第9回アジアダイナミズム研究会 議事録

  • 平成13年11月16日 19:00~21:00

それでは、始めさせていただきます。
きょうは、奥村先生から中国のご出張報告をお伺いしたいと思います。それでは、よろしくお願いいたします。

奥村

まず、お会いした中国人から伺った話で印象に残ったものを順不同に列挙いたします。
第1に、日本にも住み、日本との付き合いが長い人の話ですが、日欧米の企業の比較で、最近の欧米企業は、例えば中国マーケットで日本の企業が何をしているかについて徹底的に勉強していて、それをよく研究した上で中国市場へどう入ろうかということをやっているという話。ところが、日本企業は最近はそういうことをやっていなくて、欧米の動きをみていないということを力説していて、欧米の企業が中国市場でどうしているかということをもう少し勉強したらどうか、という言い方をしていました。次に国有企業の改革(具体的にはセメント工場を対象)を民間でやっている人の話です。この人は、まだ40歳です。米国留学経験があり、英語を交えての会談です。北京周辺の河北省を含めて5~6工場を対象にやっているのだといっていました。セメントの生産量は 200万トンぐらいだそうですが、彼の一番の関心は、工場の旧来の幹部クラスに新しい経営方針をわかってもらうこと。今の従業員クラスも理解が薄いので、時間をかけてやるしかないといっていました。
第3は、米国から帰国して中国テレコムの仕事をしている人の話です。この人も若い人でした。中国テレコムの中には、古い電話技術はあるんですが、新しいインターネットの技術などは全くないので、全部、外部のこういう人材を使って契約を結んでやっているわけです。よくいえばアウトソーシングということですが、アウトするものはないんです。米国企業とか華人企業が投資しているんですが、日本企業からこの会社への投資は全くなかったです。非常にやり手の経営者という印象で、英語でバンバン押しまくってくるという感じでした。
次は、インターネット関係のコンサルタント的な仕事を扱っている人の話ですが、彼は盛んに通信市場での日本の企業の対応のまずさということをいっていて、1つは、日本は中国市場でなぜノキアに破れたか。彼の見方では、携帯電話というのは数カ月か1年足らずでどんどんバージョンアップされてくるわけですが、ノキアのやり方というのは、まとめてドンと全部やりますと最初に約束してしまう。それに対して日本企業というのは、まず第1バージョンまではOK。それが終わって、次の第2バージョンはそこからまた交渉が始まるということで、動きが非常に鈍いので、結局、ノキアにやられてしまったということです。それが第1の原因です。
 2つ目は、そういう場合の決定に、北京の日本企業の事務所には決定権がないと。外国企業は、本当に中国市場が大事だと思うと、副社長を事務所長にしてしまってバンバン決めてしまうということです。そういう意思決定が日本企業は遅くこれも敗因の1つだと。
3つ目に、システムの売り込みの際に、中国の各地で講演会や何かでまずコンセプトをやりまくるわけです。「これがいかに社会を変えるか、経済をよくするか、そういういいコンセプトなのだ」ということを徹底的にやった上で、おもむろに「自分の会社の製品はそれに使えるのです」というやり方をしますと。したがって、すぐ飛びついてしまう。ところが、日本企業というのは、「クソまじめかどうか知らないけれど」といっていたけれど、売り込み方が下手だと。ともかく、システムの売り込みが下手なんですね。いわれると、よくわかるなと思いました。
それから、今のCDMAの方式は、今、中国ではとりあえず中国の独自方式を決めていますが、ドイツのシーメンスが売り込んだTCSという技術に今は仮決定しているんです。その理由は、中国にある携帯電話をつくれる企業にとって、シーメンスが売り込んだその方式の方が設備を余り改造しないでつくれるらしいんです。それでとりあえずそれになっているそうですが、まだ最終的な決定には至っていなくて、アメリカのCDMA2000とか日中の本来のW-CDMAなども売り込みのチャンスがあるということをいっていました。そのとき交渉の相手を適切に選ぶことが重要だが、日本企業はそこが上手でないという感じでした。
次に、清華大学です。ここの大学のビジネスインキュベーターをやっているところに行きました。もともと清華大学は理工系の大学といっていいぐらい理工系に強い大学なのですが、今の世界の大学の流れの中で、大学自身がもっとビジネスということを、産学連携ということを考えなければいけないということから、目的は3つあるということでしたが、1つは、技術系の学生にマネジメントの教育をするということ。2つ目は、具体的な大学の研究成果とビジネスの新しい橋渡しをやるということ。その流れとして、具体的にはインキュベーターを手がけようということでやっています。
清華大学は、中国の中で聞くと、今のところ理工系では一番レベルが高いという感じで、清華大学でこういうことを始めたものだから、清華大学のブランドでもって各地に清華大学何とか校とか、そういう形でインキュベーターをつくってくれという声が中国国内で結構あるらしくて、そういうものもやるのだといっていました。そして、今のところ、インキュベーターとしてやっている中で、40社ほどが小さいビルの中に入って研究をやっていましたが、日本企業はまだここには投資をしていません。
続いて、上海周辺のプラスチックの成形の金型とか、工作機械のメーカーの話。まだまだ小さいところで、ほとんど国内の技術でやっている感じでした。売り先は中国国内のメーカーですが、台湾のメーカーへのOEMなどもやっている会社で、むしろやっている内容よりもおもしろかったのは、社長は30代後半の元役人で、海南島の投資コンサルタント会社の役員をもともとやっていて、その投資先としてこういうことをやっているということでした。それが印象的でした。
次は、インターネット上でのB to Bのベンチャーのようなものを手がけている企業で、部品や材料などを売りたいという企業をインターネットの自分のマーケットに登録をさせて、また、買いたいというところも登録させて、売りたし買いたし情報のインターネット版というのをやっていて、もう90万社の登録があるといっていました。社長は地元出身でまだ30代でした。そして、ナンバー・ツーの人は、私と同じ年の53歳、香港生まれで、GEとかイギリス系のBTRという会社に長年いて、ことしの1月から参加しているのだそうで、「自分はオールドエコノミーから来たのだ」といっていました。その下にCTOは30歳ぐらいで、もともとアメリカのヤフーのサーチエンジンの技術開発を4年間やっていて来たのだといっていました。一般的傾向として、今はアメリカのITバブルの崩壊で中国人がアメリカから中国に結構帰っているという事例だといっていました。本人はアメリカとの行ったり来たりで、家族はアメリカにまだ置いたままだそうです。
彼が日本の技術者のことをいっていましたけれど、アメリカにいる時代の話で、日本のヤフーから2人ほどアメリカのヤフーに来て、多分日本バージョンをつくるために来たのだと思いますが、英語が全然できなくて最初はどうなるか心配したといっていましたが、ひと月ぐらいたってみると立派なものができたので、日本人も意外とできるなとびっくりしたといわれましたけれど、日本人は能力はあるといっていました。ただ、組織の中に入ると日本人の能力が生かされていないということを自分は感じるといわれてしまいました。
それから、CFOの人もほぼ同じぐらいの年齢で、やはりスタンフォードを出ていて、ファイナンスをやっている人です。
全体で 300人ぐらい人を使っていまして、中には少しですが米国人ワーカーもいました。今のところイギリスと韓国に支社があるそうです。
広州ではここで一番大きな家電メーカーの話です。これはもともとは国営企業で、80年代の初めに5人でスタートして、地方政府の保証でお金を借りてスタートして、今や売上が 2,000億円を超える大企業になっていますが、最初は普通の卓上の電話機をつくっていて、92年にテレビ、98年に白物に入り、99年からはエアコンに入り、最近は売り上げが5割ぐらいふえているそうです。主に国内マーケットでやっています。カラーテレビはことし第1位のシェアになると。電話はもともと強かったので、11年間1位を続けています。パソコンは国内メーカーでは4位ということです。携帯電話が国内メーカー中ではことしは1位になるといっていました。携帯電話の市場規模が中国全体で年間 2,000万台売れるのだと。そのうち、ここは 100万台ぐらいつくっているそうです。工場をみましたけれど、ほとんど日本の工場と変わらない感じで、自分たちでちゃんとやっているという印象でした。平面のテレビもつくっていて、日本はどうなるかなと思いましたね。
それから、中国で大きな家電メーカーで海爾というのがありまして、これは青島にありますが、エアコンと冷蔵庫に強くて、最近はPCなどもつくっています。それから、連想というのはPCメーカーです。こういうところが結構出てきています。
それから、東莞市で一言いうと、この中にある台湾系の企業をみにいったのですが、電源装置をつくっているメーカーで、世界でまだ今は5指には入りませんがが、いずれもっと上位を目指すのだということをいっていました。この会社はもともと台湾で全部つくっていたのですが、80年代の後半ぐらいには韓国でも生産をしていたようですけれど、最近それも閉鎖して、今度は中国で8割、台湾で2割という生産状況です。販売先は、4割がアメリカ、25%がヨーロッパ、15%が日本、残りの20%は国内ということです。
東莞市の人口は本来 150万人ぐらいですが、外からの出稼ぎがいるので、含めると全体では 600万人いるのだということです。この流入人口は依然として幾らでもいて、しかも労働力は安いということでした。
以上、ざっと数日間の訪問でしたがそこから何を読み取るかということですが、私の感じは、やや大胆にいうと、中国はアジアのアメリカではないかと考えてみたくなりました。
その理由の1つは、意外と自由な開放性ということで、特に若い人たちの発想は極めて自由で、やりたいようにやっているということです。余りしがらみにとらわれずにやっている。
それから、高等教育の高いレベル。これは厳密にいうと、例えば、日本の大学と比べると、これは別の中国人に聞いたのですが、研究レベルではまだ日本の方が高いと。分野によると思いますけれど。これは医学の分野で聞いたことですが。ただし、学生の意欲は中国人の方があるということをいっている中国人がいました。ただ、中国は伝統的に大学がたくさんあるし、もともと学問好きの人たちなので、この面でも割とキャッチアップは早いんじゃないかなという印象を受けました。
それから、国土が広いとか、複数民族国家とかということもありますが、私は一番印象に強かったのは自由な開放性ということで、我々が普通もっている一党独裁の印象と全然違って、やりたいことをやっているという印象を強く受けました。
それから、先ほどもちょっといいましたけれど、アメリカの留学帰りがITバブルの崩壊で活躍しております。この裏には、もちろん中央政府・地方政府の奨励策というのがかなりあるようですけれど。ただ、給料は少し下がるけれど、将来性は中国の方があるので、戻っているという感じでした。
それから、その裏返しで、50代以上の文革時代の経験者はもう実質的にリタイアという感じで、会社の中にいてもちょっと脇の方に置いておいて、実際の経営者は40代、30代の若手がやっていると。
この間もいいましたけれど、大慶油田の社長も40代、証券会社でトップの会社の社長は38歳。これはある中国人がいっていましたけれど、日本の戦後のレッドパージに近いのだと。上が青天井で、若い人が何でも自由にできるという状況なのだと。それもあって、私は、よくいえば「中国はアジアのアメリカではないか」と書いてみました。仮に今の30代、40代の若い人たちが現役でずっといると考えると、20年はあの国は元気だなと。そこから後はよくわからないけれど。日本と同じように高齢化社会になるかもしれない。
それから、不安材料としては、一般的にいわれていることですが、実質的に政治的自由がまだないことがある。それから、実態的には都市と農村の格差をどう考えるか。それから、高齢化。
以上のような印象をもった次第です。とりとめもない話で、もっと分析的にいわなければいけないのですが、とりあえずの生情報を生煮えに皆さんにお伝えしたということであります。質問があれば、どんな質問でもどうぞ。

自由な開放性とか、文革時代の経験者は実質的にリタイアというのは、私も3年間行っていてまさにそう思ったわけですが、言葉をかえると、先ほどまさに奥村さんがいわれたように、日本人が持つ一般的なイメージが、まだ相当古い中国を前提にしているということを私はものすごく強く感じたんです。3年間住んでみると、「自由な開放性」というのは意外では全然ないわけです。それから、文革の経験者も実質的にリタイアしているし、例えば、国計画委とか経貿委とかにしても、今や局長さんは40代の人が結構いるわけですね。ですから、これはファクツであり現実なのですが、私も実は3年前はそうだったのですけれど、日本の中国に対する一定のイメージというものがあって、それとのギャップがものすごく大きいなというのが私の3年間の印象です。
この「自由な開放性」というのを一言でいうと、共産党の逆鱗に触れなければ何をやってもいいというのが社会主義自由経済・市場主義経済ということではないかなと私は思っていて、それこそ共産党ににらまれない限りは本当に何でもありという、その自由・開放というのが今の中国ではないかなと思います。
ただ、さっきいわれた、組織に入ると日本人の方が生かされないというのは、私はそこは本当かねと思っていまして、むしろ組織的なチームプレーが弱いのが中国人だと。ただし、農村とか内陸からたくさん流入してきている、人権もないような「女工哀史」に近いような人たち、ここが自由を謳歌するところとは別の世界で安い労働力として下支えをしている。そういう自由なところと人権もないようなところ、こういう感じが中国の社会かなと。
それがある意味で、ITだ、情報化だ、バイオだといったところのエントロピーの激しさを出すとともに、家電などの下支えをする人たちも存在をすると。これが一方でその強さであるとともに、二重構造という形でその弱さも出しているのではないかなと思います。
ですから、まとめていうと、そういったところの中国の強さと弱さ、あるいは昔と今、こういうところを意外に日本の人たちは知らないというところで、中国と今のいろいろな議論なども出てきているわけですが、ファクツから離れてパーセプションに基づいての議論をしているというところが一種の不幸の始まりではないかなと、話を伺っていて思いました。

奥村

弱さについてのことで私はここに書き忘れましたけれど、人権問題というか、過酷労働問題というか、それは本当はあるのかもしれない。この前、日本にアメリカ人のコンサルタントが来て、何をやっているかというと、中国の人権問題をコンサルタントする商売をしているんです。アメリカのウォールマートなどでは、消費者がうるさくて、「これは正常の労働でつくられた製品です」というものしか買わなくなってきたというわけです。そういうレッテルを張られた企業はもう売れない。そういうのを商売のタネにしているコンサルタントがいるわけです。それは日本の企業なども気をつけなければいけない。労働力が単に安いからと使うだけではだめで、そこに「正常な労働でつくられたものかどうか」という問題があるのかもしれない。
Bさんのおっしゃるように、これはいい側面だけみた面が強いので、悪い側面とか、負の側面とか、あるいは格差とか、そういうトータルでみると「あの国は一体何だ」と、わけがわからなくなるのだけれど。要するに、もう1つの軸は本当はケイオスかもしれない。それでいて、共産党というのがいるというのは何だろうなと。不思議な国ですね。しかし、どんどんブラックホールみたいに何でも吸収する。
ただ、こういう非常に突出した部分だけとると非常に最先端を行っているという面もあるというのを、忘れないでいただきたいなと思います。

お話しされた人たちは、おっしゃったようにトップランナー的な方々だと思いますけれど、この人たちのゴールというのは何なのですか。

奥村

経済的成功だと思います。そういう極めて現実主義的な民族だと思う。したがって、これからの例えばベンチャーなどを考えると、彼らの方が向いているかもしれない。香港などでちょっと金持ちになると、自分の本来の商売はやめてしまってもうけ先はないかとすぐ探す。これはまさにアメリカのベンチャーキャピタルの連中の発想に近い。数年間でしこたまボロもうけして、次はそのもうけたカネでどこか投資先はないか探す。アメリカ人のベンチャーにそっくりだ。

雇用のシステムなどもまさにそうなんですね。過去の経緯は別にして、現時点で横を切ってみると、日本の企業というのは、当然のことながら、日本の労働体系、賃金体系を引きずって向こうに来ていますし、トップは日本からの人ですし、要するに、習慣上、カネでもってつるということができないわけですね。一方で、欧米の外資系の企業などはカネでぼんぼん動くと。そうなってくると、人材の供給はどちらに行くかはもう明らかですね。そういう中で、そこの労働習慣みたいなものを変えていかないことには、あの中国の中でとても欧米などと伍していけないのではないかという気がしますね。

奥村

これもまた人の受け売りなんですけれど、江崎玲於奈氏がこの間いっていたけれど、紙に書くとこうなる。人間の創造性と伝統を重んじるという話で、こちらが創造力の軸で20~70歳、こちらが伝統的な指向の軸で20~70歳。日本は長老が支配していて、45歳が境目だと。
私の意見をつけ加えると、中国では何が起こっているかというと、レッドパージが実質的に起きていて、今、若い人たちがこちらでやっていて、創造性もある。だから、日本社会も組織の中で若い人にもっと活躍の場を与える。組織の中でできなれば、どんどん個人で会社をつくるとか企業をつくるとか、そういう社会になっていかないと本当の意味の活性化はできないかもしれないなと。こういう物理的な年齢だけで考えるのではなく、精神年齢でもいいかもしれないけれど(笑声)。

中国は文革のおかげで上がゴソッと抜けたということが起こっているわけですが、日本も戦後はそうだったし、多分、明治維新のときもそうだったと思いますね。そのときはある意味では混乱もするけれど、活気もあって、どんどん若い世代が新しいシステムをつくっていくということをやってきたわけですが、中国も今後20年とおっしゃって、日本も昭和20年代から40年代までは活気があったと。でも、その間、確実にどんどん高齢化したということだと思いますけれど、そこは中国も、同じかどうかは別として、今の若い人はまた文革みたいなことでも起こらない限りパージはされなくて、だんだん年をとって、だんだん活気を失ってと、そういう道をたどるのでしょうかね。

奥村

社会システムとして、アメリカのようにセニョリティシステムをなくして、年齢が上がれば偉くなるというのではなくて、能力に従って自由に仕事ができるという社会システムに中国がこの20年の間にもしできれば、まだもつかもしれないけれど、セニョリティシステムが中国でもやはり大事だということになって--もともとあの国は長老社会で、日本以上に年寄りを大事にする国だから、その伝統を本当に意識的に彼らも壊さない限り私はだめだろうなと思っていて、20年といったんです。日本も社会を活性化するには、規制緩和もいいけれど、やるとしたらそこなんですよね。
それから、ついでに話すと、組織論的にいうと、21世紀はもう大組織というのはだめですね。何がだめかというと、組織の中にいると、お互いの人間関係だけでもう消耗するんですよ。実現のために調整とか。それでおくれてしまう。ただし、ある大企業が、例えばインテルのように、マーケットをほぼ独占しているとなると、そういうやり方でも済む。電力会社とか。ところが、マーケットが自由なところだと、それでやっている限りはもうこれからはだめですね。アジア論とは関係なく飛躍しましたが。

2点関心がございまして、1点は、中国で典型的なサクセスストーリーというのはどういうものなのでしょうか。若い技術者が自分のもっている技術をどうマーケットに結びつけてお金持ちになって、かつ、それでベンチャーキャピタルのようなことを始めてさらにお金をもうけていくというような、今のお金持ちの中国人はどうやってお金持ちになったのか、その具体像みたいなものがあればお伺いしたいと思います。
もう1つは、教育に興味がありまして、さっきおっしゃったように、昔の日本のように、単に若い人たちがたくさんいるから活気があるという状態だったら、遅かれ早かれ、若い労働者が資源を食い尽くしたら中国も日本と同じ道をたどる可能性があるわけですが、興味があるのは、中国というのは義務教育というのはどのくらい発展しているのかとか、大学への進学率はどのくらいあるのかとか、どんどん新たに優秀な技能をもった技術者が生まれ出る環境が整っているのか、それとも一部のお金持ちの人たちしか大学へ行けなくて、その人たちの間でどんどん資源が食い尽くされていって、底上げのような状況が起きて、クルーグマンがいったように、いつか資源を食い尽くしたら成長率も下がるといったアジアの神話のような状況が生じるのでしょうか。

奥村

この回答をするのは、むしろFさんの方がいいかもしれない。私はとりあえずアネクドートを並べただけなので、そういう意味ではまだ分析が足りませんね。いい指摘を受けたので、勉強します。

私も3年間いただけですから。それはアメリカのサクセスストーターとは何ですかというのと同じ質問で、これはいろいろなパターンがあって、しかも、ゴロゴロしているわけですよね。密輸でもうけたとかというのもいっぱいいるし。

だれか特定の、例えばビル・ゲイツという答えを求めているのか、それとも、「こういうパターンの人」というのを求めているのか。

ビル・ゲイツだったらビル・ゲイツでもいいんですけれど。例えば、スタンフォードを出て有限公司の総裁をなさっている方というのはもともとどういう家庭を出られて、どういう過程で大学へ行かれたのかとか。

奥村

私の想像ですけれど、彼は軍人の息子です。

中国の教育の専門家とも話して、彼女の受け売りですが、基本的に優秀な人が上に伸びていくというのが中国の従来のシステムだったのだけれど、日本もそうですよね、貧乏人の子供でも東大へ行けたわけです。けれど、ここ数年、北京大学に行かせるにはすごく金がかかって、だんだん金持ちの子供が多く行くようになってきた、というのが中国でも大変問題になっているということはいっていました。ですから、従来はかなりフリーマーケットだったけれど、だんだんあなたのいったような面も出てきていると思います。
中学校までは義務教育で、初等教育の普及率はものすごく高いです。エリアにもよりますけれど、上海周辺などは高校への進学率もかなり高くて、蘇州市の統計では高等教育は4割ぐらいだと。田舎はもっと低いですよね。ですから、全国おしなべて高校進学率は率としては低い。ただ、数字としては大きい。したがって、大学生の数は毎年70万人の卒業生が出てくるということで、これは多分日本とほぼ同じくらいですから、進学率は日本の10分の1ということではないでしょうか。大ざっぱな数字でいうと。

奥村

でも、徐々に上がっているんでしょうね。私はこの前、たまたま北京の本屋に行ったところ、中産階級の住むエリアだと思うけれど、ものすごく教育熱心ですね。要するに、教育ママがいて、子供のための参考書を買っている。中をみると、小学校でもかなり難しくて、日本のレベルより高いんじゃないかと思った。

この間聞いた話ですけれど、大使館かビジネスマンか、中国の人で東京に子供を連れて家族で赴任していた人が、東京の学校のレベルが低くて、「このままではうちの子は中国の大学に行けなくなってしまうから」といって家族を帰したというんです。向こうの小中学校では昔の日本の詰め込み教育みたいなことをやっているようです。

Bさんのおっしゃったことについてですが、中国の強さは自由な開放性というお話がありまして、共産党の逆鱗に触れない限り何をやってもいいということでしたが、どういうことが共産党の逆鱗に触れることなのか。また、逆鱗に触れ続けて今の開放性がなくなってしまうようなことが今後起こり得るのかどうか。その辺についてはいかがでしょうか。

端的には、例えば法輪功はだめです。政策を批判するのは最近は相当自由にやっているけれど、共産党を否定するということについてはものすごくセンシティブですね。そういうことさえしなければ、それこそ密輸とか--密輸は本当はありではないんですけれど。

奥村

もう経済活動はほとんどないですね。政治の方ですね。そういう意味では、私は、基本は言論の自由がまだない部分があるのではないか、そこを直せと彼らにいった。我々からみると、最後の不信の残るところはそこだと。

言論の自由がないこと以上に、政治結社の自由がないんですね。ですから、批判することよりも、グループをつくることが一番違法とされる。

法輪功が政治的かというところも議論があるところですからね。

でも、あれは潜在的になり得るとみなされたから違法になったわけで、やはり結社ということは非常に危ないと。個人でいる限りは罰せられることはまずないけれども、グループをつくるということはいけない。

奥村

ただ、彼らは政治に余り関係ない。もうかればいいんだと。

今まではそうでしたけれど、だんだん税金をとるようになってきますと、共産党というのはもともとは税金はとらないという思想のはずなのだけれど、最近はだんだん所得税もとるようになってきているし、そうなってくると、「税金もとられるのだったら、おれにもいわせろ」ということもやはり出てくるのかなとは思います。

そこは非常に重要で、この成功物語というのは全部インフォーマルセクターなんですね。インフォーマルセクターが伸びているというのが今の中国のダイナミズムで、ところが、インフォーマルセクターというのはもうかっていなかったり、要するに、税金に余り貢献していなかったりするわけですね。それがある程度エスタブってきたときに、彼らが本当に黙っているかというのは、Bさんのいったところですね。また、その後、インフォーマルセクターがどのくらいの大きさになるかが大問題で、フォーマルセクターを食いつぶしていったときに、共産党の党の支持基盤というのはもう完全にフォーマルセクターですから。

奥村

フォーマルというのはどういう意味ですか。

国営企業ということです。

奥村

そうじゃない。民間企業のビジネスマンも共産党員になれるようにした。

なっていますけれど、それは基本的にメインストリームではないわけですよ。やはり彼らは偉くはなれない。

奥村

ただ、国営企業も変わりつつある。

そうだけれど、大部分の国営企業はやはりお荷物というか。それから、国営という形をとっていて、事実上、インフォーマルセクターに近いダイナミックなものはいっぱいあります。

今のお二人の間をとるわけではないんですが、今、ものすごく変わっているんですよね。ですから、どちらが正しいというのではなくて、そのトレンドをみると明らかに変わっていますけれど、では、完全に変わり切っているかというと、そんなことはないわけです。ですから、今のお二人の間をとるわけではなくて、両方の側面があるということがまさに今の中国だと思いますね。

こうやってもうかって、かつ、アメリカの経験もあって、英語もうまくて世界を相手に商売をしてとなってきて、そこでなにがしか中国の体制との間でぶつかってしまったら、「ああ、いいよ別に。僕たちは中国という、あるいは共産党という政府に操はないものね。外でいくものね」といってどんどん出ていってしまうと。もともと華僑ですから、外に出ていって活躍をしているのが伝統的にお上手だし、そういうこだわりはないのだと思いますね。「いいよ、子供はアメリカに置いておくし」、「オーストラリアに置いておくし」と。そういうことになると、中国はそういうことを避けながらうまく運営できるだろうかという問題もある。

奥村

彼らは現実主義だから、そういうことを絶対避けながらやる。

人権問題とかという話がワーッと国内で争いになってしまったりすると、政治的騒動みたいなことが起こると、嫌気が差して、「私たちは金もうけだけが関心」という人たちは出ていってしまうかもしれない。

奥村

出ていくかもしれませんね。この辺の感覚は、日本人よりよほど柔軟ですから。

また天安門事件のようなことが起こると……。

先ほど奥村さんがいみじくもおっしゃったけれど、中国の文化というのは極めてセニョリティシステムになっていて、国営企業の方はそういうもので組織立っているので、勉強を一生懸命してきた人たちは文革世代が上にいておもしろくないから、アメリカに留学して、アメリカで金もうけしている。ところが、最近政府の政策が変わってきて、「帰っておいでよ」といわれて少しインセンティブをつけてもらえるようになったので、帰ってきたと。でも、国営企業に戻る気はさらさらないので、それで……。

奥村

国営企業も、例えば大慶油田の社長だって40代と聞いています。もうもたないから、そういうのを雇い始めた。

基本的には、大組織は嫌なんですよね。だからこそ、こういうインフォーマルセクターが非常に繁栄している面もあるんですね。ITバブルの崩壊ももちろんあるかもしれないけれど、それ以上に戻ってきているわけで。それは多くの場合は外資系企業だったり、外資系企業と提携をしているジョイントベンチャーだったりするわけですね。そういう人たちのダイナミズムというものが中国の非常に保守的な年功序列的な旧来型の組織で押しつぶされてしまわなければいいのだけれど、数でいえば、あるいは比率でいえば、まだその古い方が大きいんですよ。

奥村

そこは私はポジの面を見過ぎたかもしれないけれど、結局、古い人たちは自分たちのやり方に自信を失っている。少なくとも経営については。

自信を失って、非常にフラストがたまっているんでしょうね。

奥村

フラストじゃなくて、自分たちはもうだめだと。それで、経営からもう退こうと。極端なことをいうと、そういう傾向があるんじゃないかと。

そこは弱肉強食なのでしょうね。同じことなのかもしれないけれど、自信を失うかどうかは別にして、怖いもの知らずも含めての自信のある若い人たちがむしろのしてきているということなのかもしれませんね。

奥村

そうかもしれない。

それから、文革世代はもうパージされていないとおっしゃったけれど、生産現場にいた人たちはそうかもしれないですが、同じ経済部門でも、ホールディングカンパニーとか金融部門とか……。

奥村

金融部門だって実はものすごく変わっている。

私の知る限りは、文革世代といっても、1976年までに大学生だった人はみんな文革世代なんですね。そうすると、その人たちはまだ40代半ばですよ。66年でいえば50歳だけれど。

奥村

文革世代をどこまでとるかによるけれど。

文革が完全に終わったのが78年ですから、76年ごろに18歳だった人はまだ40代で、そういう人たちが副経理とかで威張っていて、下の方はおもしろくないわけですよ。それで、私など会社に行ってインタビューしていると、偉い人しか絶対にしゃべらないですね。ほかの国の人との大きな違いは、上の人が話しているときは下は絶対に口を挟まないという、別に軍隊でも何でもないのに、国営企業はピラミッド的な組織で働いていますね。ですから、下の方はおもしろくないと思いますよ。「こいつら、ろくに教育も受けていないのに、何いってるんだ」と。

奥村

それが今変わりつつある。あなたの話は何年前のことですか。

6月までそうだったんですけれど。ですから、セクターが違うのだと思います。恐らくITとか、こういうまさに中関村などへ行ったらそういうのは全くない自由な世界があるというのは事実だと思いますし、広東省の珠江デルタの新しい外資とのジョイントベンチャーというのも、そういうしがらみのない人たちが羽を伸ばして頑張っているのだろうと思いますけれど、それは中国のごく一部であって、大部分の国営企業というのはそんなリベラルな雰囲気というのはまだまだないのではないでしょうか。

ところが、そうでもないという感じもしていまして。ただ、おっしゃったように、電力などでも、中央にある大きなところは、今、Hさんがおっしゃったとおりの感じですね。鉄鋼などはまだどこも割とそれに近いかもしれません。けれど、私はNEDOの関係で鉄鋼に関連したところはいろいろ行ったのですが、鉄などですと、むしろ奥村さんがいわれたようなものに変わっているのもかなりあるんです。意外なことに。私も3年間しかいませんからそんなにたくさんはみていませんけれど、その中でも、今、Hさんがいわれたことに全く当てはまるものもあるし、同じ国有といっても、全然違うところもある。そこは会社にかなり左右されてしまうのではないでしょうか。

どちらにも当てはまることで、同じことを恐らく感じているのは、中国というのは個人として立派という面があるんじゃないでしょうか。大組織になればなるほどよりうまくワークしなくなるというのは、それは世界じゅうどこでもいえていることだけれど、特にそれが中国には弊害が大きいと。だからこそ、細かいものが非常にダイナミックにうまく動ける。今、自動車は 100何十社ありますね。みんな一生懸命やっているけれど、ひょっとしたらこれがまたネックになるところがあって、どうやって彼らをインテグレートして本当に世界で競争できるような自動車産業になっていくかというときに、組織の大企業の病弊というものを克服しなければいけないわけですね。

奥村

彼らはその辺は下手かもしれないですね。

そこが中国の1つの次なるチャレンジ、課題だという気がします。

奥村

でも、それは20世紀型製造業だと私は思っていて、21世紀型はそういう軍隊方式というのはもう……。むしろその軍隊方式はASEANにやらせた方がいい。分業でいうと。

セクターによって、奥村さんがいわれたようなトラディショナルな型ということなのかもしれませんけれど、それだったら、我々の戦後の発展というのはチームプレーですよね。下請があって加工組み立て型の方式、こういうのはチームの中で暗黙のスキルがあって、きのうよりはきょう、きょうよりはあしたという応用技術によってだんだん発展してきますね。そういうセクターと、金融とか情報というのは、何かのひらめきを出させて、それをネットワーク化していくという、明らかにセクターのもっているパワーを発揮させる仕組みというのが、ラフに二分化していうと、違うと思うのです。それを奥村さんが21世紀型とおっしゃるのであれば、そうなのかもしれませんね。日本が今後アジアの中のどういうところで飯を食っていくかということを考えたときには、やはり21世紀型ということになってくるのでしょうと。
そうすると、ここに書いてあるように、「意外と自由な開放性」ではないですけれど、日本においてもやはり開放して、そういうエントロピーを出させる、あるいはひらめきを発揮させる形というものをとっていかないと、日本自身もそうだし、中国との関係においても、ちょっと前までは日本に来ていた人たちが、もうスキップしてアメリカに飛んでいってしまう。そういう人たちがアメリカと中国とで組んで--とまではいわないけれど、その中で日本はシンクしてしまうと。そういうのが悪いシナリオ。
ですから、もっと開放して、中国の人でもASEANの人でもいいですし、あるいは日本人の中でもいいけれど、エントロピーというか、刺激を発揮させるような仕組みに変えていかないとだめなのではないかなと思います。

奥村

中国というのは本当に広いから、我々は群盲象をなでていて、本当の一側面しかみていないのかもしれないので、さらに深く知る必要があると思います。
今日は、ありがとうございました。まだ学問レベルには全く至っていなくて、済みませんでした。

ありがとうございました。
それでは次に、大野先生からベトナムのお話をお願いしたいと思います。

大野

1995年から、ベトナム市場経済移行支援何とかという石川先生のJICAのプロジェクトがありまして、それがことしの3月に終わりまして、それを私は石川先生と6年間やって、ほかの人は入れかわり立ちかわり何十人動員されましたけれど、最初から最後までやった人はそれほどいませんが、それが終わって、また去年から、それとオーバーラップする形で、より小さな規模で、今度は私がそのまとめ役になってその続きをやっていますので、それについて申し上げます。
これは、例えば金融のテクニックとか農業の何とかということではなく、向こうからいわれたら何でも、マクロ経済から農業から、それを話し合って決めるという、オープンエンディッドで、人数をたくさん抱えて、常に来月は何をするかわからないという、そういうプロジェクトとしては今までJICAがやった中では一番大きかったと思います。
レジュメのベトナムの経済課題のところは、みていただくとわかると思いますので一つ一つ説明はしませんが、この問題の中で、特に最初の2つぐらい、自由貿易をやらないといけないというのと、今のベトナムの状況でどうやって自由貿易を中国とやるのだとか、韓国とか日本やマレーシアやタイとかと、CISの鉄鋼も安いし、どうやって立ち向かうのだというのが私のこの数年の担当だったわけです。
ベトナム政府の性格というのはある程度中国にも似たところがあって、例えば、政治体制は共産党を批判しては絶対にいけないと。けれど、それ以外だったら、政策は批判してもらうと喜ぶという国で、今のFDIの政策はむちゃくちゃなんじゃないかとか、そういうことは幾らでもやっていい国です。ただ、やっている人はもうやめた方がいいんじゃないかと、それだけはいえないということで。それは中で決めますから。
それで、ベトナム政府の性格は、私はやってきて、大体こういう感じです。
「現実的だが、政策対応が遅い」--現実的というのは、今、ビッグバンとかグラデュアリズムとか、自由貿易だとか保護主義だとか、そういうことをまだやっている国を私はCISで少し知っていますけれど、そういう議論はもう全然やらないですね。もちろん政府と市場とをうまくまぜなければいけないとか、もちろん自由貿易はしなければいけないけれど、ある程度産業のことも考えなければいけないと。そういう一般論はよくわかっているし、少なくとも政府で私たちがやっているレベルとか、首相、副首相のレベルではそういう議論は余りない。共産党のそれこそ塹壕に潜ってアメリカと戦っていた70歳とか80歳の方は知りませんけれど。
ただ、中国と違うのは、40歳どころか、70歳、80歳でもそういう人がまだいるんです。先ほどお話を聞いていて、それが中国とベトナムのえらく違うところかなと思いました。役所へ行っても上の人ばかりで、企業でもどちらかというとHさんがおっしゃっていたようなタイプの国有企業が非常に多い。ジョイントベンチャーなどが入っている外資とやっているところは違いますけれど。
そういうことで、ともかくAFTA、WTOについては、もう入らなければいけないというのはわかっていて、全く自由化したら負けるということもわかっているけれど、最終的にはやらなければいけないと。では、全部の産業は守れないから、ベトナムで育成とか支持・支援できるのはどれで、もうあきらめるというのはどれかを決めなければいけないね、といっていたのが6年前です。そして、今はどうかというと、全く同じ状況で、問題だけ認識しているけれど一歩も進んでいない。
それから、ベトナムの政府の研究機関はめちゃくちゃ弱いのですが、そこの1つで、いろいろな省庁を集めてどの産業がやれるかとかというレポートがあって、それは極秘だったのですが、新聞にある程度漏れたので今はもういっていいのですけれど、なぜ極秘かというと、余りにクオリティが低いので恥ずかしいというので極秘だと。それで、私は読んでみたら、「これで産業を選ぶの?」という感じでした。
それから、ベトナム戦争をやった国ですから、IMFとか世銀のいうことは聞かないけれど、CDFの東アジアのパイロット国を1カ国だけやっていますけれど、あれももうベトナムの中ではCDFとはいわなくて、パートナーシップアプローチとかといって、結局、世銀がスカンを食って、名前を変えてしまって、「我々がやっているのは違うんだぞ」とベトナム政府が言い出したのですが、なぜ始めたのか私はよくわからないんです。ただ「やる」といってしまっただけのような気がするのですが。
それで、石川プロジェクトでは3つ提言しています。非常に簡単なことですが、貿易産業については割と大ざっぱなことをいっています。
まず、自由貿易のやらなければいけないことと、産業は全く自由にすると全部つぶれますから、どれをやるかということを考えてそのジレンマに悩んだときに、石川先生のプロジェクトでいったし、我々もいったけれど、まず、経済全体の長期開発戦略のビジョンのようなものをつくれと。まず、目標を設定して、例えば2020年までに工業化、近代化するということがあるのですが、その内容が何だかよくわからないので、例えば、2020年までに工業を何%にするとか、所得を幾らにするとか、何でもいいから決めて、その道筋をどうやってやるかという20年ぐらいのビジョンをつくれということと、それから、個別産業についても全然情報がないんです。電子産業がどうのとか、うちの繊維産業がどうのとかいって、アネクドートはあるのだけれど、60年代の通産省がもっていたような情報--つまり、業界と常に情報のやりとりをやって、それをくみ上げてやるといったことが全然できていないので、非常に抽象的です。
それで、その全体の長期戦略と個別の主な10個ぐらいの産業で、これはこう守るから、その保護は何年まで要るとか、関税は幾ら要るとか、その間に投資をこれだけやって、それはどこのマーケットセグメントをねらってとか、そういう読んでやれそうかなと思える程度のものをつくって、それでWTOなりAFTAなりに交渉しろと。そして、ここだけはちょっと待ってくれとか。そういう交渉は通るかどうかはわかりませんけれど、それをやらなければまず交渉のテーブルにつけないのではないかと、我々はそういうことをいったわけです。
長期計画がないとかいいましたけれど、実際にはいっぱいあるんです。今、5カ年計画、10カ年戦略、20カ年ビジョンとかがあって。そして、それができたので、各省庁ごとに、産業ごとに、5カ年、10カ年で電子とか繊維とかを今まさにつくっているらしいのですが、今までの経験からいくと、そんなのは読んでも仕方ないような文書で、やはり秘密文書にしなければいけないのだと思いますけれど(笑声)。
その前に、資料の中に11ページ物の私の論文がありますが、「わが国経済協力における『知的体系』を踏まえた政策支援のあり方に関する調査」という、日本総研でやった研究会ですけれど、そこで私が書いたものです。石川プロジェクトでやって、私が思ったこと、感じたことを全部書いてあるので、もし関心のある方は、この11ページを読んでいただければもうそれでいいんです。その今までやってきたことというのは、非常に不満もあるし、かけたお金と人間と時間に比べてインパクトが非常に少なかったなとかということがあります。それはどこを読めばいいかというと、一番最後の10~11ページの「おわりに」で3つぐらい段落がありますが、最大に縮めるとこのくらいになるものです。
まずここでいったことは、日本の知的援助というのはやり方によっては非常に意義があるので、そのやり方というのは、世銀型で「これをやれ」とコンディショナリティで一方的に突きつけるのではなくて、時間をかけて向こうのカウンターパートと対等に、実際には日本が主導権をとってやらないと向こうは動かないのですが、形式的には対等に、両方で責任をもってやると。そして、向こうは「ここはちょっとおかしい」といったら、そこでストップして議論をし直すとか。恐らくIMFや世銀のレポートではそんなことは絶対やらない。意見は聞くけれど、「はあ、はあ」と聞いて、結局、IMFのレポートは期限どおりつくると思います。我々のアプローチは、一般のフォーミュラーから「自由貿易をしろ」とか「国有企業はこうしろ」とかというのではなくて、実際の産業を調べて、工場を駆け回って、全部の工場をみなければ気が済まないとか、そういうアプローチです。
そういうやり方がいいのかIMFや世銀のほうがいいかはわかりませんけれど、やはり両方必要なので、概念的にモデルだけから自由貿易の議論をされたのではベトナムもたまらないと思うので、それは補完的にこういうことをやる値打ちはあると思います。
2番目の段落で書いたのは、それにもかかわらず、我々は、今でもそうですけれど、実施体制が全然なっていない。我々の場合は具体的にはJICAですけれど。向こうの政府も悪いけれど、向こうは途上国で支援されている方なので、ひどいことはひどいのですけれど、それはある意味で許せるわけですが、JICAがそれに輪をかけてひどいというのはどういうことだということを、できるだけ抑えて書いたのですけれど(笑声)。私はやっていて一番フラストレーションがあったのは、ベトナムではなくてJICAです。「僕はもうやめる」と何度いったか。そうするとJICAが、「やめないでください。ここまで続いていますから」と。それで4~5回やったと思いますけれど。
ともかく、さすがに日本は人材やお金はいっぱいあるんです。ですから、ほかのドナーとか世銀でもそうですし、ADBでもそうですし--ADBインスティテュートはお金があるので別ですけれど、普通のベトナムでペーパーを書いたりしているところはお金は全然ない。JICAは東京に専門の事務局があって、ハノイにも専門の事務局があって人を張りつけてと、そんなことをやっているところはないですね。ですから、人材やお金はいっぱいあるのだけれど、何がだめかというと、JICAというのは、我々がやろうとしていることを全く理解してくれていないので、能力がないという以前に、知的支援とか研究をするということがわかっていないんです。わからなかったら、アメリカのブルッキングスでもIIEでもODCでも、あるいは国内でもいいですから、研究協力というのはどういうところでいいことをやっていて、どこが失敗しているかという、それこそミッションをやって調べればいいと思うのですけれど、ともかくわかっていないというのが不満です。
最後に書いたのは、石川プロジェクトは必ずしもかけたリソースに比べて成功したとはいえないですけれど、こういうことをしていかないと、究極的にはベトナムが一体どうインテグレーションをやりながら国づくりをするのだということがわからない。もう重化学工業を要らないといっているのか、それともハイテクのような割と個人でできるようなものをどんどん呼び込むのか、それともどうやるのか、そういうビジョンがないと産業の投資のPIPも決められないし、民間も外資もどのようにやったらいいかわからない。それがあって援助もできるし、投資もできるわけですが、それをつくるのに、石川プロジェクトの改定版のようなものが主な援助国については要るのではないかという意味でも、実際に石川プロジェクトはできていませんでしたけれど、そういう意義があるのではないかと思っています。
レジュメに戻ります。去年の夏から、国民経済大学と向こうの大学とで、木村先生にもやってもらっていますが、日本側は8人ぐらいの先生でやっています。それで、今、私がいった不満を全部引っ繰り返して、自分の理想的なプロジェクトをやろうと思ったのが、国民経済大学とJICAの共同研究です。ただ、自分がやろうと思っても、日本側の人はいいし、向こうの大学も乗ってきてくれると思いますけれど、手続上のサポートというのはまだJICAがやっていただいているので、問題はあるのですが、でも、少しはよくなったかなと思います。
それで、何をやるかというと、石川プロジェクトでいったことは原則ですから、いろいろな戦略なり青写真をつくって、それをもとに政策を決めるなり、関税を決めるなり、WTOを交渉するなり、投資を呼び込みなさいと。そういったのですが、それは能力のある国だったらやるでしょうけれど、ベトナムなどは「ああ、そうですか」と聞くだけですから、ある程度のひな型はみせなければいけない。全部はできませんけれど、一緒にやってみなければいけないなと。そういうことで、具体化しようというのが2000年から始めたものです。ですから、個別産業を徹底的に調べて、それこそベトナムは小さい国ですから、鉄工所などは全部回れますし、繊維でも何百とありますけれど、それをチームで半分以上回りました。ですから、中国のように大きくはないから、ほとんど全数調査ができてしまうんです。しかし、ただ回っただけではだめで、やはりテクニカルなことがわかる専門家を連れていかなければいけない。
それと、エレクトロニクスでは中国で何が起こっているか、あるいは繊維はどうなっているか、鉄鋼市場はどのように行くか、そしてこういう投資をするときには今どういうことに気をつけなければいけないか、東南アジアではどういうことがあるか、それをベトナムの中で突き合わせてやれば、昔の通産省的な発想ができるのではないかなと思ってやっています。
今はまだその議論をしているので、これが結論になるかどうかはわかりませんが、少なくとも私がずっとやってきてみて、インレポートというのをつくるのですが、私の草案ですけれど、その骨子がこの以下のポイントです。
もちろんFDIで工業化するわけですが、FDIの政策がどうもできていないと。ただ呼び込めというだけではだめで、具体的にどこがいけないのか、なぜいけないのかということをいわないといけないというので、まず、FDIは輸出加工型と内需型に分けるべしと。これは一緒に議論できませんと。輸出加工型というのは、日系企業を主に回りましたけれど、ベトナムの環境にみんな満足している。輸出していますから、輸出加工区とか、輸出加工区に入らないまでも、輸出企業認定を受ければもう邪魔は入らないんです。あとは若い女性の労働力を何千人と雇って、バイクで通勤してもらって。宗教の問題はないし、すごく勤勉だし、それでもっともっと投資したいというので、今、キャノンが行って、前に富士通も行って、マブチが行って、私もいろいろみましたけれど、いいんです。
内需型は非常に厳しいです。日本でも、サンヨーで冷蔵庫をつくっているところとか、パナソニックのテレビをつくっているところはもう文句タラタラで、もうほとんどだめですね。しかも、AFTAなどされたらもういつ閉めるかという話で。ベトナムは1人当たりのバイクの所有数が非常に多くて、バイクは大きなマーケットなので、ホンダも何回か行きましたけれど、政策が悪いと。今は悪いのはAFTAではなくて、中国バイクの半分密輸のものがどんどん入ってきて、3分の1ぐらいの値段の 300ドルか 500ドルぐらいで売っている。それで、ホンダは 2,000ドルで売っていたのだけれど、さすがに 500ドルで売られると、4台つぶしても、当たりが悪くても1台よければいいという感じなのでとても対抗できないので、今は 1,200ドルぐらいに値下げをしてしまいました。
ともかくそういう状況のときに、FDIというのはローカルコンテンツとか技術移転が少ないとかといつもいうんです。それはそうなので、今、ベトナムで開放してODAの投資が始まってから8年しかたっていませんから、私は明治8年ぐらいだと思っていますから、それでそんなに技術がつくわけがないので。中国だって、今、組み立て加工というのは、量的な集積は出ているけれど、本当にマニュファクチャリングであるかというのは、まだまだ今からだと思います。富士通は 100%輸入、 100%輸出なのですが、これが気に食わないとか、部品は国内で買えとか。そんな部品はないですから。そういうことを全くいわないで、「 100%部品輸入でいいですから、来てください」ということを私たちはいいたいわけです。
それをいうときに、「そんなことなら、我々の工業化の目的とは違うじゃないか」とかということがあるので、その表現をうまくもっていっておだてていかないといけないんです。それから、ある程度理論武装をしなければいけないので、今、木村さんといろいろ考えているのは、まず、集積理論というのがありますから、集積がある程度できて、今は中国に集まっていても、エレクトロニクスみたいなものはどんどん新製品が出ますから、次々と集積がまたベトナムでもつくれるので、経済規模からいったら中国の10分の1でもとればもう十分だという感じですから。集積理論というのは結局どういうことかというと、最初に集積が来始めて連鎖システムがつくれれば、あとは要らないんです。ですから、最初に資本がいっぱい要るとか、技術の集積が要るとか、貿易レーンでいうようなものは要らないんです。一たんマッチをつけてしまえば、あとは自動的に膨らんでいくということがありますから、最初に金をかけずにできることというと、やはり投資環境の安定でしょうね。そういう議論をしたいと思います。
それから、内需型の難しいところについては、究極的には、日系でもほかの外資でも、最終的にはAFTAとかWTOになると出ていくか閉めて、あとはブランド名が残りますから、販売とかアフターサービスなどでディストリビューションシステムとして残すという手は1つあると思います。けれど、その工場が頑張ってリストラしたりいろいろなことをやって残るというのはあり得ると思います。それはやってみないとわからないので。ただ、内需型は非常に厳しいので、それは最終的には市場に任せますけれど、その間にちゃんとしたリストラができるものについては、外資についてはほっておけばいいと思いますけれど、国営企業でたくさん労働を抱えているものについては、鉄鋼が典型的ですけれど、それはいいプランができれば、ある程度やっていいと思います。でも、GDPの30%をかけて投資とかそういうのはだめですから。鉄鋼ではそれをやっています。
あと幾つかポイントをそのメインレポートに入れますけれど、今年度のメッセージはこういうことにしようと思っています。あとは、ベトナムのような国は自由競争にするとひどいものが出て、鉄でも部品でも何でも一番悪い安物が出て、まともに上に伸びようとする企業をつぶしてしまうということがある。
それから、国際統合リスクということがありますので、それは政府の責任で、時々、FDIも過剰投資するときがありますから、それは気をつけなければいけない。
それから、WTO加盟交渉の戦略もある程度具体的に書いてあるといいのではないか。それは木村さんの担当で、私はまだよく考えていません。
それから、首相直属のエリート政策集団を結成せよと。ともかく権限がばらばらになっていて、省庁の間でもばらばらですし、今、投資の認可権限というのを計画投資庁から離して地方政府にあげてしまったので、そうするともう呼び込み合戦になって、それで過剰投資になってしまう。ですから、ある意味でディーセントラリゼーションはいいですけれど、それをやるとどういうことになるかという、そのおかしいところもよくみておかなければいけないので、要らない投資がいっぱい来過ぎて競争で共倒れになるというのは非常にリソースのむだですから、ある程度ガイディングはいいのではないかと。
こういうことをいって、これが世銀と対抗できるかどうかはまだわかりませんけれど、私はやってやろうと思っています。世銀だけでなく、もちろんターゲットは向こうの政府ですけれど。今までこういうことは余りやらなさ過ぎたので。石川プロジェクトでは厚い玉石混淆のレポートをつくって、「これだけ書きました」とコピーでもらっても、だれも読まないですよね。私も自分の担当のところぐらいは読みましたけれど。世銀が出すような、あるいは国際機関が出すパンフレット風のもので、 100ページもあればいいのではないかと思いますけれど。そして、いろいろなボックスをつくったりグラフをつくったりして読みやすいものにして、あとは内容はしっかりすると。それは私たちの仕事です。そのかわり、それを向こうのいろいろな関係者や大使館で使ってもらう。もちろんJICAもそうですし。JETROなどは、特に日系企業の意見などは、我々もたくさんもらって大体わかっていますけれど、反映してくれますから、オールジャパンでやろうかとかいっています。これはごく最近なんです。
今、JICAの向こうの人が、今度、省庁でいろいろあったら、きょうのメールは商業省でしたけれど、ベトナム商業省というのはこういう話にすごく乗ってくるから、少人数で商業省へ行って、向こうのWTOとかAFTAをやっている本当の担当の人と、これの半分ぐらいのサイズのセミナーをやろうかとか。
あとは、大使館の方が、今まで私たちは全く無視されていたのですが、石川プロジェクトでは全然インパクトがなかったので、「もっと読みやすいものをつくってください。そのかわりサポートしますから。いいものができたら、一番トップの首相とか副首相のレベルにもっていってアピールしましょう」ということを口ではいっていただけるので、実際にこれから来年度にどれだけできるか。先月くらいからそういう話が出て、やっとやる気になってきたところです。
それから、広報の手段としては、石川プロジェクトというのは、3月に終わったそのレポートがまだできていないのですが、それではだめで、やった瞬間にホームページにアップロードしないとだめだというので、そのホームページをつくりました。そのごく一部をここに載せてあります。下にアドレスがありますので、関心があればみていただきたいと思います。まだ完璧ではありませんけれど、9月に立ち上げて、少しずつダウンロードできるペーパーもつけていますから。これをベトナムでやってもらうのはすごく大変なんです。向こうの大学に頼んでこういうホームページをつくってくれと頼んで。日本でやったら技術移転になりませんから、向こうでやってもらうというのはやはり大変でした。
それで、ここに書いてあるのは、JICAの省庁と向こうの大学の学長で、文章は私が全部書きました。「Our Strategy」というのも、我々が何をやるのかという宣伝です。さっきずっといっていたようなことを書きました。つまり、最初から自由化がいいとか、そういう大ざっぱな議論はだめだと。ボトムアップで情報を徹底的に調べてからでないとだめだと。時間があれば、ここのもっと詳しく書いたものがあるので、それも載せたいと思います。それから、3月には年度の締めでシンポジウムをやって、同時に、計画省、工業省、商業省、そういった関係省庁に乗り込んで小さいセミナーをやってみて、本当に大使館がサポートしてくれるか、JICAが頑張ってくれるか、まだ全然わかりません。
私の責任は、クオリティのいい、使い勝手のいい、体裁的にも分量的にもいいもの、内容もしっかりしたものをつくる。それはある意味で自信はあるんです。ともかく世銀というのはこういう産業のレベルの議論はしません。セクターのレビューはありますけれど、紹介程度のものです。ですから、この議論をやっているのは我々だけかなと。あと、UNDPが少し産業個別でITとか繊維とかをやりましたけれど、読んでみると、これは私たちが6年前にやったレベルだなとか。つまり、向こうの知っていることしか書いてないんです。でも、向こうの課長さんが知っていることを書いてもだめで、「我々だったらこの難しい問題をこういうふうに解決する」という議論をしなければいけない。ただ生産性を上げてリストラをしなければいけないとか、そんなことを書いても意味がない。「どこの工場を閉めなさい」とか、そこまで鉄鋼では我々はいっているんです。そして、「この鉄鉱石は絶対使うな」とか。技術の人がずっと入っていたらそういうことをいえますから。

ありがとうございました。ご質問などありましたら、どうぞ。

大野先生の非常にフラストレーションがたまっているのは、私も全くよくわかりますし、私も同じように、落胆と失望と失意で過去5~6年ベトナムとつき合ってきたという感じです。
1994~96年、このときのベトナムビジョンとそれ以降のベトナムに対する失望の落差の大きさというのは、予想もしていなかったことでした。ソニーがホーチミンシティの郊外に工場をつくったのが94年ですが、もう大変なユーフォリズムでしたね。どんどんFDIが来て、タイとかインドネシアなど全部蹴散らしてしまって、「ASEANの工場になるんだ」みたいな感じだったわけです。でも、その後そうなっていないというのは、ごらんになるとおわかりのとおりで。はっきりいって、FDIの戦略的運用というものもできていないし、FDI自体も全く行かなくなってしまったと。昨今、若干戻ってきてはいますけれど、少なくともアジア危機以降、FDIの減少というのは本当に惨たんたるものです。
その原因というのは、この「ベトナム政府の性格」というところに書いてある、まさにこの一番最初の部分がしからしめたという感じがします。それが1点目です。
2点目に、情報がないという個別の話はわかるのですが、セクター別の情報がなかなか出てこないというのは、全くそのとおりで、私も同じようにアタマにきていたのですが、あれは思うに、情報をもっていないということももちろんあるのかもしれませんが、あるのだけれど出したがらない。中国の場合は、一応セミマクロの情報などは出しているし、公表していますが、そういうことを教えると非常にまずいとまだ共産党のじいちゃんたちは思っているのか、産業統計とかそういうものを出さないんです。そもそも統計というような公表される形になっていない。
ですから、私は世銀で例えばエネルギーセクターのレポートを書こうと思って何度も足を運んでも、全然資料を出してくれないんです。やっと出てきたのはどういうときかというと、レンディングの話をし始めたら出てくるんです。ですから、ある意味では知的支援というのが一番「フン」という感じで、全然まじめに聞いてくれなかった。世銀のプロジェクトは村落電化でしたが、パワーセクター全体の話がようやくそこでわかったと。そういう秘密主義がいまだにはびこっていて、「官僚主義、秘密主義、省庁縦割り、政策の分権化、党が横やりを入れる」、これは全部そのとおりでしたね。
3番目に、「JICAのふがいなさ」というのも私は全く同感で、実は日本は、世銀、ADBと並ぶ、あるいはそれ以上のドナーなんですね。インドネシアでは3分の1ずつぐらいなのですが、恐らく円借の方が大きいでしょう。それから、JICAの存在がすさまじく大きい。なぜかというと、USAIDは存在皆無の国ですから、事実上、JICAだけなんです。あとはヨーロッパ系のシーラとかいろいろなドナーはいましたけれど。
それで、私がいつも思っていたのは、日本との連携ということが知的支援の場合に必ず必要なので、声をかけるのですが、セクター別のドナー・コーディネーション・ミーティングにはだれも出てこないんです。JICAにも何度も声をかけたし、JBICにも来てくれといったけれど、来ない。そして、円借のミッションとかというとワッと来るという感じで、日本のやり方というのを、プロジェクト・スペシフィックで、セクターワイドな考えをもとうとしないし、そういう体制になっていない。JICA自体の体制もそうなっていない。ベトナムのことを縦割りとかといっていて、日本の方がより縦割りで、かつ、プロジェクト・スペシフィックで。ひょっとしたらベトナムは情報はもっているけれど出さないのか、あるいは聞く耳をもたないということかもしれませんが。
最後に、世銀との補完的な関係になれるかという、まさにここがポイントだと思います。先ほど来、大野先生がおっしゃっているように、世銀がPRSCというサポートをやったときに 120のコンディショナリティをつけたのですが、その 120のコンディショナリティの中で産業関連というのは、トレード・プロモーションのフレームワークのことでいろいろな条件をつけているのですが、セクター・スペシフィックなものは何一つないですね。
ですから、ここから先は非常にもめるのではないかという気も若干しますが、セクター別にプライオリティをつけてストラテジックにリソースを入れていくという、まさにここで書いてある発想というのが世銀にはないから、そこのところを放置したまま市場開放したら全チャラになりますよといったら、「それがオプティマム・リソース・アロケーションじゃないか」なんてトンチンカンなことをいっているわけです。ですから、そこは落とすものは落とす、譲るものは譲る、育てるものは育てるという戦略的発想が要ると思うのですが、それは工業省は全然できないし、商業省にもそういう発想がなくて、どんどん停滞への道をまっしぐらに行っているという感じがします。
ですから、枠組みは非常によくなって、一見、市場経済としての基本的なインスティテューション(制度)は全部できるのだけれど、物づくりのちゃんとした産業では何も残らないのではないかという危惧の念をもちました。ですから、まさにこういう発想でやるというのは、日本として一番貢献できるところではないか。中国にそういうことをやろうとしても、相手が大き過ぎて無理なところもありますけれど、ベトナムというのは幸い 8,000万人の人口で。それから、FDIが行くところがホーチミンシティとハノイとその周辺ということで決まっていますし、調べやすいんですね。ですから、データ集めということと政策とのコンシステンシーという意味でも非常にいいのではないかなと。
望むらくは、それと日本のこのすさまじいファイナンシャルトランスファーと何とかして結びつけられないだろうかなと。JICAのこれだけの知的支援をやろうとしているのが、そのレバレッジが何かといったときに、聞いてもらいやすいようにいろいろほぐして向こうに指南するということもありますが、日本がこれだけのファイナンシアでありながら、もう少しレバレッジをきかせられないかなと。FDIになると日本はミキストなのですが。
最後に、もうちょっとマイナーなプレゼンテーションの話になりますが、ベトナムの人は英語はできないですね。中国もできないけれど、それ以上に幹部はできない。ロシア語が第一外国語だった世代がまだ牛耳っていて。若い人はちゃんと英語を勉強してやっていますけれど、そういう人たちは政府にいないで、それこそ外資系企業に勤めたりして、人材はそちらへ行ってしまっているから、英語ができる人材というのはものすごく少なくて、いろいろなセミナーとかワークショップをやっていても全部通訳を介さないといけないし、日本だったらせめてパワーポイントのプレゼンぐらいは英語でやってもみんなわかるわけですね。英語はそれなりに6年間は勉強しているので。ベトナムの人はそれがわからない。全部ベトナム語に翻訳しました。ですから、ひょっとして英語のホームページとか資料とかというのも、ベトナム語版をつくらないと、読むべき人が読んでくれないという心配もありますね。

大野

大学はみんなパラレルでつくっておいて、まだやっていないと思います。

とにかく語学のバリアがすごく大きい国だなと。ASEANの中で恐らく一番英語の普及度が低い。ミャンマーなどは逆に英語がものすごくできるし、カンボジアやラオスの方がましだったような感じがします。ベトナムの英語のできなさには本当に驚くばかりで、できる人もいるけれど、できる人が政府にいないということかもしれませんけれど。
そんな感想をもちました。私もこういう問題意識は非常に大事だと思いますし、日本が貢献できる数少ない分野なのではないでしょうか。

私は5~6回しか行ったことはないのですが、中国とベトナムという目でずっとみていたのですけれど、2回目ぐらいまで行って思ったのは、中国を15年おくれぐらいで追っているのかなと。例えば、改革開放とか国有企業開放とかを。そんなイメージをまずもちました。
それから、同じ共産党支配の国なのだけれど、共産党の成り立ちのころからのことがあって、集団指導体制の色彩が強いですよね。この国の共産党というのは、トウ小平と朱鎔基がいない共産党だなと。つまり、大きい政策決定を自分のリスクで、個人のリーダーシップでやろうという人と、それを極めて緻密に官僚組織を全部把握してそれで動かしていこうという執行の方のリーダーシップと、その2つのタイプの政治家が共産党の中に多分いないから、こういうことが起こっているのだろうなというのがそのときの印象なのですが、そういう印象は合っているでしょうか。
それから、もしそれが正しい認識だとすると、大野先生のこの提言の中身については私もこういうことだなと思いますが、どう実現していくか。結局、ドイモイが非常に中途半端で、官僚主義がはびこっていて、国有企業のシステムが根強いし。さっきおっしゃったバイクのにせものも全部国有企業がやっているわけですよね。部品を輸入してノックダウン生産をしているのが大体国有企業か共産党にかかわっている人たちなので、なかなかにせものの摘発ができないということを聞いたのですが。そういうことからすると、実行面がなかなか大変だなと。そこをどうするのかなというのがもう1つの質問です。

大野

全体的にはわかりませんけれど、今おっしゃった産業のアイデアについては、それもボトムアップで、分権化されたディシジョンメーキングですから、それは早く集権してくれということもいいますけれど、我々は回るのは苦にしませんから、今いったようなことは、JICAを中心に大使館とかJERTOとか、日本のリソースを使って、この省庁でこの問題について、例えば、我々の関心があるAFTAとかWTOの交渉を実際にやっている人、権威をもっている人はだれかというのを全部調べてくれと。それくらいは当然やっていていいと思うのですが、全然わからないんです。
ですから、セミナーに来る人のリストをみても、これが本当に関係のある人なのか、ただ窓際で暇だから来るのかわからないというのがあって、そんなことではだめでしょうと。やはりピンポイントでこの人とこの人というのを指定して、その人が出張から帰ってくるまでやらないとか。関係ある省庁というのは5~6つぐらいだと思います。工業関係だったら、工業省と商業省と計画投資省と、あとはガバメントオフィスというのがあるし、大蔵・財務と、あとは関税とか税金関係のところ。物によっては中央銀行も入れてもいいのですが。そのくらいの官庁でキーパーソンがわかったら、それで乗り込みます。そして、みんな集めて6回やればいいんですから。そういうことをしていくというのが官庁レベルです。それから、大使館が頑張っていただければ、もう少しハイレベルにアクセスできるかもしれませんし。
もう1つ、鉄鋼については、JICAのマスタープランというのが95~97年にあって、その後、マスタープランの修正とか、本当にわかってもらうために3年間、新日鉄の方が常駐していたんです。そして、ことしの春に帰ってきて、また行ってもらうかとかという話をしていますけれど。5カ年計画、10カ年計画、20カ年計画というのは夢のような話だったのだけれど、JICAのマスタープランが入って、それを懇切丁寧に社長と副社長と技術部長と、メインはその3人だけですから、それだけ押さえればいいのですが、説明するとみんな理解してしまった。ですから、鉄鋼セミナーというのを先月やってきましたけれど、もう鉄鋼公社の人にいくら説明しても、全部わかってくれているから、「なぜ日本人がそういうことをいうか」と。なぜ国産の鉄鉱石を使ってはいけないか、なぜ亜鉛分が多いとだめかとか、わかってしまった。それから、その3人のトップの人の下に、今度、彼らがリタイアしたら上に行く人が30代で2人ぐらいいるんですが、その2人ももう完全に私たちのいうことはわかってしまった。
そうしたら、もう鉄鋼公社はそれでいいと思うのです。次に問題なのは、鉄鋼公社が苦労しているのは、とりあえず工業省に上げたときに、工業省は全然わかっていないんです。ですから、そのレベルでは、あとは計画投資省の投資の受け入れ、ODAの受け入れの官庁と、関税とかを議論している大蔵省のキーパーソンが私たちのいっていることがわかれば、少なくとも政府の中では鉄鋼公社がやりたいことというのは通るのではないかと。鉄鋼公社がやりたいのは、共産党などから「早く一貫製鉄所をつくれ」とかいわれて、それをやめたいんです。そんなものをつくってもお金は絶対出ないし、そんなことはやりたくないけれど、でも、今、こういう横やりがあるので一応10カ年計画に書いていますけれど、やる気は全然ない。このジレンマをどうするかというのは、ある程度は私たちは助けられると思うのです。
 ですから、成果が上がるかどうかというのは、私たちについては今そういうシナリオを考えています。それがうまくいくかどうかは、我々のやったことと、あとは日本人がどれだけサポートしてうまくいくか。今まで石川プロジェクトではそういうことは全然やってくれなかったので。ですから、内容重視で、実際にインパクトのあるところに乗り込もうと。ただのシンポジウムをやって、「だれか来てください」では、インパクトのある人は来てくれない。幾ら新聞に書いてもらってもだめなんですよ。国の中の10人ぐらいを説得すればいいんですから。
それから、リーダーなしの共産党というのはまさにそうで、それはいろいろな政治の方が書いて、白石先生の本にも書いてありましたけれど、中国というのは、少なくともトウ小平まではカリスマ的なトップがいた。ベトナムはそれがないから、ある意味では政策決定が遅いんですね。全部回さなければいけないので。いい面は、とんでもないことはやらない。大躍進とか文化大革命は絶対起こりようがない。それを理解した上で、変えるには非常にエネルギーが要りますけれど、今いったような形でいろいろなところにピンポイントして、支えをいろいろ外していけばこっちに行くのだろうけれど、ただトップにいってもだめな国だなと。それはただ聞き流されるだけですから。大体、首相だって権限がないんですから。首相のやりたいことは、議会とか、ホーチミン市とか、あるいは共産党の親玉みたいなのが……。だから、首相は辞めるとかいったけれど、それは思いとどまったとかという話も聞いていますから。だから、首相に話すにも、いろいろなところを突き崩してから話した方がいい。向こうの人のディシジョンメーキングのメカニズムをある程度わかってから。それは大使館のそういう情報集めをしている人が当然やるべきだと思うのですが、どうもわかっていないんですね。どこがキーパーソンかなんて全然わかっていない。

私は10年ぐらい前にフィリピンにいたときに、当時、通産省ではニューAIDプランとかということで、これの産業セクター別みたいなことのアプローチをしていて、そのときに、フィリピンで貿易工業省のトップと話をすると、それなりに理解はしてくれて、じゃあということで財務省に行くと、これはIMFのご指導よろしくですから、そういう感じでは全然ないわけですね。
今、話を伺っているとベトナムはさらに悪そうなのですけど、私がいたときの悩みというのは、私たちのカウンターパートみたいなところは割と同じような感覚で話ができたのですが、政府全体の中でということになると、IMFの力、あるいは財務省の力というのは強いですから、はね返されてしまう。それで、政府全体にどういうインフルエンスをもたらしていくのかなと。もちろん円借款とのレバレッジをきかせてということはあるかもしれませんが、ディシジョンメーキングの中で自分たちのいっていることをどうするか、あるいは、IMFとは観念的には違うのかもしれませんが、どこかでコンプロマイズする道を探せないのかとか。何かそういうことをやっていかないと、アウトプットはできました、けれどそれが百歩譲って少なくとも工業省の本棚に飾られていますと。そういうことで終わってしまうのかなと。それが私の10年前の感じなのですが。

大野

ベトナムの財務省というのは余り強くないと思いますね。社会主義だから予算権限がないですから。もちろん日本と比べるとめちゃくちゃ弱いし。ただ、MOFがベトナムでも強いという人もいるけれど、どちらかというと弱過ぎるんじゃないかという気もします。国有企業改革というのはMOFにもつくるし、ガバメントオフィスにもつくるし、MPIもどこも同じような役所をつくるから、また分散してしまうのですが、余り権限は与えられていない感じでした。
それから、IMFと世銀については、フィリピンはリスケとかいろいろやっていますからIMFは強いでしょうけれど、ベトナムはIMFはそれほど強くないと思いますね。もちろん、ことし、ローンがいろいろ出ましたから。でも、ベトナムはこれがないと国際市場が破綻するという状況ではないですね。ただ、IMFのお墨つきがあった方がFDIが来るだろうというので、ローンが欲しいだけで。それで、さっきいったように、IMFとか世銀のいうことを 100%聞くような国では全然ない。だから、最近はいっていませんけれど、話をするたびにIMFの人はフラストレーションがたまって、ベトナム政府は全然聞いてくれないと。国有企業と貿易自由化のことですけれど。あとは、利子率がどうのこうのとかいっていましたけれど。だから、割とオーナーシップはありますよね。だから、フィリピンとはちょっと違うと私は思います。
工業省もだめなんですね。ベトナムは役所はみんな弱いけれど、一番強いのがMPIという計画投資省、前のSPC(国家計画委員会)で、ODAとFDIの窓口勘定だから強いんですね。それから、中央銀行はどこの国でもいいんですけれど、中央銀行はそういう権限はないですね。総務庁みたいなところも、いろいろな人と会ったけれど、若い人ですごくいいなと思う人はいるけれど、組織としてはもうどうしようもないので、こことやるというのもちょっとどうかなと思っています。ベトナムというのはカウンターパートが全部弱いんですね。そういってしまえば大学も弱いですけれど。ですから、それを前提としていろいろなことをやらないといけない。向こうの大学や役所に「一緒にやろう」といっても、向こうは自主的にペーパーを書かなくて、コメントという形なので、さっきの奥村さんの話の中国人の若い人と全然違いますね。

提言されている2点目ですが、大野先生の現地調査やご経験からこういうことをいわれていると思いますけれど、これがなぜこう分けるべき状態になったのかというのをお教え願いたいのですが。それは日系企業の行動によるものなのか、市場の大きさが関係あるのか。経済的なことなのか、あるいは、先ほどのお話を伺っていると、制度的なものもあるのかなと思ったのですが。

大野

やはり部品ですよね。全社型の輸出加工というのはもう 100%全部日本や台湾から輸入して、港に着いたらすぐ揚げて、税官吏も工場に来てくれて何の問題もないと。そこで、若い女の子ばかり 1,000人使って、マイクロマシンという携帯のプルプルのモーターなどをつくっている。「世界でうちの会社が一番多いです」と。それをつくって、港に出して、小さいものなら飛行機でもいけますが、それで全然問題ない。つまり、FDIは世界のどこにロケートしようかというので、輸出企業とか輸出加工区に入ってそういう煩わしいことは全くないのだったら、ベトナム人は優秀ですから、それだけを利用している企業というのは全然問題ないんです。
ところが、国内で売ろうとするとまずローカルコンテンツがかかるんです。ローカルコンテンツがかかるから、ホンダでも何でも、今、50%にし、60%にするといって、60%の目標を外されて今度は80%にするというので、「何でそんなことをやるんだ」と先月はホンダの社長が怒っていたんですけれど、部品産業が全くないから高いんです。タイなどですと、ある程度部品が育っていますから、部品と同じにいいものを安くつくるということがあるけれど、全部輸入しなければいけないので。特に日系企業は一番いい部品しか買わないから、それではとても中国でつくってもってくるものには勝てないんです。冷蔵庫でも何でも。

自動車などは輸入の障壁があるから、どこかで安くつくれるから、アジアじゅうに売ればいいやと思っても、売れないんですよね。国産でないと売らしてくれないというところがあるからそうならざるを得ないのだと思いますが、家電やバイクは必ずしもそうでもないと思うのですけれど。バイクもそうなんですか。

大野

バイクは中国のものがなければ。

ベトナムでは割に輸入障壁はあるんですか。

大野

もちろん完成品はだめだけれど、インコンプリート・ノックダウンとかそういうのはある。

家電などはそんな輸入障壁は余りないでしょう。

いえ、テレビ関税とかは高いですよ。だから、各社みんなワーッと投資したい。

多分それが理由なんですよ。だから、その市場で物を売ろうと思ったら内需型にならざるを得ないわけですよ。ほかのものはそういう制度的制約がないので、一番安いところとだけでやることができるわけですね。

大野

そういう細かいものをつくるのに世界でどこが一番いいかというので、ベトナムを選んできた企業というのはすごくいいです。すごくきれいな仕事をしていますよ。

2006年に、AFTAではレイトカマーのASEANも10%以下とか5%以下とかにしなければいけないんでしょう。完成品は関税を残すけれど、部品は無税にするとか、ASEANは少なくともコンテンツは無税にするとか、そういうようにメリハリをつけてやれば完成品で残るものも結構あると思うけれど、そういうポリシーをとれるのかなと。とれないと、こういうことを一生懸命やってもストラテジックに動きようがないので、そこは早くアクションを起こさないと、時間切れになってしまうと思います。

大野

そうです。交渉できるかどうかはわかりませんけれど、少なくとも家電のようなものは、もうAFTAはやってしまってもいいと思います。ベトナムは2006年ですけれど。そんなに守る必要はないと思います。だって、ちゃんとした現実的なその後残れるというプランがないんですから。ですから、あとは進出企業に頑張ってもらうだけです。残れればいいし、残らなければ撤退すると。それでいいと思うのです。ホンダでもトヨタでも、それでいいと思います。それで、2006年までに稼いで、ブランドイメージをつくって、ディストリビューションとアフターケアのネットワークをつくって、トヨタとホンダというのは車とバイクのベトナムでトップのブランドイメージですから。特にトヨタのカムリの黒いのがいいんですよね。
もう1つの構造的な問題は、ベトナムというのは、完成品に保護をかけた上で自由に入っていいというので、一瞬もうかるような感じで、外資も国内企業も過当競争になって、オーバーインベストになって、それはセメントでも、トタン板でも、鉄鋼の圧延棒でも、みんなそうなっています。これで守って、今、40%輸入禁止。これを5%にしたときにどうなるかということですね。自由経済で許可は要らなくてだれでも起業できるのと、今はAFTA前でちょっと弱いからとかけている40%関税、その組み合わせというのはデッドリーですよね。小屋みたいなところで鉄棒をつくっている。そういうのをやられると、品質はむちゃくちゃ悪いけれど、とにかく鉄筋の中に入れればいいから、みえなくなるのだから一番安いのでいいや、というのがまだありますから、そうしたらジョイントベンチャーで圧延をやっている企業は市場がどんどん下に落ちてしまう。それも言い過ぎで、実際には、ベトナムのコンシューマーも少しは目がきくようになってきたのですが、やはり一番大きいところは、悪くても1ドンでも安いものがいいと。そういう市場だと、国際競争力のある企業なんて来ませんよ。

JICAの具体的な問題は何だったのでしょうか。私たちにもどこか当てはまるようなことが、耳の痛い話が聞けるのではないかと思ってお聞きしたいのですが。 ○大野  抽象的にいっているのは、志がないんですよね(笑声)。私は石川先生とやっていて、石川先生の態度とかいうことに感激するんですけれど、一度だって、「今度、石川先生が出された論文はすごいですね」とか、そんなことはいったことないんです。事務とビザと車の手配とかだけで。中身に関心がないんです。それが志ということです。それがまず1つ。
あとは、そうなるともう、「先生、日曜日に飛んではいけません」とか、「飯を食うときには自分でタクシーで行ってください」とか、そういうことを言うんですよね。これだけ盛り上がって向こうの政府とやったのだけれどという、その辺が全くない。あとは事務的に何か妨害されているような気がして(笑声)。

これは組み立て加工型で生きていくというストーリーだと思いますけれど、そのきっかけになるのは組み立ての集積が始まることで、それは投資環境が安定することだということですが、ベトナムというのはそういう意味では波に乗りおくれたという感じでしょうか。

大野

そんなことはないですよ。

94年とか95年にワッと来て、政府が悪くて、みんな帰ってしまって、中国がかなりの集積をして、あそこに膨大な集積ができて、それに乗りおくれたという感じはありませんか。

大野

94年には乗りおくれたかもしれないですけれど、ある意味ではバブルが一度はじけたからいいんですよ。猫もしゃくしもが帰って、本当にベトナムでやりたいなという人が来た。だから、キャノンはことし、デンソーも行きますね。それは全部北なんです。みんな南へ行っていたけれど、北に行き出して。小さい国ですから、ハノイのタンノン工業団地というのはそれだけ入っただけでも割とインパクトはありますよね。

それはやはりリスク回避ということでしょうか。

大野

それは1つは、さっきいった輸出型だとほとんど問題はないのと、勤勉な女子労働力があるのと、中国ばかり行くと怖いというのでリスク分散と、そのくらいです。ですから、中国と張り合う必要はないので、10分の1とればいいのだから、リスク分散だけでもちゃんと来てくれればいい。問題は、ローカルコンテンツ60%に達成すればまたハードルを上げられるとか、松下の社長は、ともかく部品を輸入するのを突然とめられて、許可が出ないと。6カ月かかるなら、それでもいいからいってくれればいいけれど、それがいつ出るのかわからない、そういうことをやる国というのがまだあるんです。それをやめればいいんですけれど、ある意味で非常にやめにくいですね。体質だから。でも、ベトナム政府は頑張っていると私は思います。IMFや世銀からみると「遅い、遅い」というけれど、でも、この数年間でどれだけ投資環境が改善されたか。去年も投資法が出て、パーフェクトではないけれど、大分よくなったとみんないっています。

WTOを早く入れてしまえばいいんじゃないですか。

大野

WTOはまだ10年ぐらいは……。2006年といっていますけれど、どうせああいうのはおくれるから。中国が入ったから次はやるか、わかりません。

地場の中小企業の育成ということについては、ここでは何か触れられたりするのですか。うちもそういう要請もありますし。

大野

JETROがこの間ミッションを出して、そもそもタイなどとの類推で、地場の中小企業というのは存在するのかということをまず調べると、やはりないということになって。あれば、これを引き上げてやろうというのがあるけれど、まずその企業自体がないから、個人商店と国有企業の間がないんです。

この3段階で書いてあるのは、中小企業の育成というのはまだまだ先で、組み立てが集積して、部品が集まって、そして技術を吸収するような段階になったらだんだん育ってくるのではないかと、そういうことですね。

大野

まず、外資の日本からの部品ですね。ただ、私が回った中では幾つか、日本で勉強して日本語を話せる40歳ぐらいの人がいないことはない。ただ、数が少な過ぎるので。我々は回るのが好きだから、そういうのを全数調査で調べていって、いろいろ助けられるのではないかなと。国が小さいし、そういうのはまだ少ないので、本当に全部は回れません。

ハノイの郊外にソフトウェアパークができていて、越境の人のソフト会社が20社ぐらいあったんです。ああいうのはおもしろいですね。中関村のミニミニ版みたいな感じで。

それでは、きょうはどうもありがとうございました。

--了--