第8回アジアダイナミズム研究会 議事録

  • 平成13年11月9日 19:00~21:00

それでは、勉強会を始めさせていただきたいと思います。
きょうは、東京大学の山影先生にお越しいただいております。「ODAはしっぽなのか胴体なのか?――地域戦略の観点から――」ということでお話をいただくことにしております。先生、よろしくお願いいたします。

山影

「アジアダイナミズム」というキーワードの中でODAをどのように考えたらいいのだろうと、そういうことを議論してきたこの勉強会で、地域の観点から話してくれということでしたので、問題提起したいと思います。「しっぽか、胴体か」というのは、結論からいってしまうと、ODAは、アジアのダイナミズムを考えるときに、しっぽだろうと。ただし、盲腸、虫垂ではないと。つまり、胴体がしっぽに振られてはいけないけれど、しっぽというのは非常に重要な役割を果たすわけですね。ですから、無意味だ、なくてもいいということではないのだけれど、ODAを胴体としてそこだけみていると、木をみて森をみないということになってしまうのではないのかという話です。
その行き着く先は、総合的な経済協力というものをもう1回ちゃんと考えてくださいよと。それから、そういう計画を実現していく道具として、今ある地域的な枠組みをもっと活用したらどうですか、あるいは、それが不十分ならば新しい地域枠組みをつくるということをしたらどうですかということです。もっといってしまうと、最近、日本もそうですけれど、経済産業省のビジョンは元気がないねということです。
なぜそんなにプロボカティブにいっているかといいますと、「予備的な問題提起」というところに入りますが、皆さん方がこの勉強会でアジアのダイナミズムをお考えになるときに、日本はその内なのか、外なのかというのがよくわからない。日本とアジアという形でみたときのアジアのダイナミズムを考えるのか、それとも、日本を含めたアジアのダイナミズムを考えるのか。
典型的にいってしまうと、援助論というのは、日本からアジアの途上国へと。そして、もうはやらなくなりましたけれど、一時いわれていた雁行発展論というのは、ある意味では日本を組み込んだその先頭を飛んでいる雁かもしれないけれど、日本がいつまでも先頭にいてはいけないというのが本当の雁行発展論の含意でありまして――赤松さんがそういったかどうかは知りませんけれど、本当にあれが雁の群れだったらば、疲れてきたらトップがかわる。そして、競輪でもそうですけれど、二番手の空気抵抗の少ないところで楽をして少し息継ぎをすると。それが本物の雁の群れなわけですね。
そういうことを考えると、ここで皆さん方が議論していらっしゃるダイナミズムというのは、80年代の半ばから90年代の半ばまでではなくて、当然これからの話をなさっているのだと思いますが、日本の企業、日系企業にとってはそういうダイナミズムの中に入りたいのだろうと。そして、成功すればそういう企業がどんどん発展していく。もし日本がそういうダイナミズムの外だったら、日本は空洞化が進んでいく。もし企業が失敗したらどうなるのかというと、これは余り考えたくないので、やめると。
つい最近までは、政府の政策として、アジアダイナミズムの内にいようとしていた、あるいはそれに入ろうということを目指してきたのではないかと思います。少なくとも去年ぐらいまではそうであろうと。あるいは、おととしなのかもしれませんが。そして、今は果たして本気なのと。そういう気が私はします。学者、評論家の議論は別です。政府の政策として、今、日本というものをアジアのダイナミズムの中に本当に組み込んでいくのだという決意は、私には感じられない。
それから、アジアダイナミズムというものを考えるときに、それはダイナミズムという実態なのか、それともインスティテューションなのか、どちらを問題にしているのか。ダイナミズムというのはもちろん現象なわけですから、実態というのはそれはそうなのですが、今までは、実態と、例えば、アジアダイナミズムと考えるときは当然そこでアジアというものを考えるわけですね。80年代はインドを入れなかった、90年代の初めはインドを入れてみた、そしてまたすぐ捨ててみたということを通産省はやっているわけですね。また今はインドを入れているようですけれど。そうすると、実態でつながっているときに、制度としてどういう単位で切り取っていくのか。世の中は全部相互依存でつながっているわけですね。アジアといったときに、では、トルクメニスタンはどうするのですかということは余り議論しない。それは何か別の問題になっているのではないかと思います。
そこで、実態として相互依存ないし事実上の分業がどんどん進展しているということが仮にあるとして――実際にあると思いますが、だからどうなのだと。人為的な制度は要らないという議論もできるわけですね。今こうなって、ダイナミズムがどんどん進んでいるのだから、余計なことはしない方がいいのだと。これはAPECができるときにも、西太平洋の相互依存はどんどん進んでいると。当時は何の制度もなかったですから。そして、通産省がAPECをつくろうとしたときに、「余計なことをするな。市場メカニズムでどんどん相互依存が進んでいるのだから、ほっておけばいいのだ」という議論をした経済学者もいるわけですね。渡辺利夫さんなどは、「要らない、要らない」といっていた。それも1つの議論だと思います。
もう1つの議論は、経済の相互依存、あるいは国境がどんどんなくなっていくという形で物事が進んでいく、そういうときに、これからもそういう状態を続けていくためには、当然、その制度が必要だろうという議論もあるわけで、西ヨーロッパをモデルにしてきた地域統合論というのはどちらかというとこのタイプです。詳しくみると、当然、目標があったりして違いますが、地域統合がどんどん制度的に進むというのは、実態と二人三脚で進んできたというロジックで説明しようとしている。
もう1つは、望ましい実態をつくり出すために制度が必要ではないか。つまり、今ある状態は必ずしも望ましいとはいえない、あるいはもっといい状態にしたいと。そのときに、制度をどのように使うのか。そうすると、制度というのは現在の実態にそぐわなくても将来的には意味があるのかもしれない。よくわかりませんが、今、アジアで起こっていることが、少なくともそのアジアという中に日本ももし置いてみるならば、日本の社会、日本の経済にとって望ましい実態が進んでいるとはちょっと思えない。「では、何が山影は気に入らないのだ」とおっしゃると思いますが、その辺は後で詳しく触れたいと思いますけれど、少なくとも3つのダイナミズムが動いている経済の実態と国際的な制度というものに結びつけるときの結びつけ方は、3種類のタイプがあって、地域戦略を考えるときにやるのは、望ましい実態を現出させるためにある制度を活用する、あるいは制度化を進めるということになるのかなと思います。
そこで、私は経済の専門家でもありませんし、アジアダイナミズムの専門家でもないので、細い細い管から外をみているということにしかすぎませんが、3点ほど、なぜ地域戦略からみることが私にとっておもしろいのか、そして、そうみるとなぜODAが、不可分なのだけれど、一部なのかと、そこにもっていきたいと思います。
まず、アジアのダイナミズムを考えるときに、私は世の中をみていて一番問題なのは日本だろうと。1999年に「第三の開国」といったあの提案は一体どこへ行ってしまったのだと。日本の国内はさておき、私は東南アジアからみることが多いのですが、近隣諸国からみてみると、経済構造改革への期待は高いし、そうやってくれれば日本がよくなって、「日本人がハッピーな顔をするのはうれしいね」といっているわけではなくて、なぜ日本の経済回復に期待をかけているのかといえば、やはり輸入大国に戻ってもらいたいと。これは非常にはっきりしているわけです。少なくとも、こういう期待があるということは日本にとって決してマイナスの話ではなくて、まだまだ期待されているところが大きい。
アジアのダイナミズムを考えるときの問題は、ODAもそうですし、対外政策、あるいはもっと広く外交というのは、当たり前の話ですけれど、相手のある話で、相手が主権国家である以上、日本の思惑どおりには物事は進まない。これは外交の基本中の基本なわけですね。ですから、国益追求という政策手段をとっても、国内でしたら法律をつくってやれば、それがうまくいかなかったら「失敗」となるわけですけれど、外交に関しては、うまくいかなければ、それは「失敗」なのか、それとも相手があったせいなのか、これはよくわからない。
しかし、日本にとって望ましいアジアをつくるときに、日本がやろうと思えばできることが1つあって、それは日本を変えることだと。要するに、日本が主権国家で、独立国家としてちゃんと政治があるのならば、それは日本の主権として日本の変革というのは日本の主権者の手に完全にゆだねられている。もちろんうまくいかなければ、それは主権者が責任をとる話なわけですね。国内矛盾のはけ口を外国に求めるというのは、あり得る手段ですが、それを本当にできるのは覇権国だけだと。アメリカのような国は、自分の国のいろいろな矛盾を国内調整できないで外国におっつけるというパワーをもっているわけですが、日本はもっていない。そうすると、まずは日本自身を何とかしないといけないのではないかということであります。
そうすると、ODAの話が全然出てこないので、当然、日本は日本としてできることはあるでしょうけれど、そしてそれを十分にやっているとは思えませんが、それとは別に、外に対して外交、あるいは対外政策というのは当然にやるべきであると。もちろん注意しなければいけないのは、政策あるいは戦略があれば、それがそのまま実現するということはない。思いどおりにはいかない。そういうことを念頭に置きつつ考えなければいけないだろうと思います。
さて、ODAが今はしっぽであると認識すべきだということを、大きく分けて2つのことからいってみようと思います。
1つは、1950年代の経済協力戦略――本当にこう呼んでいいかどうかわかりませんが、経済協力のやり方を見直してみると、当時の非常に限られた乏しい政策資源をかなり利己的に定義している国益のために、一所懸命活用しようという、小さな日本のけなげな努力がよくみてとれるわけです。そこで資料ですが、これは1958年に出ましたいわゆる経済協力白書で、経済協力の現状とその問題点ということですが、今出ている経済協力白書は、データ集としては非常にいいのですけれど、理念とか、こういうことをやりたいのだというものが書かれていない。私は全然わかりませんけれど、それは経済産業省の責任ではなくて、90年代の初めに外務省がODA白書を出すようになって、役割分担が変わったのだと思います。それは私の全くの推測ですけれど。
なぜかというと、1978年に、外務省が通産省に打ってかかって、「自分たちこそODA経済協力白書を出せるのだ」と。正式な白書ではありませんけれど。それで、1回出したんです。しかし、通産省の猛反対を食らって、結局、1年でやめざるを得なかったということがあって、経済協力は一体どっちなのだというのを外務省と通産省でずっと争っていて、結局、通産省は、同じ名前なのだけれど、内容を変え、外務省はODAに特化するという形だったのですが、少なくともODA政策の理念というものを出せるようになったと。そういう駆け引きがあったようです。
当時の外務省は、「こういう問題はローポリティックスだから、我々は関与しない。外交というのはもっと違うことを考えるのだ」ということで、余り関心もなかった。そして、その当時、通産省はこういうものを出したわけです。前尾大臣の序がありますが、「はしがき」をみますと、建前は建前で、国際協調、低開発国の開発に協力するということは書いてあるのですが、読んでみれば、これは日本の国益のための経済協力なのだというのがはっきり書いてある。ですから、口の悪い人はこれをみて、「恥も外聞もなくこんなことをいって」と。あるいは、この後の日本の経済進出やいろいろな援助が、幾ら実態が変わっても、「ひもつきだ」とか「日本の企業のためだ」とか、何だかんだといわれる出発点はこういうところにあるわけですね。
けれど、私は、今の普通の言葉でいうと、納税者に対する責任として、これは何ら恥ずべきことはない、非常に立派な日本の戦略をここに明記してあると思います。
なぜ目次までつけたのかといいますと、何を経済協力と考えているのかというのが非常によくわかるわけです。それで、煩瑣になるのでつけませんでしたが、これは初年度の白書であって、翌年度から、ここには書いていない非常に重要な手段が書き加えられます。それは賠償です。日本が61年にOECDに入る前に、DACの前身のDAGに加盟して、そこでODAというものを日本もやるようになる。その中の無償のODAのすべては賠償だったわけです。ですから、その段階では、それは賠償であってこういうところに入れるべきではないと思ったのか、あるいはどこまできっちりそう意識したのかわかりませんが、入っていないわけです。しかし、少なくともそれ以前から吉田首相などが国会の答弁などでいっているのは、「それは賠償ではあるけれども経済協力で、我々は低開発国に対して援助しているのだ」ということをいっているわけです。
ここにはそれが出てこないのですが、翌年の59年版から、その賠償というものがきちんと位置づけられてくる。ですから、ここにある幾つかの柱プラス賠償というものがトータルとして日本の経済協力で、それは何かというと、輸出振興と輸入の確保ということになったわけです。
それで通産省の経済協力の考え方というのはずっと今日まで来ていると思いますが、ODAに関していうと、中身が非常に変わっていく。賠償から始まるわけですが、賠償がだんだん終わると年次供与国という概念が出てくる。今は多分これは使っていないと思いますが、90年代の初めぐらいまでは普通に使われていたのではないか。文章としてこの概念は、1回だけどこかで、内輪のまさにジャーゴンとして使われているのですが、つまり、賠償も政策ではないし、年次供与国という概念も政策ではないし、その後の4次にわたる中期計画で倍々ゲームでいくわけですが、これが政策といえば政策かなという感じですけれど、とにかく国際貢献あるいは黒字還流ということで額をふやすと。
そういう中で、80年代になるとその戦略援助というものも出てきて、ある種の政策がここで出てくるし、90年代に入ってODA大綱ができると、一応、政策らしいものが書かれるわけですが、ここでいっている政策というのはいずれも通産省的な発想ではなく、語弊があるかもしれませんが、外務省の対外政策の一環としてのODA政策ではないかと思います。
もう1つは、ODAからみたアジアというのは随分変わっているということです。最初は東南アジア4カ国に対する賠償、あるいはそれプラスアルファーの準賠償から始まるわけですが、無償のODAはイコール賠償で、それは今日の東南アジアと。それから、円借款は南アジアのインド、パキスタン、当時のセイロンに行くわけです。おもしろいことに、文言上は、東南アジアと南アジアをあわせたものが東南アジアです。特に通産省が東南アジアというときには、香港からパキスタンまで当時は含んでいた。そして、東南アジアの賠償が減り始めると、そこに東南アジアへの円借款がどんどんふえる。日中国交回復すると、そこに中国が登場すると。
そして、「次々と卒業へ」というのは若干大げさですが、今ですとタイ、そして、マレーシアが経済危機になると格下げされますけれど、ODAがうまくいったかどうかはさておき、基本的に卒業していくと。そういう意味では、ODAの重点が、例えばアフリカ、あるいは地球規模問題群に使うのだということをいいつつ、ついに外務省も、この前出た中期計画では「アジア重視」ということをいうわけです。それまでは、事実としてアジアにあるということは統計をみれば明らかなのですが、通産省ははっきり「アジア重視」ということを前からいっているわけです。経済協力というのはアジア重視だと。しかし、外務省はそういう方針は認めていないんです。アジアがどんどん経済発展して、これからODAが要らなくなる、そして本当に金が必要なのが仮にアフリカだとしても、そういう時点になってようやく、「これからもアジア重視でやっていくのだ」ということを中期計画の中に明記するというのは、これは一体何なのだろうということです。それはこうならざるを得ないのではないかということが後で出てきます。
さて、そこでまた通産省の経済協力の話に戻りますが、先ほどいいましたような1950年代にできた戦略の延長線上として、総合的経済協力という概念があって、それはよくいわれるように、三位一体の経済協力であると。そして、それは援助、投資、貿易。この辺になってしまうと釈迦に説法で、皆さん方の方がよくご存じの世界に当然入っていますので話ははしょりますが、そういう考え方があって、そして、80年代になると、地域戦略かなと私が思うような国際分業を追求する。そういう政策が出てくるわけです。それは産業育成政策のノウハウの移転とか、ニューAIDプランとか、いろいろな政策ツールで国際分業を追求しようとしてきた。
これは私はつい最近まで知らなかったのですが、皆さん方は当然ご存じだと思いますけれど、私などが非常に役に立っている「通商産業政策史」の編纂の意図というのが、日本が蓄積した産業政策、通商政策のノウハウをアジアに教えるのだと。あれはそういう意図で編纂されたのですね。あれは中国語も出ているでしょう。こんなにものすごい戦略指向で過去を振り返り、これからこういうことをやっていくなんて省庁はないですよ。外務省なんか全然ないですし、大蔵省は「昭和財政史」などやっていてとても大事ですけれど、それをみえないアジア戦略に使うなんて、そういう発想はない。それで、通産省恐るべしというのが私の印象です。
さて、そういう経済協力という通産省的なとらえ方が片やあったということを確認した上で、1997年の通貨危機というのは、ひょっとしたら新しい経済協力の元年になるのかもしれない。まだわかりません。97年のアジア通貨危機への対処というのが、97年でなくて、例えば新宮沢構想が98年にできたというのは、アジアの通貨危機が経済危機になって、それが日本の金融界を引っ繰り返すかもしれないという、大蔵省の非常に強い危機意識もあったりということで、幾つかの省庁がそれぞれの問題意識で97年から98年にかけてものすごくいろいろなことをやったわけです。その過程で、ODAも有効な必要部品に組み込んだ体系的な地域戦略をつくったようにみえる。泥縄ですから、本当はそうではないのですが、例えば、IMFを通じての支援といったことは当然にODAではない。それから、輸銀を使ったりしているのもODAではない。それはOOFに入る。あるいは、通産省マターですと貿易保険を使うとか、非常にさまざまな政策ツールをこの問題に持ち寄った。
そして、幾ら金を使ったかというまとめ方が省庁によって随分違いますが、総額 800億ドルと一応いわれていますけれど、例えば、新宮沢構想の第1ステージで 300億ドル用意して、第2ステージで2兆円の保証をしてと、そういうものを積み上げるとそんな額になるらしいのですが、宮沢構想 300億ドルではなくて、それをバラして現実にどういう費目でどこにどれだけ使ったのかというのを一番よく整理しているのが、通商白書の平成11年版のデータなんです。
これは私のうがち過ぎなのかもしれませんが、金をどういうツールとしてインジェクションしたのかと、少なくとも通産省は非常にそういう意識で 800億ドルのまとめ方をしている。外務省や大蔵省のまとめ方とは随分違う。それで、私などは研究者として、その 800億ドル、あるいは 900億ドルの金が一体どうなっているのかというその縦・横をつくろうと思っても、全然うまくつくれない。例えば、通産省の統計をみていると、新宮沢構想の 300億ドルは一体どの部分で、2兆円はどこにつくのかというのがよくわからないのですが、しかし、総額 800億ドルがどの国にどのツールを使って流したのかというのはものすごくよくわかるわけです。
そういうときに、大蔵省、外務省、通産省の3つの省庁の連携がものすごく深まったのだと思います。1つだけ例を挙げますと、円の国際化ということを大蔵省は90年代の初めまでいうのですが、そんなことをしたら国内政策が縛られてしまうので、本音は消極的だったわけです。ところが、98年以降、円の国際化というものを本気になって考える。しかし、大蔵省からしてみれば、円の国際化というは、するのではなくて、それは結果としてなるものなのだと。それは円の国際化が進む、あるいは進める道具は全部通産省がもっているわけです。例えば、商社の取引とか、有名な例は、東南アジアから石油を電力会社が輸入するときに「円建てでやってちょうだい」というとか。つまり、大蔵省が円の国際化をいい、そのためには通産省との連携が必要だということを大蔵省側が明確に認めるようになった。通産省は前からそういうことをいっているので全然問題はないのですが、大蔵省がそういうことをいうようになった。
これがその後の組織的な連携になったかどうかというのは、私はまだきちんとフォローアップしていませんが、いろいろとインタビューをしてみますと、今までないようなものすごい連携プレーがあったということです。それがインスティテューショナライズしているかどうかというのはまだよくわかりませんが、少なくともそういうことがあって、そこで日本の「第三の開国」をバーンと打ち上げたアジア経済再生ミッション(奥田ミッション)というものが組まれたのだと思います。
このときのアジア経済再生というのは、日本は外で、このときのアジアというのは、韓国、インドネシア、マレーシア、フィリピン等の国だったわけです。そのミッションに行った方のショックは、新宮沢構想のようなお金は非常に感謝するのだけれど、一番してもらいたいのは日本の市場開放だということを異口同音にいわれてびっくりすると。それは市場開放だけではなく、労働力、人の移動の問題までいわれてしまうと。
そこで、アジアへの日本の支援というものが、実はそれが日本自身の問題なのだという形で逆に日本政府に対してボールが投げられ、アジアの経済再生のためには日本の「第三の開国」が必要なのだということになった。それで、とにかく日本の問題ですよという最初のところにつながるわけですが、それはさておき、対アジアの外交を担当する3つの省が多分初めて連携したのではないかと思いますが、その後3年たって、どうなっているのかなというのを今勉強している最中です。どうも結論は、余り明るくはないということです。
ここでいっていることはポイントが2つあって、かつて通産省が考えてきた経済協力という非常に総合的な考え方を、今の経済産業省だけでなく、財務省や外務省を巻き込んで本当にできるのかしらと。できたらいいなと、これは私の願望です。そのくらい今本当に日本政府が腹をくくってやらなければいけないときに来ているのではないかと思いますが、ただ、私は一介の研究者ですから、分析して、「ああ、できないね」、あるいは「ああ、やっているね」ということをいうだけですが、必要ではないかなと思います。
では、具体的にどうするのかというときに、3番目のポイントですが、重層的な地域的な制度というものを活用したらどうですかと。これは経済産業省の場合はわかりませんが、外務省などとつき合っていると、地域というのは、バイの関係プラスアルファーの、場合によっては盲腸かもしれないと。相手が地域としてまとまっているから、こちらも対応上まとまらなければいけないぐらいの形で、日本側から積極的に地域というものを考える、バイに屋上屋を重ねるのではなく、それは別なのだという発想法が余りないのです。
私は、地域を考えるときの重要性は、先にバイをみると、どうしても地域というのはその後のプラスアルファーは何なのですかという話にならざるを得ないと思うのですが、地域という概念は部分であると思わないといけない。その全体の部分が地域である。したがって、まず、全体を意識するということが大切なのではないか。もし地域というまとめ方が必要ならば、そういう大きな見取り図の中で考えればいい。そういう地域なるものを1つにまとめるときに、インドを入れるのか、パキスタンはどうするのかということを先ほどいいましたけれど、制度があると、地域戦略のときの地域というのは割とまとまった単位として扱いやすい。
例えば、APECの加盟国が本当に1つの地域としてまとまっているかどうかと考えると、それはそんなことはないという答えははっきりしているわけですが、しかし、戦略を考える上で、方便と知りつつ、あるいは便宜だと腹をくくれば、地域的な制度というのは結構使いでのあるものではないかと思います。ですから、全体からずっとだんだん下をみていくということになると、世界をみて、それから地域を部分としてみて、そしてユニットしての国がくると考えると、その地域も広い地域からサブリージョナルまで考えると、いろいろな段階があるだろうと。
日本を中心にみてみれば、WTOのようなものがあって、APECがあって、その中で東アジアみたいなものがあって、日本、ASEANがあって、そしてバイがくるのだと。そうみれば、バイを束ねるときの地域ではなくて、世界全体の中で、それは世界全体が自由化すればいいのかもしれないけれど、そうでないときにどうするのかという形で、部分というセカンドベストを考えることができるのではないか。
少なくとも、1980年代の末、ウルグアイラウンドがうまくいかない、ヨーロッパは単一欧州議定書を通して通貨同盟にいくというのははっきりする、フォートレス・ヨーロップということが騒がれた。そして、アメリカもアメリカ―カナダをやり北米にいくというときに、少なくとも通産省はそのときに大変な危機意識をもって、APECへの地ならしをしたわけです。そういう元気は今はどこに蓄積されているのかなということですが、そういう世界全体の制度が十分機能を果たしていない、あるいはそれだけでいいのだと思えない以上、地域というのはやはり必要なのではないかなと。
若干気になるのは、最近の通商白書を読んでいると、平成11年からかじを切り始めて、12年で完全に地域という概念をまま子扱いしなくなった通産省は、平成13年度になってしまうと、中国のきらびやかなイメージに引っ張られ過ぎているんじゃないかという気がしますけれど――つまり、それがいいか悪いかではなくて、これは政策であり問題意識ですから、すぐ変わってもいいのですが、中国を考えると、では、日中がやはり先にくるのですかと。前は、WTOがあってバイがあって、間がすっぽり抜けていたのが、いや、間もあってもいいんじゃないのというのが、地域連携とか地域統合に使える手段ではないのかといって、使える手段にしないうちに違うことをまた考え始めているのかなと、外からみているとそんな感じがちょっとします。
APECを使えなくした張本人は日本だと思います。大阪会議のときに、ほかの省庁の人がグジャグジャいって、ボゴール宣言の熱気というものに水をかけた。これは日本です。村山首相も全然リーダーシップをとれなかった、とらなかった。それから、また何度か積極派が盛り上げてEVSLをいったときに、これも結局空中分解させてしまったのは日本だった。せっかく88年から98年に苦労して、外務省とあんなにけんかをしてつくったのに。ですから、通産省の責任では全然ないのですが、せっかく広域制度をつくっておきながら、それの使い勝手を悪くした、あるいはその価値を下げたのも日本だということです。それが広域的な制度の話です。
もう少し小さいところまでいくと、日本―ASEANの対話制度というのは、ほかのどの国にも追随を許さない、非常に濃い関係を70年代からずっとつくってきました。そして、90年代には、外務省だけではなく、通産省、大蔵省も全部ASEANと定期的な閣僚会議をもち、その下には高級事務レベル会合をもつようになったわけです。
それで、これが日本にとっての地域的な連携の重要な道具かなと思っていたら、97年以降、今度は急にASEAN+3というのが登場して、日本―ASEANの対話制度が中国・韓国にも広がったような制度で、非常に濃密な制度ができてしまった。これはこれでひょっとしたら、日本にとって日本―ASEANとは別な使い方ができるのかもしれなかった。そのときに、それまで非常に消極的だった中国がASEAN+3ないし中国―ASEAN関係というものの制度化にある種のメリットを見い出して、ものすごく積極的になった。ここ1年半ぐらいの非常に短期的なことで、これからどうなるかわかりませんが。それに対して、日本というのは、時間をかければうまくいくのでしょうけれど、こういう何カ月単位で状況が変化するときに対する対応というのは非常に遅い。もう少し時間があればよかったのかもしれませんが、なかなかイニシアティブをとれないわけです。
もっと下に行くとバイの関係が来るわけですが、日本とシンガポールのFTAが成立したわけですけれど、その交渉過程で、シンガポールやASEAN諸国がいかに幻滅したかということを我々は理解しておく必要があるのではないかと思います。そのポイントは農産品問題なのですが、とにかくああいう小さな問題が、シンガポールでさえあんなことをしなければいけなかったというのは、ほかの国にとって、日本に今まで抱いていた期待をしぼませるとても大きな効果があったなと思います。
それに比べて――といってはいけないのでしょうけれど、中国―ASEANのFTA交渉はこれからどうなるのかなということと、WTOの新ラウンドがどうなのかなということを考えるときに、AFTAもそうですけれど、上海のAPECの会議でボゴール宣言の再確認というものがなされました。2010年までに先進メンバーは貿易自由化をすると。その貿易自由化というのはどういう状態なのかというのも実はコンセンサスはないと思いますが、発展途上国は2020年までに貿易投資の自由化をすると。
実態はよくわかりませんけれど、ASEANの国の人たちがAFTAを考えるときに、明らかにAPECよりは速いスピードでということがある。逆にいうと、努力目標かもしれないし、2010年、2020年、APEC諸国がどれだけ自由化しているか、その実態はわかりませんけれど、あの不まじめなASEANでさえ、APECプロセスよりは速いプロセスでASEANの統合をしなければいけないと思っている。ひょっとしてそういう意識が、中国―ASEANのFTAとか、いろいろなところにきいているのではないかと思います。
日本は、多分、どうせできっこないと。日本もできないけれど、ほかの国なんてもっとできないのだから、それはWTOのペースで行けばいいのでしょうと思っているのかもしれませんけれど、東南アジアのいろいろな国々がやろうとしていることは、自分たちがまとまっているのだと、あるいは世界よりも少しは早くまとまった市場をつくって、非常に浮気な資本に対してアトラクティブネス、セクシーさを出さなければいけないのだということで、一所懸命頑張っているなという気はしています。
こういう先の問題は私は全然わかりませんが、WTO新ラウンドがどうなるかわかりませんし、日本を入れないFTAがどんどんできるかもしれないし、できても、日系企業は、中国とASEANが一緒になれば、それで中国に投資している企業がもうかればいいということで。ですから、日本が取り残されるのはよくないとかという議論は、だれの立場なのかということをよく考えなければいけない。多分、普通の日本の労働者にとってみれば、これはよくないことだろうと。政府はどうなのか、私はよく知りません。
そういうことを考えると、ASEAN+3、あるいは東アジアというときに、台湾は入っていないわけですね。台湾が入っていないときの制度というのはどうなるのか。それでも場合によってはいいのかもしれませんが、APECは台湾・香港がほっておいても入っているのだから、それなりの使いではあるのかなと。
それから、日本にとって相対的に過去の蓄積が大きいASEANというのも、やはり大事にした方がいいのではないかという気がします。グローバルな体制に全部依存することができない以上、しかしながら、異なる政治体制の国もあり、共同体、共同体といっても本当はそんなにできるわけはないので、いろいろな違う制度的な枠組みに異なった機能を与えていかざるを得ないというのが、多分、東アジアの現実なのではないかなと思っています。
そんなふうに考えると、これからはODAというのは、ものすごく重要な分野というよりは、だんだん局所的なところで有効に利用していくべきなのではないか。ですから、アジア全体のダイナミズムということを考えたときに、それはODAを使ってそういうものをやろうというのではなく、もっともっといろいろなツールを組み合わせて、ODAにはODAの役割を与えたらいいのではないでしょうかということです。
まとまりがありませんでしたけれど、これで私の発表を終えさせていただきます。

どうもありがとうございました。それでは、質問をお願いいたします。

痛いところを突かれたり、おだてられたり、脅されたりいろいろしたので、どこからどういっていいのか。

まず、ODAというのは、最後におっしゃられた、アジアで起こっているいろいろなことの中で、使えるけれども、だんだん役割は小さくなってもいいというのは、我々がいってきたことと大体同じですね。つまり、ODAの援助で開発とか、円借款をどうするとか、そういう議論も大事なのだけれど、もっと大きく、アジアで何が起こっているか、我々はそれをどうしたらいいか、そして使える部分はODAでやると。その発想はいいですよね。

山影

いっそのこと、ODA政策は捨てるべきだ、やめるべきだといったらどうですか。あんなものがあるから拘束されてしまうんですよ。ODAというのはいろいろなもののツールで、結果として幾らかというのが出てくるだけであって、これからODAはどうするのとか、10%減らされては嫌だとか、ああいうことは、ODAという枠を気にし過ぎているのだというのはどうですかと。外務省に、あんなものはやめろと。政策としてですよ。ODAはもちろん必要なのですけれど。

やはり環境は変わっていくので、そのリソースもだんだん減っていかざるを得ないし、そうすると、円借款だけやっていても先細りなので、ほかのツールもやっていこうということだと思うのですが、何のためにやっているのかというそこの目標が明確にシェアされていないということなのだと思います。きょうの先生のお話は、そういう意味ではアジアの地域戦略においては、APECとかいろいろな枠組みはありますけれど、最終的にはASEANと日本とのある種のFTAのようなことを目指したらどうかというお話かと思いますが。

山影

そうでなくてもいいんですけれど。グローバルの制度さえ1個あればもうこれで十分というのは、日本にとって一番住みやすい世界だとは思うのですが、しかし、現実にグローバルな制度が日本にとって一番いい環境を提供してくれない以上、では、日本にとってもっといい空間ないし環境というのはどうやってつくるのかをもし考えるのであれば、そこで初めて地域で、どの国が入っているのがいいのかと。例えば、ロシアは入らなくてもいいのか、あるいは入ってくれない方がいいのか、あるいは入らなければいけないとか、いろいろなことがあると思います。それはグローバルなものを考えてそれで十分ではなくて、ではどの範囲で何をやるのかというときに初めて考えればいいのかなと。
ですから、真空状態で考えたら、本当は古いASEANだけの方がよかったのかもしれない。CLMVなんて入らない方がよかったのかもしれないですよね。架空の話として。もしそうだとしたら、ASEANの内部に何かそういうものをつくった方がいいのか、それともASEANの枠組みを大事にしてCLMVにやるのか、それともCLMVを切り捨てるような枠組みをつくるのか。そういう話にだんだん上からおろしていった方が、どういう地域が日本にとって必要なのかというのがよりはっきりするのではないかと思います。できるところからFTAなどをやってしまうと、何だかわからなくなってしまうのではないか。スイスともやるわ、メキシコともやるわで。

結局、我々の基本的な問題点というのは、手段が目的化してしまうときがあるんです。経済協力のツールをもっているわけですが、そのツールというのは何のためにあるのかということがやっているとだんだん吹っ飛んでしまって、ついそれが合目的化しまして、逆にツールのために何かやるということにどうしてもなってしまう。それは経済協力に限らず、行政として、ある種の手段をもつと、その手段をどう磨き上げていくのか、あるいはよりよくしていくのかということにどうしても行きがちなわけです。
そもそもなぜこれを始めたのだ、何のためにあるのだ、今の時点の状況で考えると本当に必要なのかどうか、そういうところがつい忘れがちになって、そういう意味では反省をしなければいけないなと。それで、今、Bさんが申しましたように、少し幅を広げて、単にODAの視点だけではなく、例えば広い意味での資金の流れという意味でみたときに一体どうなのだとか、そういうことも枠を広げて考えようではないかという気に少しずつなりつつあるわけです。
その上で、今の地域統合の話で申しますと、これもやはりそもそも何のために地域統合がいいのだということについて、日本の国益を考えますと、この地域がおそらく長い目でみてまだまだ発展するであろうという前提に立って、地域の間の経済交流がさらにしやすいようにするということが日本の利益だろうと。多分、ヨーロッパやアメリカもどんどん入ってくるでしょうし。そういう中で、よりこの地域が自由に動けるという方が、恐らく日本経済にとってもプラスではないか。そう考えると、日本経済にとって地域統合というのは進めた方がいいのだと。農業もワンノブゼムかもしれないけれども、マクロで考えるとプラスなのだということを、本当はもう少ししっかり頭の中に置いて考えた方がいいのではないか。
もちろんWTOというものが世界全体の大事な枠組みとしてあるわけですが、他方で、地域の交流をさらによくするためには、できるだけ障壁をなくして自由で透明な取引を進めるようにしようではないかと。そう考えると、やはり1つの地域統合というのはあっていいのではないか。その上でなおかつ、地域統合の中でも、CLMVのような経済格差のある地域について、この地域としてどう考えるのだという枠組みがあっていいのかもしないですよね。そこについては、先進地域から後進地域にこの地域としてどういう協力をしていくのだと。アジア会議が1つの核かもしれませんが、ああいうものをベースにまた考えるということもあってもいいかもしれないし。そういう枠組みで考えていくと解もみえてくるかもしれないと、今、お話を伺っていてそう思いました。

山影

おっしゃるとおりだと思います。政策をつくるのは皆さんですから、どんな政策をつくってくださるのかなと、来年の通商白書にはどういうことが出てくるのかなと楽しみにしているのですが、私が今思っているイメージとしてどういうものがいいのかというと、日本を含んだ地域統合で、APECよりはもう少し小さい単位で濃い地域をつくった方がいいだろうと思います。なぜAPECより小さい方がいいのかというと、ありていにいってしまうと、アメリカのようなグローバルな国は、とりあえず入れない方が日本にとってつき合いやすい。つまり、経済合理性だけではないですから、Dさんが透明性ということをいわれましたが、1つの制度をある国との間で共有して、世界よりはより障壁のない空間をつくらなければいけないというときには、もう少し小さな単位の方がいいだろうと思います。
けれど、それはAPECで何もするなというのではなくて、少なくともAPECではオープンリージョナリズムで、日本なら日本で2010年までにある状態にすることになっているはずですね。それへの道についてのシナリオは全然書かれていませんけれど。例えば、農業問題などで農水省が頑張っているのは、いずれWTOで妥協しなければいけないのに、なぜ今妥協するカードを切るのかというので、最後の最後までもっていくわけですね。でも、どうせ最後にカードを切るのだったら、一番有効なタイミングに切るのが手持ち札の使い方であって、最後にもうそれしか捨てるものがなくなって安く捨てるよりは、やはりどこで農業カードを本当に切るのかというのは考えなければいけない。
グローバルに対して切るのがいいのか、それとも、将来、日本と仲よくやっていきたいという国が周りにいるのだったら、そういう濃い関係のところでこういうカードを切った方がいいのではないか。結果はだれにとっても同じように日本市場が開放されるかもしれないけれど、カードを切ってみたら、東南アジアのコメが入らないで、オーストラリアのコメが入るかもしれないけれど、カードの切り方としては、うまいタイミングで農業カードを切って、ほとんどの分野で自由化するという、FTAの本来の趣旨を普通に素直に地域的に使えるようにしないとだめなのではないかという気がします。

そうなんですよ。私は、例えば農業についてこういうことを思っている。この地域で、いずれ地域統合を前提にした一大基金をつくったらいいと思っているんです。中国ももちろん出し、ASEANも出し、日本も出したらいい。そして、その資金をおくれた産業に、特に農業に出したらいいと思う。日本はおくれているのだから、もらったらいい。国内の農業補助金をむしろ外国からもらってくる。そのかわり、水際はあける。

ヨーロッパのCAPのような感じでしょうか。共通農業政策で。みんなで金を出して、補助金をあげるということですよね。

それは将来ですよ。でも、そのくらいのビジョンをもって考えていくということをバンと打ち出してやるとか。それはちょっと農業にこだわり過ぎだけれど。
APECとASEANの関係で、なぜASEANがAPECよりちょっと先に進みたいかというと、やはりAPECに凌駕されたくないんですよ。それは私がAPECをやっていたときの感触であったのですけれど、まだ彼らにはその意識があるなというのが私の感想なんです。ASEANとしてはASEAN域内で必ずやAPECより先にやりたいと、そういう力学が働くんです。なぜ彼らがそういうふうに働くのか、少なくとも私のいたころの感じからいうと、APECとASEANの、彼らからみるとある種の競合なんです。これはASEANをやっていた外務省系統に強かったのですが、ASEANという地域機構がありますねと。APECができたことによってその地域機構の重みが減るということを一番恐れた。そういうむしろ形式論かもしれない。

日本にとって何のためにAPECを構想したかということですが。

あのときはいろいろな思惑があった。

山影

これは間違ったら訂正していただきたいのですが、通産省の内部でも、アメリカの地域主義に対抗するときに、今でいうASEAN+3的なものを、オーストラリアは当然それに入っていてもいいのでしょうけれど、つまり、アメリカ抜きの大きな地域なのか、アメリカを入れた地域なのかというので、アメリカが入ることが初めから通産省は全省的に当然ということではなかったですよね。微妙な言い方ですけれど。

私はシドニーにおりましたので、当時の東京の本省の様子というのは正確には知らない。

アメリカを入れる方が多数派であることは容易に想像がつきますね。

そう。あの当時は、とてもじゃないがアメリカ抜きでは考えられなかった。

マハティールとアメリカが対立する構図の、その対立を鮮明にしてはいけないのでと。アメリカとの関係を抜きに日本は語れないというのは当然でしょうから。

山影

今はアメリカ抜きのASEAN+3というものが幸か不幸かできてしまっていて、じゃあ、ASEAN+3に、APECより濃い経済統合みたいなことを盛り込むかというと、今のところ経済産業省のASEAN+3とのつき合い方として、AEM+3まではガンガンいっていないですよね。AEM―MITIとかCLM―WGとか、AMEICCをつくるときにかなり押して、ASEAN側は自分たちだけでまとまりたいから、日本からガンガンいわれるのは嫌だというのがあって、でもガンガンとやってきたじゃないですか。AEM+3だと、ちょっと勝手が違うのでしょうか。中国・韓国が入ったところで日本がガンガンとやって、AEM+3でAPECプロセス・プラス何とかみたいなことをやるという感じにはいかないですか。

APECから日―ASEANという流れになってAMEICCができたわけですけれど、APECはある意味では、政治的なとか、あるいは大きな枠組みとして、山影先生の言葉でいうと、インスティチューションとしては非常に大きな意味があると。ただ、実態からして地域統合は難しいので、それは置いておいて、ASEANとの関係では、日―ASEANということでやっていこうじゃないかと思っていたら、ASEAN+3になってしまって、ASEAN側がむしろ、ASEAN+日よりも、ASEAN+3の方によりいろいろなものを期待したり、それはどうせみんないるのだからということでなったのかどうかは知りませんが、日本はこの1~2年の間戸惑っていましたね。ついにここで中―ASEANというFTAというところまで来ている。

私も中―ASEANの話は非常にショックで、このところそればかり考えているのですが、山影先生がお書きになったように、何はともあれ日本の問題、「輸入大国復帰への期待」という、ここなんですよね。結局、農業で国を開けられない国は相手にされないと。中国は、少なくとも自分の熱帯産品は切ろうと。そのかわり、工業製品を出させていただきますよと。そういう選択をああいう民主主義のコストのかからない国はやるわけですね。日本の場合は、農水省と通産省、農水族と商工族は調整できないしと。

中国は高等戦略で動ける。ボトムアップコンセンサスではない。

戦略も何も、国内政治構造の問題ですよね。

山影

農業をまず外国に対して自由化するのがそんなに嫌だったら、国内でもせめてもっと自由化してもらいたいですよね。土地なども随分緩くなったとはいえ、農業法人というのはすごく難しいし、大規模化なんて全然できない。地主はたくさんいていいから、実際の農業のやる人の数をものすごく減らしてという形にでもして、実質的に大規模化しないと……。速水佑次郎さんなどはいろいろいっているようですけれど。私は、その辺はどうすればよくなるのか全然わからないで、最終的には主権者としての日本国民が責任をとるしかないねといっているんですけれど。

中―ASEANの問題というのは、またあおり過ぎだといわれると思いますけれど、私はそういう危機感をもっていて、実態として中国産業はこうなっていると、戦略として中国はこんなことをやっている、ASEANもとられてしまうというのをあおるしかないと思いますね。そして、負ける原因は何かというと、農業戦略だと明確にいった方がいいと思います。

ただし、あおった結果、日本だけ凝り固まらないかと。

そのあおった結果、中国敵視とか、非難とかという話になってくるといけない。

むしろ、いい意味で取り込むようにしないとね。その発想が日本人にはないんだね、寂しいことに。

農業でなかなかリーダーシップをとれないという状況があるときに、中国をどのように利用して国内を開かせるかということが一番重要で。

その一番いいのは、まず、日本の農業政策そのものを根底から評価することですよ。そもそも今の農業政策はここが間違っていると。国内政策としても。本当はそこを克明に分析して、例えば、今、規制緩和などで年金問題とかいろいろ出てきているけれど、ああいうふうに、農業問題も国内問題としてきっちり一度取り上げて、何が根本的に問題なのだということをやる雰囲気をつくっていくことが大事だと思いますね。

私はベトナムの鉄鋼業をやってもほとんど難しいのですけれど、それと同じ発想で、外から来るのが非常に厳しい、自由化しなければいけないということはもう決まっているわけで、実際にやるかどうかは政治判断ですけれど、やらなければのけ者にされるということがあって、外の脅威をベトナム政府もある程度利用するわけですね。それと同時に、それだけでは鉄鋼業としてもいたたまれないから、具体的にどうやれば強くなるのだということをセットでやると。それで乗ってこなかったら、もうこの産業はどうしようもない感じなのですが。ですから、日本の農業も同じようにやればいいと思います。

そうなんですよ。WTOの次のラウンドで、日本の農業についてまず徹底的に外からやられて、そういう圧力と同時に、むしろ国内問題としてもいかに問題かと。あれだけの予算を投入して、何も構造改善になっていないじゃないかと。今、新規に農業に就く人は年間 2,000人ぐらいでしょう。そんなものなんですよ。それであれだけの金を投入して、全然生産性が上がっていない。どうなっているんだということを、本当はもっと声高にまじめな議論として議論すべきなんですよ。今の政府の規制改革の中で、農業だけスポッと抜けているんですよ。

ただ、やるときに、やはり明るいビジョンもみせないといけないわけですから、どれだけコストになっているかということだけいうと反発しますよね。だから、「こういうふうにやれば強くなれるよ。そのために時限的にこういう方法を」と、そういう形でないといけない。

そういうものも含めて、出していくべきなんでしょうけれどね。

農業自体のプロポーザルは出すかどうかは知りませんけれど、国内構造改革とセットで貿易産業をやらなければいけないということで、農業と中国の関係をうまくやっていく必要がある。

山影

数字だけでいうと、今の農業人口というのは失業者よりも少ないんですよ。ですから、やる気のある農業経営者ないし農家に本当に自由にやってもらったら、ものすごく生産性が上がるんですよ。ここにある産業があって、ここにこれだけの失業者がいて、ここでこれだけのスラックな人を抱えた産業があって、それはどうするのかと。普通に考えるとそれは産業構造転換の話なのだけれど、農業とそうでないところのバリアがすごく高いので、何もできないという話でしょうね。

仮に農業の問題がクリアされたとして、目指すべき地域の対象に中国は入りますか、入りませんか。

山影

さっきいったように、中国を入れて何をやるかということなのでしょうけれど、長期的な国際分業体制を考えたら、少なくとも通産省は80年代の半ばからNIES―ASEAN―中国ということでセットで考えてきたし、90年代初めにはそれにインドシナも入っていたわけですよね。国際分業と考えて、その中で日本企業を生かすときに、中国を除くということは長期的には多分あり得ないと思います。

あり得ない。アジアだけの世界で地球が回っているわけではなくて、ヨーロッパがあり、アメリカがあり、どんどん彼らが中国に企業として入ってくる。日本がかまけて「中国は知らないよ」なんていっていると、彼らは喜んでますます入ってくる。むしろ日本として取り込まないといけない。どうやって取り込んで日本自身もさらに強くなるかと考えないといけない。発想が、最近は新聞もみんなそうなのだけれど、「中国は怖い、怖い」といっているだけでね。

そのときには、経済統合にアメリカは入れるべきではないのか、あるいは入れるべきなのでしょうか。

アメリカは入れなくてもいいでしょう。ほっておいても入ってくる。

メキシコとやるとかという議論もありますけれど。

メキシコは、NAFTAのゆがんだところがあるから、そのブリッジで。日米で別途やるということはあると思う。

日米と日―東アジアとはまた別の体系だと。

そう。日本の開放的な枠組みを注射するために、ある種、監視役としてのアメリカというのはまだ要るなと私は思っている。それから、もう1つ、政治的なことを考えると、「東アジアだけで地域統合をつくったときのウィンドウとしてのアメリカをちゃんと日本はつくってやっているのだよ」という戦略的な意味もあるし、そういう意味で、日米で同時に投げかけるぐらいの気持ちでやった方がいいかなと。

山影

これは全く比喩的な話ですけれど、日本はアメリカと 2,000ページのFTAを結ぶことができると思うのですが、ASEAN+3にアメリカを入れて、アメリカはああいうものをつくれとAPECでいっているわけですから、FTAをアジアでつくるのは無理だと私は思うのです。それだったら、アメリカを入れないで……。私は日本とASEANの関係が今でもなぜ大事だと思っているかというと、日本とASEANだけで固まればいいというのではなくて、日本とASEANでとにかるあるひな型をつくってしまって、それに中国が入ってこなければいけないようにしておくのが、多分、日本にとって一番いい東アジアの地域戦略だったのだけれど、日本とASEANがシンガポールでつまずいている間に中国がASEANに対してやって、中国は乗りたくないのだけれど乗ってしまったと。

ひな型にしようと思ったのだけれど、シンガポールはそれではうまくいかなかった。

山影

あのときにシンガポールがもっとパーンと速くやってしまって、「どうだ、日本とこれだけできるのだ。北東アジアの入り口は日本でやってくれるのだ」といったら、ほかの消極的な国もくっついて、日―ASEANでいったかもしれないけれど、そういう話はなくなってしまった。

ただ、思った以上に、中国をASEAN側が意識するというスピードが速くて、あっという間にみんなが中国を日本以上に、政治的だけでなく、経済的にもみるようになってしまったと。

山影

ASEANでそういうコンセンサスはまだないと思います。ですから、10年後を目指してということは、中国とのFTAというのは、10年後にみんな忘れてしまっているかもしれないんですよね。ASEANの今までのいろいろな例からみると。その可能性は十分ある。

それはある。とりあえず政治的に決めたというだけでまだ詰まっていないから。

ただ、アメリカの景気が悪いから、ASEAN統合への推進力は強まると思いますが。

山影

それはそうですよ。だから、余計日本に期待していたのだけれど、日本がこれじゃあと。

ずっと伺っていてわからないのは、我々のアジアのダイナミズムという話は実態の話ですよね。経済、貿易、投資、分業。そして、いっぱい制度があって、それがある意味で乱立していて、制度も超過供給になっていて、APECはだんだん沈んでいって、ASEAN+3が上がってきて、今度は中国―ASEANとか、そのダイナミズムというと、実態とは関係ないところで、割と政治と外交で決まるわけで、先ほどおっしゃったように、10年後はどうなっているかわからないし、忘れられているのもあるし、非常に使いでがよかったら伸びているのもあるしと。だから、中国―ASEANもよくわからないところがあって、トロピカルフルーツを買ってくれるのはいいけれど、それだけでASEANは満足できるようなことなのかと。
タイやマレーシアなどは輸出の8~9割がもう工業製品ですよね。そして、ほとんどアメリカなどに行っているので。それでマンゴーを買ってくれたってどれだけ続くものか、そういうことはよくわからないでみんな選んでいるところがあるから、それほど何も決まったわけではない。我々は、アジアダイナミズムの中身を議論していたら、制度もある程度ついてくるのかなと思うのですが。
最初のお話にありましたけれど、制度とその中身のどちらが先に行くのかという話で、これも木村先生がいるとまずFTAを先にやれということなのですけれど、私はどちらかというと中身先行なわけです。日本とASEANと中国もあわせてこれだけ実態で物をつくっているときに、そんなに恐れることはないと思います。経済原理と政治とか外交の原理は違いますから。そして、本当に大変かどうかというのは、まだ中国―ASEANなんて夢のような話だと私は思うのですけれど。

中国の産業とか中国とASEANの貿易関係のような、すごく流れの速い成長期にある場合には、逆に制度を変えると実態が変わるということもあると思うのです。それで、彼らがいっているのは、FTAができれば、中国とASEANの間の貿易はそれぞれ5割ふえると。

今、中国とASEANの貿易というのはほとんどないじゃないですか。

いや、多いですよ。ASEANから半導体がいっぱい行っていますし。マンゴーも行っているかもしれないけれど。

中国は、バイクとか繊維とかがいっぱい入っているけれど。

当面は脅威論をなくすというプロパガンダの世界なのだけれど、10年後の実態を変えるということを見据えて、制度から入っていいのではないかなという気もしますけれど。

ある意味で、今は中国とASEANの経済関係は余りにも少な過ぎるんじゃないでしょうか。

今はね。これから急速にふえるんじゃないでしょうか。ASEANは5億人いるわけですね。中国が13億人といっても、市場は沿海部の3億人しかいませんから、3億人の次は自分の中の10億人よりもASEANの5億人だと思う、という発想もあるんじゃないでしょうか。

山影

AFTAは、初めから域内貿易をふやそうと思ってやっていないんですよ。だから、ふえなくてもいいんですよ。別にASEAN諸国というのは困らない。AFTAがなぜ必要かというと、移ろいやすい先進国の資本を呼ぶためには誇大広告をしなければいけないということがあって。あのAFTAというのは誇大広告ですよ。

私はいつも木村さんにいうことですけれど、「貿易が自由化になったら投資が来ますか、それは証明されているんですか」と。みんなそう信じてやっているけれど、それがもしASEANの主な目的だったら、別にASEANと一生懸命やらなくても、自分でそういう政策をやればいいわけで。

山影

経済学的にはそうかもしれないけれど、私はAFTAをつくれば投資が来るといっているのではなくて、ASEANの指導者、あるいはエコノミストやテクノクラートは、そういうロジックでAFTAが必要だと。

その政治・外交のロジックと、それなら本当に投資が来ますかというロジックとは、私は別だと思うのです。

山影

でも、来ているでしょう。自動車などもそうだし。

それは証明されているのでしょうか。経済統合されたからベトナムに行ったとか中国に行ったとか、タイがどうなったかと、そういうのは……。

山影

経済統合されたからではなくて、されそうだから出ているという企業の論理じゃないですか。経済学の論理は知らないけれど、企業の論理でいくと。

でも、それは証明されていないんじゃないですか。

山影

証明されていなくても、企業がそういう行動をとればそれでいいから。

企業が本当にそういうふうになっているのかというのは、私はみたことがないんですけれど。

確かにこうやっていた方が投資が進むというのはありますよね。

それはみんないっているけれど、みんながいったら経済学として真実なのかというのは、私はその実証分析とかはみたことがないんです。自由貿易などよりも、こういう政策のほうがはるかに投資を呼び込めるということはあると思うのですけれど。

山影

それはあるかもしれませんよ。

大きな市場があって、障壁を上げれば投資は来ますよね。インドネシアとかタイはそれで呼んだわけですよ。そして、その障壁を小さくするよといったら、その小さくなったエリアで再編が起こるということですね。

山影

企業にアンケートをとってみたら、関税障壁なんて、昔は重要だったけれど、関税率で価格にどれだけ反映されるのかというと、今はもう微々たるもので、それは為替のフラクチュエーションの方がよっぽど大きいと。それはすごくはっきりしているわけですよ。

為替もありますけれど、政策の安定性とか、あるいは、何をつくるかということが……。

山影

それはJETROなどが70年代からやっていた調査で、日本の企業はみんなそういっているわけです。それは向こうも知っていて、けれど、冷戦が終了したときにヨーロッパやアメリカの資本がどうなったかというと、当時の中国に行ったり、旧ソ連や東欧に行ったりして、実際にASEANの投資が減ったんです。

でも、それは貿易政策ではないですよね。みんなそう信じて、FTAにすれば投資を呼び込めるという脅迫観念か何かがあって。でも、本当に投資が欲しいのだったら、政治的にも経済的にももっと楽なやり方というのはあると思うのですが。
マレーシアが幾ら自由化しても、まだ集積のないときに譲許性が変わってしまうと逃げてしまうんですね。あれは幾ら貿易自由化というよりも、この10年の蓄積をつくらなかったから逃げやすいという、ただそれだけのことで。

自動車やエレクトロニクスの話も我々はヒアリングをしたのですが、AFTAの期限が目前に迫ってきたので、域内の工場をどう再編して、部品をどこからどこへ運ぶかとか、いろいろなシミュレーションをしていましたから、やはり制度を変えると企業行動には決定的な影響があるのだと思います。

山影

ASEANの普通の人たちの発想は、産業政策というものがはなから頭にないから、結局、貿易と投資のマクロのことで何かしようと思っていて、通産省が一生懸命産業政策の発想を頭の中に突っ込もうとしても、はなからそれを受け入れるすき間がなかったというのが、少なくともアジア通貨危機までのASEAN諸国の政策担当者の反応ですよね。それはもっといい産業政策があるのかもしれないけれど、そういうことでやってもいいのだということをCLMVに対してならASEAN側もやってもいいかなと、そのくらいしなければいけないと思ってCLM―WGができたわけですが、ところが、だれが考えるよりも早くASEAN内部に入ってしまったので、あの読み方は、ASEAN内部で産業政策はやるなという話だったわけですね。読み方は。私はそう解釈しているんです。ASEANと日本が一緒になってCLMの底上げをするには産業政策をやっていいけれど、もう既にやっているASEAN6に対して、タイやマレーシアで産業政策は嫌よと。だから、通貨危機が起きて、ようやく中小企業政策とかいろいろなことでこういうことをやるのだということが理解されたのが、3~4年前でしょう。
ですから、FTAであそこが大きくなったら企業が入ってきて、本当にふえるかどうかはわからないけれど、ASEANの人たちの頭の中ではどういう政策手段をもっているのかと考えたときに、もっと有効な、「これをやれば外国企業が来てくれる」というのは思いつかなかったんじゃないでしょうか。「経済学の教科書が悪いんじゃないか」といっている人がいますけれどね。
それで、話は違いますが、中―ASEANがFTAになって、私は普通の日本人として一番嫌なのは、日本の企業が全然危機意識をもたないで、嬉々として喜んで「中―ASEANをやってくれるのが一番いい」と。そこに出ていけばいいのだと。中国へ出ていってもいい、ASEANへ出ていってもいいと。そうすれば、ASEANに出ていたかもしれないですよね。あっちの方がインフラが進むというなら。そして、日本は大空洞化で、農業だけが残ると。ですから、経済産業省で危機意識をあおっても、日本の企業なんて、やりたいならどんどんやってくださいと。うまくいってもいかなくてもどちらでもいいけれど、うまくいけばいったっていいんじゃないですかと、そういうことなのかもしれない。

先ほどからのお話を伺っていて、制度が実態を変えるのか、実態が制度を変えるのかという議論を考えたのですが、多分、双方向あると思います。日本は中国ではないので、政治的な調整を瞬時に終えて、中国やASEAN―FTAのような制度をつくり上げることは多分無理だと思うのですが、逆に、日本の企業と中国の企業と、日本の企業とASEANの企業というその実態面の結びつきをどんどん強めるような政策だったら、比較的早いタイミングでできるのではないかなと思います。その実態面さえ強くなってしまえば、逆にいえば、実態にそぐわない制度をつくろうと思ってもイナーシャルが働くはずなので、そこは中国とASEANが制度をつくったからといって、我々が必ずしも制度で対抗する必要はなくて、逆に我々が実態の結びつきを強めるというやり方だってあるのではないかなと思います。
農業などでいつまでもぐすぐずしているような国ですから、制度をあわててやろうと思っても何かが変わるわけではないので、むしろASEANとか中国とかの日系企業の事業環境整備を頑張ってやるのかなということを考えていたのですが、そういう考え方はおかしいでしょうか。

私も実態をとればいいと思うのですが、ただ、具体的な問題になったときに、これがいい制度で実態にそぐわないものなのか、合うものなのかというのは、個別に考えなければわからないし、実際に10年後はだれにもわからないで、当事者もわからないでやっているものもいろいろありますから。

何らかの制度が今あるわけですから、それを変えるというのは実態を大きく変えるのだと思います。何もないところでやっているわけではないので。

それはそうなのですけれど、私がいっているのは、ものすごい政治的なエネルギーを使ってASEANとか中国もやって、実際に彼らが目的としていたものがとれるかというと、それはだれにもわからないわけですね。さっきの自動車の話だって、一生懸命自由化したらASEANの中での自動車の分業体制は変わるけれど、例えば、マレーシアにとって、タイにとっては思ったとおりの数がふえたとか、そういうふうになるかというのは全くわからない話なので。ですから、制度は制度のダイナミズムがあるわけで、中国がやったら日本もやらなければいけないとか、それはわかるのですが、それだけで走っていていいのかということですよね。

その辺はもうちょっと実態分析が要るかもしれませんね。実態分析というのは、中国と今回のASEANの政治的意味合いは別にして、一体何を彼らは間でやろうとしているのか。まず、物の取引の自由化をしようとしているのか、それに伴って必要な、例えば税関の制度を統合しようとしているのか。あるいは、さらにもっと広げて、サービス分野についても何か手をつけようという視野まであるのかどうか。例えば、中国として通信のシステムをASEANも含めて統合してしまいたいという思惑があってやっているのかどうか。それは通信までやれるかどうかはわからないけれど。それは密かにもう少しよくみてみる必要がありますね。何を本当にねらいとしているのか。政治的意味合いは別にして。
そういう意味から考えると、私なりに回答を出すとすると、1つは、実態面でいうと、例えば通信の分野では、次世代の携帯を日本がやろうとしている。これを普及させるということは日本の国益だと思います。それは今、日本として、このアジア地域でどこまでやれていて、やれていないのか。そういうことを密かにみて、何がなぜうまくいっていないのか。
なぜうまくいっていないかの1つの理由は、日本人というのはああいうシステムの売り込みが下手くそなんです。それをコンセプトとして理解をさせて、「なるほど、これは合理的でいいものだ」ということを理解させて、「じゃあ、このシステムを導入しよう」と。貿易というのは、そうすると後で自然に物はついていくわけです。そういうやり方が日本人はものすごく下手なわけです。
ドイツはそれを中国では結構うまくやっているんです。TDS―CDMAというものをシーメンスが売り込んでいる。これは実は規格化してしまった。どうやってやったかというと、既存の中国にある企業が製造コストがその方が安いわけです。もちろんシーメンスも売れるわけですが、彼らの中の中国のドメスティック企業も今の段階ではついてこれるわけです。そういうシステムなんです。それを売り込んで、とりあえず成功した。ただ、これから中国全土でこれ一本でやるのかどうかは不透明で、CDMA2000のアメリカ型をさらに入れるのか、あるいは、WCDMAというもう少しアドバンスの人の日本やヨーロッパでやっているものを入れるのか。その辺はまだこれからの勝負なわけですが。

中国のオリジナルのものもありますよね。

それが実はシーメンスのものなんです。バックにシーメンスがいる。その辺のやり方がうまい。まずシステムをちゃんと売り込むということをやる。鉄道などもみんなそうなのだけれど。日本人というのは物ばかり売るわけだ。そうではなくて、制度としてのシステムをどうやって売っていくのか、これをもっと実態的に進めることが、先生のおっしゃる実態論から進めるという意味でも意味がある。そういうところまで考えて中国―ASEANでやろうとしているのだけれど、それはよくわからない。これはむしろASEANが発想するのではなくて、中国がそういうことを発想するかもしれないけれど。

私が中国ならどう考えるかなと思ってみてみると、まず、目先にマンゴーとパーム油と半導体でASEANをつる。そして、ASEANの発展段階というのはこれ以上そんなに進まない。中国はどんどん進みますから、初めは安いテレビなどを売って、だんだん半導体もこちらでつくるようになって売って、ASEANから行かなくなったというようにして、結局、少なくとも物の分野で中華経済圏をつくっていくと。そういうことがまずあって、その次にサービス業で、保険とかということになるのかなと。

仮に、物の分野でまずは中国との間での分業体制を障壁を減らすことによってつくってしまおうと。そうすると、それは日本にとってどういうメリット・デメリットがあるか分析してみる必要がある。では、日本と中国、日本とASEANの間で仮に障壁をさらに減らしたときに、その動きがどう変わるのか変わらないのか。客観的分析をサラッとやってみた方がいいですね。感情論だけでなく。

それは明らかに日本が入れば日本の工業製品の市場が広がって、日本の企業はより日本にとどまるようになっていいわけですよね。農業は死ぬけれど。

その場合に、日本の企業が日本の国土でつくる製品がさらにふえるのか、日本企業も結局は出ていって、向こうの安い労働力を使ってつくった製品が、それは日本企業の製品だから、トータルとしては例えば日本の資本の利益が上がってくるということになるかもしれない。物ではなくて。そういうことでのプラスになるのか。そこまで視野を広げて、一体どういうプラスがあるのだということをもう少し考えてみた方がいい。

今のように、なぜここの市場を自由化しても、ここは動くけれど、ここは動かないのかといった情報ですね。METIのようなところで、ASEANと中国が動き出したら、現場と理論のレベルでコンピュータを回したりいろいろなことをやって、一斉にやるようなことになると頼もしいんですけれど。
そして、日本というのはそういうのが得意なのではないかと思いますので。それは日本なりの見方ですけれど、いろいろなところにインタビューしたり工場をみたりして、実際に何が変わったかというのを、JETROとか企業と、あとはここで頭をつくって理論でやる。そういうものが数カ月後にすぐ出てくるとか、そのくらいの知的能力があれば、中国はどう思ってASEANはどう思っているかという、そのレベルの国際関係の分析だけではなくて、実態に何になりそうかということを一番日本が情報を集めて蓄積したら……。恐らくどうなるかというのは余り読めていないと思いますので。

個別の企業の中国人はすごいですよ。まず、日本の経営者よりも圧倒的に若い。私の表現ですと、これは中国型レッドパージが起きているんです。これは中国人もそういっていますけれど。要するに、「50歳以上の人はもう退いてください」となっているわけです。「もう近代経営はわからないから、あなた方は顧問で結構です」と。それで、実際の経営は大体40代。例えば、国営企業の大慶油田ですら、もう社長は40代です。彼らはどんどん近代経営をやろうとしているんです。しかも、留学帰りで。
今、中国は「留学生は帰ってこい」というキャンペーンをやっていますけれど、あわせて、今、アメリカはIT不況でしょう。アメリカに留学で行ってそこで就職していた中国人自体も、もう帰ってきてもいいかなという人たちがいる。そういう人たちが今中国に帰ってき始めていまして、かつ、中国の将来性はありと思っていますから、ほぼアメリカと同じレベルのマネジメント能力のある人がどんどん帰って、中国で企業を起こそうとしている。かつ、起こりつつあるんです。これはすそ野がまだ広いわけではないですけれど、そういう人たちがいる。これを侮っては本当に日本は負けてしまうというのが、実は私の実感です。

ある意味で、そこは負けてもいいような気もするんですけれど。中国人というのはある意味でアメリカ人に非常に似たところがあって、そういう人たちというのは日本では当面は……。

ただ、日本型では21世紀は競争には負けますね。日本がそのときの選択として、もうのんびりいくのだと。生活のパターンとして、例えばここはアジアのスイスだと。そのかわり、国内をきれいに美しくして、時間ものんびり過ごす。そういう生活で食っていこうと。食っていくためには、一応の競争力もなければいけない。そこに日本は競争力を求めると。そういうならそれも一つの選択ですけれど、どこかで競争力を持たなければならない。相対的な比較優位をどこに求めるのだと。

山影

農業かもしれない。

私はたまたま先々週中国に行って、自分としては改めて久しぶりにみて驚いたものですから。ちょっとバイヤスがかかり過ぎていますけれど。

山影

知的支援で日本とASEANが何かをやろうというときに、金融面では向こうの方がずっと自由化していて、日本の銀行員はだれも送り込めなくて。通産省が中小企業政策に本当に成功したかどうかもよくわからないし、やったことは事実なのだけれど、それを今の東南アジアに売り込んで本当にいいのかというのもクエスチョンマークで。それは研究者のサイドからしてみればそうだと思いますけれど。ですから、制度のハーモナイゼーションを仮に東アジア、あるいはオーストラリアやニュージーランドを含めてもいいですけれど、あそこが日本のようになるということは、彼らの将来性も日本の将来性もなくて、日本がアメリカ型になってもしょうがないけれど、日本がどのくらい変われるのかというのが非常に重要な気がしますけれど。障壁を下げるにせよ、このまま縮み指向で行ってしまうにせよ。

もう1点だけ紹介しておきますと、日本にいる中国の留学生、新華僑ですけれど、彼らの会社が既に 1,000社できているということです。そのうち、日本の株式市場に上場したのが2社。彼らは、アメリカ型か日本型かというと、ある種、日本型でやろうとしているんです。これは分析対象としてみた方がいいかなと思っていましてね。

先日、大阪でやったシンポジウムでも、中国の経営者の皆さんが日本を投資対象としてどうみるかという議論をしている。そういうことに日本では気がついていない人が多すぎるのかもしれません。

それから、今、中国の証券会社で一番大きいところのトップが、日本の東大に来ていた留学生なのだそうです。38歳とかということで。ですから、日本も捨てたものではない。

きょうは、非常に貴重なお話と、通産省は元気がないというおしかりをいただきましたけれど、有益な議論をしていただきました。どうもありがとうございました。

――了――