第12回アジアダイナミズム研究会 議事録

  • 平成13年12月 3日 19:00~21:00

それでは、始めさせていただきたいと思います。
きょうは、「EUの『拡大』と『深化』」ということで、慶應義塾大学の田中俊郎先生にお話をしていただきます。
では、早速でございますが、よろしくお願いいたします。

田中

慶應義塾大学の田中でございます。「EUの『拡大』と『深化』」という何でもしゃべれる題にしておいたのですけれど、今のEUを説明するキーワードとしてはいいかなと思っております。ただ、皆様の「アジアダイナミズム研究会」の具体的な研究との関連でいきますと、対外関係も重要かなと思いまして、後ろの方に第Ⅱ部と称して付加しておきましたので、ご参照いただければと思います。
お時間を30分ぐらいいただきましたので、レジュメに沿ってずっとお話をしますと3時間でも一晩じゅうでもお話ができるのですが、ポイントだけお話をさせていただければと思います。
まず、私は政治学をベースにしておりまして、政治学のトレーニングを受けた国際政治学者とか国際関係論者というものがなぜEUを研究するかという話なのですが、基本的には、これまでの国際政治は国家が主体であって、国家間のインターラクションを国際政治とか国際関係といってきているわけですが、そのもともとの主権国家あるいは国民国家というものの考え方が生まれてきたヨーロッパで、その国民国家を超えた新しい政治システムをつくろうというのが戦後の動きであるわけであります。ですから、EUの実験というのは、これまでいろいろな地域で行われてこなかった新しい政治システムをつくり上げる実験だと位置づけております。
それだけですと単にヨーロッパだけの話ですが、そこから生まれてきた今日のEUというものが国際政治経済の中で単独でアクターとして行動している、そしてそれが15の加盟国の総和以上に1つの行為体として動いている。これまでは日・英とか日・仏といったバイラテラルな関係も重要で、今日でも重要だと思いますが、それ以上に日本とEUという関係も確固たるものになってきている。それから、ご案内のように、来年1月にはユーロを実際に流通させるようになるわけで、そういうものもやはりEUが国際政治経済においてアクターとして行動しているしるしであろうとみています。
それから、忘れてならないのは、今日では当たり前の話になっておりますが、もともとEUの出発点となったシューマン・プラン、さらにECSC(欧州石炭鉄鋼共同体)の最大の目標というのは、ドイツとフランスの間の紛争というものを永遠にもはや考えられないものにするという、恒久平和の確立ということが大きな目的であったということです。
そこで、簡単なあゆみがそこに書いてありますが、まさにシューマン・プランはドイツとフランスの石炭と鉄鋼という資源を共通の機関のもとにプールするという、いわば経済的な手段で不戦共同体の構築という政治的目的を達成しようとしたわけです。ヨーロッパ統合の貢献は何かといわれれば、これを私はまず第一に挙げて強調するのですが、どんなに強調しても強調し過ぎることはないと思っています。
そして、そこから生まれたECSC、さらにはEEC、EAEC、そしていろいろな危機を乗り越えて今日まで来ているわけですが、関税同盟をつくり上げた68年7月以降は余り大きな動きはありません。むしろ「沈滞の15年」などといわれた時期であります。唯一、後でお話ししますが、対外関係の分野で進展がみられたのがこの時期で、1985年前後から統合の再活性化というものが強く叫ばれて、そこから生まれてきた域内市場、さらにはそれを法的にサポートする単一欧州議定書といったものがつくられたわけであります。そして、その統合の再活性化の波が非常にうまくいき、それを追い風にして欧州連合条約(マーストリヒト条約)、さらにはアムステルダム、そしてニース条約へと一連の条約改正が行わて、ECがEUになっているということでございます。
そこで、1つのキーワードは「拡大」です。条約には「すべてのヨーロッパ諸国は、欧州連合に加盟を申請することができる」と書いてあるわけですが、ECSCの時代から門戸がヨーロッパ諸国に対してオープンになっていました。ただ、どこまでがヨーロッパなのかという定義については全く触れられておりません。
当初は冷戦の時代ですから、ドイツは西ドイツでしたし、フランスとイタリアとベネルックスの6カ国でスタートした52年のものがずっと来たわけですが、93年にイギリスとアイルランドとデンマークが入り9カ国、81年にギリシャが入って10カ国、86年にスペインとポルトガルが入って12カ国、そして95年にオーストリア、スウェーデン、フィンランドが入って15カ国というのが今日の姿なわけです。
そこでは最初は、ヨーロッパといっても最初の企てに入らなかったイギリス、そしてスカンジナビアの国々が想定されていたと。ましてや、鉄のカーテンの向こう側の国々まで入るということは考えられていなかったわけであります。しかし、メンバーをふやしていくには大きな動機がありまして、例えば、ギリシャ、スペイン、ポルトガルといった国々については、経済的な効率よりもむしろ民主主義を定着させるという政治的な目的が最優先されたと考えられております。
そして、冷戦が終わって、中立国もコミットしたくなかったわけで、EUに入ることを考えていなかったのですが、それがオーストリア、スウェーデン、フィンランドも入るようになっていった。そして、90年代の前半から、今度は現実問題として東への課題が登場してきたわけです。そして、現在、13カ国がその加盟国の交渉のテーブルに着いているということになります。
レジュメの後ろから2枚目をごらんいただきますと、これは7月現在の加盟交渉の星取り表ですが、交渉の過程で、31章あるうちのInstitutionsとOther を除いた29章のうち、交渉が7月の段階でどれだけ終わっているかということでございまして、例えば、キプロスは22、ハンガリーは22というような数字でございます。それをごらんいただきますと、先行したグループの中でポーランドがちょっと足踏みをしておりまして、今後、2004年までにメンバーをふやしていくといったときに、ポーランド抜きで行くのか、あるいはポーランドを入れていくのかというのが大きな政治的な判断になろうかと思います。
ドイツは「ポーランド抜きの拡大は考えられない」ということを前から強くいっておりますので、そうなりますと、トルコは除いて、ルーマニアとブルガリアはもう既に2006年、2007年グループという形でみておりますので、残りの10カ国をそろえて2004年にメンバーにすることが今できるかどうかというところで、これから1年が勝負ということになろうかと思います。しかし、いつまでもEUを拡大していくというわけにはいかないわけです。いつかは今度はEUのカーテンをおろさざるを得ない。将来的には、これが一番大きな政治的な課題になろうかと思います。
さて、「深化」の方ですが、これは権限を加盟国の首都からブラッセルに移していくことを指すわけですけれど、2ページの一番下に書きましたように、欧州連合条約でECの部分で扱っている政策領域というのは非常に多岐にわたっているということがおわかりになろうかと思います。もともとの関税同盟の時代から、次第に政策領域を広げてきています。そして、欧州市民権なるものも導入いたしました。ただ、ここで重要なのは、EUが排他的な権限としてもっているのは通商の分野と農業・漁業の分野だけでありまして、他はいわば加盟国との主権の共有といっておりますが、多くの場合は加盟国が主で、EUが従という形になります。基本的には、EUでやるべきことと加盟国でやるべきことと、また加盟国の下のサブナショナルなレベルでやるべきことの権限と分業の最適配分が図れればということなのでしょうけれど、現実にはそれぞれの権限をなかなか手放したくないというのも現実の世界だろうと思われます。
排他的な権限にもう1つ最近加わったのが、経済通貨同盟のもとでのいわゆる金融政策、それから外国為替市場での通貨の価値を維持する政策、及び来年具体化する通貨の発行の権限ということになるわけであります。
マーストリヒト条約の深化の中で最大の目玉は、ご案内のように、経済通貨同盟を確立して、欧州中央銀行をつくり、単一通貨を同一することであったわけであります。しかし、その国際的な評価というものは予想以上に軟調でして、一時期は30%ぐらい、対ドルに対しても円に対しても切り下がったというのは、ご案内のとおりであります。
15カ国のうち11カ国が最初の段階で合格しましたけれど、途中でギリシャが入って12カ国でスタートするというのがユーロランドの現状であります。ただ、デンマークは、昨年の9月の国民投票ではっきり「ノー」といいましたし、隣でみていたスウェーデンも当面はこれは行わないだろうと思います。ただ、両国とも経済規模が小さいですから、最大のユーロランド参加問題はイギリスだろうと思います。
当初はいろいろ不利な状況がありましたけれど、ことしの6月に総選挙で再び大勝したことによって、より積極的にヨーロッパにかかわる姿勢があらわれておりますので、まだいつかはわかりませんけれど、5年の政権の任期の間にいつかは出てくるのではないかと考えております。個人的には、もうイギリスは入るしかないと私は思っておりますが、まだ国内ではかなり強い反対論が一般の草の根レベルでありますので、それをどうやってプルヨーロピアンにするかが最大の課題かなと思われています。
「深化」の第2段はアムステルダム条約でみられたわけですが、細かいことですけれど、重要な基本的な問題がここではあらわれています。まず、EUの部分に関しては、権利の停止条項というものが導入されていることが重要です。まず、EUはそもそも、自由、民主主義、人権と基本権の尊重、法の支配というものから成っているということを明示した上で、それら基本権が侵された場合には、たとえメンバーになった後でも権利を停止する、つまり投票権をフリーズするといったことも可能にしました。
ということは、これから入ってくるであろう中・東欧の国々に対して、国内を安定化させ、民主主義を本当の意味で定着させることを期待している、そして、いざとなったら最終的にはこういう条項の発動もあり得るということです。ただ、それが最初のテストケースになるのではなくて、オーストリアで自由党のハイザー党首うんぬんという話がありまして、この条項そのものは適用されませんでしたが、約半年の間、制裁を科したというのは記憶に新しいことだろうと思います。
第2番目の統合にとって大きな方式として、緊密化協力、いわば柔軟性の原則というものが導入されたことです。理想形は、すべての構成国が同じスピードで統合を推進することなわけですが、メンバー国がふえれば全会一致の部分に関しては非常に難しいということになるわけで、独特の加重特性多数決といった方法で現在でもやっていますが、大枠の部分でこういう方式を導入することによって、先行統合を図ろうということをこの時点で決めているわけであります。
あと、ECの部分では、マーストリヒト条約で3つの柱に分けていたものの、第3の柱の中から、人の移動関連のものを第1の柱に移して、専門用語では「共同体化する」といいますが、それは司法手続などが起用されてより拘束力が強くなる方式を意味します。
そのほか、彼らの知恵として、全会一致のときに、一国でも反対すると動かないわけですから、そうなると、条約の外で協定を結んで、機会があればそれをまた中に取り込もうということを考えたわけであります。緊密化協力もその1つの考え方のあらわれだと思いますが、シュンゲン協定というのは、域内国境の検問廃止とそれに伴うさまざまな問題について、大陸諸国を中心につくられた85年と90年の2つの協定から成っています。これについてイギリスは真っ向から反対をしていたわけでありますが、労働党政権が登場したことによって、これを自分には適用しないけれども条約に組み入れるということで、ヨーロッパ法化しているということになっています。また、社会憲章もサッチャー政権時代から強い反対を示していたわけでありますが、これも労働党政権ができたことによって条約への組み入れを認めるといったことが、ECの部分では大きな進展であったと考えられます。
第2の柱の共通外交安全保障政策の分野については、ここでもやはり建設的棄権という新しい制度を導入しています。それは何を意味するかといいますと、普通の棄権というのは、棄権した国は決定に拘束されるという意味で、何のために棄権をしているかわからないわけですが、建設的棄権を発動しますと棄権国にはそれが適用されないということで、法案の成立の確立を高める手段でもあるわけです。
第3の柱で、司法内務協力としてスタートしておりますが、先ほど申しましたように、人の移動に関するものが第1の柱に移ったことで、PJCC(警察・刑事司法協力)という形で今はいわれています。この間の9月11日の事件以降、これがいろいろな形で使われておりまして、犯罪人の情報交流とかいろいろなものがこの枠組みで協力が行われています。防衛政策についても、イギリスが態度変化したことによって98年ぐらいから少しずつ動き始めて、とりわけコソボの爆撃の一連の動きが大きな影響を及ぼして、今日では緊急対応部隊という形で6万人規模のものを創設するための法的な準備がなされているという状況です。また、治安維持の警察部分については、 5,000~ 6,000人規模の欧州警察部隊というものを招集するまでになっているということでございます。
第3番目の「深化」は一番新しいニース条約でありますが、このニース条約そのものは、加盟国の数がふえる、つまり拡大を前提にして、アムステルダムでは合意できなかった、いわゆるアムステルダムの積み残しという機構改革が主要なテーマでありました。メンバー国がどんどんふえていきますと、現在のような欧州委員会の委員の数とか、あるいは理事会における票決の票の配分とか、あるいは欧州議会議員の数と国別配分とか、いろいろなものをいじらざるを得ないわけでありまして、基本的にはこれが中心課題であったということです。
それから、先ほどの緊密化協力については、加盟国がふえても8カ国、現在では15カ国の8カ国ですから、約半数ということになっているわけですが、加盟国がふえた後でも8カ国あればOKということで、第2の柱の部分にもそれを適用できるということであります。
しかし、細かいことばかり何回も4~5年おきに条約を改正するのももうそろそろやめた方がいいのではないか、新しいヨーロッパの姿を最終的に描くべきだといった議論が起きておりまして、ヨーロッパの憲法化を図る時期に来ているということです。これまでご説明してきたのでおわかりになるかと思いますが、いまだにEUは最終的にどうなるかということが合意されておりませんで、昔、アンドリュー・シフォンフィールドというイギリスの経済学者が、当時のECを指して「Journey to unknown destination」といって、それをタイトルにして本を書いたのですが、まさに unknown destinationなわけです。そういうことで、そろそろデスティネーションはどういう形をとるべきなのか、そういうことを議論し始めようではないかということが今いわれています。
しかし、当面、次の政府間会議で条約改正は2004年の会議を招集するということは決まっています。将来どうなるか。例えば、ドイツのようなきっちりとした連邦国家になっていくのか、あるいは、今の制度を絶えず修正していくような形で済ませていくのか。今後、EUの前途というものも決して楽観視はできないと思います。
ただ、基本的な考え方は、EUでやるべき仕事と国家でやるべき仕事と地方でやるべき仕事をそれぞれ確認し合って、それぞれの3つのレベルの政治的なエンティティというものが共存する、また、それを支える人々の意識もそれぞれ重複するような形で、グッド・ヨーロピアンであり、グッド・イタリアンであり、グッド・トスカンといった気持ちの持ち方、忠誠心のあらわし方というものもあるのではないかというのが理想形なのでしょうけれど、最近のようにグローバリゼーションの大きな波の中で、それに対する反対でいろいろなところで大規模なデモがあるのは、決してシアトルだけの話ではなく、ヨーロッパでもニースでもそうでありましたし、スウェーデンのイエテボリで首脳会議が開かれたときもそうだったわけで、そういう人たちの行動にあらわれているもの、また、デンマークで2回EU絡みで否決票が出たり、最近では、一番最後の資料で、これはニース条約の批准状況を出したものですが、真ん中辺にアイルランドがあって、6月7日にレファレンダムがあって、多数が反対で「ノー」で一たん否決されているということが出ておりますが、これは1992年のデンマークと同じような状況を現在抱えているわけで、恐らく来年もう1度やり直すということになろうかと思います。ですから、他の国々は自分たちの批准のプロセスを推し進めながら、アイルランドのもう1回目のレファレンダムを待つということになろうかと思います。
そういうことで、基本的には何のために統合するのか、それはここでの議論にも通じるのかもしれませんが、本来ならば、それはEUを構成する国々の市民のためにヨーロッパをつくるのであって、ヨーロッパをつくるために統合するわけでは決してないのだろうと思います。ですから、いかに市民に近いヨーロッパを構築するかということが、マーストリヒト条約の批准過程でデンマークショックとして受けた後の3度の条約改正の1つのスローガンであったわけですが、ヨーロッパというのはエリートが中心でいろいろなことを進めている世界ですので、エリートと一市民との間の意識の乖離といったものが時々出てくるのも現実であります。
そういうEUでございますが、対外的には、1970年代までは、リクエストがあるとそれに対応するといった場当たり的な、ある人にいわせるとモザイク的な対外関係にすぎなかったわけでありますが、次第にシステマティックな対外関係を推進するようになってきているというのも事実でありまして、とりわけ70年代に1回最初の波があり、80年代の終わり、冷戦が終わり始めると、それに対応する形で第2の波が出てきているという形でみることができるかと思います。
細かいことはみんな省きますが、とりわけ開発援助に関しては、欧州連合条約で初めて明文化されて条約の本体に規定が入ります。しかし、そこで重要なのは、構成国の開発援助政策が主であって、EUはそれをサポートするといった負のポジションに置いたということです。
それから、いろいろな協定の内容も、最初は通商というものが多かったわけですが、第2世代の協定として援助が入り、さらには第3世代の協定と呼ばれるような政治的コンディショナリティが付加されて、民主主義の発展強化、法の支配、人権云々といったものが協定の中に盛り込まれております。とりわけ、人権条項については1980年代からこれをどんどん強めてきているわけでありまして、現在、中国との関係においても常に人権の問題を取り上げ、年2回、人権対話が行われているという状況であります。
そして、特色は、バイもありますけれど、地域対地域の対話と協力というものが主要な姿だということです。これもやはり60年代~70年代の第1期、とりわけ発展途上国との関係においていろいろな協定が結ばれていったのはご案内のとおりであります。そしてまた、開発小理事会もこのような開発援助要請に対して、ECとして好意的に対応するといった決議をして、積極的に行った時期があります。
とりわけ75年2月のロメ協定は、南北間の協定とすると極めて理想的な協定であると高く評価された時期がございますが、その後、改定していく過程においてヨーロッパ側の経済状況の悪化ということもあって、必ずしもうまくいっていなかったのも事実であります。しかし、先ほどの話と同じように、90年代になると、積極的に動き始めているのも事実でありまして、バルセロナ・プロセスとか、ロメからついにコトヌになりましてコトヌ協定とか、あるいはメルコスルとの協定とか、あるいはASEMの登場とか、いろいろ地域対地域の外交が顕著になっていることをみてとれる積極的な動きがあるとみています。
しかし、バイラテラルの関係も極めて重要でして、アメリカとの関係もこの10年間いろいろな形で強化をいたしましたし、とりわけ、メキシコとの経済パートナーシップ・政治協力・協力協定というものは、NAFTAに対するEUのいわばくさびみたいな形で入っているのもおもしろいなと思います。
また、日本との関係においても、今週末になるでしょうか、8日に恐らく小泉総理がブラッセルで調印なされるといった、また行動計画のついた新しい文書が出るように聞いております。そこでの全体的なまとめというのは、欧州連合条約第 177条に記載されておりますように、開発途上国の世界経済への円滑かつ前進的な統合を推進するということが地域対地域の外交の主目的でありまして、そこではこれまで援助を求めてきた諸国の発展過程を支援することを目指して、基本的には、みずから参画するのではなく、外から支援する役割をEUは演じてきたわけでありますが、第2期の例が示すことは、EUが他の地域の地域協力や統合というものを推進する上で、積極的なパートナーとして参加するようになっているということで、EUがいわゆる国際政治経済上のアクターとして積極的に、グループ対グループの枠組みを使って行動しているということがみてとれるかなという気がいたしております。
非常に駆け足でおわかりづらかったと思いますが、とりあえず最初のプレゼンテーションはこのくらいにして、皆様のご意見やご質問にお答えするということで、後の時間を有効に使わせていただければと思います。

どうもありがとうございました。それでは、ご質問やご意見をお願いいたします。

最初はドイツとフランスの関係から始まったというのは非常によくわかるのですが、どこまで行くのかという話がまたあって、続けてどんどん統合を深くしていこうという、そのモチベーションはどういうことなのでしょうか。抽象的な質問で申しわけないのですけれど。統合を1回始めるとどんどん深化していくというのは、どんなメカニズムが働くのでしょうか。

田中

地理的な広がりに関しては、そこで1つの枠組みができ上がってしまうと、そこから外れている国々というのはやはりディスアドバンテージを感じるのだろうと思います。ですから、やはりそのメンバーに入った方がいいと。そして、入っていかないとその地域ではだんだん生きていけなくなるということを、政治指導者側の方は認識をするのだろうと思います。
それが地理的な話だと思いますが、では、「深化」の話になりますと、これは1つをいじるとほかもいじらざるを得なくなってくるということがありますね。例えば、もともとの石炭と鉄鋼の話のときでさえも、扱っているものは石炭と鉄鋼なのですが、コークスとかいろいろありますけれど、そこでフェアコンペティションをしなければいけないとなると、例えば、労働条件の均一化を図らなければいけないとか、運輸政策につながるような、トラックの稼働条件といったものも均一化していかなければいけないとか、いろいろなものを連鎖反応的にいじらざるを得なくなってきている。
最近の例を挙げますと、EMUの単一通貨の話ですが、私はこれはもう明らかに、域内市場の最後に2つ残った大きなバリアの2つのうち、1つを解消したものだと位置づけるのですが、それは税制の違いとナショナルカレンシーの存在だと思います。ですから、大きなマーケットをつくるために域内でのまず関税障壁をなくし、非関税障壁をなくし、大きなマーケットをつくって競争させる。競争原理をもう1度導入して、その中で勝ち残れば、企業が日本やアメリカの企業と世界マーケットの中で対等な国際競争力をもつだろうと。
そういう話ですから、ナショナルカレンシーがあるとどうしても透明性が低くなりますので、単なる両替のコストだけではなく、比較することが容易になるので、これも域内市場完成のための、国境なきヨーロッパをつくるための大きなステップだろうと。ですから、いろいろなものが連鎖反応的に動いてくるのだろうと思います。

コストベネフィットというのはどう考えているのでしょうか。これだけやるのだってものすごいコストがかかるでしょう。すごく話し合いもしなければいけないでしょうし、国内法のいろいろな調整もあるだろうし。

田中

まあ、そうでしょうね。ただ、ブラッセルで働いている人たちの数は1万 6,000とか、多く見積もっても2万です。そのうち通訳や翻訳をやっている人たちが3分の1いますから、いわゆるプランニングをやって実際にネゴをやっている人たちというのはそんなに多くはないんです。むしろ一国の官僚組織の方がはるかに人数が多くて、それをうまく使いながらやるのだろうと思いますけれど。
例えば、よりEU的だという政策領域というのは当然あると思います。例えば、環境政策をEUでやるというのはロジカルだと思うのです。つまり、環境汚染というのは国境線どおりには動きませんから、どうしても国境を渡ってしまうわけですね。そうすると、対策は国と国をまたがった形で、あるいはヨーロッパレベルでやらざるを得ない。もちろん大きくいえば、もっとグローバルなレベルでやらなければいけないのかもしれませんが。そうなると、各国がばらばらに環境政策に対応するのは不経済ですよね。そうなると、政策領域としてこれはもうEU的だと私などは思うわけです。それから、例えば、技術開発や産業協力なども、国単位でやっていると、大きな国は国単位でもまだ生きていけるのかもしれませんが、小さな国がいっぱいあるのがヨーロッパですから、国単位でみんながばらばらに同じことをやっていたら、本当にむだだと思います。そうすると、1つのプロジェクトのもとで、例えば、エスプリ計画とかいろいろありましたけれど、そういう方が限られた資金をより有効的に使う政策領域としてはふさわしいのではないか。ですから、一国が単独でやれて、その方が効率がいいという分野はEUはやらなくていいのだろうと思います。
補完性の原則という話が出てきましたけれど、これはEUでやるべき仕事というのは、加盟国がばらばらにやるよりもはるかにいい成果が期待でき得るものをEUでやるのであって、何でもかんでもEUでやるわけではない。まとまることでメリットが大きなもの、そういう領域にEUはだんだん入ってきているのではないかなと私はみております。

地域的拡大も機能的深化も両方おもしろいのですが、どちらかというと深化の方で本当にどこまで行くのかというのがあって、今おっしゃられたように、一たんやり出すと、補完性があって、これもやったりあれもやるというのはよくわかるのですけれど、それはもちろん官僚で担当しているとそうなると思うのですが、国民のレベルでどうかなというのがあって、私のイメージは、宇宙が拡大しているというときに、永遠に拡大するのか、それとも重力と何かの関係である程度でとまるのか。それはまだわかっていないわけですね。
今おっしゃった拡大する理由というのは、官僚をほっておくとどんどん拡大するだろうなというのはよくわかるのですが、拡大とは逆に働く力はあるのではないかと思うので。それも国によって違うと思いますけれど。私は、99年にユーロができてから、ひょっとしたら同じ通貨ができて何か大きなショックがあったりすると、また離れる力が強くなるんじゃないかと思ったのですが、この過去の2年間というのはそんなに大きなことはなかったと思います。今から起こるかもしれませんけれど。ですから、ある意味で、これだけくっつけてしまっても、国でやりたいとか地方でやりたいとかというエネルギーはまだ強いんじゃないかと思うのですが。

田中

もちろんそうですよ。こうやって説明しますと、何でもかんでもヨーロッパレベルでやるんじゃないかという方向になっていますけれど、決してそうではなくて、例えば、国家予算を15カ国全部足してEUの予算と比べたら、EUの予算なんていうのは15カ国の国家予算全体のせいぜい5%ぐらいです。ですから、EUがやれることというのは、政策力はふえてきましたけれど、決して大きなものではない。ただし、農業などはもう完全にEUの政策ですので、加盟国がやる対策というのは、EUの共通の農業政策のもとで許された加盟国の対策でしかないわけです。
そういう領域もある一方で、名前だけはあっても、恐らくほとんど国のレベルでやっているものの方が圧倒的に強い政策領域があるのだろうと思います。

こういう聞き方はどうですか。2001年が終わりの段階で、そういういろいろな領域があるときに、EU的なものとして広がっていくものがまだまだいっぱいあるのか、それとも大体この辺で実態的にはこんなところかなと、あとは収縮するような、EUはちょっと大きくなり過ぎたのではないかといった分野も出てきて、相殺されて収束していくという感じなのでしょうか。それとも、まだまだ伸びるのでしょうか。

田中

どうでしょうね。いわゆる障害をなくしていくネガティブインテグレーションの分野--例えば、非関税障壁をなくしていくとか、基準を統一するとかといった、そういう分野はEUのものとしてはすごくいいものだと思います。それ以外に、ネガティブに対してポジティブの方としては、ポジティブインテグレーションでEUとして政策をやっていくという領域は、ほぼ出そろってきたかなという気が私はしています。ですから、そろそろEUはどこに行くのだというファイナル・デスティネーションを描こうと言い始めているのも、やはりそろそろEUとしてやるべき政策領域はかなりこの辺でみえてきたのかなという、これは印象論ですが、そういう感じを私はもちます。

EUの地理的拡大、特に中・東欧への拡大についてですが、1989年の東欧革命のときに、中欧の国がセキュリティ上、今まで東側にくっついていたのがNATOにくっつきたいと。当然、負けたロシアにくっつくわけにはいかないので、NATOに入っていくという、そのインテグレーションは非常によくわかるのですが、経済的にも、関税同盟、共通通商政策でもって西にくっつく、EUに入ることを急速に志向して、極端な言い方ですが、事実上、自分たちの産業政策的なものをもつことを完全にそこでギブアップしたわけですね。
アジアの方で、統合のレベルは全然違いますけれど、ASEAN6がASEAN10になったときに入ってきたのは今の時点で一番おくれているベトナムその他で、彼らがASEAN6に加わってASEAN10になると、2006年という大分先のことではあるのですが、関税その他を一緒にして、独自にどういう産業をもつかということを少なくとも人為的に選択するような政策はとり得なくなる。もちろんポーランド・ハンガリーは結果論からいえば相当な犠牲をトランジッションの時点では払ったかもしれないけれども、EUと同じ市場に今後入るということが約束されている中で、大変なFDI吸引力になって、相当な外資が入ってきていますね。そのために経済成長のパフォーマンスもいいわけですが、それ以外のおくれた中・東欧というのは、入ることは入るけれども、国内産業の保護というのは全くあきらめて、EUのすぐれた製品を、あるいは中・東欧の中でもすぐれた中欧の製品がドドッと入ってくるだけで、結局、何も残すものはなくなるという、そういうことになるわけですね。
今のところはすぐれたところしか入っていないのかもしれませんが、だんだんルーマニア、ブルガリア、旧ユーゴなども入ってくると、彼らの得るものは一体何かという感じがしています。ポーランドとハンガリーはそういう意味で戦略的に新しい選択をしたのかもしれませんが、劣った国がEUに入りたい、おくれたくないという気持ちはわかるのですけれど、トータルのプラス・マイナスをいろいろ考えてみると、彼らの国民所得を急速に上げる上で、EUがインカムリリースビューションをしてくれるならいいのですが、そうではなく、自力で上がっていかなければいけないとなると、EUの片田舎でどう彼らが離陸していったらいいのか。  それはベトナムやカンボジアやラオスが、中国という別のジャイアントもある中で、ASEANの一部になることで一体どういうメリットがあるのかということともつながるような気もするのですが、そのあたりはどのように思われますか。

田中

まず、経済的な数字にあらわれない部分というのがありますね。例えば、なぜこれらの国々はヨーロッパのこういう機関に入りたいか。具体的にはEUとNATOだと思うのですが、その2つの機関に入ることによって、彼らが本来属しているヨーロッパに回帰する--Return to Europeというシンボリックな意味が一番強いのだと思います。その上で、では、それで飯が食えるかということになると思うのですが、おっしゃるように、最初に手を挙げた国々で、ポーランドはずうたいが大きいので大変だと思いますけれど、ハンガリーやチェコや、バルトの小さな国々とかスロベニアといった国々は、恐らく入ることによってメリットを享受するのだろうと思います。対等な方向へどんどん上がっていくのだろうと思います。
それで、今度も最初のグループには当然入れてもらえないであろうルーマニアとブルガリアですが、在京の大使などに伺いますと、彼らの目標は2006~2007年といっていますけれど、それから、これから手を挙げるかもしれないスロベニア以外の旧ユーゴの国々に関しては、おっしゃるようなことがあるかと思います。つまり、ヨーロッパの辺境がさらに辺境化するだろうと思いますが、それではほっておけばいいのかというと、ほっておいてもそれらの国々というのは辺境化していくんですね。逆に、自分たちが今、とりわけ南東アジア安定化会議といったものでボスニアヘルツェゴビナとコソボの後のいろいろなものの復興をやっていますけれど、やはりEUの資金援助がなければそれさえも動かないわけですから、メンバーに入ることによって草刈り場になって彼らの産業がどんどんつぶれていくという経済的なマイナスのメリットよりも、地域開発基金などを通した資金援助、構造改革資金によるものを期待する方向に今は動いているのだと思います。
試算は、私は細かいところはみない、大枠しかやらない政治学者なものですから、それぞれのカントリーレポートがありまして、例えば、これはこの間の11月に出てきたエンゲージメントに関する定時報告ですが、後ろに全部カントリーレポートがついていまして、それをダウンロードしただけで読んでいないのですけれど、大きな問題はありながらも、やはりそこに明るい部分をみようとしているのではないかなと思います。おっしゃるような経済的なデメリットというものは当然あることは予想されておりますが、それ以上に、この「ヨーロッパクラブ」に入らないとと、そういう動機の方が強いのではないかなと、私は全体としてそう感じております。

ヨーロッパにある旧CISの国は、そういうモチベーションというのはないのですか。あるいは、あってももちろんEUクラブが「だめ」というのかもしれませんが、ウクライナとかモルドバとか、ああいうところはそれだけで自立できるとは到底思えないですし。ロシアとのつながりは中欧に比べてより強いのかもしれませんが。

田中

モルドバのような国は、政権が交代して、EUに近づこうとしていた政権が転覆して、今またロシアの方向へ向いた政権ができていますし、将来のオプションとして、EUやNATOへの加盟ということはないわけではないと思いますが、では、EUの方でどこでEUのカーテンをおろすのかとなると、戦略的には、ベラルーシとかウクライナなどは入れなければいけないという声もあるのですが、常にロシアとの関係だと思いますね。ですから、向こう側の国々がいつ手を挙げるか。時間の問題なのか、そうではないのか。わからないですね。
ただ、私の描いている将来像は、恐らく旧ユーゴの国々は入れていくのだろうと思います。あそこだけが空白地帯で残るのは、ヨーロッパの安定ということからみますと、すごく不安定になる。EUの不戦共同体というのは、中に入れることによって平和の領域を拡大している部分がありまして、中に入ると、軍事的な手段による紛争の解決はもう認めないと。それをやったらメンバーシップの停止をしますよと。ですから、理想形は、問題があったらそれは事前に解決してくださいと。それまでは入れませんよと。そういう形で中の当事者に対して、問題をしっかり考えて解決しておきなさいと、そういうプレッシャーをかけ続けるわけですね。
そうなると、南東ヨーロッパの旧ユーゴの部分は、すごく貧しいですし、入れると経済的には負担になりますけれど、将来的には入れざるを得ないだろうと思います。常に加盟という目標をもたせてそれぞれの国に努力をさせる。ある程度はこちらで支援する。そういったやり方しかないのかなという気がしております。

先進地域側からすれば、それは重荷になるということなのでしょうね。そのセキュリティ上のコンサーンはわかりますけれど。

田中

しかし、例えば、コソボのような状況が起きることのコストの方が、もっと大きいコストを払うことになるだろう。それをてんびんにかけるのだと思います。

開発政策上の立場からすれば、途上国のままでいてODAをもらった方がいいのか、先進国の片田舎になって、先進国の中でディストリビューションを受けた方がいいのかという問題が当然あって、つまらない例ですけれど、アルマニアという国があって、首都はチアナで、タクシーを呼ぶとロバがやってくるんですね。それもヨーロッパなんですよ。そういうロバがタクシーとして来るような国がEUの中に入っても、あそこは人口が少ないのでいいのですが、余り意味ないですよね。失うものも余りないかもしれないけれど。それで、結局、荷物だけということになると思うのですが。それでも、今はアルバニアは全然アジェンダにも上がっていませんけれど、世銀・IMFの支援まで受けているような国で、ルーマニア・ブルガリアもそうですけれど、どうするのだと。そういうときに、彼らがヨーロッパ人だと思えば、やはり入りたいと思うだろうと。

田中

彼らが手を挙げたときにEU側はどうするかと。

どうするのかと。そういうものすごいリーストデベロップメントの国を。

田中

将来的には入れるのだろうと思いますよ。しかし、そうはいいながら、やはりどこかでカーテンをおろさざるを得ない。ずっと南に、ずっと東に行くわけにはいかないんですね。

トルコなどがその例だと。

田中

63年の段階で、トルコはヨーロッパだということをはっきり認定していますから、いろいろな条件さえそろえば、入るだろうと思います。ただし、今の見込みですと、ブルガリアやルーマニアよりももっと後になると思います。早くて2010年とか、あるいは2015年とかという話の対象国ではあると思います。ただ、私どもが知っているヨーロッパ人に話を聞くと、かなりのインテリでも、「トルコはヨーロッパではない」とはっきりいいます(笑声)。

なぜですかね。

田中

「もともとヨーロッパ統合なんていうのは……」という言い方を彼らはするんです。「あれはトルコに対抗するためにヨーロッパが団結しようといったんだ」とか(笑声)。

それは神聖同盟とか何とかといって。

田中

十字軍以来、そうなんですよ(笑声)。あるいは、「ロシアに対してやろうとしたんだからね」と。
それは1つの話ですけれど、やはりトルコはずうたいが大きいですよね。これを入れると大変だと思います。ポーランドが 3,800万人で、トルコが 6,400万人ぐらいですから。つまり、人口の上ではドイツに次ぐ第2の大国が入ることになるわけです。これが入るといろいろなバランスが崩れますから、そう簡単にはいかないのではないでしょうか。しかし、政治的な判断とすれば、トルコはヨーロッパであって、条件さえ満たせば、ここに書きましたコペンハーゲンの3基準さえ満たせば交渉に入りましょうということはいっています。それは戦略的な地勢学的なポジションから考えると、トルコは仲間に入れた方がいいと。
時々、言葉は悪いですけれど、トルコはすねるんですね。つまり、対等に扱ってもらえないと。それで、例えばNATOの施設を今度新しくEUでつくろうとしている緊急展開部隊の基地に使わせないといって、NATOの理事会でビートを出すわけです。それは私にとってみると、EUの不当な扱いに対するトルコの抵抗のあらわれだとみるわけですが、しかし逆に、今回のアフガンもそうですけれど、トルコは昔は対ソにとって大きな戦略上の拠点という意味で意識されていたわけですが、中央アジア、さらには中東へのゲートウェイですので、ヨーロッパにとってはトルコは戦略的にやはり重要であり続けるのだろうと思います。そうなると、やはり最終的には仲間に入れざるを得ないのではないかなと思います。ただ、大分先の話だということです。

東ヨーロッパの問題として市場経済化とか環境ということがよく出て、そういう分野の援助が多いのですが、最近、日本への援助要請の中に、「EUに加盟するために支援してください」ということで(笑声)、気分的に複雑なところがあるのですが、そこは日本とヨーロッパの日欧協力のシンボルとして一緒にヨーロッパを援助するということがあると思うのですが。

田中

加盟させるために援助するのではなくて……。

ええ。ただ、加盟条件として、例えば環境規制をEU指令に合わせなければいけないとか、そういうことなのですが。

田中

ターゲットとしてはそういうものが出てくるわけですね。

ですから、それ自体はクオリティが上がっていくので、当然いいことではあると思うのですけれど。ただ、環境などですとまだいいのかもしれませんが、産業協力にしても、EUの統合がどんどん進めば、今の日本のかかわり方が大分変わってくるのでしょうか。

田中

EUとしては加盟前援助というものをもう既に99年から始めていますが、プリアクセッション・アシスタンスといっていまして、それで一番力を入れているのは環境です。つまり、環境汚染の被害を受けるのは自分たちだという意識がありますから、中・東欧の環境汚染は予想以上にひどいということで、加盟してから対策を講じるのではなく、今からいろいろな形で対策を講じないと危ないという認識が強いと思います。ですから、プリアクセッションの援助に関しては、環境を必ず入れろという指令は出ています。
では、そういう問題に日本がどうかかわるかということですが、今度の12月8日に調印される第2の文書とアクションプログラムにも、ヨーロッパ等の協力をいろいろなところでやろうということになるのだろうと思いますけれど、例えば、バルカン半島の問題に関してEUがいろいろな形で日本を支援するとか、あるいはKEDOのメンバーになるとかといった裏返しに、日本がボスニアヘルツェゴビナに始まって、コソボ等々の南東アジアの安定化のために資金を出し、人を出し、ノウハウも出して既にやっているわけですが、そういうものの延長線上から考えると、例えば中・東欧の環境問題に対してぜひ日本のノウハウを出してほしいとか、あるいはお金を出してほしいということになってくるのだと思います。
それから、一番大きなのは、原子力発電所とか、今のロシアの原潜とか--ですから、コロ半島とかあちらの問題に関しても協力を恐らくしてほしいなんていうことを言い出しているのではないかと思います。つまり、EUもチェルノブイリですごく痛い目に遭っていますので、自分たちの本当の意味での死活的な利益にかかわる環境問題ですから、そういうことに日本を巻き込むというのは当然彼らの主張の中には入ってくるのだろうと思います。原子力発電所と原潜の対策をどうするかというのは、緊急を要するのではないかなと個人的には思っているのですが。

ロシアはどんなふうにみているのでしょうか。東欧のところは全部ヨーロッパになりたいといっていると。それで、東の方は冷戦構造ではなくなってくると、日本もロシアに対する関心はすごく落ちていると思いますし、アジアの統合とかいっても、ロシアなんていいですし。ロシアというのはヨーロッパに対してどんなふうに考えているのでしょうか。あるいは、ヨーロッパ人はロシアをどのように最終的には扱わなければいけないと思っているのでしょうか。しばらく忘れていてもいいのか。

田中

いやいや、そんなことはないですよ(笑声)。ヨーロッパにとってロシアはやはり怖い存在であることは間違いないです。ですから、レジュメに1行ぐらい書いたと思いますけれど、ロシアとの関係で、94年6月にPCA(提携協力協定)というのを、これはECが結びまして、あとはNATOとロシアとの間で同じような協定が94年にできています。ですから、ロシアに対しては、西側の方は依然として、「ロシアを忘れているわけではありません。あなたたちは私たちにとって重要なパートナーです。いろいろな対話と協力をしましょう」ということで基本線はできています。
ですから、今回のアフガンの問題に関しても、いかにロシアをアメリカやヨーロッパ側につけるかというのは、当然、その共通外交安全保障政策にとっては一番大きな課題だったと思います。ロシアは地続きですし、フィンランドとロシアは国境を接していて、しかも 1,600キロの長い国境線を共有していますので、EUにとってみるとロシアは決して遠い大国ではないんですね。隣国なんです。ですから、ロシア状況で西側が一番恐れているのは、ロシアの社会の不安定化です。ロシアがある意味で安定化していることは、西側にとっても重要であると。そのためには何をすればいいかと。ですから、ロシアの受け取るいろいろな援助の一番の出し手は当然EUになってこざるを得ないわけですね。
ただ、ロシアがヨーロッパをどうみているかというと、少なくとも彼らはEUに入りたいとかNATOに入りたいとかということはまだいっていません。将来、あるかもしれません。西側の方はそれはいってほしくない禁句だろうと思います。なぜかというと、ロシアを入れるとその重さでつぶされては困るというのが本音だろうと思いますので。
逆に、ロシアは、弱者の恫喝を使っているのではないかなと思うのです。つまり、いろいろなものを引き出すために、「自分たちは強くないのだ」というところを時々みせるんですね。それで、EUがやっている対ロ支援は、中・東欧のプログラムはPHAREというシステムですが、それとはまた別の形でTACISというプログラムを用意してロシアを支援していますけれど、「そこにもっとお金をつぎ込まないと、いろいろ問題が起きるかもしれませんよ」といった弱者の恫喝はしている気配がみられます。しかし、EUにとってもロシアは相変わらず怖い存在ですから、ご機嫌を損ねないようにと、その辺は注意しているのではないでしょうか。

ASEAN+3の自由貿易地域をやろうとか、あるいは中国がASEANと自由貿易地域をやろうとか、そういうことはロシアにとってポリティカル・インプリケーションはもう余りないのでしょうか。潜在的にあるかもしれないですね。ヨーロッパの方だけをみていてくれるなら、それは構わないけれどと(笑声)。

田中

いえいえ、ロシアは決してヨーロッパの国だけではないですから。ロシアは使い分けているんじゃないでしょうか。自分はアジアの国だということをはっきりいいますし。例えば、アジア・ヨーロッパ会合のASEMというのがありますね。ヨーロッパ側は今、EUの加盟国+欧州委員会で16なわけです。アジア側はASEANのうちの7+日・中・韓ですね。それで、次のメンバーシップをふやすのは、今回、アジア側なんです。今でもヨーロッパ側よりもアジア側の方が数が少ないわけですから、EUの方はあと何年かするとまたメンバーがふえて、それを全部入れるかどうかはまた次の話かもしれませんけれど、「アジア側のメンバーをふやしましょう」とはEU側はいっているわけです。「ただし、アジア側で意見を1つにまとめてください」と。
そのときに、ASEANの残りだ、ニュージーランドだ、オーストラリアだ、インドやパキスタンだといった中に、公式ではありませんが、ロシアも入れろと。つまり、「自分たちはアジアなのだ」という言い方をして、アジア側のメンバーとしてASEMに入れてほしいと。そういう話も聞いております。ですから、決して、自分たちはヨーロッパサイドだけをみていればいいとは思わないのではないでしょうか。その辺はロシアもちゃんと使い分けて、わざわざプーチンさんがアジアのいろいろなところに、特に北朝鮮に行ったり中国に行ったりしているのは、決してアジア側を忘れたわけではないということではないかと思います。

バルセロナ・プロセスというのは、パートナーシップとしてどのくらい実態があると考えていいのでしょうか。かなり形はきれいな感じですが。

田中

形はきれいなんですよ。2年に1回外相会議を開いて、その間に専門家会議を開いて細かいところを詰めるということになっているのですが、あの地域が安定していればいいのですけれど、まずイスラエルとパレスチナの関係がここのところずっと悪いですから、その部分に関して動かないんですね。それで、EUは、ミドルイースト・ピース・プロセスの中で、これが1つのクッションになって平和交渉が進展することを期待しているわけですが、現実はどんどん悪化の方向に行って、彼らは思っているような形で進んでいないことをすごくいら立っています。
ですから、今回、9月11日事件のいろいろな後の対策の1つとして、バルセロナ・プロセスをもう1度勢いを取り戻させて、それがミドルイースト・ピース・プロセスを側面からサポートする方向に使うべきだということをいっています。
ただ、私も細かくはみていないのですが、全体的な印象とすると、枠組みだけで、そんなに動いていないのではないかという印象はもちますね。ただ、文書はかなり分厚いです。ダウンロードするとすぐたまってしまいます。EUは文書をつくるのを商売にしているんじゃないかと思うくらい、文書をよくつくりますね。ただし、すぐ出てきますから、基本的な文書を用意するのはすごく簡単です。日本の場合はどこからとっていいのか全くわからなくて、読んでもわからないという法案が多いですけれど。解説がついていないですからね。
例えば、こういう対外関係で、これも聞かれるのではないかと思って一生懸命探しておいたのですが、これはEUと対メキシコ関係で、4~5枚の紙にまとめてエッセンスが書いてありますが、「これを詳しく知りたい方は、どこどこに行って全文をみてください」とかそういう話になるのですが、こういう情報開示がEUはすごく進んでいると思います。バルセロナ・プロセスから変なところに行ってしまって済みません。

それは日本がおくれているだけで、世銀でもどこでもそうしているのではないかなと思いますが。ただ、おっしゃったように余り膨大になってくると、WTOでも何でも、クリックするといろいろ出てくるけれど。それはビオクラシーとしては速く載せてと、そういうことはよくわかるのですが、全体としてどうかなと考えると……。情報開示がないよりはいいですけれど、それが自己目的になったら……。

田中

Cさんの最初の質問の中で、人々はどうみているかという話がありましたが、あれにお答えしていませんでしたけれど、人々の目からみると、EUというのはほとんどみえないんです。それはEUの旗があったり、「第九」がEUの歌であったりということはあるかもしれないけれども、普通の市民からみると、EUはほとんど目に入ってこないですね。それで、5年に1回の欧州議会選挙のときぐらいしか普通の人は権利行使をしないし、オンブズマンとか制度的にはいろいろなものがあって、権利が侵害されたときには訴訟に行ったりいろいろなことができるのですが、普通の町の人には、EUが何をしていて、EUで自分たちの生活がこんなに豊かになっていますよとか、あるいは逆に被害を受けていますよとか、そういう実態はほとんどないのではないか。
唯一、ここのところはっきりみえてきたのは、シェンゲンというのはもともとEUがつくったものではないのですが、国境での検問がなくなったことによってヨーロッパが自由に動けるということは、実感として感じているかもしれませんけれど、それがEUのおかげでそうなっているとか、そういう意識はほとんど普通の人はもたないのではないかと思います。
ですから、これは明らかにエリートが中心になってどんどん進めて、市民の反応というのはユーロバロメーターで「これだけ支持があります」というのはわかるけれど、その答えている人だって、実感的に「EUがこういうことをしてくれている」と感じている人というのは非常に少ないのではないかと思います。

今度、通貨がユーロになると、皆さんが実感し始めるという可能性はあるでしょうか。

田中

少しずつだとは思いますけれど。ただ、自分が1万円札を使うときに、「福沢先生、ありがとうございます」といって使っているかというと、使わないでしょうね(笑声)。慶應アイデンティティをもつというわけでもないと思います。ですから、ヨーロッパの通貨をもって自分はヨーロッパ人だと思うというのは……。

でも、今でもスコットランドでは、スコットランドの通貨をもってスコットランド人だと思っているという、そういうある種の精神的集中があるのか。

田中

ああ、スコットランド人はそう感じるかもしれませんね。ただ、ヨーロッパ人はどうでしょうかね。そういうシンボリックなユーロの効果というのをどこまで信じているのか、よくわかりません。

私が最初に伺ったのはそういうことなのです。一番最初におっしゃった、これはドイツとフランスがやり出したのだと。しかも、そのドイツとフランスはトップですよね。そして、今でもトップ主導で、「絶対にヨーロッパは1つになりたい、戦争はやめたい」というグラスルーツが政治家を突き上げたのではなくて、むしろトップダウンでやったというのがあって、何も自分たちに影響がないうちはそれでやったらいいけれど、補助金をとられたり、安いものが入ってきたり、あるいは環境とか、どこかの食品などの問題があってそういうものが盛り上がると、まだわからないんじゃないかなというのがあって。
それから、一橋の梶田先生だったと思いますが、EUと国と地域のアイデンティティというのは非常に健全に行くときもあるけれど、例えば、フランスの農民だったら国というのがトラックでストをしたりとかというのがありますし、ベネルックスの国だったらもうほとんど国というものがなくなってEUになってというのがあって、そういうダイナミズムがありますから、その国のサイズとか産業構造とか農民の役割とか労働者とかということがあるので、それがかなりダイナミックに動いていくので、必ずしも収束とか、3つが非常にバランスがとれてアイデンティティがもてる国ばかりではないのではないかと思うのですが。

田中

おっしゃるとおりです。今度、日本はベルギーとサッカーをやりますけれど、ベルギー人というのは1人しかいないというんです。それは国王しかいない。あとはバロン人とフラマン人しかいない。彼らがベルギー人と感じるのは4年に1回のワールドカップのときだけだというわけです。そして、事実そうだと思います。私は、たまたま96年にベルギーが準決勝に残ったときにベルギーにいました。ですから、本当にそう思いました。そのときは、「ベルギー!ベルギー!」でベルギーの旗が振られるわけですけれど、ふだんはそうではないですね。
イタリアも、国ができたのは日本やドイツと同じころですから、私はフィレンツェに1年おりましたけれど、あそこの人たちは、最初に来るのはトスカーナ人なんです。それで、イタリア人よりもヨーロッパ人と思っている人の方が私の周りには多かったです。彼らもイタリア人だと感じるのはサッカーのワールドカップのときだけとさえいえる。ですから、国によって状況はさまざまですが、これは理想形だと思います。「こういうふうにうまくバランスよくもってくれればいいな」という、半分希望的な願望も入っているようなところがあって。
それで、ユーロバロメーターなどでみますと、平均で一番強いのはやはりその国に対するアイデンティティで、ヨーロッパ人だけだと思っているような人はほんの数%しかいない。

そのバランスが変わっていくということですよね。ドラスティックにとかすぐにということではなくて。

田中

そうさせたいと、少なくとも欧州委員会はヨーロッパ人としての意識をもってほしいと思っていることは間違いないですね。ただ、それもおもしろいのは、レファレンダムの結果をちょっと申し上げましたけれど、92年6月にマーストリヒトを否決したのがデンマークで、ニース条約をことし否決したのはアイルランドですが、第三者的にみると、アイルランドとデンマークはEUに入っていることで経済的には一番もうけている国なんです。それにもかかわらず国民は「ノー」という、あれがわからないんですよね。デンマークなどは共通の行政政策で一番もうかっている国ですよね。しかし、これ以上統合を深めたくないという意見なのかもしれないですね。
アイルランドの場合は、戦略を間違えたのだと思います。ほっておいても大丈夫だとみんなが思っていて、あそこで「ノー」が出るとはだれも思わなかった。ですから、私はネグリジェンスだと思っているのですが、ちゃんと候補もしなかった。ですから、恐らく次はプラスの結果が出ると思いますが、出直しを余儀なくされている。アイルランドも、本当にヨーロッパの片田舎だったのが、EUに入って、英語が通じるということもあって、投資を集めて、一番得をした国の1つだと思います。ヨーロッパのコールセンターというのは今アイルランドが一番多いようですね。距離が関係なしになって、英語ができるということで。
ですから、一番もうかってなさそうな国が「ノー」というならわかるのですが、一番もうかっていると私どもが思うような国の国民が「ノー」という。これもパラドックスですよね。

EUに立地する企業にとってみると、マーケットが広がったという効果は余りないというのが実感なのでしょうか。

田中

ただ、中に入っている企業さんは活動は既にヨーロッパ大になっているわけですし、これから入ろうとしている国にインベストなさっている方たちは、大きなマーケットの中にこれから入っていくということは、当然、頭の片隅にはちゃんとあるんじゃないでしょうか。

時間軸が長いものですから。今、東欧の方に広がっていることによって、EUに入ったからといってドーンとマーケットが広がるわけではなく、やはり実態上の障壁もあるので、そんなに一日一日で広がるものではないですし。ただ、市場統合の効果というのはかなり明らかで、それは物づくりもそうですし、サービスにしても、EU大で規制改革みたいなことをやっているわけですね。そういう意味では、金融にしても通信にしても運輸にしても、EUのジャイアントというのは集約されていますよね。ですから、市場を拡大するという効果は明らかにあったのではないかと思うのですが。

田中

貿易関係は、明らかにメンバーに入ることによってだんだんイントラヨーロピアンの貿易がふえていきますよね。イギリスだって、入る前は30%ぐらいしか貿易依存度がなかったのが、今はもう50%ぐらいになっているわけですね。それは中での取引にはなっているのでしょうね。

すべての完全障壁を全部関税率に換算した物流の障害度は、アメリカ・カナダの間の率とヨーロッパ域内の率と今同じくらいだという試算をみたことがありますが、アメリカ・カナダというのはすごく緊密な感じはしますが、ヨーロッパもそんなに緊密なのかなと思うのですが。それは計算の仮定にもよりますでしょうけれど。

田中

関税が中はなくなってしまいましたからね。

EUが統合することによって大きくなりますから、外から統合が入ることも市場にリンクするという意味があるし、中でまた再編成が起こるという意味もあるけれど、それは同じことをアジアやASEANやASEAN+3でいえるかというと、ちょっと違うと思うのです。EUでは何十年かやってここまで来て、それ以上どんどんやって、本当に1つの国になって国境が溶解してしまうということではなく、ある程度バランスして、こんなものかなというところに行き着いたのかなというのが私の質問だったのですが、アジアをとってみると、統合するわけはないけれども、ASEANやASEAN+3に入らなければ日本に売れないとか、そういうことはないわけですよね。ですから、アジアの将来像としてのヨーロッパを考えたときに、全然違うところと、これは学べるというところとがあると思うのですが。

田中

おっしゃるとおりだと思います。ですから、後発の方のアドバンテージは、先発したグループの中からいいものだけとればいいと思うのです。この地域に合うものだけを。それで、ヨーロッパがやったことが理想形ではなく、ヨーロッパはああいう形で今日まで50年かけて来た。その中でアジアで適用するならこの部分だとか、そういうものはあると思います。プロセスも、ヨーロッパはこういう形で過程で進んできましたと。しかし、アジアはこの部分は一足飛びでやってしまいましょうと。そういうことだってあると思います。

それは具体的に何かありますか。

田中

例えば、関税同盟からスタートして、あのころの関税同盟というのは、工業製品に対するいわゆる関税を中だけなくして、外に対しては域外の共通の関税を設けましょうという話だったわけですが、今は自由貿易地域だって工業製品だけの話ではなく、サービス貿易とかいろいろなものがいっぱいくっついていますね。ですから、名前は同じようなことでも、実態は全く違うものが現実には適用されているのだと思います。つまり、ヨーロッパが50年かけてここまで来たものを、アジアならそこはもう10年で済ませることもあり得るのだと思います。
それから、安全保障の分野でいくと、信頼醸成装置とかオープンスカイとか、いろいろなことをヨーロッパでは敵対的な国の間のわだかまりをなくすようにどんどんしていったわけです。それで、最近はいわゆる予防外交というものがキーワードになっていて、紛争が起きてから何とかするのではなくて、紛争が起きないように早め早めにしていくということがヨーロッパでは当たり前になりつつありますが、それをこの地域でも使い始めていますね。ですから、ヨーロッパでやってきた中から、皆さんの方でそれを考えなければいけないのだろうと思いますが、アジアの例えばASEAN+3の枠組みの中では何が使えるか、何をすべきかと、そういう話になってくるのではないでしょうか。
それから、先ほどいいましたように、EUらしい政策領域、つまり、国際協力をすることでうまくいく政策領域とそうではない政策領域がありますから、国境を越えた協力をこの枠組みの中でやるべきところはやった方がいいと思います。

ァシリテーションのようなものは、関税だけではなく、Bさんがいつもいうけれど、いろいろなものをパッケージにできるから、それはそうかもしれませんね。ただ、いろいろな発展段階があるので、EUよりはファシリテーションも、一方から向こうへ助けたり、猶予をつけなければいけない部分もあるかもしれないけれど、もうちょっと大きいことをいうと、例えば、これに入らなければ市場に参加できないというのはアジアはありませんから。それから、援助をもらうにしても、日本が援助するのは別にASEANから出たり入ったりは関係ないですから。それから、一番最初のポリティカルなものというのは、アジアでいえば日・中になるのかもしれませんが、そういうコンテクストで、日・中で仲よくするために、あるいは統合していこうというのは、そういうのはまだ何もないですから、大きいところでEUのエンジンになったものというのがアジアであるかなということを考えると、大分違うような気がするのですが。

田中

特に中国というのは大き過ぎて、つまり、同じような規模の国々が集まってという、例えば、最初に始めたときは、西ドイツ、フランス、イタリアというのが 5,000万から 6,000万を切るぐらいのサイズですね。そういう同じようなレベルの国々がいたからああいう形でできたのかなと思いますね。ところが、片や10何億という国があって、片や小さな国もあるわけですから、そうなるとなかなか難しいですよね。1つの地域を考えるときに、その意味をなす部分というのはほとんど中国の部分で、あとはその他という感じでしょう。

私の感じでは、経済的には日本がすごく大きくて、あとは普通の為替で換算すれば小さいと。軍事的にいえばやはり中国が大きくて。ですから、ASEANと中国と日本、そしてNIESはそのどこかに入るとして、その3つの関係を考えたときに、どう考えても、ヨーロッパの独と仏のバランスがとれて今までずっとこっちが攻めてあっちが攻めてとやったようなことは、非対称性が大きいですよね。

田中

そういうことですね。ですから、決定方式なども、国の人口の大きさなどは無視して4大国は同じとか、東西ドイツが一緒になっても最終決定機関である理事会の票数は同じと。しかし、欧州議会のメンバーは人口比例をちょっと足さなければいけないから、やはり少しドイツをふやすとか、そういうことが取引できたわけですね。ところが、中国のサイズはけた外れに大きくて、それと一緒にしようとしてバランスをとろうとすると、将来、何か制度化をしようと思うとかなりきつい話になりますね。ただ、経済的にみると日本が圧倒的に強いという話はおっしゃるとおりでしょうから、逆に日本をどうやって使うかということになるのでしょうね。

その辺は国際政治的になって、経済では解けないと思いますけれど、リーダーシップをとるとすると日・中でしょうから、その性格は、経済も軍事も全然違うし、過去の歴史の清算みたいなものもないので、まずそれを解消しなければいけないとか、しかも、一方的なものですよね。

田中

それから、ヨーロッパの経験からもう1ついえることは、いろいろな組織をメンバーシップを変えながら積み上げてきているわけです。ですから、EUというのはこうやってみるといかにもきれいにでき上がっている印象をもたれると思いますが、例えば、人権の問題はカウンシル・ヨーロップという別組織でやるとか、そのメンバーシップはものすごく広いわけです。ですから、ファンクショナルにいろいろな仕組みを別にして、そして、これらはASEAN+3、あるいは、例えばASEMに出てくるのは今はASEANの中の7+3とか、メンバーシップが違っていてもいいと思います。横からみるとすごく不ぞろいで、あまりきれいな構造になっていないけれども、それぞれの分野はそれで一つ一つが機能していると。そういうのをこの地域でいっぱい積み上げていったら、昔の言葉では機能主義といいますが、ファンクショナルなネットワークをお互いにクモの巣のようにかけ合うことによって、主権国家をがんじがらめにして戦争をさせないようにするとか、そういう話になってくるわけです。

じゃあ、ある意味では、官僚をほっておいて、いろいろなメンバーが違うものを、APECとかASEANとかASEMとかをどんどんつくっていけばいい。

田中

そう、どんどん積み上げていく。

それは今実際にアジアで起きていることで、APECもそうだし、ASEANもそうだし、ARFもそうだし、ASEAN+3もそうだし、そういう努力をいろいろなところでやっていて、EUが50年前に始めたことをやっていると思うのです。

田中

それをあえて1つのものにしなくていいわけです。いろいろなもので、この場ではこういう国々のこういう人々の集まり、この場ではまた別のメンバーシップを変えながらと。そういうのはヨーロッパから学べる知恵だと思います。

ということは、今のでいいということでしょうか。

関税同盟とか自由貿易地域とか、関税を下げることだけを念頭に置くからイメージが違うので、フォーラムをつくって制度を統一していくとか、投資のルールを一緒にしていくとか、あるいは政策協議の場を設けるとか、ファシリテーションをより重点的にやっていくとかということだと思います。そのできたものについて何という名札をつけるかというのは別の問題なので、柔軟に考えればいいことなのだと思います。

田中

1つにすることはそんなに急がなくてもいいと思います。ファンクショナルなものをどんどん積み上げていって、いろいろなフォーラムがある、それでいいんじゃないかと思いますけれど。

実態はそれとして、目標として何か明確なものを掲げるか、それとも……。

田中

東アジア共同体をつくろうという話になるのか。その辺になると、ちょっと……。

FTAをバイでたくさん結んでいくというのは、結局、そういう機能主義をやっているわけですね。一つ一つのFTAの中身は違っているわけでしょう。ですから、それをやるための1つのツールになっているのではないでしょうか。

FTAというのは、メキシコがいろいろなところでやっているように、将来的に共同体に行こうとするFTAと、それとは違う、その機能的な目的だけをあれするものと、2通りあるのかもしれないですね。日本とシンガポールは、実は我々はもうちょっと先をみて、日本とシンガポールとあれすることが最終目的ではないということをやっているのですが、ただ、そこのゴールもまたよくわからなくて、ASEANの範囲でとまるのか、中国・韓国を入れるのか、あるいはもっと広くするのかとか。そうなるとなかなか難しいのですが。

ですから、イシューごとにやるというより、FTAならFTAを一生懸命やっている国が一握りいて、どこの国もシンガポールとやっているとか、メキシコとやっていて、それに入ったことによって、今いったような意味でアジアの中のファンクショナルな層がふえていくのかどうかというのは、よくわからないんです。

釈迦に説法ですけれど、ヨーロッパと比べて、同じように戦争をして、同じように一たん疲弊して、同じように域内に共産国やらいろいろあってと、そういう歴史をたどりながら来ているわけで。日本と韓国というのは比較的その中では近い国だし、地理的にも、制度的にも韓国は日本と同じような制度をつくっている。その2つの国がこれだけうまくいかないということに象徴されていると思うのです。やはり歴史的な問題なのでしょうか。

田中

みんな「日・韓はしんどい」といいますね(笑声)。でも、そんなこといっていてもしょうがないのであって、何かやらざるを得ない。
これは宣伝ではないのですが、サッカーの日韓4大学戦なんです。単なる日韓戦ではつまらないので、慶應は日韓条約以前の昭和39年から韓国のヨンセイとおつき合いがありますので、慶応ヨンセイ軍対早稲田高麗軍というを12月15日2時から国立競技場で、入場料無料というので、これを日本でやって、3月にソウルでやるのですが。ですから、ワールドカップ2002年の景気づけでもあるわけですけれど、あわせて「日韓の友情の競演」とか、私は今そういうことを一生懸命仕組んでいるんです。これは私はサッカー部の部長としてやっているということで(笑声)、常任理事としてやっているわけではないのですが。
でも、この関係でいくと、ドイツとフランスの間はどうやって仲よくなったかということがすごくおもしろいと思うのですが、毎年、10万人の規模でお互いに若い人を行き来させないといけないと思うのです。独・仏はそれを意図的にやったんです。63年のエリゼー条約というのがありまして、10万人規模でアデナウワーとドゴールが合意をして青少年の交流をしようと。もちろんその前からあるのですけれど、そういうものがベースになっていると思います。ですから、私は前から、10万人のオーダーで日・韓とか日・中は人を動かさないとだめだと思っているんです。そういう人の動きを活性化させる、つまり、障害になっているものをどんどん取り除いていく。日・韓などは、ワールドカップのときだけではなく、もっと人が自由に移動できるような方向を考えなければいけないのかなとも思います。最終的には、ヨーロッパのように検問なしというところまで行きたいですね。

日本の中には、中国人の方と韓国人の方がたくさんいらっしゃるのですが、50年たってもそれがなかなか社会の中でうまくお互いにわかり合えているのか、いないのか、難しいところですね。

田中

独・仏は、お互いに悪口はいいながらも、お互いにあだ名で呼び合うような関係ですよね。それでも、少なくとも戦争はしないというところで仲よく手を結んでいるんじゃないでしょうか。

きょうは貴重なお話をありがとうございました。これで終わりにしたいと思います。

――了――