第5回アジアダイナミズム研究会 議事録

  • 平成13年10月15日 19:00~21:00

岸本

前々回、ODAの基本原理に対する考え方について議論した際に、第1原理の中身についてどういうことが考えられるのかという点、または、この2原理の区分けにつきましても若干時間が足りなかったものですから、2原理の考え方等も含めて議論をさせていただきたいと思っております。
また、1つの材料として、経済産業省の方で今やっている経済協力の中身がどんなもので、どういう方向で見直しをしているかということをご紹介させていただきまして、それも材料にして、個別のテーマを議論していくときりがないものですから、個別のテーマについてはまた別途、今後、議論していく機会が十分あろうかと思っておりますが、どういうものをやっていくかという中身について議論をできればと思っております。
お手元に、「経済産業省の経済協力の重点施策」というペーパーを配付させていただいております。こちらにつきまして若干時間をちょうだいして中身についてご説明させていただいて、その後、皆さんでフリーディスカッションをお願いしたいと思います。
お手元に配付してございますペーパーは、今、経済産業省の中で、我々としてどういう経済協力を重点的にやっているのか、また、やっていくべきかということを議論していくためにつくっているものでございます。現状におきましては、若干、今何をやっているかという整理になってございまして、できればこの研究会の議論なども踏まえて、これにさらにある一定の方向性を出していければと思っております。
ペーパーは前半と後半に分かれていまして、前半は総論で、政策の中身で整理されたものです。後半は、アジアの国につきまして国ごとに考え方を整理することを試みております。この考え方は、国ごとによって状況も違うので、国ごとにそれぞれ重点施策も変わってくるだろうということで、総論として前半で整理されているものを、各国ごとに敷衍して考えてみるとこういうことになるのではないか、という整理をしていきたいと思っております。
簡単にご説明させていただきます。
まず、基本的な理念、考え方について整理しております。
1.本ペーパーの目的ですが、このペーパーはあくまでも経済産業省における経済協力の理念と重点施策の明確化ということでございます。コアといたしましては、グローバル化の流れの中で、発展途上国が安定的な経済基盤を確立して市場経済システムに参加していくことが望まれる。特にアジア各国の経済・金融基盤の強化が重要である。そういうことを意識しながら、経済産業省として何を重点的に行うかということを整理したものでございます。
したがいまして、ODA全体の整理にはなっておりません。ODA全般の整理の中には、この整理の仕方は必ずしも大野先生の第1原理、第2原理という整理にはなっておりませんが、例えば、大野先生が第2原理で整理されたような項目もございますけれど、それをすべて網羅しているものではなく、一部、環境対策に対して日本の技術を全面的に出して協力していくといった部分も入っておりますが、すべて日本の経済協力がどうあるべきかということをここで整理しているものではございません。
2.からが基本的な考え方でございます。経済産業省の経済協力の意義を整理してございますが、(1) を中心として、それ以外のものも含めて3点程度になるだろう。そして、あくまでも中心は(1) になるのではないかというのが今の考え方でございます。
(1) は、アジアにおける経済構造改革、貿易・投資環境整備支援でございます。開発途上国の中でも、我が国の経済的な環境を考えた場合には、特にアジアとの関係が重要であるということで、アジア諸国が経済・金融面での課題を克服して経済発展を持続していくために、それぞれの国の経済・金融基盤の強化、貿易・投資の一層の円滑化に向けた環境整備に取り組んでいくということで、それに対しては積極的に協力していくということでございます。ただ、このように書きますと、アジアの国にとってのメリットということになるわけでございますが、その中には、当然、我が国としても受益をしていくということを念頭に置いてやっていくべきだろうと考えております。
ここは経済産業省の観点でございますので金融面については漏れ落ちておりますが、当然こういったものと、財務省などがやっておりますような通貨スワップ協定などの金融支援などが一体となって、全体として経済・金融基盤の強化になっているということを意識すべきかと思っております。
具体的には、3つぐらいの方向性があると考えております。
1点目は、経済・金融等の制度整備、ハーモナイゼーションの精神ということでございます。基本的な考え方としましては、法制度整備や金融などの諸制度がきっちり整備されることが経済の再生につながるであろうということですが、IMF・世銀の支援を受けて整備されつつあるというものの、我が国としてアジアとして適切だと思われるような制度整備というのは、そういうものとは若干違う可能性がある、または違うのではないかということと、同じ方向であるにしましても、アジア経済の密接な経済関係を築き上げていく観点からすると、そういう基本的な法制度も含めて、制度のハーモナイゼーションを図っていくことにも高い意義があるだろう。特に税関手続のような貿易のシステムは、直接的に貿易の円滑化につながっていくだろうということでございます。
2つ目が、人材育成、中小企業、新産業の支援でございます。これは従来から、経済産業省の中ではかなりの重点分野になってございます。3点目で申し上げます産業インフラの整備と並んで、基本的にはかなりの人材資源を投入している分野でございます。
最近の流れといたしましては、直接投資によって経済成長を遂げてきたASEAN諸国ではありますが、中小企業・すそ野産業の育成が急務であるということから、そういったところを補完的に支援していく必要があるということで、対インドネシアなどにつきましては、ミッションを派遣して制度整備に対してかなり包括的な支援を行っておりますし、それ以外につきましても、個別のJODC、AOTSといったスキームの中で、人材派遣事業ですとか、日本に呼んでの研修事業ということを行いまして、産業人材の育成に取り組んでいるところでございます。
最近は、中国につきましては、人材育成は必ずしも日本が支援しなくてももう十分なのではないかといった議論がありますが、そこはなかなか難しいところですけれど、少なくともASEAN諸国におきましては、産業が脆弱であるいう実態を考えますと、裾野産業の集積を促していくための支援というのは、引き続き重要なのではないかと考えております。
産業別の支援の考え方につきましては、実際に経済産業省としてもかなりやっておりまして、特にタイの自動車産業などにつきましては集中的な支援をしているわけですが、こういったものについても官外の整理が要ると思っておりますけれど、ここではとりあえず官主導によって特定の産業を指名して育てるということではなく、民間企業のイニシアティブを最大限活用しながら、政府としてこれを後押ししていくという考えで望んでいこうと考えております。
すなわち、援助のフレームワークを用意はするけれども、具体的に産業界から積極的な援助の姿勢がみられるかどうか、そして、もろもろの要素を判断いたしまして、その産業育成を支援する妥当性がある程度判断されるというチェックを行った上で、民民レベルの産業規制の取り組みに支援を行っていく。そういう考え方で望んでいくかなと整理してございます。
人材育成の方向性につきましては、個別企業ベースでの人材育成支援というものからより横断的な効果の期待できるものへ、中小企業制度などの制度の構築の支援ですとか、巡回指導型と申しまして、個別の企業ではなく複数の企業を回って行うような人材指導、ないしは教育人材育成機関の支援や業界団体の育成を支援する。そういう支援にシフトしていくという流れを考えております。
3点目が、公共産業インフラの整備でございます。アジア危機後の一時的な案件数の減少はございますが、アジア地域ではインフラ整備を民活にゆだねる方向にあると。産業インフラにつきましてはかなり整備が進みつつあるのが現状でございますので、引き続き公共インフラをすべからく政府でやっていく、またはODAでそれを支援していくという状況にはないとは思いますが、とはいえ、ベトナムなどを取り上げてみてもわかりますように、アジアの中でも公共インフラの整備が進んでいないところがあるということで、官民の役割分担を勘案しながら、引き続き公共インフラ整備を支援していく必要があるだろうと考えております。
また、具体的にフィリピンなどについてもそういう話がありまして、次回以降、ご報告して集中的に議論させていただきたいと思いますが、民活インフラ整備の方法論などについても支援していくといった、ソフト支援もこの分野では考えられるのではないかと思います。
これが大きな1点目の柱として今考えているものでございます。
2点目が、環境・省エネといった我が国のすぐれた産業技術を生かした経済発展支援でございます。こちらにつきましてはかなり古くから日本がやっている支援の考え方でございますが、日本のすぐれた技術を生かして開発途上国の飛躍的・持続的な成長につなげていくというものでございます。ただ、現状をみてみますと、モデル事業等かなりやっておりますが、モデル事業が単発のもので終わっているといったことで、必ずしもさらなる経済発展につながっていない、個別の事業に対する資金の投入だけに終わっているという例が多いものですから、商業ベースでの普及につながるような支援のあり方、それはモデル事業等ではなく、FS調査ですとか技術の実証ですとか、いろいろあるのかもしれませんが、もう少し普及につながる形での支援策はないものかという検討を考える方向でございます。
3点目が、地球環境問題、エネルギー安全保障といったグローバルな課題のうち、経済への影響が大きいものへの協力でございまして、いくつか案件がございます。
個別の案件は今あるものを整理してございますが、一つ一つ説明していきますと時間が相当かかりますので、議論になればそこでそれぞれ話が出ていくということにさせていただきたいと思いますが、先ほど申しました(1) アジアにおける経済構造改革、貿易投資環境整備の関係では、最初の制度整備の関連については、ITの資格制度の共通化、WTOへの加盟を促進するようなキャパシティビルディングの支援――特にその中では特許の制度の制度構築への支援、工業標準の標準化への支援といったものでございます。それ以外では、日本のすぐれた省エネ基準のような考え方をアジアへ普及するとか、または、物流の効率化につながるような、物を運ぶコンテナーの規格であるパレットの規格統一、または貿易手続の共通化といった制度構築の支援を現在しているところでございます。
 2点目の産業を支える人材育成等につきましては、大きく4点ほどございます。まず、中小企業の制度構築支援でございます。こちらは先ほど申しましたように、タイ、インドネシアにミッションを派遣して、中小企業の基本法から金融制度、指導制度といったものについての包括的な支援制度に対する提言をしております。人材育成機関支援では、ASEAN全体の枠組みの中で、ASEAN諸国の人材育成機関のレベル向上を支援するような支援を行っております。第3に、産業支援ということでは、個別産業支援として、タイの自動車部品産業のような、業界ぐるみで裾野産業を支援していきたいという取り組みに対して集中的に資源を投入しております。それ以外にも、これは従来から幅広い枠組みでAOTS、JODCなどの団体の民間レベルでの産業人材育成の助成をしております。
公共産業インフラにつきましては、エネルギー、電力、交通・物流等々あるわけですが、最近では民活のインフラというものもございますので、民間資金とのすみ分けを考えながら重点的に実施しております。
これらには入りませんが、一時期、基礎素材産業などでアジアにおける分業ということで、例えば、こちらの国は基礎素材産業は適切ではないのではないかとか、そういうことができないかという試みもあったわけですが、結果として現時点でやっているのは、そういった個別産業分野でのアジアでの分業のような関係につきましては、アジアの中での需給の変動とか過剰生産に伴うリスクの回避の観点から、情報交換、意見交換を実施するということをしております。
2点目に、環境・省エネについては先ほど申しましたようにもろもろの支援があるわけでございますが、比較的まとまったものとしましては、GAP(グリーン・エイド・プラン)というものがございまして、これはアジアの国々に対しまして基本的にほとんどでございますが、政策対話ということで、政府間レベルでの対話を実施した上で、プロジェクトを選定するとともに、そのまとまったプロジェクトに対して技術移転の実施をしていくといったことでございます。
こちらにつきましてはずっとやってきているわけでございますが、最近の問題意識としましては、援助以降の普及の部分についての効果が、当初予想していたほどにはなかなか上がらないということで、援助以降の普及につながるような支援、その中には省エネ基準とかエネルギー管理士制度の普及といった、制度面での支援を含めて総合的にやっていく必要があるだろうという問題意識をもっております。
それから、資源エネルギー安全保障の関係では、この場で議論する時点ではないと思っておりますが、省エネ面の協力とか、鉱物資源調査ですとか、温暖化対策でCDMの推進といったことも経済協力の枠組みの中で取り上げて行っております。
後半では、国ごとに経済協力の中身について書いております。個別の国についても同じように突っ込んでいくときりがないので、また、重複している部分もありますので、ポイントだけ申しますと、中国につきましては、先ほど申しましたように、中国の産業面の競争力というのはかなりついてきているということで、また、中国の経済体制というものもございますので、産業面での個別産業支援というよりは、自由貿易を進めるような制度づくりとして、知的財産権制度ですとか、WTO加盟へのキャパシティビルディングの推進とか、工業標準の整備等々を重点的に行うべきであろうと。産業インフラの整備につきましては、沿海地域でなく、中西部にという議論があるわけですが、経済関係の強化という意味では、中西部と申しましても、比較的我が国と経済関係の深い中部におけるプロジェクトをむしろ重点的に推進するべきではないかと考えております。それから、これは政府レベルでも推進することになっておりますが、環境エネルギー協力につきましては、我が国の技術を生かした協力分野がかなり考えられますので、こちらを重点的に行っていくということでございます。
フィリピンにつきましては、経済インフラも未整備でございますので、経済インフラの整備ということが重点的にやるべき分野として依然残っているということと、制度支援につきましても、米国に準拠した制度が整備されているということではございますが、幾つかの分野においては我が国としても支援することが考えられると思っております。
ベトナムにつきましては、これもフィリピンと同様でございますが、幅広く経済インフラが未整備である中で、ハノイ、ホーチミン周辺を中心にして、海外からの投資を招くようなインフラ整備を重点的に行ってはどうかということと、社会主義体制という制約はございますが、その中で市場原理を円滑に導入していくための知的支援として、ASEAN統合に向けてどのように貿易自由化を進めるかといった戦略づくりとか、中小企業政策支援といったものも考えられるのではないかということでございます。
マレーシアにつきましては、一たんODAを卒業したという状況もありまして、状況といたしましては卒業をにらんだ協力ということになっているわけではございましょうけれども、そうした中で、ODAにつきましては、マレーシア政府が特に我が国に対して期待を寄せているものの中で、情報処理技術者試験制度の共通化ですとか、WTOキャパシティビルディングといったものを重点的に実施していくということではないかと考えております。ただ、経済協力の関係につきましては、全体としてマレーシア自身も力をつけてきておりますので、マレーシア自身の努力というものをみながら重点的にやっていく必要があるということでございます。
タイにつきましては、ここは日系企業も数多く進出してございますし、経済産業省としてもかなり力を入れて支援をしているところでございますが、タイ政府自体もかなり実力をつけてきておりますので、重点的な支援ということで、インフラ整備からソフト支援へ移行していく段階と考えておりますが、その中で、コアといたしましては、12ページですが、中小企業の政策支援ということで、中小企業診断制度とか、金融機関の整備に対する協力、2点目として自動車を中心といたしましたすそ野産業の支援、これらを中心にして実施していくことを考えております。
インドネシアにつきましては、国家財政自体がなかなか厳しい状況ですので、直ちに大規模なODAの供与は厳しい状況にはございますが、現実としてはインフラ整備に対する需要は膨大でございますので、そうした中で重点的に電力安定化のための支援でございますとか、ジャカルタ近郊の道路インフラ整備等々を実施していく必要があるであろう。知的支援につきましても、インドネシア政府に対してどこまでできるかという状況はあるわけでございますが、中小企業政策支援につきましては包括的な提言をいたしておりますので、これをベースにして引き続き協力していく必要があると考えております。
ミャンマーにつきましては、大規模な資金供与は困難な状況でございますので、考えられる協力といたしまして、ライフラインに対する整備ですとか産業人材育成支援、それから、外務省等々3省庁で実施しております経済構造調整支援といったものを実施していくということでございます。
インドにつきましては、ODAの供与につきましては、今はなかなか流動的ですので、現時点でこの整理自体をしたところで変わるかもしれませんが、現時点では円借款については新規案件は供与できませんので、IT関連の交流推進ということで、情報処理技術者試験の相互認証、電力・運輸を中心とした経済インフラ整備といったものを考えている状況でございます。

ありがとうございました。2分類の、どちらかというと第1原理を各論にすると、今、少なくとも我々はこういうことをやっていますということの整理です。

岸本

こういうもののうち、入るものも入らないものもあるのではないかという気もしていますが、我々としては、援助というのは優先順位をつけていくことが重要だと思いますので、そういうものをつけてやっていきたいと思っております。

それでは、フリーディスカッションをお願いしたいと思います。

まず、感想をいいますと、これでいいと思いますが、ただ、なぜこういうことをやるかという理屈がほしいわけです。例えば、ここにはもちろん経済産業省という枠組みはあるし、具体的に何をしているかをリストしても、それを正当化したり、あるいは方向展開するにはこれを落としてとか、特に産業についてですから、今、タイで一生懸命やっても中国の方が上がってきて結局むだになるとか、そういう議論を数週間していたわけです。ですから、もう少し違うレベルで、これは要らないんじゃないかとか、こういうのをつけたらいいんじゃないかというのはあるかもしれませんが、そのレベルではなく、なぜこういうことをやるかという、理論武装のようなものを今から議論すればいいのかなと思っています。
これも、例えばワシントン・コンセンサスはもうないにしても、世銀の発想などからすると全然理解不能な案件だと思いますが、なぜこれをやるのかというのを説明しなければいけないわけですよね。むしろ、もっとふやしていきたいということだったら、その分析的枠組みというのが何かということで。
それから、3つポイントがありましたね。1つ目が「経済構造改革、貿易・投資環境整備支援」、2つ目が「環境・省エネ」、3つ目が「地球環境問題、エネルギー安全保障」ですが、私の言葉でいうと、1つ目が第1原理に含まれるもので、2と3は第2原理かなと思ったのですが、おっしゃるように、これは全部カバーするものではないけれども、経済産業省の関心のある分野だとこのように分けられるということだと思います。
考えれば、いろいろな批判やコメントはあり得るわけですが、それをある意味では先回りして議論をつくっていく。例えば、IMF・世銀の支援の仕方があるわけで、それと日本あるいは経済産業省としてはどういうポジションをとるのかという関係ですね。あるいは、日本で構造改革をやっても、政府でプランニング的なことはもう余りやらないと。むしろ民間に重点を移していくというときに、なぜ昔みたいなことをやらなければいけないのかという批判は当然あるわけですが、それに対してどのように答えるのかとか。
それから、我々がずっと議論している中国と日本のリーダーシップのすみ分けという問題もあるし、そういう前から議論されている中で、なぜこういう援助のポートフォリオになるのかということを説明できる枠組みが欲しいわけです。

1回目の会議のときの発言の繰り返しですが、やはりODAは一種の政府による介入であると。それであれば、なぜ介入しなければならないかというと、公共財、外部性、さらには所得分配上の配慮――この3つは、市場に任せるとうまくいかない大きな分野ではないかなと思います。
きょうの話は主にその公共財のところに対応しているのではないかなと。ただ、そのときに、国単位で考えるべきものなのか、東アジアというリージョナルな発想でいいのか、さらに大きくして世界全体の単位で提供すべき公共財なのかというところは、必ずしも明確な分け方がなくて、この話を聞くと、例えばハーモナイゼーションのところで、日本の基準に合わせるという印象も受けるのですが、もし日本の基準が世界の基準と違うということであれば、日本に合わせるということはますます世界の基準から離れるということになるわけです。ですから、ひょっとしたら一部の基準はリージョナルではなく、いきなりグローバルな基準の方がよかったりする場合もあるのではないか。
なぜこういう話をするかというと、私はもともと通貨問題をやっていて、最適通貨圏のような議論があって、円にペッグしたら結局ドルとは余計不安定になりますよというコストを払うのと同じような形で、日本の基準に合わせれば、ひょっとしたら世界の基準から離れるという場合もあり得ると。ケースバイケースだとは思いますが、どういう基準であれば2国間でよかったり、東アジア全体が1つのユニットとして考えた方がよかったり、さもなければ、世界全体でなければならない場合もあるのではないか。そのときに、何がリージョナルのパブリックグッズで、何がグローバルのパブリックグッズなのかという分け方があるのかなという気がします。最適通貨圏ではなく、最適ハーモナイゼーションの度合いが存在するのかどうか、どういう基準で切るのかはわかりませんが。

FTAとかアジアのEU化とかというと何となく嫌われるようなので、また、直接そんなことをいう必要も実はなくて、しかし、当面、インテグレーションがだんだん高まっていく世界の経済の環境にあって、FTAのネットワークに入れる国と入れない国の間のギャップができてくるというのが、これから10年ぐらいの間に起きてくることだとは思います。ですから、アジアがEUのように10年や20年でなるはずもないし、そんなことはいいたくなければいう必要もないと思いますが、第1原理のほうは、ODAとは呼ばないで、もっと広い経済協力と呼ぶことがむしろ重要だと思いますが、分けるというのはいろいろなメリットがあるのではないかと思います。
3つぐらいかいつまんで申し上げたいと思います。
1つは、こういうことをやる緊急性とかタイミングの話で、日本とシンガポールのFTAができると。ことしから来年にかけては東南アジアの景気は相当悪いと思います。ことし初めの予想でも4%成長ぐらいの国がほとんどだったと思いますが、また2~3%ぐらいに下降修正するでしょう。ですから、これからすごく状況は悪くなる、そういうタイミングでもある。逆にいうと、何かやってあげると一番感謝される可能性が高いタイミングでもある。
多分、中国がスローダウンするのが一番遅い国で、というのは、内需も結構きいているし、もちろんアメリカに対する輸出はスローダウンするでしょうけれど、多分、中国が一番遅くスローダウンしてくる。それから、AFTAがまだグラグラしているということで、東南アジア向けに何かビジブルなことをやってあげるにはすごく大事なタイミングだと。
新宮沢プランもいろいろな評価があると思いますが、少なくとも非常にビジブルな形で日本のコミットメントをちゃんと示したという意味では、やはり学ぶところは大いにあるのではないかと思っていて、必ずしも真水で額がふえていなくても、ああいうようにメッセージがはっきりした形で束ねるというのは、政策として重要なのではないか。ですから、小泉プランといっても平沼プランといっても何でもいいですけれど、そういう1つのフレームワークでやっているよという印象をちゃんと与えるようなスキームで提示するということが大事なのではないか。
ですから、今こういうことをやるのは本当はすごくいいタイミングではないかなという気がします。ODAだけ考えていても、ODAというのはすごくゆっくりしか動かないフィールドなので、余り生臭い話と結びつけるのはむしろ潔くないと考える人もたくさんいると思いますが、タイミングとしてはそうなのではないかと思います。それが1点目です。
2点目は、Dさんがいわれた政府の役割とか公共財の供給というのもおっしゃるとおりだと思います。政府が何をやるべきかというのは、世銀などと我々はちょっと違うところで線を引くわけですが、しかし、原則はそういうことだと思います。ただ、それとはちょっと違う切り口で譲許性というのがあって、譲許性があるかないかというのは政府の役割ということに必ずしもすぐ直結する問題ではないと思います。
アジアのODAの部分を取り外してくるのに1つ重要なことは譲許性で、そしてODAでなければいけないということを外すというのは非常に大きなことで、予算的に一部はODAで、一部はODAではない、世銀でいうIBRDの予算とかIDAの予算とか、そういう感じの違いはあっても構わないけれども、スキームとしてはそういうものを全部束ねてやる。
そうすると、例えば、世銀を外したときにタイでインフラ整備というのはどういう位置づけになるかとか、そういうことをもう少し自由に考えてみることは重要なのではないか。インフラ整備にお金を出せないというのは、ODA、譲許性といったところに縛られているからそういうように思うのであって、もうODAといわなくてもいいということであれば、もう少し自由になれるのではないか。それが2点目です。
3点目は、第1原理と第2原理をどこで線を引くのか。ここには、目的・機能性というところで分けるべきだというご意見もありますが、私ははっきり国の範囲で分けるべきだという説でありまして、これはまずASEANだと思います。日本の経済的なプレゼンスという意味でもそうだと思いますし、ASEANそのものがインテグレーションのある固まりですから、まずASEANで、もちろん中国と韓国は入ってくる。ですから、日本も入れて、ASEANプラス3というところではっきり切るべきではないか。
その理由の1つは、この間もAPECのお話をいろいろいただきましたが、国がどんどんふえてくるというのは、いいようでいて、スキームが非常にぼんやりしてくるので、むしろどこかできちんと線を引いた方がいいのではないかという意識です。それから、APECの場合にもう1つうまくいかなかったのは中身のスコープの問題で、例えば、ODAなどはAPECの枠組みには結局入れなかったわけですね。日本はAPECの国にたくさんODAをやっているのだけれど、もうAPECとは別にやらなければいけないことになっていたのだと理解しています。ですから、エコテックの部分というのはODAではなかったわけですね。
やはりそういうことをやってはいけないので、後になって、例えば金融などに入れようといろいろやっていますが、やはりうまく入らないと。ですから、そうではなくて、いろいろなスコープのものを最初から束ねて、ASEANプラス3向けに我々はプログラムをやるのだよというように、国で切るというのがストラテジックには非常に重要なポイントなのではないか。国でちゃんと切れていれば、FTAを目指しますとかという必要もなくて、私はうまくいけば自然にそういう方向に行くと思っていますが、そう思わない人はそこに行かなくてもいいと思いますけれど、ストラテジックにそういうジオグラフィックな範囲で切るというのが1つの戦略なのではないかというのが、私の今の考えです。

私も少し意見を述べたいと思います。私はこの研究会には実際にはきょう初めて出席させていただきました。今まで、海外長期出張とかいろいろな理由で出られなかったので、申しわけなかったと思います。ですから、今までどういう議論があったか余り知らなくて、記録などを送っていただいたのですが、こちらに来る前にそれをみる時間がつくれなくて、今までの議論がよくわからなかったのですが、きょうのご報告と皆さんの議論を聞く限りで、いくつかのポイントを述べたいと思います。
まず、全体としての私の印象は、アジア地域はこれからも工業化がもう一段進んで、産業発展ももう少し進めていく必要があって、その中で日本がどのように協力すべきかという問題意識できょうこのペーパーを出されたと理解しています。そのことに対して、理論武装は何かといった議論も出ましたけれど、私は、日本の対アジア協力としては、こういう産業発展とか工業発展への協力が依然として有用だと思います。
まず、ASEANや中国など、この20年間はかなり工業化が進んだけれど、いろいろな面をみて、もう少し後から来るほかの国との競合関係などがあって、もう一段高度化しなければならない。けれど、高度化の過程においていろいろな問題に直面する。例えば、人材とか工業支援の整備などいろいろな問題がまだ残っていて、うまくいかない可能性もあるわけです。そこで、どうすればアジア地域全体として調和を図った形で持続的に産業をもう一段進めていくことができるか、そういう問題をこれから考えていく必要があると。私はその点は賛成です。
日本側からみて、日本はそのような問題に対してなぜ協力の必要があるかということですが、今、日本の国内経済はいろいろ大変な段階にありますが、対外的には、外貨準備高とか、今までの発展の経過など、日本としては協力できる立場である。もう1つは、日本とアジア諸国とは相互依存関係が高まっている。貿易とか直接投資などを通じてかなりリンクしている。ですから、アジアが順調に発展していけば日本にとっても有益である。そういう観点からみて、日本は協力を続けることも必要ではないか。ですから、基本的に私はそういう姿勢に賛成しています。
ただ、どうすればもう少し効果的にできるかを考えなければいけない。その対応については、この報告には出ていない部分をもう少し補足したいと思います。
人材の育成は確かに有用であって、例えば、ASEAN諸国と中国は今競合関係にあって、中国に追い上げられて、もう一段上に行かなければならないけれども、供給サイドの一要因である人材に関しては、例えば、工学のエンジニアとか自然科学関係の人材が需給関係からみて供給不足の状況です。ですから、人材養成・育成の協力は有用である。ただし、どのように協力すれば効果的であるか。それについてはきょうの報告の中にはまだ十分示されていないので、これから詰めていかなければいけないと思います。
第2点は、この報告ではやはり触れられていない部分で、例えば、中国とASEANとの競合関係ですが、この競合関係からみてASEANはどうすればいいか。中国とASEANとの関係で、地域全体の産業調整をどう図るか。例えば、今まで日本はソフトや知恵などを出して、地域全体の産業調整を図っていく上で日本が何かの役割を演じると、それで1つの公共財を提供できるのではないか。国際的な公共財ではなくても、地域公共財になるのではないか。そのためにはもう少し議論する必要があるのではないかなと思います。

なぜこういう戦略が妥当なのかということの正当化というのは、我々内部で議論していて、そこのところがある意味では当然のことのように書かれてしまっていて、総論としての取捨選択で日本がODAとして何をやるか、少なくとも経済産業省としてここにプライオリティを置くべきだと主張するその根拠は何かという、その総論でのプライオリティづけという話と、各国別のポートフォリオがどうあるべきかということのプライオリティづけ、その両方において、この紙に書きにくいところがあって我々も苦労したわけです。
それをずっと突き詰めて考えていくと、日本の産業界に裨益するという、ODAではなかなかいいにくいところが基本的な問題意識にはあって、最終的なクライアントというのは途上国であるという形はとっているけれども、実際には発想の基本というのは日本の産業界で、その産業界というのは一体どういう産業界なのかよくわからない。日本の4つの島で操業している企業なのか、あるいはマルチ・ナショナル・カンパニーも含めた日本系の企業なのか。そこもやや議論のあるところなのですが、そこをどう理論づけるかというところは、必ずしも明確ではない。
話が第2原理的なことだけになっていって、グローバル・シチズンとしての日本が当然に我々の国の大きさに応じて開発経済のコストをシェアすべきだということに尽きてしまう。日本経済、日本産業界ということを余り考えるべきではないと、そういう議論になってしまっている。そこを理論的にどう、「いや、そうではないのだ」と位置づけるのかということだろうと思います。
2点目に、ワシントン・コンセンサスに対するアンチテーゼとしての我が国のODA戦略という言葉が出てきますが、確かにそれもあるにはあると思いますけれど、現実にはかなり歩み寄りがみられていて、例えば10年前であったら、この手のペーパーというのはIMF・世銀の人たちには異星人の話のように思われたでしょうけれど、かなり理解は進んできているような兆候もある。例えば、日本の中小企業政策の話なども、タイでの議論のときは全く出てこなかったのですが、インドネシアでは、CGIの場で宣伝してみると、それなりに理解を得られる。少なくともそういうアプローチもあるということについての理解はかなり出てきている。
その1つは、ご存じの、CDF(Comprehensive Development Framework )というウォルフェンソンが言い出したマトリックスですが、いろいろなドナーがいろいろなエリアのことをやっているのだけれど、IMFというのはあくまでマクロ経済安定化ということが根本にあって、世銀も、基本はそれもあるけれど、少なくともエリア別のいろいろなフレームワークづくり、制度改革にも手を染めるようになってきている。ただ、その根本は、自分たちがすべてできるわけではない。それぞれのドナーに得意分野があるということは彼らも認めているので、日本も、じゃあ何をやるかといったときに、日本としてのコンパラティブ・アドバンテージということをある程度主張して、その部分についてCDFのます目のどこを埋めるかということをあらかじめ明確にしていけば、余り違和感なく受け入れられる可能性がある。
また、それを受け入れさせないことには、我々のクライアントである向こうの援助受け入れ窓口が、ワシントンの機関と話すときと我々と話すときとで全く違った対話になるというのは、やはり彼らにとっても不幸なことだし、その使い分けというのはよろしくないし、どこかでその矛盾というのが出てくるわけですので、できればその溝を埋める形で補完的にやっていった方が得策ではないかなと思います。
特にアジアの国については、彼らはそれなりにアジア向きにODAプログラムもカスタマイズする必要があり、その1つの手段として、バイのODAをやらざるを得ないという認識はあると思います。
ここに書いてあるようなことで恐らく彼らが最後まで認めないのは、特定のセクターに対する重点的な資源の投下ということは、マクロのベースではなかなか認めがたいと。それはイデオロギー的に認めがたいということだろうと思いますが、現実にはそんなことはいっていられないというか、個別の国は何らかの最適化のようなことをやらなければいけないので、一種のターゲティングのようなことをやらざるを得ないという議論も、それなりに理解は昔に比べてしつつあると思いますが、結局、それをなぜ彼らはやらないかというと、はっきりいって、キャパシティがないからなんですね。
そこから先が私の3番目のポイントに移ってくるのですが、日本がそれにかわるだけのエキスパーティズを個別の産業についてもち得るかというと、それは慚愧にたえないところもありまして、正直いって、我々もややミクロな知識しか持ち合わせていないものですから、日本が提供しようとしているエキスパーティズが、本当に彼らのものに対して十分対抗できるような質のものが与えられるかというと、これはまた非常に難しいところがあります。
例えば、標準化の話で、最適ハーモナイゼーションのあり方ということを問題提起されましたが、これも大きな1つのアプローチの相剋なわけですね。グローバルスタンダードを広めるというのも1つのやり方なら、日本的なものを最初から政府の介入でやっていく。アメリカのやり方というのは弱肉強食ですから、早い者勝ち、あるいは強い者勝ちというところがあるわけですが、それに乗ってはだめだという、これは日本の国益かもしれませんが、日本主導の標準化というものが、インテレクチュアルなレベルにおいて本当にそれが妥当なものといえるのか、公共財として本当に適切なものかどうかというのは、かなり知的勝負という感じと、あとは本当に腕ずくの、ITなどにおいては弱肉強食の争いのようなところもあるにはあるわけです。
そういう意味で、我々はここに書いてあることからわかりますように、量よりも質といっているのだけれど、本当にその質においてワシントンの機関を凌駕できるようなことが、例えば、ある特定のここに書いてあるような分野において提供できるのだろうかということがいつも問題になっていて、いや、日本はそういうことを第二次大戦後ずっとやってきたからあるのだと思いたいのですが、実はそういうものは理論的にきちんと整備されていないし、ほかの人とシェアできるような形でのナレッジマネジメントもできていないし、いわんや、それをコミュニケートできるだけの人材あるいは予算を我々は十分確保しているとはいいがたいので、アンチテーゼを出すことまではできても、そのアンチテーゼを実際にインプリメントするだけのリソースが十分できていないというのが悩ましいところなわけです。それをどうやって確保するか、日本的なものを広めていくためにバジェットがとれるのかどうか。そういう問題が大きな課題として残っています。
最後に、余りODAにとらわれるべきではないという意見がありましたが、それはよくわかるところで、ODAを卒業した途端に経済的な関係を断ってしまうのか。例えば、マレーシアや韓国ともいろいろなダイアログを全部なくしてしまうのかというと、そんなことは本当はあってはならないので、無償の世界、有償の世界の次に、有償でもない、一種のパートナーシップのような協力関係のようなものがあって、その中にはFTAを目指す上での、例えば制度改革についてのダイアログですとかファシリテーションですとか、そういうのはODA予算では残念ながら担保できなくても、おつき合いの題材として、インスツールメンツとして本来はもっているべきではなかろうか。
そういう意味では、ここには経済協力と書いてありますので、一部はこの外になるのかもしれませんが、インスツールメンツとして明らかにODAとノンODAの両方をもつべきだということは事実で、ノンODAと我々はいうと、ほとんどが輸銀の融資ですとか保険ですとかの資金協力のことに頭がいきますが、本当はもう少し知的支援の面での、支援ではなくて本当は協力みたいな感じなのでしょうけれど、ノンODAのインスツールメンツがもっと重視されてもいいのでしょうが、またここから先は、その予算はどうするとかという問題も出てきて、APECあるいはASEANプラス3でそういうことをどんどんやっていったらいいと思うのですが、なかなかそこに精力を注ぐことが難しいという、第3の話に結局また戻ってくるわけです。
以上、コメントということで申し上げました。

アジアの定義についてですが、ASEANプラス3に決めてしまえばいいというのは、私はまだそれは賛成できなくて、統合とか通貨統合とか自由貿易とかいわなくても、それはある意味でかなり厳しいグルーピングをつくるということでは、私はそれはかなり違和感があります。ASEAN以外で入り得る国でも、あるいはASEANプラス3以外でもこれからだんだん出てくるかもしれないし、ちょっとぐらい距離が離れていても、例えば中央アジアの国などは日本と有効なリンケージはつくれないけれど、国づくりとしてはそういうものを目指したいという国は、アフリカでもあるし、そういうものに対して、ここはASEANプラス3ではないから、環境や貧困や教育で統合というのは考えないというのは、私はやはり機能的に考えたいと思います。
それから、ワシントン・コンセンサスに対するアンチテーゼのことですけれど、おっしゃるとおりで、両方バランスをとらなければいけないけれど、ただ、ワシントン・コンセンサスにどこまでつき合うかというだけの次元では、とてもこれだけお金や人材その他を出している国としては片手落ちなので、バランスをとりたいのですが、また同時に、非常にナショナリスティック、あるいはエモーショナルになる議論というのはよくあるわけで、マハティールとソロスの対立のようには絶対したくないというのがあって、そのために第2原理があってブレーキをかけたいわけです。
ただ、第2原理では産業のことなどは考えなくていいといわれると、それはまたおかしいなと思いますので、やはり2つ出して、アジアでやろうとすると、日本は常にアメリカに対して余り行き過ぎないような態度をとろうとするけれど、そうでない国もありますから、日本はそれはブレーキをかけるべきなので、そのためにやはり2つの原理を出したいというのが私の意図なのですが。
それから、日本が大体の個別産業についていろいろな国に入れるような人材も知識もないだろうという御意見がありましたが、それはまさにそうなのですが、私はそれをやるべきだと思います。10年、20年、30年かかっても。一遍に全部できなかったら、中ぐらい以下の国で、まだ日本でそういう伝統があるうちにいろいろな人を動員して、この国のこの産業はどうなっているのか、タイならタイ全体の主な産業を5年かけて仕上げてもいいと思います。そういうことを恐らく世銀などは考えもしないと思いますけれど、日本だったら、タイがタイであるための産業的にどうすべきかということをやらないとみえてこないと思うので、それは日本はできると思います。ただ、1年や2年でできるかどうかはわかりませんが、そういうものを積み重ねて、そういう産業や開発の見方もあっていいのではないか。それが今ないのだったら、そこにお金と資源と人をかけていくというやり方の方がいいのではないかなと思います。
それから、ODAにこだわらないというのはまさにそのとおりで、ODAとほかの枠組み、輸銀だけではなく、いろいろなものをみて、その全体の中でODAを使えるところを使っていく。そうでない部分は別の協力をしていく。そういうビジョンでなければいけない。それはおっしゃるとおりだと思います。
もう1ついえば、この場の議論でいつも対立になりそうなのは、Eさんはアジアの枠組みについて、ビジョンとして統合のようなものを考える、きちっとしたものを目指していくという意見であるわけですが、私はもう少しフニャフニャとしたオープンリージョナリズムのままで、10年後に何するとかは余りはっきり決めないで、現実の問題としては、アジアはアメリカやヨーロッパとの貿易・投資関係が非常に強いですから、私としては、アジアだけで集まって何するのだというのがあって。ですから、その辺は、私たちだけで決めてもだめなので、日本だけではなく、アジアに発信して、こういう考え方について議論すればいいと思います。
ある意味で、私たちが日本で全部決める必要はないので、このような問題について議論しようというフォーラムがあればいいと思うのですけれど。そういうことをしないで、日本がお膳立てしてもっていく、そのもう少し前からみんなで議論すべきだと思います。

それは堂々めぐりですよ。じゃあ、そのフォーラムをだれを呼んでやるかということで、それはASEANプラス3だよね、というのが私の考えです。

それはいいんですが、ただ、それをASEANプラス3を超えてほかのところへいったら、例えば、バングラデッシュでも関係ないよとか、インドでも関係ないよと、それには私は抵抗があるんです。

そこは非常に本質的な問題かもしれないですね。ですから、機能的に分けるか国で分けるか。私は、国で分けてもいいと。これを第1原理、第2原理と呼ばなくても、もし日本のもっと産業育成的なODAをやってほしいという国があったら、それは2番目の方でやればいいと思います。けれど、国をちゃんと決めて、そこについては日本は全然違う扱いをするのだよというメッセージをはっきり出す。それが大事なポイントだと思います。

それは意見は合わないにしても、ちゃんと議論すればいいんですよ。

そういうふうにいったとしても、やろうとしていることはそんなに食い違ってはこないんじゃないでしょうか。

実際には変わらないんですけれど、でも、長期ビジョンで、グランドデザインとしてEU型の統合を目指す、ある意味で彼らのフォローを数十年おくれでやるというのか、それとも、結局そういうことは目的として要らないというのかではかなり違ってくると思いますし、アジアは後者の方が私はいいと思うのですが。実際に今やろうとしていることは、これから数年間では変わってこないかもしれないけれど。

ASEANプラス3以外の、例えば、モンゴルですとか中央アジアのほとんどの国、そして南アジア等で、少なくともODAの金額比率で日本のプレゼンスがダントツというところはたくさんあるわけですね。そういう国の中で、IMF・世銀のお説教を聞きながら何となく釈然としないと思って、日本的なアプローチも少し加味したいところだけれど余り教えにきてくれないなという、そういう潜在的顧客というのはいるにはいると思います。問題は、日本の企業側からはそういう国との経済的関係の深化について、インドなどはちょっと違うかもしれませんが、それほどパッションがないわけですね。
パッションがない、日本企業のスポンサーシップがない国々で、日本のプレゼンスが比較的高いところ、あるいは日本的なものにある程度敬意を表している国をどう扱うかということで、それは単に地理的分類で1と2を分けたら、それは2の方でメリハリをつけて日本が貢献できるところをそういう国についてもやるという、2のメリハリのスケールという話になるのかもしれませんが、分類学で議論していても仕方ないですけれど、例えば、今、ODAの予算というのは相当の規模あるわけですが、幾ら1割カットとかいっていても、ある意味ではひょっとして余るかもしれないというか、中国はもう余り必要ないとか、インドネシアにはデッドの観点から余り出せないということになったときに、タイやマレーシアにかつて出していたものは要らなくなって、ひょっとしたらダイバーシファイしないといけないかもしれない。
かつての質の話は置いておいて、量の方の、ODAのリソースが余っているというときに、そのときにASEANプラス3にフォーカスすべきか、ダイバーシファイにすべきかというときに、私は、バランスをとる意味では、少しダイバーシファイにしてもいいのかなと。日本企業はひょっとしたらそれは全然評価しないかもしれませんけれど。それも1つの考え方かなという気はします。
そういう意味では、ASEANプラス3だけにODAをフォーカスするのは――私がいっているこの場合のODAというのは有償資金という意味ですが、もう少し広くとってもいいのかなという気はします。

ここの研究会の本来の目的は何だったのか。私はきょう初めて出ているのでよくわからないのですが、当初ご案内いただいたときに、アジアのダイナミズムを維持するための日本のODAを含めた日本の役割のあり方と、もしそういう目的ならば、ASEANプラス3でいいと思います。なぜかというと、ASEANプラス3は相互依存関係は高いので、これからダイナミズムを維持していくためにいろいろな問題がある。それを解決していくために日本の役割が問われる。けれど、もしこの研究会はODA全般のあり方を考えるということならば、ASEANプラス3以外の国々にも広めなければいけないと思いますけれど。この研究会の目的はどちらですか。

この研究会で何をするかよりも、日本がもし政策を出すとすれば、ASEANプラス3でその線を引いてやるのがいいのかということが重要。

CさんとEさんの議論は、我々が聞いていますとそれほど違わないなと思っているのですが。ですから、外に対してどこまでリジッドな形でいうかという話と、我々がどういうつもりで、どういう重点でやっていくかというのは多分区別できるので、ASEANプラス3の動きはある一定の速度で国際的なフォーラムがありますから、統合に向かって緩やかな議論が進んでいくし、それが進めば、必要な広い意味での経済協力の話というのはどんどん出てくるので、こういう考え方を整理しておけば、政策資源というのはそちらにだんだんと重点的に行くということだと思います。
それ以外に、セントラルアジアに一切こういう協力はしないということには絶対ならなくて、いろいろなことをいわれながら、第1原理も第2原理もやりますという話なのだろうと思います。Eさんは、とにかくASEANプラス3の枠外にはもう一切何もしないのだと宣言しろということであると、かなり根本的な問題だと思いますが、そこまではおっしゃっていないのではないかと思っているのですが。地域統合という目標を掲げれば、一つの切り口としていろいろな政策手段がわかりやすく整理されるというのは、そのとおりだと思いますけれど。

私たちは、自分たちがやっているこういう経済協力を、ODAという言葉の定義に余りこだわらない意味での協力政策、あるいはもう少し広くいえば通商政策といってもいいのかもしれませんが、そういうものを具体的にどのようにしたらいいかという指針なりヒントを得たいということです。そういうことは、実務面から積み上げるような議論では出ないので、まさにCさんが理論武装が足りないとおっしゃったのは、そういう思いがあるからこそ、こういうところでもう少し幅の広い議論をしていると。
ですから、もちろんいわゆるODAの範囲を超えて議論したいと思いますし、今の地域統合・経済統合の是非という話も当然大いに関係してくるので、経済協力をどうしていくかに非常に関連が深いという限りにおいて、ぜひ深めていきたいと思います。
それから、地域の枠組みについての今のお話を伺っていて思うのは、ASEANプラス3で経済統合というのは、ASEANプラス1の時代というのがあったかどうか知りませんけれど、日本対ASEANという観点で考えていたときと、そこに中国と韓国が入ってきた、そしてASEANプラス3という方がむしろ話し合いのフレームワークとしては重みを増していると思いますが、その大きさになったときとは、かなり意味合いが変わってきたかもしれない。
これは経済産業省の中でも言うことが大分違っていて、まだまとまっていないと思いますので、大いに議論していただきたいと思いますが、特に中国という大国が入ってきて、政治的な面は置いておいたとしても、経済的な意味での大きなインパクトを、我々がシンガポールを初めとしてASEANという大きさで考えていた経済統合のいろいろなメリット・デメリットというものとは、量の違いが質につながるぐらいの大きさが出てきてしまったのではないかなという気が個人的にはしています。そこまでいくなら、日米の自由貿易協定を先に考えてもいいかなと、個人的にはそんな感想をもっております。

ASEANプラス3といったとしても、それはおつき合いでいっているので。基本的には、チェンマイ・イニシアティブだってバイでやっているわけですね。ですから、そのスキーム自体は最初はバイでいいと思います。日本とどこか、日本とどこかと。あるいは、日本とASEAN全体とか。そして、中国と韓国も一緒にやりたいならやりましょうといえばいいだけで、今の段階ではそんなに深く考えなくても、スキームは余り変わらないのではないかなと。ですから、ASEANプラス3といって、コストは負担しないのではないかなと。むしろ中国向けのODAもその中に入れてしまうというのは、結構いいアイデアかもしれないという気がします。

中長期的に考えると、中国というものが入ってきますと、経済だけではなく、安全保障から、アジアでリーダーシップを分けなければいけないということまで考えなければいけないので、日本対ASEANだったら、ビッグボーイとスモールボーイ、親分と子分のような感じで、経済的にはASEANが技術的にコケようと、日本が影響を受けるのは国内のバブルとかアメリカの景気の方がはるかに大きいわけで、非常にアシンメトリックですよね。でも、中国・日本というのは、ずっとビジョンが広がるという意味で、アジア全体のグランドデザインまでいかないと……。

でも、まずASEANを底上げしておくというのが、今、日本のやるべきことだと思いますが。

それはアジアダイナミズムの日本のやれることの1つですよね。やるべきことと断定していいかどうかはまだ議論していいと思いますけれど、例えば、タイなどが中国に比べてかなり色あせてきたとか、従来、日本の生産活動の強かったところだから、これを手放すわけにはいかないからもっと増強しようとか、そういう発想は1つのエレメントである。しかし、それだけではないですよね。

話が飛躍して申しわけないですが、経済協力をやるときの考え方、理念というものは、私も長年経済協力をやっておりまして、書いてあることは実は20年前と余り変わっていないんです(笑声)。多少、お化粧はして変わっているんですが。環境とかが入ってきたので。要は、人材育成と、そのときの時代のニーズに合わせてあるものが書いてあるということで。20年前、30年前にやっていたときも、理念は何かということを盛んに議論して、相互依存だとか人道主義だとか、政府の外交がどうとか、いろいろ議論したのですが、結局、そんなに詰まった議論にはならずに来ているという気がしています。
1つの大前提として、こういう発展途上の国々も地球全体の世界経済からみたときに、彼らも発展して経済水準・生活水準が上がっていくということは、地球の経済全体にとっていいことだと。そういう大前提でいいのでしょうね。それに対して先進国が、「いや、これは嫉妬を感じる」とか「不愉快」とか、こういう議論は政治的に別途出てくる問題だと思いますが、それは置いておいて、経済学的には、いずれにしろ、こういう人たちも貧困から脱出してよりよい生活を求めていくということはいいことだと。
それが日本の経済にもプラスだ、世界経済にもプラスだという大前提がもし成り立つとすれば、貧困にもいろいろレベルがありますけれど、ともかく相対的に先進国よりも低い経済水準である国々に対して、先進国がある種の経済的な協力として――民間ベースの協力ではない、所得の移転なりをしますということについて、開発経済学的にいって、どこまで許されるべきなのかと。そういう議論の整理をきちっとしておかないと、世銀・IMFとかの議論に対抗できない。ここはまずしっかりやっておいていただきたいなと思います。
その上で、では、日本がやってきたこと、やろうとしていることが果たして有効なツールなのかどうか。人材育成と書いてある。これは結構なことだと。これは実はいつも書いてあるんです(笑声)。中小企業育成とか。これは実務家としての反省が入っているのですが、果たして日本の今までの人材育成のやり方で本当によかったのかどうか。効果的だったのだろうか。より効果を上げるにはどうすればいいのか。これはきれいごとで書くのではなくて、むしろ我々実務家の改善点、私たち自身の宿題として、しっかりもう1度見直す必要があるなという気がしております。
3番目は、これもやや論理的ではないのですが、ASEANか中国かという議論がありますけれど、これは置いておきまして、その背景には、先進国からみたときの脅威論とか――それは世界全体からの議論からすると全然意味のない議論なのですが、そういう心理的な不安感はちょっと置いておきまして、ASEANの発展が今はとまっていると。相対的に中国からも追い上げられ、中途半端な位置づけになってしまっていると。このASEANというのは一体どうなるのだろうか。これは私はよくわからないところです。彼らの将来というのは経済的にどのように描けるのだろうか。何が彼らの比較優位なのか。そこをしっかり議論をして、明確にASEANの将来像を描けたとすれば、それに対して日本としてどういう協力をするのか。そういうことを整理していただければいいのではないかなと思っております。

援助というのは、簡単にいえば、チャリティでやるのと、エネルギーそのものをエンジョイするためにするのと(笑声)。「巨人の星」の星一徹とかをいつも思うのですけれど(笑声)、相手が上がってきて自分を打ち倒す、その勝負に挑むために子供を育てるとか(笑声)。なぜそんなバカなことをするのかと。それ自体は、山があるから登るみたいなもので。
それをやらないと日本もアジアも沈んでしまうということがあって、来ないようにやっているという受け身はだめなので。その大前提というのは、必ずしも世銀などははっきりいっていないんじゃないかな。人道的な方が強いと思いますけれど。そして、彼らが上がってきてどうなるのだと、そこまで議論しているかどうか私は知りませんけれど。

キリスト教的チャリティというのがもともと彼らの一部にはあって。ただ、それは最近ちょっと薄れているんじゃないでしょうか。

うがってみると、CDFのややこしい議論とか、できもしないトランスペアレンシーをやらせて、それで成長させないようにするという見方もあるけど(笑声)。そこまで考える必要はないかもしれないけれど。なぜ援助するかというと、両方あると思うのです。それをはっきりいえばいいというのが私の2つの原理なので。

もう1点だけ、地域統合についても、私は、一定の経済レベルの水準の地域同士・国同士の方がやりやすいと思っていまして、例えば、同じルールを適用するにしても、ある一定のレベルまで来た者同士の方がやりやすいのは当たり前なので、そういう意味では、地域統合が結果的に速く進むためにも経済レベルを引き上げるというのは大事なことだという気がしますけれど。ただ、それを目的化してしまって、地域統合大前提で先につくってしまって、そのために低いところを上げるということをやるかどうか。これは政策判断といいますか。

ASEANの自律的な発展を助けるためにどういう協力をしていったらいいかというのが、問題設定としては非常にクリアだと思います。その場合に、地域統合すると必ずしもいわなくても、まさにアジアダイナミズムの中核的な地域はASEANとの……。

地域統合と今いってしまうと、経済協力できなくなってしまう。

統合が目的だなんていう必要はないので。

プレゼンテーションとして、実際にはASEANプラス3でやるにしても、日本の政策として、あるいは世銀をもっていくときに、言い方というのがありますので。全く同じことでも、よく聞こえるのと、そんな勝手なことをやってはだめだろうという印象をもたれることがある。結局、やっていることは同じなのですが、大体、どこの国でもそういうドレスアップをしますよね。ですから、余り本音からいう必要はないし、必ずしもそれが本音かどうかというのは詰めなくてもいいところがあると思います。
ですから、ASEANにとっても、世銀でもIMFでも、全部納得するかどうかはわからないけれども、物の言い方というのはありますから。今おっしゃられた、ASEANのこれから21世紀の何十年かで、今まではこういうポジションで上がってきたけれど、こういう世界経済の位置を占めるようにするビジョンというのは可能だし、頑張りたいと、そういう言い方というのがいいと思います。

テクニカルな質問になってしまって恐縮ですが、地域統合に資する援助という場合、どういうテクニカルな形態をとるかという話があって、通常は2国間の延長が中心ですけれど、より地域統合の効果が多いということでいうと、例えば、ハードインフラ整備であれば、地域的なガスのパイプラインであるとか、電力のネットワークなどをつくったりとか、ソフトインフラであれば、ここにもいろいろと書いてありますが、各種制度のハーモナイゼーションを助けるためのキャパシティビルディングであるとか、あるいは、環境エネルギーのような地域的な共通の問題であれば、例えば、共通の基金を設けていろいろなプロジェクトに使ったりとか、あるいは、中小企業育成のような話であれば、今もASEANでやっていますが、ある国で成功した中小企業育成の事業をほかの国にもっていければ、そのベストプラクティスを共有するようなとか、いろいろ方法は考えられますけれど、特に地域統合を進ませるためにこういう手法を使ったらいいんじゃないかとか、そういうアイデアが何かありましたら、教えていただければと思います。

政府と民間の線引きというのはやはりきちんとしないといけないと思いますが、政府の仕事であれば、原則論として、1国でやってもいいし、共同でやっても構わないわけですよね。ODAと呼ばれなくてもいいやと思えば、実は何でもできる。それは石炭・鉄鋼共同体だってそうだし、コンコルドの開発だってそうだし、エアバスだってそうでしょう。あまり重厚長大の例ばかりいっても仕方ないですけれど、これはODAと呼ばれなくていいよといってしまえば、できるんですよね。そういうことが、遠い先にはそういうことをしようよねという、FTAなどの傘をかぶっているとやりやすいということだと思います。
そうすると、ノンODAのところでも、JBIC、旧輸銀の仕事プラス知的支援、すごくたくさんはやれないかもしれないけどやれることはある。それ以外に、政府がやっている仕事であれば実は共同でやるということでも原則としては構わない。
WTOで引っかかってくるのは、GATTとGATSと、あとは貿易に関連している部分ですから、そこだけちゃんと手当てすれば、それ以外は実は何をやってもいいと思います。逆にいうと、FTAがなくてもいいのですが、そういうものをかぶっていた方がやりやすいことはあるかもしれない。ですから、いろいろあるんじゃないですか。インフラというのも実はできると思うし。ただ、余り苦手なことをやるよりは、一生懸命やろうと努力するのはいいと思いますが、無理しないで得意なことをやったらいいと思います。

最初にDさんもおっしゃった、ODAも介入だから、介入の根拠は何かという類型を挙げられましたが、日本だけに限らずほかの国の政府も、自分の国の中で政府が何をやっているかということはいろいろな面があるわけで、そういういろいろな面がODAの中にもあっていいのではないかと、今の議論を聞いて思いました。そうきれいに、ここから先は民間で、ここから手前は政府が介入していいのだというのは、時代によってすごく動いていますよね。産業政策という言葉も日本がつくり出したのだけれど、アメリカもやるようになっているし、そういう産業政策的なことを我々がアジアのほかの国に対してやって、お互いにベネフィットを得るような形にできないかと。ただ、それだけでは余りにもアバウトなので、もう少し理論的にちゃんと根拠づけるようなことが必要だとは思いますが。

政府と民間の境をどこにしようかというのは、意見は割れていても、経済学では「こうしたい」というのがあるわけです。それはちゃんと考えていると思いますが、譲許性を説明することはないですよね。それは譲許性があっても、ファンジビリティとかという問題もあるし、どのくらいの所得だったらこのくらいの譲許性でなければいけないとか、どのくらい譲許性があるからひもつきでいいとか、そんなことは経済学では全然ないと思います。ですから、DACの申し合わせを大きく逸脱するのが嫌だと思ったら、もうODAと呼ばなければいいと思うし、譲許性はまたそれとは別途決めればいいのかもしれない。
あるいは、ODAの枠でまだやりたいということであれば、その枠をはみ出さない部分については、その予算を使ってODAでカウントすると。けれど、そうでないものもくっついてやっているとか、それは別に構わないと思います。DACでは非常にぼんやりしたもので、マンデート自体は人道的でとかということはあったかもしれませんが、それは何でもできると思います。政府がどこまでやるかというのは、すごく重要な問題だと思います。

OECDのルールは、DACの方はちょっと色は薄いですけれど、OECDの輸出の関係は基本的にカルテルですから、理論とかではなくて、あいつがここまでやるなら、おれはそこまでやりたくないからその手前で抑えてしまえとか、そういう力学が働いてなっている話なので、一応ルールですから、「これがルールだ」とはいいますが、こういう議論をするときには余り理論的なことは関係ないと思います。

今の予算構造とか実施体制とか、そういうものとは全く違うものを急にやろうと思ってもなかなかできないということもあると思いますので、その辺はフレキシブルに考えてもいいと思いますけれど、かなり自由に考えれば、所得水準はこうだからこうしなければいけないとかというのは、余り気にしなくてもできるのではないかと思います。

1点、提案したいと思います。議論を最初のところに戻すと、世銀などと対抗できるような理論武装が足りないよねというのは前々から感じていることでして、もしこの勉強会が、世銀・IMFなどに対して日本の経済協力施策をお互いにわかり合えるような理論的土台で何か説明しようとするための橋渡しをつくるためのものだとするならば、むしろ、この勉強会でやるべきことは、世銀のCDFですとか、地域統合における国際的に認められているいろいろな議論を毎回紹介して、それに対して我々はどう考えるのかということについて意見形成をしてはどうかと思っています。
そういう意味で、「それはお前が自分で勉強しろ」といわれてしまったら、CDFをダウンロードして読んでいるところなのですが、きょうのこのペーパーでプレゼンしていただいて、その後の議論を聞いていて、すごくすれ違っているのではないかなという気がしていまして、我々は日ごろから地べたの日常の業務にかなり視点がへばりついていて、このワンランク上の議論はしなくてはと思いつつ、結局、日常的な業務の視点から自由になれていないので、そこをあえて引きはがしてワンランク上の議論をしようというのだったら、題材も、CDFなどをもってくる必要があるのかなと思った次第です。

それはもちろん勉強しなければいけないのですが、IMFとか世銀のペーパーを批判するというのはもう10年ぐらいやってきて、じゃあどうするんだというのがあって、それは読めば読むほど彼らの動向はわかるわけですが、そこから出るためにはただ批判しているだけでは仕方ないというのがあって、だからこういうわけのわからない議論にある意味でなるのですが、世銀の理論とかというけれど、別に理論というほどのものでは全然ないと私は思います。それを一生懸命長くいえば何かフレームワークになるのかなとか思って。CDFだってPRSPだって、理論じゃないですよね。みんなで決めたやり方だから、その裏にミクロ経済学の何があるとか、ファンジビリティの議論とか、そういう要素的なものはポンポンとあるけれど、全体としてなぜこれがいいのかというものは何もないんじゃないかと思って、その程度のレベルの理論でいいのだったら、日本は出せると思うのです。
さっきからいっている、必ず上がってくる国はあるのだから、そのときにちゃんと考えて、自分たちがそれを借りながら自分たちを助けると、そういう発展の仕方というのは、口でいえば大したことはないけれど、これをドレスアップすれば理論といえるものになると私は思うのですけれど。

ただ、彼の提案がいいなと思ったのは、世銀もそうですし、アメリカやヨーロッパの援助機関とかエグゼムみたいなところのホームページをみると、「こんなことをやっています」と、さすがにそれぐらいは我々もみているのですが、本音のところでどこまでやろうとしているのかというのはわからないところがあって、それがわかれば、さっき出たような、政府の役割というはどこまでかという話を整理するときに、1つの参考にはなるかなと。

国際機関とは広い意味でつき合うわけですが、彼らには理論があって我々にはないというときに、それは一体どういう意味なのか、私にはよくわからないのですけれど。幾ら世銀のいろいろなレポートを読んだり、あれだっていっているだけじゃないかと私は思うのです。プレゼンテーションは確かにうまいと。けれど、我々の今まで議論していることがどれだけ劣っているかというと……。要は、我々がずっといっているようなことをドレスアップしてうまく、その中にチョロチョロと集積理論とかというのを出していけば、できるんじゃないかと。私はそういうイメージがあるのですが。
それは必ずしも世銀と矛盾するものではなく、ただ、見方がリアルな方からみているので違うわけです。ですから、我々に必要なのは表現力なのではないかと思うわけです。実際にやっていることというのは、幾らアジア研究会をやっても、経済産業省とか日本がやることというのはそんなに変わらないし、それを筋を通してもう少しビジョンのようなものに仕立て上げることが必要なのではないかなと。私のイメージはそういうことなのですが。

CDFについて、それは大事だとも思うし、過大評価してもいけないと思うのは、CDFがイノベーティブである側面というのは3つだけしかなくて、何かというと、それまで世銀・IMFというのは基本的に1つの発展モデルで全世界が律せられると思ったのに、個別の国ごとにそのニーズは違うし、政府と民間の線引き、あるいは介入と不介入、市場との線引きが全部違う。それは国ごとにカスタマイズしなければいけない、プライオリティもカスタマイズしなければいけないという、カスタマイゼーションだということが1つです。これは確かに画期的なことで、それの制度的な裏づけとして、カントリーディレクターというのは全部ワシントンに住んでいたのが、全員、各国の首都に移した。そして、ストラテジーは全部その各国でつくりなさい、各国の人たちとやりなさいという、カスタム化ということが大事なわけです。それは画期的といえば画期的。ワシントン・センタードではないと。
2番目は、狭い意味の経済だけみていてはだめ。例えば、エイズというのはどうやったら対処できるか、ある特定国について人口調整というのはどうしたらいいか、インフラ整備はどうしたらいいかというときに、経済的・制度的・社会的なインパクトから何か全部みないといけないという意味で、CDFのCのコンプリヘンシブというのはまさにそこなのだけれど、世銀の得意とするところだけではどうしてもだめだと。そこにUNの関係のいろいろな専門機関などが入ってくるし、ほかのドナーとかNGOとかの参加機会も出てきますよという意味で、より多角的に。それが3番目の話と全部同じで、世銀はそれまでは少なくとも第一バイオリニストであり、コントラバスも弾き、金管も木管も全部吹けるオールラウンドプレーヤーだと思っていたのだけれど、いや、残念ながらうちはバイオリンは得意だけれど木管は得意ではないということで、万能選手でないということを初めて認めたと。
けれど、指揮棒は引き続きとらせてもらいますと。そこはおもしろくないと思うドナーもたくさんいて、「何であいつがタクトを振るのだ」という、そのレジテマシーは必ずしもはっきりしていないけれど、少なくともこれはオーケストラであって、決して室内楽ではないと。そういう意味において初めてほかのプレーヤーに主体性もある程度認めたということで、2番目と3番目はくっついているわけです。
ところが、それはまさにCさんがおっしゃったように、これはあくまで当たり前の話であって、気がつくのが遅過ぎたといえなくもないわけで、そういう意味では、メソトロジー以上のものではないし、哲学でも何でもないわけで、あくまでそれはインスツールメンツとしての役割以上のものはない。それはPRSPも同じ。PRSPがそれまでに比べてなぜ画期的かというと、PRSPというのは理論的には国の数だけあるわけです。PRSPのSはストラテジーペーパーだけれど、そのストラテジーというのは、何を入れて何を捨てるかという意味のストラテジーで、ロングタームにどうこうというのではなくて、あくまでセレクティビティという意味のストラテジーなわけです。ですから、ベトナムのPRSP、カンボジアのPRSP、ラオスのPRSPと、みんな違う。
そこから先が非常に問題なのですが、それでCDFというのはどういう国についてつくられるかというと、それを必要と思うところにだけしかつくられない。具体的にいうと、大国は全くノーサンキューなわけです。中国もCDFはありませんし、インドもありません。ロシアもない、ブラジルもないわけです。要するに、自分たちで全部マネージできると思う国にとってはCDFはノーサンキューだし、PRSPもノーサンキュー。PRSPはIDAカントリーだけという意味でちょっと違いますけれど、CDFは少なくともない。我々のなじんでいる国の中で今CDFをやっているのは、私の知っている限り、ベトナムだけではないかな。あとはどこもCDFはないです。聞いたことはない。ダウンロードされてCDFをやっている国で、ASEANプラス3ほかあったら教えてほしいのだけれど、恐らくベトナムだけです。ですから、一番関心のある例えばタイとか、もちろん中国もないし、インドネシアもないと思います。CAS(カントリー・アシスタント・ストラテジーペーパー)はあるけれど。中国もCASはあります。
そういう意味で、自分で開発経済のリソースモビライゼーションができると自負している国は、CDFは全然要らないと。ドナーが集まって、どこが足りないかをアイデンティファイして、それをプレジングセッションで埋めていくという、そういうアプローチは余り要らないわけですね。そういう意味で、CDFというのは画期的なことであるという面もあるし、どちらかというと、中小・弱小国だけにしか受け入れられていない概念でもあるという、そこは念頭に置いておいた方がいいと思います。ですから、我々がASEANプラス3を前提に考える限り、CDF的なアプローチというのはもちろん重要かもしれないけれど、CDFそのものは現実には動いていないわけです。
日本がタイのCDFをやりますとかいってタイと合意してしまえば、ひょっとしたら、世銀抜きのタイのCDFというのはできるかもしれないけれど。そこまでアンビシャスにやるのであれば。中国は恐らく向こうからノーサンキューといってくるだろうけれど、タイだったらひょっとしたら違ってくるかもしれない。

もしそうだとすると、先ほどおっしゃっていたCDFがカバーしていないところを埋めるようなことを目指さなければいけないという議論は、余りできなくなるのではないでしょうか。つまり、ASEANプラス3はそもそもCDFの枠に入らないのでしたら、経済産業省が……。

こちら側からもっていかない限り。ですから、世銀主導のCDFはないと思っていいということです。日本産業が非常にステークが大きいと思う国についてCDF的なアプローチを向こうの政府と合意して、METIがそれのイニシアティブをとれる覚悟があるなら、やるべきだろうと思うし、そうでないなら、もう得意とするところだけを適当に取り上げて積み上げるということを今までどおりやるしかない。要するに、相手が動かなければどうにもならないので、水のところまで馬を連れていくことはできても、そこから先は水を飲むかどうかというのは相手国次第という面もある。それはさすがの世銀も認めざるを得なくて、中国が「嫌だ」といっているものをCDFをできないわけです。

岸本

せっかくの場なので、ドレスアップの仕方についてもぜひこの場で議論したいとは思いますが、むしろここでは、先ほど話がありましたが、世界が豊かになることが大事ということでやるのか、それとも、豊かになるなり方でも幾つかパスがある中で、FTAというのかわかりませんが、こういうパスについて我々は力点を置いていくのだということを考えながらこういう協力をやっていくのかどうか。そういう議論をしてもいいのかなという気がしていまして、要請主義だと、それぞれの途上国が自分でいいことを考えるという前提で、相手がいいことを考えているのだから、基本的には相手の考えを促してやればいいということだと思いますが、むしろそうではなくて、ポジティブに、アジアならアジアの固まりでこういう方向を目指すべきだとか、そういうことを我々が提案して、それが説得力をもつのか、それとも日本のエゴといわれるのか、そういう視点が1つあるのではないか。
もう1つが、方法論で人材育成でこういうことが本当によかったのかどうかとか、そういう方向性の議論もさることながら、人材育成はそれはそれでいいことだといわれればどんなやり方でもいいということではなくて、そのやり方についても議論があると思いますので、細かいことですが、そういうこともこの場で少し議論できればと思います。
ただ、ことしの限られたスケジュールの中でどこまで突っ込んでやるのか、それともことしに関しては総論の議論を中心にやった方がいいとか、そういうバランス論はあると思いますが、人材育成についても、産業ごとにやるのがいいのか、制度的にやった方がいいのかとか、そういう議論についても、多少実績もあって、反省もあったりしているものですから、そういうところも少し勉強していただいて、議論させていただければおもしろいのではないかなと思っております。  ドレスアップについては、またいろいろな場で勉強させていただきたいと思います。
私もここに来る前に2年留学させてもらって国際開発経済というものをかじっていたものですから、思うのですが、結局、今、トレンドになっているのは、CDFもそうですが、関係する人をみんな集めてみんなで議論すれば、そしてみんなが主体的に行動すれば援助の効果も増すので、できるだけいろいろな人をまとめてやれというのが、どちらかというとアジア系の人には当たり前の議論というか、談合的なことをすればいいということなので、中身としては全然おもしろくなかったのですが、ただ、立派だなと思ったのは、そういうものをリサーチ・カンファレンスからずっとプロセスを通じて合意形成を図っていくとかということについて、世銀の人かだれかがやっているのだと思いますが、それなりにフレームワークをつくっているので、余りそういうことになじみのない人でも、あたかも世銀がそういうことを考えたようにみえると。
日本は、そういうことは実際にはいろいろなところでやっているのだけれど、うまく説明していないものだから、談合とかといわれて、わけのわからないものだと思われてしまうというところもあるので、私はこういう書いているもの自体が間違っていないといわれるのが非常に心強く思うのですが、それが世の中でも受け入れられやすいようにお化粧していくとか、ちゃんとした説明をつけていくというのは、それはそれできっちりやった方がいいと思いますので、この場でそういうことを議論するのがなじむのかどうかわかりませんが、それもぜひ1~2回はやりたいなと思います。

世銀のまねをするのだったら、世銀のオーガナイズの仕方とか、そういうまねをすべきだと思いますね。出すレポートの質とか出すタイミングとか、そういうものも表現力のうちだし。フレームワークが一緒になれば、日本の考え方と世銀の考え方は議論して矛盾がないというのがわかると思うのですが、日本は何もみせるものがないので。

世銀の話というのは提案者に調べさせまして1度ご報告をしたいと思います。
議論は尽きないと思いますが、きょうは時間を過ぎましたのでこの辺で終わりたいと思います。どうもありがとうございました。

――了――