夏休み特別企画:フェローが薦めるこの1冊'07

『地震イツモノート』

山口 不二夫顔写真

山口 不二夫(明治大学グローバル・ビジネス研究科教授)

研究分野 主な関心領域:企業の無形資産とその公表様式・評価の研究、非営利組織の会計と業績評価:とくに貨幣的に評価されにくい無形資産やサービスの価値の測定、Non Monetary Accounting(非貨幣会計、物量会計)の史料研究・実証研究とその理論化

『地震イツモノート』地震イツモプロジェクト編 木楽舎 (2007)

『地震イツモノート』表紙 1995年1月17日5時46分52秒、北緯34度36分東経135度02分、深さ16キロメートルを震源とするマグニチュード7.2、いわゆる兵庫県南部地震は発生した。6436人の命が失われ、家屋の全半壊25万戸、被災者は30万人に達した。本書は、あとで紹介する『地震EXPO』のプロデュースにあたった永田宏和氏が企画し、大阪大学でボランティア人間科学講座を担当し被災者でもある渥美公秀氏によって監修された。

本書は167人にのぼるアンケートとヒヤリングにより、地震の発生から時間をおって何が起きたか、そして何を感じたか、何をして、何が必要であったかを、多くの人の視点で捉えていく。地震が起きた瞬間、その直後、救護活動、避難生活、その後について、多くの人の生の声で構成されている。ほかの多くの地震に関する本や対応マニュアル本より、実際の地震とそこで発生するさまざまな「事件」や人間ドラマを実感できるように構成されている。それは日常のわれわれの予想する世界とは隔絶した非日常である。本書を読んだあとでは、これまでの地震への備えは、ほとんど意味がなかったとさえ思えてくる。

震災時に生き残るためには、「運」、「普段の備え」に加えて「地域コミュニティの存在」が必要なことがわかる。運と備えが必要なことは、容易に想像できるであろう。なぜコミュニティが必要か。阪神淡路大震災のとき30万人の被災者に対して、地震当日に救出活動にあたることのできた消防庁の救助隊は1497人、自衛隊は8410人であった。倒壊した家屋から救出された人のうち約8割が近隣の住民の手によってであった。さらに震災復興の面でも、地域コミュニティの存在した地域は、早く立ち直っていった。救出活動、第一次復興の面において「隣の人とあいさつしているそれが大きな防災」という結論が出てくるのである。

現代の日本社会の抱える課題を考えるとき、課題の陰に日向に、ある問題が存在していると、わたしは考えている。それはコミュニティの崩壊である。現在の日本では地域コミュニティのみならず、学校・会社内のコミュニティ、家庭内コミュニティでさえ危機的状況にある。あることが当たり前と考えてきたコミュニティがいとも簡単に瓦解してしまったというのが、今の状況ではないか。それにともなって少子高齢化にかかわる問題、地域格差、安全安心の確保などの問題が浮上してきた。たとえば高齢化や地域の安全確保について考えてみよう。解決方法としては、セキュリティシステムの導入、地域ガードマンの雇用、高額老人ホームなど快適な生活を市場で購入するという方法もある。もう1つの解決方法として、地域共同体の復活という方法もありえる。EUではそれをナレッジスペース(知識空間)の創出として考えているようである。豊かなコミュニティは快適さや創造力の源泉であり、そのようなナレッジスペースをいかにして地域や職場や家庭に創出していくか。現代の日本では、この2つの方法を排他的な方法と考えるべきではなく、両方法を並行して推し進めるしかない。その点では、地震の対応は有事への備えであるが、地域コミュニティの復活という点からは、平時の地域の生活を豊かにする方向性を含んでいる。

実際、わたしの住む地域では、数年前から町会内に一般住民による「レスキュー隊」が発足した。レスキュー隊の活動は、震災直後に「お互いに助けよう助かろう」というものであるが、避難拠点(小中学校)での運営活動も視野においている。昨年から中学校の生徒に正規の授業時間の中で地域に出て、地域の人や「レスキュー隊」の指導の下で防災訓練(被災情報収集、情報伝達、消火、けが人搬送、炊き出し、応急救護)を行いだした。この有事の訓練の効果は意外なところに現れた。地域内の犯罪とくに空き巣が大幅に減少したのである。また、塀の崩壊・類焼抑制を考えて、ブロック塀を生垣に戻す家も増えてきた。そのうえ防災を中心とした、新たなお祭り「命きずな祭り」まで出現した。環境美化や安全安心を唱えてもなかなか住民は結束しなかった。しかし、現時点では防災という視点により地域コミュニティは活性化する。

本書にはさらに面白い視点がある。それは「防災といわない防災」である。それはすでに述べた、地域連携にくわえて「スポーツという防災」「アウトドアという防災」である。とくにアウトドアグッズは究極の防災用品であるという指摘がある。さらに実は、本書はこの4月に横浜で開催された『地震EXPO』のガイドブック代わりに出版されたそうである。この地震EXPOでは地震の現実やその対応に加えて、デザイナーやアーティストという新たな視点があった。防災グッズをデザイナーがデザインする。何人もの若いアーティストが避難所をデザインして、実際に旧日本郵船の倉庫跡に一時避難所を作っていたのだ。

有事の防災への対応が、平時の私たちの安全安心をもたらすことは知られてきていた。そのうえ防災がアートや知的資源をはぐくむというのは、今後の方向性を示唆する企画として特筆すべきものであったと思う。コミュニティという防災。本書には触れられていないが、その行間にこめられている、アートや知的資源としての防災という視点から本書を推薦する。

2007年8月31日