破綻の国家のところで申し上げことなのです。いいかえれば、効果をはかるときに目先のネットプレゼントバリューの話をするだけでなくて、ネットプレゼントバリューで大したことないと思われるからやらないということが、将来もっと大きなコストをもってはね返ってくることをまたネットプレゼントバリューで考えるということが必要だと思います。
3つ目に、これは援助の世界でいわれないことなのですけれども、とんでもないことにお金を使わせないといっている人たちが兵器をいっぱい買わせているわけです。兵器を買っているのは途上国側の公的資金です。売っているのは民間企業かもしれませんけれども、例えば米国でいえば、途上国に売っている兵器の金額の方が、ODAの純額よりもはるかに多いわけです。そんなことをしていてファンジビリティーとかとんでもないこととかいっているのはおかしい。非常に身勝手な、立場が強いことをいいことにまかり通っているということが一番の大きな問題ではないかと思うのです。
それではどうしたらいいかという五百籏頭先生のご質問で、大した知恵があるわけではありませんけれども、今考えていること、とりあえずの考えを少し申し上げますと、例えばグッドガバナンスのない国に援助するということは非常に問題がある。もちろんグッドガバナンスの判断基準がボラタイルであるということはあるのです。確かに今のミャンマーに援助するということは問題がある。ただ、その面ではグッドガバナンスがないということはペナルティーになるようにしておいて、一方でそういう国、当然そういう国は貧困層が多いわけですから、そういう貧困層に破綻が起きないようにするための援助を全く別な形でということは、例えばNGOを使ってということになるのかもしれませんし、人道的援助とか草の根無償を拡大解釈するということかもしれませんけれども、そういう形で輸血だけはしていって、しかし、グッドガバナンス、グッドポリシーがないからよその国よりも損をしているということをわからせるようにする必要があるかなと思います。
それから、ODAを続けていても、破綻国家のうち大半は破綻したと思います。ただ、資金が最低限流れ込んでくるということは、破綻国家の数を1つでも2つでも減らすことができるのではないかと思うのです。私は、現地に行って非常に感じるのですけれども、同じようなLLDCでも、お金が入ってきている国と入ってきていない国は、町の様子が全然違います。ガーナのアクラと象牙海岸のアビジャンでは全然雰囲気が違う。バングラデシュのダッカとラオスのビエンチャンではたたずまいが全然違うということで、少しでもお金が入ってきているということが命綱だということが現実としてあるので、セレクティビティーとは別に2つの基準を平行して走らせると、その辺のアートの世界の話ではないかと思います。

鷲見

どうもありがとうございました。時間が大変超過して申しわけございません。研究会のメンバーの方にも本当はレスポンドしていただきたいのですが、時間がないので、大野さん、最後に総括的に何かコメントございますか。

大野(健)

きょうはしゃべりもしましたけれども、むしろ聞き手で、皆さんのご意見を反映して、本を出したり、もちろんウエブでも公開しますので、お褒めの言葉というかもっとこういうのをやれというのをいただいて、我々だけではだめなので、ほかにもこういうのがいっぱいあって、常に議論していくということが大事だと思うので、ある意味で、我々がきょう議論したこと自体よりも、このようなやり方で、もう少し官の人もジャーナリストの人も学者もいろいろな人がネットワーキングして議論を高めていくという1つのトライアルだったので、その点でこれで終わりではなくてもっとやりたいと思いますので、よろしく。
それから、具体的なことは朝もいいましたけれども、ベトナムの方で1つパイロットプロジェクト、それはCDF、PRSPも絡めて日本がどういうことができるかというのを、まだ全然だめなのですけれども、ことし少し頑張って宣伝効果を出していこうというのがあります。それはもう少し具体的な話なので、そちらの方もどうぞご期待を(拍手)。

鷲見

どうも長時間大変ありがとうございました。経済産業省のスタッフ一同代表いたしまして、きょうの大変活発なご議論を心から御礼申し上げます。どうもご協力ありがとうございました(拍手)。

――了――