第11回アジアダイナミズム研究会 議事録

  • 平成13年11月26日 19:00~21:00

それでは、本日の研究会を始めさせていただきたいと思います。

きょうは、まず、何をやろうとしているのかということがある程度合意できるなら、あとは、大きいイシューから順番に、こういう線でいいかということをどれだけ合意ができるかということを議論していくということと、本をつくるとしたら、その章立てなども念頭に入れて、合意できるところは最初の章に入れて、できないところは個人の名前で書いていくとか。そういうことでいいかどうかも議論したいと思います。
我々は今まで10回やってきて、いろいろ出た意見をまとめるとこうなるかなという中間の整理みたいなことをやろうというわけです。最終的には年度末に本の形にまとめようということがあるので、それをどういう構成にするか、内容的にどこまで合意がとれて最初の章に入れられるか、そういうことを議論するためのたたき台にしたいと思います。
我々が議論したことを基礎にしてつくりましたけれど、ひょっとすると、議論したけれどここに載っていないものもあるかもしれないし、全然議論していないけれど勝手に入れたものもあると思いますが、その辺は幾らでもプラス・マイナスしていただければと思います。まだこれをどのように使うかというのははっきり決めていませんので。

経済産業省で使える部分があるとしたら、どういう形になっていたら使いやすいですか。

議論の中で我々が仕事の改革をしたり見直しをしたりするときに、こういう議論や論理は使えるなと思うという意味で日常的には使わせていただきますけれど、形がこうでなければいけないとか、こうであるべきという、その観点からはどちらでもいいと思います。
むしろ中身の点で議論させていただいて、この部分はいろいろ分かれるところだとか、ここは言い方に工夫が要るかなという議論をここではして、具体的に本にするかどうか、あるいはするとしたときにどういうネームにするかとか分担にするかという話は、みんなで議論するというよりは、別途、少人数でご相談させていただいた方がいいような気がしますけれど。

経済産業省とか我々が関心があるのは、そのどれを盛り込むかというよりも、個々の問題についてどれだけ深く議論できるかということですね。

特にこの最後の2~3ページの「具体的施策に関する提言など」という分野になってくると、私たちの日々の話に非常に結びつく話が多くて、我々としてはこういうところを迷っているんですけれどとか、こういう批判に苦しんでいるんですけれどという話は出てくると思いますので、議論させていただきたいと思います。

例えば、もうやったものもありますけれど、贈与と円借款の問題をどうするかという議論、それはここで大いにやればいいと思いますけれど、本をそれで埋め尽くすというのではなく、本ができてから経済産業省の役に立つというよりは、それは外へのアピールの1つとして考えた方がいいのでしょうね。

外へのアピールということを考えると、前半の考え方の整理というところが大事だと思いますけれど。実務的に我々が使う使わないというところは、本という形だとすると、余りおもしろくないのかもしれませんけれど。

本としては、8割方、ある部分は序章に取り込んで、こういう議論があったということをいいますけれど、その残りは個別のイシューにどんどん入っていただいてもいいですし、ポイントを全部カバーできなくてもいいのですが、このくらい深い議論ができるよという見本のようなものを並べる。全部、百科事典的に書こうとすると大変な作業になりますから。

それはいいと思いますね。最初の提言、共通の認識のところは全体である程度やるとして、個別のところは何人ぐらいで書けばいいのか。経済産業省の方はお忙しいとか、立場上書けないということもあるかもしれないし。

最後のアウトプットの使い方というのは、ファシリティはありますので、まとめて、この研究会の名前を出すか、それぞれ個人の名前を出すかというクレジットの問題はありますけれど、それは別途ご相談をさせていただきたいと思います。その書き方もいろいろあると思いますが、最初に書いてある共通枠のような基本的な発想をきちんと書いておくというのはアピーリングなのだろうと思います。ここまでは岸本君と田口君と、そして先生に手を入れていただいて論点はまとまっていますが、この中身についてもう少し議論をさせていただければと思います。

ということで、どのように使うかはまだ確定していませんけれど、上の方から、どれだけ我々は議論をして意見が集積するかということをやってみたいと思います。
分類するときに、この3つに分けましたが、1は憲法の前文みたいな感じで、短いけれどすっきりと何をやろうとしているかということを書きました。特にこの「共通枠組」というのはこの研究会をよって立たせる部分で、皆さんこれに反対だということになると研究会を進めるのに大変なので、これでいいのかどうかというのを、ワーディングも含めて、みていただきたいと思います。
2と3は、原理・原則にかかわる論点と、もう少し具体的な政策に分けた方が便利だと思ったので分けましたが、これもまだ分け方は議論は幾らでもできると思います。
それでは、「共通枠組」からしましょうか。これは読んでいただくしかないのですが。気がついたことをいっていただければと思います。

全体のトーンとしては私は全く合意するのですが、真ん中辺の経済外交のビジョンというところだけちょっと引っかかるので。というのは、これは対途上国向けの経済外交だけなので、経済外交と書いたら、本当は対中国の話とか国際機関をどうするかとか、そういうものも含めての話だと思うので。ですから、「第1に」と「第2に」とありますけれど、もし経済外交とうたうのであれば、対先進国、対国際機関とか、そういうことがもう1つ入っていなければいけないし、途上国という言い方をしていいかどうかわかりませんが、そう絞り込んでこの2つを出すか、どちらかにした方がいいのではないかと思います。

つまり、経済外交ではなくて、開発協力とか、対途上国協力とか。私が書いたのは経済外交というもっと大きいものがあって、それは先進国同士の不況対策から為替変動から全部含まれるわけですけれど、その中の1つのエレメントとして特に日本にとって重要なものが経済協力であると。それは為替の問題とか資本移動の問題とか、環境の問題でも何でもそうですけれど、その中に位置づけなければいけないとすると、私の意図からすると非常にブロードな経済外交が一貫していないといけない。その中の1つに経済協力があると。経済協力といっても、ODAだけでなく、ノンODAとか、NGO、企業ベース、その他いろいろあると思いますけれど。そういう意図です。

WTOとかアンチタンピングをどうするかとか、通商政策と我々がいう分野も含まれて使っておられるのだと思いますから。開発協力というと、狭過ぎるということなのでしょうね。ですから、Cさんがおっしゃったように、途上国を主要な相手とした経済外交といえばそれでいいような気もしますけれど。

途上国を対象とする経済外交……。

途上国という言葉を使うと、シンガポールをどうしようとかちょっと思ったりもするのですが。

韓国はどっちかとか。

そこのところは主にワーディングの問題だけですけれど。
二重アイデンティティというのは、個人的には私は余りこういうふうに思っていませんけれど、別にこういうレトリックでも構わないなと。

じゃあ、どういうレトリックがあると思いますか。

というか、余りこういうことは考えたことがないので、よくわからないんですが。別にこれでも私はそれほど抵抗はないのですけれど。

アイデンティティといってもいいし、目的といってもいいし。アイデンティティは何か抵抗がありますか。

抵抗はないですけれど、この研究会でこういう2つの大きなアジアの一員としての日本ということと、先進国の一員としてグローバルアジェンダに取り組むべき日本というのが、ここには「排他的なものではない」といいながら、第2の「アジアの一員としての日本」に特化する話になったのは、こういうグローバルアジェンダの中で特に日本はアジアの経済発展に関心があり、かつ、利害関係を有するという意味においてであって、先進国でないアジアの一員として日本がアジアに対して責任を負っているという、そういう話ではなかったはずなんですね。ですから、むしろ先進国化しつつあるアジアをサポートするということではないのかなと。
こういう明治維新以来の日本の二重性格――コウモリのように、おまえは鳥類か哺乳類かどっちかわからんと、こういわれていた日本という場合のアジアというのは、極めておくれていた、あるいは欧米とは違ったバリューの世界でのアジアということが前提にありますよね。そういう議論でのアジアを今まで取り扱っていたのかというと、そういう面がないとはいえない。例えば、アングロサクソンとは違う価値観をもったアジアというのはあるかもしれないけれど、先進国に向けておくれていたアジアが急速にキャッチアップを続けている、それをさらにサステイナブルなプロセスにするために日本として何をするかという、そういうまさにこの研究会の表題が示しているような意味でのアジアで、例えば、アジアの中にそういうものの恩恵を受けていないアジアがあるとすれば、ASEANの後進国がひょっとしたらそれに当たるかもしれないけれど、そういう意味では、我がアジアダイナミズム研究会の対象としてそれほど深い関心をもっていないのかもしれませんね。
そこは日本企業からみたアジア、日本がステークホルダーとして非常に関心を持ち得るアジアというものなのではないのかなと思うのです。恐らく皆さんは同じことを考えているだろうと思いますが、その際に、この二重アイデンティティとしてのアジアということをいった途端に、何か対立する2つの座標軸を連想してしまうので、ちょっと違和感があるような気もしないでもないのですが、どうでしょうか。私は自分のパーセプションで物を言い過ぎているかもしれませんが。

私もEさんがいわれたことには賛成です。ただ、Bさんもそういうおつもりで書いてはおられないですよね。西欧とか近代とかとアジアという、そういう軸で分けているわけではなくて、グローバルな課題への全世界的な取り組みに参加するという側面と、アジアにおける経済活力を高めるために何をやったらいいかという、そういう2つの軸がありますということですよね。それに「二重アイデンティティは、19世紀以降……」というのとつながると、何となくそうではないということになるのでしょうか。

最初のパラグラフで「新状況に照らして常にその内容を吟味・改訂しながら」と書きましたけれど、もう少しはっきりいえば、アジアはもう日本の下ではない、ある意味で対等に上がってきたということも1つの新状況ではあるし、ずっと議論してきた中国というのはどうなるのかとか。アジアが下で、欧米が上で、日本はどのポジションに置くかとか、そういう議論は昔はあったかもしれないけれど、今また違うということを考えていますけれど、そこは明確には書いてはいませんがもちろんそうなので。そして、中国に追い越されてもこのパースペクトは一応同じだと思います。
それから、今、Eさんがおっしゃった、関心があるのはダイナミックで上がってきている先進国化しつつあるアジアで、何も起こっていないアジアには関心がないかというと、ODAの観点からいうと、例えば、ラオス、カンボジア、ミャンマーとかですか。

バングラデシュとか。

もう少し東のネパール、ブータン、その他ありますけれど。

地勢学的にアジアだからということで、ODAが比較的手厚く配分されていても、日本企業自体の関心は皆無に近かったりして、アジアダイナミズムという言葉が余りピンとこないというか、アジア村の一員として日本が先進国の中でバードシェアリングをする際に、地勢的に日本がアジアの一員なので、たまたまアジアにODAを手厚く割り振っていると。それはヨーロッパの国がアフリカを面倒みているように、アメリカが西半球の国を面倒みているように、日本がアジア村をきれいにするためのグローバルアジェンダの対策にお金をある程度余分に出すということはあると思いますが、これはアジアダイナミズムとしては余り関心がない。私は産業界に傾斜し過ぎる言い方をしているのかもしれませんが。ジンバブエやザンビアにお金を出すというのと、ネパールにお金を出すというのとでは、日本の企業にとってみるとそれはほとんどどっちでも――将来、ネパールがどうなるという話はそれほど関心はないと思うのです。

私はネパールまでは射程にないのですけれど、ミャンマーまでは、ASEAN10ということは別にして、可能性は皆無ではないと思うのです。

ASEANというものがインテグレートされたおかげで、ASEANはひょっとしたらミャンマーもラオスもカンボジアも入ったのかもしれません。あと、技援がある国というのは大体利害関係が間接的にはあるとか。モンゴルとかスリランカなんていうのも、ASEANではないけれども関心があるのかもしれません。

実際にアジアダイナミズムが稼働しているグループがあって、それはベトナムぐらいまでを含むと思いますけれど、でも、地域的に近いので、実際にその国の政治が安定したり、政策が変わったり、政権が変われば入っていく可能性があるのは、北朝鮮はもちろんそうですけれど、ミャンマーがそうですね。ラオス・カンボジアというのはちょっと難しい気がしますが、でも、ラオスはベトナムとの政治的関係とタイとの経済的関係が非常に強いですから、両者が活性化すれば当然派生的に活性化する。ラオスだけが投資して上がるということはないかもしれないですけれど。ですから、今、何も起こっていない国でも、ASEAN域内にある国、あるいは東アジアにある国というのは、私は、コアではないけれど、その周りの国として射程に入れてもいいんじゃないかと思いますけれど。ネパール・バングラデシュになるとちょっとわからないのですが。南アジアは、どれだけ組み込まれるかわからないのですが。

真ん中のところで、経済協力をめぐっての話だということがはっきりしていれば、私はそれほど抵抗ないのですが。けれど、上の方で日本の経済全体がこういう二重アイデンティティであってとかというと、やはりちょっと抵抗があって、アジアといった途端にいろいろなことが連想されて、1884~85年から脱亜論でどうしたとか、大東亜共栄圏のことを思い出すし、そこまで議論しなくてもいいんじゃないかと。

それははっきり書いていないけれど、新状況がどうとかいっているのは明らかに戦前の考え方で、欧米には戦いを挑むけれど、アジアは植民地化するとか下にみるとか、そういうアジアの二重アイデンティティの発揮の仕方というのは明らかに不可能なわけで、それはもう終わった時代で、戦後はまたアジアに対してもヨーロッパに対してもかなり屈折したものがあって、それは常に再生していくけれど、2つの軸を組み合わせなければいけないということは……。
私がここでいいたいのは、最初に書いてある日本の繁栄とアジアの繁栄を重ねるやり方という、どちらが上だとかははっきり書いていませんけれど、それが新状況ですよね。そういう戦前の脱亜論とか大東亜共栄圏が出てくるのだったら、そういうものを超克というか。でも、やはりアジアと先進国の軸は残るけれど、片一方について片一方に支配とかそういうのではないと私はいいたいのだけれど、そういう言い方が非常に抵抗があるならまた考えますけれど、私はそれでいいんじゃないかと思う。

そこまでいうのだったら、やはり通商政策とか、もっと大きな話も含まれていないと、スコープが足りないんじゃないですか。

ある意味で含まれているんですけれど、ただ、経済協力に焦点を当てるから経済協力中心になるけれど。
議論した後でCさんが書き直すというのはどうですか。大体私の線はこれだから、あとは筆を入れていただく。

いいですけれど、結構変わっちゃったりして(笑声)。

今のこの段階で、例えば、FTAの議論を視野に入れていないというのはあり得ないと思うのです。それがいいというか悪いというかは別にして、中国とASEANのああいう動きがあって、みんな日本はどうするかと思っているわけですから、そこは出てこざるを得ないのではないかと思うのです。結論は両方の意見があると中に書いてありますけれど。

私が本当にしたいのは、ODAに限らず、セーフガードの話でも何でもしたいわけですけれど、FTAが本当にいいのか、シンガポールとやっていいのか。でも、そうすると、援助でやってくださいということだったから、ある程度そういうバックグラウンドはあるけれど、もちろん通商は通商で正面から議論しなければいけないし、国内保護の問題も正面から議論しなければいけないけれど、それをやっていると議論が拡散するということがあるので、それでこうなっているわけです。ですから、経済外交というのは、通商、投資、労働移動から留学生政策から日本の国内政策から、それが一貫しなければいけないと私はいっているので、その中の1つのエレメントとして経済協力、その中にODAとかOOFとか民間協力とかNGOとかいろいろあるわけで、それが私の夢です。ただ、それを全部議論すると大変なので、できるだけそういった後で経済協力の方に議論を絞っていこうというつもりなのですが。

そうであれば、FTAと書きたいか書きたくないかは決めればいいと思うけれど、もう少しアジアダイナミズムというところを具体的なコンテンツを書かないとよくわからない。FTAと書けば具体的なコンテンツはあるんですね。それは書きたくないということであれば、何か違う、もう少し説得力のあることで話を束ねないと、アジアに対する経済外交というのはちょっと弱いんじゃないか。

第2のアジアの一員としての我が国のビジョンで、この背景にあるのは、日本の得意分野としての物づくりをアジアにうまくレプリケートしていくという発想、これを日本として特に重視したい。それがアジアダイナミズムの背景の1つの大きな背骨だと。それはそのとおりなのですが、実物経済、実物経済と何度もおっしゃっていて、金融的な問題はあくまでもセカンダリーなことだと、こういう話なのですが、実物経済の発展ということは最終目標ではあるのだけれど、車の両輪としてマネタリーな部分も無視できないし、逆に、例えば日本が通商企業協力などをやるときでも、人、金、技術とあったときに、ネックがどうしても金になって、潜在性はあるのだけれど大事な部分にお金が流れない、さあどうしたらいいかという話で、金融セクターのボトルネックの問題というのは常に意識せざるを得ないので、金融セクターの話はセカンダリーだと余り言い過ぎない方がいいと思うのです。
マクロ安定化のところに話が行き過ぎて個別のセクターの問題を軽視するというのはよくない、というのは非常によくわかるし、第2のところに書いてあるように、まさに開発という問題を議論する際に実物経済軽視、あるいはマクロ化重視というのはよろしくないというのは全くそのとおりだと思いますが、マネタリーな世界はどうでもいいということにはならない。そんなことはおっしゃってはいないと思いますけれど。そこは経済統合の話でも同じで、関税引き下げで物の移動を自由にするというのもそのとおりですけれど、これから資金の移動も当然いやが応でも入ってくるし、その資金の移動というのは必ずしも物の取引と関係のない資金の移動というのが出てくるわけですし。さらには、マンデルンなどがいっているような通貨の統合みたいな話も出てきて、やはりそのカレンシーの問題というのも避けて通れないわけです。おっしゃっていることは非常にシンパシティックなのですが、ややリアルセクターと言い過ぎかなという感じがします。

いっていることは同じだと思うのですけれど、ただ、国内貯蓄動員のメカニズムとして金融セクターを育てなければいけないというのはそうなのですが、私がいっているのは、そうしなければいけない理由が、ただ発達していないからもっとトランスペレンシーをというのではなく、どうやったら資金が流れるかが目的なので、それを忘れてはいけない。ですから、金融のセクターはある意味で核になるわけですが、アジアのどこの国でも量的には非常にあるのだけれど、それがうまく流れていない。それでなぜ対外自由化してたくさん海外貯蓄を呼び込まなければいけないか、そういう議論なしに自由化してしまうということがあるわけです。ですから、ある意味でそうなのですけれど、今の日本以外の議論をみていると、余りにもマクロ金融が、あとは制度的なものもありますけれど、それが強過ぎるということのバランスをとるために、ある意味で挑発的ですけれど、ある意味では当たり前だと思いますが、わざと書いたのです。
ですから、市場ファンダメンタリズムのようなもののバッシングがアジア危機の後にありましたけれど、あれと同じ趣旨ですが、そんなにはっきりは書いていませんけれど、銀行セクターをリストラするというときの目的が、どれだけ資金が正しいところに流れるかということになければいけない。ということが余りにも忘れ去られている時代が長かったからということです。

でも、コンテンツの問題は別途議論するにしても、通商政策も国際金融政策的なところに入るのかわかりませんが、そういうものもいろいろインテグレートしてアジアに対してはやりますよ、ということは別にいっても構わないんでしょう。コンテンツの問題は、例の円の国際化の話だとか、アジア共通通貨の話だとか、そういうのにBさんはスケプティカルなのはよく知っているし、私も結構そうですけれど、その中身の問題は別途議論すればいいけれど、いろいろな経済協力政策を一緒にしてやるのだということは書いてもいいわけですね。そうしないと、経産省だけのプログラムになってしまうということもあるので。

もちろんそうですが。為替の問題も、資金の流れの問題も、資本自由化の問題も、株式市場育成の問題も、銀行、リストラ問題ももちろん重要で議論すべきだけれど、その目的が自己目的になって、どれだけトランスペレンシーになっているか、どれだけ欧米基準に合っているかとか、いけないとか。
私はちょっととげのある言い方が好きなので、そういうリアルセクターの問題が先にあるということを入れたかったのですが。

対比させる場合でも、マクロとミクロ、もしくはセミマクロのような、そういうとらえ方の方がご趣旨を体することができるような感じがしますが。最後の金融的な問題はそのサポートとして位置づけられるというのはわかるんです。マクロスタビライゼーションだけの問題に余りにもマルチの機関が努力を傾注し過ぎて、リアルセクターを忘れているというのは事実だけれど、リアルセクターといった場合に、彼らはマクロではリアルセクターを自分たちは当然ディールしていると。問題は、その先へ行かないわけですね。比較優位の問題や人的資本の問題などまで話が行かない。やはりそこはマクロ経済安定化だけでは話が進まない。中国などは、これから議論していく際にも、マクロ全体としてはつじつまは合っているけれど、内部の分配が非常にバイヤスがかかっていて問題というのが構造的欠陥だとすれば、それは従来のIMF・世銀的なアプローチで中国の問題というのは片づかないとみんなわかっているわけですね。

リアルとフィナンシャルで分けましたけれど、そして、マクロをフィナンシャルの方に入れましたけれど、Eさんの言い方ですと、マクロ、ミクロ、その中間のメゾ――産業とか組織みたいなところ、その大きさで分けた方がいいということですね。

この研究会では、その真ん中のところがすっぽ抜けになっていることにコンサーンをもつというところがスタートになっているわけですね。彼らはミクロをやっていると。それは独禁法をつくったり、個々の企業のコーポレートガバナンスの話をやっているといっている。そのやり方がまたメソドロジーが違うのかもしれませんが。マクロはもちろんやっていると。そして、制度論をやるときはミクロをやっていると称するわけですが、少なくともセミマクロとかメゾとかというのは、ピッキング・ザ・ウィナーがいけないというイデオロギー的な抑制ももちろんあるし、情報面での不確実性からそれはできないという反省もあるし。
いずれにせよ、手がけていないし、そういう面でのエキスパーティズムがどこかに散逸されて、マルチの機関にはそれが全然育っていないというのも事実で、そこは日本の比較優位だと思うので。それはリアルセクターというよりは、リアルとファイナンシャルの両方なんじゃないですか。

そうとも思えますけれど、やはりリアルとフィナンシャルの分け方もあると思いますけれど。その言い方だと、我々がいうダイナミズムというのは、産業あるいは組織のそれであって、マクロ経済バランスやミクロ的な制度構築だけではだめだと。私のいっているのは少し意図が違うんです。
そうすると、マクロとミクロとメゾのどれが一番大事かと、そういう議論はできないですよね。抜けているということはいえますけれど。リアルにサーブするためのフィナンシャル、あるいはマクロ安定、あるいは制度構築も全部そうですし。

それは先生のおっしゃるような、経済統合といったときには、今の実物なのかフィナンシャルなのかという話とはどう絡んでくるのでしょう。FTAもしょせんは手段なので、目的はどういう姿なのかというと、結局、経済統合のその経済の中身が、ミクロ的なもの、あるいはBさんのおっしゃる実物経済的なものになっていくのではないかという気もするので。フィナンシャルなどを切り離したものではないのですが。

そこのところはリアルだと思います。ただ、FTAに何でもぶら下げればいいわけではないですが、通商政策ということが一番の柱になっているのだと思うので、その部分は明らかにリアルですよね。でも、ASEAN+3という話になったときは、チェンマイイニシアティブとか、AMF構想とか、いろいろな考え方はあるにしても、そういうのも一緒に束ねた方がいいと思います。経済外交という意味では、本当に一緒にはできなくても、メッセージとしてはぜひ一緒にやるべきではないかと思います。

私もうまく頭の整理ができていないのですが、気分とか雰囲気としては、どちらかというと、実物経済とか産業経済とか、そういうものとのかかわりで金融もそのほかの制度も、目的はそちらの方というBさんの方に私はシンパシーを感じるんです。それは経済統合であっても、経済統合の結果どうなるべきかというところは、その部分はどうやって地域全体として強くなるかと、そこへ行くのではないかなと。ですから、先ほどCさんのおっしゃったアジアダイナミズムの中身の説明をもう少ししないとというのは、おっしゃるとおりだと思いますが、そこは説明すると、そういうところをもう少し詰めていくということかなと。そのための手段のところでは論点は分かれるのですが。

もっといえば、FTAなどは手段ですから、それだけが自己目的になってFTAだけやることになっては困るわけです。それは為替の問題でも同じですし、貿易自由化でも資本自由化でも、ともかくどこまで自由化したかの競争をやっているんじゃないので。

全くそのとおりだと思います。けれど、どちらが先かといったときに、特定の産業を育てるということが先にあって、その手段として貿易自由化をおくらせる、あるいは一部譲って一方はリテインするとか、そういう逆のコースをとった場合、やはりそれもまたおかしいということになって、結局、どちらも手段なわけですね。メゾ政策的なものも手段だし、貿易自由化をどういうスピードでやっていくかというスムージングオペレーションみたいなものも手段だと。そうだとすると、ファイナルゴールは何かというと、やはり所得の向上であり経済発展だということに、トートロジーかもしれないけれど、結果的になってくるわけで、結局、第2のビジョンというのは経済開発のビジョンなんですね。
それに対して、第1のビジョンというのは、グローバルアジェンダであれば、経済的なもの、社会的なもの、何でもかんでも全部一緒くたに入れて、それを開発という大きなバスケットの中にほうり込んで今議論していて、一方に市場ファンダメンタリストたちがいて、市場は十分機能していないと称する人たちは、貧困問題、教育問題、環境問題、エイズ、難民、災害をやっていて、それが市場の補完的なアジェンダで、これはみんなでグローバルにやっていかないといけないイシューだということなのですが、ちょっと待ってくださいと。その経済外の話に行く前に、市場だけでは十分できない問題があるのではないですかというのが第2ではないかなと。
ですから、今、経済の外にCDFで広げ過ぎている振り子を逆にもとに戻して、やはり1丁目1番地は経済開発ではないですかと。そして、経済開発がひいてはエイズを減らし、貧困を減らし、難民を減らしていくのではないか。そういうところに論理を整理していく。そういう意味で、第2の方は「経済お忘れなく」という感じになっている。ですから、リアルかファイナンシャルかということ以上に、経済の中でまだやることが残っているのではないですか、マーケットに任せ切りにできないことがあるのではないですかと。この第2はそういう問題提起ですね。
それから、細かい話ですけれど、環境というのがグローバルアジェンダによく出てきますが、実はグローバルアジェンダでない環境問題というのがアジアの場合は非常に深刻で、炭酸ガスの問題というよりは、まさにSOX 、NOX 、パーティクルの問題がむしろこれから中国その他で本当に大変なことになってくるわけで、グローバルアジェンダとしての環境というのは、我々は気候変動の問題に今かかり切りになっていますが、アジアにとっては気候変動の問題というのは、ご承知のように、アジェンダになり切っていないというか、むしろ南北問題的な対立の軸の中でそういうのはアジェンダにしないようにしようとしている国が結構多いので、それでいつも我々は困っていて、それでも彼らが乗ってきてくれるのは、成長のボトルネック除去としての環境問題というのが常にあって、その環境はむしろ下に入ってくるので、エネルギーの安定供給などと同じ、例えば民活できちんと発電所ができるという話と、その発電所が四日市ぜん息を起こさないというのとはほとんど同じ次元の問題に近いんですね。経済開発への寄与というネガティブな意味でのリーボトルネッキングという意味なのですが。
ですから、グローバルの方に環境があることは全く賛成なのですが、実は環境問題に、村の一員としての環境という話と、自分たちの成長のボトルネックをこれ以上ふやさないという意味での話と両方あって、後者の方についてはむしろアジアダイナミズムの中でこれからも議論していくだろうと思いますが。

最後に「排他的なものでない」というのは、まさに中国の環境問題とか、貧困問題でも同じですけれど、貧困が成長のボトルネック、あるいは民族間の不平等がただ社会的に抹殺という状況にあるだけではなく、本当に開発の障害になる国というのはあり得ますから。というより、ほとんどの国がそれを放置して所得不平等になると成長にもかかわるという問題ですけれど、ある意味で、貧困関係その他全部、ローカルなバージョンでもあるわけですが。

その辺が機能で第1と第2を分けるというところの苦しいところだと思います。東アジア向けのものというのは環境であっても何であっても、アジアダイナミズムの中に位置づけてやるべきではないか。それは私の言い方では、スコープの大きな東アジアFTAも視野に入れた幅広い協力をしましょうと。それは全部東アジアということで束ねますよと。そこに環境も入ってくるしと。そういうふうにした方がいいのではないか。

社会の安定なども第2の方に入れるということですか。

ええ。東アジアについては。そういうふうにした方がメッセージがずっとはっきりするんじゃないかなと思います。

ビジネス環境という意味ではそうですね。

要するに、同じ東アジアの国をやるのに、貧困や環境は第1の方に入っていて、そうでないものは第2に入っているというのは、やはりメッセージとして弱い。

ですから、一言で「排他的でない」というのはもうわかっていることだけれど、それを書き始めると、今度はそっちが中心になってしまって分けたことに意味がなくなってくるので、余り書くのもどうかと思うのですけれど。表現の問題として。そうすると、上と下と同じじゃないかと、アジアのやり方は全部線をかいてやればいいじゃないかということになる。けれど、ヨーロッパの範囲でアフリカや中南米でやることは許しませんから、やはり舞台はアジアになってしまう。そうすると、日本の中国に対する環境問題のやり方とCOPでやっているようなことは、ちょっと違うレベルで分けるべきなのか。

内容が違ってくるべきであれば違うことをやればいいと思うし、同じことであっても、中国なら中国に対する協力というのはほかのこともやっているわけですよ。そういうのとパッケージにした方がいいんじゃないか。

ただ、一番最初に書くのにそれを余り入れ過ぎると薄まってくるような気がしたので、できるだけシャープに書いたのですけれど。第2のところに、「ただし、貧困、環境、紛争その他の問題というのは、グローバルに限らずアジアでももちろん中心的な課題になり得る」とか書いてもいいと思いますけれど。

そういうふうに書くのだったら、Bさんのレトリックでまず書いてもらうことが大事だと思うので、私のレトリックで書くとしたら、スコープの大きな東アジアFTAとか、あるいは、遠い将来の経済統合に向けた動きとして全部位置づけますと書いた方がメッセージは強いだろうと私は思っていますけれど、そういう書き方に抵抗があるのであれば、そこのところを説得力のある形で書いてほしいと思います。

第1と第2を分けるというのは、はっきりわかりやすく書いた方がいいと思いますけれど、でも、我々が検討しようとしているのは第2なので、その第2がどこまで外延があるかというのは、トータルに書いてもいいと思いますが。

東アジアFTAなんてそんなにすぐできないから、いいじゃないですか。

この前、外務省の懇談会でBさんがいわれたときは、第1は「先進国の一員として」ではなく、「世界共通の何とか」でしたね。

「グローバルな問題への貢献」でしたか。

問題の方をグローバルにされたんでしたっけ。議論していくと、最初の「先進国の一員としての」と「アジアの一員としての」という二重アイデンティティから結びつけて、「今の新状況に照らして」と書いてありますが、「先進国の一員として」というのがどうしても「欧米的な」とか、そっちの方にイメージが結びついてしまって、それは多分19世紀後半のころのイメージとは全然違うものになっているので、引っ張ってこない方がいいような気もしてきましたけれど。せっかく書いていただいたのに、こんなケチのつけ方をするのは大変心苦しいのですけれど。むしろ、問題の中身がグローバルな目からみた問題というのと、我々がよりフォーカスを当てたいのは、「アジアの経済システムの一員としての、そのダイナミズムの一員としての」という、第2の方だけにした方がイメージが混乱しないでいいような気もしてきたのですが。

「グローバルイシューズ」とかいっていたんじゃないでしたか。

私の頭の中では、グローバル問題とアジア問題への貢献と日本の二重アイデンティティが重なっているので、一緒にして使っているわけですが、アイデンティティの二重性というのが私の中では全然矛盾はないし、私の言いたいことのためのレトリックですけれど、それが問題があるなら抜いて、「グローバルな貢献」と「リージョナルな貢献」とした方が、共通枠組みとしては受け入れられやすいのか。

私はFTAの話は基本的にCさんの意見に賛成ですけれど、それは置いておいて、国内の空洞化の話というのは共通枠組みの中に入ってこないのでしょうか。「もう日本企業は外へ出ていくべきでない」とか、そういう議論が新聞などでよく出ていますね。そればアジアダイナミズムに対するアンチテーゼなのだと思いますので。

それは共通枠組みというよりも、ここでいえば、5ページの(9) の問題がそれに当たるところで、セーフガードのことも含めて、日本の中は弱いから、アジアダイナミズムの方が相対的に強くなると、日本が保護主義になる、あるいは内向的になるという問題、これは(9) には余り書いていませんけれど、非常に重要な問題ですよね。ある意味でこれだけで研究会をやってもいいくらいな大きなテーマだと思いますけれど。

Aさんの問題意識は、それをもっと前面に出して議論をすべしという意味ですか。

セーフガードがどうかというのは各論の話なので、今動いている話を書いても仕方ないと思いますけれど、基本的な考え方は書いておいた方がいいんじゃないでしょうか。

空洞化を恐れずに、ダイナミズムを高める方向で……。

恐れずにというより、むしろダイナミズムを高めて活動範囲を広げて、国内をどんどんそういう高いところへもっていくというのが、これから日本の進むべき道だからと、そういう基本像は書いておいた方がいいと思いますけれど。

それは書いておいた方がいいかもしれない。それは私のアジアダイナミズムのイメージに近いので、それは貿易を自由化するかどうかということとFTAをつくるかというのは別の次元で、それだったら私は書いてもいいと思います。それは絶対FTAの方に行かないとできないものかというのは、その辺は私は疑問なのですけれど、それを目的にすることは……。

アジアダイナミズムというのは、我々はそういうことをいおうとしているわけですよね。なぜアジアのダイナミズムということを問題にしているのかというのは、そこを日本も含めてということだと思うので。

そこはなかなか難しいですけれど、そこを論証しようとして頑張ると結構大変な部分なのですが、でも、そこをある程度はやらないと、なぜという話になかなか答えられないということですものね。

リアルセクターとかそういうこと以外は、ダイナミズムの中身については余り何もいっていないわけですけれど、6ページの①が一番最初のところで、アジアはどんどん変わって、強くなっているところもあるし、ショックが起こっているところもある。それに対して日本が内向きになってやるというやり方はおかしいということに対して、それはある程度守ってもいいのだというのはあり得ると思いますけれど、守るにしても、非常にマイルドな形で、起ころうとしている民間の変化を殺さないような形だったら、セーフガード的なものを本来の趣旨に合うのだったらやってもいいとか、そういう議論はできると思うけれど。

あとで囲いで出てくるからいいということなのかもしれませんけれど。

もっと前の方に入れてもいいと思います。それと並列して、FTAとかそういうものを目標として掲げるというようにすると、Cさんのビジョンとぶつかってくると思ったので。私のいうダイナミズムというのはまさにそれなんですよ。逃げないでオープンにしていくと。

逃げないでオープンにしていくために、域内の自由化を先行的に進めたり、あるいはその制度をそろえていくとか、あるいはその目的のもとに経済協力を使うとか、産業の協力のスキームをつくるとか、そういう枠組みとして経済連携の枠組みが使えれば、将来それは日本を含めたアジアが目指すべき方向なのだろうということなのではないかと思いますが。

それは1パラグラフあたりに書いてもいいと思います。つまり、「共通枠組」で私が書いたのは、中身についてはほとんどタッチしないで、それは後に回したのですけれど。私は、FTAというものを掲げなくてもできるような気がするんですけれど。ユニラテラルに。みんなでやらなければいけないところもありますけれど、それは自己目的になる必要はないし、中間目的としてもどれだけ効果があるのかというのは疑問があるので。

どういうオルターナティブがあるかという問題だと思いますけれど。

バイとかユニラテラルでやれることはいっぱいあるので。

でも、それができないから問題なんじゃないですか。

日本が農業を開放するというのは、リージョナルなグループをつくらないとできないというのは、私はそれは根本的には国内問題だと思うのですけれど。新しい農業ビジョンが日本の国内でできれば、WTOとだって、シンガポールとだって、ASEANとだって、どことだってすべて一歩前進するわけだから、それだったらWTOでもよくないのかなと思いますよ。

WTOはもちろんWTOでやるけれど、それは農業のためだけにやるわけではないから、むしろ農業に足を引っ張られていたらたまらないねという話だと思いますけれど。
2ページ目から少し中身について議論しませんか。

全部結論を出す必要はないと思いますので。では、2ページの「原理・原則にかかわる論点」の(1) ですが、結局、アジアダイナミズムというのをキャッチフレーズとして、その中身は何かということなのですが、①の貿易・投資を通じたアジア経済全体の活性化についてはどうですか。

私は、①も③もどちらもOKですよ。②はニュアンスが余りよくわからなくて。「一定の分業の姿」というところが何となくちょっと怪しいなと思っていて(笑声)。これは一体何を指しているのだろうと。①と③については全く抵抗はないです。

①に何とかの意見と3行ついていますけれど、①はそれに対して出た意見で、そのポイントに関する必ずしも説明になっていない場合がありますので。②はほっておくとして、①と③というはどういう関係があるか。私はどちらかというと①だけでいいような気がしていて、統合というのは必要のある分野ではやるけれど。だから、私の頭の中では①が上にあって、③というのはその目的・手段の1つとして位置づけられるわけで、③がないと①もいかないという感じではないんです。
皆さんは、経済統合的なものを長期的な目的として出すということについては問題ないですか。ここは目的ですから。私にとっては、①が目的で、③が手段の中の1つで、③にこだわると、この国は統合が進んでいないじゃないかとか、それが基準になってしまうとおかしなことになると思うので。

それは統合参加国が決めればいいことであって、だれに強制されるわけではないんじゃないですか。

これは(3) とか(4) もかかわってきますけれど、制度化された経済統合かオープンリージョナリズムかで、①はC、②が私の意見で、それと対応して、アジアの定義でCさんがASEAN+3と明確にいえばいい。私は、ひょっとして将来にほかの隣接地域が入るという可能性を入れてもいいし、ASEAN+3でも、ラオスとかミャンマーとかまだフルメンバーになっていないのもあって、そして北朝鮮・モンゴルも可能性はなきにしもあらずだけれど、ASEAN+3にはまだ入っていない。その辺は本当に入るポテンシャルがあるか、入り出したかどうか。入るというのは、結局、貿易投資のリンケージが経済の成長のダイナミズムのメカニズムとしての中心的な位置を占め出したか。それは統制ではっきりわかると思いますけれど。
ですから、自分の思うところをはっきりCさんが書いて、私が書いて、それを各チャプターにすると。そういう解決がいいんじゃないですか。

オープンリージョナリズムにしたかったらすればいいと思いますけれど、今、現実問題として、それが国が集まって自由化を進めていくエンジンにはならないですよね。ASEAN+3が話し合って、「僕たちはやっぱりオープンリージョナリズムにしようよ」となったら、そのときにそうすればいいと思う。

FTAの積み重ねによって、あるいはバイのトレードアグリーメントの積み重ねによって、グローバルに望ましい方向に本当に行くかどうかというのは疑問がある。

望ましいかどうかはわからないけれど、FTAのネットワークに入る国と入らない国が分かれていくという、プルリラテラルな自由化が進んでいくというのは今の時点の現実なんじゃないですか。

現実にそうなっているけれど、それは喜んで参加して推進すべきかどうか。

参加するべきだと思う。だって、ユニラテラル・リベラリゼーションはできないのだから。それから、やっても、結局そこのネットワークに入れないわけだから。

そこは私はちょっと違うんです。

それはどちらでも構わない。けれど、オープンリージョナリズムでしかやらないと、今ここでいう必要もないんじゃないですか。

まとめ方ですけれど、両方の中をとってどちらにも読めるようなことにするよりは、対比して書いた方がいいかもしれませんね。

それで読んでもらった方がおもしろいと私は思うのですけれど。

ただ、経済統合、あるいはFTAを長期的には視野に入れてというのは、どこかに入ったらいいなと思っているのですが。そして、そこから先の細かいことはまた別途書けばいい。

それは「FTAを必ず視野に入れて」ではなくて、「そういうことも可能性に入れて」ぐらいだったらいいですけれど。FTAをそういうバネとして利用するのも1つのオプションとして入れるとか、そういうことならいいですけれど。そうしますか。

(2) はどんな話だったかよくわからないんですけれど。

政策介入の根拠。これは、末廣昭さんが書いていた、日本で自由化して官僚支配をなくすとか民間にゆだねるとかいっているのに、なぜアジアで政策介入を強めなければいけないのか、あるいは日本型の産業政策みたいなことを推進しなければいけないのか、おかしいと。彼はどう思っているか知らないけれど、それはダブルスタンダードではないかという指摘はある意味ではもっともだと思いますので、それに対して、ある程度いってもいいかなと思ったんです。
けれど、実際には「政府介入か市場化」というのではなくて、(a)~(d)のような政府の介入というのは必要ですから、やってもいいんじゃないかと。これが成り立たなかったら、そもそも我々はアジアのためにいろいろ政府のレベルでやるという前提は成り立たないですよね。ただ自由貿易をして、コーディネーションも調整も、あるいはインフラも何もやらなくていいということではないはずですから。ですから、2のところは両論併記していますけれど、でも、政策介入の根拠はあるということで合意があれば、最初のところに入れてしまってもいいぐらいなのですが。

もう少し個別具体的におりないと。一般論としては私は抵抗はありませんけれど。

一般論としては、3つか4つぐらいの介入根拠があると。では、具体的にどう介入するかとなると……。

それは個別の問題でしょう。

公共事業にしても何にしても、日本でも規制緩和という議論は行われていますけれど、究極的にも全部なくなるわけでもないし、政策介入というのは必ずあるわけですから、昔風の産業政策とかというのとはちょっと違うとは思いますけれど、度合いと中身によりけりだと思います。ただ、3ページの一番上の段落に出てくる「産業ビジョンの作成」ということになってくると、イメージが違うかもしれませんが、私は若干抵抗があって、ボトムアップと書いてありますけれど、ボトムアップといいつつも、しかし、仕上がるものがどの国ではどういう産業とか、そういうイメージのものだとすると、何か違和感があるなという気がします。どこかある時点のスタティックな姿を描いてしまうというのは何か違和感があるのですが。

この②と③の区別がちょっとあいまいですけれど、(2) は経済政策をやる原理――どういう根拠が一般的にあるかということで、その具体的な例として①、②、③といったあたりを出しているわけですが、必ずしもこの①~③に限るわけではなく、ある意味で個別の例を出しているわけですから、これはほかのところで議論すべき問題かもしれません。
それから、今いったビジョンの問題というのは、これも丁寧に議論しないと、昔風の社会主義的なものになってはいけないけれど、ボトムアップで情報を集めて、一体この国というのは、ベトナムでもそうですけれど、政府は自分たちはこうやっていると思っているけれど、投資家はみんなこういうことをいっているよということをまとめる機能というのは、JETROだけで足りるかどうかというのは問題があって。そういうやり方はいいと思うのです。それは民間の意見をくみ上げて1つの形にするという作業ですから。ですから、言い方はかなり気をつけなければいけないことは確かですが、不確実性とかコーディネーション問題とかいろいろなものを解決する、ほっておいたら民間でぐちゃぐちゃになってデッドロックになってしまうものを政府が整理して形にしてやるというのは、十分やり得ることだと思います。

FTAで自由化を進めていくと、エグジットストラテジーをどうするという話が必ず絡んできて、それをきちんと描かないままにただやると、必ず声の大きい人がワーッとさわいでつぶしてしまうという傾向がありますよね。日本が撤退戦略をかなりやった産業というのは、1つは石炭を中心としたマイニングセクター、もう1つは、第1段階の縮小をやったさまざまな構造不況産業、なかんずく繊維。この2つはかなりダウンサイジングを、もちろん高度成長期という恵まれたところではあったけれど、やれたと。それはセクター別ビジョンがあったからという面もありますし。石炭工業合理化促進計画というのはどういうものか、そしてそのためにどういう一時的な産業調整的なことをやるかというのを、石炭産業がみずからやったのではなくて、そういう意見を聞きながらやはり政府がやったということで。
それに似たような、撤退をきちんとビジョンで考えてもらわなければいけない産業というのは、ASEANの中には結構あるわけですね。これからまじめにAFTAをやっていくと。そこはもちろん難しいですけれど。計画経済に近いものにならないようにやるという面と、しかし、ある程度はスムージングオペレーションで何をドロップするかというのは、ストラテジーで一番難しいところではあるけれど、必ず答えなければいけない質問であるので。

ほぼ育成したときに、それはいい方か悪い方になるかはわからないけれど、それを満たしたときに、どうやってそれを外していくかというストラテジーということですね。
私が思ったのは、コーディネーション・フェーリアみたいなものがあるときに、そんなにお金や保護は要らないけれど、そういうものもあり得るのではないかと思います。

具体的にどういうイメージでですか。

ベトナムの話をすれば、ベトナムの政府というのは、日本は、電子投資をやりたい、バイクも投資したいのだけれど、工業省とかが全然できていないので、投資もODAも一番やっている国が、筋の通った政策になるまでそういう圧力をかける。具体的にはそういう政策レベルでの勧告もできるし。

勧告しないまでも、政策変更のプログラムをあらかじめきちんとアナウンスしておくとか、あるいは政策の透明性を高めるようにさせる。そういうことでも解決できることが結構あるわけでしょう。

それから、ベトナムの鉄鋼でやろうとしたら、市場とか自分たちの実力を全然考えずに、一貫製鉄所を立ち上げるとかいっているから、そんなことやってもだめだよというのを、いろいろなグラフや数字を並べていってあげる。ある意味で政府の中で解決すべきことだけれど、工業省も投資省も年寄りの政治家からの圧力がありますから、それに対抗して外圧として使っていただくと。

国営だから出てくる問題だともいえるわけでしょう。

今の話は非常によくわかりますけれど、言葉にこだわるわけではないのですが、コーディネーション型介入というと、通産省が特にそういうことをいうと、設備の共同廃棄、生産調整、その他、いわゆる行政介入で企業の独自の判断をある程度ディストートする、それをコーディネーションという言葉でやってきましたので、そこは誤解が生じやすいかなと思うのですが。

ただ、それも全く否定されるべきではないと思うのです。

例えば、これから中国の自動車を高度化するということを仮に日本が何か支援するときに、WTOで関税を80%から25%まで5年間で下げるといったときに、どういう自動車産業が望ましいかというビジョンをかく。ここまではわかったと。しかし、それをするために、中国のどこがやるかわかりませんけれど、M&Aも含めた産業組織に対する介入というのをどのようにするか、この絵をかくということはできるかもしれませんが、かなりコントラバーシャルになりますよね。けれど、それは何らかの形で起こるだろうし、その起こったときにそれがいかに中国にとって望ましいものになるかというのは大事なことですよね。

直接投資を受け入れるところは彼らはコントロールできるわけですね。

そうなんですね。そこはインスツールメンツがありますから。

受け入れのところには何も政策規律がかかっていないから、トヨタは入れないとか、それは何ともいえないけれど。

ビジョンについてもいろいろなバージョンがあるわけですね。

そこはそんなに詳しく書き込まなくてもいいんじゃないですか。

と思います。ただ、政策介入する根拠は十分あり得るということで、実際に超過投資をやっているときに、個別企業まで介入するか、そこまではいかなくていいと思う。(2) の最後の○と、(7) の真ん中辺とでつながっているんですけれど。結局、アジアにおける介入根拠というのはいろいろあるということは、もう合意として入れてしまってもいいですよね。アジアダイナミズムの中身にもう少し踏み込んでやるということと、FTAに触れるというのと、その辺は強引に入れてしまって。

(5) と(6) の中国やASEANの話は個別に書けばいいですね。

中国の話はもう随分長くやっているけれど、その両面があるということはおもしろいので、できればそういうチャプターがあるとおもしろいのではないかと思います。ASEANについていえば、例えば、トラン・ヴァン・トゥ先生のこの間の話では、AFTAとかASEANというよりも、アジア全体の中の1つのプレーヤーとして考えなければいけない、ASEANの中だけのAFTAの視野とかそういうことではだめだという、そういうのもおもしろいとは思うのですが。
中国とASEANというのは、ある意味でかかわっているし、ある意味では別々にも議論できるけれど、アジアのダイナミズムのメインのプレーヤーとして入れるのも、具体的地域や国があっておもしろいと思います。

それから、(8) は、対アジアについてはコーディネーションなど知らないと、とりあえず無視しておいたらどうですか。

アジア各国で世銀とかやっているので、最大のドナー国が無視してやるわけにはいかないんじゃないですか。

でも、CDFに積極的に関与する必要はないんじゃないですか。

今、CDFは東アジアではベトナムだけですよね。もう少しアジアの定義を広げれば、キリギスタンなども入るのかもしれないけれど。

ベトナムは特殊な事情じゃないですか。東アジアについては余り強調する必要はないんじゃないかと思うのですが。日本がアジアダイナミズムに何が大切かということを考えて、それをやる。世銀に何か聞かれたら、「おれたちはこうやっている」と説明する。

少なくともベトナムではCDFの中に入っていかないといけないし、全く別にパラレルで経済協力を企画するということもできないのだから。

ベトナムだけですよね。

あとの国はCDFみたいなものはないとしても、同じ貧困削減とかそういうものを強調してやっていく。貧困国は全部そういうフレームワークでやっていく方向に行きつつあるから、結局はそれに対してどういう態度をとるかということがはっきりあってもいいんじゃないですか。(8) の国際機関のところは私がほとんどつけ足したのですが、恐らくこれは中でそれほど議論していなかったと思います。だから、積極的に協力できるときは協力して、エンゲージメントをむしろ強める方向にやっていくけれど、違うと思う部分、抜けていると思う部分、余計なことをやり過ぎていると思う部分ははっきりいうとか、そういう感じで、引くよりも押した方がいいと思うのですが。ただ、日本の援助関係者ができればの話ですけれど。

日本のアジアに対する協力を貧困削減のためにやっているなんていう必要はないと思います。

それは意見が違うのだけれど。ある意味で、CDFを変えてしまえばいいんですよ。ベトナムCDFはベトナム政府自身の抵抗によってちょっと違うものに変えられてしまったけれど、世銀はまだアイデアとしてはそれでやっていく。

ご参考までに申し上げますけれど、けさ、世銀のベトナム・デパートメントのナンバーツーをやっている長谷川さんという、財務省の出向の人なのですが、来て、このCDFの話を聞いたら、もう世銀も飽きてしまって余りやっていないらしいんです。ベトナム政府自身のサボタージュというのもあるのかもしれませんが。今、キーワードになっているのはポバティ・リダクション・ストラテジー・ペーパー(PRSP)という、これまたIDAのいろいろな国でやっているもので、PRSPをやらないとIDA30はやらせないということがあったようですけれど、そこではえらく話がフォーカスになっていまして、来週、ベトナムCG会合を行いますが、ポイントは3つだと。
1つは、SOE――国営企業の株式化、エクイタイゼーション。民営化とはいわないんです。2つ目は、パブリック・アドミニストレーション・リフォームということで、これはある程度ガバナンスなど。3つ目は、パブリック・インベストメント・プランという、社会主義国ですから、インフラはソフトセクターも含めてどうリソースアロケーションをやるかと。この3つがPRSPのポイントだといっていました。ですから、ものすごくノンエコノミックな分野まで大ぶろしきを広げて始めたCDFなのだけれど、何となく手に負えなくなってきたので、結局、経済の話のもとに戻ってきて、PRSPという形はとっているけれど、人口の問題とか貧困の問題とかエイズの問題とかいろいろ当然あるだろうと思いますが、余りそういうものが出てきていないんですね。逆に我々の関心の分野に近いのかなという感じがしました。
ですから、CDFという発想をずっと世銀がほかの地域ではやっているのかどうか、私は最近知りませんけれど、ベトナムについては余りコンプリヘンシブではなくなっているということのようですね。焦点をどこに当てないとベトナムの安定成長は望めないかという、そこのところにだんだん話が収れんしてきているような感じがしました。

それなら、我々はCDFに乗ってあげなくても、もともと同じことですね。

そういう意味で、かつての世銀のペットアイテムに余り考慮しなくても、アジアダイナミズムの中でマルチの機関とも連携していきましょうということで大体尽きているのかなと。アジアダイナミズムに世銀・UNDPその他、もちろん関与はしているでしょうから。

ベトナムがそうなっているときにどう関与するかというと、ほっておけば、PRSPはそう簡単に消えないけれど、その中身の問題ですよね。みんな貧困国がPRSPをつくらされるようになるわけですから、ある意味で、昔あったのと同じようなものになっていくと思うのですが。

極めてインスツールメンツにくっついていて、PRSPがないとPRSCがもらえない――昔でいうSACですが。そして、PRGFというのがIMFのインスツールメンツとしてあって。ですから、PRGFとPRSCをもらうためにPRSPをつくると。そこは話が非常にフォーカスされているのではないでしょうか。それに対して、CDFというのはそういうインスツールメンツには必ずしもバインドされていない。

私はCDFとPRSPとをセットにして思っていて、CDFというのは何かの枠組みの念仏みたいなものだけれど……。

もともとそうだったんです。

ただ、1ついえるのは、実際にドナーが集まってする会合がえらくふえたので、それはまだ続いているんじゃないでしょうか。日本だと、ベトナムの場合はインフラのセクターの長をやっていて、実際にJICAの所長までがやっているけれど、ほかの20幾つかあるところはまだ消えていないと思いますし。そうすると、ドナー間の……。

世銀にいわせれば、それが正しいかどうかは別にして、CG会合というのはその全体のコーディネーションをやるのだと。セクター別のコーディネーションは、そのリードエージェントがあって、インフラは日本なら日本、ほかの分野は別の国がやってもいいのですが、全体をコーディネートする機関としてコンサルティッドグループというのが一応あって、そして、コンサルティッドグループではPRSPを徹底的に議論して、来年の4月までにベトナムについてはPRSPをとりあえず素案をつくって、他ドナー及び政府・NGOその他に諮りますと、きょう、長谷川さんがいっていました。
それで、CASはどうなったのですかと聞いたら、それはPRSPの結果としてのCASというのは、国別援助計画というのは世銀としての計画書としてCASも引き続きつくると。そういう説明でした。

やはりPRSPとCDFはもうちょっと世銀に入っていって、おかしいことがいっぱいありますから、外からいうよりも中に入っていって、しかも、ベトナムのケースというのは、ある意味でベトナムというのは非常にオーナーシップの強い国ですから、また、ほかの国では違う状況で、アフリカとか中央アジアとかボリビアとかはまた違う、もっとCDFの精神に傾倒して本当にやりたいと思ってやっている国もあるようですから、そういうものに対して日本はどのように……。ひょっとしたら時間のむだ遣いのところもいっぱいあるような気がして。ただ、いい面もあるし、それについて非常にお客さん的なことなんて、ベトナムでさえそうなっていますから、ほかの国はもちろん、とても何も意味なんてありませんよね。ですから、それについて私がいますぐ数カ月以内にいえるかどうかわかりませんけれど、ここに書いてあるようなことを、積極エンゲージメントをやった方がいいと思うのです。ある意味で、それを通じて世銀政策全体との対話みたいなものを。それが今核になっていますから。

それはいいと思いますけれど、釈迦に説法でくどいようですが、CDFとかPRSPというのはすべてIDA国だけの話なので、我々はアジアダイナミズム研究会で関心をもっている対象国というのはほとんどがIBRD国でIDA国はほとんど例外的にベトナムがあるだけで、インドなどを入れると話はちょっと違ってきますけれど、IDAオンリー国というのは余り関心がないわけですね。
ハイブリッド国であるインドネシアに、インド・パキスタンもそうですけれど、関心かあるので、CDFとかPRSPという、つまり自分たちで国際金融市場にアクセスできない国という大前提があって、それはダイナミズムとちょっとずれる国というか、まさに第1アジェンダの方でしか救われない国という感じが強いと思います。ベトナムはその例外だといえばそうかもしれませんが。しかし、ベトナム国債はだれも相手にしませんから、そういう意味でIDAオンリー国であると。

そういう意味で、第1アジェンダと第2アジェンダのクロスのところにベトナムがある。これについては私は非常に関心があるのですけれど、とりあえず置いておきます。
(9)は最後に小さくしか書いていないのですが、これがある意味で日本側にとっての核心の問題であって、結論はさっきAさんがいったとおりだと思うし、大体同じだと思うのですが、もちろん摩擦的なショックとか失業などを防ぐというのはいいけれど、根本的に中国が上がってきたり、あるいはアジアの生産体制が変わって、日本でつくるよりも、どこかほかの国にやった方が長期的にいい場合は、その根本的な問題――つまり、日本のダイナミズムをほっておいて、その現象を非難するということはできないし、解決方法としては、アジアのダイナミズムと匹敵するように日本のダイナミズムを上げていくしかないと思うのですが、ただ、農業の問題でも議論しましたけれど、それには非常に抵抗があるので、どういうキャッチフレーズでもっていって、日本の国内の弱者にどう議論をもっていくかということについては、考えなければいけないと思います。答えは原則的にそれ以外にあり得ないと思うのですが。それができないのなら、やはり没落するしかないですよね。

これまでみてきた中で、アジアダイナミズムを日本のためにどう活用していくのかという視点が余り明確に書かれていないなという気がしたのですが。具体的なことを申せば、中国やベトナムにおける著作権のエンフォースメントを政策的に働きかけるべきではないかといったこと、つまり、日本企業が外に出ていきやすい環境をつくるべきではないかという議論なのですが、この枠組みの中には乗ってこないのでしょうか。日本の経済協力のあり方はどうあるべきというものにつなげていく話なので、戦略的な議論というのをどこかに盛り込むのかなということを考えたのですが。

(1) の①「貿易・投資を通じたアジア経済全体の活性化」、そのために何をするかという中にあなたのいったようなことが各論として入ってくるんじゃないですか。

FTAの中にいろいろなものを入れて、ファシリテーションにかかわることとか。

2ページの一番下の「地域的な公共財として、アジアの貿易・投資環境整備」とか。

その中に入ってくるんじゃないでしょうか。

知的所有権云々という話を具体的に書いていこうとすると、第3部にそういう論点を盛り込んでいくのかどうか。

そこで特に優先順位をつけるといったことは考える必要はないのでしょうか。貿易・投資環境整備の中で特に何に重点を置いてやっていくかというときに、日本の企業が今直面している問題を解決していくような。

どう解決していくということで?

アジア域内全体の中の貿易・投資環境整備というのはわかるのですが、日本企業の海外事業環境支援といったものに同時に資するものから優先順位をつけてやっていくとか。そういうことを入れなくてもいいのでしょうか。

アジアと書いてあるけれど、その気持ちは日本企業の活動をファシリティとするというのが核心だから、そういうことをきちんと書いておいたらいいんじゃないかということですね。
それは(1) の②「アジア域内分業体制における日本経済の発展」とか、総論の1ページで、「第2に、アジアの一員としての我が国は」で、「日本経済の再生は、アジアダイナミズムの活性化と深く結びついた……」とか、考え方は書いてあるので、あとは具体的にそのために何をしたらいいかというのは、貿易・投資環境整備とか法制度整備の各論ということじゃないでしょうか。

彼の意見で1つ納得するのは、日本経済にとってメリットがあるとなると、日本企業の海外進出を展開することを前提に考えているのですが、むしろそれだけでいいのか。海外から安いものが日本へ入ってくるとか、アジアの企業が日本に投資するということはないですけれど、日本に立地するとか、そういう方が本当は日本経済にとってメリットがあるはずなので、日本経済にメリットがあるようなものは、日本企業の海外投資促進というポイントだけでいいのかなというのは、何となくわかるのですが。

対内投資ということですか。

対内投資というのが双方向であるような貿易であって。

域内分業のビジョンというのは、私はそういうイメージに近いんです。10年とか15年したら、日系企業だけではなく、台湾系企業が日本に進出してもらわなければいけないし、産業ごとにこの産業はどの国に向いているとかそういう問題ではなく、もっとファインな細かい生産ブロックの一致というのは当然あってしかるべきだし、もっとタイトな国際分業というのがだんだん東アジアにできてくるという、私はむしろそういうイメージで、この国は労働集約的とか、そういう大ざっぱなくくりだけでやっている時代からかなり変わってくる。むしろ双方向のいろいろな貿易・投資の両方ともファシリテーションを進めることによって、もっと緊密な国際分業関係ができてくると。私はそちらのイメージに近いんです。台湾系だって中国系だって、これからそういうことがあるだろうし。
日本人向けに何がアピールできるかという問題も書きぶりとして別途あると思いますけれど、将来の域内分業のイメージというと、私はどちらかというとそれに近くて。きょう、ビックカメラに行ったら、ビデオとか、中国ブランドが結構ありましたね。DVDも1万円台になっている。そういうことが当然どんどん起きてくる。

物が入ってくるというのもそうだし、資本が入ってきて、それはアジアのダイナミズムが既に日本の産業の空洞化対策に回るということだから。双方向であるというのは総論に入るべき話だと思いますけれど。

だから、何のためにやっているのかというのは、表現の問題があって、余り利己的に書くのはよくないかもしれないけれど、トータルとして日本が一員であるアジア全体のダイナミズムをどうやって維持する、その維持することが日本のためにもなるのだからと、その最後の「日本のためにもなるのだから」というところはわざわざいわなくてもいいんじゃないかと、そういう部分があると思うのです。F君のいったことというのは、日本が投資した企業が抱える問題を優先的に考慮して、「アメリカやヨーロッパが投資した企業のことはほっておけ」とわざわざ書くのかというと、そんなことは書かなくても、「アメリカのためにやることを優先する」なんていうことはだれも考えていないでしょうと。
ただ、Bさんに書いていただいているバイの援助は、どこかにありましたが、「日本の比較優位を生かした」というのはなかなかスマートないい言い方だなと思って、我々もいうときに、日本がなぜ協力をこの分野で一生懸命やるのかというと、日本が得意な分野で向こうのためにもなり、日本のためにもなるからという意味で、ある分野を選んだり、日本の強いところの技術や制度を売り込んでいくということを正当化するおためごかしの理由にするわけですが、「比較優位のある」という言い方が一番いい言い方だなという気がしています。

質問ですが、Bさんが、先進国の一員のところは「解決に貢献する」と書かれている一方で、アジアの一員については「日本の繁栄とアジアの繁栄を重ねる」という言い方で、「貢献」という言葉を使っていらっしゃらないのは、そこはちょっと違うというニュアンスを出していらっしゃるつもりなのか、たまたまそう書かれているのでしょうか。私は個人的にはこの表現はいいなと思っていて、アジアの一員としてというのは、別に貢献するわけではなく、やはり日本の繁栄というものが前提にあるのだということで、この表現というのは非常に適切なのではないかと思っていたのですが。

中国にもASEANにも貢献してもらって、日本もやると、分相応に。どちらが上とか下とか、どちらが貢献する方でどちらが受け取る方とか、そういうニュアンスはない方がいいので。先進国というのは何か問題に対して貢献するので。
結局、1つの問題提起というのは、こう書いていくときに、日本にとってそれは具体的にどういうメリットがあるかということをはっきり打ち出すのか、そんなのは打ち出さなくてももうわかるからいいのか、そういうアピール上の問題はあると思いますけれど、いろいろな制度を一緒にしたりするというのは、もちろんそれによって日本企業も出やすくなるというのは当然だけれど、台湾企業が別のところに出やすくなるというのも同時に起こるので、書くとしてもサラッと書く程度で、そんなにどこかにまとめてガンガン書く必要はないような気がするのですが。

6ページ以下は各論ですね。

各論ですし、具体的な施策に係る提言ということなので、これに尽きないと思います。

経産省の人が匿名で書きたいことを何でも書いてしまうとか。

各論ですけれど、1つや2つ入ってもいいと思います。例えば、北野さんが発表されたときに、Eさんもいろいろおっしゃって、その後のEメールもいろいろみて、ああいう議論というのは各論には違いないですけれど、具体的な政策レベルにおりているという意味ではおもしろいと思うのです。すべてを網羅するにしても。ですから、この中にある具体的な施策に関することでも、全部取り上げられるかどうかはわかりませんけれど、幾つかは議論してもいいと思います。

部分は入っていいと思いますけれど、ただ、これ全体としてはむしろ我々が日々やっていることについてのご意見をいただきたいということなのですが。

これで全部終わりではないので、来年もまたどういう形かで続けていくとすれば、我々の考えた問題点としてこういうものがあって、それを具体化して深く議論していくというテーマのリストみたいなものと考えて。今、これについてどう結論を出すとかということはないにしても。

これをどう使うかという議論ですが、この第3部の提言というのは、第2部のイシューをどう考えるかという、イシューについての議論と結びついていないといけないと思うのですが、両論併記の場合に、その併記された片一方の方に偏して出てきている提言というのが結構あるような気がするんです。中国をどうみるかという話もそうだし、FTAをゴールの1つとして置くのか、単に自由化だけで議論するのかということで、実際にどういう援助政策をやるかというのも随分違ってくると思うのです。今の段階では両論併記を第2部でやるのであれば、第3部の提言も実は両論併記でないといけないというか、そこは広がってくるはずなので、思いつきでどちらかのイシューをとったときに、それについては具体的にこうなりますということだけ書くと、それが一人歩きしないか心配なのですが。第3部は切り離してうちの内部的な参考にするということですか。

そうでもないですけれど。

一緒に発表するのであれば、なおのこと、第3部はかなり慎重に発表した方がいい。

特に対中援助方針のこの3行だけでは絶対に済まなくて、対中援助方針といった途端に何ページも費やさないと、なかなか両論も含めて書き切れないですよね。

であれば、そういうコントラバーシャルになりがちな、単に刺激するだけで建設的な提言にすることが難しいのであれば、そこはあえて触れないことにするとか。

我々がもともと書いたとおりに書いていただいているところもかなりあるのですが。

ただ、論点として非常におもしろいものもあって、これはひょっとしたら第2部に入れるべき話かもしれないけれど、第3部に入っているようなものもありますよね。③とか④とか。けれど、②なんていうのは、第2部をどう結論づけるかで②はいかにでもなるという気もしますし。①もそうかもしれない。③と④は新しい別の次元でこういう話をいっているので。それから、⑥もそうですね。制度構築支援ということで、どういうことをやるか。これは実は絞り込みは難しいけれど、フワッとした総論は書けるかもしれない。同じことは⑦にも⑧にもいえる。

第3章はこのまま外に出すということではないと思います。これまでこういう議論をしましたというまとめということで。

我々の内部議論用に、中間項として出た論点を記録しておくというだけであれば、これはスタートラインとしてはいいと思いますけれど。

2までは割とよく直しましたけれど、3はほとんど直していないので、対中援助方針でも、これだけではなくていろいろな議論が出たと思いますけれど、最初にいったように、これはリストとしておもしろいものだとすれば、リストを具体的に、いつも2時間ぐらいかけて議論するというそれがおもしろいのですが、まだやっていないイシューについては何も書くことはできないし。

そういう意味では、3は今後の議論の目次だと考えていただければ。

そして、中身が出てくれば2に格上げしてもいいし。そして、具体的には、本にする前にコンプライアンスみたいにして発表会をやってもいいですけれど。今いろいろ議論があったので、「共通枠組」がこの2倍か 2.5倍ぐらいになり得る3つぐらい新しいものを入れて、つまり、FTAへの目標の可能性としての言及と、アジアダイナミズムの中身の言及――つまり、空洞化を恐れないで前へ行くしかないという、それをトーンとして研究しているのだということをはっきりいってしまうということと、アジアにおける政策介入の根拠は十分あるのではないかという、細かいことまでは触れませんけれど、4つぐらいのポイントがあるのではないかと。それは書き得るので。ですから、本の中身は具体的にまた議論するということで。

委員は4人いて、みんな何か書きたいでしょう。それから、ほかにもっと書きたい人がいたら、ぜひ参加していただいて。

「共通枠組」のところだけ意見が合えば、あとは相談して。「共通枠組」を書き直してみますか。私が書いて、それをCさんに送って、それをみるということで。

はい、そうしましょう。

それでは、どうもありがとうございました。

――了――