夏休み特別企画:番外編 スタッフが薦めるこの一冊'02

『バルサとレアル』

澁川 修一(情報システム/研究スタッフ担当)

『バルサとレアル』スペイン・サッカー物語 フィル・ボール著 近藤隆文訳 NHK出版 (2002年)

『サッカーの敵』表紙 この本は、スペイン北部、バスク地方のサン・セバスティアンに居住する著者(イギリス人)が、スペイン・フットボールの源流と、それが人々を引き込んでいく源泉「モルボ"MORBO"」についてさまざまなクラブを訪ね歩いた取材を基にまとめたものである。(原題:"morbo: The Story of Spanish Football"[WSCBooks,2001])この"MORBO"とは、「因縁」「対立」「憎悪」というような単語を1つにしたような意味の単語であるが、これが、スペインのフットボールを貫く基本概念なのだという。
よく知られたモルボとしては、スペイン内戦と、それに続くフランコ独裁政権という歴史に端を発する、カタルーニャとカステーリャの対立が、FCバルセロナとレアル・マドリーという二大強豪クラブの対決に引き写されたものがある。

実はスペインは、連合王国といった感があり、カステーリャとカタルーニャ以外にも、地域のアイゼンティティが、たとえばバスク地方(アスレティック・ビルバオとレアル・ソシエダード)などに代表されるように非常に強く、対立が激しい。また、同じ街の中でも、異なるクラブ(セビーリャとベティス)間のライバル関係は非常に熱い。このような背景のためか、面白いことにスペインでは代表チームよりもクラブの方を熱心に応援するファンも少なくない。これはどうして? という問いに対しての答えが「モルボがあるから」なのである。(ただし、日本語版では、"MORBO"という言葉が一般になじみにくいのか、邦訳版の出版の際に「バルサとレアル」という、スペインの二大クラブの名前を用いたタイトルに変更されてしまった。出版部数を上げる策だろうが、私から見れば、本の価値を貶めているだけである)。

著者のボール氏は、クーパー氏と同じく、イングランド人らしい客観的、且つウィットに富んだ筆致で物語を進めていくが、そこで明らかになるのは、モルボというものの、人々を掴んで止まない魔力もさることながら、そのモルボが「さまざまな出来事をもって」拡大再生産されていくという事実である。これは「サッカーの敵」にもさまざまな例が出ているところであるが、もはやそのレベルは、「モルボがあるから対立する」というより「モルボをさらに強化するために対立する=燃料を注ぐ?」という状態に達してしまっている。

ここ10数年でモルボが最高潮に達したのが、2000年夏に起こった、FCバルセロナのスタープレイヤー、ルイス・フィーゴがよりによって因縁のライバル、レアル・マドリーへ移籍した事件であった。即座にフィーゴの経営する日本料理店(彼は日本通である)が襲撃され、フィーゴがレアルに移籍後始めて開催されたバルセロナでのレアル戦(スペイン・ダービー)では、バルセロナ市民は「"Figo, Pesetero"(金の亡者フィーゴ)」というバナーと、すさまじいブーイング、コイン、携帯電話、フルーツの集中砲火をもって彼を迎えた。そのため、フィーゴは本来の持ち場である右サイドに近寄ることすら出来なかった。
どうやら、バルセロナ市民はフィーゴが1995年にポルトガルから移籍してきて以来クラブにもたらした数多くのゴールや栄光を、きれいさっぱり忘れ去ってしまっていたらしい。

このようにスペインでは、フットボールを単なるスポーツ競技ではなく、社会・文化としての位置づけを「持たせる」ため、ある意味虚構としての「モルボ」が存在し、それがスペインにおけるフットボールを熱狂的なものにしているという作業仮説の下、ボール氏は、スペインのフットボールの歴史を、イギリス人の鉱山技師の手によりフットボールが持ち込まれたスペイン南部、ウエルバ訪問を皮切りに、歴史的叙述と各都市への取材を織り交ぜながら丁寧に解題していく。特にFCバルセロナとレアル・マドリーの二大クラブにはかなりの分量が割かれ、丹念に歴史を紐解きながら、両クラブの草創期、黄金期(1950年代にレアルは欧州チャンピオンズカップ5連覇という偉業を達成した)、フランコ独裁政権との関係などについて詳述する。これらは目を見張るほどの情報量であり、サッカーを通した、スペイン現代史といった趣すらある。

この本は、イングランドでもっとも著名なFootball Fanzineである"When Saturday Comes(WSC)"の別冊として出されたものであるが、まさにイングランドでのフットボール評論のレベルの高さを示す一冊といえよう。

澁川 修一(情報システム/研究スタッフ担当)
※必ずしもこの服装で執務しているわけではありません
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