解説者 | 小泉 秀人(研究員(政策エコノミスト)) |
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発行日/NO. | Research Digest No.0148 |
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人生は運で左右されることが多く、「親ガチャ」のような先天的な運もあれば、日々の中で偶然起こる後天的な運もある。世界では近年、ポピュリズムが急速に拡大しており、その背景には経済競争で敗れた人たちに対する実力主義の観点からの冷遇が、怒りや不安の増幅につながっていることがあると考えられる。しかし、もしも初期の小さな「運」が後々に大きな差を生むのであれば、実力主義の正当性は崩れる。RIETIの小泉秀人研究員は実力勝負の世界であるボートレースを題材に、成績が初期の運にどれぐらい左右されるのかを分析。初期の運が後の結果に大きな影響を与えることを示した。本インタビューでは、分析結果から得られる政策的含意について話を聞いた。
今回の研究の着眼点
中田:小泉さんは、応用計量経済学者として、伝統的な財政学や公共経済学の分析とは一線を画す、ユニークな観点から税制を考察されていると思うのですが、ご自身はどのように認識されていますか。
小泉:もともと関心が開発経済学にあったので、貧困のような文脈から医療経済、税制、政治経済学などいろいろな分野に触れる機会がありました。それで、開発経済学をバックグラウンドとして公共政策に関わるトピックを広く研究することになったと思います。
ただ、公共経済学の前提としては、目的関数が与えられている中で経済学的に何をしたら最適かといった話があると思うのですが、そもそもなぜその目的関数を研究しないのかという問題意識はありました。それが今回のボートレースの論文につながっていると思います。
中田:今回の論文では、ボートレースを題材として何を明らかにされたのでしょうか。
小泉:ボートレースという枠組みを使って、運がわれわれの能力や功績や実力をどれぐらい構成しているのかを明らかにしました。ボートレースでは同じ製造元・モデルのエンジンが使われるのですが、どうしても個体差が出てしまいます。良いエンジンと悪いエンジンを恣意的に割り振ると不公平なので、公平性を期すために「ガラポン」のようなくじ引きで各選手に割り当てるという特殊なシステムがあるのです。今回の研究ではこの枠組みを使って、運良く良いエンジンに当たったレーサーとそうでないレーサーの2グループに分けて追跡したのですが、初期の一度の幸運が後々大きな違いを生むことが分かりました。
なぜ幸運による長期的効果に着目したのか
中田:幸運がもたらす長期的な影響を明らかにすることで、どのような社会問題の解決や理解につながるとお考えですか。
小泉:現代世界で起こっているポピュリズムは何が原因なのだろうという問題意識がまずありました。それから今の若者は、デフレだといわれていても生活水準は数十年前より良いはずなのに、なぜ不安や怒りを感じているのだろうという問題意識がありました。この2つの現象は根底で似たような原因があると思ったのです。
昔であれば、ある生業の家に生まれたら、そういうものだ、しょうがないという言い訳ができたと思うのです。今はそうではなくて、努力してはい上がった人たちがロールモデルとなり、自分も望む仕事ができるのだと教えられます。それ自体は悪いことではないのですが、はい上がれなかったら何かしらの原因が自分の中にあるとされ、一度コースアウトしたら駄目のレッテルを貼られます。それが閉塞感や不安、怒りを生むのです。そうしたことで苦しんでいる現代の人々が本当にそのように苦しまなければいけないのか、定量的に検証してみることが今回の研究の目的でした。
バタフライ効果
中田:経済学では1990年代の終わりごろ、Credibility Revolution(信頼性革命)があり、データから因果関係をどう識別するかということに対する意識が格段に高まりました。社会科学ではランダム化比較実験(RCT)は難しいので、RCTに近しいイベントのデータを利用することで、因果関係を明らかにする分析が現在の主流です。
運のような偶然がもたらす影響についても、経済学者はいろいろな分析を積み上げてきました。例えば、パンデミックや自然災害などを経験した子どもたちに、どのような長期的な影響があったのかを明らかにする研究です。しかし、今回の分析のように、成人した後に経験する運不運の影響も見逃せないことを明らかにした研究は少ないように思います。われわれには実力主義的な価値観が深く根差しているので、意外と注目しないのでしょう。
今回の論文ではエンジンの無作為な割り当てによってその後の選手人生に大きな差が出るという結果でしたが、具体的に一番注目すべき結果だと思うのは何ですか。
小泉:1つは男性レーサーの退出率です(図1)。運が良かったグループの方がレーサーを辞める割合が低く、その差が年を追うごとに広がっていました。それから、退出せずに残った人たちのパフォーマンス(1位獲得回数(図2)や賞金額(図3))も、運が良かったグループとそうでないグループで年を追うごとに差が広がっていました。
中田:その差は何が要因なのでしょうか。
小泉:私が考えているのは、正のフィードバックループ、俗にいうバタフライ効果です。何か成功体験があったとして、それは幸運な出来事がきっかけだったとします。成功体験が得られれば自信がつくし、実社会でより多くの機会を得られると思うのです。良い上司に巡り会えたら、仕事をがんばって、成果が出て、さらに良いプロジェクトを任されるようになるでしょう。ボートレースにおいても、勝っていけばより多くの、より高いグレードのレースに出ることができます。そうした自信や機会が成功体験を生み、さらに機会と自信につながるというループが生まれ、後に大きな差を生むと考えられます。
小泉:実際に自信を測るのは難しいのですが、それに近いものとしてリスクをどれだけ取っているのかを分析しました。ボートレースの場合、スタート時点でどれだけインコースに入るかがリスク指標になるのですが、運が良かったグループの方がリスクを取る傾向にありました(図4)。それから機会の面においても、運が良かったグループの方がそうでないグループに比べて高いグレードのレースの出場機会が多く、その差が広がっている傾向が見られました(図5)。従って、自分が考えていたフィードバックループは実証できたと考えています。
分析結果から得られた政策含意
中田:若い時につかんだ幸運がその後の行動を大きく変え、それが累積することで大きな効果になることが示されているのが実に面白いですね。
さらに興味深いのは、幸運がどういう人に影響を与えているかという分析です。どの世界にもいる大谷翔平選手や藤井聡太七冠のような飛び抜けた人たちが、平均的な効果を引き上げているわけではないのですよね。
小泉:パフォーマンスの分布を見ると、初期の幸運が最も影響を与えていたのは中位クラスであることが分かりました。下位クラスのグループは効果がほとんどなく、ずば抜けている人たちはいろいろな出来事があっても頭角を現すと思うので、それほど運に左右されていませんでした。運に最も左右されていたのは、才能を努力でカバーする層だったのです。
中田:よく理解できます。実力主義を強く信じているのはやはり中間層だと思うのです。誰しも今の成功があるのは自分の努力のおかげだと思いたいし、実際に努力もしているのですが、実は運に左右される部分も大きい。人材活用という観点からは、企業内でのジョブ・ローテーションや人事考課の在り方も考え直した方がいいのかもしれませんね。
小泉:その点はまったく考えていませんでした。というのも、企業は利益最大化を目指しているので、利益を最大化できれば、運が悪かった人間がいようがいまいが誰かが頭角を現して引っ張ってくれればいいという考えがあるからです。企業に対するインプリケーションももう少し考えてみたいと思います。
中田:税制を考えた時に、今回の分析結果はどのようなインプリケーションを持っているとお考えですか。
小泉:例えば、自分の今の境遇があるのはいろいろな幸運があったからだというふうに謙虚になれば、累進課税で税率が高くなっても不満を抱きにくくなると思うのです。そうなれば、政治的に実現可能な税政策は増えるのではないでしょうか。
中田:累進課税に関しては、単純に垂直的公平性の達成のためという議論が多いと思います。それはそれで正しいのですが、小泉さんの研究から明らかなように、幸運の再分配も考慮していいと思うし、税に対する考え方を少しでも変えることで納税の納得感を高めるという議論があってもいいと思います。
欧米では歴史的、宗教的な背景もあって、納税は社会の主体者としての参加費用という考え方が強いのですが、われわれ日本人はどうしてもお上に召し上げられる年貢という意識が強く、法の立て付けもそうした側面があります。税制を通じて幸運を再分配する必要があるのだという考え方が人々に共有されれば、累進課税や低所得者に対する給付といった再分配強化の基礎になると思うのです。この論文はそうした価値を提供しているように思えます。
とはいえ、成功した人が努力していないわけではないし、むしろ努力することが成功への必要条件なのですが、この分析のインプリケーションが累進課税の根拠になるとして、勝利者へのインセンティブと幸運の再分配のバランスをどう取ればいいと思いますか。
小泉:経済学者にとってはインセンティブはどう考えても重要ですし、社会主義はインセンティブがなかったからうまくいかなかったわけです。それが証明されているのであれば、勝利者へのインセンティブは必要ですし、あっていいと思います。不公平は結果の不公平であって、この論文は平等性を主張するものではないし、結果に格差が生まれなければインセンティブが生まれないと思うのです。ですから、勝利者へのインセンティブはそんなに変える必要はないと思っています。
ただし、勝利者がどういった認識で対価を得るかというところは変えるべきだと思います。義務や責任を課すとどうしても裏には権利があるので、義務や責任を負わせる発想ではあまりうまくいかないと思います。勝利者に対するインセンティブは残しつつ、インセンティブを享受する勝利者の思想を変えるような政策の打ち出し方が大事だと思います。
次の分析のテーマ
中田:今後はどういったテーマで分析をしてみたいとお考えですか。
小泉:今の研究は進めつつ、RIETIでも興味を持ってもらえるのではないかと思っているのが「失われた30年」に関する研究です。日本銀行が緩和政策をずっと取ってきて、期待インフレが上がらないまま何十年もたち、なぜ期待インフレが上がらなかったのかという点はあまり答えが出ていないと思うのですが、私は企業の前例主義が問題だったように思うのです。
日本企業では特にこの30年、みんな同じ会社を勤め上げて、その中で頭角を現した人が経営陣に上り詰めていきました。そうすると前例主義が非常に強くなり、いくら将来こうなると言っても、前はこうだったからと言われて何も変わらないのです。
そこで、企業の前例主義はどれぐらい強いのかを見ているのですが、取りあえず今見えているのは、バブル崩壊時に赤字転落した企業はその後ずっとコストカットしているということです。ずっと切り売りしていて、利益だけは伸びているのですが、売り上げは落ちているし、コストも減らしています。なぜ企業が政策を変えないかというと、前例主義があるからということが見えているので、今は有価証券報告書のテキスト分析で経営陣の心理状態を測るような研究をしています。
解説者紹介
小泉 秀人(RIETI研究員(政策エコノミスト))
イェール大学国際開発経済学修士号取得後、Innovation for Poverty Actionと世界銀行で途上国における社会実験プログラムの分析に従事。2020年ペンシルベニア大学ウォート ン校応用経済学博士課程修了。同博士号(Ph.D. in applied economics)取得。一橋大学イノベーション研究センターで特任講師。2023年より現職。
インタビュアー紹介
中田 大悟(RIETI上席研究員)