第2セッション議事録

  • 平成14年2月13日 12:45~14:45

敬称略。なお、本ワークショップでの発言はいずれも個人としての発言であり、個人が所属する組織を代表する見解・意見ではありません。

鷲見

第2セッション「中国・ASEANとの関係」、特に経済協力の視点から中国・ASEAN関係をどのようにみていくかということで、2時間ほど議論してまいりたいと思います。
まず中国については、経済産業研究所の関志雄さんからプレゼンテーションをお願いいたしますが、ご承知のように昨今の中国は脅威かビジネスチャンスかという議論、さらには中国は大変なチャレンジに直面しているという悲観論も含みて、大変な議論のにぎわいをみせているわけですけれども、もう少し事実をきちんとみきわめて、本当に今、国際分業の中で中国の競争力というのがどの辺にあるのかという点について、アジアダイナミズム研究会では統計資料をきちんと見定めた関さんのプレゼンテーションを皆で議論し合ったわけでございまして、今回そのエッセンスをもう一回ご紹介をするとともに、ご議論いただく。それから、同じようにASEANとの関係で、日本がこれからどういう形で協力をしていったらいいのか。ASEANというのはAFTAということで、経済統合は進んでいるかのようにみえるのですが、実態はどうなのかということも含めて、トラン・ヴァン・トゥさんから2番目にご発言をいただくという順番で進めてまいりたいと思います。では、関さんよろしくお願いいたします。

経済産業研究所の関でございます。きょうはアジアダイナミズムの議論をするのですが、その中心が中国に移ったのではないかといわれています。私の方から中国の台頭を背景とする日中関係について報告させていただきます。
基本認識としては、日本と中国の間ではまだ40年ぐらいの格差が存在するとみています。これを反映して日中関係は、新聞に書かれているように既に競合関係になっているとは思いません。むしろ、当分の間はまだ補完関係にあるだろうとみています。競合関係がゼロサムゲームとすれば、補完関係というのはウィンウィンゲームである。したがって、両国が協力し合うことによって、お互いに大変メリットがあるはずだと。この話は本来1年前だったら、余りにも常識的でわざわざ説明するまでもないことですが、今の中国脅威論の台頭ということもありまして、あえてこの数字をもってみてみたいと思います。
ここでは日本と中国の主な経済発展をあらわす資料をまとめています。平均寿命、乳児死亡率、一次産業のGDP比、都市住民のエンゲル係数、一人当たり電力消費量。経済が発展すれば上がっている数字もあるし、下がっている数字もあるのですが、ここにあるように中国のこれらの直近の数字は、大体1960年前後、つまり40年前の日本に対応しているということがこの表から確認できたかと思います。
最近の日中関係を考える上では、このグラフが非常に参考になるのではないかと思います。つまり、右に行くほどハイテク製品、左に行くほどローテク製品という分類ができるとしたら、この縦軸は輸出金額と考えていいのですが、日本の輸出が1つの分布、1つの山という形であらわすことができます。同じような形で中国は、別の山という形であらわすことができます。今のところは輸出量でいえば、日本はまだ中国の倍くらいということで、日本の山は中国の山より大きい。しかも全体的にみて、産業高度化が進んでいるという意味で、日本の山は中国の山より右の方に偏っているということに関しては議論はないだろうと思います。
皆さんの印象は、恐らく中国の山がもともと非常に小さくて、しかも左の方にあったところ、近年どんどん大きくなるだけではなく、どんどん右の方にシフトするので、いずれ中国の山が大きくなって、しかも産業高度化の進展に反映して右の方にシフトしたら、最終的にはそう遠くない将来、日本の山が完全に中国の山の裏に隠れてしまうのではないかというのは、最近の中国脅威論に伴う恐怖感のあらわれではないかと思います。
日中関係が競合的なのか、補完的なのかということを考えるときには、この2つの山がどのくらい重なっているのか。Cのところが、日本の輸出全体のBの何%なのかというところが確認できたら、ある程度の目安になるのかということです。
計算の方法は時間の関係で省略しますが、結論だけ申し上げますと90年、95年、2000年、5年ごとにアメリカの市場における中国からの輸入と日本からの輸入のハイテクからローテクまでの製品の分布をかいてみますと、重なっている部分に注目していただきますと、わずか5%のところから95年には10%になり、2000年には20%になった。変化率からみると非常に早い、しかしレベルは非常に低い。どちらをみるのかによって結論は非常に違うというわけです。実際、日本とほかの国もいろいろ重ねてみますと非常に当たり前のことなのですが、いまだ日本とヨーロッパの国々が一番きれいに重なっている。つまり、日本の競争の相手は同じ先進工業国であるヨーロッパの国々であって、中国は急速に追い上げているとはいえ、依然として貿易構造の面において日本の脅威にはまだなっていない。競合関係というよりも補完関係にあるということが、このグラフからも確認できたかと思います。
この中国の台頭に対して日本はどう対処すべきなのかということを考えるときには、よい中国脅威論、悪い中国脅威論という2つの分け方で考えた方がわかりやすいのではないかと思います。よい中国脅威論というのは、中国が頑張るなら日本も頑張るぞと。しかも構造改革を加速させる形で対応する。それは結局、衰退産業を中国を中心に海外に移転しながら、日本が新しい産業を育てる、いわゆる空洞化なき高度化の政策を目指す以外は道はありません。残念ながら、今世の中の主な論調は、むしろ2番目の悪い中国脅威論に当たるのではないかと思います。つまり、政治家と経営者は自分の失われた10年の過失を隠すために、その責任を中国に転嫁するという形で使われているのではないか。実際、政治家の力を使って、セーフガード初め衰退産業を保護するという政策も打ち出されています。
冷静に考えますと、中国は日本の空洞化要因になるのか。2000年の対中投資の数字を調べてみますと、財務省の数字なのですが、わずか1,000億円しかなかったのです。この間のアフガニスタン支援の年間の数字よりも小さい数字なのです。これは日本の対外直接投資全体の2%、日本のGDPの0.02%に相当します。最近ふえたとはいえ、5倍にしても 0.1%というけたですから、それをもって日本のすべての悪いところを説明するには、非常に無理があるのではないか。それと関連して、最近日本の黒字が減っている。これは中国要因ではないかといわれるのですが、これも冷静に数字をみますと、香港と台湾も合わせるベースでみたら、依然として日本は黒字を出していますし、しかも日本とアメリカが貿易摩擦を抱えたときの議論を振りかえってみますと、実は貿易不均衡という問題は関係国のISバランスの問題だというのは日本の主張でしたが、どういうわけか自分がテーブルの向こう側に回されると、今度は関係ないというややダブルスタンダードにも聞こえてくるような議論をしているので、私は非常に残念だと思います。何で日本は黒字が減るかといったら、財政赤字が大きいからだというのが正直なところではないかと思います。貿易立国日本ほど、直接投資と貿易がウィン・ウィン・ゲームであることをよく知っている国はないはずです。
最近よくこういう話を聞きます。中国は生産力はすごい、競争力もすごい。残念ながらマーケットはどうってことないという言い方をする方が非常に多いのですが、ただ教科書どおりで考えると、GDPの三面等価といいますか、中国の生産がふえればその分だけ中国人の収入もふえますので、必ずマーケットの拡大につながるはずです。しかも日本は中国と競合関係ではなく補完関係ですので、ASEANの国々は同じものを中国で売れないのですが、日本はまさに中国が一番欲しがっているものをつくっているので、何でもう少し積極的に中国の活力を生かすという発想転換ができないのかというところは、非常に不思議に思います。中国の活力を生かすというのは、企業にとっては利潤をふやすという方法でもありますし、消費者にとって安くて良質な製品を消費できるというのも非常にいいことです。日本がこれからとるべき政策というのは、旧産業の方向よりも新しい産業の育成なのではないかと思います。ただ、新しい産業というと日本の方はどうしても物づくりに非常に愛着があって、それ以外のものは余り考えていないみたいですが、そんな必要はないのではないか。90年代アメリカがいかに対外投資をふやしながら10年間の大変いい景気を謳歌したという経験を一回整理した方がいいのではないかと思います。その日本の経済の活性化のためには、生産要素を今のセーフガードみたいに衰退部門に固定させるのではなく、むしろ積極的に流動化を図るべきなのではないかと思います。
最近もう1つよく聞く話は、中国の一人勝ちという話がありまして、実際今、東アジアにおいて中国も含むベースで計算したら、日本のウエートがまだ65%です。中国はわずか15%で、しかも中国の人口は日本の10倍ですので、これをみてもわかるように、中国の一人勝ちというよりも、いまだ日本の一人勝ちの状況が続いています。この65%のウエートは維持できないだろう。これが下がっていくということは、ある意味では域内における南北格差の是正ということで、地域の安定にも寄与するはずです。ただ、日本のウエートが相対的に下がっていくということは、日本人の生活の絶対水準が下がるというのは必ずしも意味しない。パイが全体的に大きくなりますので、やはり日本人の生活水準がこれから上がるかどうかは、冷たくいえば中国人が頑張るかどうかではなく、日本人が頑張るかどうかというところにかかっている。この間のアジア通貨危機から我々は何を学んだかといったら、近隣の国々の貧困と混乱よりも、反映と安定の方が日本の国益になるということではないかと思います。
けさの共通テーマであるODAと地域統合に関して、最後に一言ずつ触れさせていただきます。
ここにあるのは河合先生のけさの質問に対する答えにもなるかと思うのですが、なぜODAが必要なのか、これは政府による市場の介入ではないか。私も全く問題意識でこれをつくりましたが、やはり市場の失敗を補うためには、時々政府の干渉も必要だというのは教科書どおりのことで、そのときの理屈は3つありまして、1つは外部効果。国境を越える外部効果という意味では、中国発の酸性雨だったり、CO2の問題と絡んでいる地球の温暖化の問題だったり、全般的にいえば環境問題化かなと。
2番目は、市場は効率を高めるには非常に有効なのでが、所得分配に関しては無力である。国と国の関係でいうと、ODAを使ったら南北格差を是正するという発想もありますし、一国の中の話であれば、午前中にもよく出ました貧困の撲滅という問題にもつながります。
最後に、国際公共財。けさよく議論されていたのは、国際協力を通じて安定した国際環境を維持する。もしくはアジアのダイナミズムを維持するという議論になるかと思います。
最後の最後になりますが、最近中国が地域協力に対して非常に積極的になってきたという背景について、二、三コメントさせていただきます。
やはりその1つの大きいきっかけが、アジア通貨危機ではなかったかと思います。先ほどの日本に対していったことが、実は中国にも当てはまるのです。つまり、中国にとっても近隣の国々の反映と安定の方がいいのだという認識に至っているわけです。また中国の台頭に対しても各国が警戒していますので、いかにこれを和らげるのかということに中国も躍起になっています。最初、AMFの話が登場したころは、中国が反対するのではないかといわれていたのですが、そうでもないのです。少なくともその後、中国は変わったのではないかと思います。むしろ最近よく中国側から、せっかく中国がスタンスを変えたのに、日本がもうAMFに興味がなくなったのではないかという質問をよくいただいています。実態面に関しても、中国とASEANが10年間かけてFTAをつくろうではないかということになっているのですが、中国のねらいは実はASEAN+1ではなく、最終的には日本も含むASEAN+3であるというのが本音ではないかと考えています。実際、中国とASEANの間には、発展段階の格差は小さく、補完関係というよりも今は競合関係ですので、自由貿易圏をつくっていても経済面のメリットは非常に小さい。むしろ、いかに日本との補完関係を生かすのかというのは、最大のポイントではないのかと思います。
ただ、地域協力の話とODAと絡んで議論すると、政府が介入するというのはODAだけではなく、もう少し広い意味での経済協力もありますので、結局全部日本が負担するという話にはならないのです。中国も含めてそれぞれの力に見合うようなバーデンシェアリングが必要になってくるのではないのか思います。
今ASEANをめぐるいろいろなFTAの話の中で、よく中国と日本の主導権争いという形で新聞には書かれるのですが、理想論として日本と中国両国にとって地域統合は、覇権を確立するための手段ではなく、地域の平和と安定のための制度づくりの一環でなければならない。これはまさにヨーロッパにおけるフランスとドイツの経験が物語ったことではないかと思います。
以上です。

鷲見

どうもありがとうございました。大変明快なメッセージを出していただいたかと思います。正直いいまして政府部内のみならず経済産業省の中にも、恐らく関さんのステートメントに対して異論がある人も多いかと思いますが、きょうはそういう人はどういうわけは来てませんで(笑声)、聞く必要のない方がいらっしゃっているのですけれども、このメッセージを広く伝えていくのも我々の仕事かなと思っています。後でいろいろご議論、ご意見等あろうかと思いますが、ひとまず中国の次にASEANをみたいと思います。トラン・ヴァン・トゥさん、よろしくお願いします。

トラン

どうも、トラン・ヴァン・トゥでございます。私のご報告の関係の資料は、レジュメ1枚2ページとAFTAと日本:アジアダイナミズムの中のASEANというペーパーがありますが、事務局にご指示いただいて、AFTAの問題だけではなくて、日本とASEANの協力の問題まで報告してほしいと。そこでレジュメに書いてある内容は少し幅広くなっております。このレジュメに沿ってご報告させていただきますが、私の課題は中国の台頭など、新しい地域国際環境に直面しているASEANの課題は何か。これからの日本の対ASEAN協力の課題は何かという問題でやっていきます。
まず、中国の台頭とASEANへの影響はどう認識すべきかということから始めたいと思います。ご承知のように90年代以降、WTO加盟以前の10年間ぐらい中国の台頭は激しくなって、ASEANに対してはいろいろな衝撃を与えていると思います。簡単に申し上げますと、まず競合関係が強くなったということであります。1つは、労働集約的工業における中国の急速なキャッチアップであって、これは第三国の主要市場で中国のシェアが拡大、ASEANのシェアが低下している。例えば、日本では10年ぐらい前の工業品輸入の中のASEAN5ヵ国は、20%を占めていた。そのとき中国は5%であった。今は中国は15%ぐらいに上昇して、ASEANは14%ぐらいになっています。そのようなことはほかの市場でも起こっていることであります。それは第三国の市場だけではなくて、ASEAN市場への接近も強まっていて、ASEAN旧加盟国と新規加盟国を分けてみても、両方とも中国の存在は非常に大きくなったわけです。
例えば、ペーパーの14ページの下の図をごらんいただきますと、中国とタイの輸出類似指数をつくって、テクニカルなことは本文に書いてありますが、これをみますと、要するに、この指数が低下していくことは、競合関係が強くなるということです。これは99年までだけでもこの傾向が強まっていて、これからはますます強くなるのではないかと考えられます。また、いろいろなJETROの調査とか業界の方々の中国とASEANでの活動の話を聞いてみると、現在はベトナムのような新規加盟国では、中国の工業品はかなりはんらんしていて、タイとかマレーシアのような先発国にも、あと4、5年ぐらいは中国の製品はかなり入るという業界の見方が支配的であります。
もう1つは、中国とタイとかマレーシアなどの比較優位構造もにかよっていて、しかもその変化方向もほぼ同じです。これは、11ページと12ページをごらんいただくと、この点は非常に明瞭にあらわれるのです。11ページはタイの工業品の国際競争力指数の特徴をあらわしている。その次のページは中国でありますが、これは指数が1に近づくほど、競争力は非常に強い。ゼロ前後は輸出と輸入は同じぐらいであります。これをごらんいただきますと、タイと中国は全く同じような比較優位構造をもっていて、しかも変化の方向も同じになっている。そういうことを確認できるわけであります。特に家電とか電器部品とか機械関係の工業品の発展は、これからは中国とASEANはかなり競合関係が強いということができます。
ただ、中国とASEANの貿易が拡大したことは確かであって、8ページの工業品だけの貿易マトリックスでありますけれども、これをみますと過去10年間ぐらい、中国とASEANの対世界工業品輸出の拡大を比較しますとASEANは対中国工業品の輸出の拡大が対世界の拡大よりも強かったし、逆に中国の対ASEAN輸出の拡大と対世界の拡大よりも大きかったわけです。その次のページも示しているように、その割合はまだ小さいということが確認できる。
そこで今話題になっているWTO加盟。レジュメのAの3のところですけれども、中国のWTO加盟の効果をどうみるか。現在はご承知のように、中国の経済の実力について、今、関さんのご報告の中にも部分的にあったように論争的である。例えば国営企業の改革とか農業の問題とか中国の格差の問題は大きいけれども、少なくとも対外的にも影響力が強いということを私は認識しています。
これからは幅広い労働集約的工業の競争力が増大していくのではないかとみています。中期的にみますと、資本財とかハイテク製品などの輸入が増加するといういろいろな予測を出しています。このときは、日本とか韓国がサプライの能力からみて主な受益者である。ASEANからの輸入は多分大きくないとみています。
長期的にはどうなるか。これはいろいろ皆様からも教えていただきたいですけれども、私がみているところでは、中国が完結した生産工場として、最終財を世界市場に送り込んでいく可能性が大きい。それは20年前の日本の特徴であったフルセット型工業構造が中国で形成される可能性があるのではないかとみています。以上が中国の台頭とASEANへの影響についてでございます。
次の問題は、ASEANはどう対応すればいいかということです。ここは一言でいえば、今述べた中国のフルセット型工業形成にならないようにASEANも頑張らなければならないということです。そこで低い次元から高い次元に水平分業を推進していく。そのためにはASEANの産業構造の高度化を図る必要があると考えられます。しかし今までのASEANの状況をみますと、産業構造高度化のためには、いろいろな問題を解決する必要がある。1つはサプライサイドの問題で、特定労働市場のミスマッチが深刻で、具体的に申し上げますと、熟練労働力の供給不足、非熟練労働力の供給過剰、この2つの状況が並存している。そして若者の間には製造業離れの傾向があると私はみている。結果として、エンジニア、中間管理職が足りない。したがって、生産性を上回る実質賃金が上昇、競争力が弱体化していくという恐れがある。これはASEAN一般の問題。先発国もそうでありますが、新規加盟国はさらにほかの問題が加わるわけです。1つは、資本市場とか労働市場、地域間の経済の連携などいろいろな意味で国民経済の統合がおくれる。そして、スキルギャップ。それは投資ギャップとか外貨がいろいろな問題に加えて政策立案とか管理能力とかいろいろな面で技能ギャップが大きい。そのほかに、国際市場へのアクセス能力が弱い。例えば、情報の収集能力とか市場の調査能力とか、総合的なアクセス能力がベトナムなどは大変弱いとみています。
だから、先ほど申し上げた中国がフルセット型工業の形成にならないように、ASEANは産業構造を高度化しなければならないけれども、解決する問題が非常に多いとみています。  最後に、レジュメの次のページです。日本の新たな協力は何かでありますが、先発国と後発国に分けて考えますと、今述べたようにASEANは産業構造の高度化のための人材養成への協力。具体的には、例えば大学の工学部の教育をもっと充実化すべきと思うのです。そこで、ODAの中身も、今までのハードインフラ――ハードインフラは卒業できた国は多くなったけれども、こういう方面はもう少し力を入れることができるのではないか。あるいは、日本の大企業、特に製造業が冠講座などを今まで欧米諸国の有名な大学にかなり寄附して講座を開いていたけれども、同じお金をアジアの大学に出せば、効果がもっと大きいです。その辺は、例えば税制の問題なども関係あると思うのですけれども、この方面にもっと協力できるのではないかと思います。
それにも関係ありますが、物づくりの基盤整備、中小企業の育成とかの問題。サポートインダストリーの強化など、依然として大きな問題であります。
ASEAN後発国には今述べた問題に加えて、比較優位産業の発掘・育成の支援。けさ、旧MITIの発想などの議論になったのだけれども、その後の大野さんと木村さんのレスポンスの中に出た問題ですが、私もそういうことと同じ。つまり、大野さんとか木村さんの考え方は賛成でありまして、もちろん昔のMITIのような時代と違うから、例えばインダストリーのセレクションなどの戦略は今はあり得ないけれども、例えばベトナムのような場合は2006年までどのような産業をもっと強めるかとか、その後WTOに加盟しても完全に自由化するまでまだまだ時間があると思います。その完全に自由化するまでの期間は、政府の役割は大きいと思います。そういう意味で、比較優位産業の発掘とか育成という意味はそういうことであります。
あるいは、経験、ノウハウ提供による市場へのアクセス能力の向上も支援できる日本の経験が、そういうところに生かせるのではないかと思っています。
15分間しかいただいてないので、急いでご報告させていただきました。
以上です。

鷲見

時間厳守でどうもご協力ありがとうございます。大変広範な話題を提供していただいていると思いますので、皆様方これに加えて中国、ASEANとの協力を考える上でのいろいろな問題を出していただければと思います。
中国に入ります前に私、ASEANとの技術協力を所管しておりまして、JICAベースの、つまり政府対政府の要請に基づく協力のほかに、民間ベースの協力をいろいろやっていまして、ASEANなど特にその形でいろいろ今までやってきているのですけれども、ややここにきて実施体制、限られたリソースが民間の熱意、関心という面から、ASEAN全体を1つとらえるといっても、ASEAN10というのは先進国から後発の国までさまざまな国があり、ASEANという国際機関が別にあるわけではなくて、もちろん経済統合という方向にはあるが、しょせん協力というのはバイの協力というのが中心になりますので、焦点はセレクティビティーで絞ったらどうか。そうすると日本産業界の支援が得られる国という意味では、ASEAN4+CLMVの中のVだけ。ASEAN4というのは、具体的にはタイ、インドネシア、マレーシア、フィリピンです。シンガポール、ブルネイはもちろん先進国なので外すとして、昔から入っていた4カ国+CLMVの中のVだけ。後はASEANの中で南南協力その他でシンガポール等のイニシアチブでやっていただいたらどうかということで、協力も民間の熱意あっての問題で、少しそこはJICAとずれるところからあるものですから、技術協力にはそういう担い手にいろいろ多様性があるということからしても、経済産業省の政策でいえば、日本産業界の利益ということもある程度考えざるを得ないので、セレクティブにいきたいという意見も内々あるのですけれども、いかが考えられますか。

トラン

おっしゃったように、確かに、日本の協力はいろいろな機関があるけれども、経済産業省の協力はASEAN4とベトナムだと思います。その点は同じ意見です。そこで物づくりはASEAN、ベトナムにとって非常に大事になる。今はグローバル化の時代でいろいろな側面があるけれども、まず物づくりを基盤にして国家を強めていかないといけない。日本企業の投資、日本の発展の経験はかなり適用できると思います。お答えになったかどうかわからないですが。

鷲見

どうもありがとうございます。どうぞご自由に。午前中申し上げましたように札を立てて、できるだけその順番に指名させていただきたいと思います。木下さん、林さん、五百籏頭さん、山澤さんの順番で。

木下

日本が10年間経済が停滞していて、しかも今後まだ続くだろうということから、国民、あるいは産業界もスケープゴートを探したいということで、中国がその矢面に立って脅威論というのが出ている関さんの認識は正しいと思います。したがって、単純な脅威論というのはおかしいと思います。関さんのような人が冷静な分析を通じて、警告を出していただいているのはすばらしいことだと思います。さはさりながら、それだけで済む問題ではないというのも事実だろうと思います。いろいろな指標からみると中国は日本より40年おくれているということですけれども、そうかもしれませんが、少し前は100年おくれていてたちまち40年ですから、もうしばらくすると20年になって、あと5年となってしまうということで、同じ通貨に換算すれば、日本の円安が進めば進むほど早く追いついてしまう国であって、普通の国ではないということも大事な認識だろうと思うのです。
結局は日本がどうやって構造改革をやって、自分が強くなるかということにすべてかかってくるわけで、関さんがいわれた結論もそういうわけだと思います。
しかし、何点か注意すべき点があると思いますので、それを申し上げます。まず、ASEANの国は、余り中国脅威論というのは出てこない。日本に来るとみんな脅威論といっているので、ASEANの人は少し驚くわけです。ベトナムの件について今、トランさんが少しおっしゃったわけですけれども、個人的には口にする人はあっても公式に脅威論というのはいわない。この間のタイの人の言葉をかりていえば、日本はトラみたいなものだから、象に対して脅威だと思うけれども、我々は蚊みたいなものだから象に対して脅威だとはいえない。どうやって共存するかということを初めから考えざるを得ないという認識です。これはそのとおりだということを我々はまず覚えておかなければいけないので、日本で感情的にそうなっても、ほかのアジアの国はそうならないでどうやって共存するかという発想の原点が違うということです。
それから、日本についていうと、中国は日本の競争相手になり得るという認識があるということも事実だろうと思うのです。特に、中国は政治的安定を達成しながら、科学教育に力を入れ、競争政策を非常に強く出して人材が育ってくるということは間違いない事実であって、そういう意味で普通の国ではないと思うのです。
中国をいたずらに単純に脅威だと考えて何もしないというのはとんでもないことですが、中国にも直してもらわなければいけないいろいろな点があるわけです。例えば、言論統制をやっているということ。これはシンガポールも同じかもしれませんけれども、日本の企業が問題でないのだが、問題みたいなことを起こしてしまうと、それが人民日報に書かれて、そうでないのだといってもだれも書いてくれないということから、中国の国民はこの会社はひどい会社だと一生思い続けてしまうというのが現状です。そういうことに対して、日本としてどうやってビジネスを守っていくのかという発想は、まず必要だろうと思います。
それから、中国は大国で、これは異論ある方もいると思うのですけれども、やはり覇権をもちたいと思っているのではないか。結局、日本とアメリカとヨーロッパを競わせるのが国益になると考えているので、ビジネスにおいても政府が、これはヨーロッパにやれとか、これはアメリカと組もうということを非常に強くやるために、日本のビジネスとしては非常に不公平に扱われると感じることが多い。これも事実なので、それをどう考えるかという問題があると思います。
長期的に一番大きな問題は、先ほども申し上げたのですが、中国が発展してくると、貿易摩擦よりも私はエネルギーの問題になってくると思うのです。結局、クリーンエネルギーというものがどこの国でも必要で、天然ガス、あるいは天然ガスまでいかなくても石油、すると中東ということになるわけです。中東というのは非常に政治的に不安定なところにみんながラッシュして、石油、あるいは天然ガスをもらいたいということになると、中東はへんてこな国ですから、ではあれをくれ、これをくれと。日本でもサウジアラビアの利権のために鉄道をつくれとかいわれてつくれなくて、アラビアのものがとられたりとかいろいろあったわけです。そうすると、代償というのか、何か出せる国は非常に有利になるのです。すると中国は、例えば核の技術とかいろいろなものを出せるわけです。それに対して日本はODAぐらいしかないというところがあって、エネルギーの問題をどうやって中国とうまくシェアしてやっていけるかという発想は、ほかのアジアの国もそうかもしれませんけれども、特に日本において必要だろうと思います。
それから、日本の改革が必要な中で、政府の改革というのはいわれているのですけれども、やはり日本のビジネスモデルのウイークポイントは非常にある。結局、徹底的に強い者は勝つということをやってこなかったために、過当競争体質というのが一番強いと思われる製造業ですらあって、一社が出るともうかるどうかわからなくてもみんな出てしまうということ。つまり、企業には戦略がないということです。ところがほかの国はM&Aなどをやった結果、いろいろな分野で寡占体制になっているので戦略がもてる。
こういうことから出てくる不公平感というのをどうやって是正していくかという問題が1つあると思います。結論として日本として中国に対してどのように対応していくかというのは、1つはトランさんが先ほどおっしゃったASEANと、きょうは触れられなかったインドと日本はきちっとした関係を維持することによって、中国も相対的なレラティブな関係をもっていく。中国と日本だけで考えないということが非常に大事だと思います。
日本の留学生の半数は中国から来ているわけですけれども、彼らが必ずしも日本に来て報われているとは思わないわけです。アメリカに行った人は偉くなるとか、日本に来ると脅威論も多いし、日本経済はさえないし、就職もできないしという三重苦、四重苦の目に遭っている。すると一生懸命お金を出して来てもらっているにもかかわらず、日本に対して悪いイメージをもったり、極端にいうと反日になって帰っていくということで、経済協力もへったくれもないわけです。ここは非常にきちっと考えなければいけない。
それから、環境問題は、情けは人のためならずで、中国の環境がよくなることが日本にとって非常に大事なので、こういうところは本当に一緒に考えていけるところで、一緒に考えていけるところをふやすことによって、摩擦を少しでも減らしていくという発想が非常に必要だろうと思います。とりあえず、それだけにしておきます。

鷲見

林さん。

関さん、トラン・ヴァン・トゥさん、非常にすばらしい報告で、いろいろ勉強させていただきました。報告を聞いて、3点ほど私の感想を述べさせていただきたいのです。
まず第1点は、中国経済の脆弱性です。それも何らかの形で入れたらどうかという意見なのですが、中国は皆さんご承知のように沿海部と内陸部、所得格差、環境問題、腐敗の問題等を抱えている脆弱性のほかに、中国の脅威を論ずるときに、中国が今まで24年間の開放改革政策を推進してから、どのぐらい欧米日の技術を蓄積してきたか。日本を中心に中国進出して、逆輸入するという視点も強調しなくてはいけないのではないかと思うのです。つまり、中国が軽工業品から電子・電機産業の進出が世界市場を制覇するようになってきた、あるいはなりつつある。それは、中国の工業産業が強くなってきたのではなくて、結局は欧米日の企業が進出しているという側面をも強調しなくてはいけないのではないかと思うのです。
ちなみに、上海へ行けば、東京の新宿西口の高層ビルは本当にちゃちです。それは、上海が中国の縮図ではない。年収入は600元、1万円弱の収入をもらっている中国の人口は3,000万ぐらいいるのですから、そのような中国の強みを強調すると同時に、中国の脆弱性、中国の技術、企業をどのぐらい育てられてきたのかも考慮に入れて、強調したらどうかという点が第1点です。
第2点は、先ほど司会者も触れられたように、ASEANは一枚岩ではないです。中心国のシンガポールから準中心国のマレーシア、タイ、あるいはインドシナの開発途上国の国々も入っている。例えば、FTAについてもいろいろな意見があるのです。ご承知のように、日本とシンガポールの自由貿易協定の締結にマレーシアはいつも反対しています。もう1つには、フィリピンの通産大臣は、日本と貿易協定を締結した方が中国よりもはるかによいと主張している、あるいはカンボジアの通産大臣も10+3ではなくて、10+5の方がよろしいのではないかと。オーストラリア、ニュージーランドを積極的に入れて、小泉さんが構想を出されたのと同じように10+5を積極的に推進した方がよろしいのではないかという政府高官の意見もあちこちでみられます。しかし、ASEAN諸国の代表的な意見かどうかは、点検する必要があるのではないか。それが第2点です。
第3点は、華人経済の要素を真正面から取り上げて、考慮の対象となさったらどうか。ご承知のように、アジア諸国の華人企業グループが中心に、過去24年間積極的に対中国進出を行ってきた。香港からの対中国投資は、中国の総投資の70%以上を占めているのです。
中国と日本は相互補完的な関係と関さんはおっしゃったのですけれども、トラン・ヴァン・トゥさんは、むしろアジアにおいては中国とASEAN諸国は競合関係にあるとおっしゃっていたのです。私も同感です。
したがって、アジア各国の2,800万人の華人経済のもっている力をある程度認識して分析の対象としないと、アジア各国の華人社会、あるいは華人企業グループ、零細企業、労働集約産業が中心なのですけれども、それと中国との競争関係を分析するには、非常に重要ではないかと思います。

鷲見

ありがとうございました。五百籏頭さん、お願いします。

五百籏頭

ありがとうございます。私、外交史が専門で経済は素人なもので、アジアダイナミズムというテーマで、充実したシンポジウムからしっかり学びたいと思って来た次第です。4月から1年間ハーバード大学に行きまして、日本の対外政策について、できたら英語で本を書きたいと思っています。それだけに私の弱い経済について、まとまった透徹した理解が得られればと思って参上した次第です。
ODAについて、冷戦後の欧米のODA議論はおかしいのではないかと感じてきました。冷戦期には途上国を共産圏にとられたら嫌だからというので、やたら援助する利権主義体制でも何でもというのも問題でありましたが、冷戦後そういう動機がなくなるとさっと引いてしまって、残っているのは非常にきれいごとに変じてしまった。民主主義制度の移転であるとか人材育成、これは非常に積極的で必要な普遍性のあるものだと思いますが、貧困の撲滅ということをいう、それもいいことだと思うのです。ところが、貧困の撲滅を達成する方法というのが、非常に偽善的ではないか。昔よくマルクス主義が盛んなころは、プチブル的な偽善によって問題が解決できると考えている大金持ちの奥様というやゆがありましたけれども、どうもそれになっているのではないか。人道支援によって、どんどん広がる貧困というものは間に合うものではない。結局、国民経済を浮上させることなしにできないのではないか。無償援助をばらまいて、どうして貧困撲滅が達成できるのか大変不思議な感じ、そういう議論に傾いていることが私にはよくわからない。
その点、日本が東アジアでやってきたことは、基本的に健全で立派な業績だと思っております。結局、どれだけ他国に対する援助がトータルに意味あるものであり得たか、極めて少ないのであって、アメリカが行ったマーシャルプランなどのヨーロッパに対する戦後の復興計画と日本への援助、それぐらいしか例はない。ヨーロッパも日本も既に先進国であってノウハウをもっており、やることを知っている。ただ、敗戦によって荒廃していた。そこへどんとアメリカが提供したら、飛び上がるように再生したというすばらしいケースであります。
それに比べて日本は東アジアとの関係で、もちろん日本が援助したから発展したのではなくて、発展するのは必ず本人の問題であって、だめな息子にお金をじゃぶじゃぶつぎ込んだら賢くなるというものでは絶対ないので、かえって堕落するというのが落ちです。
そういう優れたよき隣人を日本は東アジアにもてて幸せであって、しかし少なくとも――先ほど林さんが、福田ドクトリンとおっしゃいました。福田ドクトリン以後、少しも制度的な形で出ていないというのは林さんのおっしゃるとおりなのですが、その後3年間にODAを倍増し、さらに5年間で倍増しというように、ODAをやっただけではなくて、貿易と直接投資とODAを組み合わせる関与が、東アジアの経済発展の構造を支えたと思うのです。日本は大東亜共栄圏の過去のとががあるし、偉そうにするということを自他ともにしてはならないと思っていますので、マーシャルプランをアメリカが誇るように、これは我々がやったということはいわないわけですけれども、そのような構造が5年、10年、20年続いたということが、やはり大きな事実であって、そのことはアメリカのヨーロッパ、日本に対する援助以外では最も意味のある経済関与だったと思います。
大野さんの2本立てのプラン、私が心から共鳴するのは、そういう認識と合致しているからでありまして、貧困の撲滅的なグローバルな普遍的なものと、アジアダイナミズムという双方を受けとめて進めようとされる。旧通産省的という言葉もありましたけれども、通産省もJETROを初めは輸出振興でつくったものが、あるときから輸入拡大ということに変わってきていて驚いたことがありました。そういう発展志向国家型のものから、冷戦終結のプラスマイナス10年は自由主義、小さな政府、民活、市場原理主義の方に振ったと思うのです。80年代のレーガン、サッチャー、中曽根の時代は活力を回復いたしましたし、それで冷戦勝利をもたらした後、90年代はほとんど自由市場主義、原理主義に傾いたと思うのです。それは東アジア経済危機をもたらす短期金融取引の自由のために、国民経済を犠牲にしてもいいのかという反省をもたらしましたし、このたびの9・11テロで、経済的絶望、破産国家、しかばね累々ということをもし原理主義的なまでの自由市場がもたらすとすれば、それでよろしいのかという反省をもたらしたと思います。そういう状況において、グローバルな自由な市場へ向かっていくということは、不動の目標でありながらどのような介添え措置をすれば可能なのかという研究を大野先生らにぜひ薦めて、教えていただきたいと思うわけです。
今のセッションの関さんの報告にも非常に感銘を受けました。中国の台頭は、私たちは政治の方でみておりますけれども、補完関係、相互利益たり得る。私は小渕内閣のときの21世紀の日本の構想というので、対外政策部会の座長をやって、そのときに中国の知的指導者と初めて長時間にわたって合宿するように話し合うことを始めたのです。初めは本当に大変でした。かなり打ち解けたところで向こうのリーダーが飲む席で、はっきりいって日本がアジアでリーダーシップを発揮することは不愉快だ。我々は望まない。それは皆さんだって一緒だろう。中国がアジアでリーダーシップを振るうというと、皆さんは焦るだろう。お互いさまだということを言い放ったのです。しかし、その乱暴な言葉から、さらに話ができるようになったと思います。それではおかしいではないか。もっと本当の自己利益を考えたらどうか。中国にとって日本との関与は利益ではないか。共同の利益ということが本当の自分の利益になるという観点に置き直さなければだめだということを激しく言い合った。それ以後、どんなに中国が変わったか。今ではASEAN+3とか協調枠組みを推進することに、日本側よりも中国側が熱心なぐらいで、この変化というのはすさまじいものです。
我々はそれに対して、ここにおられる方はともかく、国民レベルでは江沢民の訪日から認識が進んでいない。皇居初め、至るところで日本の過去を断罪した江沢民、中国はあんなだという固定観念にとらわれて、それ以後中国が激しく変わったことがみえていない。そして、中国と仲よくしようと土下座外交だという情緒的な表現をもって金縛りにしようとする。とんでもない話でありまして、日本の過去について、ASEANは福田ドクトリン以後20年の日本との実り多い協力関係を基礎に、静かなる和解がいつしかなされまして、もう過去のことをとがめようという空気は、ASEANにはほとんどない。中国と韓国は違う。あの戦争は余りにも重かった。しかし、その韓国ですら、金大中が歴史的和解をオファーした。中国だけが過去を相変わらず外交ゲームの具に有効利用しようという姿勢をあのときまでもっていたわけですが、それがかえってマイナスであるという判断をいたしまして、過去に基づく感情よりも、共同利益に立って日中関係を再建するというのを方針とし、これは2000年5月の江沢民対日重要講話によって、はっきりと国家政策になった。
そのように、なぜ日本重視するかといえば簡単であって、中国は国際システムの中で大をなしたいということを今目標にしているのです。かつてのように、切った張ったという世界ではなくて、WTOに入り、APEC上海を成功させ、2008年北京オリンピックを成功させる。国際システムの中で大をなすということを目標にしているので、そういう観点に立てば、唯一の超大国アメリカとの協調関係は、ジャブの応酬はしますけれども、協調関係は崩さないということは絶対マストでありますし、それに次いで、日本という国際システムの中で、既に大をなしている国との協力関係は大事だと考えているわけであります。
そのようにはっきりと変化してきている中国との間で、ODAは転機を迎えているのは明らかであります。なぜなら、中国は世界の工場であり、大国から超大国になろうとしている。そういう国は、基本的に自分の国の問題は自分でやるというのは当然であって、これまでは賠償にかわる準賠償的な意味をもってODAを長くやってきましたけれども、そのような部分は消えていく。ただ大事なことは、別れるときに見苦しいののしり合いをして別れるというのは、痴話げんかの常でありますけれども、やはりそういうのでないかぐわしさをもちたい。ODAは双方にとって非常に意味あることであった。しかし、もうこの状況では、そろそろ観点を限定していくことにするのだ。環境だけではなく、内陸部との格差の問題で、中国にある協力を残しておくことは、案外安上がりではないか。特に砂漠化の問題。
限定の仕方はともかくとして、せっかくある協力の局面をもったことを嫌なことばかりだった。罵倒とののしり合いでやめるのではなくて、大変意義あることであったとしながら、次の局面に入っていくという気品を、中国側ももってもらえたのだと思います。
一番大きな残された問題は、なぜ日本経済が立て直せないか。これは別の大セミナーで教えてほしいところであります。
もう1つのわからない問題は、中国は総合国力の覇権という話がありましたが、総合国力論をとっておりまして、経済力と軍事力、両方強くするということを国是としております。経済発展は、軍事力強大化の基盤となります。中国の軍部がもっている中国内部での政治的影響力を考えれば、一般予算の増大率よりも低い軍事予算の伸びであることは考えにくい。ということは、10年、20年たてば、中国の軍事力というのは、台湾海峡から東シナ海、南シナ海に押し出されてくるだろう。その場合のことを危険視して、だから中国の発展をとめようという議論もありますが、それはできることではないし、最悪の愚作だと思います。避けるべきことは、中国がいい者であるか、悪者であるか、善悪二元論に分けて決めつけをすることです。実際の人間存在、あるいは国家もよさと悪さが入りまじったものでありまして、軍事大国化するであろう中国と日本はやっていけないわけではない。それは必ず危険を伴いますけれども、恐ろしいものでもあり得る。しかし、案外一緒にやっていけるものでもある。そういうのをこなしていくということが、結局必要なのである。
それから、民主化の問題も、今中国で行われているのは、市場経済も随分進んでいます。一党独裁をやめて民主主義制度にするということではなくて、一党独裁化の多元化というのが、現在進んでいるプロセスです。その進み方というのは大変なものです。かつて政府に対して知識人が自由に物をいいなさいといって、自由にいったらみんな捕まったということがありましたけれども、最近の我々のカウンターパートは、自由に物をいったところ、上からもっといえと。それではまだ具体的な答えにならない。構想が抽象的過ぎる。もっといえという踏み込みを求めてくる。そのような多元性というのが、一党独裁下で進んでいて、それがいつか実際の民主主義制度への何らかの移転というものの時点に至るに違いないと思います。経済的強者となり、多元化した中国とどのようにやっていくか。彼らはASEANに対して農業問題を譲って、かたぎの世界でよくやろうとしているのです。日本はそれに対して反発心、警戒心で凝り固まるというのは、何の答えにもならない。それを乗り越えるだけの自由な活力というものをもたなければいけないのだと思います。

鷲見

山澤さん。

山澤

関さんのいわれた中国脅威論よ去れというのは私も大賛成で、むしろ中国の活力を活用すべきということに尽きるだろうと思います。ただ同時に、ASEANの強化を支援すべきだということ。これはいろいろな理由がつけられるでしょうし、大野さんの初めの原理の方向にも入っていたと思いますが、これはまず多くの人が賛成するだろう。私もその方が正しいだろうと思います。
ただ問題は、相手のASEANが余り強くないのです。それでトランさんと林さんをASEANの代表だとみて、少しいろいろ聞きたいと思うのです。
第1に、ASEANといっても10ヵ国ありまして、決して1つのまとまりではない。トランさんは、ASEANの対応と課題というように望ましい方向を示唆されたけれども、どうやってその方向にもっていこうというのか、それは1つの問題だろうと思うのです。望ましい方向へのかじとり、ASEANはことしで一応第1期が終わるわけですか。アクセレートしたものはことしで完成しますね。その後をどのようにもっていくのかということが問題だろうと思うのです。こういう強化をどうするのかということがよくわからない。もともとASEANは対外交渉団体としてでき上がってきたものですから、なかなか内部の詰めというのは十分でない。内部のことをやろうとしたのがAFTAです。そのAFTAをいかにうまく効率的に運営していくかという運営の能力というのは、向上したのだろうか。
例えば、ベトナム、ラオス、カンボジア、ミャンマーを入れましたけれども、これはどうも横からみていると、対外交渉団体だから大きい方がいいというので入れた要素があって、ASEANの先発国のエコノミストと話すと、およそ後発国に対する同情もなければ余り知識もない。そもそも余り研究していないです。その先発と後発の間の利害調整というのは、静であるのがフレキシビリティー。要するに、先発国が決めたのは少しおくれてもいい。しかし、それ以上のことは余りないのではないだろうか。その面で、日本がASEANにアドバイスするという役割が果たせるのだろうか。経済産業省は、日本ASEAN協議というのをずっと続けられているわけなので、そういう場でそういう役割ができるのだろうか。これはトランさん、林さんへの質問ではなくて、むしろ経済産業省への質問ですけれども、以上が私の質問と感想です。

鷲見

ありがとうございました。奥村さん。

奥村

私は2点申し上げたいと思います。
中国の脅威論とその裏の話のASEANということなのですけれども、私は日本の明治以来の歴史の中で、日本が結果的にはアジアの中で一番早く発展して、事実上経済的には一人勝ちをした。戦争がありましたけれども、その後また復活して、結局日本が経済的にはリーダーになった。要するに、日本人の心の中にすり込まれた日本がトップを走ってきた。この観念が実は変わっていくかもしれないという、ある種クロスオーバーの時代に来たと思っていまして、そういう中で脅威論が出てきているわけです。これからのアジアというのは変わっていくのだ。もう日本の一人勝ちの時代は終わって、新しいアジアの地域内で、ヨーロッパ型になるのかわかりませんけれども、平等の形での相互依存関係というのが本当にこれから出てくる時代に来たのではないか。そういう時代に入ったという認識を日本人自身がまずもたなければいけないという気がします。もちろんそういう中で、日本の比較優位は何かをしっかり見極め、ここをさらに強くしていく努力が不可欠ですが。
その裏腹で、五百籏頭先生もおっしゃっていましたけれども、中国の方というのは日本が明治以来先を行っていたものですから、逆に中国人には日本に対する脅威があると思うのです。それを政治的に裏から支えている面もあるかもしれませんけれども、そういう感じはずっと心の中にあって、自分たちが唐の時代には、世界で一番先を走っていた。このような近代化の中ではおくれをとったという入りまじった気持ちの中で、日本がずっと台頭したことに対する不満とか不安とかあって、それがようやく変わりつつある中で、お互いにもっているねじれ現象だと思うのです。ねじれ現象をお互いにちゃんと見詰めて、21世紀以降は新しいアジアの関係になっていくのだということを再検証するプロセスを知的レベルでも絶対やっていただきたいと思いますし、国民もそういうことについて再認識する必要があると思う。
そのように、新しい認識のもとで考えると、健全な競争をしつつ協力をしていくところはしていくという新しい関係を構築できるのではないかという気がするのです。そういう中でASEANをみたときに、ASEANも我々の近隣に住んでおりまして、日本からみてもまた中国から見てもASEANの発展というのは、極めて大事だと思うのです。そのときに、多分一番大事なことは、少し話が出ていますけれども、ASEANのリソースで足りないのは人材だと思うのです。人材の要請をどうするのか。華人社会という話がありましたけれども、華人だけに依存していては、本当のASEANにならないので、やや理想論でいいますが、華人社会プラスASEANの人たちの人材をどのように育て上げていくのかということが、アジアの本当の発展を考えれば、実は日本も中国もASEAN自身も考えなければいけないことだと思うのです。そのように考えていくと、本当は日本だけでASEANに対して協力するということだけではなくて、アジア全体でどこを底上げし、どのようにやっていくのが一番いいかということについて、いがみ合いではなくて一緒に考えて、例えば中国は、ASEANに対してどういう協力ができるのか。日本はさらにその上にどういう協力をできるのか。そのようなフォーラムができると私はいいなと思っていまして、やや理想論過ぎますけれども、そんな感じが第1点です。
2点目は、そういう日本の協力、あるいは中国の協力というのがあるかもしれませんけれども、ODAを含めた協力という中で、やはり日本の特徴というのは、五百籏頭先生もおっしゃいましたように、開発協力の中でも発展を助けるという面があったと思うのです。もう少しいうと、例えば自覚してやったらいいと思うのは、経済の自立的発展のためには、一体先進国からどのようなサポートが必要で、それは資金なのか、人なのか、技術なのか。そういう中でODAというか、政府のお金が入るのか、入らないのか。あるいは、当該国の財政力、資金力、人的能力も含めて、自立的発展を考えたときに何をしていくのが一番いいのかという頭の整理を本当は各国ごとにしてみて、その上で経済協力も新たな視点で考えてみるということが大事ではないかと思っています。
さらにいいますと、もう少し国の中でも、中国のように大きな国は、私はあの国は地球の縮図だとある意味では思っていまして、超発展段階から超おくれたところまで全部ある百貨店みたいなものでして、どこの側面でみるかによって、いろいろあるわけです。中国の中でもおくれた地域と先進地域があって、おくれた地域に対して中国の中ではもちろんいろいろな財政的なフローの再分配をしますし、そういう中で先進国は、地域の中で何ができるのか。そういう発想でもう少し国の発想をさらにミクロにみていくと、まだいろいろな発想ができると思っていまして、最後は話が散漫になりましたけれども、自立的発展という柱と、アジアの中での歴史的な大きな力関係の変化をちゃんと自覚してやろうという2点を申し上げたいと思います。

鷲見

ありがとうございました。河合さん、お願いします。

河合

中国、ASEAN、日本のODA、域内協力の問題について、若干コメントします。
まず中国の問題として、関さんのプレゼンテーションは、中国は日本と非常に補完関係にある、競合関係にある分野は増えているがまだ小さい、ただし日本は中国と競合関係にある分野をなかなか整理できないので、オーバーラップしている分野が増えている、その意味で日本にとっての中国問題とは、結局日本の問題であるという論旨だったかと思います。そうだとすれば、私も全面的に賛成です。
中国とASEANの関係については、私も両社の競合関係は強いと思っており、かつ既にたくさんの方々からいろいろな問題が出されましたので、繰り返しません。ただ中国の世界の工場としての爆発的な発展の裏側で、まだバルナラブル(脆弱)なところがあると林先生のご指摘にありました。恐らくこうした爆発的な強さと脆弱性の2つをバランスよくとってみていかなければならないと思うわけです。
中国は、次第に多元化しつつあるとは言え、依然として共産党の一党独裁で、軍事大国だが、民主主義ではない。経済的にも国有企業改革の問題、国有銀行の不良債権問題、農村と都市の間の経済格差問題等が山積しており、中国はこれらの問題点を解決していかなくてはならない。日本にとっては、中国に変なことは起きてほしくない。ナショナル・インタレストとして、中国とのかかわりでは、そういうことを考えていくことが必要です。たとえば、中国に出ていっておられる企業の方々からお話を聞きますと、中国、ASEAN、ヨーロッパなどにリスク分散を図りつつ、中国で変なことになっても我が社は大丈夫だという形で出ていっているところと、余りそういうことを考えずに出ていっているところがあるという印象をもっています。やはり、我々自身も、もう少し中国の強いところと弱いところの両面を認識しつつ行動していく必要があるのではないか。
ASEANはアジア金融危機から十分立ち直っておらず、もっと元気になってほしい。そのために、日本は一体何ができるのかということをきちんと考えていく必要がある。先発ASEAN中所得国では、金が問題かというと、どうもそうではない。金ではなくて、日本市場の開放や知識経済への飛躍など、アイデア、技術協力に近いものではないかと思うわけです。後発の低所得ASEAN諸国については、金とアイデアの両者が必要でしょう。
今の問題とも関係しますが、ODAについて若干申し上げたいのです。大野さんのプレゼンテーションでもポバティーリダクション(貧困の緩和)ということが出てきました。ポバティーリダクションという言葉は、日本、あるいはアジアの考え方としっくりしないというご意見のようです。ポバティーリダクションは、世界銀行、ADB、そして今やIMFでさえ重視するアジェンダになっているわけです。これは世界のトレンドで、援助とポバティーリダクションというのは切り離せない状況になっている。
そういう中で、どのようにポバティーリダクションを行っていくかということについて論争があるわけです。大きくいえば2つの見方がある。1つは、生産性を上げていく、あるいは経済成長を促して貧困を底上げしていくというトリクルダウンの考え方。もう1つは貧困現象に対してミクロ的に介入する、つまり、貧困層・地域などターゲットを絞って、貧しいところにお金やリソースを振り向けていくやり方で、マイクロクレジット・ファイナンシングや、もっと極端な富の再配分まで行き着くわけですが、そういうアプローチがある。つまり、マクロ的経済全体の成長を促して、貧困の底上げをしていくか、あるいはいろいろミクロ的な介入やで貧困に直接対処するかという2つの見方があり、これは世界銀行などでも両方の綱引きの状況になっているわけです。ただし、経済成長のないところでは、いくらミクロ的な政策介入を行っても、体系的にポバティーリダクションを図ることは難しいというコンセンサスもあります。
アジアでは、ここ30年ほど着実にポバティーリダクションが進んできましたが、それはミクロ的な介入というよりは、むしろ生産性の上昇や経済成長を通じて達成されてきた。五百籏頭先生もいわれましたが、アジアは均整のとれた成長を通じて貧困緩和を進めてきたということをもっといって胸を張って主張すべきです。ポバティーリダクションというのはすでにインターナショナリーアクセプティッドな概念になっている。そこでポバティーリダクションはだめだという論理ではなく、どのようにすれば貧困緩和が進むのかを論じるべきです。援助というかたちで経済にインタービーン(介入)するには理由が要るわけです。ポバティーリダクションというのは、ぎりぎりのところで相当ネオクラシカルな経済学者でも、アクセプトせざるを得ないプリンシプルです。ですから、ポバティーリダクションという言葉を使うわけですが、実は効果的に行われるのであれば、インフラ投資だってよいわけです。要約するとポバティーリダクションというのは、援助の非常に重要なコアな部分であると胸を張っていっていい。しかし、その手法にはいろいろなやり方がある。アジアでは成長を重視して貧困緩和を実現させてきた。持続的な経済成長がないところで幾らミクロ的な介入をしても、実は余り貧困の緩和には役立たないという論理をつけていけるのです。
あと1点ODAに関しては、すでに若干述べましたが、中所得国と低所得国に対する援助をどのように考えるべきかということです。国際資本市場へのアクセスが可能な中所得国に対しては、極端に言えばもう援助は要らないという議論があります。中国も中所得国になってきているということで、中国のこれだけの経済発展をみると、確かに従来型の援助というのは、私ももう要らないと思うわけです。
ただし、先ほど奥村さんからお話が出ましたように、中所得国の内部でも非常におくれた地域があるわけです。一国の中でおくれた地域、しかも国内の財政移転というのが余り働きそうもない分野、しかし戦略的には重要な分野については、援助を選択的に行う余地があり得るのではないかと思うのです。環境改善や貧困問題に直接かかわるようなプロジェクト、保険・衛生・教育などについては、私は中国においてもまだ意味があると思います。ただし従来型の箱モノのアシスタンスというのは、もう限界になっている。
国際資本市場へのアクセスが容易でない低所得国に対しては、まだまだそれなりに援助を十分行っていく余地がある。その場合でも、どのように競争力をつけていくのか、東アジア域内経済の中にマーケットベースで彼らをどのように引き込んでいくべきかという観点からやっていくべきだろう。
最後になりましたが、域内協力で、午前中、APECのことが余り出てこなかったというお話がありました。APECが行き詰まったのかどうかという議論もありますが、山澤先生の前でこういうことを申し上げるのも変なのですが、APECを再編するといいますか、例えばアジア版OECDをつくって、アジア各国がいろいろな分野で行っている構造改革を後押しできないだろうか。日本、中国、ASEANのすべてが便益を受ける。つまり、APECはこれまでたくさんのことをやり過ぎてきたので、少し整理して、アジア版OECDに編成する。そこでお互い知恵を出して、どのようにしていったらインテグレーション、グローバリゼーションをうまくマネージしていけるのか、グローバリゼーションに伴う様々なコストや諸問題にどのように対処していくべきか、各国や域内全体の制度構築をどう進めるべきか、などをもう少し考えてよいのではないか。例えばMETIが提唱し、外務省も一緒になってやればおそらく財務省も乗るのでしょうから、地域全体を見回した観点から、競争力、生産性を上げていくには一体どうしたらいいのかということを考える新たなフォーラムになるでしょう。そういう中で日本のODAは、一体何をやればいいのかということも、おのずとみつかってくると思うのです。

鷲見

ありがとうございました。時間がまただんだん窮屈になってきましたが、山崎さん、北野さん、五味さん、Cさん。その後、お二人からレスポンスをいただきたいと思います。

山崎

きょうは、産業界からも多数ご参加いただいているということも踏まえて、一言だけ申し上げたいと思います。
関先生のマクロ、あるいはセクターワイズな中国の脅威論についての分析、大変わかりやすいメッセージだったと思っているのです。それを1つ補完するものとして、企業レベルで中国とつき合っている中で、内需の話もあるかもしれないし、あるいは生産拠点としての中国というのもあるのかもしれない。どういうメリット、場合によってはデメリットもあるかもしれないですけれども、そういうものがあるのかというのをひょっとしたら経済産業省の中でやっていらっしゃる話かもしれないのですが、集計して、全体像として中国経済とつき合うことの日本経済にとっての意味を把握する作業があるといいと思います。
そもそも対中で経済協力をなぜしなければならないのかということの説明材料にもなるかもしれないし、どういう分野でやったらいいのか、金額的にはどれだけやるのかという材料になるのかもしれない。同時に対ASEAN、中国との対比においてどうつき合っていくのかという材料にもなるのかという気がします。
その関連で1つだけ思い当たることがあって、これは少し趣旨が違うのですけれども、経団連で去年、日韓のビジネスアライアンスについてのレポートを出していらっしゃって、これはまさに企業レベルで、M&Aの話もあれば、共同技術開発の話もあれば、第三国のビジネスの話もあるという、非常に個別で具体的なものをリストアップするような作業をされたというのがあって、中国の場合と企業間の共同がどれだけあるかというところは、もちろん違いはあるとは思うのです。そういうアプローチというのは、国内で脅威論がないようにするとか、なぜ中国とつき合いが必要なのかということを理解してもらう上では、1つ大事なステップなのではないかと思います。

北野

外務省で円借款を担当しております北野と申します。日ごろ、中国、ASEANとの関係でどのような経済協力を進めればいいかということをいろいろ考えながらやっているところですので、きょうのいろいろな議論は大変に参考になりました。
きょうは、個人的な資格ということで何点かコメントしたいと思います。河合先生のお話も含めていろいろコメントしたい点もあるのですが、時間も限られているということですので、中国との関係に限って3点コメントしたいと思います。
第1点は、五百籏頭先生の指摘とも関連しますが日中関係というのは非常に多面的な関係であるということを、我々は十分念頭に置く必要があるのではないかと思います。昨年、セーフガード、靖国、教科書と中国との関係は多くの懸案があった年だったのですが、特に経済界の中では、中国としっかりつき合うということが、今後の日本経済の活力の観点から重要という認識が相当高まった。一方では中国に対する脅威感も高まったのだけれども、一方では中国とかかわらなければいけないという意識も高まった年だったのではないかと私は思います。関さんからは、よい中国脅威論、悪い中国脅威論ということで、よい中国脅威論の側面ということでご紹介あったところなのですが、日中関係は脅威論が着目している側面だけでなく、安保の面、過去の問題、台湾の問題、経済の面では、WTOに入って経済ルールへの遵守をどう求めていくのかなど、さまざまな面をもった関係であり、かつ我々にとってはつき合っていかなければいけない国だというのが、まず出発点なのかと思います。
したがって、中国との関係を議論するときに、一面だけを取り上げて短絡的な結論を出すということにならないようにしなければならない。この会議室におられる皆さんにはシェアされているのだろうと思いますけれども、その点が大事なのかというのが第1点です。
第2点は、中国に対して経済協力をいつまでやるのかという議論があるわけなのですけれども、今私が申し上げたような多面的な側面ということからすると、中国との関係で日中の共通利益を増進し、負の影響があり得るというところを手当てをするということは、依然として意味を持ち続けているのではないかと私は思っています。
例えば、共通利益という点でいえば、知日層の育成ということがある。中国はいろいろな国と人的つながりがある。他の国をどれだけ知っているかによって、ある国のビヘイビアが変わってくるという面がありますので、ぜひ中国の中で日本のことをよく知る、それも、日本のいろいろな側面を知ってもらう人たちが育ってくるということは、日中関係の今後のことからすると非常に大事なことと思います。
負の影響と私が申し上げたのは、環境の問題がそうなのですけれども、環境の問題だけではなくて、最近では余りそういう議論をしなくなりましたが、中国の不安定化のもたらす影響も含めて、日本にとっての負の影響というものに対してアドレスすることは、依然として必要なのかと思っております。
したがって、ODAがどうして必要かという議論のときには、共通利益の増進、負の影響に対する手当てという視点を踏まえることは、引き続き――中国は相当変わったということ自身はそうだと思うのですけれども――、必要なのではないかと思います。
3点目。二分論との関係で、中国に対するODAをどのように理解するか。午前中も議論があったと聞いておりますけれども、確かに市場ルールを遵守してもらうのは、ダイナミズムの世界であったり、中国の環境のところを何とかするというのは、グローバルイッシューへの対処であるという整理はできると思いますが、中国に対する経済協力を考えると、二分論だけの世界でなかなか割り切れないファクターがあるのではないか。そこのところを考えていくと、隣国であって、しかも存在が巨大であることから非常に巨大な影響があり得るという部分がなかなか割り切りがたい。あるいは、その部分を二分論に因数分解してみていけばいいのかもしれないのですけれども、やはり隣国であるということと、巨大な存在であって、エネルギー、食料、何らかの混乱が起こったときの影響とかという点においても非常に大きな影響がある。それは環境であってもそうですし、市場ルールを守らないということの影響においても、非常に大きな影響がある。二分論というのはODAを分析するツール、今後の理念として非常に有効な概念だろうと思いますけれども、中国ということを考えると、今、述べたように隣国であり、巨大な存在であるということをあわせて考える必要があるのではないかという感じがいたします。
中国に対してODAが転機であるというご指摘は、まさに私も同感でありまして、中国に対する経済協力計画が昨年できたのも、そのようなことの反映ですけれども、実際には中国に対するODAの中身は、相当程度変わってきているということも1つの事実だと思います。
1979年大平総理の訪中以来、中国に対する円借款の非常に典型的なものというのは、沿海部のインフラ整備であり、例えば内陸部の石炭を沿海部まで運べるようにする鉄道であり、それを外に出すための港湾というものが典型的な姿であったわけです。一方、2000年度の中国に対する円借款の案件の非常に大きな部分は環境案件であり、貧困対策の案件であるということで、相当程度姿が変わってきている。昨年できた中国に対する経済協力計画というのは、それをより徹底し、重点化するという方向での方向づけなのかと私は理解しています。
これに関連して、中国の内陸部の貧困対策をどう考えるかという論点があります。河合先生からご指摘があったように、貧困対策に対するアプローチとして、生産性や経済成長を重視するアプローチがある。おくれた地域の成長のためには経済全体の底上げがひつようであり、そのためには、物流を含むインフラが有効であるという考え方があり得ると思いますので、貧困対策といったことが、必ずしも社会セクターの手当てということに限らないという点も念頭に置く必要があるのではないかと考えています。

鷲見

五味さん。

五味

立教大学の五味でございます。きょうは立教大学というよりも、松下電器で三十有余年勤めました中のメーカー、あるいは物づくりの立場で少し発言させていただきたいのです。
先ほどからも貿易、投資、ODAという3つの柱で、日本がこの地域に貢献してきた。ODAというのは、健康食品でいうとサプリメントみたいなものではないかと思うのです。だから、これが主役ではない。そういう中で本当に貿易と投資をファシリテートできるようなインフラをつくっていくということがODAの役目である。
まず、貿易という観点でいいますと、NAFTAでもう既にイントラリジョナルトレードが55%~60%に迫ってきている。EUと東欧、NAFTA圏で65%~70%になってきている。今までそういう中でASEANの経済成長は、外部経済への輸出によって保ってきたわけですけれども、ASEANのイントラリジョナルトレードというのは24~25%である。アジア全体でも33%である。だから、開かれた経済、体制でなかったらもたない。これが今までのASEAN及びアジアの縮図だったと思うのです。
中国が非常に世界市場の中でWTOに加入して参画してきているわけですが、輸出の中で外資の占める率が50%を超えているわけであります。外資が50%を占めているけれども、国内、民生、国営企業も伸びてきている結果、輸出として電機産業が30%強、繊維が15%を既に全体の中で占めている。さらに最近では、産業ハイダールなどの提携等が起きてきているという状況であります。
ASEAN側からみると、これはどういうことかというと、彼らの気がかりとすれば、日系企業がASEANを閉めて、中国にシフトするのではないか。これは明らかにそういう動きもあるわけであります。単にアジアを閉めるというよりも、アメリカで既に閉めた工場の2つが、私が前にいた松下でも2社起きております。
2番目は、欧米市場で日系も含む中国企業の産品とASEANの商品が競合すること。
3つ目は、さらに縮小した欧米マーケットの代替効果を求めて、ASEAN市場に商品が流出してくること。特にベトナムなどそのケースがすごいものではないかと思っております。そういう中で、ASEANの地域としての産業政策というものが、トラン先生の資料でCEPTの実施は、ASEAN先進6ヵ国ではすばらしいものがありますが、肝心なところの自動車等では、マレーシアが例外条項をつくったり、なかなか一枚岩ではできていない。政策協調とそれに協力する日系を中心の外資企業との新たなる総合的な産業政策、あるいは水平、垂直の再編成が現実なかなか進まない。結果としては、中国との競争力をそがれるという危機に今あるのではないか。
それから、ASEAN経済の製造業の主要の面が、繊維と電機、自動車という側面でありますが、先ほどトラン先生の11、12ページの分析、タイと中国の競争力でもほとんど競合状態、勝ち組み商品の自動車、繊維、テレビ等はぶつかっている。同じレベルで書いてあるけれども、実はその次はどちらが勝つのですかという議論になってしまうと思うのです。単にそれは国のレベルで示すのではなくて、それぞれの企業の努力とか、マクロ、ミクロの努力があると思うのですが、今後それがどうなっていくかということ。その中で、日本がどのように関与していくか。
先ほどもおっしゃっておりましたが、ASEANに元気を出してもらう仕組みを、アジアは日本と中国も交えてつくろうというところが、差し当たっての姿ではないか。その次の将来に、ASEANとしてのイントラリジュアルなFTAをつくって、それに1でも、2でも、3でもいいけれども、日・米・中・韓、あるいは台湾が入ってくるような仕組みができれば一番いいと思っております。

鷲見

ありがとうございました。Cさん。

きょうは2点ほど申し上げたいのですが、1つは、中国に関する認識論でございます。これは我が国が非常に不幸なのは、中国といいますと、どちらかというと好きな人と嫌いな人しかいなくて、割とニュートラルな人が余りいないというのが、これまでの中国に対する政策等において、大きな問題だったのかと思うわけです。
そういう意味で、先ほど五百籏頭先生の決定論というか、二元論というのは、非常に危ないというのは全く同感でございます。実はそういう曲がった見方をするものですから、正しい中国に対する認識論が我が国ではうまくできてなくて、それがまさに関先生がおっしゃっていられた中国脅威論の中で悪い中国脅威論というのが出てくる原因なのだと思うわけです。
つまり、本来は中国脅威論といわれているものの中でも、しょせん日本同士の問題というのがかなり多いわけで、先に中国に進出して成功した日本企業と、なかなか行けなくてうまく利益の上がらない日本企業の問題というのも、中国脅威論のかなりの部分を占めているわけで、そういうものが若干不幸を招いているわけです。したがって、中国に対する認識というのが、より正確になるように、さらに今、関先生がおっしゃられたようないろいろな意味での努力をしていくべきだと思うわけです。
そういう意味で、1点だけ気になる点は、やはり中国の力というのは我々も非常に強く認識しておりますし、それは事実だと思うので、むしろ中国はかなり力があるのだという点は、中国の方もフランクにおっしゃられる方が説得力は増すのではないか。例えば、スライドの9ページにあるような、まだまだ日本のGDPは東アジアで65%だと。確かに数字の上でみるとそのとおりなのだけれども、どういう通貨で比べるかという問題もございますし、中国の力が着々とついてきているということは、同時におっしゃっていただいた方が、それを聞いている日本人にしても、確かにフェアな言い方だという気持ちがより強まるのではないかと思いました。
大きな第2点は、ASEANを含むアジア全体の議論、特に東アジアでの議論でございます。これは今、五味さんからもお話があったように、東アジア全体での連携というのをこれから考えていくべきだし、我が国にとっては、これから長い将来にわたっての国内市場に大きく期待できないだけに、アジアにおける成長要素というのを取り込んでいくことによって、共存共栄を図るという以外、我が国の進んでいく道はないのではないかという強い危機感をもっているわけでございます。
実際、ヨーロッパにしても、アメリカにしても、地域的な連携というのを強化することを通じて、ある意味庭先のような市場をしっかり確保したり、あるいは規模の経済で市場のメリットを得たりしたわけだし、同時に域内での自由化を通じて構造改革を進めてきたという教訓を踏まえれば、我が国としてもアジア地域、特に東アジア地域での連携を強めていくことが、国としての意思として、もっと明確に強く出していかなければいけないのではないかと思うわけです。
むしろ、そういうグランドデザインのようなものがきちっとあって、私はASEAN+3がベースだと思いますし、さらにそれに香港とか台湾が加わってくるのかもしれませんが、そういった場を基本にして、我が国がアジアにおいて中国とともに経済圏域をつくっていくということこそが、一番重要なのでありまして、その大きな目標というか、大きなデザインというのがあれば、おのずとその中で我が国にとって望ましい中国とASEANとのつき合い方というのが明確になってくるわけです。経済協力の問題にしても、その大きな目的にかなった使い方というのをすればいいという理想論でございますが、なっていくのではないかと思う次第でございます。

鷲見

どうもありがとうございました。さまざまな視点から活発な議論ができまして、大変興味深いセッションでした。ここまで議論を聞いていただいて、プレゼンテーションされた関さん、トランさん、総括的にコメントしていただければと思います。

いろいろなご意見ありがとうございました。私の中国観を申し上げますと、必ずしも私は悲観派ではありません。私は前から自分が慎重的楽観論者と位置づけています。1年ぐらい前まで、特にアジア通貨危機のころ、余りにも世の中は悲観色ばかりのころは、私はむしろ楽観論を中心にいろいろ議論しまして、人民元を下げることはないというと、あいつは超楽観派と呼ばれた時期もありまして、今は世の中は逆に楽観派一色に変わりましたので、私はあえて慎重なところを強調しているだけです。私の考え方が変わったわけではなく、世の中が変わったことによって、私の考え方が振れているようにみえるかもしれませんが、これは真実ではございません。
客観的に中国をみるというのは、まさにそのとおりで、私もそういうつもりでいろいろ寄せ集めてみました。客観的に中国をみるときに私は常に3つの点を念頭に置いた方がいいといろいろな日本の方にアドバイスしています。1つは、変化率ばかりみないで、実際のレベルをみましょう。GDPは、中国は日本の4分の1、一人当たりで40分の1です。PPPの議論はどうかという話がよく出るのですが、5倍ぐらいになるのです。一人当たりGDPの世界ランキングは、生の数字では中国は 140位のところ、PPP換算に直しますと、気持ちだけ上がりまして 128位になります。なぜこうなるかといったら、PPP換算にするとインドもスリランカもバングラデシュの数字も同じようにうんと上がっていくからなのです。中国の所得は非常に低いということは、どう計算しても変わらないというのが私の結論です。
2点目は、今でも話が出るのですが、上海と北京だけみて中国全体を語るのは非常に危険です。上海さえ一人当たりGDPは、やっと 3,000ドルちょっとということです。さらには、先ほどの中国の外資の役割という話もありまして、私は全く同感で、実際は中国は加工貿易が中心で、 100万ドルの輸出をふやすには、50万ドルの部品とか中間材の輸入が必要なのだと。これはメーカーの皆さんはよくご存じのことで、しかもハイテク製品であるほど、輸入コンテンツが高いということもありまして、余り名目のトータルの数字だけみて議論するには、非常に危険なのではないかと思います。
次の中国のリスクに関して、環境の問題、エネルギー問題、不良債権の問題、国有企業の改革問題は全く同感で、プラスアルファで申し上げますと、私は中国を中・長期的にみるときの最大のポイントは、一人っ子政策のツケがいつ回ってくるのかということです。つまり、高齢化社会がいろいろなシミュレーションの結果をみると、大体2025年ないし2030年あたりから高齢化が急速に進みます。いいかえれば、若い人が絶対数で減りますので、扶養比率が高くなるということです。さらには、今まで何で中国は厚生省ができなかったのかといったら、労働側の供給側には制約がなかったというのが非常に大きいのです。農村部にまだ2億人とも3億人ともいわれる余剰労働力がある。ただ、こういう成長率が今後も続くと、20年、30年後は余剰労働力が余るかどうか非常に疑問で、人口絶対数でも若い人の数が減るという段階と両方あわせて考えると、中国の今の7~8%の成長が、幾ら頑張ってもあと25年ぐらいの話なのかなと思います。
もう1つは、あえてみんな余りはっきりいわないのですが、共産党の行方がどうなるのかということです。今の経済の現状と、政治の面のイデオロギーには非常にギャップが大きいというのは間違いないことで、マルクスの考え方でいうと、経済の基礎が変われば、上部構造もあわせて変わる。問題はむしろソフトランディングなのか、ハードランディングなのかということではないかと思うのです。
ただ、80年代までの台湾と韓国の経験を振りかえってみると、必ずしも悲観する必要はないのではないかと思います。しかも中国は、幸か不幸か10年間の文化大革命があって、大学は閉鎖したのです。その後、大学を再開してから大学に入る若い世代、今、40代の半ば以下の人が中心ですが、彼らの考え方はもちろん古い世代の指導部と全然違いますし、多くの場合は海外の生活の経験もあります。今回の党大会には間に合わないのですが、5年後、10年後、まだもし共産党があるという前提ではありますが、彼らが中心部に入るときには、中国の政治が非常に変わるということになるでしょう。
補完関係で、日本の企業は中国に出かけたら、具体的に何だろうという話はありました。この具体論に対して、やや抽象論で答えると、中国の今の比較優位はどこにあるのかというところをはっきり認識すべきである。中国側の指導者はほとんどエンジニアの出身ですので、ハイテクであるほどウエルカムということはいっているのですが、ハイテクであるほど中国のためになるとも限らないし、ハイテクだからもうかるという経済法則もないのです。だから、今の中国の比較優位は、まだ労働集約型製品にある。それに沿った形で最終投資すれば、まだもうかるチャンスがあるのではないか。
よく日本ではカエル跳びの議論が盛んになりまして、中国はIT技術を生かした形でいきなり先進国になるのだという話をまともな中国の学者に話すと、我が国は50年代の大躍進と70年代後半の洋躍進。西側からのプラントとかを導入して、非常にひどい目に遭った。こんなうまい話はもう勘弁してくださいという話はよく聞きます。そんなうまい話はありません。山澤さんの前でいうのもおかしいけれども、一歩一歩前進して雁行形態しかないのです。重要なのは、今何がもうかるのか。もうかった分、再投資して、少しでも上のランクの産業を目指すというやり方しかありません。いきなり先進国になるということはあり得ないことです。
最後に、やはり歴史の重みといいますか、負債といいますか、非常に重いです。私は立場上は、よくいえば日中のかけ橋で、実は両方に嫌われるというか、ダブルスパイということで、いろいろな形で批判もいただいているのです。よく日本人から、いつまで中国に謝らなければならないのですかと聞かれるのです。それとは逆に、今度は中国人から、いつになったら日本人が謝ってくれるのですかと聞くのです。非常に認識のギャップが大きいという現状なのです。中国人の劣等感です。ある意味では本当の話です。むしろ、日本人からみて中国人が中華主義だというのは間違いで、むしろ劣等感とみるべきなのです。要するに、アヘン戦争以来の 160年間、またいじめに来るのではないかという警戒心が非常に強いのです。これをなくすためにはどうしたらいいのかというのは、やはり自信を身につけるしかないのです。そのためには経済が発展して、我が国は日本には負けていないのだという確信をもつようになれば、日中関係はうまくいきます。
実は韓国のこの数年間、何で日本と仲よくできるようになったのかといったら、それなりに韓国人が日本に負けないぞという自信を身につけたという部分が大きいと思います。たまたま金大中という親日家が出てきて、大統領になったという話ではありません。もし10年前彼が大統領になって、親日の言論をいったら、向こうに戻ったら暗殺されるのか、首になったのかということになりますので、やはりそれを許すような社会の背景、そういう風潮があるということです。
日中関係をよくするためには、経済の発展段階の収れんも、1つの前提条件なのではないかと思います。

鷲見

ありがとうございました。トランさん。

トラン

関さんの興味深いお話の後は少し苦しい立場ですけれども、このセッションは中国とASEANについてですが、フローの議論は中国一辺倒だったのではないか。どこでも中国の存在は圧倒的というのが今の感想であります。その中でもASEANに対して、幾つかのコメントが出されました。特に山澤先生とか河合先生、ASEANをもっと強くしましょうというご意見は、私にとっても同感であります。ただ、山澤先生はどうすれば協力になるかということですね。ASEANは弱過ぎる。協力してあげても、なかなか強くならないというご意見のようであったのです。確かに97年の通貨危機以降、インドネシアの政治の混乱とか、そういうときからASEANの結束力は少し弱くなっていったことは否めないと思います。
そして、経済的にも、ASEANは補完関係は弱い。AFTAは完全に実現しても、ASEANの活力は、ASEANと韓国、ASEANと日本、ASEANと中国とのASEAN域外との関係の方が有用であるというのは、私のペーパーの記事にあったのです。
ASEANを強めていくためにはどうすればいいか。私は日本として、日本対ASEANという次元。もう1つは対ASEAN各国のバイラテラルの協力は分けて考えるべきだと思うのです。私のきょうの報告は、どちらかといえば後者の方です。日本対タイ、対マレーシア、対ベトナムといったバイラテラルで私が議論しました。今、コメントをいただいて、日本はそういうバイラテラルな協力のほかに、先ほど申し上げましたように、ASEANの結束力が弱くなった。これもしようがないですね。
中国と日本との関係は、関さんの分析に同感ですけれども、中国の対ASEANはまた違う話で、中国の対ASEANの影響は非常に大きいと私は思っているのです。バイラテラルな日本の協力は、報告のとおりで繰り返しはしませんけれども、マルチラテラルはどう考えるかというと、ASEANは、これから政治的にも、経済的にも、中国とバランスをとっていくために、もっと政治的にも強くなった方がいいです。そのためには、今のような状況は少し心配で、日本の協力は何ができるか。例えば、全体としての制度的な能力を高める。今のASEANの事務局は何といっても弱いです。昔ジャカルタにあって、ジャカルタの内紛のいろいろ問題もあった。そのような事務局のスタッフを、例えば日本からの全体としての協力はどのように受け入れるか。事務局の強化、スタッフを充実化する。そういう方面に日本の協力の余地がある。私の基調はバイラテラルの協力にもっと力を入れればいいと思います。
以上であります。

鷲見

ありがとうございました。私からも先ほど幾つか出たポイントで、MITIがこたえるべき話というのがあったのですけれども、特にASEANに対して、日本がこれからアドバイスをして、てこ入れをしていけるのかという山澤さんのお話で、確かにAME-MITIとか、さまざまな形でASEANとのかかわりを10年来もってきたのです。結局、私の最初の話に戻ってしまうのですけれども、ASEANを一体のものにしてつき合っている限り、なかなか有効な支援というのはできないということで、それで私がトランさんにお聞きしたセレクティビティーみたいな概念をどうしても入れざるを得ない。といいますのも、五味さんがおっしゃったように、援助というのはあくまでビタミン剤みたいなもので、本当にいい食事をしてないのに援助だけやってもだめと。やはり貿易投資関係というのがあって、初めて車の両輪がそろうということになりますので、非常に日本との関係が希薄なASEANの国に対しては、援助をするという形をとっても、少なくても民のベースではエフェクティブな感じがしないです。
あとは日本の経験がどこまでレレバントかということなのですけれども、それは先ほど来、随分論争になっていることでもあるのですが、60年代、70年代にうまくいったからといって、それがそのままASEANの国に適用できるというわけではないのは明らかだし、コンテキストが違い、置かれた条件が違う。出発点ももちろん違うということで、できるだけ日本の経験を生かした日本的アプローチというのを使用できるようにいろいろなマルチの会議などでも努めてはいるのですけれども、やはりそこには相当なモディフィケーションというか、伝達には伝達をする上での工夫というのが必要だというのがあるというのが正直なところであります。例えば、日本の中小企業振興の経験を今、タイ、インドネシアに伝授し、これからフィリピンとかベトナムなどでできるかなと考えているのですけれども、なかなか置かれた畑が違うものですから、同じようなものをまいても花が咲くという保証はどこにもない。
もう1つ、河合さんのおっしゃったポバティーリダクションというのはトレンディーワードで、その中でむしろ考えた方がいいのではないかというのは、そういう面もあると思うのです。12月に、支援国会合というのに出て、私の元の同僚が議長をやり、事務局をやって、援助国会合のコーディネーターをやっているのですけれども、そこに出てきているドナーは、みんなポバティーリダクションの話だけです。日本はいかにして経済成長をもっとブーストかけるかという話をする。異星人の対話みたいになって、水と油みたいになっているのです。ベトナム側もよくわかっていてといいますか、意図的なのでしょうけれども、PRSPを彼らなりに変えまして、PRGSPというのをつくっている。Gというのは何だといったら、グロースと。ですから、彼らはポバティーリダクション&グロースサポートプログラムを今、国内的につくって、それを条件にIMFのスタンバイをとろうとしている。ですから、ポバティーリダクションの中に、民間投資をどんどん入れて7%の成長を確保していこうということが違和感があって、なかなか入りにくいというのもまた事実です。日本の山崎大使は、皆さん、ポバティーリダクションのことばかりおっしゃっていますが、グロースのこともお忘れなくということをCG会合でおっしゃって、世銀のアンドリュー・ステアーは目を白黒させて、それもそうですねといって引き取っていました。
そういうアプローチの違いが顕在化するということもあるので、そこのインターフェースをどうとるかというのは、なかなか難しいところであります。日本の中小企業振興政策のご紹介をしたのですけれども、日本はすそ野産業の育成という観点で持ち上げているのですが、世界銀行その他のドナーは、コミュニティーベースの農村の貧困撲滅という形でSME育成の問題を取り上げていて、違う形で一たん後ろで物をみているという面がありますので、どういうフォーカスを当てるかというのは、もっと煮詰めていくと違いが出てくるかもしれません。
少し雑駁なコメントになりましたが、とりあえずこのセッションはこれで終わりにいたしまして、15分の休憩をさせていただいて、3時半から第3セッションをやらせていただきたいと思います。