夏休み特別企画:フェローが薦めるこの1冊'03

『転落の歴史に何を見るか―奉天会戦からノモンハン事件へ』

中林 美恵子顔写真

中林 美恵子(研究員)

『転落の歴史に何を見るか―奉天会戦からノモンハン事件へ』斉藤健著 ちくま新書 (2002)

『転落の歴史に何を見るか―奉天会戦からノモンハン事件へ』表紙 最近、人に薦めたくない本には結構出くわすのだが、堂々と薦められるというのが意外に少なくて、自分の貧しい読書ぶりに恐縮してしまう。それでも、斉藤健著『転落の歴史に何を見るか―奉天会戦からノモンハン事件へ』は、薦められる一冊と思う。174ページという短さの新書だから軽く読めるものと思いきや、意外に中身の濃い本なので満足度も高い。著者は現役の経産省官僚。おそらく彼自身の日常の仕事や組織を通して日本を見るうちに問題意識が深まり、その問題の源を探っていくうち歴史を紐解くことになったと思われる。著者は、戦前の帝国陸海軍の転落の歴史の原因として、日本のリーダー達の道徳規律の変化と組織の問題点を挙げていく。それらは、現代においても見事に一致する。

日露戦争の輝かしい勝利から第二次世界大戦の惨めな敗北の原因は、日本人の中にある。水兵の失業問題を理由に、第二次世界大戦で空軍への戦略変換をできなかったのも当の日本人。物事の本質よりも人情が大事。日露戦争を勝利に導いた明治の元勲達も、システムを確立し後世に伝えることができず、次の世代を育てなかった。その結果は、政略に練達した本物のジェネラリストの枯渇。組織では、安易な希望的観測が横行し、異分子の排除、独創性の軽視、そして「日常の自転」が起こり、「思考停止」に陥る。国家全体を考えるリーダーが居なくなり、セクショナリズムが強まると隠蔽体質が根付く。お題目が組織を支配し、人事がゆるむ。戦争は精神力で何とかなるという転倒したロジックさえまかり通る。これらが奉天会戦からノモンハン事件までの34年間に起こった。

そうした様子を読むにつけ、目が覚める気持ちになる。私は「戦争は全て日本人が悪かった」という平和主義者の思考停止ぶりに嫌気がさしている者の1人であるが、そうした思考停止の一因が、今も戦争中も、とことん正直・冷徹に事実を突き詰められないメンタリティーや組織にあったと分かる。そして著者が指摘する太平洋戦争に関して信頼できる戦史さえ残されていない理由も、実は同じである。私たちは懲りずに、また同じような転落のロジックを繰り返すのだろうか。著者の説く政・官のエリート養成や現代世代間分析による解決策には個人的に異論が残るものの、日本の転落の歴史に見る問題点や弱点において説得力があり、短いけれど中身の濃い本である。解決策については各人が考えるという意味で、夏休みにお薦めしたい一冊だ。