Research Digest (DPワンポイント解説)

スキルアップと賃金アップの関係性

解説者 鶴 光太郎(プログラムディレクター・ファカルティフェロー)
発行日/NO. Research Digest No.0141
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日本では賃金の引き上げが政策課題となっているが、解決のためには労働者のスキル向上などで生産性を上げる必要もある。本研究では、RIETIが独自に実施したウェブアンケート調査の個票データを使用して、個人の持つICTスキルと英語スキルの保有・仕事でのスキル利用の状況と賃金や仕事の特性との関係を実証的に分析した。RIETIプログラムディレクター・ファカルティフェローの鶴光太郎氏(慶應義塾大学大学院商学研究科 教授)に、島津裕紀氏(経済産業省経済産業政策局 産業人材課長)が、研究について話を聞いた。スキルは活用されることが重要であり、スキルの向上だけではなく、保有されるスキルがより活用されるように、職場の環境整備や労働移動を促進させるような政策が重要であると示唆された。

DX人材ニーズが高まる今、改めてスキルの保有と利用の効果を測る重要性

島津:研究分野や研究のご経歴についてお聞かせください。

鶴:この15年ほどの間は、雇用・労働を主体とした研究を行っているのですが、実は自分のことを労働経済学者と思ったことは一度もありません。その時ごとに、今最も重要なテーマは何だろうかと考えながら研究してきました。RIETIでは2000年代前半は銀行行動やM&Aが研究テーマでした。その意味では、RIETIに参画する以前、経済企画庁やOECD経済局、日銀金融研究所に在籍していた時期も、一貫して、日本の経済システムを大きなテーマにしてきたといえるかもしれません。

島津:近年のご関心領域やRIETIの研究プロジェクトでの研究テーマはどのようなものですか。

鶴:RIETIでは2007年から労働市場制度改革のプロジェクトを立ち上げて以来、雇用・労働の分野においてかなり網羅的に研究を続けてきましたが、題材に事欠かないというのが実感です。現在の研究テーマとしては、コロナ禍の中で進んだ在宅勤務や独立自営業、副業といった新たな働き方に焦点を当て、雇用システム・労働市場の再設計に資するような分析を目指しています。またAI時代に求められる人的資本、つまり、能力・スキルは何かを見極めていくため、認知・非認知能力・スキルをはじめとしてさまざまな能力・スキルが就業前教育、就業後訓練を含め全世代にわたる取り組み・経験によりどのような影響を受けるか、また、人生のアウトカム(賃金、昇進など)にどのような影響を与えるかなどを包括的に分析しているところです。

島津:どのような問題意識が今回の研究の出発点となったのですか。

鶴:最初に、本研究は、佐野晋平氏(神戸大学)、久米功一氏(東洋大学)、安井健悟氏(青山学院大学)との共同研究であり、主に、佐野先生が分析・執筆を担当されたことを初めに申し上げたいと思います。

能力・スキルと賃金や出世などの人生のアウトカムにどのような関係があるかは大変重要なテーマであると認識しています。最近はリスキリングという言葉が使われる機会も増えましたが、政府もDX人材の育成を念頭に置いていることは明らかです。その一方で、ICTスキルのレベルの違いで賃金などのアウトカムがどのように異なっていくのかという研究は、日本のみならず海外を見てもそれほど多くないという印象でした。ICTはまさに日進月歩なので1990年代から2000年代初めまでのデータを使った研究はすでに古く、現在には生かしにくいので、現時点でのデータと研究が必要だと思いました。また、英語はICTスキルとの比較対象としての役割を持たせて分析したもので、焦点はあくまでもICTスキルにあります。

島津:なぜスキルの保有と利用の関係に着目されたのでしょうか。

鶴:そもそも、雇用と労働の問題において能力・スキルを高めていくというのは人的資本という観点からも重要な話ですが、日本の分析を行う場合、特にスキルの保有と利用の区別が重要と考えていたからです。これは、日本のメンバーシップ型雇用と欧米のジョブ型雇用とも密接に関係しています。ジョブ型の場合、その仕事・ポストが要求する能力・スキルは明示化され、それを満たす人がそのポストに採用されます。この場合、ICTスキルにかかわらず、採用された人が保有するスキルとその仕事で利用されるスキルにあまり乖離がないと考えてよいでしょう。一方、日本の場合、その会社のメンバーになるということが主眼ですので、本人の希望と関係なく定期的な人事異動を行う中で、持っているスキルが十分生かされない仕事に回されることもあると考えられます。メンバーシップ型雇用の日本の場合、スキルの保有と利用の両方を見る必要があると考えていました。

島津:日本におけるスキルの保有と利用に着目した先行研究として、Kawaguchi and Toriyabe 2022を挙げられていますが、この研究との違いについて教えてください。

鶴:彼らの研究はわれわれの知る限り、日本においてスキルの保有と利用の乖離に関する他の研究としては唯一のものだと認識しています。しかし、彼らの着目しているスキルは読解力と数的処理能力だという違いがありますし、女性が男性に比べてスキルを保有しているのに利用されていないことが、男女間の賃金格差を生んでいると分析しています。彼らの分析は主体によってスキルの保有と利用の乖離に違いがあることに着目しており、スキルの利用と保有に着目していることは共通しています。けれども若干、問題意識、追究したい方向は異なっており、われわれと彼らの分析は補完的といえます。

島津:諸外国の先行研究では、スキルが賃金を高めるとする研究もあれば、ないとする研究もあるとのことでしたが、そうした研究結果のばらつきはどのように解釈されていますか。

鶴:ここは正直、評価が難しいと思っています。ICTスキルといってもその定義は単純なパソコンスキルからより高度なスキルを含むものなど、研究によってまちまちであり、使用データの時期、国などの対象範囲などにもばらつきがあります。ただ1つ言えるのは、ICTの技術自体はどんどん大きく変わっていて、仕事や社会における重要性もかなり変わってきているということです。やはり、なるべく新しい研究を参照すべきと考えています。

島津:データ収集に関して苦労したことや課題はありますか。

鶴:今回の調査は、日本国内に在住の25 歳~59 歳の男女計6,000人のデータを集めました。重要な点は、そのアンケート参加者の認知スキルを直接測ることでした。参加者のうち1,000人近い方に、OECDが提供しているある種の試験のようなものを実際に回答してもらっています。このような場合、自分たちが聞きたいことを設問にして、パネルデータとして継続的に聞いていくことは非常に難しいことなので、どうしても単発でのデータ収集になるのですが、単発ならではの機動力というか、関心を持っているテーマについてテーラーメイドで質問できたことは非常に大きなメリットがあったと思っています。

図:ICTスキルの保有と利用マッチの有無別、ICTスキル別平均賃金
図:ICTスキルの保有と利用マッチの有無別、ICTスキル別平均賃金

スキルを利用してこそ高まる賃金プレミアム

島津:ICTスキルの保有・利用と賃金がどのような関係にあることが分かりましたか。

鶴:ICTスキルについては、保有している場合は保有していない場合より、また利用についてもスキルを利用している場合の方が利用していない場合より賃金が高まるという、経済学でいう「賃金プレミアム」があることが分かりました。また、ICTスキルの高度化については、保有しているスキルが高度化しても賃金プレミアムは高まらない、利用に関しては、高度な形でICTスキルを実際に利用している人はそのレベルに応じて賃金もより高くなるということが分かりました。ですから賃金との関係はスキルの保有よりも利用の方に非常に明確な関係が出ているといえるでしょう。

島津:英語スキルの保有・利用と賃金がどのような関係にあることが分かりましたか。

鶴:英語スキルについては、持っている人は当然ながら多いものの、常に英語を使う仕事はある程度限られています。研究では、保有しているだけの状態では賃金との関係は見いだせなかったものの、利用している場合については賃金プレミアムが観察されました。

明らかなことは、ICTスキルも英語スキルも保有よりも利用しているかどうかが賃金により影響を与えているということです。ある意味、当たり前のことかもしれませんが、せっかく高度なスキルを保有しているのに宝の持ち腐れになっている可能性があることを、エビデンスとして明示できたのは意義深いことだと考えています。

島津:ICTスキルと英語スキルで賃金に与える影響が異なる点については、どのように解釈されていますか。また、男性と女性で、賃金とスキルの関係が異なる点についてはどのように解釈されますか。

鶴:英語スキルの場合、利用においては賃金プレミアムが発生するものの、保有の場合は賃金にペナルティーを与える場合もあり、保有の効果はICTと比べても弱い、または不安定と解釈しており、ICTに比べて一般的な仕事との関係がより薄いと思われます。

男女間では細かい部分で差異はありますが、それを系統立てて説明するのはなかなか難しいと考えています。1つ挙げるとすれば、ICTのスキルの保有と利用が一致した時の賃金プレミアムは女性の方がより大きい、女性の方がスキルの保有と利用の一致のメリットが大きいということはいえるかと思います。

島津:今後の分析課題・分析上の留意点等がありましたら、教えてください。

鶴:このような分析では、パネルデータ、つまり同じ対象者に対して継続的に質問をしていくことも非常に重要なのですが、パネルデータの構築は必ずしも容易ではないという課題があります。今回使用したのはパネルデータではないという性質上、固定効果がコントロールされていないことには留意が必要と考えています。けれども単発のアンケート調査には良い面もありました。タイムリーな問題意識に応じて設問、設定を詳細に自由に設計できることが、アンケートを政策に生かすという観点では大事なことだと思えるのです。両方のメリットとデメリットを十分認識しながらうまくメリットのところを強調していくというような研究姿勢で取り組んでいます。

ジョブ型雇用とウェルビーイング向上で、人的資本の稼働率を上げる

島津:政策的インプリケーションをお聞かせください。

鶴:分析で明らかになったことは、賃金と直接関係があるのが、スキルを持っているか否かではなく、あくまでスキルがいかに利用されているかであり、ICTスキルについては、保有と利用がマッチしている人は全体の3/4程度であること。保有しているスキルレベルを実際はあまり利用していない人が2割弱いて、若干ながら女性の方が多いということです。

こうした結果を見ると、人的資本経営の根幹である人への投資を通じて能力・投資を行うことはもちろん重要なのですが、政策的には、今ある能力・スキルが生かされるような労働移動や同一企業内での異動が案外重要であるということに目を向ける必要があると思います。

そのためには、人事部にキャリアを任せるのではなく、社内・社外公募を通じ、従業員が自ら手を挙げてポスト・仕事に就いていく職務限定型のジョブ型雇用が普及していくことが必要です。また、ICTスキルと英語スキルを横並びで比較した時は、英語スキルがやや過少評価されている結果になっており、グローバル人材の育成という点からもより正当な評価がなされる人材配置を考えていく必要があるでしょう。

島津:人的資本経営との関係では、リスキリングというものについてもう少し日本企業にも考えてもらう必要があるのではないか、という感想を持っています。

鶴:私も同感です。この20年ぐらいの間、スキル開発やオフ・ザ・ジョブ・トレーニングなどさまざまな訓練費が減少してきています。そのことに対する危機意識が、人的資本経営という発想につながっているのではないかと理解しています。

若い人たちの意識の変化も原因かもしれません。企業内で成長の機会がないと思うと転職をためらわないような、意欲のある人が増えたように思います。企業としてはせっかく人的資本に投資したのに社員がすぐに離れてしまうのでは意味がないと考えるでしょう。それでスキル開発などの費用が減少したということかもしれません。また逆に、企業側は魅力的な学びの機会を豊富に提供していくことによって優秀な人材を集め、獲得するという戦略もある程度効果があるのかもしれません。働き方改革が始まって以来、さまざまな企業の取り組みを見てきた中で感じたのですが、時間をかけて能力開発やスキルといった人的資本を拡大させるということももちろん大事だけれども、「人的資本の稼働率を上げる」こと、つまり従業員のウェルビーイングにも、もう少し注目してもよいのではないかと思います。精神的または肉体的な健康といったウェルビーイングの基本的な要素がうまくいかないと、いくらスキルがあっても活躍できません。そこを考えてあげる方が、企業のパフォーマンスや価値向上には即効性があるようにも思います。

島津:スキルの保有と利用がメンバーシップ型/ジョブ型雇用の議論と無関係ではないというところは、鶴先生ならではの観点だと思います。これについてご意見をください。

鶴:コロナ禍以後、ジョブ型雇用が成果主義的な管理をするための隠れみのとして、都合よく使われがちな風潮が広まっていることを苦々しく思っています。

ジョブ型の根本となる考えは「公募で人を採る」ということです。社内でも社外でも、公募に対して自ら手を挙げて、要求事項を満たす者がその業務に就くことです。社内で自ら手を挙げる経験を積み重ねていくと、日本の企業文化の中においても、公募というものに対するアレルギーが小さくなるでしょう。公募と、自ら選ぶ自律的なキャリアが結び付いていけば、真のジョブ型につながります。

リスキリングで目指す日本独自の「広義のジョブ型」

島津:今後の研究の展望についてお聞かせください。

鶴:本研究は2019年に行ったRIETI 「全世代的な教育・訓練と認知・非認知能力に関するインターネット調査」を使用していますが、まだまだ、この調査を使って研究ができると考えています。今、考えている研究としては、特に、性別という視点から、就学時における男女別学の効果や女性の文理選択という問題を考えてみたいと思っています。男子校、女子校ということで、いろいろと選択の違いがあるわけですが、上記の調査では、他の分野においても女性の方が能力・スキルなどを身に付けてもそれが賃金などのアウトカムに反映されにくいという結果が見てとれます。そうした状況を改善するにはどうしたらよいかという問題意識などを研究に反映させていければと思います。

島津:リスキリングは今まではやや独立した政策テーマになっていました。今政府では、なかなか賃金が上がらない構造要因に挑戦するには、リスキリングと労働移動と賃上げという課題を一体的に解決していかなければならないとして、新たな政策を講じることとしています。今回のスキルの保有と利用という研究でもたらされたインプリケーションは、こうした議論に別の角度から補助線を引き、理解を深める材料になるのではないかと思っています。

鶴:突き詰めていけば、ウェルビーイングを高めることと、日本の強固なメンバーシップ型雇用の打開が鍵になるでしょう。そして、欧米と同じジョブ型を目指すのではなく、日本独自のパスをたどって制度やシステムを進化させた、広義のジョブ型を目指していくべきと思います。これは、ありとあらゆる日本の雇用の問題の根幹にある課題だと思います。なかなか大変ではあるけれども、向き合っていかなければならないと、今の政策の議論の様子からも感じ取っています。

島津:これからの調査研究も大変楽しみです。ありがとうございました。

解説者紹介

鶴光太郎顔写真

鶴 光太郎(RIETIプログラムディレクター・ファカルティフェロー / 慶應義塾大学大学院商学研究科 教授)

1984年東京大学理学部数学科卒業。オックスフォード大学経済学博士号取得(D.Phil.)。経済企画庁、OECD経済局エコノミスト、日本銀行金融研究所研究員、経済産業研究所上席研究員を経て現職に至る。研究分野は、比較制度分析、組織と制度の経済学、労働市場制度。
主な著作物:『AIの経済学―「予測機能」をどう使いこなすか』、日本評論社、2021;『日本経済のマクロ分析―低温経済のパズルを解く』(前田佐恵子氏、村田啓子氏と共著)、日本経済新聞出版社、2019;『雇用システムの再構築に向けて―日本の働き方をいかに変えるか』、編著、日本評論社、2019;『性格スキル―人生を決める5つの能力』、祥伝社新書、2018;『人材覚醒経済』、日本経済新聞出版社、2016年ほか。

インタビュアー紹介

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島津 裕紀(経済産業省経済産業政策局 産業人材課長)