年金制度に関する二つの誤解

執筆者 吉冨 勝  (研究所長) /細谷祐二  (研究調整ディレクター) /(吉冨 勝研究所長 責任編集)
発行日/NO. 2005年5月  No.02
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概要

日本の公的年金については、二つのよく聞かれる議論がある。第一は、世代間の不公平であり、高齢者世代が受けとる年金給付額はこれらの世代が支払う拠出保険料よりも多く、給付/拠出の比率が高いが、若い世代になればなるほど、この給付/拠出の比率が低下していくという議論である。第二は、若い世代の給付/拠出の比率が1を割るため、若い世代による保険料拠出のインセンティブは低下し、年金制度が破綻してしまうという議論である。



本稿は、この二つの問題によくみられる基本的な誤解に焦点を絞って論じる。第一の世代間の不公平問題については、賦課方式の年金制度を採用すると、程度の差こそあれ、どこの国でも発生する必然的な問題であり、これと関連してよく議論される年金純債務は隠れ国債と同じだという議論が正しくないことを明らかにする。第二の若い世代の給付/拠出の比率が1を割るという議論は、2004年度の年金制度の改革ではモデル世帯(夫と専業主婦の妻の世帯)を見る限り、生涯保険料=生涯給付の等号が成り立っている。すなわち保険料拠出総額の割引現在価値と年金給付総額の割引現在価値が等価となるという「数理的公正」が保たれているという事実を無視している。



こうしたよくみられる誤解をただしていくと、今後の我が国の年金制度の在り方を考える上で必要な二つの基本的視点が明らかとなる。第一は、毎年のフローの年金財政を均衡させることである。これによって年金制度の持続可能性への信頼が確保される。しかし団塊世代の引退のように人口構成の変動が大きい場合、フローの均衡を助けるために、賦課方式の下でも一定の積立金を残しておくことが必要である。第二は、個々人の年金について可能な限り「数理的公正」を確保することである。なぜなら、保険料負担が必ず年金給付として戻ってくるのであれば、保険料は個々人の貯蓄に近いものとして認識され、労働供給など資源配分の効率性に悪影響を与えない可能性が高いことである。これに対して、保険料負担が年金給付として十分に戻ってこないと保険料は税として各個人に認識され、日本の経済社会の活力が失われるなどさまざまな悪影響が生じる可能性があるということである。したがって、「国民負担率」の概念についても、国民負担を税と保険料負担の合計値としてとらえることは、賦課方式の下でも数理的公正が保たれる制度改革を行うと、必ずしも正しくなくなってくる。