第13回アジアダイナミズム研究会 議事録

  • 平成13年12月 7日 19:00~21:00

それでは、始めたいと思います。
きょうは、福井県立大学の凌先生にお越しをいただいておりまして、「21世紀アジアと戦略的日中経済協力」ということでお話を伺うことにしております。それでは、よろしくお願いいたします。

この研究会の状況についての資料を送っていただき、ODAの基本原理に関する提言とか、その後の討論状況などについて目を通させていただきました。どちらかというと、このような検討が少し遅過ぎたのではと思いますけれど、大変重要なことを熱心に議論されているようで嬉しく思いました。私は今度の20日にまた中国に行きますが、ぜひ中国の方にもこういう状況をお話し、橋渡し者として発信したいと思っています。日中双方がこういうディスカッションを通して、お互いに理解し合うことが大変重要だと思います。
特にODAについて、貧困問題解決への支援と、どうやってダイナミックな経済をつくるかという2つに分けて考えるというのは興味深く思いました。今までのように相手の要望に応じてただ漠然と支援するのではなく、日本としての目的意識、戦略的目標をもってやるということであり、たいへん的を射ているのではないかと思いました。
それで、皆さんがいろいろ議論されている中で、当然のことながら、日本と東南アジアとのかかわりにもっとも関心が払われているわけですが、もう1つは中国との関係のようです。日中両国間の経済協力は、政治的な不安定要因があることもあって、見通しがはっきりしない面があります。あるいは、どうやったらいいかよくわからないと言えるかも知れません。これは中国側にとってもそうなのです。私は両方と話し合える立場にあるわけですが、国際通貨協力については、日本側からは中国が日本をどうみているかと聞かれ、中国へ行って話すと、今度は日本の中国に対する態度はどうかと聞かれるのです。ですから、日中間の意思の疎通を図って相互理解を深めるということが大変重要かと思います。今日は私にそのチャンスを与えて下さり、大変うれしく思っています。
それから、中長期的には人民元を切り上げる或いはその上昇は避けられないという方向で考えていかなければならないというのが私の見方で、中国にはそういう認識がない或いは希薄なので、論文を書いて中国国内に発信しました。その詳細が内部資料として中国の指導部の方に行きましたし、地方レベルの学術雑誌(浙江財経学院の学術誌「財経論叢」2001年第6期号)には全文が掲載されました。その日本語訳コピーを先ほどスタッフの方にお渡ししました。
それから、『世界経済評論』の来年の1月号に私の論文が発表されますが、そのタイトルは「中国経済の中長期展望と国際通貨戦略」です。この論文の内容は、中国経済の現状、中国が今後15~20年間7%ぐらいの高度経済成長が続くその要因分析、元高傾向になる要因分析とそれによる国際的経済地位の向上、中国の国際通貨戦略のあり方など4つの構成から成っています。これは今、コピーしていますから、間もなく皆さんの手元に配られます。
では「21世紀アジアと戦略的日中経済協力」ということで、レジュメに従ってお話したいと思います。
レジュメは多方面に渡っており、とてもすべてについて詳しく話すことはで来ません。詳しい内容についてはこれから差し上げる論文の中に大体書いてありますから、それをみていただくとして、ポイントだけをお話し、なるべくディスカッションに時間を割きたいと思います。私は中国の世界経済学会の理事もやっておりますので、中国ではどのような議論がされているかといった質問でもあれば、それにもお答えしたいと思います。
まず、第一の問題『中国経済の中長期展望』について話します。第一点はこんごも7-8%の高度成長が続くだろうということです。
今後15~20年間は7~8%、ことによると6%台かも知れませんが、高度成長が続くと思います。よくエネルギー問題とか環境問題とかがネックになると言われますが、結局、科学技術の発展と市場原理+世界協調ということで解決されるでしょう。ブラウンさんの「だれが中国を養うか」という著作は、環境学者として警告を発したという点では評価できますが、経済学的には暴論に近いと思います。私はそれを批判する文章「中国の食糧問題とその展望」を書いて、私の大学の学術誌「福井県立大学経済経営研究」1996年10月号に載せました。その中で、条件の悪い中国が100%の自給率(95年の自給率は96%,現在は100%前後)を維持する必要はなく、今後20年間に80%にまで低下しても食糧安全保障上何ら問題ないと書きました。
では、どうして今後も7-8%の高度成長が続くのでしょうか。中国はもう20年間の高度成長を遂げたのに、どうしてまだ続くかというと、それは結局、先進国との格差がまだ大きいからです。日本は高度成長が大体18年間続きました。この高度成長というのは後進国が先進国に追いつく段階に現れる現象で、その格差が大きければ、当然、それだけ長くなるわけです。というのは、12%、14%という二桁の成長率は国民経済のアンバランスをもたらし、必ずひずみが出ますから、バランスがとれた高度成長は大体7~8%なのです。これは各国の歴史的経験が立証しています。
それで、日本は格差が余り大きくなかったので、18年間で終わりました。アジアNIESはおくれて参加したので格差が大きい。ですから、30年間ぐらい続きました。そして、中国やASEANなどはもっとおくれて追い上げに参加しましたから、40年くらい続く可能性があるわけです。いわゆる後発性利益の享受がまだ続くということです。多分あと20年もすると、中国の追い上げもかなりのところにまで達しますから、中成長に陥り、更に数十年経つと、日本のように2%ぐらいの低成長になると思います。
では、先進国との格差があれば必ず高度成長になるかというと、必ずしもそうではありません。それには一定の条件が備わなければなりません。いろいろな条件があると思いますが、私は基本的には次の3条件だと思います。
一つは、効率的な仕組み、経済メカニズムができているかどうかです。二つ目は、良質な労働力があるかどうか、教育レベルが高いかどうか、技術吸収力があるかどうかということです。三つ目は国際協調、とりわけ先進国との協調関係が保たれるかどうかです。というのは、先進国からノウハウを受けたり、技術や資金の提供を受け手はじめて後発性利益を享受できるのですから、先進国とのよい関係が前提条件となります。つまり、この三つの条件を備えると、キャッチアップ段階の高度成長を実現できるのです。今、発展途上国が高度成長を実現しようとしても、この3つの条件のうちの1つでも欠けると、大体不可能です。
中国はなぜこの20年間、わりあい高い成長を遂げることができたかというと、日本やアジアNIESに次いで、この3条件を備えることができたからです。
ここで次に第二点の「高度成長の要因分析」に入りたいと思います。今述べました三つの条件の分析です。
第一の要因についてですが、過去の20年間、中国は経済改革によって効率的な経済メカニズムを徐々に形成していきました。その形成の過程で第1の条件を一応満たしたといえます。これは現在のロシアと違って、ショック療法ではなく、漸進的方法をとったことが成功につながりました。そのメカニズムの本質は政府主導型市場経済で、戦後日本の経験を基本的に取り入れたものでした。ただし、世界経済情勢が違うため、中国のとった方針は、戦後日本の経験+シンガポールの経験だったと言えます。
第二の要因である人間の素質についてですが、もともと中国は教育レベルが大変低かったのですが、中国共産党になってから、1950年代に教育が重視されました。しかし、60年代後半の文化大革命でたいへん大きな悪影響を受けました。改革開放後は再度重視されるようになり、第二の条件を一応満たしました。しかし、中国全体の教育レベルは、日本やアジアNIESの高度成長期よりもずっと低いのです。その上、教育投資が国際的にも低水準で、社会的雰囲気も,本当に教育を重視するようになったとは言えませんでした。従って、私が一番心配したのは、中国は高度成長を遂げているけれども、教育を重視していない、教育レベルが低いということで、そのうちに息切れするのではないかということでした。5年ぐらい前までは、それをずっと心配していたのですが、最近の教育重視――これは口先だけではなく本当に重視するようになったーーによって、私の懸念は一応解消できるのではないかと思うようになりました。
第三の要因は、アメリカや日本との関係改善です。1970年代初頭に、ニクソン外交の新展開によって、中米関係は改善の方向に向かいました。もともとこの時点で、つまり毛沢東の時代において、既にこの条件が備わるようになりました。ところが、第1と第2の条件がなかったため、このプラス要因が生かされることはありませんでした。それが鄧小平さんの時代になってからは、改革の推進によって第1の条件が備わり、第2の条件も生きてきた。それに加えて、対外開放政策をとったため、米中関係と日中関係はより一層の改善をみるようになりました。80年代は、米日欧先進国とソ連とが対決していたということもあって、アメリカも日本も改革開放政策を大歓迎し、うまくいったのです。そして、90年代に入ってソ連が崩壊してからは、「中国脅威論」が喧伝され、ギクシャクするようになりましたが、全般的にいうと、日中関係も米中関係も一応良好な関係が維持されてきました。
この三つの高度成長要因は、今後の20年間においても、基本的には維持されると私は思っています。ここで最近の動きと結びつけながら、要因分析をしたいと思います。
第一に要因についてですが、中国の改革開放政策は引き続き促進されます。しかも国際ルールに合わせた「国際化改革」で、正に「新しい段階に入った」改革開放になります。80年代、90年代の改革開放とは性格がちょっと違うということを強調したいのです。なぜかといいますと、今までの改革開放というのは、計画経済から市場経済への転換、閉鎖的な経済から開放的な経済へ転換であって、移行期経済の性格を帯びていました。ところが、これからの中国の改革というのは、国際化改革、つまりWTO加盟を契機として、現在の国際ルールに合わせた改革をやっていくのです。言葉を変えて言えば、今までの改革は一国の範囲内で、国際的なルールに合わせるという努力はなされたけれども、あくまでも中国の国民経済という範囲内、枠組みの中で行われました。しかし、これからは、グローバリゼーションに合わせた改革をやるわけです。
WTO加盟後のこの改革によって中国は大きなダメージを受けるのではないかと中国で心配する人もいますが、私もやはりその心配を持っています。ですから、慎重にいろいろ対応策をとらねばなりませんが、最近、NHKや新聞などで報道されているように、競争のメカニズムがより効果的に働いて、競争力が強化される方向にいく可能性の方が強いと見ています。つまり,どちらかと言うと、楽観的な見方をしております。
ここで強調したいことは、中国がなぜあれだけ譲歩をしてまでWTO加盟にこだわったかです。その理由は、次の二点にあったと思っています。一つは改革の促進です。朱鎔基さんは国内の抵抗勢力を抑えるために、かなりの辣腕振りを示しました。もう一つは、WTO新ラウンドでの国際経済秩序づくりに参加するためです。もしメンバーでなければ、中国以外の国、とりわけ先進国主導でつくられたものに従わされることになります。加入することによって、中国自身の主張、あるいは発展途上国の主張というものを提起できます。中国のWTO加盟については、この二点の戦略的な意義を忘れてはならないと思います。
第二の要因については、「民主社会主義化による人的資源の効率的活用」が期待できます。計画経済期においては、中国の人たちの積極性が十分発揮できませんでした。それが鄧小平さんの改革開放政策によって、それぞれの積極性を出せるようになりました。農村における生産責任請負制はその典型例です。しかし、政治改革が遅れをとったために、人的資源が十分に発揮されたとはいえない状況にありました。これからの中国においては、民主社会主義政治の進展により、人的資源を効率よく活用する政策がとられていきます。これについて、三つほどの例を紹介したいと思います。
一つは、私営企業家の社会的地位の向上です。私営企業家の社会的地位向上は、中国の人たちの起業家精神をますます促す役割を果たします。中国では1988年まで、私営企業主には搾取があるということで禁止されていました。それがこの年に憲法が改正されたあと、私営企業関連の法律もつくられ、私営企業が合法化されました。90年代には、この私営企業が中国経済の発展に貢献するようになりました。しかし、彼らの社会的地位はまだ低かったのです。旧い観念から脱却できず、法律的に差別扱いをされていたのです。それが、来年の第16回党大会で党の規約が改正され、彼らも入党できるようになり、私営企業家の社会的地位が向上します。
つまり、日本で昔、階級政党と位置づけられていた社会党が、国民政党に脱皮しなくてはならないとよく言われましたが、中国共産党が階級政党から全人民の党に転換するのです。来年の第16回党大会でこのように決まりますと、当然、私営企業家たちの社会的地位が向上します。そうしますと、起業家精神のある人たちが企業興しに熱心になり、より活発に動くようになりますから、人的資源の積極的活用につながります。
二つ目として、今、中国で戸籍改革が行われていて、農村労働力の効率的活用が期待できます。今まで中国では、人間の移動の自由がなかったのです。これは私が帰国した1953年から始まりました。この年から食糧切符による配給制がとられるようになり、農村から都市に入ることは殆どできなくなりました。農村の人たちには、本当に気の毒なことでした。それが改革開放後、少しずつ緩んできたのですけれども、基本的には農村人口という戸籍を、国家から食糧の配給を受ける都市人口戸籍に変えることはたいへん困難でした。農村の人たちは、戸籍制度に縛られ、移動の自由がありませんでした。日本では徳川幕府時代に移動の自由がなかったのですが、そういう状況だったんです。それが徐々に緩和されてきたわけですが、今、完全撤廃に向けて改革されることになりました。
この戸籍制度の改革によって、これから農村労働力の移動の自由が進み、その積極性が発揮されるようになります。大都市へ入ることはまだ制約されていますけれども、一般の小都市への移住は自由になりました。今、農村の都市化も進められていて、それに伴い、農村労働力の秩序ある移動が展開され、その経済的効果が出てきます。
3つ目は、中国の人事制度の改革です。これは過去20年間も行われてきましたが、それが今や日本を上回るぐらいの大改革が行われており、その効果が出てくると思われます。企業での採用人事、公務員の採用人事などは、90年代に試験制度を導入し、競争の原理が働くようになりました。最近,それを更に発展させ、昇格人事についても公開抜てき制度を行うようになりました。日本はどちらかというと年功序列型が基本となっていますが、今の中国では試験による競争をやり、それの最優秀者がそのポストを得るというものです。私の教え子も課長クラスから局長クラスになりましたが、それは公募に応じ、七人の競争の中で得たものです。
そのやり方は、先ず人事部門から、公募役職とその条件が示されます。その条件には、学歴、役職経験、業績などがあります。そして、応募者は先ず筆記試験を受け、選ばれた者が面接試験を受けます。応募者名、筆記試験合格者、面接試験合格者は全部公開され、一般大衆の監督を受けれるようになっています。私の教え子の場合、その局長レベルポストを得る試験に前後三ヶ月が費やされました。こういう制度が行われるようになって、今、中国では幹部の若返りが急速に進んでいます。教育レベルがあり、人間的にも立派な人が選ばれるようになったのです。今の日本ではちょっと考えられないようなことではないでしょうか。
中国ではこういう改革がどんどん進められていますから、一時、高級幹部の子弟抜擢による「太子党」が大きな話題になりましたが、人事制度改革によって、そういうことはほとんど言われなくなりました。このようにコネ人事が効かなくなったことは、幹部クラスの活性化につながり、人的資源の効率的活用が進められることになります。
次に第三の要因としては「国際協調主導型市場経済志向」と書きましたが、これによって今までの対外開放政策がより高度なものになるとみています。例えば、最近のAPECの会議やASEAN10+中日韓3の会議などにも、中国は大変積極的に対応するようになっております。
現在、中国はまだ共産党一党独裁体制と言われておりますが、中国へ行くと分かりますけれど、昔の毛沢東時代と比べるとかなり民主化されてきました。かなり自由なディスカッションができますし、文章に書くことはできなくても、指導者の悪口を言い合っても追求されるようなことはありません。今後も政治面での民主化が進むことは間違いなく、国際社会の中国に対する見方は変わっていくでしょう。
それから、中国の外交姿勢は国際協調主導型市場経済志向が基本になっていますから、中国はアメリカと幾ら矛盾があっても、最善を尽くして対決を回避するでしょう。アメリカも改革開放政策をとる中国と対決するようなことはないでしょう。対決してもいいことはありませんから。中国もその辺は心得ていますから、アメリカと幾らやり合っても決して決裂するようなことはしません。今回、ブッシュさんが大統領になって、米中関係が一時緊張に向かいましたが、中国の研究者の大体の予測は、せいぜい1年、あるいは1年余りだと見ていました。実際には約半年で改善の方向に向かいました。中国が国際協調路線をとる限り、アメリカはそのうちに変わるとみていたのです。これからも、ブッシュ政権が時には、中国に対して厳しい姿勢をとることもあるでしょうが、全体的には協調型でいくでしょう。
ですから、中国はこれからも、経済改革による効率的仕組み、政治改革による人的資源の活用、そして協調路線による良好な国際関係、この3つに条件が維持されるでしょう。今までの20年間と今後の20年間では、少し内容は変わりますけれども、基本的にはそれが維持されるということです。そして、あと20年間は、7-8%ぐらいの高度成長が続くと思われます。
その後は、経済成長率が落ちます。中国の老齢化現象も大変進みますから、あと20年経ちますと、中国の成長率は必ず落ちます。今、日本の潜在成長率は2%ぐらいといわれていますが、中国の成長率はあと20年たつと4-5%ぐらいの中速度に落ちます。
では次に第三点の「人民元レート上昇と国際的経済地位の向上」に移ります。今日、皆さんにお配りした資料の人民元の上昇傾向というのは9月に書いたものですが、現在では既に人民元の上げ圧力はどんどん高まっています。それに対し、今、中国当局は何とかして人民元が上がるのを抑えようとしています。私は、それを抑えるのではなく、うまく誘導していくべきだと思っています。今の人民元は余りにも安過ぎ、購買力平価の4分の1と言われています。
こういう安い人民元レートは、今まで、中国の改革を推進する上でプラス要因だったのです。改革開放政策をやる前、つまり、1980年ごろは、1ドルが 1.6元でした。今はそれは8.27元です。ドルに対して人民元は5分の1に下がったんです。そして、円に対してはどうかというと、94年時点では10分の1に下がったのです。ですから、80年代と90年代前半の輸出増加は、主として為替レート切り下げによるものでした。それから、80年代においては対中投資がそんなに増えませんでしたけれども、90年代に入ってどっと増えました。その原因は、もちろん中国の投資環境が改善されたという面もありますが、もう1つの重要な要因は、人民元レートがたいへん割安な状態で安定化したからです。
中国の人民元レートは94年1月1日から一本化しました。その前は二重為替レートで、市場レートと公定レートの二本立てだったのですが、それを市場レートに一本化しました。その際、元がかなり切り下げられ、それが約8年間続きました。つまり1ドル8.3元という割安なレートが8年間も続いたのです。その中で、中国の改革開放政策がどんどん進められ、競争力がついてきました。ですから、今、人民元に上げ圧力がかかるのは当然でして、これから人民元は今のような割安の状態から、購買力平価に近づく動きを見せる必然性があると思います。
人民元が上昇しますと、中国の国際的経済地位は向上します。皆さんにお配りした資料の表2をみていただきますと、中国のGDPの世界に占めるウエイトが示されています。中国は1950年のときは 2.4%、1980年は 2.5%です。1980年は改革開放政策が始まってばかりの年で、そのときから一本化された1994年まで、成長率は9%を超して10%近くにまで達しました。ですから、世界の平均伸び率3~4%を倍以上も越す成長率でしたから、当然、このウエイトは上がるはずです。ところが、ウエイトが上がらないばかりか、ずっと下がっています。そして、94年のときには 2.0%です。高度成長を遂げているのになぜ下がったかというと、為替レートがどんどん下がったからなんです。94年以降は、人民元が安定して推移しましたから、成長率に見合ったウエイトの上昇が見られます。98年は 3.4%、現在では多分4%くらいでしょう。
このように人民元レートは低く評価されているため、中国のGDPウエイトも低いわけです。中国経済はまだ日本の4分の1乃至5分の1、一人当たりだと40分の1乃至50分の1とよく言われていますが、それは現行の為替レートから計算されたもので、実質的には、日本のGDPと中国のGDPは、ある人はもう中国の方が超しているとか、同じくらいだと言っています。とは言っても、人口が10倍ですから,一人当たりでは10分の一です。
人民元レートが今までは下がっていたので、成長率が高くても国際的な地位は上がらないばかりか下がっていた。そのため、中国経済の世界における存在感、影響力は余りなかったのです。ところが、これからの20年間は、高度成長と元レート上昇の相乗効果で、GDPウエイトは急速に高まり、その存在感が出てくるでしょう。
では、次に、第二の問題「日本経済の中長期展望」に入ります。
第一点は日本の経済成長率ですが、今はもう1~2%という低成長です。最近の改革によって2%にもっていこうというのが、目標になっています。このように低いのは、日本経済が成熟期に入り、経済成長期を脱したからです。
第二点は「経済大国の地位喪失」です。日本のGDPの世界に占めるウエイトは、今、下がっています。その表2でおわかりのように、日本は1994年のときが一番高くて、18.2%を占めておりました。バブルが崩壊し始めましたが、まだバブル効果が残っていたし、円レートが高かったからです。しかし、その後はだんだん落ちてきております。それは成長率低下と円が少し下がったからです。そして、98年には13.4%にまでダウンしました。先ほど述べましたように、中国は逆にこれから高度成長と元上昇の相乗効果によってだんだん上がってきます。ですから、私の予測では、あと15年か20年ぐらいすると、中国と日本はGDPの世界に占めるウエイトが何れも9~10%になるのではないかとみています。そして、日本の経済大国としての今のような地位はなくなると思います。しかし『金融大国」としての地位は、かなり長い間維持されていきます。
そこで第三点としては「金融大国としての地位維持」と書きました。フローであるGDPの地位が下がっても、ストック面での金融大国の地位はかなりの期間ずっと保たれます。今もなお貿易収支は巨額な黒字ですし、将来赤字になったとしても、経常収支の黒字は続くでしょう。何よりも先ず、日本の純対外資産は1兆ドルを超えていますし、今後少なくとも30-40年間、金融大国としての地位は揺るがないでしょう。
第四点は「21世紀日本の命運を決める今後10年」です。今後の10年間は、日本はまだ経済力がある、資金力がある、技術力もある、その間に日本は21世紀対外経済戦略を定め、その土台を築かねばなりません。つまり、日本にとって今後の10年というのは、技術面及び資金面での優位性を十分に活用して、21世紀の世界経済における日本のリーダーシップを保っていく条件をつくっていく重要な時期にあると思うわけです。
次に第三の問題「東アジアの中長期展望」に入ります。これはいくつかのシナリオが考えられると思います。
第一点として、「日米中協調体制」の可能性を書きました。アメリカの覇権主義志向――これは完全には覇権主義とはいえないとして、覇権主義志向という言葉を使っておりますが、今回のアフガンの問題についてもそういう傾向がわかります。こういう志向は、ブッシュ政権になって大変強く出ております。それに対してクリントン政権のときは、今ほどではなかったですね。今後、ブッシュ政権がどういう姿勢をとるかまだわかりませんが、今のような単独行動主義的政策をとっていけば、今回のテロ事件でもわかるように、アメリカ及び世界の平和と安定は保たれません。今までの国単位から世界全体の安全保障という次元にまで高めることによって、はじめて世界は安定します。アメリカの覇権による平和維持、つまりパックスアメリカーナというのは、もう時代遅れで、アメリカももっと国際協調的にならざるを得ないと思います。そうすると、東アジアにおいて「日米中協調体制」という可能性もなきにしもあらずということになります。アメリカは覇権主義志向をすぐ放棄することはないでしょうが、それがだんだん弱まっていく可能性はあります。もちろんそれは短期間ではなく、時間をかけてです。民主党と共和党との政権交代もあるでしょう。
第二点としては、もう1つの可能性「日米対中協調体制」です。これからはやはり協調が基本だと思います。しかし、相互牽制と相互協調、つまりお互いに牽制し合うが協調せざるを得ないというのが、21世紀国際政治の特徴だと思います。その場合の牽制ですが、日米が協調して中国に対して牽制する。現在はこういう形が大変強いです。それは日米軍事同盟条約によって中国を牽制しつつ巻き込んでいこうという戦略です。今のところ、こういう形で続いていく可能性がたいへん強いように思われますが、せいぜい10-15年間で変わると思います。本来、経済と政治とは密接な関係がありますから、政治の面でこういう形が続くと、経済協力にも影響を与えていきます。
第三点として、「日中対米協調体制」と書きました。ここ数年来、東アジアでの経済協力が強化されています。そして東アジア経済圏をつくろうという動きがたいへん強くなってきています。ASEAN10プラス日中韓3首脳会議もかなりの進展を見せており、通貨スワップ協定も各国間で結ばれつつあります。アジア通貨圏の構築も盛んに議論されるようになりました。それは世界がヨーロッパとアメリカ、そしてアジアの三大経済圏に収斂していこうとしていることと密接な関係があります。
今まで日本では円経済圏が考えられていましたが、それは非現実的なものとなりました。80年代後半のバブルの時期においては、日本は確かにそれだけの実力や可能性もあったように思えましたが、今やそれは非現実的ということがはっきりしてきました。他方中国は、今高度成長を遂げていますが、先進国との格差はたいへん大きく、今、世紀前半はまだ発展途上国です。単独で欧米に対応することは不可能です。日中両国の戦略的提携が是非とも必要なのです。
要するに、日本と中国が協力して東アジア経済圏をつくっていかないと、北米と南米が一体化しつつある米州、そして更に拡大しようとしているヨーロッパ(EU)に対応できなくなるということです。もし東アジア経済圏形成という方向でお互いに協力し合っていくことができるならば、アメリカの一極支配傾向を牽制することができるでしょうし、50年後、あるいは70年後には、アジア連邦が形成されていくでしょう。
しかし、今、日本の世論は分かれています。中国の世論も分かれています。それでASEANがリ-ダーシップを発揮し、ASEAN10+3首脳会議を始動させてきました。この東アジアを統合していこうとする動きは、今後、ますます活発化していくことでしょう。
第四点として、もう1つの可能性は「米中対日協調体制」です。ジャパン・パッシングということがクリントンのときに盛んにいわれましたが、日本が余りにもアメリカ追随の外交を続けますと、中国ばかりでなく、東南アジア諸国からも見放されます。そして日本の存在感が薄くなっていく可能性があります。中国の経済力が総体において強くなっていくと、当然のことながら、アメリカは中国をより重要視し、中国もまたアメリカをより重視し、日本や東南アジアに耳を傾けなくなる可能性があります。これは東アジア全体のまとまりを悪くしますし、中国にとっても好ましくないシナリオです。しかし、日本を素通りする可能性もなきにしもあらずです。
以上、四つのシナリオが考えられるわけですが、「日米中協調体制」は、将来においてはともかくとして、今のところは非現実的です。現在、アメリカは一人勝ちの状態にあるからです。当面は、「日米対中協調体制」、つまり、日米が連合して中国を牽制しながら協調体制を保っていくでしょう。当今の基本的構造は正にこういう形にあります。しかし、中国はこれに大きな不満を感じており、中長期的には崩れていくでしょう。そのいくつくところは「米中対日協調体制」です。これは日本が何としても避けなくてはならないシナリオです。
そこで日中両国としては、「日中対米協調体制」を通じて、「日米中協調体制」に結びつけていくことです。ASEAN+3が動き出したということは、日本、中国,ASEANが共通認識に達したということを意味し、たいへん希望を持てるようになったとみています。ただ、問題は、それがどういうテンポで進むのか、どのような方法を採るのか、政治的な問題、とりわけ安全保障問題をどう位置づけるかが、これからの問題だと思います。
ここで第二の問題で述べた「21世紀日本の命運を決める今後10年」と重なるわけですが、日本がまだ力のあるうちにいい選択をしないと、素通りになる可能性が多分にあることを強調したいと思います。一部の新聞では、すでに盛んにこのようなことが報道されていますが、これはアメリカと中国の両方で日本軽視の可能性が起こりうるからです。5年ぐらい前でしたか、日本の外務省中国課で話した際、今、中国では日本の存在感がまだ大変大きいけれども、あと10年、15年すると、日本の存在感は小さくなる可能性がありますよ、と私はいったのです。これがちょっとショックだったのか、「それは中国当局の見方ですか」と質問されまして、「いえ、これは私の個人的な見解です」と答えました。その時点では、日本経済が90年代後半においても停滞するとは考えておりませんでした。今から振り返ってみると、少し早くやってくるように思えます。
この第三のシナリオは、日本や中国ばかりでなく、東南アジア諸国にとっても切実な要求となっています。日本経済新聞が毎年、著名人を集めて「アジアの未来」をテーマに国際シンポジウムをやっていますが、今年行われたシンポジウムの内容が、この9月に『アジア地域統合への模索』という本になって出ました。これなどには東アジアが1つにならなくてはならないという声が大変強く出ています。アメリカの一極支配、覇権主義の傾向に対して牽制しながら、徐々に形成していこうというものです。アメリカ国内でも意見が分かれていまして、東アジア諸国がまとまって主張すれば、アメリカも結局それを認めざるを得なくなるのです。EUの形成と同じようにです。
以上のように、私は基本的にいって、この第3のシナリオはかなりの必然性があって、今後10-20年内に、この方向に行くのではないかとみているわけですが、そのためには、日中間の協調体制、協力体制が不可欠です。ここで第四の問題「日中経済協力の在り方」に入ります。
レジュメに第一点として、「日中相互の客観的な評価」と書きました。これはどういうことかというと、今、中国は日本を過大評価している面があります。また、日本も中国を過大評価している面があります。何れも客観的ではないということです。
中国はかつて軍事大国日本の侵略を受け、ひどい目に遭いました。そのために、日本という国がすごく大きく見えるようになったのです。戦争が終わって、日本に対する恐ろしさもなくなり、「日本が負けた」「中国は勝った、勝った」と喜んだわけですが、そのうちに日本が世界第二の経済大国となりました。中国が改革開放政策をやるようになってから、日本の経済大国としての存在感をますます強く感じるようになりました。日本という国は中国の人口の10分の1だけれども、その膨張力はすごくでっかくて、普通の国ではないと、またまた過大評価するようになりました。ですから、日本に対して、戦争認識問題などいろいろな面で過度の反応が出てきて、再び侵略を受けるのではと懸念するのです。
実際には、日本の円レートは高く評価されている面があるし、逆に中国の元レートは大変安く評価されているために、中国経済は日本経済に対して、大変低く評価されています。そのために自国を見下げ、日本を高く評価することになる面もあります。
他方で、日本を過少評価する面もあります。例えば、最近、日本経済が10年の停滞を見たということで、今度は過小評価につながるんです。これもまた間違いなんです。日本という国は、GDPにおいて世界第二位、中国の4倍などという時代はもう来ないでしょうが、先程述べたごとく、1人当たりで中国が日本に追いつくのはまだ100年先です。幾らうまくいっても70年先です。人間の質からいって、あるいは各方面での優劣を考えた場合、中国はまだまだ日本に学ばなくてはならないし、その支援を必要とします。日本の10倍の人口をどうやって日本のレベルにまで持っていくか、これは並大抵なことではありません。
日本においても、中国と同じように過大評価と過小評価の両面があります。今まではどちらかというと、過小評価が多かったが、ここ数年は過大評価が勢いを増しているように思います。つまり、高度成長を続ける中国がすごく大きくみえるのです。中国のGDPがそのうちに日本を追い越すと騒いでいますが、これは当然のことなんです。しかし、1人当たりからいうと中国はまだまだ低いということを忘れてはなりません。ですから、日中両国がお互いに相手を客観的に評価し、それを踏まえて協力関係を模索する姿勢が大変必要だと思います。
次に、第二点としては、「中国の大国としての責任感」です。中国当局は、大国としての責任を口にしますし、事実、そのような対応をしています。しかし一般庶民としての感覚は、経済大国などとても遠いことのように映ります。というのは、前に述べたとおり、中国の人民元レートが余りにも割安であるため、1人当たりの賃金は日本の30分の1、20分の1ということで、日本へのコンプレックスを強く感じています。これを緩和するには、人民元のレートを徐々に上げていくことだと思います。中国の生活の実態をみて、中国の生活が日本の30分の1、20分の1とみる人はまずいないでしょう。中国はやはり総体からいうともう経済大国ですし、これからますますその存在感が大きくなります。中国の国民一人一人がこれを自覚し、「政府に協力していく」ことが望まれるし、またそのような環境を整備していく努力が必要です。
第三点として「日本の戦略的ビジョン確立」と書きました。今、皆さんの研究会でいろいろ戦略的なビジョンについて議論されていることは、大変結構なことだと思います。私も、今までの日本は戦略的ビジョンに欠けていたように思います。日本は今まで、円高の中で過大評価されてきましたが、そうした中でいい気になっていたように感じます。最近少し危機感を持つようになったことは、日本の将来にとって有意義なことだと思っています。
もちろん、70、80年代に続いた円高は、日本の今までの努力が実った結果であります。しかし、中長期的にみる場合、過大評価になっている分は差し引いて考える必要があります。昔は円は過小評価されていました。特に1971年のニクソンショック以前は、円は1ドル 360円の固定レートで過小評価されていました。それ以降、だんだん円高になっていったわけですが、今度は過大評価になっていきました。今、人民元は上昇圧力下にありますが、これから中国と日本あるいは東南アジア諸国とのバランスのとれた経済発展を図るためには、中国の元は少しずつ上がっていかなければなりません。日本の21世紀ビジョンを考える場合、この要因を是非とも考える必要があるのではないかと思います。
そうしますと、日本と中国との戦略的経済提携は、その必然性があると思うわけです。それに対して、中国がどう対応しているかという問題がありますが、現時点においては、間違いなく前向きの姿勢を示してくると思います。(2002年1月21日時点での補足:小泉首相のシンガポール宣言は、日本の戦略ビジョン提示の第一歩として、高く評価できます。中国とアメリカの両方から肯定的評価を得たことは、実に好ましい結果だったと言えます) 第四点として「ASEAN、韓国を前面に」を挙げました。日本はアジアのリーダーになろうとする傾向がありますが、これでは必ず各国の反発にあって失敗します。中国の大衆にもこのような要望が強く、為政者は大国主義に陥りやすい。東アジアにおいて経済協力体をつくるには、各国がリーダーになることを求めてはなりません。但し、お互いにリーダーシップを発揮するよう競い合うことは、歓迎すべきことだとと思います。というのは、リーダーシップというのは決して他国の上に立つというのではなく、知恵と資力を出して貢献するということであるからです。
ここで注意すべきことは、中国とか日本など大国がリーダーシップを発揮するとなると、現実の国際環境の下では、往々にしてリーダーになろうとしていると見られやすい。従って、小中国の連合であるASEANや韓国が前面に出る方がよいと考えています。とりわけASEANというのは幾つかの国で形成されていますから、実質的には、インテリがリーダーシップをとっていて、それぞれの国の政治家はそれに従っていると言えます。それぞれの国には、当然、ナショナリズムが存在しますが、ASEANはナショナリズムとグローバリズムあるいはインターナショナルリズムとの格闘の中で絶えず進んできました。この点で、日本や中国の持たない貴重な経験を身につけています。
中国や日本というのは大国でありますし、歴史的要因もあって、お互いに相手からナショナリズムに走っているとみられやすい面があります。また、アメリカも含めて周辺諸国からも警戒されやすい。ですから、東アジア経済協力ではASEANとか韓国が前面に出て、中国と日本という2つの大国は、共にそれを両脇から支えていくようにすると、アメリカも説得しやすくて、うまくいくと思います。(後日の補足:小泉首相のシンガポール宣言は、アメリカと中国を配慮しつつ、ASEAN諸国を前面に立てたという点で、高く評価できる)
これで一応レジュメに沿った話を終えましたが、最後に幾つかのエピソードを話したいと思います。
一つはアジア通貨基金についてです。私は1998年8月に中国の世界経済学会の理事として年次大会に出ました。そのときに日本の提起した「アジア通貨基金」の問題について発言しました。私は、日本がアジア通貨基金をつくるのは、東南アジア諸国にとっても中国にとってもプラスであって、賛成すべきであったと言ったのです。つまり、アメリカの反対に同調すべきではなかったということです。
ここでちょっと当時の状況について省みたいと思います。もし間違っているところがありましたら指摘していただきたいと思います。
タイのバーツ危機が起きたとき、日本はアメリカに次のように知らせ、事前了解をとったようです。今回は東アジアで起きた問題だし、日本と密接な関係があるので、日本の方でこれへの対策を打ちましょう。かつて、メキシコや南米で通貨危機が起きたときには、アメリカが迅速に手を打ち早期に解決したが、今回は日本でやりましょう、と。それに対しアメリカは、当初は同意したそうです。ところが、日本が 1,000億ドルのアジア通貨基金という数字を出しますと、それはIMFをないがしろにするものとしてアメリカは反対するようになりました。そして、その時ちょうど香港でIMF年次会議が開かれることになっておりまして、それに出席したアメリカの財務長官が、会議終了後、直ちに中国に飛んでいき、中国も反対するように働きかけたようです。そのときの「密約」はどういうことだったのか、今でもそれは公にされていませんが、明らかに中国はアメリカに同調しました。
なぜ同調したかというと、当時、中国にとっては米中関係が一番重要だったのです。米中関係は天安門事件後ずっと問題となっていて、江沢民がアメリカを公式訪問して、それに決着をつけようとしていた時であったのです。またその後は、クリントンが中国を訪問して、米中関係をさらに好転させていくというシナリオになっていました。それから、日本は当時、中国の国際金融力を全然評価しておらず、事前の根回しは全くやらなかったのではないかと思います。そのため、1,000億ドルのアジア通貨基金構想に中国も反対するようになりました。アメリカはこの点では実に戦略的です。この年のAPEC会議はカナダで開かれましたが、中国の銭其シン副総理が、日本という国名は挙げませんでしたが、IMF以外に別の何とか基金をつくる必要はないと言明しました。これは明らかに、日本のアジア通貨基金構想を指しています。
以上は97年7月から年末にかけてのことですが、98年8月、私が中国に帰ったとき、中国世界経済学会年次大会で、この構想が挫折したプロセスを述べた上で、「国際通貨戦略の視点から見た場合、中国のこのような対応は間違っていた、但し、戦術的には、当時、米中関係が重要であったから、それなりに理解はできる。しかし、中国の1つの戦略として、今後もこのように対応していくのだったら間違っている。中国の戦略としては、資金大国日本に東アジアでより一層その役割を発揮させることが、東アジアにとっても中国にとってもプラスである。将来、中国に力がついてくれば、当然、中国の役割も発揮するようになってくる」と述べたのです。
この私の発言に同調してくれる人がかなりいました。中国人民銀行から来た、博士学位をとったばかりの若い研究者が、、凌先生のいうことに全く賛成です。しかし、今まで米中関係を配慮して、発表どころか研究さえもできませんでした。最近、やっと研究はできるようになりました」と言っていました。当局はそのくらい、米中関係に神経質になっていたのです。
日本に帰ってから、私は一つの論文を書き、日本経済新聞の経済教室欄(98年11月24日)に「通貨圏へアジアを主導」(編集者がつけた題名)を発表し、アジア通貨圏形成に向けての日中経済協力を訴えました。そしてこの論文の中国語訳を、中国の学術雑誌「国外社会科学情況」(98年第6期号)に発表しました。
その後、中国の東アジアにおける通貨協力への対応は大きく変化してきました。宮沢構想が出たときには、中国もアメリカも反対しませんでした。今、中国では、もしあの 1,000億ドルのアジア通貨基金ができていたら、あのアジア通貨危機は韓国やロシアなどにまで波及することはなかったであろうというのが、共通認識となっているように思います。ここ数年、中国はアジア通貨協力に大変積極的になり、日本の人たちもちょっとびっくりしていますが、それには今のような背景があったのです。
二つ目はアメリカとの関係についてです。私は、アジアの通貨協力を強化すべきだとずっといってきましたが、それを快く思わないアメリカに対しては、対立するのではなく、説得すべきだと主張しています。中国は今までの毛沢東思想の影響で、すぐどこと連携してどこと反対するという発想に陥りやすいのですが、もうそういう時代ではなく、みんなと仲よくしなければいけないと思います。ではアメリカを説得することができるのでしょうか。私はできると思います。というのは、アメリカ国内でも意見が分かれていますから。
あの『文明の衝突』を書いた有名なハンチントン氏が、数年前に「フォーリン・アフェアーズ」に書いた論文で大変いいことをいっています。アメリカは確かに唯一の超大国だが、もしアメリカが一極支配を目指し、自国の意見をほかの大国に押しつけるならば、アメリカの世界におけるリーダーシップは長続きしないだろう。多極の世界にあって、アメリカはコーディネーターのような役割を果たすべきだというのです。大変よい見識を持っている方だと思います。もし東アジア諸国が一致団結して協力するのであれば、アメリカがEUを認めざるを得なくなったように認めると思います。それがアメリカの利益にもつながるのですから。
ところが、中国の対米関係は大きく揺れました。97、98年にはあれほど中米関係に気を遣い、そして「建設的戦略パートナー」が謳われたときは、まるで中米関係は蜜月に入り、日本はもう問題にならないと言うような風潮が出ました。そのとき私は、中米関係はそんなに生やさしいものではなく、相互牽制を忘れてはならないと主張しました。それから少したってコソボ問題がおき、中米関係は一変しました。今度はあたかもアメリカが中国を包囲しようとしているというような錯覚に陥りました。そのとき私はもっと冷静に国際情勢を分析し、理性的対応をするよう二回にわたって意見書を出しました。
最近は、中国の対米関係はきわめて理性的に対応するようになりました。もともと、中国はアメリカのリーダーシップには挑戦をしないといっています。ただし、中国の主権にかかわること――台湾問題が一番大きな問題なのですが、それに関与することは相ならんと言っています。しかし、世界的な問題については、アメリカのリーダーシップを認めているのです。アメリカは覇権主義的なところがあるが、かつての帝国主義とは違うということをよくわきまえています。
三つ目は日中関係についてです。私は中国へ行くとよく日本の対中政策を聞かれます。それに対し、かなりの程度のおいて、中国の対日政策・対応によって決まると話します。そして軍国主義の復活はあり得ないし、日中間の戦略的協力関係の構築は歴史的必然性があるのだと話します。また日本の方からは、中国の対日政策を問われます。それにたいしてもやはり同じようなことを言います。かなりの程度において、日本の中国への対応によって決まる、首相、閣僚の靖国神社参拝など、中国の国民感情を刺激するようなことはやるべきでないと話します。そうしますと、日本の右翼からの脅しの手紙を受けますし、中国のナショナリストからも脅しの手紙がきます。本当にうんざりします。しかし関わらざるを得ないのが私の宿命なのですね。
両国間のこのような国民感情はどうしても当局の外交政策に反映されます。例えば、今回のASEAN10+1(中国)首脳会議で、今後10年間に自由経済貿易圏をつくることが決まり、日本はかなりのショックを受けました。本来から言うと、中国と日本とがいろいろ相談してやるべきだけれど、中国は日本には言わないでやったようです。もっともこれは2000年の会議で提起されたことで、秘密裏で行われたというわけではありませんが。私が言いたいのは、もっと風通しをよくすべきだということです。今回のそれは、日本を刺激してもっと前向きにさせようという思惑があったのかも知れません。そうとすれば、かなり効果があったと言えましょう。
それから、メコン川の流域開発ですが、これは中国の内部の本をみますと、メコン川流域開発で、縦2つと横2つ、合計四本の国際道路建設計画があって、日本主導のアジア開発銀行と日本政府が横の2つを優先させたことに対し、大きな不満を抱いているようでした。中国の雲南省に関わる縦の方を1つ採用すべきであったというのです。この辺の事情については、私はよく分かりませんが、経済面においても日中双方が、お互いに牽制している面が多分にあります。この相互牽制はある程度やむを得ないけれども、21世紀の東アジアは、やはり協調が主流だということをよく認識して望むべきだと思います。
少し長くなりましたが、私の話はこれで終えたいと思います。

ありがとうございました。それでは、質疑に入りたいと思います。

非常におもしろかったのでいろいろあるのですけれど、1つ気になったことは、日本ではこういう議論をするのが遅過ぎたとおっしゃって、私には勉強になりますけれど、まだこのレベルでは政府の政策というものになっていない。まだ始めたばかりですけれど。でも、私は、中国の学生は教えていますけれど、向こうとやったことはないんです。我々はもう少しレベルアップしなければだめですけれど、もし来年あたりにうまくいけば、中国では、オペレーションではなく、アドバイザリーのような、全く離れているのではなく、ある程度インプットしようとしているところと連携するとか、それはどういうところになるでしょうか。

それはまさに私の所属する世界経済政治研究所ですよ。日本には、中国社会科学院のような機関がありません。中国にも昔はなくて、共産党が政権を握るようになってから、ソ連の経験を取り入れたものです。計画経済時代こおいては、中国の大学はただ教育だけに携わり、研究はほとんどしなかったのです。研究は殆どが中国科学院でやっていて、その中に自然科学部と人文社会科学部があったのですが、それが改革開放後は社会科学が独立して中国社会科学院となり、国務院直属です。それから、各省にも省レベルの社会科学院ができました。中央レベルの中国社会科学院及び省レベルの社会科学院は、学問の研究をすると同時に、中央政府及び省政府の諮問機関のような役割も果たしています。中国社会科学院の中には、経済研究所、世界経済政治研究所、アメリカ研究所、日本研究所など、研究所や研究センターが40~50あります。それを国際関係、経済関係、文化・歴史関係など幾つかの分野に分けて、中国社会科学院院部(本部)が統括しています。その人数は、研究者や職員などすべてを含めると約5000名に達します。1980年代においては、改革開放を促進する上で大変大きな役割を果たしました。90年代に入って、有名大学が先進諸国との交流を深め、資金面で潤沢になったため、中国社会科学院の地位は相対的に低下したと言われています。しかし、国の財政力の強化に伴い、その中央政府の諮問機関としての地位と学問的影響力は今後も維持されていくと思われます。

私のイメージでは、中国社会科学院というのはすごく大きい組織で、どこにもあって、その中で、例えばこのグループは通商にすごくインパクトのあるグループだとか、そういうのはあるのですか。

ただいまも申し上げたように、中国社会科学院というのは、中央に対する諮問機関であると同時に、学術的な研究もやり、両方を兼ねているのです。学術的な研究は一番レベルが高いということになっています。大学の先生たちも、中国社会科学院の学術雑誌に論文を発表することを目標としています。もう1つは、政府の諮問機関としての役割で、それは主として内部資料として報告書が出されます。研究テーマについて言いますと、国家レベル、院部レベル、研究所レベル、個人レベルの四段階に分かれていまして、前三者については特別研究チームがつくられ、研究費がつきます。国家レベル研究テーマは、たくさんの研究費がつき、その成果は要約が政府の方に報告され、全文は書物として出版されます。私の所属している世界経済政治研究所は、中国社会科学院の中でも割合大きな研究所で、国際政治研究室、多国籍企業研究室、国際金融研究センターなどがあります。日本関係を研究している者も7、8人おり、こういう人たちは、日本研究所の人たちとも関係を保っております。公開学術雑誌としては「世界経済」「世界の政治と経済」「国際経済評論」英文雑誌「World Economy and China」などがあります。また「世界経済年鑑」を出しています。

私の印象は、中国社会科学院はトゥー・アカデミックなところがあって。むしろ、国民発展研究センターとかの方がもう一段政策に近いですよね。ですから、もしこのレベルの政策議論をかみ合わせたいのだったら、社会科学院よりは、もう少し政府の中にある研究所の方がいいのではないかと思いますけれど。

まさにおっしゃるとおりで、中国社会科学院の方がアカデミックで、国務院発展研究センターはより政策的です。このセンターは改革開放後、学問的研究者と実務部門の研究者を結びつけるために設立されたもので、最初の研究者スタッフは中国社会科学院の経済学者と実務部門の研究者から構成されました。そしてその責任者には、中国社会科学院の院長をしていた馬洪さんが第一代、それから中国社会科学院秘書長をやったことのある孫尚清さんが第二代のセンター主任になりました。しかし今では研究センターの方で若い研究者を集めて強化されましたから、かなり独自性を持つようになりました。80年代ほど密接な関係にはないかも知れません。従って、政策論議をかみ合わせるには、発展センターの方がよいかも知れません。しかし研究スタッフが限られていますし、研究対象は主として国内経済ですから、果たして期待されるような効果を上げることができるかどうか問題です。それから、ももう一つ加えたいことは、それぞれの部門にも研究所があるということです。例えば、国家発展計画委員会、対外経済貿易合作部、財政部、中国人民銀行などそれぞれの部門に研究所があります。それらは国務院発展研究センターよりもより実務的具体的研究が行われています。従いまして、日中間の政策論議をするのであれば、まず政府レベルで話し合いをし、それを踏まえてテーマに沿った研究スタッフを集めるのがよいと思います。通貨問題については、世界経済政治研究所所長の余永定氏は目にかけたらよいと思います。彼は中国でも名の通った国際金融の専門家で、アジア通貨圏構想についてもよい見識を持った人です。中国社会科学院も基本的にお金は国からもらっておりまして、今、李鉄映という政治局員が院長になっており、中央への影響力が以前より増しています。そして彼が院長になってからは、政策的な面が重視されるようになりました。

中国社会科学院と似ているのは、イメージとしては日本ではアジ研だと思いますね。

そうですね。ですから、アジ研との交流は改革開放政策が始まると同時に行われるようになりました。但し、中国社会科学院の分野は広いですから、その国際関係分野の経済関係に限ります。私も80年代はじめに、客員研究員として半年ほどアジ研のお世話になったことがあります。

人民元の問題ですが、購買力平価自身についてのいろいろな批判がございますね。私はこの辺は余り専門ではないですが、物の本を読むと、購買力平価についてはいろいろな批判があって、要するに、相対的な物差しであって、絶対的に購買力平価に基づいて今10倍高いとか5倍高いとかという議論はすべきでないという理論がありますね。
それで、私は香港にいたのですが、私の実感としても、特に90年代前半までの中国の輸出というのは、主に広東省のウエイトが高かったと思いますが、そこでの貿易の形態というのはいわゆる委託加工で、そのころはまだ部品もないですから、現物を出して、加工だけして出していたと。ですから、そこに占める人件費のウエイトというのはものすごく少なかったんですね。5%ぐらいがせいぜいで。
ですから、輸出に占める人民元ポーションというのはすごく小さくて、したがって、ちょっと違和感があったのは、中国の人民元の問題というのは輸出の増加にすごく貢献したというのが、本当かなという感じがまずいたします。特にそのころ中心だった華南地方の貿易の実態からみて、人民元のポーションは少なかったものですから、その輸出増進にどれだけ効果があったのかというのは、もう少し子細にみる必要があるのではないかなという気がいたします。
むしろ、人民元が一本化されて固定化された94年以降に急速に部品の集積が高まって、その部品も一番初めの鋼材は外から来るとしても、部品を加工する場所も中国の中で。ですから、累積すると、最終製品に占める人民元ポーションというのはある程度高まってきたわけですね。ですから、この議論でいえるかもしれないのは、95年を基準として購買力平価を計算した場合に今どの程度割安になっているか、という議論はしたらおもしろいと思いますが、79年あたりをベースにすると、貿易の実態を考えると、やや数字が過大になるのではないかなという気がいたします。
それから、今、日本でも人民元切り上げ論が盛んですが、私が思っているのは、確かに多少割安ですけれど、日本人のイメージというのは、30分の1の人件費によって出てくる競争力格差をこの人民元の切り上げで解消でいいじゃないかと、ちょっと幻想みたいなものがあって、中国の競争力というのは、少なくとも今は、人民元が相対的に安いから支えられているポーションというのはものすごく少ないと思います。
人民元の問題というのは確かにあって、これだけ立派な国になったのにまだ固定レートにしているというのはおかしいから、早くフロート制にしてくださいと。フロート制にしたら、それは切り上がるか切り下がるかはわからないと思います。当面は切り上がるでしょうけれど、WTOで短期金融がふえれば切り下がりますし。ですから、レートを調整すべきという議論ではなくて、あの松島さんの議論は私は間違っていると思っていて、自由化しようという議論でとめるべきだと思います。自由化して、後はマーケットに任せましょうと。もちろん投機筋の防御策は適宜とらなければいけないけれども、基本的にはマーケットに任せるべきであって。ですから、切り下げて、日本と中国の競争力調整をしようという議論は、期待が過大過ぎるし、間違っているのではないかなという気がしています。

まず第一点の購買力平価の意義についてですが、現在あるいは近期の対外経済関係について考える場合は、余り意味がないと思います。しかし長期的展望をする場合は考慮すべき要素だと思います。第二点の輸出に占める人民元のポーションはそれほど多くないと言うことについては同感です。中国で輸出入総額の対GDP比が40%を越している、対外依存度が極めて高いと言われていますが、実際には約半分が加工貿易ですから、国民経済への波及効果はせいぜい半分です。輸出の対GDP比は10%くらいと見るのが適当だと思います。しかし、輸出が中国の経済発展を支える重要な要因であることには、変わりありません。第三点の94年の為替レート一本化によって、部品生産の集積が進み、競争力が付いたという見解にも賛成です。この一本化はもっと早くやるべきでした。私は1980年時点で、日本のドッジラインを紹介し、為替レートの一本化を主張してきました。94年1月1日以前は、各企業は為替レートのさやで稼ごうとし、技術革新や経営革新に力を入れるようなことはありませんでした。また外資企業も為替が不安定であったこと、しかも絶えず切り下げられるという状況下では、投資しようとはしません。94年からはイノベーションと外資進出が本格化してきました。第四点の為替レートの高低を論ずるとしたら、94年を基準とすべきだという意見については、短期的には同意します。それの方がより現実的であることは確かです。しかし15年乃至20年先の中国経済を予測する場合は、世界銀行などが示した購買力平価を念頭に入れる必要があると思います。それから中国の外貨準備は現在2000億ドル近くに達し、日本に次いで第二位にあります。これが人民元の安定と信用に大きく貢献してるわけですが、外貨準備が増えだしたのも94年に為替レートの一本化が実行してからです。それで、この一本化による輸出競争力強化と外貨準備高の増大は、人民元の割安下での安定によるものだと見ています。つまりレートの安定によるイノベーションの進展及び人民元の割安による優位性という二つの要因があったということです。
それから、占めるウエイトが小さいというのは、人件費のことですか。

もう少し詳しくいうと、中国の輸出というのは2種類あって、外資系企業が輸出加工区である輸出と、中国の内資系企業がやる輸出とあって、後者の方はまさに人民元のレートがフルにかかりますが、90年代の前半になると、外資系企業によるポーションが随分ふえましたね。

先ほど申し上げたように、加工貿易が約半分占めています。

その半分は何をしていたかというと、深センあたりで工場だけつくって、決済は全部香港ドルでやって、人民元にかかわるのは人件費だけだったわけです。そういうオペレーションだったわけです。部品を買ったり販売するのは全部香港ドル、つまりUSドルでやって。

人民元を安くすることは、輸出総力の強化にはその部分に関してはほとんどならないと。

外資系企業の輸出に関しては、5%しか影響がなかったのではないかという感じがします。

その辺の詳しい内容は知りませんが、今、中国の輸出取引の50%ぐらいが外資の輸出なんです。ですから、よく中国のGDPに占めるウエイトが、輸出が20%ぐらい、輸入と両方で40%と対外依存度が高いといわれていますが、私は輸出入併せて20%、輸出だけだと10%と見ています。後の10%は加工賃金、製品の5%占めるだけだと今言われましたが、それには影響しますが、生産面での波及効果は極めて小さい。それから人民元が大幅に割安であるとすると、貿易額のGDPに占めるウエイトが相対的に高く評価されるという面もあるのではないでしょうか。いずれにしても中国経済の対外依存度は、普通言われているほどは高くないと思います。かつて、日本は高度成長の時代に輸出の対GDP比は10%余りでしたが、それは完全に日本での付加価値生産でしたから、波及効果が大変大きかったのですが、現在の中国の場合はかなり違います。我々の大学の中に研究会がありまして、本多健吉教授が、世界的不況及びアメリカの同時多発テロの影響で、東アジア諸国が大きな影響を受け、97年のアジア通貨危機の際は健闘したシンガポールや台湾も大きな影響を受けているのに対し、中国のみはやはり7%台の高成長を遂げているのはなぜかという問題提起を行いました。それに対して、私は一つにはIT不況の中で、中国の輸出品の中にはIT製品の占めるウエイトが小さいということがあるが、より重要な要因としては、輸出依存度がこれらの国、地域ほど高くないからだと答えました。

それはそうでしょうね。

それから、最後の為替レートをフロート制にすべき、つまり自由化すべしという意見についてですが、私は、どちらかというと、自由化は避けるべきだと思っています。経済手段によってコントロールされたフロート制、あるいは管理されたフロート制を行った方がよいと思います。政府の方針もだいたいこの方向にあります。今のように 0.3%といったほとんど固定レートに近いフロート制はやはり改めなければいけないとおもます。この幅を 0.5%、1%というように徐々に広げて、市場の実勢に合わせて基準レートを少しずつ上げていくのがよいと思います。もちろん経済状況によっては下がることもあるでしょう。こうして市場原理に沿ったフロート制に移行していくことができます。しかし、そうかといって、今の日本のような完全なフロート制、政府も介入するでしょうが、それは大変限られているというような状況は避けるべきだと思います。日本の為替レートの変動は余りにも激しく、経済構造調整ににマイナスだったと見ていますがどうでしょうか。

国の発展段階によるのでしょうね。途上国である間は余りのボラテリティは避けた方がいいというのはあるでしょうけれど、最後のところに書いてある準機軸通貨とか、そういう世界になってくると、これはもうフロート制にするしかないのではないでしょうか。

この問題について私はこう考えるのですが、間違っているでしょうか。準国際機軸通貨となる場合に、必ず完全フロート制にしなくてはならないというのはおかしいと思います。今、国際金融市場で投機筋がすごい力を持っています。それはアジア通貨危機のさい、十二分に見せつけられました。国際投機筋に任せてはじめて準機軸通貨になれるのか、それともそれを防ぐ仕組みを作り、通貨の安定を図れる方が準基軸通貨としてふさわしいかという問題です。今、東アジアで短期資本の投機的流れへの監視を強化する仕組みをお互いにつくろうとしていますが、それに沿った一定の枠組みの中でのフロート制を構築した方がよいのではないでしょうか。

中国については私は全然いう資格はないのですが、根本的には、為替については凌先生がおっしゃることに大体賛成なんです。ただ、2050年にどうなるかというのはわかりませんけれど、ずっと固定していて、アジア危機を乗り切って、最初は下げるといって、今度は上昇圧力でその思惑を生むといった体制から出て、そのエクジットするときにすごいアタックが来てバンと離れるといったアジア危機型にならないためには、今、チョロチョロと動いても別にニュースにはならないし、政治家の首が飛ぶとかということにならないようなことで。
私が思うのは、中国はほかのASEANの国と韓国・台湾と同じことをやればいいと思うのです。ASEANのほかにもいろいろなパターンがありますけれど、長期的には、例えば5年とか10年たったときにずっと動いているというのは、グラフをかけばわかると。けれど、日に激しく動くというのは不必要ですから、ショートタイムをフィルターして、長期的にこっちがいいと思ったら市場を離して、おかしいと思ったらちょっと介入してと、そういうことは十分できるので、それでいいと思うのですが。

私のいう市場の実勢に合わせて元を上昇の方向に誘導するというのは、そういう意味です。これはどうも投機的要素が強いなと見たら関与して抑え込み、これは実勢に合っているなと思ったら容認し、誘導していくのです。そこの判断のテクニックが重要になってきますが、そういう人材が徐々に育ってきているように思います。

Bさんのおっしゃるメカニズムというのは、介入フロートの範疇に入るのですか。

それは一言ではいえないのですが、これは介入フロートか、フィックスか、テイクか、カレンシーボードかとか、それはほかの研究会でずっとやっていたのですが、私が思うのは、その名前よりも実態ですね。例えば、中国とかベトナムというのはまだ金融市場が発達していませんから、シンガポールとか韓国のようなことはできない。シンガポールや韓国のように原則としては動いていいけれど、時々介入して押したり。日本というのは、プラザ、ルーブル以降はもう激しく動くとき以外は原則無介入。介入するときはするけれど、それはごくわずかと、そういう形でやってきましたが、そこまではいけないと思いますけれど、もうちょっとフリクエントに介入するけれど、韓国やシンガポール型というのがある。でも、中国やベトナムやインドシナの国はまだ金融制度ができていませんから、それがちょっと怖いんです。政治的にも、政府が決めている方が安心するところがあって、それはそれでいい。中長期的に年次グラフをかいたときに少しずつ動いているなという感じが出れば、その中は問わないというのが私のアイデアです。

私も基本的にはそういうふうにやっていけばよいと思います。重要なことは実践のなかで、市場経済の実態に合わせていくことです。私が人民元は上昇トレンドに向かうと言っているのは、あくまでも現在の成長が続くと言うことを前提とした上での必然性を説いたものです。実際のプロセスは様々な状況が発生しますし、ジグザグコースをたどるでしょう。但し、為替レートのブレをなるべく小さくするように努力しなくてはならないのです。

それはそうなのですけれど、その他については、Cさんがおっしゃっていることは私はすごく納得できるので、中国は大きいですけれど、一般的に途上国にとってPPPから外れているとか外れていないとか、特に競争力についていうときは、一体この計算というのはどういう意味があるのか、いつもわからないんです。中国は、おっしゃったように、ベトナムやシンガポールも外資の部分が多いですよね。そういうところは、さっきおっしゃったように、計算は外貨で、ドルでやっているんです。ですから、結局、現地通貨が上がろうと下がろうと、輸出型のところは余り関係ないし、賃金がどれだけ少し上がったりするかといっても、賃金に入っているんじゃないですから。駐在員の給料とかその辺はかかわってくるかもしれないけれど、余り関係ないですよね。
ですから、本当に中の詰まった日本とかアメリカのような国だと意味がありますけれど、でも、中国の国有企業はあるけれど、それは輸出競争力の話外のところだから、そこを計算に入れても仕方ない。競争力があるのは外資あるいは輸出型ですから、そこは余り通貨は関係ないので。途上国、所得が低い国というのは、普通は計算すると非常に過小評価になるんですね。それはごく普通のことで、バラッサ・サミュエルソン定理とかというやつですね。それが中国だと、CPIで何の計算をするか知りませんけれど、その計算だと、これだけオーバーバリューだ、アンダーバリューだとかという意味があるかなと。為替が変わったら、関係あるのはサッとさや寄せして、ほかのところは変わらずにそのまま行ってしまうんじゃないかということがあって。

確かに、一般論で言えば、発展途上国の購買力平価云々は大した意味はないかも知れません。しかし中国の場合は違います。一つには大国であること、二つにはグローバル市場経済に参入したこと、三つには現行レートが余りにも割安であることです。人民元レートの趨勢は今後の世界経済に大きな影響力を及ぼします。購買力平価の計算の仕方もいろいろあって、議論が分かれるでしょうが、理論的には客観的に存在することは確かです。従って、計算してみることは有意義なことだと思います。

日米独とか、昔、私はそういう計算ばかりやっていたけれど。

同じ輸出競争力というものをはかろうとしても、どういう物の競争力をはかるかとか、生活水準とか、いろいろな品目の選び方、貿易財・非貿易財、サービスとか、いろいろなものがありますから、非貿易的なものを相当入れ込んだPPPはできているはずですから、それをもって競争力を図って意味があるのかというのは、私もいつも疑問なんです。

市場経済での取引においては、購買力平価は無意味です。しかし生活水準の比較とか、経済力の比較とを考える場合は、一定の意味合いがあると思います。例えば、今までは元では9%の成長率で、ドルで換算したら元安になったためにマイナスになるということが起こり、結局、ドル建てGDPは発表しないということになりました。

日本も貿易収支のドル発表はやめましたからね(笑声)。

そうですね。それに似ています。もし為替レートが基本的に安定しておれば、両方の数字を挙げてもいいのですが、余りにも変化が激しいと、為替レートのマジックにかかってしまいます。もしアジア通貨のようなものをつくって、それを基準としていろいろなことを計算すると、大変合理的になりますよね。それはすぐにはできませんから、アジア各国が主要通貨のバスケット方式で自国のレートを決め、徐々にアジア通貨を作っていくことが考えられます。マハティールさんは世界通貨をつくるべきだと最近おっしゃったが、それは理想的ですけれども、そこまで一遍には行かないでしょうから、まずはユーロに習って、アジア通貨の創出に力を合わせることではないでしょうか。

通貨の実力というのは時期に応じて変わっていくわけですよね。ですから、評価は変わるわけで、ペッグをしているにしても、どのタイミングでどのくらい変えたらいいかというのを政策当局が人為的に決めるというのと、ある管理された短期的なフラクチュエーションを除いたとしても、マーケットが長期的なトレンドを決めていくというのとは、かなり根本的に考え方に違いがあると思います。

マーケットが長期的トレンドを決めるというのが、私の基本的考えです。但し、為替市場に100%任せるのではなく、当局は為替安定に関与すべきだというものです。その第一歩として、元レートの変動幅を広げると同時に、ドルとの実質的ペッグ制を改め、ドル、ユーロ、円の加重平均を基本にして、シンポール、香港通貨なども配慮して基準レートを決める仕組みをつくったらよいとおもいます。

それは3つのものを基準に考えていくというのはいいのですが、彼がいっていることに私も応援をすると、切り上げろという主張をするのではなくて、マーケットの評価を反映させるべきであるという主張をした方が積極的なのではないかと。その結果、今の局面は、彼がいったように、元は切り上がる方向に動くと思います。けれど、それはどの程度切り上げるのかとか、どういう期間で切り上げるべきかというのは、我々は決められない。多分、中国の政策当局もなかなか決められないということだろうと思います。

ですから、結局、大事なのは、今のようにガチッと決めないで、少し緩めてやる。

そういうことなんですよ。 0.3%がちょっと狭過ぎますよねと。

今は強いから切り上げとかいっていますけれど、WTOになってバタバタすると、今度は切り下げだとか。市場ってそんなものですからね。

つい2~3年前までは、切り下げないようにしてくださいといっていて。

ユーロだって、上がる上がるといって、結局、2~3割下がったりとか。ああいうのはよくあることで、あまり一喜一憂することはなくて、みんなが切り上がると思ってもそうではないときもあるし、今の円のように、いろいろなことが起こっているのにピタッととまっているという通貨もあるし。だから、明らかに変な方向に激しく動いているのをとめるという、そのとめ方が日本よりはもうちょっとたくさんとめた方がいいということはいえると思います。だから、長期的に切り上がるかどうかというのも、それは2050年か2100年ぐらいになったらわかりませんけれど、今から数年とかに為替レート制度を変えたときにどっちに数年動くかなんて、全然わからないですよ。

この資料の8ページですが、第1段階で3~5割、第2段階で2~ 2.5倍というのは、これは81年かの購買力平価が実態を反映しているという前提でということですね。すごく大きい数字のような気がしますが。

それも1つの判断の基準としてありますが、もう1つは、世界銀行が中国の購買力平価で大体4倍なんです。CIAのそれは5倍なんです。つまり、中国の実際の経済力は購買力平価で計算すると、現在レートの5倍になるというのです。もし改革開放前のレート、20年前のレートを基準にして、アメリカと中国の物価上昇率格差を勘案すると、 3.5倍ぐらいになります。これは現実的な経済取引には何の意味合いもありませんが、一つの長期的変動の目やすにはなると思います。それから人民元レートの切り上げというと、政府が切り上げることになりますから、人民元の上昇と言った方が言葉としては適当かと思います。

それはどうして仮定できるのですか。

それはあくまでも20年前の政府が定めたレートが、基本的に購買力を反映していると仮定した場合です。

その物価というのは何を使うのですか。中国はCPIしかないですよね。でも、CPIでは、途上国の国内の物価体系というのはシステマティックに変わりますから。CPIがすべての国に一番多いというのは、そういう便宜はあるのですが、実際にそれでやっていいのかという問題があって。

80年というと、中国はまだ全部公定価格ですよね。改革開放が始まって1年目ですからね。

そうです。公定価格です。厳格にいえば、中国小売物価指数の統計には連続性に欠けると言えますが、そうかといって全然信用がおけないかというと、そうでもありません。マクロ的に大まかな流れを見る上では、大きな問題はないと思います。

あと、途上国というのは、PPPとアクチュアルと比べると、3~5倍ぐらい差があるわけです。ベトナムでも大体4倍ぐらいでしょうか。実際にはパーキャピター・ドルとPPPドルでやると大体4倍ぐらいになる。中国はそれがアウトライヤーになっているかということを統計的にリグレッションすることはできると思うのですが、それはまだやっていないので。だれかやっているかもしれませんけれど。でも、それはただ所得水準だけで、いろいろな国のサイズとかいろいろなものを入れてやれば、それでアウトライヤーだったら、中国の規模や大きさや経済構造からすると、ちょっと安いんじゃないかとか、高いんじゃないかとかいえるけれど。

おっしゃるように、発展途上国ではすべての国で通貨が割安に評価されます。それは市場原理によっていますから、その国の通貨への需要が少ないと、どうしても低く評価されるのです。ハードカレンシーは高く評価されます。日本の円にしても、1960年代には需要がなく割安でした。1950年代の初めは 1ドル360円のレートは高目だったけれども、1970年ごろ、つまりニクソンショック以前には、購買力平価からみるとかなり割安になっていたと思われます。

需要線は生産の方でみて、セクターの生産性拡散インフレみたいなもので、さっきいったバラッサ・サミュエルソンの理論と全く同じですけれど、輸出している部門と国内の農業部門とサービス部門とそれぞれ生産性が違いますから、結局、輸出競争力をみるときは輸出しているところでみないといけないので。しかも、中国の場合は輸入するので輸出しているから、結局、それは全然関係ないんですよね。

半分はそうなんです。

日本だったら非常に付加価値分が多いから。そして、現在はごくわずかですから、付加価値が日本の国内がオーバーバリューかというのは意味がありますけれど、中国の場合は下げたり上げたりすると輸入価格がついてきますから。

半分のものについてはほとんど影響力はないんです。全然ないわけではありませんが。あとの半分については波及効果があって、日本のかつての輸出と同じような原理が働きます。

こういう議論も中国の人とやってみたい気がしますね。もう少し準備してですけれど。

成長がずっと続くことについての条件というものが幾つかあると思いますが、その1つは社会保障のところだと思うのです。経済成長が続いて、貧富の差というものがどんどん広がってきますね。農村と都市とか、内陸部と沿岸部とか。一方で、私営企業とかWTO加入ということで、それに伴い産業構造調整ということになってくると失業者がふえてくるし、従来、国有企業とか、あるいは官需でもって支えてきたところというのがどんどん吐き出されていくと。そうなったときに、経済あるいは社会としてそういうトレンドを許容するために社会保障システムというものが不可欠になってくる。ここのところはどのように考えればいいのでしょうか。

これについては、1999年1月号の『世界経済評論』に、対外経済依存型経済発展偏重から国内経済循環重視型発展に転換すべきであると書きました。過去の20年間は計画経済から市場経済への転換の中で、経済格差が拡大しました。これからは格差の縮小が図られなければなりません。現にそういう対策がとられています。改革開放前、社会主義計画経済の下で、悪平等が普遍的現象でした。それが市場経済化の中で、格差が出る政策がとられるようになりました。その結果、経済格差が拡大していきました。私はこの論文で指摘したのですが、一般に日本でも韓国でも台湾でも、高度成長の期間、経済格差は縮小していきました。ところが、中国では高度成長の中で、格差が拡大していったのです。もちろん、中国と日本や台湾などとは比べられないところもあります。というのは、中国はもともと悪平等だった社会ですから、市場経済化の中である程度格差が拡大するのはやむを得ないことです。しかし中国の現実は、その格差の拡大が余りにも大きすぎます。そこには政策的ミスがあったと見ています。経済格差の拡大には、次の三つが挙げられます。一つは所得格差の拡大、二つ目は都市・農村格差の拡大、三つ目は内陸部と沿海部との地域格差の拡大です。これを3大格差といっています。これには政策的なミスがあった訳ですが、その原因は理論的混乱にあったと思います。市場経済化を推進するということは、必然的に二極分化が進むということであり、本来、分配面で社会主義的政策がとられなければならなかったのです。ところが、市場万能論に陥った面があり、それが重視されず、社会保障政策が追いついていかなったのです。これを理論的にみると、人間の疎外問題、マルクスが「資本論」の第一章で述べた「商品の物神性」を否定したことにあります。市場経済をやるとなれば、当然、商品の物神性というものが台頭し、拝金主義がはびこります。ところが中国は社会主義国であるから、疎外問題は存在しない、商品の物神性は存在しないとしたのです。それを認めない以上、十分な対策がとられないのは当然です。戦後の日本は、社会主義勢力というものが強くありまして、経済成長の中で弱者を援護するべきだということは共通認識となり、機会の均等が図られました。このような社会主義的考え方は、今では、それを意識しているにしろ意識していないにしろ、すでに社会的コンセンサスとして定着しています。中国の場合は、社会主義を目指しているにもかかわらず、このような意識がますます希薄になってしまいました。ですから、資本主義国よりもより資本主義的なのが実態となっています。それへの反省から、第9次五カ年計画(1995-2000年)から、是正策が打ち出されました。しかし、実際には地についた具体策に欠け、十分な効果が出なかったのです。その後、第10次五カ年計画(2001-2005年)では、かなり地についた政策がとられるようになっています。しかし、本当にその効果が出るかどうかは、5年たってみないとわかりません。見える形でその効果が出るのは、十年後ではないかと見ています。というのは、三大格差縮小策は何れも時間のかかるものだからです。まず所得格差の縮小については、高所得者からの所得税徴収と、社会保障制度確立による低所得者補助を目指しています。都市・農村格差の縮小については、農村の都市化を進めることによって、人口の集中、産業の集積を図り、二次産業と三次産業の発展により、雇用の拡大と所得の増大を図ろうとしています。地域格差の縮小については、西部大開発戦略を展開することによって、内陸部の経済発展を促そうとしています。現在、公共投資は内陸部に重点を置いています。

7~8%成長を社会として許容できるかどうかというのは、社会保障システムというのはものすごく大きなポイントになるのではないかと思いますが。先ほどの戸籍改革みたいなことが進んでいくとますますそれが目立ってくるわけで、みんながわかるようになってくるわけですね。移動が自由になってくると、「どうしてこんなに違うんだ」と。そうすると、賃金も上げてくれということになるでしょうし。

そういう問題が起こる可能性は大いにあります。現に起きています。都市については、一番危機的な状況は1998年に起きました。ちょうど朱鎔基さんが首相になったばかりの時です。当時、国有企業改革が推進され、リストラによって多くの国有企業労働者が社会に放り出されました。特に東北三省など国有企業の多いところはたいへんでした。労働者は食っていけないので、デモはやるし、座り込みはやるし、大騒ぎになりました。そこで、首相になったばかりの朱鎔基さんは5月に緊急会議を開き、各都市と国有企業に「再就職工程センター」設立を義務づけました。これにより、リストラされた人たちの生活が一応保障されると同時に、再就職教育を受けることによって再就職を図る道が開けてきました。今度は、農民の移動の自由によって、また新しい問題が起こることでしょう。しかし、今までも常に問題が起こっており、ある問題を解決したと思ったらまた新しい問題が起こるというのが正常なのです。特に発展途上にある国においては。余り問題がないというのは、低成長の成熟国になったということではないでしょうか。

最初にエネルギーと環境は大丈夫だとおっしゃったけれど、ほかの政治のトランジッション、所得のギャップ、そして国有企業と失業の関係――それはWTOと絡んでですけれど、それを乗り切れるかどうかというのは、ポテンシャルは7~8%だけれど、それが実現できるかというのはまだわからないところがあって、とりあえずまず、WTOの効果がこの数年どうなっていくかをみないとわからないんじゃないでしょうか。○凌  確かにそのとおりです。ですから、今、中国では楽観論と悲観論があるのですが、私は比較的に楽観論を展開しています。
私の楽観論の根拠は何かというと、15年間交渉してきて、WTOの本もたくさん出まして、それぞれの分野で盛んに議論されました。それによってすでに対策が整っているとは言えないでしょうけれども。(笑声)、少なくともそれを問題にしてきたということは、ある種の厳しい問題が起きるということをみなが予想するようになりました。その覚悟のあるのとないのとでは、大きな違いがあります。この点においては、準備は十分ではないでしょうけれど、何とか対応されうると思います。だめなものはだめで淘汰され、生き残れるものは生き残るということで、大きな変動が起こるでしょうが、ショッキングなことが起こる前に、対策がとられることでしょう。中国当局の危機管理能力はかなり高いことを忘れてはならないでしょう。
実は、WTOに加盟したときに、祝賀会のようなものを、あちこちでやろうとしたそうです。ところが、WTO加入は、中国の一般の人たちにとって必ずしもプラスになるとは限らないということで、自粛ムードになったということです。もちろん、上の方からの指示があったのでしょう。ですから、マスメディアでは祝賀ムードがちょっと見られましたが、一般的には抑えぎみになったとのことです。私の感じとしても、これは実態に合っているように思います。ということは、WTO加盟後の厳しさへの精神的準備がなされつつあるということです。

それでは、参考になるお話をいろいろありがとうございました。きょうはこれで終わりたいと思います。

――了――