解説者 | 戸堂 康之(プログラムディレクター・ファカルティフェロー) |
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発行日/NO. | Research Digest No.0152 |
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中国の習近平国家主席が2013年に打ち出した一帯一路構想は、2023年12月時点で参加国が151カ国に達する広大な経済圏に発展している。一帯一路は、世界各国に融資して交通・エネルギー・情報通信技術(ICT)のインフラを整備することで中国との政治・経済的関係を強化するものであり、各国にさまざまな影響を及ぼしている。RIETIプログラムディレクター・ファカルティフェローの戸堂康之氏は、一帯一路に参加することがその国の直接投資や貿易にどのような影響を与えるのかを分析し、これまで3本の論文に取りまとめてきた。今回はその分析結果から示唆されることを戸堂氏に尋ねるとともに、日本が今後とるべき方向性や展望について話を伺った。
一帯一路研究を始めた動機
張:今回の一帯一路に関する研究の問題意識、研究を始めた動機について教えてください。
戸堂:RIETIのプロジェクトで、東日本大震災などを契機に、サプライチェーンを通じた経済ショックの伝播に関する研究を兵庫県立大学の井上寛康さんと始めました。研究を進めるうち、サプライチェーンの強靱化に関連して経済安全保障の問題が出てきたため、そうした分野にも研究を広げて分析してきました。そこから分かったのは、サプライチェーンをグローバルサウスを含めて多様な国に拡大することが、サプライチェーンの強靱化にも、経済安全保障にもつながるということでした。
一方で、中国は一帯一路構想によってグローバルサウスとの経済的・政治的関係を強化しており、それに伴い日本はグローバルサウスとの関係が停滞してしまっています。実際に東南アジアを訪れると、日本に対する見方が20年前と大きく異なることが目に見えて分かるので、その影響を経済学的にデータで実証したいと思って分析を始めました。当初は3本も論文を書く予定はなかったのですが、幸い共著者に恵まれ、最初の論文を拡張する形で3つのテーマについて研究することができました。
張:先生の書かれた3本のディスカッション・ペーパー(DP)で、一帯一路構想が中国、アメリカおよび主要投資国からの直接投資に与える影響(DP①)、西側諸国に与える経済・政治的な効果(DP②)、それから中国への輸出に及ぼす直接的・間接的な影響(DP③)について、それぞれ分析結果を教えてください。
戸堂:DP①では、一帯一路に参加することで、その国への中国と米国からの直接投資は増えるものの、日本やドイツからは変わらず、英国からは減るというふうに、直接投資への効果は投資国によって変わることが分かりました。それは、米国は戦略的対抗の必要性、英国は経済安全保障上の懸念からなど、国によって一帯一路に対していろいろな対応をしたからではないかと思います。
DP②では、一帯一路参加国での日本のインフラプロジェクトや参加国から日本への要人訪問数が減っていることが分かりました。つまり、日本と一帯一路参加国の経済的・政治的関係は縮小してしまったわけです。
DP③では、一帯一路参加国から中国への輸出について見たところ、やはり増えていることが分かりました。さらに中国以外への輸出も増えており、一帯一路に参加することで中国との関係が強化されただけでなく、国としての輸出力が増大したと解釈できます。また、一帯一路に参加しておらず、参加国と同じような産業構造を持っている国は対中輸出を減らしているので、一帯一路に参加しないことによって不利益を被っていることも見えてきました。一帯一路が参加国だけではなく、参加国以外の貿易や投資などの経済活動、政治的関係にさまざまな影響を及ぼしているといえます。
先行研究との違い
張:先行研究との違いについて教えていただけますか。
戸堂:DP①に関しては、中国から一帯一路参加国への直接投資の効果を見た論文はこれまで多くあったのですが、それ以外の国から投資への効果を分析したものはなく、しかも投資国によって効果が異なることを明らかにした点は先行研究と大きく異なると思います。DP②は特にインフラプロジェクトや政治的関係を表す要人訪問数などへの影響を分析した点が特徴的だと思います。DP③については、一帯一路が参加国の対中輸出に及ぼす影響に関する先行研究はあったのですが、非参加国への影響に関する分析はこれまでなかったので、そこが新しいところだと思います。
張:一帯一路構想によって、参加国と各投資国との間で直接投資に変化が生じただけでなく、インフラ分野における国際競争力や産業別の直接投資の構成が変化したと考えられないでしょうか。また日本の場合、中国と直接競合しているインフラ分野での直接投資が減少し、直接競合していない環境やエネルギーなどの分野で直接投資が増加する可能性はないでしょうか。
戸堂:むろんインフラ投資によって対中輸出や中国からの対内直接投資が増える可能性もありますが、中国との政治的なつながりを強めることで対中貿易投資も増えていくこともありえます。DP①③では、メカニズム分析を行って、対中輸出はインフラが、対内投資は政治的関係が重要であるという結果が出ています。また、DP②では一帯一路参加国での日本のインフラプロジェクトが減っていることが分かっていますが、これは中国のインフラにクラウドアウトされてしまった結果でしょう。さらに、政治的な関係も縮小していますので、一帯一路による二国間の政治・外交関係の変化が経済関係に影響したと考えられます。ですので、一帯一路の影響はインフラだけではなく、政治的関係も作用していると結論付けられます。
張:今言われたDP②の分析結果ですが、そもそも一帯一路に関係なく、インフラ分野における日本の人材不足や競争力、また日本の経済力の低下が要因となって、外交力も低下していると考えられないでしょうか。
戸堂:この研究では、一帯一路参加国と非参加国を比較した上で、参加国の方が日本のインフラプロジェクト受注が減っていることを示しています。日本が経済や外交においてプレゼンスを下げているのは否定できない事実ですが、それ以上に一帯一路によって参加国との経済関係、政治関係が縮小してしまっているわけです。
ただ、参加国へのODA供与額や日本からの要人訪問回数は減っていないので、全ての分野で政治経済関係が縮小しているわけではありません。DP①でも一帯一路参加国に対する日本からの直接投資は減っていないことが示されているので、一帯一路はいろいろな分野に異なる影響を及ぼしていると考えられます。ですから、それをうまく解釈して対処していくことが大切だと思います。
一帯一路が日本に与える影響
張:DP①と②では一帯一路が日本の直接投資やインフラ輸出に与える影響が分析されていますが、DP③では日本の輸出に与える影響は特に分析されていません。一帯一路は日本の輸出にどのような影響をもたらしたと考えられますか。
戸堂:直接投資をすることで、日系企業が日本と貿易をすることはよくあるわけですから、投資と貿易は密接な関係があり、一帯一路が日本の輸出を減らしている可能性はあると思います。
張:2013~2021年に中国が一帯一路参加国に対して行った財政支援は総額210兆円に上ると試算されていますが、2018年以降はいろいろな要因から急減しています。一方で2018年以降、一帯一路に参加した国は80カ国あり、約半数を占めているので、2018年以前に参加した国と以後に参加した国で貿易投資への影響が異なるのではないでしょうか。
戸堂:その可能性は十分あると思います。今回採用した方法では参加年による効果の違いを推定でき、最近参加した国の方が影響が比較的小さくなっています。しかし、最近参加した国はデータが少なく、効果の発現には時間がかかるので、DPではその結果をあまり強調していません。今後さらに新しいデータが得られれば、そのあたりはよりはっきりするかもしれません。ただし、トランプ米政権の保護主義政策によってグローバルサウス諸国における一帯一路の役割が再評価されてきており、今の時点では一帯一路の効果が減ってきていると結論付けるのは尚早であるとも思います。
分析手法について
張:いずれのDPでも使われている「積み重ね差の差分析(staggered DID)」について教えてください。
戸堂:差の差分析は近年急速に発展し、さまざまな政策効果分析に利用されています。ただし、この手法の根本的な前提となっているのは、一帯一路に参加した国の貿易や投資の変化が、参加前には非参加国と平均的には同じであったということです。そうでなければ、参加の効果と参加国と非参加国の潜在的な差を区別できません。論文ではその前提が満たされるような工夫をして分析しています。
さらに、政策介入の時期によって効果が異なる場合には、通常の差の差分析で推定すると結果に偏りが生じることが知られています。それを修正した上で、平均的な効果を推定する手法が積み重ね差の差分析です。ですから、一帯一路のように参加年が国によって異なり、しかも初期に参加した国の方が効果が大きい可能性がある場合にはこの手法が適しています。
DPからのインプリケーション
張:3本のDPを通してどのようなインプリケーションがありますか。
戸堂:一帯一路構想は各国にいろいろな形の影響を及ぼしており、それをしっかり見据えた上で、政策立案や企業経営に当たることが大事だということです。私の分析では、一帯一路によってグローバルサウスが中国とのつながりを強め、そこから経済的な利益を得ていることが分かっています。しかし、日本から一帯一路参加国への直接投資は必ずしも減っていないのですが、インフラプロジェクト受注件数も日本への要人訪問も減っており、日本のプレゼンスは横ばい、もしくは一定程度減少しているといえるでしょう。
それを理解した上で、一帯一路によってこれ以上日本の政治的、経済的プレゼンスが下がらないように政策立案や企業経営を進める必要があると思います。現在、世界各国における地政学や保護主義による貿易投資の縮小のリスクが急増しています。この中で、グローバルサウス諸国との政治的、経済的なつながりを強化していくことは、サプライチェーンの強靱化、経済安全保障につながります。さらに、グローバルサウス諸国が将来経済規模を拡大していくことも確実で、日本企業はこの市場を見逃すわけにはいきません。
張:西側主要国で唯一参加していたイタリアが一帯一路構想から離脱しました。それは経済的な効果が得られなかったとか、政治的な理由とか、いろいろな要因があると思います。日本の場合は、別に中国からのインフラ投資は要らないと思うのですが、全体として正の効果が大きければ参加することを検討すべきなのでしょうか。それともまったく検討しなくてもいいのでしょうか。
戸堂:一帯一路の主要目的が中国との経済関係を強化するためのインフラ整備であることを考えると、すでに中国との海路や空路が十分整備されている日本が一帯一路に参加することの経済的メリットは大きくありません。経済安全保障や政治的な面から考えると、日本はむしろ中国への経済的な依存を減らす必要があります。ですから、日本が一帯一路に参加すべきだとは思いません。
張:中国の一帯一路によるインフラ整備は、政治の腐敗や債務不履行などマイナス面もあり得るということが西側諸国から批判されています。これは一帯一路の問題というよりは、受け入れる側の途上国の問題であり、それが一帯一路によってさらに深刻化した可能性があるとも考えられますが、先生はどのようにお考えですか。
戸堂:日本を含めて経済協力開発機構(OECD)諸国のODAは、実施する上で環境や人権に関してさまざまな規制があります。しかし、中国はOECDに加盟していないために、対外援助に関する規制が緩いということはあります。反面、DPの①と③では、一帯一路への参加によるその国のガバナンスの質への影響も分析していて、参加国では汚職の度合いが下がり、法の支配のレベルが上がっているという、一般的に日本で考えられているのとは逆の結果が出ています。
実際、一帯一路によってガバナンスを向上させるということは中国政府が公式にもアナウンスしていることで、そうした効果があるのかもしれません。ただ、他の研究者の分析によると、ミクロデータで見たときに、中国による援助プロジェクトが行われた地域周辺では汚職が増えたという結果も出ているので、今の時点では中国の一帯一路や対外援助のガバナンスに対する効果は明確ではありません。
そうはいっても、対外援助に関するOECDのルールが厳しいということが、グローバルサウスが中国の一帯一路や対外援助を歓迎する要因の一つになっているといえます。ですから、日本が一帯一路に対抗してグローバルサウスとの政治的、経済的関係を強化するためには、そのようなルールを見直すこともあり得るのではないかと思います。
例えば現在の文脈でいけば、米国のトランプ政権は援助自体を縮小する方向に向かっているわけですが、おそらくトランプ政権も米国のためになるような援助であれば興味を持つでしょう。ですから、今までとは違ったODAのやり方、ルールに関する議論が今後出てくると思います。その中で、OECD諸国が議論をして、援助国側と被援助国側がウィンウィンになれるようなODAの在り方を考えていくことが大事だと思います。
張:おっしゃる通りだと思います。OECDのルールが厳し過ぎて逆にうまくいかず、中国はルールが緩いためにうまくいったというのはあると思います。
今後の展望
張:最後に、今後のさらなる研究の深化に向けて、展望をお聞かせください。
戸堂:取りあえずこの3本のDPで一帯一路の研究は区切りを付け、それ以外の観点からもサプライチェーンの強靱化や経済安全保障の問題を研究していきたいと思っています。特に兵庫県立大学の井上寛康さんとのシミュレーションをベースにした研究はまだまだ発展の余地があるので、これからもやっていきたいです。また、これからは政治学や法学と融合させたような研究がますます重要になると思っています。こういった研究はRIETIの他のプロジェクトでも行われていますが、私自身もそういったことにもチャレンジしていきたいです。
さらには、これは研究というよりも成果発信なのですが、去年プログラムディレクターになったので、今まで以上にRIETIの研究成果をきちんと読む機会を頂いていて、RIETI全体の研究が非常にまとまった形で進んでいると感じるようになりました。同時に、成果がそれぞれのDPとしては発表されているものの、全体をまとめて発信することができていないのではないかと気付きました。ですので、成果をまとめて政策担当者や実務者、経営者の方々に分かるように発信していくことがプログラムディレクターの責務だと強く思っているので、できる限りそういう方向でも努力していきたいと考えています。
解説者紹介
戸堂 康之(RIETIプログラムディレクター・ファカルティフェロー / 早稲田大学政治経済学術院経済学研究科 教授)
1991年東京大学教養学部卒業。2000年スタンフォード大学経済学部博士課程修了 (Ph.D.)。南イリノイ大学経済学部助教授、東京都立大学経済学部助教授、青山学院大学国際政治経済学部助教授、東京大学大学院新領域創成科学研究科国際協力学専攻教授等を経て2014年より早稲田大学政治経済学術院経済学研究科教授。研究分野・主な関心領域:国際経済学、開発経済学、日本経済論、応用ミクロ計量経済学
インタビュアー紹介
張 紅詠(RIETI上席研究員・政策アドバイザー)