夏休み特別企画:フェローが薦めるこの1冊'05

『ガリア戦記』

山口 不二夫顔写真

山口 不二夫(ファカルティフェロー)

研究分野 主な関心領域:企業の無形資産とその公表様式・評価の研究、非営利組織の会計と業績評価:とくに貨幣的に評価されにくい無形資産やサービスの価値の測定、Non Monetary Accounting(非貨幣会計、物量会計)の史料研究・実証研究とその理論化

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『ガリア戦記』カエサル著 近山金次翻訳 岩波文庫(1964)

『ガリア戦記』表紙古代ローマの意義とカエサルの業績は、日本でもう少し注目されて良いのではないかと思う。古代ローマ時代は建築面では評価されているが、それ以外の学術・文芸面ではギリシア時代に遠く及ばないというのが定説である。そのなかで唯一、例外としてローマの生んだ創造的天才はカエサル(Gaius Julius Caesar,紀元前100年~44年)だといわれている。カエサルの魅力は、時代を超越した精神の明晰さにある。カエサルの明晰さは、その政治的な業績の中に第一に見るべきであるが、『ガリア戦記』にも遺憾なく発揮され、文筆家としてのカエサルの名を不朽のものとしている。同書は紀元前58年~51年にかけて8年間にわたるカエサルのガリア遠征について自ら筆をとり記述した本であるが、学術的にもガリア人やゲルマン人の風俗についての重要な史料である。

わが国の財界誌では人事管理やリーダーのモデルとして、ほとんど定期的に日本や中国の戦国武将が特集される。リーダーとしての条件や資質、人事管理の要点を議論できるのが便利なのであろう。ローマ時代の英雄たちの生涯や業績は、それらにまして面白い。その理由は近世以前の日本や中国に決定的に欠け、現代で重要な視点、民意の把握や弁論・論理による説得の重要性があるからである。さらに古代ローマの統治方法は、ヨーロッパの古今のエリートたちの思考方法に通じている。間違いなく彼らは古代ローマを世界統治の手本にしている。それが19世紀にヨーロッパで盛んにローマ帝国が研究された理由である。ローマの国境すなわちヨーロッパを策定し、そこでの統治方法もカエサルの発明なのである。

カエサルの統治方法の要点は、敗者を赦しローマの経済圏に組み込むことでローマの恩恵に浴させ、安定化させ、秩序を維持するというものである。この秩序の維持方法はカエサルの個人的人間関係にも当てはまるようである。

カエサルをよく知る人がよくいう彼の「すばらしさ」のひとつに、巨額の借財と多くの愛人を持ちながら、決してもめたことが無いという点がある。カエサルはライバルたちに比べると政治的・軍事的業績では遅咲きで、彼がまず、ローマで有名になったのはその借金の大きさと伊達男ぶりであったという。カエサルは個人的な蓄財は眼中になく、お金は愛人へのプレゼントと公共事業に費やしていた。これは古代ローマでは普通でアッピア街道、フラミニア街道など資金の拠出者の名前がいまでも残っている。とにかく信じられないことに、クレオパトラだけでなく、友人や有名な政治家の妻が次々とカエサルの愛人となる。カエサルを暗殺することになるブルータスの母親もカエサルの愛人であった。

カエサルはキケロと並ぶローマ第一の文章家といわれている。ただし、死後、カエサルは神格化されたため『ガリア戦記』『内乱記』『小カトー論』以外には、著作はほとんど残っていない。養子オクタビアヌスによって焚書の対象となったのである。おそらく膨大な数のラブレターは神格化の妨げになると判断されたのであろう。そんな彼の書いた本を2000年の時を超えて読めるとは、なんとすばらしいことか。

そのほか、古代ローマ学は時代に応じて常に新たな視点で取り上げられている。最近は中心・周辺という視点での議論が盛んであるが、そのような視点から読んでも同書は興味深い。古代ローマ帝国を詳しく知りたい方は、塩野七生さんの『ローマ人の物語 ユリウス・カエサル』新潮社、弓削達さんの「ローマはなぜ滅んだか」講談社現代新書、「世界の歴史〈5〉ローマ帝国とキリスト教」河出文庫などを参考書にしてください。