夏休み特別企画:フェローが薦めるこの1冊'03

『趣都の誕生 萌える都市アキハバラ』

中村 伊知哉顔写真

中村 伊知哉(コンサルティングフェロー)

このフェローの他のコンテンツを読む

『趣都の誕生 萌える都市アキハバラ』森川嘉一郎著 幻冬舎 (2003)

『趣都の誕生 萌える都市アキハバラ』表紙 やっと梅雨があけた。夏である。今年は夏休みイベントとして、子どもアニメ教室を開いている。東京大学の先端科学技術研究センターに18人の子どもが集い、3日がかりで、ねんどを使ったアニメーションを作っている。ストーリーを作り、キャラクターを描き、ねんどをこねて、コマ撮りし、編集し、音声を入れて、作品をブロードバンドで世界に見せる。ポップでキュートな短編が生まれていく。大人が舌を巻く出来栄え。日ごろテレビやゲームで鍛えていることがうかがえる。
アニメやゲームは成長産業として期待されているようだ。政府が7月にまとめた知的財産推進計画も、「『知的財産立国』を目指す我が国にとって、世界的にも優位にあるコンテンツ(映画、アニメ、ゲームソフトの著作物等)を活用したビジネスを飛躍的に拡大することが必要不可欠」としている。
しかし、産業としての規模は決して大きくはない。アニメもゲームも市場規模は1兆円に至らない。いわゆるコンテンツ産業全体でも11兆円程度で、GDPの2%に過ぎない。しかも、ゲームやマンガ、音楽といったジャンルはここ数年シュリンク気味だ。そして、これらコンテンツ産業は極端な東京集中である。アニメ産業は82%の企業が東京に集中していて、特に練馬・杉並など中央線沿線に密集している。

ある日そんな入門書のような話をしていたら、国際大学グローコムの東浩紀助教授から、いま状況は大きく変わっているという指摘を受けた。アニメやゲームのパワーは、中央線沿線から東へ移り、秋葉原がメッカになっているのだという。そして紹介された参考書が「趣都の誕生」である。なるほど、見慣れたはずのアキハバラの光景は、本書のように俯瞰してみると、ニッポンやデジタルの変動を鋭利に象徴している。
まず本書は、このカルチェがここ数年の間に電気の街からアニメ・ゲームの街に変化したことを指摘する。テクノロジーの街からオタクの街に変身したというのだ。「ハードからソフトへ」というのは使い古された産業史観だが、電気製品の中心地がオタクの聖地に変貌をとげたという史実は、劇的な進化とも読み得るし、新しい主役がまだ産業たりえていない点で退化とも言える。
次いで著者は、「アメリカから日本へ」という動きに着目する。「秋葉原のネオンは赤と白が多い。ポスターのモデルも日本人が多い。以前から売られている電気製品も、新しく入ってきたオタク系商品も、日本製という側面で通底している」と指摘する。
いま、戦後かつてないほど、「ニッポン」が高揚している。ダグラス・マクグレイが「グロス・ナショナル・クール」と呼んだように、海外から日本はカッコいいというラベルを貼られつつある。一方、国内では、香山リカが「ぷちナショナリズム」と名付けたような社会の右旋回が露呈している。そんなことにおかまいなく、リュックを背負い秋葉原をうごめく若者たちは、どうにも屈託のないニッポンを表している。

第3に、より重要な指摘は、秋葉原がビジネスから趣味へというトレンドを示しているという点だ。「趣味が、都市を変える力を持ち始めたのである」。「秋葉原のオタク街化が都市史的に前代未聞なのは、大企業による戦略的開発ではなく、人格の地理的な偏在によって発生したものだからである」。
大資本の介在も、メディア産業のプロデュースもなく、オタクが勝手に集まっちゃったのだ。著者はこれを「個室空間の都市への延長」と表現する。「提供者から利用者へ」のパワーシフトと言い換えてもよかろう。中央線沿線という旧市街は、プロの提供者たちの溜まり場であった。これに対し東方の新しい聖地は、審美眼を持つコンシューマーの集積が形づくっている。
より正確には、「生産と消費の融合」ということかもしれない。オタク層は、ポップの消費者であり、生産者でもある点が特性をなす。そして、消費者の台頭や、生産と消費の融合といったネットワークがもたらす経済社会の変動は、付加逆的な運動である。産業は盛衰する。国際関係も変化する。だが、秋葉原が示すこの第3のシフトは、かなりの間、持続する。
問題は、こうした状況が次に何をもたらすかだ。失われた10年の間に、静かに、強く地殻を揺らしつつヌッと現れたアキハバラなるものは、全国そして海外への伝播力を発揮していく。それは、知的財産基本法第一条にいうような「産業の国際競争力」にとどまらず、国の顔かたちや安全にとっても重大な作用をもたらすはずだ。
うだうだ言うより、遊びに行きたくなってきた。書はもういいや、ペットボトルとケータイをリュックに詰めて、炎天下に萌える都市アキハバラへ出よう。