夏休み特別企画:番外編 スタッフが薦めるこの一冊'02

『アメリカの民主政治』

熊谷 晶子(広報担当)

『アメリカの民主政治』 A・トクヴィル著 井伊玄太郎訳 講談社学術文庫 (1987年)

『アメリカの民主政治』表紙 本書はフランス人貴族、トクヴィルによって約170年前に書かれたものである。王制から共和制へ向かう時代の流れの中、1831年、弱冠26歳のトクヴィルはアメリカの刑務所制度の研究をするという使命を受けて渡米、全国を精力的に旅行し、多くの著名人や一般の民衆からさまざまな話を聞いて回った。この経験を下に著された本書はトクヴィルの代表作の1つであり、彼は「アメリカにおいてアメリカ以上のものを見た」といっているが、民主主義そのものについての深い洞察が見られる。民主主義といっても単に政治学的な制度としてではなく、民主主義が知的運動、感情、風習(mores)に与える影響などが克明に描かれている。

多くのトクヴィル研究者がさまざまな立場から彼に関する研究を行っており、トクヴィル学会があるのはもちろんのこと、トクヴィルに関するホームページのサイトもあれば「ネオトクヴィリアン派」などと呼ばれる政治学の一派もある。すでに有名な本著に学術的な批評をするつもりは毛頭ない。ただ、10代、20代のある時期アメリカで過ごした私は、外国人としてアメリカを観察した彼の視点に共感し、翻って外から日本社会を見る際の切り口をこの本から教わった気がする。トクヴィルが本書で記しているアメリカ人の国民性や社会のダイナミックさ、問題点は現代のアメリカに引き継がれている。

私がアメリカに行って驚いたことの1つはアメリカ人が自分の住んでいる国や住んでいる土地に対して強い誇りを持っていることである。愛国心に関してトクヴィルは次のようにいっている。「ニュー・イングランドの住民たちはその共同体に強く執着している。けれども、それは彼らがそこで生まれたためではなく、彼らの一人一人が共同体の一部を構成していて共同体を統導しようとして払う苦労に値するだけの自由で強力な団結を、この共同体のうちに見出しているからである」。組織に属している人は自分の意思で組織運営に携わっているからこそ、その組織に強い関心を持つということだろう。さらに、トクヴィルは「地方分権の行政的諸効果ではなく、その政治的諸効果」に最も感銘を受けたと述べている。確かに大勢が参加すればするほど、物事を決定するのに要する時間がかかってしまう。それでも政治に参加することは最良の政治レッスンということだろう。アメリカ人はとことん議論するのが好きであるし、さまざまな活動に積極的に参加し、しかも楽しんでいた。トクヴィルはアメリカ人のことを「対談はできないが、討論し、談話しないが、論争する」と表している。日本人はどうだろうか。討論したり、論争したりする訓練をあまり受けていないので、そもそも何も議論しないか、喧嘩になってしまう場合もある。とことん意見を戦わせて違いを認識し、納得し合うプロセスが民主主義の第一歩なのかもしれない。

また、トクヴィルは民主主義の欠点として「多数者の専制権力(tyranny of majority)」を指摘している。彼は「多数者の支配が絶対的であるということが、民主的政治の本質」であるといい、多数者の前には何者も無力で、少数派の声に耳を傾ける余裕も感じられないような事態は危険だと忠告している。世論が多数者を作り出す。立法団体も多数者を代表してこれに盲従している。執行権力も多数者によって任命される。警察は武装した多数者であり、陪臣は逮捕を先刻する権利を与えられている多数者、さらに判事たち自身も一部の州では多数者によって選ばれているという状況では、少数派は不条理に遭遇しても誰にも訴えられない。実際トクヴィルはこのような「圧制」が頻繁にアメリカで行われていたといっているのではなく、そのような「圧制」を防止する保障がないことを危険視していた。

それにしても「多数派」は他でもない市民なのである。日本でも政と官の関係が問題になり、政治家の不甲斐なさを指摘する声も多い。また、マスコミの報道振りを嘆く人もいるが、代表を選ぶのは市民であり、メディアは多数の市民が好むものを提供しているのである。これらは市民のレベルを反映しているのである。しかし市民=衆愚ではない。情報化、グローバル化を利用してエンパワーされた新市民層が厚くなれば日本特有の民主主義も成熟すると思う。

「北アメリカの地形」と題する最初の章では森林や大草原、イギリスの植民地が建設された大西洋岸などについて書かれている。アメリカはヨーロッパと全く異なる、恵まれた土地に生まれた新しい民主国家であった。トクヴィルは「諸民族は常に自らの起源を感知している。その出生にともない、そしてその発展に役立った諸事情は、その残りの全生涯に影響する」と述べている。トクヴィルは政治制度のみならず、アメリカ人の信仰心や感情、人間関係、女性の生き方、作法、新聞・ジャーナリストやお金に対する考え方など、社会学的な本質を詳細に観察し、民主主義がこれらの風習にどのように作用しているか、またこれらの風習が逆に民主主義にどのような影響を与えたのかを克明に描いた。さらに本書ではアメリカ人の持つ集団的な記憶が彼らの心理的な面に及ぼす影響をも分析されている。何度読み返しても新しい発見のある本である。

熊谷 晶子(広報担当)
このレビューに対する熊谷さんへのEメールはこちらから