第6回アジアダイナミズム研究会 議事録

  • 平成13年10月25日 19:00~21:00

それでは、始めたいと思います。本日は、資金協力課の寺村補佐から、「資金協力について」ということでお話をしていただくことにしております。資金協力についていろいろ考えていることをご紹介いただいて、ご意見をいただくという趣旨であります。それでは、お願いいたします。

寺村

資金協力課の補佐をやっております寺村でございます。資金協力についてプレゼンをしてほしいというお話をいただきまして、資金協力課として議論したというより、個人的に日常考えていることをまとめてお話をさせていただきたいと思います。
ペーパーの構成としては、まず、資金協力全般の形態について政府の中でどのように考えられているかという部分、それから、どんな論点があって、どういう議論が行われているのかということについてのご紹介、そして、円借款制度について、これは事実上、私どもの資金協力課の業務の大半が円借款に関する部分なのですが、これについてご紹介と論点の提起をさせていただければと思います。
まず、1.経済協力の形態ですが、これはいわゆるODAにとどまらない広い意味での経済協力、Economic Cooperationということで政府として定義されているものでございます。
その経済協力の中に、(1) ~(3) とございますが、(1) ODAと(2) OOFが政府部門が実施するもの、それから、民間が主体となる部分が(3) 民間資金(PF)で、これらが経済協力の主体による分け方としてまずございます。
(1) ODAですが、いわゆる日本のODA予算とかODA資金の形態を分けますと①~④に分類できまして、まず、①の有償資金協力ですが、国際協力銀行が実施している円借款がボリュームとしては一番大きい部分でございます。
②は、国際協力銀行の出資業務として、公的機関による大型経済プロジェクトへの出資というものもございます。これは最近はほとんどありませんが、昔、アサハンアルミですとかサウジ石化といったプロジェクトへの出資というものがございました。
③二国間贈与(グラント)ですが、これについては、無償資金協力を行う部分と技術協力を行う部分とがございまして、無償資金協力と技術協力をあわせてグラントと政府では分類をしております。この無償資金協力の中には、財政支援的に行われるプログラム型のものと、一般無償――機材を供与したり土木工事を行ったりというものと、債務救済無償という制度もこの中に含まれます。技術協力の方は、基本的にはテクニカルコーポレーションなのですが、資金の面でみると、日本政府から日本の企業なりコンサルタントなりにお金が流れまして、その活動が途上国であるというのがこの形態でございます。
④国際機関等への出資拠出等ですが、これは国際金融機関(世銀・アジア開発銀行等)、それから、UNDPなど国連関係のものもこちらに分類されます。
これらが全体としてODAというくくりになっております。
それから、その他政府資金(OOF=Other Official Flow )ですが、通常、旧日本輸出入銀行の融資である輸出信用、直接投資金融などが含まれます。それから、国際機関に対する融資も入っております。
OOFとODAの厳密な分け方というのは必ずしもきちんと整理されているわけではありませんが、融資の世界でいうと、OECDの開発援助委員会におけるグラントエレメントの定義がございまして、譲許性が長期資金であるか金利が安いか、こういった判断でグラントエレメントが決定されますので、数字でいいますと、グラントエレメント25というのが1つの目安となっておりまして、25以上のものはODA、以下のものはOOFという扱いになっております。
例えば、輸銀が20年物のローンを出したりするケースというのも、非常に例外的ではありますが、ございまして、この辺は実は計算の仕方でかなりグレーな部分があるのではないかということが実態としてございます。
(3) 民間資金ですが、これは民間の経済主体による活動ということでございますので、輸出信用、直接投資、証券投資といったものが入っております。⑤その他といいますのは、ほかの先進国では多いのですが、いわゆるNGOからの支援というものも民間資金の中に分類されております。
では、2.日本の資金協力というのはどういう特徴があるかということを簡単にご説明させていただきますと、最近のデータをとってみると、非常に変動が大きくて、恒常的なものとしてとらえてよいのかどうかということについては非常に判断が難しい点がございます。
ごらんいただきますと、アジア通貨危機は97年後半から98年にかけて起きておりますが、民間資金の流れというのは非常に大きく変動しております。96年以前についても、民間資金の数字は、これはネットのフローですが、90年が62億ドル、そして91年に 112億ドルに上がりまして、年によって若干変動がありますが、それが96年にピークになる。これが通貨危機になり、99年にアウトフローとなるわけです。
これに対して、ODAとOOFが双方一緒になって、日本からの途上国に対する資金のフローを維持する調整的な役割を果たしたという状況でございますが、ODAはOOFに比べて若干弾力性がなく数字が推移しておりますが、OOFでは、輸銀のアンタイドローンなどの数字が、アジア通貨危機対策における新宮沢構想などの形で98年に急激に大きくなったりということが起こっております。
日本の特徴としては、想像のとおりだと思いますが、ODAプラスOOFの合計した政府部門のポーションが非常に大きいというのが、諸外国に比べるとかなり特徴的な部分になっております。これは経年で数字が比較できていないので、98年の数字を申し上げますと、アメリカ、イギリス、ドイツは政府プラス民間における政府部門の割合が2~3割ぐらい、フランスは6割強となっていますが、98年の日本の数字は、これはOECDの統計ですのでレジュメの数字とは異なりますが、日本の場合は政府部門の割合が 120%ということで、民間のアウトフローを補って政府部門が資金を出したという形になっております。
日本の特徴として、ODAとOOFをあわせた政府部門の役割は、アジア通貨危機の年以外の年でも比較的大きいというのが特徴でございます。
3.資金協力の論点ですが、これはODA、OOFの議論に関係してきますけれど、そもそも途上国の経済開発という観点から考えた場合に、公的セクターからサポートが入った譲許的資金というのはどこにニーズがあるかという議論がございます。例えば、インフラを中心とした経済開発にあてるべきか、あるいは貧困対策のプロジェクトのような部分にあてるべきかという考え方がございます。世銀や日本の国際協力銀行もそうですが、実態としては貧困対策という部分を重視するというのが大きな流れではないかと感じております。
それに対して、経済開発、経済インフラの部分は、例えば民間資金で実施すべきではないかという議論がよくなされますが、これは民間資金で実施できる状況にある国あるいは分野と、そうでないところとがあって、ここのところがどこからの資金手当てもできなくなっている状況があちこちで起きているのではないか、というのが我々の実態としての印象です。これは途上国との議論の中でも、例えば、国際金融機関がインフラ物から手を引いたので、円借款でこういうものをやってくれませんか、という要請が具体的に出てきているということが現実に起こっているということです。この部分は後ろの部分とも関係してきますが、いわゆる経済開発を促進して援助を受ける国から卒業させるという1つの考え方があり得ると思いますが、これは国際的な議論の中でも、あるいは日本国内においても、余り重視されていないのではないかとみております。
2番目の議論として、今の議論と内容的に関連していますが、民間資金と公的支持の入っている資金(ODAとOOFをあわせて)の関係ですが、それぞれ相互補完的な機能を有する関係ととらえるべきなのか、それとも、民間資金とは全く別のものとして公的資金の対象を考えるべきなのかというのが議論としてございます。これは公的資金であるODAやOOFがマーケットのメカニズムをある種補完するという役割でとらえるのか、それとも、例えば貧困対策は公的資金で実施するというように、ある種、限定的に対象をとらえるのかといった議論がございます。これは実態としては、先ほど申し上げたとおり、日本のODA機関も含めてですが、むしろODAとして適当なものはこういうものであると、例えば、ベーシックヒューマンニーズであるとか、環境対策であるとか、そういったいわゆる限定列挙型の判断を指向する傾向が強いという印象をもっております。
それから、国際金融機関(世銀・IMF等)の扱い方が、組織としてどうあるべきかという議論に関係しますが、これは世銀の内部でも議論があると認識しておりますけれど、いわゆる最後の貸し手という機能を重視するのか、それとも、ある種の自立性をもった機関としてむしろどういう分野を融資していくのかということについて、自律的な意思決定を行っていく一金融機関として存在するのか。そういうところが議論としてあると思っております。
最後に、今、世銀の中でも、プライベートセクター・デベロップメントについて世銀がどう関与するかということを検討されていますが、一番最初の論点のところにございますとおり、所得水準の向上ないし経済開発という部分を進めるとすれば、経済のプライベートセクターをいかに強化していくかというところが重要になってくるわけですが、ここに対してどのような関与が可能なのか。極端な議論としては、関与すべきではないという議論もあるわけですが、これに対して、例えば、今、イギリスあたりの議論では、PPP(パブリック・プライベート・パートナーシップ)といった考え方でプライベートセクターを支援していくといった議論が始められておりますが、ここの部分というのは、日本人の目からみても余り議論が深められていないのではないかなという気がしております。実は、こうした部分に日本のエクスパーティーズというのはかなり反映させることができるのではないかと、個人的には思っております。
次に、円借款制度について、ご紹介と、今、行われている議論についてご説明させていただきます。
円借款の制度は、融資承諾額のベースで年間1兆円ぐらいがこれまで実施され、90年代を通して 6,000億~ 9,000億円程度の資金のディスバースが行われているということでございます。最近の傾向としては、本来は順調に返済額がふえてくるはずなのですが、リスケの対応を行っていることによって、回収額は 3,000億円程度横ばいになっておりまして、近年のODA全体、そして円借款そのものの制度見直しという流れの中で、承諾額自身が相当減ってきているというのが、ここ1~2年の状況でございます。
地域的には、アジアが全体の約8割ということで、これは制度創設以来、アジア重視という傾向で進んでおります。
部門別では、電力、ガス、運輸セクター、こうした部分で約半分ということで、経済・インフラ物が中心になっておりますが、近年では、水道とか廃棄物関係の事業を含めた社会サービスセクターの分野が増加傾向になっております。
それから、タイド借款が97年から創設されておりますが、タイド供与の比率が近年増加しているというのが特徴でございます。
それから、今、円借款制度についての議論が行われていますので、簡単にご説明させていただきますと、そもそも円借款というのは何のためにやっているのかというのが根本の議論としてございまして、大きく分けて3つの考え方があると思っております。
1つは、国際的な福祉政策として実施している側面がございます。貧困対策などへの取り組みというのがこの意義の1つとしてあると思います。
2つ目は、外交ツールとしての円借款という観点でございます。これは無償資金協力に比べてはるかに大きな資金を動かすことができるわけで、これほど大きな規模の有償資金協力というのはほかの国ではもっていないということで、ある意味では外交上の大変大きなツールになっているということがいえますが、ただ、今後、外交ツールとして意味を持ち続けるかどうかとか、一定の国でそもそも円借款の対象となるかならないかとか、要請が上がっているにもかかわらず、日本国内の検討が進まない結果、供与できずに、かえって外交関係で問題となってしまうというケースも最近生じてきておりまして、外交ツールとして本当に意義があるかどうかということについては、実は外務省の中でもそういう議論がなされております。
例えば、2000年の実績でいいますと、円借款は18カ国に供与されたのですが、途上国のうちわずか18カ国にしか供与できないものは外交ツールとして意味がないのではないか、という議論は外務省の中でも行われております。
3番目のポイントとして、世界経済との共生ということがございます。これは今、外務省主催で行われておりますODAの改革懇談会で、三井物産の上島会長がお話されていることなのですが、世界経済の中で日本がODAをツールとして使って共生を図っていくという観点での円借款の意義づけというものが、もう1つの見方としてあると思っております。
それから、経済産業省の中でも、ODA、特に円借款についての考え方というのはいろいろな考え方があり得るわけでございまして、特に80年代、90年代に貿易黒字が問題になっていた中で、当時、通産省としてODAをどのように考えていたかというと、ある種、貿易黒字のコンペンセーションとしてODAの位置づけを認識されていた側面があるのではないかとみております。これは組織的には、個人的な意見でございますが、当時、経済協力部は通商政策局の中にございまして、通商政策の観点でODAを実施してきたと。それ以前は貿易振興という観点で局の中にODAが位置づけられていたのですが、これが通商政策局になっていったというのは、そういうところがあったのではないかなと思っております。
それから、96~97年ぐらいからの議論ですが、ODAを国益を追求するツールとしてとらえるといった議論が、当時の通産省の産業構造審議会の経済協力部会でも議論されておりまして、それが前回の組織改正で貿易経済協力局になったというのが、ある種、先祖返り的なところがあるのではないかとみております。
次のポイントとしては、国益の追求としてのODAということなのですが、他方、開発協力の世界の中でパラダイムのシフトというのは否定できない部分でございまして、ベーシックヒューマンニーズであるとか、ポバティ・アリービエーションといった部分、それからハード物からソフト支援の重視といった動きの中で、これをどのように実際の政策として消化していくのかということが課題になっておりますが、この部分は実はいまひとつ検討が進んでいないのではないかなと思っております。
別の切り口としまして、そもそもグラントエレメントをできるだけ引き上げていくべきではないかという、途上国に対する支援の強化という観点で、有償資金協力から無償資金協力へ重点を移していくべきであるという議論に対して、これをどのように対応していくのかという論点がまたございます。
それから、次の点が今まさに財政面の関係で議論になっているところですが、財政収支面でのサステナビリティの観点から、円借款制度、特に30~40年のローンというものが果たしてサステナブルなのかどうかという議論が今なされておりまして、行財政改革と特殊法人改革という動きを背景として制度見直しが今行われているわけです。これは予算要求、特殊法人見直しの絡みの中で、まさに実態論として今議論がされているところでございます。
次に、債務救済問題への対応ということですが、これは2000年サミットにおきましても債務帳消し問題というものが非常に盛り上がっておりまして、実態でいいますと、今、さまざまな国から、債務救済をやってほしい、むしろ債務削減をしてほしいという要望が日本政府に対してもかなり強く上がってきている状況の中で、これに対してどのように対応していくのか。特に円借款は途上国の自助努力を支援するという発想でもって、開発のオーナーシップとそれに対する先進国のパートナーシップという、オーナーシップとパートナーシップという考え方のもと、自助努力支援ということで円借款を位置づけてきたわけですが、それと現実問題としてのデットトラップの問題をどのように解決していくのかというところが論点としてございます。
最後に、援助の効率性の向上、貿易歪曲の是正という観点と、逆にいうと、国益というものが、現実にはタイド援助規制に対してどう考えていくのかという形の議論になっていくと思います。
これは具体的な国際ルールとして、OECDの輸出信用ガイドラインのタイド援助規制、そしてDACの方のLLDCのアンタイド化勧告、これが国際ルールとしてアンタイド化を促進していこうという流れの中で、どういうタイド援助ならルールを整合的に実施できるのか、そしてそれが開発援助の全体のボリュームを損なわないように実施できるのかという問題があると思います。
それから、ちょっとわかりにくいと思いますが、調達ルールの問題というのは、日本のゼネコンなどがよくいっている議論なのですが、今の国際競争入札の調達ルールはどうしても価格面重視となってしまって、日本の企業が優位点をもっているクオリティであるとか信頼性といった分野を、国際ルールの中で調達のメカニズムの中に何とかして反映できないものだろうかと。こういう論点がございまして、これは国土交通省などもかなり真剣に考えている部分ですが、日本のすぐれた部分がグローバルスタンダードとして位置づけていくにはどうしていったらいいかという議論もされております。
以上、特に結論めいたことはなく、論点の紹介と問題点の提起をさせていただきましたが、何かコメントやご意見をいただければありがたいと思います。

ありがとうございました。それでは、ご自由にご意見などをお願いします。

グラントエレメントの話ですが、前にもお話に出ましたけれど、いろいろな制度的な話をどけておいて話をするときに、なぜグラントエレメントが入っている、入っていないということがあるのか、そしてそれを決める基準は何なのか、それを純経済学的に考えると多分こういう話だと思います。
1つはプロジェクトベースで考える場合、もう1つはプログラムで考える場合と2つあると思いますが、プロジェクトベースで考えるときは、採算ベースで何か投資がなされて、それはどんなプロジェクトでもいいですが、後でリターンが上がってくるというときに、プロジェクトベースでうまく採算が合うのであれば民間ベースでやればいいじゃないかと。ですから、それは別に政府が出る幕じゃないよねということだと思います。
ただ、それがそうではなくて、例えばインフラプロジェクトであって、あるいはほかの例えば電気の配電のプロジェクトであって、確かにベネフィットは出てくるのですが、それがプロジェクトの実施主体に必ずしも 100%戻ってこないと。その戻ってきている分だけを考えても足りないと。ですから、その足りない分だけはどこかから政府が補てんしてあげないとそのプロジェクトが成り立ちませんよと。そういう部分がもしあるとしたら、その部分については、国内政府であれば国内政府が何らかの補助金を出すとか、あるいは政府自体がそのプロジェクトの実施主体になるとかという形で、そういうプロジェクトを遂行するということだと思います。
ですから、グラントエレメントがあるお金を市場に出すということは、外国政府からその国の政府を通じてかもしれませんが、政府がやっている仕事であるということだと思いますので、本当はプロジェクトベースでいうとしたら、民間で回らない分だけはグラントエレメントで入れてあげるというのは仕方ないじゃないかということではあると思います。
ですから、1つはそういうことですから、橋をつくるのに、普通はどこでどういう窓口に入ってくるかによって、全く同じ橋であっても、無償のときもあるし、ODAの有償資金協力のときもあるし、民間でつくる場合も実際にはあるわけですね。けれど、プロジェクトベースで扱うとすれば、本当は市場におけるそのプロジェクトの採算性というところで考えるべきだという議論がまず1つは立てられると思います。
ただ、もう1つ、逆の極端な話というのは、国から国へ資金が入っていくときにどのくらいグランドエレメントがあるのかというのは、結局、そこの部分だけある種のトランスファーになるわけですから、普通だったら、市場金利で貸していればそれはトランスファーではなくて融資であって、それはまた市場金利で返してもらえるという話ですが、グラントエレメントが入っていれば、そのグラントエレメントの分だけはトランスファーなわけですね。では、どのくらいトランスファーを与えたらいいかというのは、そんなに簡単に経済計算のできる話ではなくて、普通はそういうことは考えないわけですね。ですから、どのくらいの所得水準だったらこのくらいのグラントエレメントをつけようとか、この国は大事だからグラントエレメントが高いのだとか、そういう議論にならざるを得ない。
それは特にプロジェクトベースで考えても、例えば、ファンジビリティがものすごくあって、政府の資金がもしお金が入ってくれば、本来ここにあったお金はこちらに動くということがあるとすれば――それはもちろんあるわけですが、それが非常に強くあるとすれば、グラントエレメントをプロジェクトベースで考えるということ自体もほとんど意味がないということにもなると思います。
ですから、ODAと考えるか考えないかというのは、DACとか、デベロップメントコミュニティというか、外交というか、そういうものの中での一種のフィクションであって、ベースになるような議論というのは、今いったような話しか多分ないのではないかと思います。
1つ大事なことは、新宮沢プランのときは、資金のアベイラビリティの話もあったと思いますが、とにかくすぐ当座お金が必要だったから、あるときは日銀からもっていったし、一部はOECFからもっていったし、一部は輸銀からもっていったわけで、ほとんど使い道は同じようなお金なのだけれど、とにかくアベイラビリティを考えてまぜて使ってしまいましたよね。あれなどは1つの前例のようなことになるのだと思います。ですから、むしろ政策目的の方が重要で、グラントエレメントとか、どこの出どころのお金とかというのは実は二次的な問題でと、そういうことになるのではないかと思います。
ですから、ODAでやるかOOFでやるか、それとも本当に市中金利と全く同じ意味でのOOFでやるかとかというのは、結局、政府の役割としてどうするかというふうにプロジェクトベースで考えるか、もしくは、国対国であって、この国だからこのくらいのグラントエレメントというふうにつけるか、本来はそういう両極端があって、その真ん中辺のどこかでやっているということになっているのではないかと思います。
ですから、制度的には違うわけです。どこの窓口から入ってきてだれがやるかというのは違っている。けれど、将来的には、経済協力そのものの目的を考えるとしたら、その目的に従ってどのようにそこを使い分けるかということを考えなければいけないのではないか。どういうプロジェクトだからこのくらいのグラントエレメントと考えるのか、この国だからこういうグラントエレメントと考えるのか。そこは今までとは違う切り口が必要になってくるのではないかなと思っています。

寺村

実務面でこの部分について説明させていただくと、今、国に対して標準金利の差を設けていますが、これは単純に1人当たりのGNPでもって分類をして、あとはその中で政策的に環境対策だから優遇とかということで円借款については考えていて、輸銀の方は基本的にはそういう整理をしていないと。そして、統一的にだれかみているかというと、それはだれもみていないというのが結論なので、どうしてもミクロ的な議論で足し合わせてみて、最終的にどうだったかという感じでの対応になってしまっているというのが実態です。

実際は、IBRDなどが出しているお金はほとんどグラントエレメントはなかったりするわけですね。彼らがいうには市中金利ですけれど、本当に市中金利かどうかよくわかりませんが、それと例えばJBICの旧OECFタイプの、もちろん円建てですから為替レートの問題もありますが、すごく安いお金でプロジェクトを取り合うということがあり得るわけですね。それは純経済的に考えると、市場をもしかしたら攪乱しているのかもしれないと。もちろん、それをとることによって日本の国益があったりとかということはあるかもしれないけれど、純経済的にみると、本当はもっと高いお金で貸して回るプロジェクトにそういう安いお金をつけるというのは、もしかしたら市場をゆがめているのかもしれないとも思います。

円借款の意義のところで、1つは貿易黒字の還元としてのODA、これはもう少し具体的にどういう意味なのか。今、貿易黒字が減っていますね。それがこれからODAを減らすという理由になるのか。
もう1つは、国益についての先ほどの説明の中で、ほぼタイドローンの形で、全日本でビジネスを上げるという話しか出ていなくて、この国益というのはもう少し広い意味でほかのものが入っているかどうかをお聞きしたいと思います。

寺村

最初のご指摘の部分は、明確にこのようにどこかで議論されているというわけではないのですが、私自身、省内でいろいろな方と議論をして、ODAをこのようにとらえている人というのはかなり多いなと実際の経験として思ったところがありまして、こういう書き方をしたのですが、より具体的にいえば、極端な言い方をすれば、日本の企業はお金を貿易でもうけると。したがって、資金還流で途上国に支援をしてあげることによって摩擦を回避するのだと、そういう議論がありまして、いわゆる資金還流計画ですとかODAの金額をどう拡大していくかということが実態として行われたと。
例えば、貿易保険の会計の中に、ODA費からお金を繰り入れるということが行われたのも、まさにこの資金還流の議論がなされていた時期だったと理解しております。そうすると、では、どういうODAがいいのかというと、日本の国益ということを余り意識する必要はなくて、例えば、借款でいえば、どんどんアンタイドでやっていきましょうと。日本の企業はビジネスでもうかるので、ODAは資金還流なのでアンタイドで出していきましょうと。そういう議論が中心だったかなと理解しております。
それから、国益の部分は、まさに先生のご指摘のとおりで、単にタイド援助にして日本企業が受注するというのは、非常にミクロな国益でありまして、それで終わってしまったら、政府のリソースは同じ金を使うのだったら国内で使った方がもっと乗数効果が働くのではないかということになるはずなので、そういうミクロ的な部分だけだと、意義の正当性は説明しにくいのではないか。そうすると、それにさらに加えて、いかなる意味をもっているプロジェクトなのかといった点をアディショナルに検討した上で実施をしていくことが必要なのではないかと思っております。

まず、2~3、私の理解を確認したいと思います。
1つは、円借款のところで、アジア重視ということで、全体の約8割となっていますが、私のみたところでは、80年代ごろまでは8割方で、その後は低下して、最近は65%ぐらいではないかなと記憶していますが、またふえたのでしょうか。

寺村

通して大体8割でございまして、8割から若干下がっていた時期もありますけれど、むしろ最近はアフリカ・中南米の比率が高いので、ODA全体でならすと、円借款はよりアジア重視という色彩がより強まるのですが、例えば、90年代後半にアジアに対して出ている部分は、96年が77%、97年が84%、98年が91%、99年が82%、2000年が83%ということで、約8割はずっとアジアが対象になっているということです。

円借款だけで8割で、無償を入れるともっと小さくなるわけですね。

寺村

無償を含めるともう少し分散しています。

もう1つは、円借款のタイド借款制度の創設となっていますが、これは小渕首相の対アジアの円借款 6,000億円のことでしょうか。

寺村

96年に地球温暖化の関係で京都会議が開かれまして、地球温暖化防止のための環境特別金利という制度が導入されましたが、それが97年からスタートしまして、通貨危機への対応として、小渕ファンドと呼ばれましたけれど、特別円借款が98年に創設をされたわけです。

これはずっと続くのですか。あるいは、その部分だけに適用されるのでしょうか。

寺村

制度としては、97年につくった特別環境金利というものは永続的に続く制度になっていまして、アジア通貨危機対応としてつくった特別円借款(小渕ファンド)は、2001年度末、来年の3月末までという時限として生きています。ただ、今、円借款の特別金利制度全体を見直すべきではないかという議論がされておりますので、全体を大きく見直す可能性がございます。

昔はタイドからLLDCタイド、一般タイド、アンタイド、そして今度はタイドに戻ってしまうということですか。

寺村

というより、タイドで供与する制度ができたということで、基本的には、特別円借款も特別環境金利もそうですが、タイドで要請をするかアンタイドで要請をするかというのは、基本的には要請を出す側と。ただ、タイドのものは譲許性が高い、金利がその分安くなっているとか、そういう制度になっております。

それから、議論していただきたいポイントは、アジアダイナミズムの中で日本の対中国ODAをどのように考えればいいか。経済学的にみると、中国は今、外貨準備高が世界第2位で、貯蓄ベースが投資率より高い。そういう国に対して、多額のODAを出していいかどうか。そういうことを今政府でどのように議論しているのでしょうか。

寺村

中国援助をどうするかというのは、まさに今、政治レベルも含めての議論になっているわけですが、議論の切り口として、例えば、中国に対して援助はもう要らないという議論はもちろんありますけれど、それに対して、例えば、国際協力銀行もそうですが、実施機関と、どちらかというと財務省の議論としてあり得るのは、例えば、アフリカに貸すか中国に貸すかというと、それは貸し倒れの可能性からいったらはるかに中国の方が優良顧客なわけです。逆にいうと、中国は安心して貸せる国というのは現実の問題としてあるわけです。ただ、それは政策論というより、むしろ実施機関としてのポートフォリオ管理としての考え方で、政策の中でも、いずれ日本は国際競争力を失って、為替も下がるのだから、今、安定的に返ってくる中国に長期のローンを貸しておけば、それはそれでいいじゃないかと。しかし、ある種、エモーショナルな議論に流れている部分はありますが、冷静な議論をすると、そういう切り口というのも実は出てきていて、政府の中で議論するときにもそういう話というのは実際に出てきます。
では、例えば2001年度、今年度、中国の円借款はどうするのか。 1,900億とか 2,000億とかのオーダーでことしも出すのか、来年以降どうするのだと、そういうことについては今のところ数字についてどう決着がつくのかはわからないところだと思います。
開発ニーズは確実にあるわけですね。ただ、それを日本が出すのか、中国が自分でできないのか、あるいは、これは本当は世銀とかほかのドナーがやるべきなんじゃないのと。そういうところがあって、そういう議論をやっていった結果として幾らになるかということだと思います。

C今、タイドの話が出たので、アンタイド率というのと譲許性というのは、OECD・DACの申し合わせではもちろんしていますが、それ自身は多分経済学的ロジックはないと思います。「ただでたくさんお金をあげているのだから、うちがとってもいいでしょう」と、そういうロジック以上のロジックは多分ないだろう。本来は随意契約のような意味で、内容的に、「それは本当はうちの国の専門家が行ってやらなければいけない。だから、タイドなのだ」とか、何かそういう理由づけが本来は要るはずじゃないかなと思います。普通、技術協力だったらほとんどタイドでも許されているわけですね。ですから、本来はそのように切っていくはずで、将来的にはその辺は変わってくる可能性もあるかなという気もします。
それから、タイド借款制度の話で、グラントエレメントを高めるという意味で、DACをクリアするような工夫をするか、もしくは、内容的に、なぜ日本の企業あるいは専門家がやるのかという説明が要るのではないかなと思います。DACの申し合わせそのものが、例えばWTOの政府調達協定みたいなものと、ロジックとしてはこれからだんだんぶつかってくると思います。政府調達協定そのものはまだ途上国はほとんどサインしていないので、直接は関係ないと思いますが、ただ、ロジックとしては、内国民待遇で政府調達はしましょうねということですよね。ですから、それは経済学的なバックグラウンドでもちろんあるわけです。それは内国民待遇でやった方が資源配分の効率が高まるからと。
それは援助資金でも本来は同じロジックが貫徹すべきであって、本来は内容的にこれはタイドでなければいけないのだと。ここですと、例えば、今おっしゃったような環境であれば、環境に関しては日本は日本の考え方をもっていて、だから日本がやるべきだとか。小渕ファンドの場合は緊急避難的な感じがしますが、あるいは経済統合でもいいですが、何かの形でエクスキューズをつくらないと、これからはWTOなどの方で引っかかっていきたいということが起きてくるのではないか。
現実問題としては、はっきりいうと輸出補助金みたいなものですよね。建設サービス輸出の輸出補助金でしょう。

Fその議論は、去年から「うん、なるほど」と基本的には思っているのですが、ただ、無償援助というのは、タイドでも国際的にはだれも文句をいわないし、それが普通なわけですね。無償援助だって今の論理は同じはずで、同じ金を使うから国際的に一番安くて効率のいいものをオープンビッドで買えばいいじゃないかというのが論理だと思うのです。
円借款のような金利の低い譲許性の高い融資の形でやっているのは日本がやや例外なので、日本は目立つのですが、では、ほかの国もやっている食糧援助も含めて、無償で、しかし自分の国のものをあげるのだから条件をつけていいでしょう、というのは程度問題で一番強い程度のものだと。それは何か正当化される理由があってもいいような気がして、それはその国の国民の負担においてなされているものが、その度合いが 100のものが無償で、25のものが25%なわけですが、そういうものがある部分はその国のものを買うという条件をつけて渡すというのは、経済学的に合理的かとか効率的かという話とは別に、国際的にも承認されるような理論・理屈というのは、経済学とは別かもしれませんが、あってもおかしくないと思うのですが、そこはあり得ないのでしょうか。
それを政治のプロセスからいえば、そういう条件をつけて国民がそれに支出することを認めるということは一概に不当なことでしょうか、ということなんです。

その条件が満たされなければ、その国民はとてもそれを渡す気にはならないでしょうという話ですね。

寺村

国内の公共事業を海外でやっていますみたいな、そういうコンテクストになるのかなという気がしますね。

国内の公共事業でも、本当は政府調達協定を非常に厳密にやれば、オープンでなければいけないというのが一応原則ですよね。

寺村

基本的には、無償とか技術協力の世界も、コモンプールの考え方というのはそういうものですよね。カントリー戦略に基づいて、この国に対して各国がその資金を出し合いましょうと。国際競争入札でもって技術協力も無償も全部ICBで決めていきましょうと、そういう議論がコモンプールの考え方でされていますけれど、日本はなるべく自由にしようとしているというのが実態と思うのですが、イギリスは特にブレア政権になって、「エバンゲリカルな議論」という言葉がよく使われますが、援助の効率、アンタイド化を促進していくべきというのを政策として掲げて、これは技術協力も無償もそうなわけです。
そうすると、そこに対して何かやるすべはないかなとは思っているのですが、どういうコンテクストが考えられるかというと、ナショナルインボルブメントが実際には援助交流に影響を及ぼすのだと、そういう議論が今DACの方でなされていると。

市場に任せておくと途上国への資源配分はありませんと。そうすると、途上国における開発が進まなくて、どうやって資源配分効率を図るかにもよりますが、一種の市場の失敗で、最適な途上国への資源配分は行えませんと。その状態で政治的合意を与えるためには、タイド制の借款と比べると、明らかに後者の方が経済厚生が高いですと。本来ならばオールアンタイドの借款が動けばいいのだけれど、それは政治合意として成立しませんと。そういう前提で考えれば、タイド制の借款が正当化されるのではないでしょうか。その3つの状態を比較して。

国民が、タイドだったらこれだけ出していいけれど、アンタイドだったらその半分じゃないとだめだ、というようなことになるという前提が正しければですよね。

セカンドベストというわけですか。

それは国民の選択の問題だから、何がベストかというのはわからない。

結局、補助金を出しているのと同じことだとも解釈できるわけですね。

それは先進国だけの完全競争の市場がベストで、世界じゅうがそれであればベストであるという前提に立てば、それは市場をゆがめていることになりますが、開発経済学というのはそういう前提にはないですよね。

それは開発経済学では考えていないからそうなっているだけだと思いますけれど。でも、そういう議論だったら、基本的にはグラントでも借款でも変わらないロジックですよね。

論点がいろいろ交錯しているけれど、整理すると、無償のタイドが国際的に苦情が出ないというか、それは納税者との関係でタイドにせざるを得ないというのは、全く政治学上の問題であることは明らかで、これはよく知られている例ですけれど、日本がジャパン・トラスト・ファンドという世銀に拠出しているものは、50%アンタイドなんですね。こんな気前のいい無償はないので、50%は日本でないところから拠出していいということになっている。では、なぜそういうことをするかというと、要するに大きいからなんです。
デンマークとかスウェーデンとかオランダは、 100%デンマーク人を使いなさい、 100%オランダ人を使いなさいといっているのに、だれも苦情はいわない。それは小さいからなんです。ですから、これは完全にパイの大きさで、日本がドンと拠出したときに、それを全部日本人がとりますといったときに、もちろん日本人がそんなにとれるわけがないというまた別な話はあるかもしれないけれど、それは置いておくとすれば、それを全部日本人がひとり占めしてしまうというのはやはりおかしいと。それは取り合いの話で。
日本のタックスペイヤーはひょっとしたら民度が低くて、それが50%アンタイドだということがまだ余り知られていないからかもしれませんけれど、出してもいいと。けれど、普通の国で、マルチの機関に出す場合は別にして、バイで無償で出して、それが自分の国に返ってこないというのは、世界の常識ではあり得ないわけです。
では、有償の方の話についていえば、ドイツが一部残している以外は、今はもうほとんど世界じゅうで有償というのをやっているのは日本だけですよね。そういう一見コマーシャルローンの形をとってやっているにもかかわらず、それを日本に落とそうとしているのはけしからんと。それにも我々は入りたいと。国際政治的にはそういう論理なわけです。
なぜそういうことがわかるかというと、国際機関における調達というのは、国際競争入札で日本のゼネコンでそういうことが問題だといっているという話が先ほどありましたけれど、なぜ国際競争入札かというと、みんなでお金を少しずつ出し合ってつくったIDA、あるいはIBRD、それが出すプロジェクトというのはメンバーカントリーみんながビッドできるようにしましょうね、ということでオープンにしてあると。それをだれかがプロジェクトフォーメーションして自分のところに落ちるような青写真をかいて、それを世銀ローンでやったとかアジ銀ローンでやったというのはけしからんと。これは完全に参加機会をみんな一緒にしましょうという話になるわけですね。
ですから、ICBというのがなぜ建前上も必要かというと、みんな納税者がお金を出すときに、バイで出すときは完全にタイド、マルチに出すときは、アンタイドなのだけれど、少なくとも自分たちの企業は入れるということが担保されていない限り、日本を除いて世界じゅうの納税者で出す人はいないわけですね。そういう意味で、ほとんど日本に来ないことがわかっているものにまでおめでたく出すというのは、ある意味では非常に例外的だと思うべきで、なぜそういう例外が起こったかというと、先ほどの黒字還流の話にひょっとしたら戻るかもしれないですね。日本だけがこんなに黒字があると。
当時、1980年代の半ばには、黒字があれだけたまっていた国というのは、OECDの国ではほかになかったので。今は大分違ってきていて、イギリスなども黒字になっていますけれど、当時はOECDの国で日本だけが唯一黒字をため込んでいて、普通は貿易黒字は完全に資本収支の赤字で埋められるはずなのに、資本収支の赤字を出すだけの直接投資を日本の企業はしようとしない。結局、日本の企業でできないなら、それは政府がタックスペイヤーから吸い上げて、それをかわりにODAという形で出すべきだと。そういう議論を大まじめにやっていたわけです。それは国際公共財の貢献とか、軍事もやらないからその分を埋めるとか、別の論理もありましたけれど。
ですから、タイドかアンタイドかというのはまさにそこのところの政治学だと割り切るしかない。タックスペイヤーとの関係においてということですね。ですから、政府調達の話でだれかおっしゃったけれど、まさにそのとおりで、本当をいえば、そんなに大きな市場があるなら、それはタイドではおかしい、アンタイドにすべきだという人が出てきてもおかしくないけれど、デンマークはアンタイドにしろなんてだれもいわないのは、小さいから、魅力がないからということに尽きるわけで、日本のNTT調達がなぜあんなにアメリカからいわれるのかというと、単純に金額が大きかったからなんですね。そういうことで割り切れると思います。
発言のついでにコメントをさせていただくと、1つ、Cさんのおっしゃったことは全くもっともで、グラントエレメントの資金の供与、政府による民間事業への補助であるということだと思います。グラントエレメントが例えばマルチの資金の場合はどのように定義されるのか難しいところがあって、IBRDはもちろん市場で調達してきたLIBORに自分の利ざやをを乗せて転貸します。それがコマーシャルだといっているのだけれど、実はほとんど世界じゅうのレシピアントはそういう金利では調達ができない。そういう意味で、コマーシャルというものは存在しないわけですよね。
ですから、Gさんがいったように、ほとんどの国にとってそういうところには資金はほっておいたら流れない。それがコマーシャルの論理だということですから、LIBOR+世銀の人件費を乗せて、例えば、 6.5とか7とかという高い金利で実は貸しているのだけれど、それでも調達できない国が世界じゅうのほとんどだと。中国などを別にすれば。その分はOOFだけのグラントで、極めてグラント性の強いコンセッショナリーな資金だということで、それを市場の失敗というかどうかというのはありますが、少なくとも開発ニーズという意味では正当化されているのでしょう。だからこそ、そういう仕組みがずっと続いているわけですよね。
IDAというのはさらにそれをもっとまけてあげましょうというだけで、これは程度の問題で、IBRDは完全にノンODAで、IDAがODAだというのは間違い。IBRDだって、自分の国債を自分で発行して国際金融市場で引き受けてもらえない国にとっては立派なコンセッション資金ですよね。それは割り切って考えたらいい。
そういう意味で、何がODAで何がOOFかというのは、途上国側の論理からすると程度問題だということです。日本は輸銀と政府がけんかしないように制度上25で線を引きましたけれど、そういうのはレシピアントからみれば余り意味のないことで。
それから、経済開発か貧困対策かという二者択一の設問がいつも出でくるのだけれど、日本人はみんなそれは二者択一ではないと思っているんじゃないでしょうか。つまり、貧困解消のために経済開発が必要だと。ただ、経済開発ばかりいっていて貧困を忘れていると分配で問題が起こるから、貧困のことも忘れないでやりましょうということを言い続けるしかないと。今、「経済開発ではなくて貧困だ」とかとよくいろいろなところで議論が出てくるけれど、そこはお忘れなくということをいうべきで。例えば、スハルト時代のインドネシアは経済開発ばかりやっていて貧困のことをいわなかったといっても、実は貧困人口の比率はスハルト時代にものすごく下がったわけですね。それはやはり経済開発が貧困を減少させるために重要であるということですね。
それから、レンダー・オブ・ラストリゾートか自立的かというのも、両方だというのが実態上の話で、もちろんクラウドアウトしてはいけない国際金融機関としては、民ができること、あるいはバイでできることはやらないという意味でのラストリゾートだといっているけれど、実際には取り合いになっているし、実態上は自分でリードすることで逆に呼び水効果をねらっているというところが明らかにある。
これは日本の新聞には余り出なかったのですが、2年ほど前に中国が世銀から脱退しかかったことがあるんです。それはIDAをもう卒業させるといった途端に中国は怒ってしまって、「じゃあ、もう私はいいです。IBRDタームなんかだったら我々は十分調達できますから、IDAをいただけるなら世銀に残るけれど、IDAを卒業しろとおっしゃるのでしたら、もう下がらせていただきます」といったので、アメリカがびっくり仰天して、「ちょっと待った、待った」といって引きとめたということがある。その引きとめた理由は、優良顧客としてのポートフォリオ管理上の問題もあるし、それから、中国側もひょっとしたらIBRDが貸すことによってコマーシャルシンジケートがその後続きやすくなると。まだアクセスは中国もあるのだけれど、残っていたと。本邦第1号はIBRDがやって、残りはコマーシャルでやるとか。
それから、ここから先は変なエクスターナリティなのだけれど、成功物語というのは世銀としてもやはりとっておきたかったんですね。ポートフォリオ云々は別にしても。IBRDがリードすることによって、例えば水力のプロジェクトでも環境あるいは社会に考慮してきちんとやって、中国ではうまくいきましたと。その例がなくなってしまって、それがアフリカのサブサハラとかカンボジアとかラオスしかなくなってしまったら、そのショーケースがなくなると。ですから、国際金融機関が一種のショーケースづくりのカタリストとしてワークすべきだという以上、成功の顧客はいるんです。いいポートフォリオで残しておきたいということの、ちょっとデリバティブの言い方ですね。それも一種のエクスターナリティだと我々は思っていますが。
それから、プライベート・セクター・デベロップメントの公的関与のあり方という話は、IBRDはやらないかもしれないけれど、IFCはやっているわけです。逆にどんどんやっている。そして、IFCはこれでものすごくもうけているんです。これも余り知られていないけれど、キャッシュフロー上、その上がりで随分助かっているんです。実はそれをアメリカの議会などにすごく指摘されていて、IFCというのをみてみたら、貸している先は全部アルゼンチンだったりチリだったり、マレーシアだったりタイだったりするわけです。そして、全然サブサハラには貸していないし、貧しい国には貸していない。「貧困何とかといいながら、何ですか、このIFCは」といって怒られたぐらい、IFCはプライベートセクター・デベロップメントに本気で投融資をやっています。
では、そういう機能は我々のところにないかというと、あるでしょう。JBICにもそういう機能はあるし、それからアジ銀にも実はあるんです。EBRにもある。それをだめということはないので、「こうやったらプライベートセクターは伸びるのだな」とわかったら、今度はそれなしにやろうと。ですから、第1号目のBOTはIFCが入るけれど、第2号以降はなしでもいいとか、そういうショーケースみたいな、デモンストレーション効果は明らかにあるので、IBRDのレンディングは伸びないのにIFCはどんどん伸びる。今、IFCの人員をどんどんふやしていますよ。そういう意味では、プロジェクトファイナンスへの公的支援というのはずっと続いているわけです。

IFCはそれは1例だけで、同様の例はもう二度とやらないということですけれど。

第2号はやらないということが本当は原則であるべきなのだけれど、2回も3回もやってもうけているのを大分知っている。それは民から「おかしいじゃないか」という議論が出てもおかしくないのだけれど、幸か不幸か、96年以降、民が出なくなったわけですね。この数字が示しているように。民が出ていないのだから、我々がやっていいじゃないかということになってしまうし、フーミー2・2などはまさに一番いい例だけれど、ベトナムのBOT、ガス火力。フランス電力と東電はIFCが投融資してくれるというのでほっとしているわけです。それはベトナム政府のカンファートレターはなくても、IFCの投融資は欲しいわけです。それをどのように評価するかというと、やはり広い意味でのPPPですよね。そういう意味で、今のコンテクストで途上国のリスクがこれだけ大きいといったときに、そういうのを全くやめてしまうというのはいかがなものかという議論は、大いにJBICのあれを擁護する上でも本当はしたいところなのだけれど。マルチでIFCがあるなら、なぜバイでJBICもそういう取引方法がないのかと。
それから、開発協力のパラダイムシフトへの対応ですが、これもよくいわれている話で、非常にポピュラーなステートメントですけれど、なぜこれが起こったかという一番大きな要因は、民の資金が十分ハードウェアに行くからという前提があったわけです。1996年まではものすごい勢いでIPPなどにお金が流れたし、プロジェクトファイナンスで民間はどんどん直投をやったということで、そうしたら、ハードウェアにODAというのはいかがなものかと。ODAといっても、資金のトータルでアベイラビリティは限られているわけですから。
そうであれば、BOTになじまないようなものにやりましょうといって、BOTになじまないものがBHNであり、貧困であり、ソフトであるということで、このパラダイムシフトを盛んに議論したのですが、現実は98年以降は全然そうなっていない。ハードウェアのインフラ整備にBOTは全く行かなくて。今、BOTで一番盛んにやっているのはアメリカですよ。ですから、いかに民間資金というのはクイックリターンを求めるかというか、リスクに対して非常にセンシティブかということを一番よくあらわしている。途上国でBOTなんてやれるのは、アルゼンチンなどはあるかもしれませんが、ほとんどもうなくなってしまっているわけですね。
そういう意味で、このパラダイムシフトというのは実はインコンプリートシフトでひょっとしたらもとに戻ってしまうかもしれません。貧困のときに教育とか医療とかエイズの撲滅などはもちろん大事なのだけれど、それより前に、例えばクリニックをつくるといっても、道路がなければそこはお医者さんは行けないし、医療も運べないし、電気がなければ手術もできないし、水が悪ければ疫病もはやるしということで、結局、またベーシックインフラに今戻ってきているんですね。ですから、そこは修正をしていただいた方がいいと思います。このパラダイムシフトということで大蔵などはよく議論しているけれど、余り乗らない方がいいんじゃないでしょうか。最後に、有償から無償へのシフトの動きというのは、債務救済問題とものすごく絡んでいて、お金を貸すというのは、返せる人に対してだけ貸すべきで、返せない人から利子をとって返させるというのはひどいと、そういう基本的な発想があるわけですが、モラルハザードとかは別にしても、どういう国に対してそれをやるかというのは、よほど限定的にやらなければいけないのに、今は議論がIDAの資金の全体の半分ぐらいまで無償にすべきだとか、話が大分極端になっているように思いますので、そこは我々としてしっかり監視しなければいけないなと思います。

Cさん、無償と有償の関係でいうと、貿易歪曲性とか経済不合理性というのは無償の方が大きいという理解でいいですか。

直観的にはそうだと思います。

そうかもしれない。グラントの成果は高い。

それでタイドだと、もっとそうかもしれない。

最悪の形態ですね。

さっきのプライベートセクター・デベロップメントへの公的関与のあり方のところは、寺村補佐がそういうのはむしろやめるべきだということをいいたかったのではなくて……。

寺村

いえ、そういう議論があるといっているだけです。個人的には、もっとそこを議論としてやれることはあるんじゃないかなと。例えば、国営企業の民営化などについて、例えばファンドみたいな形で支援をしていくとか、それにテクニカルコーポレーションで、例えば国鉄の民営化はどうやったかとか、そういうことの技術協力などとあわせてやっていくとか、そういうことが実質的には可能ではないかなと。そういう部分にお金を出すというのはあり得るのではないかなと。民営化のために公的な資金から一時的に出てくるというのは変じゃないかという議論はあるかもしれませんが、アクセレレートしていくというコンテクストで関与することは十分あり得るのかなと思っています。

そのネットバリューがプラスだったら売ってそのままどうぞという感じになるけれど、国鉄がそうであったように、明らかに累積赤字でさあ困ったといったときに売るといっても、だれも買わないわけですよね。そのときに、デットのライトオフをどうするかというところで、実はものすごく財政資金が要るわけです。それはインドネシアのPLNがそうであり、フィリピンの今度やろうとしているNPCがそうでしょう。発電所一個一個についてはネットバリューはもちろんプラスでしょう。けれど、会社全体としてはものすごく赤字なわけですよ。必要な財政支援が行われていない。もちろん企業自体の経営がでたらめだった、非効率だったというのは、公的な部門だからあるかもしれないけれど、今の時点でそっくりそのまま民間で買う人はいない。となると、今の話のようなことは当然出てくるわけですね。

寺村

国鉄の場合は清算事業団というのをつくって、こういうふうにもってきましたと。そのときにもっていった部分の考え方というのはどのようにやりましたかと。それから、清算事業団がどういう局面において公的資金でもってライトオフするという理解をつくってやったかとか。この辺が実際のテクニカルな関心の高い分野なわけです。ですから、その辺は日本の場合はこういうふうにやって、こういう整理にしてこうしたよと。だから民営化して、JRの株も売れたんだよねと。そういう話もかなりできつつあるなと。

あれは1つの立派な大実験ですよね。

寺村

清算事業団自身にあとどのくらい金を突っ込まなければいけないのかと、そういう問題が先送りになっているのはこういう部分ですということはあるかもしれませんけれど。それはドイツバンクなどの投資銀行が入ってアセットを計算して、「だれか買いますか」といって、アメリカかヨーロッパの大手が買うと。そういうのが通常のプライバタイゼーションなのですが、もう少し別の進め方があるのではないかなと思うのですが。

先ほど、タイドかアンタイドかによって金利が違うとおっしゃったかと思うのですが、もし経済協力の市場がものすごい完全競争になっていれば、有償と無償はそれほど変わらないのではないかと私は思うのですけれど。存在意義というのはあるのではないかと思うのですが。
というのも、途上国側からみたときに何を考えるかというと、少なくとも私が認識している範囲では、経済協力に伴う金利と量と技術という要素が入っていて、それぞれに対してタイドとアンタイドとに分けられるわけですね。それで、タイドというのは、金利がある程度低いとおっしゃったので、途上国側からすればそれはアンタイドよりもいいということで、まずそれが1ついえることと、量は、ものすごく大規模であればよりいいとするような途上国であれば、それはタイドの方がいいということにもなり得るかもしれないと。それはもちろんアンタイドにも大規模なものもあるので、必ずしもいえないことですけれど。それで、タイドに伴う技術というものが、日本の技術がものすごくよければ、それもプラスである可能性があるので、そのタイドがある存在意義というのはあるかもしれないと。

それは技術がすぐれていればタイドである必要はないわけで、自動的に日本企業が落札するので問題はないわけですよね。量的にもアンタイドのローンの方が帰ってくるわけだからグラントよりも出しやすいわけです。

民間だけを考えるのと政府を入れた場合を考えるのとで別に考えた場合に、政府の役割として存在意義があるかどうかということに限定した場合には、少なくともあるような気がするのですが。

タイド、アンタイドとグラントエレメントの関係というのは、これはもうすごくグラントエレメントが高い、ただ、本当にあげるのと同じなのだからタイドでいいでしょうと、そういうロジック以上のものはないのではないかと思うのですが。

私はそれは理論的にいっているので、もしかしたら現実とは必ずしも違うのかもしれませんけれど。

現実は違うということです。要するに、タイドにすることによって、一般タイドで世界じゅうから競争入札をしたときに決まる価格よりも、これぐらい高くなるから、その分の金利を計算して安くするというように理論的にできていれば、その部分だけでは成り立つかもしれませんが、現実にはそうはなっていませんと。そんなふうには決まらないし、どうやってそれを計算するのかもよくわからないですよね。国際競争入札で日本だけでの入札どどのくらい違うかというのは理論的にはわからないので、それは計算が不能だと思います。
それから、有償と無償のという話も、最初におっしゃったCさんの話につながってきて、このプロジェクトは収益性はどのくらいだから、どのくらいのグラントエレメントの資金をあてるというのが理論的にできていれば、それは有償か無償かという議論は余り意味はないとなっているのかもしれませんが、現実には無償で橋をつくることもあれば、円借款で橋をつくることもあると。ですから、それは議論にはならないわけです。

そこをうまく整理するということはできるかもしれないということですね。

できるといっても、そういうふうに制度設計をしていないので。それは日本がしていないだけではなくて、マルチもしていない。要するに、金利を決めているのは所得水準で決めているのであって、今いったような収益性で決めているわけではないので。収益性で決めれば、今の話で合理性があるでしょう。けれど、17年で返させるか、15年で返させるかというのは、そのプロジェクトのエコノミックライフとは関係ないわけです。

寺村

現実面では、例えば、タイド借款である特別円借款というのはレンジの円借款に比べて量的にアディショナルであるという説明をして、これはある意味、借り手にとっては、アンタイドを前提とする通常の円借款だと、例えば、うちの国は毎年 800億円ぐらいだよねと。これはタイドの借款はアディショナルで1件だったら、それに 800億円プラスアルファーでもらえるかもしれないと。そういうモメンタムは現実の制度として、そういう期待をして出してきている国もあるわけですね。
それで、日本政府も、年次のアンタイドの借款よりもタイドの借款の方が日本政府としてはリフェラブルだよということをいいながら、そういう要請を出すことを慫慂しているというところは実態としてあると思います。ただ、それはどちらかというと日本側のリソースアロケーションの問題としてそういうプリファレンスがあるというわけで、経済学的にはこちらの方が合理的であるという説明は難しいのかなと。それは過程として出ていくお金が同じだとすると、タイドかアンタイドかという比較は実態としては難しいのかなと。むしろそれによって量が変わり得るということで。

円借款の意義の話で、今、CさんとJさんのいわれたことと関係してきますが、非常に理論的ではないにせよ、無償でみるべき対象というのは、基本的には収益とは縁のないような、極めて人道援助色の強いものというのが実態でありますと。円借款で日本がやっているのは、産業インフラとか交通インフラなどのインフラ的なものが多いですと。では、先ほどIさんからご説明もあったように、かなり前からそういう円借款のような援助の仕方をしているのは日本が極めて特異例外でありますと。では、ほかのヨーロッパはアフリカに対して何をやっているかというと、ほとんどベーシックヒューマンニーズの無償援助を中心にやっていると。
そうすると、アジアの国々は、日本が円借款を中心的にアジアに8割供給してきたがゆえに、インフラの部分を多少の補助つきで開発をするという開発形態がここ20年続いてきたので、アフリカやほかの地域と違って、大変ダイナミックな成長を遂げたと。そして、Cさんがおっしゃっていただいたように、橋であれ道路であれ上水道であれそれなりの収益を生むものであるから、 100%は民間で成り立たないにしても、ある程度は借金で返すにはふさわしいプロジェクトだというのが理論的にもいえると思いますが、そういうものを借款でやるという日本のやり方は、基本的にアジアの成功を導く大きな要因になってきた。
したがって、そういうものをむしろアジアダイナミズムの非常に大きな道具でありましたといって、ただ、一方には、一時期ほどの勢いはないとはいえ、BOT的なものは30年前に比べれば上からおりてきているので、円借款がやる分野というのは少し狭まったかもしれませんから、その分の狭まりはあるにしても、ある部分はまだそういう役割は非常に大事でありますと。そういう見方がこの研究会において大変ふさわしいものになるのではないかという気がするのですが。

Kこの紙に書いていない話ですが、円借款をいかに戦略的に活用するかという話で、円借款とコンディショナリティ、いわゆるアメとムチの議論というものがあるかと思います。具体的には、99年ごろ、私のいたフィリピンなどでは、アメリカのフォードが進出しようとしていて、フォードに対して新たな免税措置をフィリピン政府はとろうとして、そういったことに対して、援助を供与する際に、「それはアメリカだけではなく、日本にも無差別にやったらいいんじゃないか」という提案をしたりとか、あるいは、私の記憶によれば、ベトナムで小渕ファンドを供与するときに、アメリカだけに優遇的な関税措置をベトナムは当時とっていて、それに対して、「小渕ファンドを供与するかわりにそこは無差別にしよう」とかと、そういう話をしていたと思うのですが、アメとムチということで、将来的に二国間FTAなどを進めていくときに、今、円借款をエサにしてうまく自由化・円滑化を進めていくとか、そういう使い方というのはどのように考えられているでしょうか。

いいい

寺村

個人的にはということですが、例えば、融資契約の発行の条件にするかどうかとか、そういう議論はあり得るとは思いますが、そういう考え方自身が合理的かどうかというと、それは必ずしも合理的ではないのかなと。IMF・世銀の合同調整融資とそれにあわせるコンディショナリティということを確認した上で出すとか、そういう形でプロジェクト借款をやっていくというのは、実態としてちょっと無理があるのかなと。

スキルとしては、ビルトインではそういうことは難しいですね。

寺村

そういう形で条件づけをすると、例えばプロジェクトの工事が途中まで進んでいて、対応がおくれているので、全然別の理由で資金をとめてしまうと、工事がおくれておかしくなってしまうとか、プラクティカルにいえばそういう問題になるので、そこは余り実質的ではないかなと。ただ、特に中国との関係もそうですが、政策対話をもっとやればいいのではないかと。むしろそちらの方にモメンタムがもてるのではないかなと。特に中国の関係では、ことしの9月にセーフガードでもって高官の行き来がなくなったわけですが、円借款の政策協議は行われたわけですね。それで、中国財政部と対話することができたと。そのときに、そういう場でどこまでポリティサイトして議論するかというのはまた別途の政策判断はあると思いますが、そういうチャネルを積極的に活用していくことをもっとやっていくべきではないでしょうか。

年次円借款とか技術協力の協議などをやっているけれど、ああいうところでは一方的にプロジェクトの話だけしかなくて、そこまでまだ政策対話はとれないようですが。

寺村

そこは供与の場でそういうもめる話をしたがらないことが問題ではないかというところはありますけれど。

私が参加した政策協議では、必ず日系企業が問題視している投資環境問題についても必ず発言の中に入れるようにしているんです。ただ、それはある意味ではやはりいいっぱなしに終わっていて、向こうもお金をもらうための協議なので、「わかりました。関係部署に伝えます」と必ずいうわけですが、そこで終わっているわけです。外務省も、政策協議の場でそういうことを発言することについては「どうぞ」という世界だけれど、それを国際機関のようにコンディショナリティするというところまで踏み込むと、「ちょっと待ってくれ」となるわけです。

それは援助の世界だと、美しく潔くやらなければいけないという何となくメンタリティが先に立っているということが大いにあると思うのですが。でも、通商政策が先に立っていれば、「こういう通商政策をやるのだから、一緒にこういう援助もしようよ、協力もしようよ」といえば、余り罪の意識を感じずにできるんじゃないかと思うのですけれど。

例えば、この省内でも、市場課から具体的な要求があれば、これはいいなとか、貿易振興課から「この国ではこれを投資協議でやっているから行ってくれ」という注文があれば、それはウェルカムですけれど。我々としてはそういったより戦略的なことをやりたいという気持ちはある一方、「それをしょって、おまえ、とってこい」といわれると、かなりしんどい。

タイなどでは日系企業とアメリカ企業で差別があるなんて、許せないですよね。アメリカ企業はゾーニングしなくていいなんて、おかしいですよ。絶対いうべきだと思う。

このトピックは非常に重要なので、ぜひ発言させてもらいたいのですが。私もどちらかというとGさんの意見に賛成で、政策対話云々といっても、プラクティスとしてそれはわかるのだけれど、そんなの全く意味ないですよ。やっぱりお金が出る出ないということ以外に彼らにいうことを聞かせるレバレッジはないですよね。本当に日本の話を聞いて、「なるほど、それじゃあ、まねしてみようか」と思ってやるというけなげな日本ファンの国でもあれば別ですけれど、通常はそんなところはないですね。
ですから、これはやらないならセカンドトランシーでないといわない限り、レバレッジはゼロと思っていただいた方がいいと。もちろん我々はそういうことをできるかどうかというポリティカルフィージビリティの問題はありますよ。しかし、外交ツールとして使えていないというのは、我々はもっと直視すべきで、JBICと世銀はどこが違うかというと、「JBICはすぐ出してくれるけれど、世銀はなかなか出さない」と、ただそれだけですよ。「世銀はいろいろなことをぐずぐずいうから嫌い。でも、JBICはすぐ出してくれるから大好き」と、別に金利でもなければ何でもないんですよ。
そうしたら、何が問題かというと、橋が1つできた後、ODAではなく民が行って橋をつくるようになると、そういうほかのビジネスがしやすくなるような制度の改正が大事でしょうと。それは国益追求でもいいと思うけれど。ですから、マルチにはマルチのコンディショナリティがあるように、バイにはバイのコンディショナリティがあってしかるべきなのに、そういう機会を逸しているのは、1つには明らかに遠慮がある。2つ目は、量的な確保をしなければいけない、5年間でODA倍増なんていっているときに、コンディショナリティなんて面倒くさいことはいっていられないという、予算上、人員上の制約があると。その2つをなくせば、やるべきだし、やれるんですよ。
これからは量よりも質なんていっているけれど、その中身はまさに今おっしゃったようなことがその質の1つじゃないですか。それを政策対話でやっていますというのは、ある意味で逃げで、実態はそんなもので世の中の制度も変わらないし、日本の国益もそうですね。

でも、それはお金が出るか出ないかということであるから、お金を出さないと腹を決めればいいわけですよね。いろいろなことを考えるととてもそんなことはできないということなのかしれないけれど、中国は難しいかもしれないですが、タイとか……。

中国には甘いけれど、タイには厳しいなんていうことをやっていたら、だめなんです。

そこはポリティカルな判断だから、別途考えればいいのであって。ただ、アメリカと明らかに最恵国待遇に反するような扱いをされているときに、本当に向こうがいうことを聞かなければ、「じゃあ、お金は出しません」ということをなぜできないかというと、それはいろいろな担当のセクションとかがあって、「そんなことを自分で決めたら大変だ」と思うからでしょうね。

20人の資金課でそんなことやってられないというのが実態じゃないですか。

問題は外交政策のツールなわけですよ。外務省の定義によれば、外交政策には投資環境問題はほとんど入っていないわけです。核問題は入っているけれど。

それは経済産業省が余りいわないからじゃないですか

寺村

リスク的には、カウンターパートで、中国財政部を相手にセーフガードの話をしても意味はないというような議論で、じゃあ、江沢民と小泉総理が会うときにそれをどういわせるかという、そちらの議論にどう競り上げていくか。

そこの判断は2つあって、だから円借款をやめるという判断と、だから円借款はつないでおくという両方の判断があって、それは後者の判断をしたと解釈すべきなんじゃないでしょうか。

せめて通商政策とべったり経産省のところでくっつけてしまう。そして、外務省にもちゃんとそういうと。そこから変えていかないといけないんじゃないですか。

円借款というのは、最初はそもそもどういう目的でつくられた制度なのかなというのを考えていたのですが。と申しますのは、今まで出ていた議論だけ考えても、一方ではアメとムチとしてのレバレッジをきかせるための外交ツールという目的があって、もう1つには、日本のすぐれた技術をアジアなどで普及させるためのツールというのがあって、それよりさらに昔は、円借款というのは、まだそれほど豊かでなかったころの日本がODAをやるためには、無償でやる体力がなかったから有償でやりましょうという議論だったのかもしれませんが、何がいいたいかと申しますと、1つの政策に複数の目的をもたせると、大概の場合、その政策はうまくいかないんですよね。
ティンバーゲンの法則というわけではないんですけれど、N個の政策目標のためにはN+1個の政策ツールが要るといいますが……。

円借款の中にはN+1はあると思う。いろいろなパラメーターがあるのだから。

ただ、今挙げた3つの目的を円借款という1つのツールでやろうとしているということを申し上げたかったのです。

ツールはそうだけれど。

例えば、年金なんていうのも、1つの制度で複数の目的を達成しようとして失敗しているいい例なのですが、要は、1つの目的にとってはベストだけれど、もう1つの目的にとってはオプティマルでないという状況があるときに、その時々の状況でどの目的が優先されたりどの目的がとられたりということになるので、円借款の供与先というのはインコンシステンシーをもっているのではないかなという気がいつもするのですが。例えば、経済制裁している国にもディスバースしてしまうという制度なわけですよね。
ですから、これは非常にきれいごとなのかもしれないんですけれど、円借款をもっと効率的なツールにするためには、目的をどれか1つに絞らなければいけないという問題意識というのはないのかなと。レバレッジとして使うのだったら、IMFのように厳しいコンディショナリティを一生懸命考えて、モニタリング体制などもちゃんと構築して、長い目で時間をかけながらディスバースしていくといった体制をつくるべきではないでしょうか。

寺村

円借款のスタートは戦後賠償ですから、輸銀が実質でやっていたわけですね。そして、資本協力みたいな形で原料をもってきて加工して、それをアジア各国に返したりとか、それを資本協力といっていたころからスタートしているわけですね。ですから、ODAとか国際貢献とかというのはむしろ後からくっついてきた考え方じゃないでしょうか。そして、OECFはバタバタと大蔵省内で3日ぐらいで議論してつくったとかという話を聞いたことがありますけれど、輸銀がやっていたところから切り出してOECFというのをつくってと。そして、基本的には出資金でもって長期資金を回していこうという話で、借款と有償資金協力という制度を立ち上げて、ODAの5年間で倍にしろという議論の中で財投を使うようになって、これは外交ツールだよねという話になって、ずっと今に至ると。そういう経緯だと思います。

1つのツールが、目的がコロコロ変わること自体おかしいわけで、目的が出てくるからには、その目的に合ったベストの政策というのはその時々につくって、かわりに要らなくなった政策ツールはつぶすということがベストなのではないかなと思うのですが。

寺村

一たんやめてしまって、ゼロベースで考え直すというのは、考え方としてはあり得るけれど。制度自身については、頭の整理でやる部分と、責任をもってできる部分とできない部分があるので。残念ながら、経済産業省は制度については無責任なので、あるべき議論とかというのはできるのだけれど、責任はとれないので。

ここはアジアダイナミズムでODAを考えてみようということなので、アジアダイナミズムの発展のために円借款をどう使ったらいいかということを考えるべきで。

寺村

ツールとして、アジアダイナミズムで日本が利益を得ていくためにどう使うかということを議論すればいいのではないかと思います。

それでは、本日はこれで終わりにしたいと思います。ありがとうございました。

――了――